哀川翔の若い頃は?生い立ちや当時の経歴とエピソードなどまとめ

その圧倒的な存在感で人気を博してきた哀川翔さんの若い頃を振り返ってみましょう。哀川翔さんの若い頃はどんな活動をしていたのでしょうか?哀川翔さんの生い立ちや若い頃当時の経歴、そして若い頃のエピソードなどをチェックしてみましょう。

哀川翔の若い頃は?生い立ちや当時の経歴とエピソードなどまとめのイメージ

目次

  1. 1哀川翔のプロフィール
  2. 2哀川翔の若い頃は?
  3. 3哀川翔の生い立ちについて
  4. 4哀川翔の若い頃の経歴やエピソード
  5. 5哀川翔の若い頃からの芸能人との関係
  6. 6哀川翔は若い頃から伝説エピソード満載

哀川翔のプロフィール

・愛称:翔さん
・本名:福地家宏 (ふくちいえひろ)
・生年月日:1961年5月24日
・年齢:60歳(2022年1月現在)
・出身地:鹿児島県鹿屋市
・血液型:AB型
・身長:178cm
・体重:非公表
・活動内容:俳優、タレント、歌手、司会者、ラリードライバー
・所属グループ:元一世風靡セピア
・事務所:ビンゴ
・家族構成:妻(青木公美)、長女(MINAMI)、長男、次男、三男、次女(福地桃子)

哀川翔の経歴

哀川翔さんは1961年5月24日に徳島県徳島市で生まれました。生い立ちと若い頃の経歴は後の章でご紹介します。私生活では1995年に青地公美さんと結婚し、青池公美さんの連れ子(長女・長男・次男)と結婚後に生まれた実子(三男・次女)を含む5人の子供の父親になりました。

哀川翔さんは連れ子も実子も区別なく自分の子供だと公言しており、青地公美さんの前夫とも家族ぐるみの交流を持ち、長女と長男の結婚式に前夫を招いています。芸能活動をしている長女・次女とは度々共演して話題になりました。

哀川翔の若い頃は?

今、巷で話題を集めている哀川翔さんの若い頃の姿をご紹介します。還暦を迎えて若い頃とは違った魅力をかもしている哀川翔さんの若い頃と現在の姿を比較してみましょう。哀川翔さんの若い頃に対する世間の反応もご覧下さい。

哀川翔の若い頃が話題に

哀川翔さんの若い頃が話題になっています。この10年ほどの間にツイッターなどのSNSやネットの記事などで現在中高年以上になっている芸能人の若い頃の画像や動画が拡散される事が増えてきました。そこで取り上げられた多くの芸能人の若い頃の中でも「哀川翔さんの若い頃は特にかっこいい」と称賛されているのです。

若い頃はリーゼントがお決まりスタイル?

若い頃の哀川翔さんはリーゼントがお決まりスタイルでした。当時は若い世代でリーゼントスタイルが流行していたのですが、哀川翔さんのかっこよすぎるリーゼントスタイルが注目を集めた結果、それまでリーゼントスタイルに関心がなかった男子までリーゼントスタイルにするという現象が多発するほどの評判になっていました。

哀川翔の若い頃と現在の姿を比較

哀川翔さんの若い頃と現在の姿を比較してみましょう。こちらは若い頃と30代の頃と現在の哀川翔さんの画像を並べたものですが、若い頃は細身で「美少年」という表現も似合いそうなイケメンだった哀川翔さんが、年齢を重ねるに従って年齢相応の渋みと貫禄を備えるようになっていく過程を確認する事ができます。

若い頃と現在では傾向が違った魅力を放っている哀川翔さんですが、使われる形容詞は「かっこいい」に尽きるのではないでしょうか?

哀川翔の若い頃に対する世間の反応

哀川翔さんの若い頃に対する世間の反応を見てみましょう。現在に比べて線が細い雰囲気の哀川翔さんの若い頃に対しては「かっこいい」という表現の他に「可愛い」と形容されているのを散見しました。

若い頃からそのかっこよさで定評がある哀川翔さん自身が「可愛い」と言われる事をどう感じるかはわかりませんが、哀川翔さんは若い頃も現在もかっこよさと共に放っておけないチャーミングさも兼ね備えているのです。

哀川翔の生い立ちについて

哀川翔さんの生い立ちをご紹介します。哀川翔さんはどんな環境で育ってきたのでしょうか?哀川翔さんが生まれてから芸能界で活躍するようになるまでの軌跡を振り返ってみましょう。

生い立ち①パイロットの父親のもとに長男として誕生

生い立ち・その1をご覧下さい。哀川翔さんは1961年5月24日に海上自衛隊の幹部自衛官でパイロットを務めていた父親のもとに長男として誕生しました。

2016年10月27日に放映されたドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』で哀川翔さんのルーツが取り上げられた際に哀川翔さんの幼少期の画像と共に哀川翔さんの父親である福地家興さんの画像も公開されていましたが、ひと目で哀川翔さんの父親である事がわかるほど哀川翔さんに似ています。

生い立ち②父親の仕事の関係で転居続き

生い立ち・その2をご覧下さい。幼少期の哀川翔さん一家は父親の仕事の関係で転居続きでした。徳島県徳島市で生まれた後、山口県岩国市・栃木県宇都宮市・千葉県館山市に転勤していたのです。慌ただしい日々でしたが、この生活は思わぬ事態で終わりを迎える事となりました。

生い立ち③父親との別れ

生い立ち・その3をご覧下さい。転居続きの生活が終わった理由は、哀川翔さんの父親が殉職でした。1967年1月16日、徳島沖での訓練中に父親が搭乗していた第21航空群第101航空隊のHSS-2が第3航空群第11航空隊所属のS2F-1と空中接触して墜落し、乗員全員が殉職してしまったのです。

当時母親が臨月だった事で、わずか5歳だった哀川翔さんが父親の遺体を確認するという辛すぎる父親との別れを体験したのでした。

生い立ち④学生時代の部活動と喧嘩

生い立ち・その4をご覧下さい。父親の死後、哀川翔さん一家は母親の実家がある鹿児島県鹿屋市に転居し、哀川翔さんはそこで少年時代を過ごす事になりました。小学生時代から喧嘩をするようになった哀川翔さんは、中学時代に柔道部で鍛えた結果心身が更に強靭になり、高校時代の器械体操部では後の芸能活動に役立つ技術を身に着けています。

学生時代は体操教師になるつもりでいた哀川翔さんでしたが、願書を出し忘れてしまった事で諦め、上京して東京工学院専門学校に進学しました。

哀川翔の若い頃の経歴やエピソード

哀川翔さんの若い頃の経歴やエピソードをまとめました。哀川翔さんの芸能界デビューから監督デビューまでの芸能界での経歴と荒っぽい出来事が多々あった若い頃のエピソードをご覧下さい。

哀川翔の若い頃の経歴

哀川翔さんの若い頃の経歴を見てみましょう。専門学校入学を機に東京での生活をスタートさせた哀川翔さんは、どんな経緯で芸能界に飛び込む事になったのでしょうか?哀川翔さんの青春時代をご覧下さい。

若い頃の経歴:一世風靡セピアとしての活動

一世風靡セピアとしての活動経歴をご紹介します。哀川翔さんは都内で遊んでいた時にスカウトを受けて1983年に路上パフォーマンス集団・劇男一世風靡のメンバーになりました。その翌年に一世風靡セピアのメンバーとしてシングル「前略、道の上より」でメジャーデビューを飾り、1989年まで活躍していました。

若い頃の経歴:ソロデビュー

一世風靡セピアのメンバーとして人気を博した哀川翔さんは、1986年にソロデビューしています。デビュー曲は「青の情景(シーン)」でした。デビュー以降は1993年までに合計9曲のシングルをリリースしています。

若い頃の経歴:長渕剛からスカウトされ俳優デビュー

人気が全国区に広がった1988年、哀川翔さんは長渕剛さんからスカウトされて俳優デビューする事になりました。デビュー作となったのは長渕剛さん主演のドラマ『とんぼ』です。演技力が注目されるようになってからはVシネマなどを含む多くの作品に出演し、2004年に主演作品100本を達成しました。

若い頃の経歴:「あいかわ翔」としての監督活動

知名度も人気も十分に上昇した哀川翔さんは、1995年に「あいかわ翔」名義で監督活動を開始しました。監督作品として知られているのは1995年公開の映画『BAD GUY BEACH』です。

哀川翔の若い頃のエピソード

哀川翔さんの若い頃のエピソードを見てみましょう。前述したように小学生時代から喧嘩を繰り返すようになった哀川翔さんは、部活動で体を鍛えた事もあり、高校時代には筋金入りのヤンキーと呼ばれるようになっていました。

元ヤンキーという芸能人は数多いのですが、哀川翔さんはその中でも指折りの存在と噂されています。そんな哀川翔さんが若い頃に作った伝説級のエピソードを振り返っていきましょう。

若い頃のエピソード①諸星和己を暴走族から守った?

若い頃のエピソード・その1をご覧下さい。哀川翔さんは元光GENJIの諸星和己さんを暴走族から守ったというエピソードがありました。哀川翔さんが諸星和己さんを含む友人知人と六本木で遊んでいた時に暴走族に囲まれてしまったのです。

この非常事態でも哀川翔さんは慌てず騒がず、諸星和己さんに「お前は有名人だから車の中にいろ」と言い渡し、自分1人で暴走族に立ち向かったと伝えられています。まさに伝説級のエピソードでした。

若い頃のエピソード②竹下通りでの乱闘

若い頃のエピソード・その2をご覧下さい。こちらは哀川翔さんが『訂正させてください~人生を狂わせたスキャンダル~』で明かしたエピソードです。一世風靡セピアに加入した当時、原宿の竹下通りで300人対100人の大乱闘事件がありました。

哀川翔さんと仲間と敵対する暴走族がいたのですが、その暴走族100人を哀川翔さん率いる150人と中野英雄さん率いる150人で挟み撃ちにして倒したのです。発端は、ロックンローラー族の仲間が暴走族に怪我をさせられて助けを求めてきた事でした。それに応じた哀川翔さんが仲間達を集めて復讐したのです。

若い頃のエピソード③上京後の不良との喧嘩

若い頃のエピソード・その3をご覧下さい。哀川翔さんが専門学校に通うために上京したばかりのエピソードです。哀川翔さんが1人で新宿歌舞伎町で遊んでいた時、5~6人の不良に囲まれました。

そして、歌舞伎町に近い地下ショッピングモールに連れ込まれ「金を出せ」と言われたそうです。「え?誰が?俺が?」と答えているうちに腹が立ってきた哀川翔さんは、絡んできた不良全員を殴り倒してその場を離れたのでした。このエピソードは哀川翔さん自身がインタビューで明かしています。

若い頃のエピソード④六本木での飲み

若い頃のエピソード・その4をご覧下さい。哀川翔さんは24歳から33歳まで1年のうち360日六本木で飲んでいたというエピソードをインタビューで明かし、その頃の行状によって大きな仕事を得た経緯を語っています。

六本木で毎日のように飲んでいた頃、自分の作品でチンピラを演じる俳優を探していた高橋伴明さんが「今六本木で一番元気な奴は誰だ?」と周囲に聞いて回っいました。

そこで哀川翔さんの名を挙げる人が多かった事から、高橋伴明さんが哀川翔さんをスカウトして哀川翔さんが高橋伴明さん監督のVシネマに出演するようになり、Vシネマの帝王と呼ばれる存在になったのです。

若い頃の中野英雄との出会いエピソードも!

若い頃の中野英雄さんとの出会いエピソードを見てみましょう。竹下通りで共に暴走族と戦った中野英雄さんとの出会いも非常にドラマチックだったと有名です。中野英雄さんは16歳の頃暴走族スペクターに所属していました。そして、仲間達と遊んでいた時にそこを通りかかった哀川翔さんのリーゼントスタイルをからかったのです。

当時細身体型だった哀川翔さん相手なら勝てると思っていた中野英雄さんでしたが、あっさりと返り討ちに遭い、見た目に反した腕っぷしの強さと気性に惚れ込んで哀川翔さんの弟分になり、劇男一世風靡のメンバーになって芸能人になったのでした。

哀川翔の若い頃からの芸能人との関係

哀川翔さんの若い頃からの芸能人との関係をご紹介します。哀川翔さんが芸能界で生きてきた中で特に深い関わりがあった3人の芸能人・松方弘樹さんと竹内力さんと勝俣州和さんとの関係を見てみましょう。

今は亡き松方弘樹との交友関係

今は亡き松方弘樹さんとの交友関係を見てみましょう。24歳から33歳まで1年のうち360日六本木で飲んでいた哀川翔さんが「敵わなかった」と語っているのが松方弘樹さんです。

哀川翔さんと松方弘樹さんは京都の東映撮影所で会う事が多かったのですが、撮影が終わると松方弘樹さんが「飲み行くぞ」と言い出して俳優10人位がそれに従って飲みに行くのですが、全員の前にヘネシーのボトルが1本ずつ置かれて「これ全部飲んだら終わりな」と言われた思い出を明かしていました。

Vシネマの顔同士の竹内力との関係は?

Vシネマの顔同士の竹内力さんとの関係を見てみましょう。哀川翔さんと竹内力さんは『DEAD OR ALIVE 犯罪者』でコンビを組んだ事もあり、共にVシネマの帝王と呼ばれています。そんな2人が2014年1月29日に出演映画『銀の匙 Silver Spoon』の舞台挨拶に登場して観客の声援を浴びました。

この映画ではヒロインの父親と叔父という役回りでしたが、竹内力さんと寄り添い「ここだけ切り取ると何の映画かわからない」と発言して観客を笑わせています。私生活でも仲が良い2人なのです。

後輩の勝俣州和との縦社会関係

後輩の勝俣州和さんとの縦社会関係を見てみましょう。勝俣州和さんは劇男一世風靡に所属していました。劇男一世風靡が活動していた頃は厳しい縦社会環境でした。

その頃の心理状態が今でも抜けきらない勝俣州和さんは、和田アキ子さんにはタメ口で接する事ができるのに、「哀川翔さんや柳葉敏郎さんの前に出ると自然と背筋が伸びてしまう」とバラエティ番組で告白していました。

哀川翔は若い頃から伝説エピソード満載

哀川翔さんは若い頃から伝説エピソード満載で、「私生活もVシネマみたい」「まさにVシネマの帝王」と言われています。そのかっこよさを還暦過ぎても維持している哀川翔さんは、今後もそのかっこよさと気性で更に多くの人に慕われていくのではないでしょうか?

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この記事のライター
fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

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