有馬稲子の現在!離婚や再婚など男運の悪さが話題?経歴まとめ

宝塚歌劇団に居たことがあり、昭和を代表する女優として活躍した有馬稲子の現在について紹介します。東宝の専属女優として活躍した有馬稲子ですが、私生活では離婚や再婚など男運の悪さで話題になってしまうこともありました。現在の年齢などを含めて有馬稲子の生活を紹介します。

有馬稲子の現在!離婚や再婚など男運の悪さが話題?経歴まとめのイメージ

目次

  1. 1有馬稲子のプロフィール
  2. 2有馬稲子の現在
  3. 3有馬稲子の離婚や再婚など男運の悪さとは
  4. 4有馬稲子の宝塚時代からの経歴
  5. 5有馬稲子の子供は?
  6. 6有馬稲子の現在は再婚離婚を経てケア付きマンション暮らし

有馬稲子のプロフィール

愛称:ネコちゃん、おイネ
本名:中西盛子
生年月日:1932年4月3日
年齢:87歳(2019年8月現在)
出身地:大阪府豊能郡池田町(現在の池田市)
血液型:A型
身長:???
体重:???
活動内容:女優
所属グループ:なし
事務所:ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
家族:独身(二度の結婚経験あり)

有馬稲子の経歴

有馬稲子という名前を聞いて懐かしいと思う方もいるかもしれません。昭和の黎明期において宝塚歌劇団や東宝専属女優として活躍した大女優です。また、その後も松竹に移籍して活躍し、現在はホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属となっています。

映画「せきれいの曲」で初主演し、その後も岸恵子と久我美子らとともに、日本の映画製作プロダクションの一つである「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立しています。俳優のための映画を企画するという目的で設立されたプロダクションです。

そういった気持ちが強かったこともあり、有馬稲子は自ら出演する作品を決めるほど女優という職業の地位向上に尽力した人物とも考えられています。

ハイカラな部分もあり、1960年には約1ヶ月半に渡るヨーロッパ旅行も経験しています。これは現在とは違って海外渡航自由化前の出来事であり、有馬稲子のアクティブな性格が伺えるものといえます。

2010年に出版された「私の履歴書」における私生活が話題となり、子供の堕胎や不倫など、有馬稲子の生き様と当時の映画界を知る重要な資料となっていると言えるでしょう。

有馬稲子の現在

このように昭和の芸能史の中では無視できない女優である有馬稲子ですが、現在87歳という年齢になってどのような生活を送っているのでしょうか?あの本で語った不倫や再婚劇以降の生活に注目です。

2019年の誕生日で年齢87歳の有馬稲子

有馬稲子は2019年に誕生日を迎えると87歳という年齢になりかなりの高齢になるといえます。そのため、以前ほどはテレビの前などに姿を現すことは無いようですがご健在です。

多くの同世代や先輩の女優とは交流を持っていたようで、森光子の放浪記2000回公演のときはある絵を送っています。それは、自分が住んでいる庭の絵を、マンションの同居人である美大の教授に描いてもらってプレゼントしています。

現在は横浜市内のケア付きマンション暮らし

しかし、年齢を経たこともあり一人で暮らしているわけではないようです。再婚や子供の話など、様々なエピソードがあるだけに現在はどこで生活しているのでしょうか?

実は、10年ほど前から横浜にある介護付きマンションで一人暮らしをしているそうです。このケア付きマンションには500人ほどの人が住んでいるそうでのんびりとした余生を送っているそうです。

元気な老夫婦

多くのベテラン女優たちが亡くなっていく中で、非常にお元気で生活されているようで、その姿に変わりはなくとても美しいと話題になっています。男運に関しては本人も自覚があるのか、いろいろとエピソードを語ることもあり、それも昭和の時代の一つの生き方として語っているようです。

中銀のライフケアマンション在住との噂

また、一部ではそのケア付きマンションは中銀のライフケアマンションだと噂されています。自宅から引越しする際は多くの荷物を友人などにあげたり捨てたものの、それでも引越し先では1年ほどダンボールが天井まで山積みな状態だったそうです。

車椅子を押して貰う女性

そして、現在はそのマンションにある共有の庭で花壇づくりを楽しむのが日々の楽しみなようです。芸能活動に関してはテレビ朝日系「やすらぎの郷」に出演する際に、自分にとって最後の仕事になると考えて出演したそうです。

以前は東京都内のマンションで生活

このケア付きマンションで生活するまでは、東京都内のマンションで暮らしていたそうです。離婚後は再婚もしておらず、独り身ということもあり介護などのサポートが受けられる高級マンションでの生活のほうが良いと考えたのでしょう。

宝塚音楽学校創立100周年記念式典に出席も話題に

2013年に宝塚音楽学校創立100周年記念式典「百年(ももとせ)の道~いま新しき未来へ~」が行われました。この式典は兵庫県宝塚市にある宝塚大劇場で行われて、歴代の卒業生や現役生が参加し2244人も参加したそうです。

式典の司会はOGで現在も女優として活躍する檀れいが担当しており、来賓の祝辞には兵庫県知事の井戸敏三が行う大きな式典となりました。

この式典に有馬稲子も参加しており、真帆志ぶきや上原まり、天海祐希や安蘭けいなど錚々たるメンバーが出席しており話題になりました。

有馬稲子の離婚や再婚など男運の悪さとは

このように輝かしい経歴を持つ有馬稲子ですが、私生活に関してはいろいろと苦労しており男運が悪いと言われてしまうこともありました。有馬稲子の離婚や再婚話について紹介します。

萬屋錦之介との結婚と離婚

有馬稲子の初めての結婚は1961年に公開された映画「もず」と同年の11月27日のことでした。この相手が同じく昭和を代表する萬屋錦之介(中村錦之助)でした。もともとは歌舞伎役者であり、歌舞伎界の大スターでありながら映画界に進出した人物です。

プロポーズの花束

萬屋錦之介の父親からは京都に900坪の土地を与えられて、150坪の大豪邸を建てています。しかし、この豪邸が有馬稲子にとっては大きな負担になりました。

萬屋錦之介(中村錦之助)とは

萬屋錦之介は父親に三代目中村時蔵を含め叔父や家族には錚々たる歌舞伎の名人を抱える一家でした。女形としての演技が特に評価されたものの、四男であったことから歌舞伎界で主役を任されることはないだろうと考えていたようです。

そこで、新芸術プロが美空ひばりの相手役としてスカウトしたのが萬屋錦之介でした。しかし、当時の梨園の世界は歌舞伎の世界と映画の世界は交わるべきでないという考えがあり、父親からも映画の世界を選ぶなら歌舞伎を辞めるように言われ、失敗しても戻ることは認めないとされたそうです。

結果的に萬屋錦之介と弟の中村賀津雄が東映入りし、それを支えるために初代中村獅童も東映のプロデューサーの道を選び歌舞伎の世界を去りました。美空ひばりとの共演「ひよどり草紙」が映画デビュー作となりました。

その後は「一心太助」シリーズや「宮本武蔵」シリーズ、またレコード歌手としてもヒットしています。また、歌舞伎に関しては新歌舞伎の演目を中心に復帰しています。

萬屋錦之介との結婚式も話題に

ウェディングケーキのイラスト

そのため二人の大スターの披露宴には約1000人以上の人が招待され、ウェディングケーキは高さ2メートルという凄まじいものでした。また、そんな二人の結婚を祝って造られたのが「有馬錦」という日本酒でした。

萬屋錦之介と結婚3年7ヶ月での離婚

朝から晩まで家事に追われて、有馬稲子はそのことに疲れて離婚を考えることになります。結果的に萬屋錦之介との結婚生活は3年7ヶ月で離婚となってしまったのです。

また、夫として悪い人では無かったようですが金銭感覚に関してはでたらめだったようです。毎日のように自宅で宴会を開いており、それにかかるお金や料理を準備する労力など落ち着いた結婚生活とはいえなかったようです。

昭和のスターたちの多くはこういったエピソードが語られることが多く、結婚した女性はそのことに疲れて離婚するというのはあるあるなエピソードといえるかもしれません。

実業家の河村三郎との再婚も離婚へ

和服の女性

有馬稲子は1969年に不動産会社を営む実業家の河村三郎と再婚しています。この再婚生活も残念ながら恵まれたものではなく、またもや男運が悪いと言われる理由になってしまったのです。

河村三郎の倒産など男運の悪さが見え隠れ

それは、この再婚した河村三郎の会社が多額の負債を抱えて倒産したことが男運が悪いと言われる理由です。有馬稲子は借金を返済するために一生懸命に働いたものの、1983年に離婚しています。

赤い糸

夫はとても優しく良い人だったようですが、どうしても女性に借金を返してもらっているという現実に耐えきれず、仕事がうまくいかずにふさぎ込んでしまうようになったことが離婚の原因だったそうです。

男運の悪さは離婚と再婚以外に不倫も

しかし、そういった男運の悪さは20代のときから始まっていたことでした。まだ、萬屋錦之介と結婚する前に映画監督の市川崑との関係が後になって明かされています。

市川崑といえば映画「ビルマの竪琴」や「炎上」など多くの名作を世に送り出しています。また、ドラマの代表作では中村敦夫の「木枯し紋次郎」が有名です。娯楽映画からドキュメンタリーと幅広いジャンルを撮影した人物として有名です。

「私の履歴書」で市川崑との関係を告白

当時、まだ20代だった有馬稲子は市川崑と不倫関係になっていました。その上、子供を妊娠したものの中絶するように求められ、残念ながら子供を中絶するという選択をしたそうです。

この子供の中絶があり、有馬稲子は市川崑との関係を解消しようと考えていました。そのときに、萬屋錦之介と親しくなり、萬屋錦之介との結婚を決めます。しかし、市川崑は結婚をしても3ヶ月に1回で良いから会うことを求めたそうです。

そのことを拒否すると、自分の今まで注いだ愛情を返すように求められるなど脅迫されることもあったそうです。このことは2010年に出版された自叙伝である「私の履歴書」に記されているものの、市川崑は出版される2年前に亡くなっています。

有馬稲子の宝塚時代からの経歴

改めて有馬稲子の宝塚時代からの経歴を確認してみましょう。有馬稲子は父親が共産主義者だったことから官憲に追われる身でした。そのことから有馬稲子が4歳の年齢のときに、父の実姉に預けられています。

経歴①1948年に宝塚音楽学校に入学

実は、有馬稲子の実姉である中西かねは宝塚歌劇団4期生として在団していたことがありました。このときに使っていた芸名が有馬稲子であり、後にその名前を継ぐことになります。

1948年に友人の勧めもあり有馬稲子は宝塚音楽学校に入学しています。しかし、中西かねが宝塚歌劇団に居たことは入学後に知ったそうです。

翌年に宝塚歌劇団入団で二代目有馬稲子を襲名

1949年に宝塚歌劇団36期生として宝塚歌劇団に入団し、このときに二代目有馬稲子を襲名しています。有馬稲子の在団期間自体は決して長くはなかったものの、主演娘役として活躍しました。

経歴②宝塚在団中に「寶塚夫人(宝塚夫人)」で映画デビュー

テレビのカメラ

また、1951年に東宝「寶塚夫人(宝塚夫人)」で映画デビューを果たしており、同年に映画「せきれいの曲」では主演を演じています。こういった幅広い活躍をしながら有馬稲子は次の道に進むことになります。

経歴③宝塚退団後は東宝の専属女優として活躍

有馬稲子が宝塚歌劇団を去ることを決断したのは、男役を演じたときの違和感だったそうです。同時に映画に出演したことで映画の世界に興味を持って1953年に宝塚歌劇団を退団し、東宝の専属女優になりました。

経歴④東宝から松竹へ移籍

1955年になると東宝から松竹に移籍しており、同じく東宝から移籍してきた岡田茉莉子と松竹の二枚看板となりました。1961年には映画「もず」に出演しています。その後も映画やテレビドラマに出演しました。

有馬稲子の子供は?

笑顔の赤ちゃん

現在87歳という年齢になった有馬稲子ですが、結婚や再婚を経験した中で子供は誕生しているのでしょうか?有馬稲子の子供の存在について紹介していきます。

有馬稲子に子供はいない

結果的にですが萬屋錦之介や河村三郎との間に子供はいません。萬屋錦之介との結婚生活の中では子供ということも考えられたでしょうが、それ以上に梨園の世界の厳しい仕来りに苦しんだといえそうです。

年齢85歳の時に「徹子の部屋」出演で子供について語る

また、年齢が85歳になったときにテレビ朝日「徹子の部屋」に有馬稲子は出演しています。このときの有馬稲子の話にはいろいろな発言をしており、同時に二人の夫に対する深い愛情を語ったことで話題になりました。

その中で、当時85歳という年齢の中で兄弟とはほとんど連絡は取っていないこと、ケア付きマンションで生活しながら満たされている部分はありながらも寂しさを感じることがあるということを明かしました。その中で、やはり子供が欲しかったという気持ちが心残りのようです。

子供中絶の過去も告白

有馬稲子は市川崑との関係のところでも触れましたが、子供を中絶している経験を告白しています。当時の年齢は有馬稲子が20代で市川崑とは17歳ほどの年齢差があった上に妻帯者でした。

市川崑は妻とはうまくいっておらず、離婚していずれ結婚したいということも告げていたようです。しかし、その言葉は現実のものになることはなく、ただ時間だけが過ぎていく毎日だったようです。

そんな有馬稲子はある日、市川崑に自分から連絡を取ったそうです。そのときに知ったのが市川崑と妻の間に子供が出来たということでした。このことが先程の市川崑との関係の解消、そして萬屋錦之介のプロポーズを受けた理由だったそうです。

しかし、それでも関係の継続を求められるなど、有馬稲子にとっては子供の中絶だけでなく辛い経験が多かった出来事だといえるでしょう。とはいえ、その後の男運も決して良かったとは言えないかもしれません。

有馬稲子の現在は再婚離婚を経てケア付きマンション暮らし

昭和黎明期を代表する有馬稲子の現在と経歴について紹介しました。男運が無いと言われてしまうこともあった有馬稲子ですが、現在はケア付きマンションでのんびりとした余生を過ごしているそうです。子供が居ないことに対する未練はあるものの、その生き様は女性として女優として生き抜いたと言えるでしょう。

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