麻原彰晃の子供は何人?愛人との子供の現在や四女にまつわる発言なども調査

2018年7月6日に一連のオウム真理教が犯した事件の首謀者として死刑が執行された麻原彰晃。麻原彰晃には愛人の子供も含めて15人ほど子供がいると言われています。現在、麻原彰晃の子供達はどうしているのでしょうか?画像などはあるのでしょうか?調査してみました。

麻原彰晃の子供は何人?愛人との子供の現在や四女にまつわる発言なども調査のイメージ

目次

  1. 1麻原彰晃とは
  2. 2麻原彰晃の子供は何人?
  3. 3麻原彰晃の愛人の子供の現在
  4. 4麻原彰晃の子供(四女)にまつわる発言とは
  5. 5麻原彰晃死刑執行後の子供の今後に注目

麻原彰晃とは

宗教団体オウム真理教の創設者・麻原彰晃。坂本一家殺人事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など日本中を震撼させた凶悪犯罪の主犯者でした。麻原彰晃とは一体どんな人物だったのでしょうか?詳しく見てまいりましょう。

麻原彰晃のプロフィール

麻原彰晃は本名・松本智津夫と言い、1955年3月2日熊本県八代市に9人兄弟の7番目として生まれました。生きていれば65歳になります。麻原彰晃の両親は、畳屋を営んでいましたが生活はかなり貧しかったそうです。

成人した麻原彰晃は、1978年に東大受験の為に通っていた代々木ゼミナールで松本和子と知り合い結婚しました。結婚を機に千葉県船橋市に鍼灸院を開院しています。

麻原彰晃は、1983年に東京渋谷に鳳凰慶林館を開設し、その頃から麻原彰晃と名乗るようになります。その後、鳳凰慶林館はオウムの会、オウムの神仙の会と名称を2度改め、1987年にオウム真理教となりました。1990年には衆議院選挙に真理党所属として東京第4区から出馬していますが落選。

選挙に落選した事で、麻原彰晃は「オウムは反社会、反国家である!」と唱え、凶悪犯罪を犯していく事になります。1994年に松本サリン事件、1995年には地下鉄サリン事件を犯し13人を殺害、5,510人に重軽傷者を負わせています。麻原彰晃は地下鉄サリン事件の首謀者として、1995年5月16日に山梨県上九一色村の教団施設内で逮捕されました。

2018年7月6日に死刑執行済み

逮捕された麻原彰晃は、2003年「わが国犯罪史上、最も凶悪な犯罪者」として検察側に死刑を求刑されました。2004年東京地裁は求刑通り死刑の判決を下しますが、麻原彰晃の弁護側は不服とし即日控訴しています。その後、裁判は東京高裁から最高裁へ。2006年9月15日、最高裁は弁護側からの控訴審の特別抗告を棄却し、麻原彰晃の死刑が確定しました。

2018年7月3日、当時の上川陽子法務大臣が死刑執行命令書に押印し、7月6日にオウム真理教事件で死刑が確定していた麻原彰晃を含む7人の信者の死刑が執行されました。麻原彰晃は63歳でした。死刑執行当日、麻原彰晃は朝食をとり暴れることはなかったそうです。

麻原彰晃の子供時代

裁判で「日本の犯罪史上、最も凶悪な犯罪者」と言われた麻原彰晃。どのような子供時代を過ごしていたのでしょうか?調査してみました。

子供時代から先天性緑内障で片目が不自由

麻原彰晃は、生まれつき先天性緑内障で左目がほとんど見えなかったそうです。右目の視力は1.0ほどあり、全盲ではなかったそうです。麻原彰晃は、1961年に地元の小学校に入学しましたが、視覚障害を理由に学費や食費が無料となる寄宿舎付きの盲学校に転校させられます。

麻原彰晃は、その事を「両親に捨てられた」と思ったようで泣いて嫌がったと言います。実際に、卒業するまで両親は会いに来る事はなかったそうです。盲学校で麻原彰晃は、暴力で全盲の子供達を支配していったそうです。

学生時代から金銭への執着心が強かった

麻原彰晃は、盲学校にいた頃から金銭への執着心がとても強かった言います。同級生を恐喝しお金を巻き上げたり、全盲の子供達に窃盗させたりし、20歳で盲学校を卒業するまでに300万円も貯めていたそうです。

中学時代のプロレスごっこ

中学時代の麻原彰晃は、盲学校の寄宿舎で毎日”プロレスごっこ”をしていたそうです。自分で戦うのではなく、同室の子供達に無理やり戦わせ楽しんでいたのだとか。

他の子供達は仲が良く、お互いを痛めつける事はしたくないので遠慮がちに“プロレスごっご”をすると、麻原彰晃は「こうやれ」と指示を出し同室の子供を殴ったそうです。

麻原彰晃の子供時代の画像はある?

子供時代から人を支配し、お金に執着していた麻原彰晃ですが、子供時代の画像はあるのでしょうか?ネット上で検索すると、麻原彰晃の子供時代の画像が何枚か見つかりました。上の画像は、麻原彰晃の中学時代のものです。他にも高校生時代の柔道着姿の画像もありました。

麻原彰晃の子供は何人?

麻原彰晃には、妻の松本和子以外にも数多くの愛人がいると言われています。そして妻と愛人の間に出来た麻原彰晃の子供の数は、12人から15人とも噂されています。まずここでは、正式な妻である松本和子との間に出来た子供達を見てまいりましょう。

松本知子との間に子供は6人で画像は?

麻原彰晃は、正妻である松本和子とは代々木ゼミナールで知り合い、1978年に結婚しています。その後、松本和子との間には、娘4人と息子2人を設けています。子供達の画像を探してみましたが、三女の松本麗華以外の画像は見つけることが出来ませんでした。

松本麗華は、子供の中でも麻原彰晃に一番可愛がられており、オウム真理教の後継者とも言われていました。そのため、ネット上に画像が広まっているようです。

子供(長女)の名前は「松本美和」

それでは、麻原彰晃と松本和子の間に出来た子供達を詳しく見てまいりましょう。まずは、長女の松本美和です。松本美和は1978年生まれで、現在は41、2歳になっています。教団での地位は正悟師と呼ばれ、上から5番目の位だったそうです。

教団を去った後は、女性信者と行動を共にしていたようですが、「2001年に東京都北区のスーパーで万引で逮捕された時には1人だった」と言われています。また、オウム真理教から改められた宗教団体「アレフ」にも参加はしていないようです。最近では情報も全く無いとのこと。「完全にオウムとの関係を絶っているのでは?」と囁かれています。

子供(次女)の名前は「松本宇未(仮名)」

次女の松本宇未(まつもとうみ)は仮名を使用しており、本当の名前を公開していません。松本宇未は、1981年生まれで現在は39歳ぐらいです。

「木の葉が沈み石がうく」というタイトルでブログを開設しており、そのブログで松本宇未は「顔と名前を出す気はさらさらない模様」と書いています。ブログは2019年4月までは更新されていますが、現在は新しく記事は更新されていないようです。

子供(三女)の名前は「松本麗華」

三女の名前は松本麗華(まつもとりか)。1983年生まれで現在は37歳ぐらいです。幼い頃から麻原彰晃に一番可愛がられ、教団の後継者とも言われていました。そのためメディアでは「アーチェリー」という名前で呼ばれ、注目度が高かったようです。

麻原彰晃が逮捕された後も、父親への愛情が強く「大好きな父」と言い、次女や弟と共に麻原彰晃の面会に頻繁に行っていたと言われています。また麻原彰晃の遺骨を巡っては、遺骨受け取りに指名された四女とはかなり対立していることでも有名です。

小中学校には通えず通信教育?

三女の松本麗華は、小中学校には通う事が出来なかったと言います。理由は、オウム真理教解体後、小中学校に入学するには1ヶ月間の観察期間が必要だったためとされています。

小中学校に通う事が出来なかった三女は、小学校3年生から通信教育を受けることに。その後も日出高等学校の通信教育を受け、2004年に文教大学人間科学部臨床心理学科に入学し2008年に卒業しています。

子供(四女)の名前は「松本聡香(仮名)」

麻原彰晃の四女の名前は松本聡香(まつもとさとか)と言われています。しかしこの名前は本名ではありません。松本聡香は1989年に、静岡県富士宮市のオウム真理教の施設で生まれています。現在は31歳ぐらいです。地下鉄サリン事件は四女が6歳の時に起こり、その日父である麻原彰晃は四女に「今日はいい事が起こっているんだよ」と笑ったそうです。

両親が逮捕された後は2000年に教団を脱会し、家出をしたり元信者の所を転々としていたそうです。14歳の時に、ジャーナリストの江川紹子さんに後見人になってもらい江川さんが準備した家で暮らしていたそうですが、18歳の時に「宗教に戻ります」とメモを残し姿を消したと言われています。

四女の学校生活は悲惨

四女の学校生活は悲惨だったと言います。麻原彰晃の娘という事で、転入を拒否されたこともあるそうです。協力者のお陰でやっと通えた学校でもいじめに合い、中学校では男子生徒から暴力を振るわれ毎日あざだらけだったと言います。また、自宅周辺や通学路には、「オウムは出ていけ!」という看板がたくさん設置されていたそうです。

長男と次男の名前や詳細は?

麻原彰晃には2人の息子がいますが、名前などは公表されていません。長男は、1992年生まれで現在は28歳ぐらいです。1996年6月に僅か4歳で教団の教祖となっています。2001年長男が9歳の時にやっと小学校に通うことが可能となり、その際には多くのメディアが小学校に押し寄せたそうです。

その後、関東の大学に進学したという情報がありました。現在も、次女や三女とは連絡を取り合っているそうです。次男は、1994年生まれで現在26歳ぐらいです。四女同様になかなか学校には通えず、協力者の力で小学校に通えるようになったそうです。現在も、母親の松本和子とは連絡を取り合っていると見られています。

長男と次男の学校は?

長男も次男も、四女と同じ様に学校に行くのは苦労したようです。次男は偏差値65ぐらいの春日部共栄中学校に合格したそうですが、麻原彰晃の息子という理由で入学を拒否されたそうです。その後訴訟を起こしていますが、入学できたかどうかは調べても分かりませんでした。

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麻原彰晃の愛人の子供の現在

ここまでは、麻原彰晃と正妻の松本和子との間に出来た子供達を見てきましたが、ここからは麻原彰晃が愛人達に産ませた子供達の現在を調査してみました。

麻原彰晃には愛人が100人?

麻原彰晃には、愛人が100人ほどいたと言われています。彼女たちは、オウム真理教内で“ダーキニー”と呼ばれ、富士山総本部の第1サティアンや上九一色村の第2サティアンで暮らしていたそうです。

愛人との間にも子供が誕生

四女が書いた著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』では、「父は4人の女性に子供を産ませた」、「父の子供は15人いると聞いた」と記されているそうです。

石井久子との間には3人の子供が誕生

100人いたと言われる麻原彰晃の愛人の中でも、特に麻原彰晃から寵愛を受けていたのが石井久子です。麻原彰晃と石井久子の間には3人の子供がいると言われています。

最初に1992年、石井久子は妊娠していますがこの子供は産まれることなく流産しています。翌年1993年12月、石井久子は双子を出産しています。そして1995年3月に3人目となる子供を出産しました。石井久子の子供達の画像を探してみましたが、見つかりませんでした。

オウム真理教No.2とも言われた石井久子とは

オウム真理教でもNo.2と言われた石井久子とはどのような人物だったのでしょうか?詳しく見てまいりましょう。石井久子は、1960年9月26日生まれで、現在59歳になっています。美しく頭の良い女性で大学進学を希望していたようですが、公務員だった父親に大学進学を反対され産業能率短大秘書コースに進学しています。

短大卒業後、石井久子は日産火災海上保険(現在:損保保険ジャパン)に就職し、そこで運命を大きく変える人物と出会ってしまいます。それがオウム真理教元信者・飯田エリ子です。当時、飯田エリ子は麻原彰晃が主催するヨガ教室(鳳凰慶林館)に通っており、石井久子も誘われそのヨガ教室に通うことになるのです。

2人が通っていたヨガ教室は後に、オウム神仙の会となり出家制度を始めます。石井久子は当時結婚していたそうですが、会社を辞め出家したそうです。その後離婚もしています。出家した石井久子は、この頃から麻原彰晃の世話を焼くようになり愛人関係にあったと言われています。

石井久子は麻原彰晃の愛人となった後は、オウム真理教の中でも権力を持つようになります。オウム真理教の中でもNo.2とも言われる大蔵大臣に。オウム真理教の地下鉄サリン事件では事件に関与したとされ逮捕、その後の裁判で懲役4年の実刑判決が下されています。そして2000年11月18日に出所しています。

麻原彰晃逮捕後に石井久子の子供は私生児として届け出

1995年に麻原彰晃が逮捕された後、石井久子は3人に子供達を私生児として届け出をしたそうです。子供達の将来を守るためとされています。

石井久子との子供の現在も調査

石井久子が刑を終え出所して、約20年の月日が経っています。現在、石井久子とその子供達はどうしているのでしょうか?調べてみると、石井久子は出所後は、父親と暮らし介護の仕事をしていたそうです。しかし、精神を患い南鳥山にある「アレフの本部」に突然現れ、意味不明な事を叫び警察に連行されています。

その後、元オウム真理教幹部上祐史浩が「ひかりの輪」という宗教団体を起こした際、石井久子に声を掛けたようですが石井久子はそれを断っています。その後の石井久子の動向は、調べてみても分かりませんでした。石井久子の子供達も現在は成人していますが、どのように過ごしているのかは分かりませんでした。

石井久子だけでなく木田裕貴子との間にも子供が1人

麻原彰晃の愛人の1人木田裕貴子。麻原彰晃は、石井久子だけでなく木田裕貴子との間にも子供を1人設けていました。詳しく見ていきましょう。

木田裕貴子とは

木田裕貴子は、1995年18歳の時にオウム真理教に入信しています。美人だった為すぐに麻原彰晃の愛人となり、同じ年にはすでに麻原彰晃の子供を出産しているようです。一連のオウム真理教の事件では、木田裕貴子は逮捕されていないそうです。

木田裕貴子との子供の現在

事件後2011年頃には、木田裕貴子は自身の母親と娘と3人で群馬県内で暮らしていたそうです。しかし、その後の足取りは分かりませんでした。娘も現在は25歳ぐらいですが、現在の状況は不明です。

麻原彰晃の子供(四女)にまつわる発言とは

麻原彰晃は、死刑執行される前に発言した言葉が話題となりました。四女にまつわる発言とは何だったのでしょうか?その発言について詳しく調査しました。

死刑執行後の遺体は四女にとの発言?

麻原彰晃は死刑が執行される前に、自身の遺体の引取りに四女を指名していたそうです。四女も、「驚いたが父親の意向を受け入れる」と代理人を通じて発表していました。

麻原彰晃の妻(松本知子)と子供等が遺体引き渡しを要求

麻原彰晃の遺体が四女に引き渡しされることに猛反発したのが、麻原彰晃の妻松本和子と四女と長女を除いた残りの子供達でした。彼らは、「当時の麻原彰晃の精神状態は普通ではなく、特定の人を指定するとは考えられない」と主張し、遺骨引き渡しを要求しているそうです。

麻原彰晃の遺骨は東京拘置所に安置

麻原彰晃の遺骨は、鍵を掛けられた状態でまだ東京拘置所に保管されているそうです。それは受け取りに同意した四女が、申し出たためだと言います。また四女は、家庭裁判所に遺骨などの所有権の承継者を巡っての審判を申し立てをしていて、松本和子や他の子供達との対立は未だ継続中のようです。決定にはまだ時間が掛かりそうです。

麻原彰晃死刑執行後の子供の今後に注目

麻原彰晃の死刑が執行され、まもなく2年が経とうとしています。時間の経過と共に、オウム真理教が犯した犯罪は段々と記憶から薄れつつもあります。しかし、地下鉄サリン事件の被害者の中には、未だ後遺症などで苦しんいる人が多くいることは忘れてはなりません。

そんな中、12人から15人はいると言われている麻原彰晃の子供達も成人しこの日本のどこかで暮らしていることでしょう。画像などで成長した姿を見ることは出来ませんが、父麻原彰晃の考えを受け継ぐ事なく生きていることを願いましょう。

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nananomoe66

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