麻原彰晃の妻は松本知子!木更津市出身で若い頃の画像は?現在も調査
2018年に死刑を執行された麻原彰晃の妻は松本知子です。松本知子は木更津出身とのことですが、若い頃の画像はあるのでしょうか?また、松本知子は現在どのような生活を送っているのでしょう?麻原彰晃の妻・松本知子の過去と現在について調べてみました。

麻原彰晃のプロフィール
「このままでは真理の根が途絶えてしまう。ヘリを使って東京上空からサリンをぶちまくしかない」
— ◆マジキチ犯罪者の名言◆ (@mazikiti_hanzai) June 29, 2020
【オウム真理教事件(1988-1995)】、麻原彰晃 pic.twitter.com/8YgoRbApzu
麻原彰晃(あさはらしょうこう)は本名を松本智津夫(まつもとちづお)と言い、オウム真理教の教祖として知られていました。坂本堤弁護士一家殺害事件や地下鉄サリン事件など、数々の組織的な凶悪犯罪に対して、麻原彰晃は主体的に指示を出してきたとされています。
麻原彰晃は死刑囚として死刑を執行されましたが、その妻は現在も存命とのこと。麻原彰晃の妻については後ほど詳しく紹介しますが、まずは麻原彰晃の死刑執行までを振り返ってみましょう。
麻原彰晃の死刑執行までを振り返り
麻原彰晃は熊本県八代市に生まれます。父は畳職人で、それほど裕福ではなかったとのこと。また、麻原彰晃は先天性緑内障のため、生まれつき左目はほとんど見えなかったと言います。この視覚障害のために、麻原彰晃は盲学校に通っていました。
麻原彰晃の兄弟は、長兄が全盲、弟が弱視ということもあり、3人が盲学校に通っていたと言います。しかし、麻原彰晃は片目が見えていたために、寄宿舎の盲学校へ入るのを嫌がったという話もあるそうです。それでも麻原彰晃が盲学校に入れられたのは、口減らしのためだったのではないかとも言われています。
20歳までを盲学校で過ごした麻原彰晃は、長兄の漢方薬店の助手や鍼灸師として働く中で、四柱推命や気学を研究。その後は宗教の研究も続け、阿含経、阿含宗に出会います。1980年には新宗教団体阿含宗に入信し、1983年に超能力の開発を行う学習塾「鳳凰慶林館」を開設しました。
その後、この学習塾はヨガ道場「オウムの会」となり、1985年には修行中に神の啓示を受けたとして、麻原彰晃はオカルト雑誌「ムー」にも紹介されています。「オウム真理教」が結成されたのは1987年のことでした。オウム真理教は、オカルト雑誌などに広告を掲載し、信者を集めていきます。
オウム真理教が信者への暴力行為を行ったり、危険な行動に出るようになったのは、1987年頃だったとのこと。麻原彰晃はオウム真理教の教義に暴力を肯定する「タントラ・ヴァジラヤーナ」や「ポア」という言葉を用いるようになったそうです。「ポア」はオウム真理教では「殺人」の意味で使用されていました。
そして、1989年には男性信者殺害事件、さらには世間を震撼させた坂本堤弁護士一家殺害事件が起こります。これらの事件は当初からオウム真理教の関与が疑われたものの、犯人逮捕までには6年の歳月がかかりました。
1990年、麻原彰晃は政治団体・真理党を結成し、衆議院議員選挙に出馬。しかし、あえなく落選します。その後、麻原彰晃はボツリヌス菌やホスゲン爆弾による無差別テロを計画したのだそうです。1991年にはテレビなどのメディアにも積極的に出演し、新興宗教ブームに乗ってオウム真理教には入信希望者が殺到したと言います。
1993年頃からは「すべての魂をポアする」と麻原彰晃は信者らに号令をかけ、兵器の開発や暗殺の指示などを出していたそうです。サリンもこの頃に開発されたと言われています。1994年には松本サリン事件が起こり、当初は被害者の夫が犯人として疑われていました。
そして1995年、多くの死者を出した地下鉄サリン事件が起こります。地下鉄サリン事件は死亡者14名、負傷者6000名以上という未曾有の同時多発テロ事件となりました。警察は当初からオウム真理教の関与を疑い、事件の2日後には教団の強制捜査を実施。複数の幹部が逮捕されました。
また、麻原彰晃は事件からおよそ2ヶ月後に、信者の自供がきっかけで逮捕されます。麻原彰晃はさまざまな事件の首謀者として死刑判決を受け、2013年に死刑が確定。2018年7月3日に死刑が執行されました。
麻原彰晃の妻は松本知子
麻原彰晃の妻は松本知子です。妻の松本知子はどのような人物なのでしょう?また、麻原彰晃と松本知子はどのように出会い、結婚したのでしょうか?麻原彰晃の妻・松本知子について紹介します。
妻はオウム真理教の大奥とも言われる「松本知子」
麻原彰晃の妻・松本知子は「オウム真理教の大奥」とも呼ばれていたようです。オウム真理教では教祖の存在や発言は絶対的で、その妻である松本知子も強大な権力を持っていたと言われています。
江戸時代の大奥は、その政治にも深く関わっていたとのこと。麻原彰晃の妻・松本知子も、さまざまな形でオウム真理教の運営に関わっていたとされています。麻原彰晃が逮捕後には、教団代表代行として教団の存続のために活動していたようです。
松本知子は木更津市出身
松本知子の出身地は、千葉県の木更津市とのこと。木更津市は千葉県の西部にある都市で、古くから港町として栄えてきました。近年は国際会議観光都市にも認定されるなど、国内外から多くの人が訪れる場所として知られています。
松本知子はこの木更津市で高校時代までを過ごしていたことが分かっています。松本知子が卒業した高校は千葉県立木更津高等学校で、千葉真一や中尾彬、わたなべけんいちなどの出身校としても知られています。
木更津市出身の妻(松本知子)の若い頃の画像は?
麻原彰晃の妻・松本知子の若い頃の画像についても探してみました。しかし、残念ながらこちらで紹介できる松本知子の若い頃の画像を見つけることはできませんでした。ただ、若い頃の松本知子は可愛かったと言われているようです。
ネット上では「松本知子 若い頃 画像」、「松本知子 かわいい 画像」などで検索すると、松本知子の若い頃の画像が少ないながらも出てきます。興味のある方は松本知子の若い頃の画像を検索してみるのも良いかもしれません。
妻(松本知子)の生い立ち
麻原彰晃の妻・松本知子の生い立ちについても見ていきましょう。松本知子は千葉県の木更津市に生まれ、先ほども紹介したように高校時代までを木更津市で過ごしています。千葉県立木更津高等学校を卒業後は大学受験に失敗して浪人し、東京都内の予備校に通っていたのだとか。
松本知子の幼少期についても調べてみましたが、残念ながら詳細な情報は分かっていません。ただ、実家は現在も木更津市にあると言われており、松本知子は現在、その実家で暮らしているのではないかと言われています。
妻(松本知子)との結婚までの馴れ初め
麻原彰晃と妻・松本知子の結婚までの馴れ初めについても見ていきましょう。麻原彰晃と妻が出会ったのは、東京にある代々木ゼミナールの本校だったと言われています。先ほども紹介しましたが、松本知子は大学受験に失敗し、予備校に通いながら浪人生活を送っていました。
そして、麻原彰晃も妻と同じく、大学受験を目指して予備校に通っていたのです。この頃の松本知子はロングヘアが魅力の可愛い女性だったと言われており、麻原彰晃の好みにぴったりだったのだそうです。
麻原彰晃と妻(松本知子)の結婚当初の生活とは
麻原彰晃と妻・松本知子の結婚当初の生活についても見ていきましょう。麻原彰晃の妻は結婚すると同時に大学進学を諦め、予備校をやめていたようです。結婚当初の2人の生活は裕福なものではなく、3人の子供が生まれても、1つの寝室で過ごしていたと言われています。
麻原彰晃の妻は結婚当初から精神が不安定なところがあったとされ、夫と喧嘩するたびに家出を繰り返していたとのこと。妻が家出した後の麻原彰晃は、自身でインスタントラーメンを作ろうとして鍋をこがしてしまったこともあったそうです。
貧困生活からオウム真理教の始まり
麻原彰晃は貧困から抜け出そうとさまざまな事業を営みますが、最終的にはオウム真理教を立ち上げ、教祖となります。この教祖となった麻原彰晃を、妻は献身的にサポートしていたという情報がありました。
オウム真理教の教団内で、麻原彰晃の妻は正大師という高い地位を与えられ、影響力を増していったと言われています。1990年の衆議院委員選挙には、麻原彰晃とともに妻も旧東京1区から出馬していますが、落選しました。
妻(松本知子)は麻原彰晃の愛人の存在に気付いていた?
麻原彰晃には何人もの愛人がいたことで知られています。麻原彰晃が住む建物は大奥のようになっており、常に10名以上の愛人が共同生活を送っていたとのこと。さらに麻原彰晃は妻以外の愛人の女性数名に子供も産ませています。
オウム真理教では性的な行為を「修行」と位置づけていたとのことで、麻原彰晃の妻もこれを黙認していたようです。ただ、麻原彰晃の妻は、たびたび愛人と揉めることがあったという情報もありました。
薬剤師リンチ殺害事件の裁判と判決
麻原彰晃の妻・松本知子は薬剤師リンチ殺害事件に関わったとして逮捕されています。この薬剤師リンチ殺害事件というのは1994年に発生した事件で、元信者の薬剤師の男性が、知人の母親を救出しようとして失敗し、その知人によって殺されてしまったという事件です。
この殺人を命じたのが麻原彰晃とされていますが、その殺人を協議する場に妻もいたとのこと。妻が殺人に関する発言を行ったかどうかについては意見が分かれているようですが、麻原彰晃の妻は逮捕され、裁判で懲役6年の実刑判決を受けています。
事件当時の松本知子は精神病?
麻原彰晃の妻・松本知子は、先ほども少し触れましたが、若い頃から精神が不安定だったと言われています。懲役6年の実刑判決を受けた薬剤師リンチ殺人事件の当時も精神状態が良くなかったということで、麻原彰晃が妻を他者の目から隠すためにたびたび監禁したとのこと。
地下鉄サリン事件が起こったときには、独房修行と称して2ヶ月間監禁されていたそうです。この時、妻のお腹の中には麻原彰晃との間にできた子供がおり、出産40日前だったとされています。
麻原彰晃の妻(松本知子)との相続問題とは
麻原彰晃の妻には夫の死刑執行後、相続問題があったとされています。麻原彰晃の妻の相続問題とはどのような問題だったのでしょうか?麻原彰晃の妻の相続問題について調べてみました。
2018年7月に麻原彰晃の死刑執行
麻原彰晃の死刑は、先ほども紹介したように2018年7月に行われました。死刑執行前には意思の疎通はできない状態という情報もありましたが、遺体の引取先を聞かれた際は「四女」とはっきり答えていたのだそうです。
死刑執行で相続問題が発生
麻原彰晃の死刑執行後、その意思に従って四女が弁護士とともに遺体と対面したとされています。ただ、麻原彰晃の妻・松本知子と三女が、四女への遺体の引き渡しについて不服を申し立て、妻である松本知子に引き渡すよう、当時の法務大臣に要求書を提出したそうです。
三女(松本麗華)と四女(松本聡香)の対立にも注目が
現在、麻原彰晃の遺体は火葬を終え、東京拘置所で安置されているとのこと。遺体の引き取り人として指名された四女は、「海に散骨したい」という意思を表示していましたが、身の危険を感じたことにより、当面は東京拘置所で安置することになったのだとか。
四女が身の危険を感じた理由としては、麻原彰晃の妻と三女がオウム真理教の後継団体Alephの援助を受けており、そのAlephが麻原彰晃の遺骨を狙っているからだとも言われています。
三女(松本麗華)のはるかぜちゃんとの食事会も話題に
今朝ぼくが、りかさん(松本麗華さん)と朝ごはんをたべたことで
— はるかぜちゃん official (@harukazechan) May 16, 2017
ぼくの舞台の関係者に「降板させた方がいいのでは?」と
問い合わせをしている人がいるそうです。
その方に問います。
確かにりかさんのお父さんは麻原彰晃さんですが
りかさんは誰かと朝ごはんをたべてはいけないのでしょうか。
麻原彰晃の三女と四女の対立に注目が集まる中、2017年には声優や女優として活躍するはるかぜちゃんが三女と一緒に食事をしたことが話題となったようです。この食事会に対してはさまざまな批判があったようですが、はるかぜちゃんは「(三女)は誰かとご飯を食べてはいけないのか?」と問題提起していました。

麻原彰晃の妻(松本知子)の現在
麻原彰晃の妻・松本知子の現在についても見ていきましょう。麻原彰晃の妻は現在、どのような生活を送っているのでしょうか?麻原彰晃の妻・松本知子の現在について調べてみました。
妻(松本知子)の現在は「松本明香里」に改名
麻原彰晃の妻・松本知子は先ほども紹介しましたが、現在は実家のある木更津市に住んでいるという情報があります。また、名前を改名したという情報もありました。麻原彰晃の妻の現在の名前は「松本明香里(まつもとあかり)」となっているそうです。
現在のAlephとの関係も調査
麻原彰晃の妻と、オウム真理教の後継団体であるAlephの現在の関係についても見てみましょう。麻原彰晃の妻は現在、三女らとともにAlephから資金援助を受けていると言われています。
この資金援助は「松本知子の絵画の使用料」という名目で支払われているのだとか。こうした背景もあり、麻原彰晃の妻の教団への影響力は今も強く残っているという見方もあるようです。
妻(松本知子)の現在の姿の画像はある?
麻原彰晃の妻・松本知子の現在の画像はあるのでしょうか?調べてみたところ、麻原彰晃の妻は現在、ほとんど公の場には出ておらず、近年の画像を見つけることはできませんでした。
麻原彰晃の妻(松本知子)は改名し今後の動向にも注目
オウム真理教の教祖・麻原彰晃の妻である松本知子について紹介してきました。麻原彰晃は2018年に死刑が執行されましたが、その際には遺体の引き取りについて、妻が法務大臣に要求書を出したことも話題となっていたようです。
麻原彰晃の死後は、三女と四女の対立も注目を集めており、妻は三女と行動をともにしているという噂があります。妻は現在「松本明香里」と改名。オウム真理教の後継団体であるAlephの援助を受けているとも言われていますので、今後の動向にも注目する必要があるかもしれません。