浅香光代の現在!死去説?若い頃からの経歴やサッチー事件もおさらい!

高齢の女性芸能人のリストに名前を連ねている剣劇女優浅香光代さんの現在の姿に迫ります。浅香光代さんの死去説が流れる事もあるのですが噂の発生原因は何なのでしょうか?浅香光代さんが女剣劇ブームを巻き起こした若い頃の経歴や有名なサッチー事件の概要もご紹介します。

浅香光代の現在!死去説?若い頃からの経歴やサッチー事件もおさらい!のイメージ

目次

  1. 1浅香光代のプロフィール
  2. 2浅香光代の現在
  3. 3浅香光代の死亡説の真相
  4. 4浅香光代の若い頃からの経歴
  5. 5浅香光代のサッチー事件とは
  6. 6浅香光代の離婚や息子について
  7. 7浅香光代は現在も現役女優で息子の父親は謎のまま

浅香光代のプロフィール

・愛称:ミッチー
・本名:北岡昭子(きたおかしょうこ)
・生年月日:1928年2月20日
・年齢:91歳(2019年7月現在)
・出身地:東京都千代田区
・血液型:B型
・身長:163.5cm
・体重:55kg
・活動内容:剣劇女優
・所属グループ:なし
・事務所:浅香光代事務所
・家族構成:後述します

浅香光代の経歴

浅香光代さんは1928年2月20日に東京府東京市神田区、現在の東京都千代田区神田で生まれました。ちゃきちゃきの江戸っ子です。芸歴は1937年から始まっているので今年で何と82年になります。

若い層にも知名度が高い愛されるキャラクターで80年以上活躍してきた浅香光代さんは2009年に春の受勲で旭日双光章を授与されています。2010年5月にはプロレス団体「MAP」の旗揚げ戦に参戦して高山善廣さんと対戦して注目を集めました。

2014年には私生活にまつわる重大な事実を公表して現在も話題になっています。その浅香光代さんの重大な告白と浅香光代さんのデビューから若い頃の芸歴については後の章で詳しくご紹介します。

浅香光代の現在

年齢を重ねるとメディアなどへの出演が減っていく事が多いのですが、浅香光代さんは意気軒昂で現在も色々な場所で活躍しています。浅香光代さんの現在の活動状況を見てみましょう。

2019年の誕生日で年齢91歳の浅香光代

浅香光代さんは今年2019年2月20日の誕生日で年齢91歳となりました。あと10年足らずで一世紀を生きた事になるなんてすごいですね。

ドキュメンタリー映画「浅草どさくさ物語浅香光代の芸一筋」も話題!

2018年2月24日に浅香光代さんを題材にしたドキュメンタリー映画「浅草どさくさ物語 浅香光代の芸一筋」が公開されて話題を集めました。東京の浅草を拠点にして戦後の女剣劇ブームを巻き起こした浅香光代さんの芸歴や交友関係を元弟子の森零さんが製作した作品です。

ドキュメンタリー映画「浅草どさくさ物語 浅香光代の芸一筋」は2部構成になっていて、1部では浅香光代さんが駆け出しの女優だった頃の逸話や舞台女優としての芸の話や現在は亡くなっている俳優達との交友について浅香光代さんにインタビューをしています。

2部では浅香光代さんと浅香光代さんの夫である世志凡太さんが昭和の芸能史を語っていて、全部で90分の映画です。

2018年には都内ホテルで卒寿祝いも開催

2018年2月20日の誕生日で90歳になった浅香光代さんは、同年5月11日に東京都内で卒寿を祝う会を開催しました。お祝いには亀井静香さん・山東昭子さん・萩本欽一さん・深谷隆司さん(五十音順)を始めとする300人の人達が参加しています。

袴姿でゲストと壇上に立った浅香光代さんは、金屏風の前で「浅香光代、これからも頑張ります!」と元気に挨拶して大喝采を浴びました。亀井静香さんは「これからも杖をついてでも舞台に出て欲しい。時代劇だと、車椅子じゃなんだから、駕籠に乗ってでも出て欲しい」と語りました。

旦那の世志凡太とは現在も事実婚

浅香光代さんには夫がいます。作曲家・作詞家・俳優・コメディアンという4つの肩書を持つ世志凡太さんです。世志凡太さんとは1992年から夫婦になりましたが、現在も籍は入れていません。いわゆる事実婚なのです。次の項で世志凡太さんのプロフィールをご紹介します。

世志凡太とは

世志凡太さんは音楽プロデューサーとしても活躍していました。1972年に株式会社市橋プロモーションを設立し、有名なフィンガー5をデビューさせたのも世志凡太さんです。せんだみつおさんなど有名なタレントの育成にも力を注ぎました。

・愛称:不明
・本名:市橋健司
・生年月日:1934年1月4日
・年齢:85歳(2019年7月現在)
・出身地:東京都豊島区
・血液型:不明
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:作曲家、作詞家、俳優、コメディアン
・所属グループ:なし
・事務所:市橋プロモーション
・家族構成:妻(浅香光代)

浅香光代の死亡説の真相

ご高齢なので仕方がないのかも知れませんが、浅香光代さんに死亡説がささやかれる事があります。特にSNSでその傾向が顕著なようです。この章では浅香光代さんの死亡説の真相と死亡説が流れる理由について解説します。

浅香光代に死亡説が浮上

今年91歳になった浅香光代さんに死亡説が浮上しました。Twitterなどでよく紹介されている高齢の女性芸能人リストに名前を連ねている浅香光代さんですから、それに付随して死亡説が流れるのも当たり前といえば当たり前の話ではあります。

高齢の女性芸能人リストに挙げられているのは瀬戸内寂聴さん(97歳)・内海桂子さん(97歳)・橋田壽賀子さん(94歳)・奈良岡朋子さん(90歳)・八千草薫さん(88歳)・岸恵子さん(87歳)です。

その中で、浅香光代さんと共に名を連ねていた京マチ子さんが今年5月に95歳で亡くなっています。また2017年9月20日に放映されたTBS系列のワイドショー・情報バラエティ番組「ビビット」で当時89歳の浅香光代さんが行なった終活が取り上げられた事があります。

浅香光代さんが高齢である事に加え終活を済ませているという印象が強いために浅香光代さんの死亡説が噂されるようになったという側面もあるかも知れません。

死亡説はサッチーこと野村沙知代死亡が関係?

浅香光代さんの死亡説は浅香光代さんの年齢が理由なのではなく、浅香光代さんと因縁が深かったサッチーこと野村沙知代さんの訃報が関係しているとも言われています。サッチーこと野村沙知代さんは2017年12月8日に亡くなりました。

浅香光代さんと野村沙知代さんの因縁については後の章で詳しくお話します。ここでは野村沙知代さんのプロフィールだけご紹介させていただきます。

サッチーこと野村沙知代とは

・愛称:サッチー
・本名:野村沙知代(出生名:伊東芳枝・1974年沙知代に改名)
・生年月日:1932年3月26日
・年齢:享年85歳(2017年12月8日逝去)
・出身地:福島県西白河郡西郷村
・血液型:B型
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:
・所属グループ:なし
・事務所:株式会社エフエンタープライズ
・家族構成:夫(野村克也)、長男(ダン野村)、次男(ケニー野村)、三男(野村克則)
 

浅香光代の死亡説はデマ

とりあえず浅香光代さんが現在もご健在なのは確認されていますので、浅香光代さんの死亡説は現状ではデマという事になります。浅香光代さんは持病もなく元気で過ごされているそうなので、女性有名人最長寿の瀬戸内寂聴さんと内海桂子さんの年齢までは訃報が流れる事はないでしょう。

浅香光代の若い頃からの経歴

この章では、芸歴が今年で82年となる浅香光代さんの芸歴の始まりと若い頃の活躍についてご紹介します。記事を読んでくださっている方のおじいさんおばあさんがまだ生まれていないかも知れないという古い年代から始まる物語です。

若い頃からの経歴①舞台劇団「新生国民座」に弟子入り

浅香光代さんの若い頃からの経歴その1をご紹介します。その1は舞台劇団「新生国民座」に弟子入りした事です。浅香光代さんが当時の映画界で活躍していた俳優浅香新八郎さんと森静子さんらが設立した舞台劇団「新生国民座」に入門したのは9歳の時でした。

その前は芸者の見習いを強制されていたのですが、厳しさに耐えかねて逃げ出しています。新生国民座に入門し稽古が始まると浅香光代さんは素晴らしい才能を発揮し、座長の浅香新八郎さんに「浅香光代」の芸名を贈られました。

その後も芝居の研鑽に励んでいた浅香光代さんでしたが、1944年に座長の浅香新八郎さんが急死してしまった事から大きく風向きが変わりました。

残された森静子さんは新生国民座を解散し、今後の動きに悩んだ元座員達は何と亡き座長浅香新八郎さんに名を授けられた天才少女浅香光代さんを座長に担ぎ上げて「浅香光代一座」を立ち上げる事にしたのです。

天才とは言えまだ14歳で無名だった浅香光代さんの劇団は当初は低迷していましたが、浅香光代さんの思いつきで戦時中に規制されて輝きを失いかけていた女剣劇の復活に力を注ぐ事にし、その結果浅香光代一座の名は上がり、中堅人気劇団へ成長を遂げました。

若い頃からの経歴②演劇舞踊浅香流を創始

浅香光代さんの若い頃からの経歴その2をご紹介します。その2は演劇舞踊浅香流を創始した事です。1955年、若い頃の浅香光代さんは大江美智子さんや不二洋子さんらと共に女剣劇を盛り上げ、浅香光代さんらの活躍で女剣劇は全盛期を迎えました。

そして1979年に浅香光代さんは「演劇舞踊浅香流」を創始しました。浅香光代さんが立ち上げた演劇舞踏浅香流は多数の門弟を迎えて盛況でした。2001年浅香光代さんの弟子である園井風童さんが継承者を襲名し、現在は「演劇舞踊新星流」と名前を変えて存続しています。

若い頃からの経歴③「あたしゃあね~」の江戸弁ブレイク

浅香光代さんの若い頃からの経歴その3をご紹介します。その3は「あたしゃあね~」の江戸弁でブレイクした事です。神田生まれ浅草育ちの浅香光代さんは生粋の江戸っ子で、ちゃきちゃきの江戸弁を使う事でも有名です。

その江戸弁が若い人を中心に人気を獲得し、浅香光代さんの「あたしゃあね~」という語り口調が大流行しました。近年でもタレントの松村邦洋さんが物真似の定番にしている事から、浅香光代さんを知らない世代の人にも有名になっています。

また浅香光代さんは現在も使われている有名な言葉の由来にもなっています。それは「チラリズム」という言葉です。この「チラリズム」という言葉が生まれたのは、若い頃の浅香光代さんが女剣劇ブームを巻き起こした頃の事です。

女剣劇のアクションの最中に若い頃の浅香光代さんの生足が着物からチラチラと見えるのが艶っぽいと評判になり、そこから「チラリズム」という言葉が生まれたのです。「チラリズム」という言葉がそんな古い時代だったのも意外ですし、発祥の源が若い頃の浅香光代さんだったというのも驚きですね。

浅香光代のサッチー事件とは

この章では3章で少し触れた浅香光代さんとサッチーこと野村沙知代さんの因縁についてご紹介します。浅香光代さんと野村沙知代さんの因縁は「サッチー事件」と呼ばれています。「ミッチー・サッチー騒動」「サッチー騒動」と呼ばれる事もありますが、当記事では「サッチー事件」で統一させていただきます。

サッチー事件の概要

サッチー事件というのは、1999年3月31日から2001年12月5日まで、なんと3年近くに渡って繰り広げられた浅香光代さんと野村沙知代さんとその周囲の人も加わった一連の批判合戦の事を表します。

最初はミッチーこと浅香光代さんとサッチーこと野村沙知代さんとの舌戦から始まったのですが、次第に野村沙知代さんへの批判やバッシングの様相が強まったためにサッチー事件と呼ばれる事の方が多くなりました。

サッチー事件の発端は1999年3月31日に浅香光代さんがレギュラー出演していたTBSラジオの「大沢悠里のゆうゆうワイド」の最後の出演の日に野村沙知代さんへの批判を強く口にした事です。野村幸代さんは1996年の第41回衆議院議員選挙に出馬しましたが、次点だったために繰り上げ当選の可能性が出てきました。

それを聞いた浅香光代さんは「何が代議士よ」と憤慨したのだとか。さらに「挨拶もろくにできない」と野村幸代さんをこき下ろしたのだそうです。また「税金の無駄遣い」とも言い、「笑わせるんじゃない」と激怒していたそうです。

浅香光代さんの口撃はなおも続きます。「引っ叩いてやりたい」と言い放ち、「あんな女を起用するから増長する」と舌口激しく批判した浅香光代さん。それまでは浅香光代さんが自分の舞台に野村沙知代さんを出演させたりと仲睦まじいと思われていた2人でした。

そのために、浅香光代さんのこれらの批判は大反響を呼びました。そして同年4月6日に野村沙知代さんがそれに対して「売名行為でしょ」とコメントし、「金持ち喧嘩せずよ」とせせら笑った事で、サッチー事件は更に広がる事になったのです。

サッチーこと野村沙知代とのバトル

サッチー事件が3年近くも続いたのは、野村沙知代さんに恨みのある著名人が次々と声を上げ、騒動が飛び火して広がっていったからです。渡部絵美さんは息子の前で「あんた醜いわね」と言われた経験を語り、今でも許せないと憤懣をぶち撒けています。

野村沙知代さんに2回舞台チケットを渡したのに2回共ドタキャンされて絶縁したという美輪明宏さんや、デヴィ夫人、神田うのさん、美川憲一さんらが野村沙知代さんへの批判者の列に加わり、野村沙知代さんとデヴィ夫人がテレビで口論した事もありました。

細木数子さんやテリー伊藤さんなど野村沙知代さんを擁護する側に回った著名人もいるのですが、野村沙知代さんの実弟である伊東信義さんや息子のダン野村さんとケニー野村さんまで野村沙知代さんのバッシングに加わったので、もはや収拾がつかない状態でした。

サッチー事件勃発当初は「(最初の野村沙知代さん批判は)軽い気持ちで行なったものなのでもうその事には触れないで欲しい」とレポーターに語っていた浅香光代さんでしたが、野村沙知代さん批判派が増加してから再度火が点き、多くのTV番組に出演して野村沙知代さん批判を続ける事になりました。

サッチー事件後半は「野村沙知代さんが出演するならスポンサーを降りる」と資生堂や花王が野村沙知代さんが出演した回だけスポンサーを降りるという事態も発生しています。反対に野村沙知代さんを応援する側が浅香光代さんを脅迫する事件も起こりました。

1999年9月に浅香光代さんへ「大阪へ来たら殺す」などの脅迫電話が増加し、そのために同年10月13日から17日まで開催されるはずだった浅香光代さんの一座の公演が中止に追い込まれています。

野村沙知代さんが浅香光代さんらを名誉毀損で訴え、浅香光代さんが2004年に野村沙知代さんに110万の支払い命令を受けるという顛末もありましたが、サッチー事件自体は2001年12月5日に終焉を迎えています。野村沙知代さんが脱税容疑で逮捕されたからです。

それによって野村沙知代さんを擁護していた数少ない著名人も身を引いてしまい、逮捕直後に浅香光代さんが「正義は勝つ」と勝利宣言をしてサッチー事件は終息したのでした。

現在もサッチー事件について語る浅香光代

サッチー事件は2001年に終息し、サッチー事件の主役である野村沙知代さんが亡くなって2年経ちますが、浅香光代さんがサッチー事件について語る事は現在でもあります。野村沙知代さんが亡くなる前には野村沙知代さんについて以下のように語っています。

「あんな人は後にも先にもいないね。だから印象深いよ」と浅香光代さん。「憎い奴だけど彼女のおかげで浅香光代の名前が全国区になった。今なら選挙に出たら当選する」と周りの人間に言われた事を明かしました。

それに対して「冗談言っちゃいけねえよ。いい話みたいになってるけど、あいつには2度と会いたくないんだからね」と続けました。そのインタビューの年の12月に野村沙知代さんの訃報を伝えられた時浅香光代さんは、以下のように語っています。

「私より元気だから元気でいると思ったのに。仏に鳴ったら神様だからね。私だって向こうに行った時は『その節は』って挨拶しなきゃ。沙知代、向こうに行って静かにするように。嫌われないように!」と。

3年近くに及ぶ争いを越え年月を経た後に「戦友」に向けた浅香光代さんのメッセージは多くの人の目頭を熱くさせました。野村沙知代さんも空の上で微笑んでいる事でしょう。

浅香光代の離婚や息子について

この章では浅香光代さんの離婚経験や息子の存在などの私生活にまつわる話題を取り上げます。冒頭の浅香光代さんの経歴の項で書いた2014年に浅香光代さんが公表した私生活にまつわる重大な事実についてもご紹介します。

事実婚関係で20年以上の家庭内別居

まず最初に2章で浅香光代さんと1992年に事実婚をした世志凡太さんとの関係について調べた結果をお伝えします。浅香光代さんは世志凡太さんと事実婚の関係になる前に5回離婚を経験しています。

5回も離婚をしたからこそ、これ以上離婚という経歴を戸籍に刻まないために事実婚を選んだのかも知れません。そんな浅香光代さんと世志凡太さんが20年以上家庭内別居状態である事が分かりました。

世志凡太と離婚しない理由は尊敬し合う仲

これまでに5回離婚をしている浅香光代さんが世志凡太さんと離婚しない理由は、お互いに尊敬し合う仲だから、と言われています。2016年にTBS系列のバラエティ「私の何がイケないの?」の番組の中で世志凡太さんは浅香光代さんに婚姻届を差し出してプロポーズし、浅香光代さんはそれにサインをしました。

その婚姻届は提出されなかったのですが、浅香光代さんは終活の際に書いた遺言に財産の半分を世志凡太さんに遺すと記載しました。「入籍するとかしないとか関係ないね。もう何十年も夫婦なんだから」と浅香光代さんは語っています。

熟年離婚の噂も浮上

仲の良い浅香光代さんと世志凡太さんですが、離婚の噂が浮上した事があります。離婚の噂が浮上したのは、浅香光代さんと世志凡太さんの家庭内別居の全容が多くの人に知られた事から来ているようです。
 

浅香光代さんは4階に住み、世志凡太さんは3階に住んでいるそうです。そして浅香光代さんの衣食住はお手伝いさんが面倒を見ているのですが、世志凡太さんは1人で食事を作り1人で食べているのだとか。そのために熟年離婚寸前なのでは?という疑いが生まれたのです。

2人の離婚危機はバラエティ番組で取り上げられた事もありますが、家庭内別居でも2人の仲の良さは変わらず、離婚の噂が浮上して数年経った現在も一緒に暮らしています。この先2人が離婚する確率は、0ではないものの可能性としてはかなり低いのではないでしょうか?

浅香光代には息子2人の存在も

この項から浅香光代さんが2014年に公表した私生活にまつわる重大な事項を解説します。1つ目は浅香光代さんの息子が2人いたという事実です。浅香光代さんが2人の息子の存在を明かしたのはこれが初めてでした。

息子は隠し子と告白

浅香光代さんが2014年に公表した私生活にまつわる重大な事項の2つ目は、2人の息子はどちらも隠し子なのだという事です。息子達の父親は世志凡太さんではなく、これまでに離婚した5人の元夫でもありませんでした。

息子の北岡昭次とのテレビ対談も話題に

2014年の初めに浅香光代さんが息子2人の存在を雑誌「婦人公論」で公表してから3年後の2017年9月29日、TBS系列の情報バラエティ「今夜解禁!ザ・因縁」で次男の北岡昭次さんとテレビで対談して話題になりました。

父親の名を教えて欲しいと迫る北岡昭次さんに浅香光代さんは「父親の名を明かさない事が出産する条件だったから」と答え「総理や副総理をやった人だって知ってくれればいい。向こうにせがれがいるわけ。それも政治家になってるから」と続けています。

そしてその「総理や副総理をやった人」の名前については「言えない。墓に入るまでは言わない」と最後まで明かさないままでした。

息子の父親は元総理大臣?

2人の息子の父親が総理や副総理を務めた事のある人物という事で、番組が放送されてからメディアでもTwitterなどのSNSでも「総理や副総理を務めた人物って誰だ?」と紛糾しました。

浅香光代さんはその男性の名前こそ明かしませんでしたが、いくつかのヒントを出しています。①総理や副総理を務めた②イニシャルがS③30歳ほどの年齢差があった④後に自民党の重鎮になった⑤本妻との間に生まれた息子が政治家になっている、などです。

有力候補は元総理大臣の鈴木善幸との声も

前項で挙げた2人の息子の父親は元総理でイニシャルがSで息子も政治家になっているという条件を満たしている元総理鈴木善幸さんだという説が現在最も有力のようです。ただ年齢差が17歳なのです。

元総理鈴木善幸さんではないのか、あるいは年齢だけフェイクを入れたのか、どちらが正しいのかは分かりません。総理と副総理を務めたという条件がフェイクである可能性もあります。

浅香光代は現在も現役女優で息子の父親は謎のまま

若い頃から女剣劇で活躍し現在も現役の女優である浅香光代さんですが、2014年に存在を明かされた2人の息子の父親は謎のままです。ただ、後日浅香光代さんは息子さん達には父親の名前を「可哀想だから」という理由で伝えたのだそうです。

9歳から芸事の世界に身を投じ生涯女優の誓いのもと活躍を続けている浅香光代さん。これからも元気な姿をメディアで見せて下さる事を願います。

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この記事のライター
fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

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