浅丘ルリ子の若い頃が美人すぎる!当時の経歴や人気などまとめ

若い頃から美人で有名な浅丘ルリ子さんは80歳を超えられても変わりなく美しいと評判です。そんな浅丘ルリ子さんの若い頃はどれくらい美人だったのでしょうか?若い頃から端正な顔立ちで日本人離れしたハーフ顔と言われている浅丘ルリ子さんの経歴を調べてみました。

浅丘ルリ子の若い頃が美人すぎる!当時の経歴や人気などまとめのイメージ

目次

  1. 1浅丘ルリ子のプロフィール
  2. 2浅丘ルリ子の若い頃が美人すぎる
  3. 3浅丘ルリ子の若い頃の経歴
  4. 4浅丘ルリ子の若い頃の人気ぶりを調査
  5. 5浅丘ルリ子に並ぶ若い頃が美しい芸能人
  6. 6浅丘ルリ子の若い頃はハーフを思わす美人オーラ

浅丘ルリ子のプロフィール

・愛称:ルリルリ
・本名:浅井 信子(あさい のぶこ)
・生年月日:1940年7月2日
・年齢:80歳(2021年4月現在)
・出身地:満州国新京市(現・長春)
・血液型:A型
・身長:156cm
・体重:???
・活動内容:女優
・所属グループ:なし
・事務所:株式会社舞プロモーション
・家族構成:父親、母親、姉、妹2人

浅丘ルリ子の経歴

浅丘ルリ子さんはお父さんの仕事の関係で、満州やタイのバンコクなどで幼少期を過ごしていたとう経歴があります。戦争が終わり浅丘ルリ子さんが小学校3年生くらいのころに家族は日本に帰国、お父さんは国会議員の秘書となり東京神田鍛冶町で生活を始めました。

1955年に小説「緑はるかに」が映画されることとなり、ヒロインの「ルリコ役」の公募がありました。浅丘ルリ子さんは当時は中学生でしたがヒロイン役に応募、見事に選ばれたことで芸能界デビューを果たしています。これがきっかけで多忙になった浅丘ルリ子さんは、高校に進学したものの中退しています。

プライベートでは20歳くらいのころに小林旭さんと交際、事実婚をしていたそうですが破局しました。小林旭さんと別れたショックで荒れた生活を始めた浅丘ルリ子さんですが、石原裕次郎さんに励まされたことで立ち直っています。

1964年には浅丘ルリ子さんは「夕陽の丘」でレコードデビューをしました。浅丘ルリ子さんは大変面倒見がよい姉御肌なのだそうで、数多くの後輩などの教育係のような役目も果たしていたそうです。特に有名なのが浅丘ルリ子さんが、当時は当たり前となっていた「大御所や先輩の遅刻」を良しとしない考えでした。

当然浅丘ルリ子さん自身が先輩になっても遅刻はしませんが、後輩の遅刻にも大変厳しく注意をしていたと言います。その反面、若手俳優などを家に招き毎日ごちそうするなど、気前のいいところも見せています。

Thumb浅丘ルリ子の現在!石坂浩二との離婚理由は小林旭?若い頃からの経歴も!
大女優浅丘ルリ子さんの現在の様子をご覧下さい。元旦那石坂浩二さんとの離婚理由が小林旭さんだと...

浅丘ルリ子の若い頃が美人すぎる

浅丘ルリ子さんの若い頃から美人過ぎると評判です。その日本人離れした顔立ちにハーフではないかと、若い頃から浅丘ルリ子さんは人気だったそうなのです。実際に浅丘ルリ子さんの若い頃の顔立ちを調べてみました。

浅丘ルリ子の若い頃はハーフ美人?

浅丘ルリ子さんの若い頃は、目鼻立ちがハッキリしていてハーフ顔の美人でした。今でもハーフのような雰囲気はお持ちですが、浅丘ルリ子さんは本当にハーフなのでしょうか?ハーフだとすればご両親のどちらが外国籍なのでしょうか?

浅丘ルリ子はハーフではなく純日本人との噂

浅丘ルリ子さんは満州の新京市で生まれましたが、両親とも日本人なのでハーフや外国人ではなく日本人です。しかしその端正過ぎる顔立ちからハーフと疑わない人が大勢いたそうです。

浅丘ルリ子の若い頃と現在の顔を比較

浅丘ルリ子さんの若い頃は今よりも更にハーフ顔なのでした。浅丘ルリ子さんの日本人離れしたハッキリとした目鼻立ちは幼いころからで、デビュー当時は中学生でしたが、あまりのハーフ顔の美しい顔に世間は騒然となりました。

浅丘ルリ子の若い頃に対する世間の反応

現在では80歳を超えている浅丘ルリ子さんは今でも美人なことには変わりませんが、若い時はため息が出るほどのハーフ顔の美人でした。当時の浅丘ルリ子さんを知っている人だけでなく、最近になって浅丘ルリ子さんの若い頃の写真を見た人も、あまりの美しさに驚いています。

浅丘ルリ子の若い頃の経歴

浅丘ルリ子さんの子供のころから若い頃までの経歴を改めてご紹介していきましょう。波乱万丈な時代に生まれた浅丘ルリ子さんはどのような経歴で過ごしてこられたのでしょうか?

若い頃の経歴:満洲国で誕生

浅丘ルリ子さんのお父さんは浅井源次郎さんといい、大蔵省の官僚でしたが、仕事で満州に派遣されて満州国経済部大臣秘書官を務めていたという経歴の持ち主です。そこで知り合った浅丘ルリ子さんのお母さんである「ちょうさん」とお父さんは結婚しています。満州に派遣されているときに浅丘ルリ子さんは生まれています。

若い頃の経歴:ルリコ役合格でデビュー

浅丘ルリ子さんが芸能界に入ったきっかけですが、北条誠さんの小説「緑はるかに」が映画化されることが決まり、ヒロイン役の「ルリコ」が一般公募されました。当時の1954年には浅丘ルリ子さんは中学生でしたが、ご両親に承諾を貰い応募、約3000人の中から選ばれました。

浅丘ルリ子さんは芸名ですが、映画で演じた役である「ルリコ」から名前を取り、本名である「浅井信子」から「浅」、映画「緑はるかに」のイメージから「丘」、それらを組み合わせて「浅丘ルリ子」としたのだと言います。

若い頃の経歴:映画『愛の化石』で主演

浅丘ルリ子さんは多くの映画の主題歌も担当していて、特に大ヒットとなったのは1969年に発売れたシングル「愛の化石」でした。これは映画「愛の化石」の主題歌で、曲中で浅丘ルリ子さんの語りがあるのですが、これが大変に評判でした。

若い頃の経歴:映画『男はつらいよ』シリーズのリリー役が話題に

浅丘ルリ子さんと言えばやはり映画「男はつらいよ」でのリリー役でしょう。 マドンナとして4回も出演した浅丘ルリ子さんは、「男はつらいよ 寅次郎紅の花」でもマドンナ役を務めています。撮影中に具合が悪そうな渥美清さんを見て、監督に「もしかしたら彼の最後の作品になるかもしれないから、リリーと結婚させて!」と懇願します。

しかし監督である山田洋次さんは、男はつらいよのシリーズを50作まで想定していて、この作品は48作目であったため浅丘ルリ子さんの願いは聞いてもらえませんでした。結局「男はつらいよ 寅次郎紅の花」が渥美清さんの遺作となってしまいました。

1996年8月13日に開催された「渥美清(寅)さんを送る会」で浅丘ルリ子さんは、ヒロインであるリリーとして渥美清さんに弔辞を送っています。

浅丘ルリ子の若い頃の人気ぶりを調査

若い頃の浅丘ルリ子さんは大変な美人で人気がありましたが、女優として人気があっただけでなく、同じ俳優仲間にも人気があったと言われています。浅丘ルリ子さんはどれくらい人気があったのでしょうか?様々なエピソードを調べてみました。

若い頃の人気①ルリコカットブーム

浅丘ルリ子さんは瞳が大きく大変な美少女であったため一躍人気となりました。浅丘ルリ子さんの髪型は「ルリコカット」と呼ばれ、世間の女性たちに大流行しました。

若い頃の人気②小林旭との関係

浅丘ルリ子さんは若い頃に小林旭さんと交際していたと噂になっています。浅丘ルリ子さんと小林旭さんはどのような関係だったのでしょうか?

小林旭とは

小林旭さんとは1938年11月3日生まれで、東京府東京市世田谷区出身の82歳(2021年4月現在)です。小林旭さんは映画の照明技師だったお父さんと、小唄や端唄の師匠だったお母さんとの間に長男として生まれました。

幼少期から子役として活躍していた小林旭さんは「第3期日活ニューフェイス」に合格、当時通っていた明治大学を中退して俳優デビューを果たします。1959年に映画「南国土佐を後にして」で人気者になった小林旭さんは、その後「渡り鳥シリーズ」などが大ヒットします。

当時大人気だった石原裕次郎さんと比べられることも多かった小林旭さんですが、サラブレットとして評判があった石原裕次郎さんに対して、小林旭さんは一般人からだったため業界内では扱いに差が付けられていたのだそうです。

それでも小林旭さんは歌手としてもヒット曲を飛ばし、映画の興行収入も多く、世間からの人気が高い俳優でした。現在はYouTubeチャンネル「小林旭マイトガイチャンネル」を設立しています。

小林旭との熱愛や事実婚など関係の真相

1960年ごろ、まだ浅丘ルリ子さんは20歳くらいで若い頃に小林旭さんと交際をしていたと噂になっています。浅丘ルリ子さんと小林旭さんは本当は結婚したかったようですが、浅丘ルリ子さんのお父さんに大反対を受けていたといます。

浅丘ルリ子さんと小林旭さんは事実婚でしたが、運命の人だと信じていたようです。しかしあまりにも反対をされたことからお2人の間に溝ができ始め、1961年8月には破局したのだそうです。

小林旭との渡り鳥シリーズ共演も話題に

小林旭さんとの事実婚の噂もありますが、仕事でも浅丘ルリ子さんは一緒になることが多かったようです。特に小林旭さんの「渡り鳥シリーズ」は大人気で、浅丘ルリ子さんはヒロイン役で出演しています。小林旭さんは他にも「流れ者シリーズ」や「銀座旋風児シリーズ」などがあり、いずれの作品にも浅丘ルリ子さんはヒロインとして出演しています。

若い頃の人気③石原裕次郎との共演

浅丘ルリ子さんは若い頃に交際していた小林旭さんと破局したころに、生活が荒んでしまっていたと言われています。そんな時に石原裕次郎さんと共演して励まされたことで、浅丘ルリ子さんは改めて女優として再起したと言われているのです。これがきっかけで浅丘ルリ子さんは日活の看板女優と言われるほどに人気者となりました。

石原裕次郎とは

石原裕次郎さんとは1934年12月28日生まれで、兵庫県神戸市須磨区出身です。石原裕次郎さんは俳優を目指しますが、全てのオーディションで不合格となります。そんな時、兄であり作家である石原慎太郎さんが書いた小説「太陽の季節」が芥川賞を受賞します。

「太陽の季節」は映画化されることが決まりますが、その際に映画プロデューサーである水の江瀧子さんと兄の石原慎太郎さんの推薦で、石原裕次郎さんは端役として出演することが決まりました。

その続きで石原慎太郎さんが書いた小説「狂った果実」も映画化が決まり、石原裕次郎さんは主演に抜擢されます。この時に後に石原裕次郎さんと結婚することとなった北原三枝さんが相手役でした。その後、人気者になった石原裕次郎さんは数々のヒット映画を飛ばし、歌手としても活躍しています。

石原裕次郎さんは晩年は数々の病気になり、肝内胆管炎と診断されてからはハワイで療養していましたが1987年4月20日に容態が悪くなり帰国、1987年7月17日に52歳という若さで他界しました。

石原裕次郎との共演作品も調査

石原裕次郎さんとも多くの作品で共演していて、「赤いハンカチ」や「夕陽の丘」、「夜霧よ今夜も有難う」などで浅丘ルリ子さんはヒロインを演じています。一時期は石原裕次郎さんの芸能事務所「石原プロ」に在籍していたこともあります。

若い頃の人気④石坂浩二との関係

若い頃の浅丘ルリ子さんと言えば、石坂浩二さんとの関係が一番気になるところです。浅丘ルリ子が唯一結婚された男性は石坂浩二さんなのです。お2人はどのような夫婦関係だったのでしょうか?

石坂浩二とは

石坂浩二さんとは1941年6月20日生まれで、東京府東京市京橋区(現・東京都中央区)出身の79歳(2021年4月現在)です。石坂浩二さんは高校時代にドラマのエキストラでデビュー、1967年には劇団四季に入団、台本や脚本を担当しますが、仕事が多忙のために体調を崩し直ぐに退団します。

退団後も石坂浩二さんは脚本や俳優として活躍の場を広げていきました。慶應義塾大学出身という経歴を持つ石坂浩二さんはクイズ番組でも大活躍、1980年代後半からの「クイズブーム」から数々の番組に出演しています。

絵が上手いことでも有名な石坂浩二さんは、1974年から1985年まで連続で「二科展」に入賞するという実力の持ち主です。

石坂浩二との結婚から離婚まで

浅丘ルリ子さんと石坂浩二さんとの出会いは、日本テレビのドラマ「2丁目3番地」でした。1971年に結婚した時は、石坂浩二さんも大人気の俳優さんであったため、浅丘ルリ子さんとの結婚は大変な話題となりました。しかし2000年にお2人は離婚しています。

30年近く結婚生活を送られていましたが、お2人の間には子供はいませんでした。それは石坂浩二さんが結婚しても浅丘ルリ子さんに仕事を続けてほしいと言ったためで、人気があった浅丘ルリ子さんは多忙過ぎたため子供がもうけられなかったようです。

そんな浅丘ルリ子さんに石坂浩二さんは「子供が欲しいから離婚しよう」と言ったのだと言います。世間では石坂浩二さんに対して「身勝手過ぎる!」との批判もあったようですが、浅丘ルリ子さんは「仕方がない」とすんなり受け入れたと言います。

浅丘ルリ子に並ぶ若い頃が美しい芸能人

浅丘ルリ子さんは若い頃から美しかったのですが、他にも若い頃から美しい芸能人がたくさんいます。その中から特に若い頃から美しいことで有名が芸能人をピックアップしてみました。

若い頃が美しい芸能人【竹内力】

竹内力さんは1964年1月4日生まれで、大分県佐伯市出身の57歳(2021年4月現在)です。今では強面キャラとして有名になっている竹内力さんですが、若い頃は爽やかイケメンで大人気でした。

真面目で爽やかな青年役が多かった竹内力さんですが、「難波金融伝ミナミの帝王」で主役を演じたころから竹内力さんの怖いイメージが定着してしまいました。

若い頃が美しい芸能人【美輪明宏】

美輪明宏さんは1935年5月15日生まれで、長崎県長崎市出身の85歳(2021年4月現在)です。若い頃から男性であるにもかかわらずハーフのように美しいと定評があった美輪明宏さんですが、現在でもその美しさは健在です。

最近では「美輪明宏さんの写真を携帯の待ち受けにすると金運が上がる!」と言われ、特に若い人たちの間で美輪明宏さんを待ち受けにする人が続出しました。

若い頃が美しい芸能人【デヴィ夫人】

デヴィ夫人は1940年2月6日生まれで、東京府東京市麻布区霞町(現・東京都港区西麻布)出身の81歳(2021年4月現在)です。デヴィ夫人は、若い頃は「東洋の真珠」と言われるほどのハーフ美人でした。

その美しさから元インドネシア大統領から見初められて第3夫人になった経歴を持つほどです。その為に波乱万丈な人生を歩まれていますが、常にポジティブで活動されている姿は女性の憧れでもあります。

浅丘ルリ子の若い頃はハーフを思わす美人オーラ

浅丘ルリ子さんは現在でもハーフ顔で美人なので、モテるのだそうです。70歳を過ぎたころに受けたインタビューで浅丘ルリ子さんは「交際している人は3,4人はいるわ」と語っています。流石としか言いようがない浅丘ルリ子さんのモテっぷりです。

関連するまとめ

Original
この記事のライター
望花
趣味は京都の面白くてマイナーな神社仏閣や観光地巡り、特技はアクセサリー作りとタロット占い、最近はビジュアル系にハマ...

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ