麻生太郎の出身大学や高校などの学歴は?学生時代のエピソードなども

第92代内閣総理大臣であり、2021年から自由民主党の副総裁を務めている政治家・麻生太郎さんの大学などの学歴が注目を集めています。麻生太郎さんの出身大学や出身高校などの学歴をチェックしてみましょう。麻生太郎さんの学生時代のエピソードもご覧下さい。

麻生太郎の出身大学や高校などの学歴は?学生時代のエピソードなどものイメージ

目次

  1. 1麻生太郎のプロフィール
  2. 2麻生太郎の学歴【高校~大学院】
  3. 3麻生太郎の学歴【幼稚園~中学校】
  4. 4麻生太郎の学生時代のエピソード
  5. 5麻生太郎以外の元総理大臣の学歴
  6. 6麻生太郎は華麗なる学歴を持つハイスペック元総理

麻生太郎のプロフィール

・愛称:不明
・本名:麻生太郎(あそうたろう)
・生年月日:1940年9月20日
・年齢:81歳(2022年8月現在)
・出身地:福岡県飯塚市
・血液型:A型
・身長:175cm
・体重:非公表
・活動内容:政治家、実業家、クレー射撃選手
・所属グループ:自由民主党(麻生派)
・事務所:麻生太郎事務所
・家族構成:妻(麻生ちか子)、長男、長女

麻生太郎の経歴

麻生太郎さんは1940年9月20日に福岡県飯塚市で麻生太賀吉さんと麻生和子さんの長男として誕生し、大学を卒業後の1966年から実家の麻生産業(後の株式会社麻生)に入社し、社会人としての経験を積んだ後に衆議院銀総選挙に出馬して政界入りを果たしました。1979年10月のことでした。1996年に第2次橋本内閣に経済企画庁長官として初入閣しています。

2009年9月に第92代内閣総理大臣に就任しましたが、2009年8月の衆議院議員総選挙で自由民主党が衆議院第1党の座を降りた日の夜に退陣を表明し、2012年に自由民主党が政権を奪還してからは財務大臣などで内閣を支え、2021年10月に自民党副総裁に就任しました。

麻生太郎の実家の家系図や家族構成

麻生太郎さんの実家の家系図や家族構成をご紹介します。高祖父が政治家・大久保利通さんで祖父が吉田茂さんという政治家家計の生まれであることでも知られている麻生太郎さんの実家・麻生家は福岡の土豪でした。麻生太郎さんの曽祖父・麻生太吉さんが先祖伝来の土地で石炭を発見したことから事業を起こし、九州三大石炭財閥にまでなりました。

麻生太郎さんは7人兄弟の長男で、弟2人と妹4人が麻生太郎さんの後に生まれています。末の妹の信子さんはヒゲの殿下と呼ばれる寛仁親王に嫁ぎ、末の弟の泰さんは実家企業の麻生株式会社を継ぎました。次弟の次郎さんに関するエピソードは記事後半でご紹介します。

麻生太郎の学歴【高校~大学院】

自由民主党副総裁として活躍中の麻生太郎さんの高校から大学までの学歴を、通学していた時系列と逆順でご紹介します。麻生太郎さんの最終学歴は大卒なのか、それとも大学院留学なのかもチェックしてみましょう。

麻生太郎の最終学歴は大卒?大学院留学?

麻生太郎さんの最終学歴は大学院留学です。大学卒業後に進学した大学院は2箇所で、どちらも日本国内の大学院ではありませんでした。麻生太郎さんが進学した海外の大学院を見てみましょう。

ロンドン大学・政治経済学院に留学

麻生太郎さんの最終学歴となっているのはイギリスのロンドン大学・政治経済学院です。大学卒業後に進学した大学院は親の反対を受けて辞めさせられ、ロンドン大学に入学することになったのでした。最初に入った大学院を反対された経緯を次項でご紹介します。

スタンフォード大学大学院に留学

麻生太郎さんが日本の大学を卒業後に進学したのはアメリカ合衆国のスタンフォード大学大学院でした。入学後の麻生太郎さんは政治学を勉強していたのですが、在学中に祖父・吉田茂さんがマッカーサー元帥の葬儀に出席するために渡米した時にホテルに呼び出されたことがありました。

麻生太郎さんがホテルでルームサービスを頼んだのですが、その時麻生太郎さんが話したのがアメリカ訛りの英語だったのに驚いた吉田茂さんが麻生太郎さんの父親にそのことを伝え、父親に「麻生家にそんな学歴は不要だから帰国するように」と言われて仕送りをストップされたのです。

飛行機に乗るお金もなかったために2週間かけて船で帰国する羽目になった麻生太郎さんは、その後スタンフォード大学大学院を強制的に中退させられ、ロンドン大学で経営学とイギリス英語を身に着けさせられたのでした。

学歴【出身大学は学習院大学】

麻生太郎さんの出身大学は学習院大学です。学習院大学へは同学高等科から内部進学で入学しました。麻生太郎さん自身は東京大学に進学したいと考えていたのですが、親に相談した結果「役人になりたいのか」と言われたそうです。

当時は国立大学は役人志望の人間が通う学校というイメージが強かったため、当時株式会社麻生を継ぐつもりだった麻生太郎さんは親の言葉に納得し、東京大学進学をやめて学習院大学の政治経済学部に通うことになったのでした。大学時代は勉強以外の活動に身を入れていたことも明かしています。

学歴【出身高校は学習院高等科】

麻生太郎さんの出身高校は学習院高等科です。学習院高等科には中等科から内部進学で進みました。高校時代の麻生太郎さんは「部活動に励んでいた」とインタビューで語っていたことがあります。麻生太郎さんの学生時代のエピソードは次々章でご覧下さい。

麻生太郎の学歴【幼稚園~中学校】

麻生太郎さんの幼稚園から中学校までの学歴を、通学していた時系列と逆順でご紹介します。小学生時代に生まれ育った福岡県飯塚市から上京していますが、上京するまで通っていた小学校も見てみましょう。

学歴【出身中学校は学習院中等科】

麻生太郎さんの出身中学校は学習院中等科です。中学時代の麻生太郎さんは部活動に明け暮れる楽しい毎日を過ごしていました。しかし、一方で勉強はあまり好きではなかったようで、145人中140番だったということを自著に綴っています。その過程で麻生太郎さんはある悩みを抱えていました。中学時代の悩みに関するエピソードは次の章でご紹介します。

学歴【麻生太郎の出身小学校はどこ?】

麻生太郎さんの出身小学校を見てみましょう。麻生太郎さんは前述したように小学校入学後に福岡県飯塚市から東京都内に転居したので、入学した小学校と卒業した小学校が異なります。麻生太郎さんの入学した小学校から順に見ていきましょう。

出身小学校①麻生塾小学校

麻生太郎さんの出身小学校・その1は生まれ育った福岡県飯塚市にあった麻生塾小学校です。麻生太郎さんは小学3年生までこの小学校の生徒でした。祖父・吉田茂さんが内閣総理大臣になったのを機に一家で東京に転居した時にこの小学校を去ることになったのです。

当時の日本は吉田茂さんが結んだ日米安保条約に対する反発が強かったため、麻生太郎さん一家の安全を図るために上京することになったのでした。

出身小学校②学習院初等科

麻生太郎さんの出身小学校・その2は学習院初等科です。東京に移住した麻生太郎さんが通うことになったのは皇室など日本の富裕層の多くの子弟が通っていることでも知られる名門中の名門・学習院の初等科でした。小学3年生の時に学習院初等科に入学した麻生太郎さんは、その後大学まで内部進学で進んだため、受験を経験していません。

学歴【麻生太郎の出身幼稚園も調査】

麻生太郎さんの出身幼稚園についても調査しましたが、麻生太郎さんの通っていた幼稚園の名前は公表されていませんでした。当時住んでいた福岡県飯塚市にある幼稚園に通っていた可能性が高いです。

麻生太郎の学生時代のエピソード

麻生太郎さんの学生時代のエピソードをご紹介します。麻生太郎さんはどんな少年期から青年期を送ってきたのか振り返ってみましょう。夭逝した弟の麻生次郎さんに麻生太郎さんが寄せる思いもご覧下さい。

小学生時代のエピソード【父(麻生太賀吉)が小学校を設立】

小学生時代のエピソードを見てみましょう。麻生太郎さんが小学校に入学する時、麻生太郎さんの父親・麻生太賀吉さんが麻生塾小学校を設立しました。設立した当初の麻生塾小学校には麻生太郎さんを含めても4人の生徒しかいない状態だったそうです。その名が示す通り、塾のような小学校だったのでしょう。

しかし、その分生徒1人1人に向き合った上質な教育を施していたと言われています。麻生塾小学校設立の8年前に完全無料の研修所・麻生塾が設立され、その後麻生塾は学校法人麻生塾に組織変更して現在に至っていますが、麻生太郎さんが通った麻生塾小学校は1972年に閉校しています。

中学生時代のエピソード【弟(麻生次郎)への思い】

中学生時代のエピソードを見てみましょう。前章でご紹介したように、中学時代の麻生太郎さんの学校の成績は芳しいとは言えませんでした。それに対して、次弟の麻生次郎さんは勉強の面でも優等生だっただけではなくスポーツにも秀でた才能を発揮していたので、中学時代の麻生太郎さんは弟に対して劣等感を抱いていたことを後年告白しています。

中学時代は「どうせ何をしても弟には敵わない」と思って過ごしていた麻生太郎さんでしたが、弟に寄せる愛情は幼少期と変わっていませんでした。

将来を嘱望されていた麻生次郎さんですが、1964年3月に所属していたヨット部の仲間4人とNORC初島ヨットレースに出場するため、ヨットで横浜から油壷に向かう途中で遭難し、23歳の若さで亡くなっています。そのことは麻生太郎さんに消えることのない深い悲しみを与えました。

高校生時代のエピソード【高校生時代は謎?】

高校生時代のエピソードを見てみましょう。麻生太郎さんの高校時代についてはほとんど明かされていません。麻生太郎さんは部活動に励んでいたと告白していましたが、何部に所属していたのかは明かしていないのです。大学時代の前半はヨット部に所属していたので、高校時代もヨット部かヨットに関連する部に所属していたのかも知れません。

大学生時代のエピソード【クレー射撃の腕前】

大学生時代のエピソードを見てみましょう。大学時代の麻生太郎さんはヨット部で活動していたのですが、20歳の時にクレー射撃を始めてからはそちらにのめり込み、大学4年生の時に日本選手権で当時の日本記録を出して優勝するという結果を出しました。

大学卒業後もクレー射撃を続けていた麻生太郎さんは、35歳の時に開催されたモントリオールオリンピックにクレー射撃の日本代表として出場しています。

アジア大会とメキシコ国際射撃大会で優勝していたので十分な実力があったのですが、オリンピックでは満足の行く結果を出すことができませんでした。一時期は仕事かクレー射撃かと悩むほど打ち込んでいたクレー射撃は、オリンピック出場後にやめて仕事に情熱を傾けるようになっています。

麻生太郎以外の元総理大臣の学歴

この章では、麻生太郎さん以外の元総理大臣の学歴をご紹介します。2022年7月に暗殺されてしまった安倍晋三さん・安倍晋三さんの懐刀とも言われた菅義偉さん・総理大臣の在任期間が歴代で6番目の長さとなった小泉純一郎さんの出身校などを通学していた時系列順に見ていきましょう。

元総理大臣の学歴【今は亡き安倍晋三編】

今は亡き安倍晋三さんの学歴を見てみましょう。安倍晋三さんは東京都・吉祥寺にある私立の名門校・成蹊小学校に入学しました。成蹊学園は東京都内でも有数の裕福な家柄出身の子供達が通う学校としても知られています。安倍晋三さんは小学校から中学校・高校まで内部進学でエスカレート式に進学しました。

高校時代から政治家を志すようになった安倍晋三さんに父親の安倍晋太郎さんは東京大学に行くよう勧めましたが、勉強嫌いだった安倍晋三さんはそれに応じず、内部進学で成蹊大学の法学部政治学科に進学しています。成蹊大学を卒業後に半年間アメリカ合衆国の名門大学・南カリフォルニア大学に留学したこともありました。

元総理大臣の学歴【菅義偉編】

菅義偉さんの学歴を見てみましょう。菅義偉さんは地元・秋田県の雄勝町立秋ノ宮小学校から雄勝町立秋ノ宮中学校に進学しました。中学を卒豪後に進学したのは県立湯沢高等学校でした。中学時代の菅義偉さんは野球部に所属して好成績を残していましたが、高校時代は部活動は行なわず、帰宅部で勉強に勤しんでいたそうです。

菅義偉さんの実家はいちご農家だったため、後を継いで欲しかった父親に農業系の大学を勧められていましたが、この頃から政治方面に関心を持っていた菅義偉さんは東京都内の有名私立大学・法政大学の法学部政治学科に進学しています。大学時代は空手部で活躍しながらアルバイトで学費を稼ぐ毎日を送っていました。

元総理大臣の学歴【小泉純一郎編】

小泉純一郎さんの学歴を見てみましょう。小泉純一郎さんは神奈川県横須賀市の公立校山崎小学校から同じく公立校の馬堀中学校に進学しています。中学時代には弁論大会に出場して優勝した経験がありました。小泉純一郎さんはこの頃から弁舌の才能を発揮していたのです。高校は県内でも有数の進学校である横須賀高校に入学しています。

小泉純一郎さんの志望大学は東京大学だったのですが、二浪した末に諦めて私立の名門校・慶應義塾大学の経済学部に入学しました。大学時代の小泉純一郎さんは奔放な生活をしていたため、3年生の時に留年となり、5年で大学を卒業しています。大学卒業後はイギリスのロンドン大学に留学しました。

麻生太郎は華麗なる学歴を持つハイスペック元総理

麻生太郎は華麗なる学歴を持つハイスペック元総理です。アメリカ訛りの英語を直させるために仕送りを打ち切って帰国を促す父親・麻生太賀吉さんに驚く人も多いのですが、それだけ教育熱心な父親だったからこそ、現在の麻生太郎さんがいるのではないでしょうか?

失言や放言が多いという指摘を受けることも多い麻生太郎さんですが、大多数の人に政治家としての絶大な信頼と人気を得ています。厳しい父親の元で育ち、世間の荒波に揉まれてきた麻生太郎さんの今後の政治活動を見守っていきましょう。

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この記事のライター
fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

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