【brahman事件】事件概要や著作権違反の真相に迫る!現在のBRAHMANの活動も調査
「brahman事件」をご存知でしょうか?日本のロックバンドBRAHMANの著作権に関して起きた事件です。後に著作権について多くの人が関心をもつきっかけにもなりました。brahman事件の真相と現在のBRAHMANの活動についてもご紹介します。

目次
【brahman事件】とは
「brahman事件」とはどのような事件がご存知でしょうか?brahman事件は、ロックバンドのBRAHMANが起こした裁判のことです。brahman事件についての概要と、訴訟を起こしたBRAHMANとはどのようなバンドなのかをご紹介します。
BRAHMANが著作権関係で裁判を起こした事件
brahman事件は、ロックバンドのBRAHMANが著作権関係で裁判を起こした事件です。インディーレーベルに対してCDの製造や販売を中止するように求めました。
ロックバンド「BRAHMAN」とは
brahman事件の発端となったロックバンドBRAHMANとは、1995年に結成された日本のバンドです。メロディックハードコアと民族音楽をベースにした音楽が特徴的です。
現在はボーカルのTOSHI-LOWさんとギターのKOHKIさん、ベースのMAKOTOさん、そしてドラムのRONZIさんという4人のメンバー構成になっています。
もとはそれぞれが異なるロックバンドを結成していましたが、解散したため、TOSHI-LOWさんとDAISUKEさん、RONZIさん、NABEさんの4人でBRAHMANを結成したといわれています。
その後、NABEさんが脱退したことを受けてMAKOTOさんがBRAHMANに加入しました。そして、1996年にはミニアルバムをリリースしてデビューを果たしています。後にDAISUKEさんが脱退してKOHKIさんが加入しました。
TOSHI-LOW(ボーカル)
#BRAHMAN きたーーー!!
— ONENESS 🖖🏻 マキ タオ🌙✨鋼の心のリア〇✨ (@mackysweet6978) June 20, 2020
鬼の声はグッとくる😭#WILL2LIVE#世界難民の日 pic.twitter.com/lx4mAtpAd8
ボーカルのTOSHI-LOWさんは、茨城県水戸市出身で1974年11月9日生まれです。本名も宮田俊郎さんといいます。TOSHI-LOWさんは、2003年4月に女優のりょうさんと結婚しました。
2005年7月には長男が、2012ねん4月には次男が誕生しています。TOSHI-LOWさんは妻のりょうさんや息子とも共演することがあるといいます。また、TOSHI-LOWさんは「suiseeda」や「farrell」といったアパレルブランドを提携していたことでも知られています。
KOHKI(ギター)
ギターのKOHKIさんは1975年7月13日生まれで、和歌山県新宮市の出身です。1997年にDAISUKEさんが脱退したのを受けてBRAHMANに加入しました。関西出身であることから、関西弁を話し、少し天然な一面も持ち合わせています。
ギターの腕前が素晴らしく、DJとしても長年活躍しています。長い髪の毛がトレードマークで、ライブ中は長い髪の毛を振り回しながら熱演しているのが特徴です。
MAKOTO(ベース)
ブラフマン武道館、全方位へのエネルギーくらいまくり。
— 中川 和寿 (@KAZ_peliot) February 9, 2018
TOSHI-LOWさんからの「また現場でな。」の一言が沁みる…
打ち上げでMAKOTOさんと。#BRAHMAN#ブラフマン#武道館#brahman#八面玲瓏#梵唄 pic.twitter.com/xEV4DyEhz8
ベースのMAKOTOさんは、1974年4月10日生まれです。長野県松本市出身で、本名は小澤誠さんといいます。ドラムのRONZIさんと高校の同級生でもあります。初期メンバーのNABEさんが脱退した際にRONZIさんに誘われてBRAHMANに加入しました。
MAKOTOさんは、高校を卒業した後に上京し、4年ほどRONZIさんと同居していたこともあるといいます。BRAHMANに加入した当時はTOSHI-LOWさんとあまり仲良くなかったようですが、現在は仲が良くなり、一緒にステージを盛り上げています。
RONZI(ドラム)
ドラムのRONZIさんは、本名が小林論司さんで1974年7月4日に長野県松本市で生まれました。ドラムと同じくらいラーメンが好きで、愛称はロンちゃんです。
ドラムだけでなくギターも上手で、年に数回はギターを片手にソロ活動も行っているといいます。ソロ活動を行っているときのRONZIさんは、時に女装することもあるそうです。
旧メンバーには「NABE」と「DAISUKE」も
RONZIの旧メンバーにはNABEさんとDAISUKEさんがいます。2人ともBRAHMAN結成時の初期メンバーです。NABEさんはBRAHMANの名付け親でもある人ですが、2012年に脱退した後に自殺して亡くなりました。
DAISUKEさんは、BRAHMAN結成前からTOSHI-LOWさんとバンド活動をしていた人物です。DAISUKEさんがBRAHMANを脱退したのは1996年で、現在はパン屋で働いているといいます。
ボーカルの「TOSHI-LOW」が鬼って?
ボーカルのTOSHI-LOWさんは「鬼」という呼ばれ方をすることがあります。それは一目見たら忘れられないようなインパクトのあるTOSHI-LOWさんの見た目からいわれています。
鬼のような怖い形相ではなく、年齢からは考えられない筋肉量のため鬼と呼ばれています。TOSHI-LOWさんは格闘技が好きで自身もキックボクサーとして活躍しているので、筋肉は衰えるどころか成長し続けているのです。
政治的な発言にも注目が
BRAHMANは音楽活動だけでなく、政治的な発言にも注目されることがあります。東日本大震災が起きたとき、THOSHI-LOWさんはすぐに被災地に対して支援を開始したといいます。
震災が起きた2011年はライブなども自粛される雰囲気がありましたが、TOSHI-LOWさんを中心にライブを続け、被災地に対して支援活動をしてほしいと観客に求めました。
brahman事件の概要
著作権にまつわる大きな事件として注目されたbrahman事件ですが、著作権について社会全体が考える大きなきっかけとなりました。brahman事件の概要についてご紹介します。
インディーレーベルの著作権違反に対する訴訟
brahman事件は、インディーレーベルの著作権違反に対する訴訟です。インディーレーベルとは、メジャーデビューを果たしていないインディーズの音楽会社のことをいいます。
日本ではインディーズと呼ばれるミュージシャンたちがインディーレーベルを通してCDや音楽を提供していることもあります。
訴えられたのは「イレブンサーティエイト」
BRAHMANのメンバーらによって訴えられたのは、インディーレーベルのイレブンサーティエイトという会社です。イレブンサーティエイトは、BRAHMANが作詞作曲し他局に譲渡したヴァージン・ミュージック・ジャパンと共同契約をした会社です。
BRAHMANのCD製造販売ストップを要求
ヴァージン・ミュージック・ジャパンと契約したにもかかわらず、イレブンサーティエイトはBRAHMANに対して歌を演奏するよう頼みました。
このため、BRAHMANは著作権にあたると考え、CDの製造と販売をストップするようイレブンサーティエイトに対して求めました。このことが発端となり、裁判につながってしまったのです。
そもそも著作権とは
そもそも著作権とはどのようなものなのでしょうか?耳慣れた言葉でありながら、どれが著作権侵害にあたるのか明確に答えられる人は少ないです。
著作権とは、文学や芸術、音楽を作った人に対する権利のことをいいます。誰が作った作品なのかを明確にすることで、無断で複製して販売などがされた場合は著作物を使用した人に使用料を請求することもできます。
また、著作権は全ての著作物に当てはまるのではなく、無断で使用できる著作物の場合は無断で使用しても問題ありません。
著作物の内容を勝手に変えたり、著作物に対して勝手に名前をつけたりすると著作権侵害となります。裁判となった場合は、被告人に対して罰金や懲役を求めることもあります。
著作権違反に対する一般人の認知レベルは?
著作権違反に対する一般人の認知レベルはまだまだ低いといえます。著作権についての法律や制度は日々変化しており、「これも著作権侵害になるの?」といったこともしばしば見られます。
brahman事件の裁判と判決について
brahman事件は著作権に関わる大きな事件として注目されました。brahman事件の裁判と判決について詳しくご紹介します。
brahman事件の争点とは
brahman事件の争点は、共同出版契約をしたイレブンサーティエイトがBRAHMANが演奏した曲をCDにしたことです。BRAHMANが自ら作詞作曲を行った曲の譲渡はヴァージン・ミュージック・ジャパンと行っていました。
しかし、イレブンサーティーはヴァージン・ミュージック・ジャパンと共同出版の約束をしていた会社です。イレブンサーティエイトがヴァージン・ミュージック・ジャパンから承諾を得ているとしてBRAHMANに演奏を依頼しました。
そして、BRAHMANが演奏した曲をCD作成したため、ヴァージン・ミュージック・ジャパンに曲を譲渡していたBRAHMANは直接契約をしていないイレブンサーティエイトの行いが著作権侵害にあたるとして訴えたのです。
裁判でイレブンサーティエイトが反論
BRAHMANの訴えに対して、イレブンサーティエイトは激しく反論しました。イレブンサーティエイトはヴァージン・ミュージック・ジャパンから権利を受けていて承諾を得ていると主張しています。
また、BRAHMANに演奏を依頼したのもヴァージン・ミュージック・ジャパンと共同出版の契約をしているから行っているため、著作権侵害にはあたらないといいました。イレブンサーティエイトは、自らの無罪を主張しました。
brahman事件の判決は?
裁判の結果、brahman事件の判決はBRAHMANの勝訴となりました。理由は、イレブンサーティエイトがヴァージン・ミュージック・ジャパンと共同出版の契約を結んでいたとしても、制作したCDはBRAHMANの演奏でできたものであるためCDの中止は妥当であると判断されたからです。
イレブンサーティエイトはこの裁判によって、BRAHMANからの控訴内容を受諾して費用を含めて全てイレブンサーティエイトが負担することになりました。これによってbrahman事件が完結しました。
brahman事件のその後は?
brahman事件に勝訴したBRAHMANですが、事件のその後どうなったのでしょうか?brahman事件をきっかけにBRAHMANに対する世間の目が変わり、認知度がさらに上がったといわています。
その後はBRAHMANの知名度アップ
brahman事件は、著作権問題として大きく取り上げられたためBRAHMANの知名度が上がりました。brahman事件を通してBRAHMANを知った人も多く、BRAHMANの音楽に興味を持った人もいました。
2008年にはリリースした曲がオリコンチャート初登場で1位という快挙となりました。brahman事件を通して多くの人がBRAHMANとBRAHMANが作る音楽に注目したということがわかります。
brahman事件により著作権違反への関心も高まる
brahman事件をきっかけに著作権に対する関心が高まり、著作権違反に対して注目する人が増えたといわれています。
brahman事件以前は著作権についてあまり知らなかった人も多かったのですが、ニュースなどでbrahman事件が大きく取り上げられたことから社会的に著作権についての認知度が上がりました。
2003年に中国でのイベントにて暴動事件が発生
brahman事件をきっかけに人気となったBRAHMANですが、2003年に中国でライブイベントを開催した時に暴動事件が発生しました。これは、当時日本人団体旅行客によって行われていた集団売春事件が原因です。
日本に対するイメージが悪かったため、BRAHMANがステージでパフォーマンスをしていた際に怒号が飛んだり、ステージに向かってビールの瓶や石、卵などが投げ込まれたといいます。
数年後には中国にカムバックでイベント出演!
2003年のイベントで悲惨な目に遭ったBRAHMANでしたが、2016年に再び中国でのイベントに招待されます。
このときは暴動は起きませんでしたが、前回ひどい目に遭ったにもかかわらず出演したBRAHMANに対して、中国のロックバンドTHIN MANのDAI QINさんから感動したと手紙が届きました。
brahman事件の現在
brahman事件は、原告のBRAHMANの勝利となり著作権について認知する大きな機会となりました。brahman事件の後、BRAHMANはどのように活動をしているのでしょうか?brahman事件の現在についてお伝えします。
東日本大震災の支援活動でワンコインライブを開催
東日本大震災が起きた際に、BRAHMANはいち早く被災地支援に乗り出しました。被災地支援の活動の一環として、被災地を回ってワンコインライブを開催しています。
地元の茨城県のライブハウスでも活動継続
BRAHMANは地元も大切にし続けています。地元の茨城県のライブハウスでもライブ活動を積極的に行っており、TOSHI-LOWさんは茨城県のライブハウスで活動を行い続けています。
映画『ブラフマン』も公開で話題に
2015年に公開された映画「ブラフマン」でBRAHMANはドキュメンタリー映画として参加しました。デビュー20周年を記念してこれまでの軌跡や現在の様子について描いています。
メンバーや関係者のインタビューも多数収録されていることから、ファンやbrahman事件を知る人たちから注目されました。元メンバーのDAISUKEさんも出演しており、亡くなったNABEさんの死についても触れています。
現在も楽曲リリースでファンを魅了
現在も楽曲をリリースしてBRAHMANはファンを魅了し続けています。2017年には2枚のシングルをリリースしていて、4月発売の「不倶戴天-フグタイテン-」はオリコンチャート初登場11位を記録しました。
また、同年10月にリリースされた「今夜/ナミノウタゲ」ではオリコンチャート初登場8位となり、現在も新しい曲を生み出し続けファンを魅了しています。
2020年にはBRAHMAN写真集2冊同時発売
2020年にはBRAHMANの写真集が2冊同時に発売されます。カメラマンの三吉ツカサさんが担当しており、タイトルは「一刻(いっこく)」と「久遠(くおん)」です。
「一刻」にはライブでの熱気や匂いを感じられる写真が多く、「久遠」にはオフショットも織り交ぜながらライブの写真などが掲載されます。現在も変わらず熱く活動しているBRAHMANを写真から感じることができるようになっています。
brahman事件の裁判勝訴で今後のバンド活動にも期待
brahman事件は、著作権に関して行われた裁判で、原告のBRAHMANが勝訴しました。BRAHMANは裁判を通してさらに多くの人に知られることとなり、バンド活動を精力的に行っています。今後もBRAHMANの活躍に期待です。