ケーシー高峰の現在は死亡!死因は?経歴や漫談などまとめ

医学部に在籍していたという異色の経歴を持っていた医療漫談師のケーシー高峰さん。肺気腫という病気で死亡したというニュースに驚かれた人も多いことでしょう。85歳という年齢でも舞台への情熱は冷めることはありませんでした。そんなケーシー高峰さんの魅力に迫っていきます!

ケーシー高峰の現在は死亡!死因は?経歴や漫談などまとめのイメージ

目次

  1. 1ケーシー高峰のプロフィール
  2. 2ケーシー高峰は「ドクター」と呼ばれた医療漫談師
  3. 3ケーシー高峰が医療漫談スタイルを確立するまで
  4. 4俳優としても評価の高いケーシー高峰
  5. 5年齢や病気に負けず活躍したケーシー高峰
  6. 685歳でこの世を去ったケーシー高峰
  7. 7ケーシー高峰は伝説の医療漫談師

ケーシー高峰のプロフィール

・愛称:ケーシー高峰、ドクター

・本名:門脇貞男

・生年月日:1934年2月25日

・年齢:享年85歳

・出身地:山形県最上郡最上町

・血液型:AB型

・身長:174cm

・体重:???

・活動内容:タレント、俳優

・所属グループ:???

・事務所:西村・オフィス

・家族構成:妻、子供

ケーシー高峰の経歴

山形県最上郡最上町で生まれたケーシー高峰さんは、医師が多いという家系から小さい頃より医者になるべく育てられてきたそうです。山形県立新庄北高校を卒業し、日本大学の医学部へと入学をします。

日本大学では、元からそんなに医師になりたいという気持ちがなかったことが災いして、興味のあったモダンジャズやラジオへと傾倒していくことになりました。この頃から、徐々にケーシー高峰さんの天性の才能が芽を出し始めるようになります。

すっかり芸能界の方へ興味が移ってしまったケーシー高峰さんは、日本大学の芸術学部へと転部をし司会業などもこなすようになっていました。大学卒業後は、漫才師の大空ヒットさんに弟子入りをし「大空はるか・かなた」として芸能界デビューを飾ります。

漫才師として活動し、徐々に売れ始めていたケーシー高峰さんですが、東京漫才界の対立騒動に巻き込まれる形でコンビ解散の憂き目に遭ってしまいました。その後は、芸名をケーシー高峰に改め、一人でも活動できる漫談師としての道を歩み始めます。

医学部に在籍していたという異色の経歴を持つ医療漫談師に転身したケーシー高峰さんは、医療の知識をフルに使ってお色気も交えるという独特の芸風を作り上げていきました。

漫談師として芸を確立していったケーシー高峰さんは、ドラマや映画などにも出演して俳優としての才能も発揮し始めます。難しい役柄もこなすなど周囲の評判はかなり高かったようです。

東日本大震災の時も、いち早く救助と復興に尽力したことから被災地との結びつきも強く、地域に愛される人であったことがうかがえます。2005年には舌ガンという病気に襲われましたが、手術と治療により表舞台へと帰ってきました。

しかし、2018年に診断された肺気腫という病気には勝つことができず、2019年の4月8日に帰らぬ人となってしまいました。最後まで自分の芸を貫き通したケーシー高峰さんには、各界から惜しむ声が寄せられたことは言うまでもありません。

ケーシー高峰は「ドクター」と呼ばれた医療漫談師

独特の東北訛りにお色気たっぷりの医療漫談で、世の中の人々を笑いの渦にいざなってきたケーシー高峰さん。異色の経歴を持つケーシー高峰さんは、周囲からは「ドクター」と呼ばれ、芸人仲間からは一目も二目も置かれる存在だったのをご存知でしょうか?

ここでは、ケーシー高峰さんの医療漫談師としてのスタイルと、爆笑王と呼ばれた光るセンスについてみていきます。

黒板と白衣で繰り出すエロい医療漫談スタイル

医療漫談師として絶大な人気を誇っていたケーシー高峰さん。その姿をテレビの演芸番組で見たことがあるという人も多いのではないでしょうか?

白衣姿で黒板を前にして、意味不明なイタリア語やスペイン語の言葉を連発しながら、お客さんとともにエロい漫談を繰り広げていくという、これまでになかった演芸のスタイルを確立していきました。

ラテン系の挨拶も大流行

お客さんを前にして、白衣と黒板でエロい漫談を繰り広げる芸で一世を風靡したケーシー高峰さんの代名詞とも言えるのがラテン系の挨拶です。イタリア語やスペイン語の「グラッチェ」や「セニョール」、「セニョリータ」などの言葉を織り交ぜながらのネタでした。

それらの言葉は、当時の流行語ともなり世間でマネする人が多かったことは言うまでもありません。

エロと時事を織り交ぜた唯一無二の爆笑王

そんなラテン系の挨拶を織り交ぜる、独特の芸風で笑いを取っていたケーシー高峰さん。当時の年齢は30代半ばだったのですが、その頃にはすでに周囲からも一目置かれる唯一無二の爆笑王とまで呼ばれていたそうです。

エロいネタにもかかわらず、そこに時事ネタをプラスすることによって世の中を風刺しているような芸風に仕上がっていました。そのエロいネタは現在だとちょっと放送できないようなものもあったそうです。

私服のセンスも光っていたケーシー高峰

ケーシー高峰さんは、舞台では白衣を着て黒板を使いこなすという芸風だったのですが、普段の私服もとても話題になっていたそうです。

普段の私服はとてもダンディズムにあふれていて、白衣のイメージの強いケーシー高峰さんからは想像できないほどセンスが光っていました。

ケーシー高峰が医療漫談スタイルを確立するまで

1970年代には、すっかり医療漫談師としての地位を確立していたケーシー高峰さんですが、そこにたどり着くまでにはどんな紆余曲折があったのでしょうか?

ここでは、ケーシー高峰さんの現在のような医療漫談スタイルが確立されるまでの経緯についてみていきます。

ケーシー高峰の生い立ち

山形県最上郡最上町で生まれたケーシー高峰さんは、代々医師が多く輩出されている家系で育ちました。母親であるシヅエさんは産婦人科医として名誉町民になるほどだったらしく、ケーシー高峰さんも医師になるために育てられていたそうです。

大学卒業後芸人を志す

そんなケーシー高峰さんは日本大学の医学部へ進学するのですが、10代後半という多感な年齢のせいもあって、ラジオやモダンジャズという芸能の道へと興味がわいてしまいます。

医学部から芸術学部に転部するほど芸能の道に傾倒してしまっていたケーシー高峰さんは、大学卒業後に芸人になることを決めたそうです。

1968年にケーシー高峰が誕生

大学卒業後に、芸人の道を志していたケーシー高峰さん。当初は漫才師としてコンビを組んで活動を始めるも、東京漫才協会の対立によってコンビ解散を余儀なくされてしまいます。

コンビを解散してしまったケーシー高峰さんは、タレントであり放送作家でもあった永六輔さんの後押しもあって、医学部に在籍していたという異色の経歴を生かした医療漫談という芸をスタートさせました。

ケーシー高峰の芸名の由来

34歳という年齢の時に医療漫談師としてスタートを切ったケーシー高峰さんですが、ケーシー高峰さんの芸名の由来がどこにあるのかご存知でしょうか?実はケーシー高峰さんの芸名の由来は意外なところにありました。

アメリカの医療ドラマである「ベン・ケーシー」と、小さい頃から大ファンだったという女優の「高峰三枝子」さんから名前をもらって、ケーシー高峰さんという芸名が誕生したらしいのです。

俳優としても評価の高いケーシー高峰

医学部に在籍していた時の知識を生かした、医療漫談という異色の経歴を持っているケーシー高峰さん。爆笑王とまで言われていたケーシー高峰さんは、俳優としても評価が高かったことをご存知でしょうか?

ここでは、医療漫談から俳優までこなしたケーシー高峰さんの多才ぶりについてみていきます。

ピンク映画で見せるエロいヤブ医者の演技

医療漫談というお笑いの世界から、俳優の道へと歩み始めたケーシー高峰さんですが、俳優の世界でも異色の経歴ぶりが発揮されることになります。

ピンク映画に出演した時などは、産婦人科や性病科といったヤブ医者役が多く、映画の中での役割としてはコミックリリーフが多かったそうです。

1981年NHK「夢千代日記」ではシリアスな演技も

ピンク映画では、異色の経歴のためかヤブ医者役などを多くこなしていたケーシー高峰さん。やはり、コミックリリーフ的な存在かと誰もが思っていたところで、またしても多才ぶりを発揮します。

1981年にNHKで放送された「夢千代日記」では、親切な木原医師をいう役をシリアスな演技でこなす新たな一面を見せてくれました。

1987年「塀の中の懲りない面々」も大ヒット

シリアスな役も演じることができると世に知れ渡ったケーシー高峰さんですが、1987年に公開された映画「塀の中の懲りない面々」では、またしても見ているものの度肝を抜きます。「上州河童」というゲイの役を見事に演じ切ったのです。

2002年「木更津キャッツアイ」ではオカマヤクザを熱演

さらに、2002年に公開された「木更津キャッツアイ」では、これまで以上のインパクトを見ているものに残します。木更津のゲイのヤクザでもある金持ちの「小峰社長」という難しい役を演じられていました。

今でも木更津キャッツアイを見た人にとっては、ケーシー高峰さん演じる小峰社長のイメージは消えないのではないでしょうか?

年齢や病気に負けず活躍したケーシー高峰

医療漫談だけでなく、映画やドラマの世界で俳優としても輝きを放っていたケーシー高峰さん。年齢を重ねるにつれて、病気との戦いになっていきました。しかし、病気になっても負けずに立ち向かっていくケーシー高峰さんの姿に勇気づけられた人も多いことでしょう。

ここでは、ケーシー高峰さんの医療漫談師としての現在までの経歴と、病気との戦いについてみていきます。

笑点では歴代3位の出演記録

現在も、多くの人に支持されている国民的番組でもある「笑点」とも、関わりが深いのがケーシー高峰さんです。笑点と言えば大喜利が有名ですが、その他にも出演されている芸人さんがたくさんいます。

ナポレオンズさんやマギー司郎さんなど、現在も出演を続けている人たちに次いで、歴代3位という出演回数を誇っていたそうです。

いわき市出身で原発事故までもネタに

東日本大震災で被災した福島県に住んでいたケーシー高峰さんは、原発事故でさえも笑いのネタに変えていったそうです。それは笑点に出演された時の事でした。

「放射能の原産地、福島からやってきた」や「皆さんに放射能をお分けする」と言って着ていた白衣をバサバサしたのです。通常であれば許されないと怒る人もいるかもしれませんが、ケーシー高峰さんだからこそ許されるという雰囲気があったのではないでしょうか?

立川談志もケーシー高峰には負ける?

大学の医学部から医療漫談師という異色の経歴を持っていたケーシー高峰さんは、天下の名落語家でもあった立川談志さんにも一目置かれる存在でした。

ケーシー高峰さんの後には、落語をやりづらいということを言っていたそうです。理由はケーシー高峰さんが、会場をあまりにも爆笑の渦に変えてしまうところにありました。

立川談志とは

1936年に東京都で生まれた立川談志さんは、「柳家小さん」さんに入門し落語の世界へと進みます。今ではすっかりおなじみとなった笑点の立ち上げメンバーであり、初代司会者としても有名です。

落語の世界では破天荒として有名でしたが、落語の実力は誰もが認めるほどの腕前で、5代目三遊亭圓楽さん、3代目古今亭志ん朝さん、5代目春風亭柳朝さんとともに「江戸若手落語四天王」と呼ばれるほどだったそうです。

舌がんでしゃべれなくても舞台で大爆笑

立川談志さんも認める医療漫談師となっていたケーシー高峰さんですが、70歳という年齢だった2005年に舌がんを発症してしまいます。しかし、医学部に在籍した知識を持って早期発見すると、手術を経て舞台へと復帰を果たします。

舌がんという病気を克服し、舞台に帰ってきたケーシー高峰さんは、しゃべることができない状況であっても舞台で大爆笑をとるという離れ業をやってのけたそうです。

80歳を超えてもなお舞台に立ち続けたケーシー高峰

舌がんを克服し、表舞台に帰ってきたケーシー高峰さん。普通の芸人さんは年齢を重ねるにしたがって徐々に仕事量をセーブしていくものです。しかし、80歳という年齢を超えてもケーシー高峰さんは精力的に舞台に立ち続けたそうです。

仕事に対する熱量は、若い頃から全く変わっていなかったそうで、周りの人たちが仕事を抑えようとしても、頑なに拒んで仕事に打ち込もうとしていました。

サンドウィッチマンも同郷の先輩として大尊敬

ケーシー高峰さんが2019年の4月に死亡したというニュースが全国を駆け巡ったことに、ファンであれば驚きを隠せなかったはずです。芸能界でもそれは同じだったようで、ケーシー高峰さんの死亡のニュースにサンドウィッチマンさんも哀悼の意を示しました。

伊達みきおさんのブログでも、ケーシー高峰さんが死亡されたことについて触れられていて、尊敬する大先輩であったことがつづられていたそうです。

サンドウィッチマンとは

現在は、誰もが認めるお笑い界の大スターにまで上り詰めているサンドウィッチマンさんのお二人。1998年にコンビを結成し、2007年にはM-1チャンピオンになるなど、現在では数多くのテレビ出演をこなす売れっ子お笑いコンビです。

85歳でこの世を去ったケーシー高峰

現在でも医療漫談師として唯一無二の存在で、俳優としても大活躍を見せてくれたケーシー高峰さん。2019年に飛び込んできたケーシー高峰さん死亡のニュースは、世間を驚かせたことは言うまでもありません。

85歳という年齢で、この世を去ったケーシー高峰さんの病気とは一体何だったのでしょうか?ここではケーシー高峰さんの死亡の原因と闘病についてみていきます。

ケーシー高峰が2019年4月に死亡

テレビ出演をされている時は、いつも笑いの渦を巻き起こしていたケーシー高峰さんが、いわき市内の病院で死亡したというニュースが飛び込んできたのは2019年の4月でした。

2005年に舌がんという病気を患ってからも、その後は元気な姿を見せてくれていたので、死亡したというニュースを受け入れられなかった人も多いのではないでしょうか?

ケーシー高峰の死因は?

ケーシー高峰さんが死亡したというニュースに誰しもが驚かれたことでしょう。前年から、肺気腫という病気を患っていたという噂はありましたが、死亡するとは思っていなかったはずです。

ケーシー高峰さんは若い頃から愛煙家だったようで、直接の原因かどうかは定かではありませんが、愛煙家の人がなりやすいと言われている肺気腫という病気だったようです。

闘病中も復帰の意思にあふれていたケーシー高峰

肺気腫を患ってからも、舞台への復帰をあきらめてはいなかったケーシー高峰さん。84歳という年齢で肺気腫と診断されたのですが、仕事への情熱は決して冷めなかったようです。酸素吸入器をつけて、さらに椅子に座りながらでも仕事を全うしようとしていました。

共に風評被害と戦った被災者からも死を悼む声が

ケーシー高峰さんが死亡したというニュースは、ファンや芸能界だけでなく東日本大震災の被災者にも動揺が広がりました。ケーシー高峰さんは、東日本大震災後の風評被害の払しょくのために、多大なる尽力をされたためでした。

行方不明者の捜索の協力や、公民館での炊き出しなどにも一役買ったほか、応援大使に就任して復興に力を入れていたことから、ケーシー高峰さんを失った被災地から悲しみの声が、今現在も上がっていることは言うまでもないことでしょう。

ケーシー高峰は伝説の医療漫談師

亡くなった現在でも、医療漫談師として絶大な人気を誇っているケーシー高峰さん。医学部に在籍していたという異色の経歴もさることながら、俳優としても見事な存在感を誇っていました。

2019年の4月に病気で死亡したというニュースには、誰しもが驚かれたはずです。ケーシー高峰さんの残してきた功績は現在でも輝かしいものがあります。今後は、ケーシー高峰さんの後を継ぐような医療漫談師が出てきてくれることを誰もが待っているはずです。

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この記事のライター
大橋類太郎
北海道の田舎に住んでいる大橋類太郎です。 ドライブが好きで暇さえあれば広い北海道を走り回っています。 コツ...

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