2020年05月18日公開
2020年05月18日更新
千原ジュニアの昔って?事故や喧嘩は?ジャックナイフ時代のエピソードなどまとめ
お笑い芸人の千原ジュニアさんは、現在テレビで見ない日がないほど様々な番組で活躍されています。そこで今回は千原ジュニアさんのプロフィールや経歴とともに、昔の事故や喧嘩の噂、またジャックナイフと呼ばれていた昔のエピソードを調査しました。
目次
千原ジュニアのプロフィール
【初めて新幹線に乗った千原ジュニア】
— パオス太郎 (@Paoshizm) May 15, 2020
景色ビューーン過ぎてってぇ
でそん時、耳プッツーーンいきまして pic.twitter.com/lJeQWrXbgA
愛称:ジュニア・J(ジェイ)
本名:千原浩史(ちはらこうじ)
生年月日:1974年3月30日
年齢:46歳(2020年5月現在)
出身地:京都府福知山市
血液型:O型
身長:180㎝
体重:不明
活動内容:お笑いタレント・司会者
所属グループ:お笑いコンビ・千原兄弟(ボケ担当)
事務所:吉本興業
家族構成:兄(千原せいじ)、妻、子供
千原ジュニアの経歴
千原ジュニアさんは1989年に、兄の千原せいじさんとともにお笑いコンビ・千原兄弟を結成し芸人として活動を始めました。1994年には「ABCお笑い新人グランプリ」で優秀新人賞を受賞し知名度があがり、大阪ではかなりの人気となりました。
その後東京へ進出し、2004年頃からテレビ出演が増え、現在では多数のバラエティ番組で活躍されています。また2015年9月には一般女性と結婚され、2017年12月に第一子が誕生しています。

千原ジュニアの昔って?
千原ジュニアさんはその鋭い目つきや抜群のトーク力などが人気で、現在は様々な番組でMCを務めるほど活躍されています。そんな千原ジュニアさんですが、デビュー当時から「ジャックナイフ」と呼ばれるほど周囲から恐れられていたと言われています。
今では怖いイメージよりも面白いイメージの方がある千原ジュニアさんですが、昔はどんな少年だったのでしょうか?千原ジュニアさんの昔について見てみましょう。
千原ジュニアの昔は引きこもり
千原ジュニアさんの昔について調べると、千原ジュニアさんは昔引きこもりだったと明かしていました。千原ジュニアさんは小学生の頃から早熱のところがあり、学校へ行かないといけないということへの反発や様々な精神的葛藤により、14歳~15歳の頃は引きこもりだったそうです。
これ昔の千原ジュニアだってさ。
— よ一でる (@mainasuoozi) December 31, 2016
(TNOKに似てる件) pic.twitter.com/Pj7OVSYIpV
千原ジュニアさんは中高一貫教育の私立中学に進学しました。進学校のため勉強にかなり力を入れた学校であり、教室には教員が2人つき、大学に向けて猛勉強するカリキュラムだったそうです。
千原ジュニアさんはそんな学校に馴染めず、「もうこんなところにいても自分は何も得ることができない」と思い、次第に引きこもりとなったようです。
【 6日(金) 営業中です】
— MEAT ARAI (@MEAT_ARAI) March 6, 2020
ご来店いただき千原ジュニアさん✨フジモンさん✨大悟さん✨岩尾さん✨に『メンチカツ』を召し上がってもらった模様は『AMAZONプライム・ビデオ📼「千原◯ニアの◯◯-GP 2017 / 街ヅラ-1GP」』にてご覧いただけます🤩 pic.twitter.com/2x5s8vjFAK
千原ジュニアさんは「当時の感覚としては、神経がむき出しになって引きこもっていること自体に違和感を感じていた。でも引きこもってその場所にしかいれない。」「同級生など周囲と比べてしまい、自分は違うということを常に感じてしまいとても辛い感情を持ちながら部屋に引きこもっていた」などと語っています。
『ごっこ』:観逃した本作をアマプラで観ました。
— che bunbun@ 映画の伝道師 (@routemopsy) April 25, 2020
タレントから才能を引き出せない、芸人の芸を誤った活用する作品が多い中、千原ジュニアから才能と芸を引き出しまくったこれは素晴らしい。
石井隆的色彩の中邂逅したふたりの親子ごっこをスリリングに描く作品。
オススメ。 pic.twitter.com/tHpvF3Bad0
そんな千原ジュニアさんを引きこもりから救ってくれたのが4歳年上の兄・千原せいじさんです。兄・千原せいじさんは当時吉本興業の養成所に入っており、引きこもりになった弟を心配したのか千原ジュニアさんが15歳の時に電話で芸人の世界へ誘ったそうです。
昔は兄(千原せいじ)に引っ付いていた
千原ジュニアさんの昔は、兄の千原せいじさんにいつも引っ付いていた子だったそうです。かなり人見知りな性格であった千原ジュニアさんは、兄・千原せいじさんの後ろに引っ付いて離れない子供でした。また千原せいじさんはそんな弟とは真逆なタイプで、昔から積極的で豪快、度胸がある性格でした。
兄・千原せいじさんは内気で人見知りな性格の弟をどうにかしようと思い立ち、同じ年齢の弟がいる友達と「弟交換」をしたそうです。他人の弟にされた千原ジュニアさんは、その夜他人の家に泊まることになるのですが、緊張のあまり眠れなかったそうです。
昔から学校に対する違和感あり
千原ジュニアさんは何故昔引きこもりになってしまったのかについては、「友達と喧嘩した」「先生に怒られた」などこれといって大きなきっかけがあったわけではなく、何かジワーっと溜まった感情が限界にきたからと明かしています。
久々に千原兄弟の漫才堪能しました❗やはりキレッキレで面白い( ^∀^)ノ #ENGEIグランドスラム #千原兄弟 pic.twitter.com/LwmH3BrPfa
— TAKE7700 (@take7700gh5fs) August 17, 2019
千原ジュニアさんは、学校へ行って教室の席に座っている自分に対してかなり「違和感」を感じていたそうです。そして次第に学校を休みがちになっていったそうです。
千原ジュニアさんは「たまに学校へ行くと強烈な違和感を感じ、また休んで家にいる」ということが頻繁になっていきました。しかし家にいても安心できるわけではなく、どこにいても「ここじゃない」と感覚があったそうです。
そして「学校よりは家、家の中なら自分の部屋」と自分が違和感なく居られる場所へ移動するうちに、自分の部屋に引きこもり必要な時だけ外出するという生活になってしまったそうです。
千原ジュニアの昔の事故とは
続いては千原ジュニアさんの昔の事故について紹介しましょう。千原ジュニアさんは高校2年の時に学校を中退し、その後は吉本興業の養成所に入り兄の千原せいじさんとともに千原兄弟としてコンビを組みます。
お笑いコンビとして大阪で活躍していた時代、千原ジュニアさんは大きな事故を起こし大怪我をしています。千原ジュニアさんはどんな事故を起こしてしまったのでしょうか?
2001年に起こしたバイク事故の真相
千原ジュニアさんは2001年3月26日にバイク事故を起こしています。この日の夜千原ジュニアさんは、自前のバイクで急いで自宅に帰宅している途中に一台のタクシーと衝突寸前になったそうです。
千原ジュニアさんは愛車のバイクを傷つけたくないという思いがよぎったのか、咄嗟にハンドルを切って避けたところ、猛スピードのままガードレールに激突しました。
眼球が飛び出るほどの大事故
千原ジュニアさんのこのバイク事故は、眼球が飛び出るほどの大事故だったそうです。ガードレールに激突した千原ジュニアさんは、顔面を石柱に激しく打ちつけられ、鼻がぐしゃっと曲がったそうです。
まって千原ジュニアの昔の顔ちょっとジュホに似てるって思っちゃったwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwごめんwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww pic.twitter.com/bx0QY7Xdmi
— 三半規管弱子(本名) (@kch_mmm0117) January 10, 2019
さらに顎は真っ二つに割れ額の神経も切断。千原ジュニアさんは怪我を負ったあたりまでは鮮明に覚えているようで、とにかく自分の血が大量に流れ出ており、「マジかよ」と思ったそうです。
その後千原ジュニアさんは意識を失ったまま病院に運ばれました。そして意識が戻ったときは手術台の上にいたそうです。千原ジュニアさんはこのバイク事故で「前頭骨骨折」「鼻骨骨折」「下顎骨骨折」「頬骨骨折」「上顎骨骨折」「眼窩底骨折」「眼窩内壁骨折」などの重傷を負いました。
千原ジュニアさんは何とか一命は取りとめたものの、変わり果てた自分の顔を見て「もう表舞台には戻れないな」と思い、芸人を辞めて作家になろうとも思ったそうです。
秀ちゃんラーメンとんぼ店 夜営業
— あかみねとんぼ (@aktombo) March 22, 2020
千原ジュニアさんが御来店下さいました。若い頃よりお世話になっており気に掛けて頂いております。美味しいの一言、励みになります!お忙しい中ありがとうございました! pic.twitter.com/3eyYbfsHxI
しかし千原ジュニアさんの兄・千原せいじさんは「神様が「お前らはお笑い界に必要」とジュニアを残してくれた」と直感し、千原兄弟は売れることを確信したそうです。そして兄・千原せいじさんや芸人仲間からの励ましもあり、千原ジュニアさんは形成手術を決意しました。
形成手術を担当した医師は、名医として知られている高須クリニックの院長です。形跡手術のおかげで千原ジュニアさんは、バイク事故から136日後には千原兄弟のトークライブで復帰しました。
事故による後遺症との闘い
形成手術をして再び表舞台に復帰した千原ジュニアさんですが、その後「鼻涙管閉塞症」という後遺症が残ったそうです。涙腺が狭窄し、鼻水が涙として出てしまう後遺症であり、千原ジュニアさんは芸人として生活しながらもこの後遺症と闘ったそうです。しかし2014年に手術を受け、現在はこの後遺症は完治しているようです。
千原ジュニアの昔の喧嘩の真相
ドラマの内容よりもキモさに目がいってしまう
— Mo (@jump06190509) March 18, 2019
千原ジュニアあんま好きじゃない#トレース pic.twitter.com/S24A3gzz87
続いては千原ジュニアさんの昔の喧嘩の真相について見てみましょう。千原ジュニアさんは大阪時代は「ジャックナイフ」と呼ばれるような鋭い目つきと態度だったと言われています。そんな昔の千原ジュニアさんは度々喧嘩もされていたとの噂です。千原ジュニアさんの昔の喧嘩とはどのようなエピソードがあるのでしょうか?
レゲエクラブでの出来事とは
千原ジュニアさんの昔の喧嘩エピソードを調べたところ、吉本興業所属で千原ジュニアさんの後輩であるナインティナインの岡村隆史さんが、千原ジュニアさんが昔レゲエクラブで喧嘩していたエピソードを明かしていました。
岡村隆史さんはある夜レゲエクラブに行った際に、千原ジュニアさんがメッセンジャー黒田さんと桂三度さんと一緒に来ていたことがあったそうです。岡村隆史さんは2階にいて千原ジュニアさんたちは1階にいました。
岡村隆史さんが2階から下を見ていると、突然1階が騒然としだして「オラー!」と千原ジュニアさんが暴れ始めたそうです。どうやら千原ジュニアさんが喧嘩をしていたそうで、それを見た岡村隆史さんは「関わってはいけない」と恐怖に怯えたそうです。
クラブの喧嘩の原因はメッセンジャー黒田?
千原ジュニアさんのレゲエクラブでの喧嘩についてですが、実は千原ジュニアさんだけが喧嘩をしていただけではなく、そもそもの喧嘩の原因は一緒に来ていたメッセンジャー黒田さんだったそうです。
千原ジュニアさんとメッセンジャー黒田さん、桂三度さんが3人で1階にいると、女の子から「芸人やーん!なんか面白い事やって~!」と言われました。そして黒田さんがお尻を出してみたそうです。
しかし女の子たちからは「全然面白くないんだけど~」と言われ、メッセンジャー黒田さんがキレて「オラー!」と女の子に掴みかかったそうです。するとその女の子たちの周りにいた男の人達までキレ出して喧嘩になったそうです。
そんな状況になり、千原ジュニアさんは仕方なくその喧嘩に参戦したそうで、「すべてはメッセンジャー黒田が悪かった」と後にこの喧嘩について語っていました。
加藤浩次との昔の喧嘩の真相も
また千原ジュニアさんには加藤浩次さんとも昔喧嘩して、それ以降共演はNGという噂があります。この噂の真相について、千原ジュニアさんが以前出演したバラエティ番組で語っていました。
千原ジュニアさんの話によると、まだ若手の頃に東京の5組と大阪の5組がネタ対決するというお笑いライブがあり、大阪からは千原兄弟ややるじゃねぇかーずが参加しました。
やるじゃねぇかーずの浦井崇さんと千原せいじさんはもともと折り合いが悪く、この日もライブの5分前に舞台袖で取っ組み合いの大喧嘩を始めてしまったそうです。横にいた千原ジュニアさんもその喧嘩に参戦していました。
すると「お前ら本番前に何ている」などと仲裁を入れたのが加藤浩次さんでした。千原ジュニアさんはヒートアップしていた事から加藤浩次さんとは気づかなかったそうです。
千原ジュニアさんは「加藤浩次さんが100正しいかったけれど、その時はヒートアップしていたから加藤浩次さんと認識せずに「やかましいわ」と言ってしまった」と明かしていました。
千原ジュニアさんと加藤浩次さんが直接喧嘩をしたわけではないのですが、この出来事で「加藤浩次さんと千原ジュニアさんが喧嘩した」との噂が広まってしまったようです。
千原ジュニアの昔(ジャックナイフ時代)のエピソード
最後は千原ジュニアさんのジャックナイフ時代など昔のエピソードを紹介しましょう。先ほどからも紹介していますが、千原ジュニアさんは大阪時代は周囲から「ジャックナイフ」と呼ばれているほど怖いと思われていた芸人でした。
千原ジュニアさんがなぜ「ジャックナイフ」と呼ばれるようになったのか、また岡村隆史さんが明かす千原ジュニアさんの昔のエピソードなどを見てみましょう。
昔のエピソード①あだ名「ジャックナイフ」
7. 千原ジュニア
— ゆり🏓🖤 (@pennu_dish) June 12, 2019
元ジャックナイフ現バターナイフ。大喜利の天才。最近はルミネで月1で千原兄弟でネタやってますので劇場で見れるぞ!見てほしいのはDVD「6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア」のTBSさんのやつ。あれは永遠に見てられる。 pic.twitter.com/FIr3lMgmv7
千原ジュニアさんの昔のエピソード1つ目は「ジャックナイフ」についてです。昔の千原ジュニアさんのあだ名は「ジャックナイフ」と呼ばれていたことは有名ですが、そもそもなぜそのようなあだ名となったのでしょうか?
千原ジュニアさんは2001年のバイク事故で形成手術をしているので現在はそこまで目つきが悪いような顔ではないのですが、事故の前まではかなり鋭い目つきをされていました。人見知りで口数も少なく、さらにそのような顔だったため「ジャックナイフ」と呼ばれるようになったそうです。
昔のエピソード②ジャックナイフ時代の出で立ち
読売テレビのミナミの帝王にカンテレの新ミナミの帝王が出てる笑
— ヨッシー (@TGs62VTQDOJ0fPd) May 5, 2020
萬田はん笑
スーツでサングラス付けたら完璧やん笑#ドラマ #難波金融伝#ミナミの帝王#難波金融伝ミナミの帝王#新ミナミの帝王#竹内力#竹内力さん#ytv#読売テレビ#千原ジュニア#千原ジュニアさん#ktv #カンテレ#関西テレビ pic.twitter.com/snpoML4dTr
千原ジュニアさんの昔のエピソード2つ目はジャックナイフ時代の出で立ちについてです。千原ジュニアさんは当時劇場に来る時など、よくサングラスをかけていたそうです。背も高く目つきも態度も悪かったため、周囲からはマフィアのような感じと言われていたそうです。
昔のエピソード③岡村隆史が悪口?
悲しみを知ってるほど人を喜ばせる事ができる。
— 事務所所属したい (@nrsrd) May 8, 2020
≪岡村隆史(ナインティナイン)≫ pic.twitter.com/Bl535dp9DQ
千原ジュニアさんの昔のエピソード3つ目は岡村隆史さんの悪口についてです。千原ジュニアさんの後輩であるナインティナインの岡村隆史さんは、以前自身のラジオ番組で「千原ジュニアさんは危険人物」と悪口を言ってしまったことがあるそうです。
それを聞いたリスナーがすぐ後に、千原ジュニアさんのラジオにそのことを書いたはがきを送ったようで、千原ジュニアさんはボソッと「しばいたる…」と呟いたそうです。
昔のエピソード④飲食店での出来事
千原ジュニアさんの昔のエピソード4つ目は飲食店での出来事についてです。昔千原ジュニアさんは1階が飲食店のマンションに住んでおり、ある日ベロベロに酔って帰宅したらそこの店員に「宮迫さんと岡村さんが来てます」と言われました。
千原ジュニアさんは先輩である宮迫さんに挨拶をしに行ってから部屋へ帰ったそうですが、後から岡村隆史さんが自分に挨拶していないことでもう一度戻りました。
千原ジュニアさんは岡村隆史さんに「おい、何かおかしない⁈」と言い放ったようですが、岡村隆史さんはしっかり挨拶をしており、千原ジュニアさんは酔っていたから気付かなかっただけだったようで、宮迫さんから怒られたそうです。
昔のエピソード⑤ヒロミからの当時の印象
千原ジュニアさんの昔のエピソード5つ目はヒロミさんからの印象についてです。以前ヒロミさんと千原ジュニアさんが共演された時に、お互いの昔の印象などを語っていました。ヒロミさんは大阪の芸人が東京へ進出するということはすごい奴らだとは思っていたそうです。
ヒロミさん曰く当時バラエティ番組の関係者の間では千原兄弟は評判だったようです。しかし当時はヒロミさんも尖っていたため、「面白い奴ら」という見方ではなく「お前ら、こっちには来させないよ」という風に思っていたそうです。
千原ジュニアの昔は喧嘩も強いジャックナイフ
以上、千原ジュニアさんのプロフィールや経歴とともに、バイク事故についてやジャックナイフと呼ばれていた昔のエピソードなどを紹介しました。千原ジュニアさんは今では怖いイメージよりも、意外とお茶目な部分があり優しいイメージの芸人です。
しかし昔は、喧嘩も強くジャックナイフというあだ名で周囲から恐れられていたことがわかりました。千原ジュニアさんは現在多数のレギュラー番組で活躍されています。今後の活躍にも大いに期待していましょう。