太地喜和子の死因は事故?色気や恋愛がすごい?志村けんなどとの関係は?

太地喜和子さんは26年前に亡くなっているので若い方はご存知ないかと思いますが、独特の雰囲気と色気のある素晴らしい女優さんでした。その太地喜和子さんの恋愛遍歴と志村けんさんとの関係、そして太地喜和子さんの死因についてのお話になります。

太地喜和子の死因は事故?色気や恋愛がすごい?志村けんなどとの関係は?のイメージ

目次

  1. 1太地喜和子のプロフィール
  2. 2太地喜和子の死因は事故?
  3. 3太地喜和子は恋愛遍歴も凄い
  4. 4太地喜和子と志村けんとの関係
  5. 5太地喜和子は霊感が強かった?
  6. 6太地喜和子の死因は伝説的だった

太地喜和子のプロフィール

太地喜和子(たいちきわこ)さんは48歳という若さでこの世を去りました。太地喜和子さん亡き後、太地喜和子さんのような雰囲気そして色気を持った女優さんはいません。不世出の女優太地喜和子さんのプロフィールと経歴をご紹介します。

・愛称:不明
・本名:太地喜和子(たいじきわこ・読み方一文字違い)
・生年月日:1943年12月2日
・年齢:享年48歳(1992年10月13日死去)
・出身地:東京都中野区
・血液型:不明
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:女優
・所属グループ:なし
・事務所:文学座
・家族構成:元夫(秋野太作・俳優)
・出演作品:ドラマ「春の坂道」「風と雲と虹と」「白い巨塔」、映画「花を喰う蟲」「藪の中の黒猫」「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」「皇帝のいない八月」「火まつり」、舞台「ハムレット」「飢餓海峡」「欲望という名の電車」「唐人お吉ものがたり」

太地喜和子の経歴

太地喜和子さんは1943年12月2日に東京都中野区で生まれました。まだ高校生の時に東映ニューフェイスの第6期に応募して合格して東映と専属契約します。デビュー時は志村妙子という芸名でしたが、後に本名と同じ文字で読み方の違う太地喜和子に改名しました。

高校卒業後東映を離れて俳優座養成所15期生に入団しますが、舞台「欲望という名の電車」での杉村春子さんの演技に衝撃を受け、1967年文学座に入団しました。同年日活映画「花を喰う蟲」に主演し、新藤兼人監督に見出されて翌年「藪の中の黒猫」に出演しました。

女優としての活動は順調で、数々のドラマや映画そして舞台で観客を魅了しました。テレビで特に有名なのがフジテレビ系列で1978年6月から1979年1月にかけて放映されたドラマ「白い巨塔」で、映画は17代目マドンナを演じた「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」でしょう。

私生活では1974年に俳優座養成所時代から同期の俳優と結婚しましたが(名前は後述します)、1年も経たずに離婚しています。その後多くの恋愛が話題にのぼりましたが、どれも結婚には結び付きませんでした。


そして1992年10月13日に48歳という若さで急死します(死因は後述します)。親友のカルーセル麻紀さんは舞台上で号泣し、「欲望という名の電車」をずっと演じていて後継者を太地喜和子さんに指名していた杉村春子さんは、とても悲しみ落胆されたとか。

杉村春子さんに心酔していた太地喜和子さんにとって、それはとても申し訳なくも嬉しい事だったのではないでしょうか。

太地喜和子の死因は事故?

2019年の現在から26年と少し前になる1992年10月12日に急逝した太地喜和子さんの死因は伝説になっています。何故太地喜和子さんの死因が伝説になっているかを、この章の最後で解説します。

死因は交通事故による事故死

太地喜和子さんの死因は、交通事故による事故死です。歩いていて車にはねられたとかではなく、乗っていた車が海に転落して溺死してしまったのです。その時太地喜和子さんは静岡県伊東市に舞台「唐人お吉ものがたり」の公演で訪れていました。

そして亡くなった夜は共演していた男優さん2人と伊東の街ではしご酒をしていました。最後に立ち寄ったスナックで太地喜和子さんは「最後に海が見たい」と言って、スナックのママの車に乗って桟橋へ向かったそうです。

「潮の香り最高!」と喜ぶ太地喜和子さん。そこで小雨が降ってきたので、ホテルに帰るために車に乗り込みました。そしてバックした時に運転を誤り、海への転落事故を起こしてしまったのです。

事故の直前に大量に飲酒していた?

事故の時運転していたスナックのママと男優さん2人と同乗していましたが、3人は何とか脱出しました。けれど太地喜和子さんは助かりませんでした。太地喜和子さんははしご酒でかなり飲んでいた上に泳げなかったので助からなかったのだろうと言われています。

事故の状況から伝説の女優と呼ばれる

この死因が伝説となったのは、その時公演していた「唐人お吉ものがたり」のヒロインで太地喜和子さんが演じていたお吉という女性と、生き様と死因に被る部分があまりにも多かったからです。

幼い頃に生母と別れている事、少女期から芸能の世界に身を投じている事、結婚はしてもすぐに離婚してしまっている事、静岡県の水辺で生命を落としている事、それが48歳の時だったという事です。更にお吉の母は「きわ」という名前だったそうです。

また、太地喜和子さんは確かに深酒をしていましたが酒豪なので潰れるほどではなかった事、運転席と後部座席の片側の窓は開いていたので、努力すれば脱出できた筈という事、泳げなかったと言っても元水泳選手の木原美知子さんに指導されて少しは泳げた事など。

事故死にはそういった不可解な点もあったので、唐人お吉に呼ばれたのか、あるいは当時緑内障を患いあと数年で失明の恐れがあると宣告されていた太地喜和子さんの半分自殺だったのではないかと言う人もいます。唐人お吉は世を儚んでの入水自殺でした。

いずれにせよその時太地喜和子さんが静岡県伊東市に訪れていたのがその唐人お吉の公演のためだった、という事が、太地喜和子さんの死因となった事故を伝説にして、太地喜和子さんを伝説の女優にしたのです。

太地喜和子は恋愛遍歴も凄い

太地喜和子さんの死因となった事故は伝説となり、太地喜和子さんは伝説の女優となりましたが、他の面でも太地喜和子さんは伝説の女優と呼ばれています。それは太地喜和子さんの人並み外れた女性としての魅力、一言で言うと「色気」です。

その色気から様々な男性を惹きつけた

太地喜和子さんの持つ色気は、他の女性の追随を許さないほどでした。太地喜和子さんは美しい人ですが、それ以上に色気が現在でも高い評価を受けています。魔性の女とも呼ばれています。

魔性の女の持つその色気に吸い寄せられる男性が後を絶たなかったために恋愛遍歴も多い人でした。太地喜和子さんには数々の恋愛遍歴があります。その中でこれも伝説となっている恋愛がありました。その恋愛を次の項でご紹介します。

三國連太郎との激しい熱愛は有名

太地喜和子さんの恋愛伝説の相手は俳優三國連太郎さんです。太地喜和子さんは恋多き女性でしたが、三國連太郎さんも恋多き男性で4回結婚をしています。女性がとても好きな方で多くの女優さんと熱愛報道をされています。

けれどその三國連太郎さんが後年語っています。「今までで惹かれた女優さんは1人だけです。太地喜和子さんだけ」と。そして太地喜和子さんも「本当に愛した人は三國さんだけ」と公言しているのです。

そんな2人は太地喜和子さんが19歳、三國連太郎さんが39歳の時に出会い、すぐに恋が始まりました。妻子のいる三國連太郎さんが太地喜和子さんの家に来て数ヶ月間同棲生活を送ったのです。けれど三國連太郎さんが太地喜和子さんの元を去る形で恋は終わります。

10年後に女性週刊誌の企画で2人の対談企画が組まれ、どうしてあの時自分から逃げたのかと太地喜和子さんに聞かれた三國連太郎さんは、太地喜和子さんに溺れていく事が嫌だったと答えています。そういったところも含めて伝説の恋と言われているのです。

秋野太作や中村勘三郎とも熱愛の噂

数多くの恋愛遍歴のある太地喜和子さんは、1度だけ結婚しています。相手は俳優座養成所時代から同期だった俳優の秋野太作さんです。けれど2人は8ヶ月で離婚してしまいました。そしてその後太地喜和子さんは当時19歳だった18代目中村勘三郎さんと出会います。

色気のすごい女性だと思っていた太地喜和子さんが付き合ってみると男性のようにさばさばとしたきっぷの良い女性だった事で、中村勘三郎さんはすぐに夢中になってしまいます。けれど3年付き合った後、太地喜和子さんが身を引く形でこの恋は終わりました。

太地喜和子さん事故死の知らせに中村勘三郎さんは声を上げて泣いたそうです。太地喜和子さんは、他にも7代目尾上菊五郎さんや映画監督で俳優でもあった伊丹十三さんとも恋愛していた恋多き女性でした。けれど最も愛していたのは三國連太郎さんなのでした。

太地喜和子と志村けんとの関係

太地喜和子さんが恋愛の噂を立てられたのは前の章でご紹介した方達だけではありません。志村けんさんとも恋愛の噂があったのです。太地喜和子さんのような色気のある女優さんと志村けんさんとの組み合わせは、ちょっと意外に感じる方もいらっしゃるかも知れません。

太地喜和子は志村けんの大ファン

太地喜和子さんと志村けんさんの馴れ初めは、太地喜和子さんが志村けんさんの大ファンだった事です。その事から太地喜和子さんと志村けんさんは近づき、親交を深めていったのです。

番組内でもコントで共演する仲に

太地喜和子さんは志村けんさんと親交を深めた結果、バラエティで志村けんさんと何度も共演するようになりました。そしてコントにも挑戦するようになっていきました。さすがは女優さんですね。

喜劇への出演経験もある太地喜和子さんですが、舞台などの喜劇とバラエティ番組のコントはちょっと毛色が違います。太地喜和子さんのような色気のある女優さんがコントをするギャップで、ますます太地喜和子さんのファンが増えたようです。

志村けんと熱愛の噂もあった?

恋多き女性が親しくしている同年代の男性、という事で、当然のように太地喜和子さんと志村けんさんにも恋愛報道がありました。それについてご本人達がどう反応したのかは不明です。

そして2人の恋愛の噂の真相がどうだったのかも不明です、何故ならその後太地喜和子さんが事故死してしまったからです。実際2人はどういう関係だったのでしょうね。改めて見るとお似合いなので、恋愛関係があったと言われてもすんなり納得できるのですが。

太地喜和子は霊感が強かった?

太地喜和子さんは色気と共に一種独特の不思議な雰囲気を持った女性でした。太地喜和子さんに霊感があるという噂が生まれたのはそのせいもあるかも知れません。実際はどうだったのでしょう。太地喜和子さんに霊感はあったのでしょうか。

霊感が強かったという噂が浮上

霊感の強い芸能人は多いです。衆目に晒され歌ったり踊ったり別人に扮したりと言った特殊な職業なので、特殊な感性が磨かれやすいのかも知れません。また生まれながらに霊感を持っているためにそういった職業に就きやすいというのもあるでしょう。

太地喜和子さんをネットで検索すると「太地喜和子 三國連太郎」という検索結果と「太地喜和子 ホロスコープ」「太地喜和子 霊感」というワードが出てきます。太地喜和子さんが霊感が強かったと思っている人が多いのです。

噂のきっかけは生前の発言や行動

太地喜和子さんの霊感が強いという噂が生まれたきっかけは、太地喜和子さんの生前の発言や行動によるものでした。たとえば1985年に上映された柳町光男監督の映画「火まつり」の撮影現場では、太地喜和子さんが共演の安岡力也さんと以下のような会話を交わしていたそうです。

安岡力也さん「おい喜和子…連れてきたな?」太地喜和子さん「うん。私の周りにいるよ」と。安岡力也さんも霊感のある方だったようですね。

水が怖いのも霊感が強かったから?

太地喜和子さんと安岡力也さんがそういった会話を交わしていた映画「火まつり」の撮影現場は、川のふちや小舟の上などの水に関わるシーンが多かったのですが、太地喜和子さんは「水が怖い」とおっしゃっていたそうです。

勿論監督にはそんな感情は見せず、撮影も無事に終了させましたが、スタッフには小声で何度も「水が怖い」と言っていた太地喜和子さん。その怯え方は何か得体の知れないものを感じているようだったとか。

太地喜和子さんが水を怖がっていたのは泳げないからでなく、持って生まれた霊感で水辺にいる霊が見えていたから、あるいはやがて水死する自分の運命を感じていたから、と言う人もいます。そういった不可思議なエピソードが似合う女優さんでした。

太地喜和子の死因は伝説的だった

伝説の女優太地喜和子さんの死因は伝説的なものでした。きっとこの伝説的な事故は後々まで語り継がれる事でしょう。けれど、それだけで太地喜和子さんが伝説の女優と言われている訳ではありません。

太地喜和子さんは生きていらっしゃれば70代半ばです。女優として輝かしい活躍をして更にキャリアを積み、積み上げたその実績によって生きている間に伝説の女優と呼ばれていたのに間違いありません。

私生活では1974年に1度結婚しただけで、恋愛はしても結婚はせずに生涯独身を通しました。「私はサービス精神がある限り、見ている人にこの人は帰ったら所帯があると思わせてはいけない」とご自分の信条を語っていました。

そういった女優としてのプロ魂のある方だからこそ、伝説の女優となられたのです。太地喜和子さんが48歳の若さで早世された事は本当に残念でなりません。太地喜和子さんの魂が安らかでありますよう、心からご冥福を心からお祈りします。

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この記事のライター
fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

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