大道寺あや子は現在釈放されて逃亡生活中?逮捕理由や事件とは

大道寺あや子は新左翼武装組織・東アジア反日武装戦線の元メンバーであり、多くのテロ活動や「三菱重工ビル爆破事件」などの犯人として有名です。その大道寺あや子は現在どうしているのでしょうか?彼女が関わった事件、日本赤軍との関係、逮捕理由などについて調べてみました。

大道寺あや子は現在釈放されて逃亡生活中?逮捕理由や事件とはのイメージ

目次

  1. 1大道寺あや子のプロフィール
  2. 2大道寺あや子は美人の国際指名手配犯
  3. 3大道寺あや子は東アジア反日武装戦線「狼」の元メンバー
  4. 4大道寺あや子が事件を起こした経緯
  5. 5大道寺あや子は旦那に協力させられただけ?
  6. 6大道寺あや子の現在は?
  7. 7大道寺あや子の消息は現在も関心が高いが不明

大道寺あや子のプロフィール

愛称:アサカワ(コードネーム)
本名:大道寺あや子(旧姓・駒沢)
生年月日:19848年10月20日
年齡:70歳(2019年5月時点)
出身地:不明
血液型:不明
身長:不明
体重:不明
活動内容:不明
所属グループ:不明
事務所:不明
家族構成:大道寺将司(夫)
出演作品:不明
 

大道寺あや子の経歴

大道寺あや子(旧姓・駒沢)は、大学に推薦入学を果たし、そこで社会活動に参加していた頃に、高校時代の同級生・大道寺将司から新左翼武装組織の研究会に勧誘され、その後は大道寺将司と結婚し、名前が大道寺あや子となります。彼女は夫である大道寺将司が設立した東アジア反日武装戦線に入り、1974年には「三菱重工ビル爆破事件」を起こします。

しかし翌年には犯人の一味として逮捕されます。しかし1977年に日本赤軍が起こした「ダッカ日航機ハイジャック事件」において、人質になった乗客を助けるという理由から、超法規的措置によって釈放。その際に出国してからは、今に至るまで行方はわかっておらず、国際手配が続いています。

大道寺あや子は美人の国際指名手配犯

上の画像は大道寺あや子が犯人として捕まったときの写真です。当時は美人のテロリストということで話題になりました。現在は行方不明で国際手配を受けていますが、彼女が起こした事件はどのようなものだったのか?そしてどのような理由で逮捕されたのか?そのあたりを詳しく書いていきます。

大道寺あや子は三菱重工ビル爆破事件の犯人

大道寺あや子は、1974年に起こった三菱重工爆破事件の犯人の1人です。この爆破事件では多くの死傷者を出しました。それではこの事件の詳細を書いていきます。

三菱重工ビル爆破事件とは

「三菱重工ビル爆破事件」は1974年8月30日、午後0時45分に起きました。三菱重工業東京本社ビル1階部分が時限爆弾で破壊され、その衝撃でそのビルの9階部分までのガラスが全て割れ、その破片は表通りに降り注ぎました。爆弾の爆風とガラスの破片などにより、死者8人、重軽傷者393人を出すという大惨事となりました。

 

犯人は4人で旦那も共犯

三菱重工爆破事件の犯人は、大道寺あや子の夫である大道寺将司、佐々木規夫、片岡利明、そして大道寺あや子です。この4人は東アジア反日武装戦線「狼」の中心メンバーでした。

逮捕されるも釈放され海外に逃亡

4人は1975年5月19日に一斉に逮捕されました。東京地検は6月28日に起訴し、その後、裁判が始まりました。しかし佐々木規夫は日本赤軍が起こした「クアラルンプール事件」で、大道寺あや子は「ダッカ日航機ハイジャック事件」で超法規的措置で釈放され、海外に逃亡しました。

大道寺あや子は東アジア反日武装戦線「狼」の元メンバー

大道寺あや子は、テロリスト集団である東アジア反日武装戦線「狼」のメンバーでした。東アジア反日武装戦線とはどのようなグループで、どのような活動をしていたのか、調べてみました。

東アジア反日武装戦線「狼」は新左翼武装組織

東アジア反日武装戦線は、大道寺将司が法政大学文学部史学科に在学中に結成した「Lクラス闘争委員会」が源流となります。東アジア反日武装戦線は「狼」「大地の牙」「さそり」の3派に分かれており、大道寺あや子は「狼」に所属していました。

このグループは反日亡国論やアイヌ革命論などを主張する武闘派左翼であり、捜査機関は「極左暴力集団」と呼んでいました。

大道寺あや子も旦那も中心メンバー

東アジア反日武装戦線は、設立者である大道寺将司はもちろん、妻である大道寺あや子も参加しており、グループの中でも中心メンバーとして活動していました。

大道寺あや子の旦那・大道寺将司とは

東アジア反日武装戦線の設立者で、大道寺あや子の夫である大道寺将司とは、どのような人物だったのでしょうか?北海道出身の彼は、1948年生まれで大道寺あや子と同い年。

小学生の頃から政治に関心のあった大道寺将司は、高校に入学した頃から様々なデモに参加するようになります。法政大学に入学した彼は、「Lクラス闘争委員会」を作りますが、その後は大学を中退。しかし片岡利明らLクラス闘争委員会のメンバーと、新左翼武装組織の研究会を結成しました。

その後、研究会はゲリラ闘争の集団となり、それが後の東アジア反日武装戦線となっていきます。そして昭和天皇暗殺未遂事件(虹作戦)や三菱重工爆破事件などを起こします。三菱重工爆破事件の犯人として、妻の大道寺あや子とともに逮捕された大道寺将司は起訴され、1987年3月24日に死刑判決を受けます。

しかし妻の大道寺あや子が「ダッカ日航機ハイジャック事件」で超法規的措置で釈放され、「三菱重工爆破事件」の裁判が終了していなかったために、死刑執行はされませんでした。そして死刑囚となっていた大道寺将司は、2017年5月24日に収監中の東京拘置所で多発性骨髄腫によって病死しました。

大道寺あや子が事件を起こした経緯

ここからは大道寺あや子がどのような経緯で「三菱重工ビル爆破事件」の犯人となり、国際的手配を受けるまでのテロリストとなっていったのか?そのあたりを書いていきます。

学生時代は優秀で人気者だった大道寺あや子

大道寺あや子(当時は駒沢あや子)は、北海道釧路湖陵高等学校出身です。彼女は成績は優秀、そしてスピードスケート部に所属していて、そこでの活躍を認められ卒業生総代まで務めるほどの人気者だったようです。

星薬科大学に進学し社会活動に熱中

星薬科大学に推薦入学した大道寺あや子は、ワンダーフォーゲル部に所属しながら自治会活動や、授業料値上げ闘争などに参加していました。

高校の同級生だった旦那に誘われ新左翼武装組織の研究会に

そんなときに、高校時代の同級生だった大道寺将司に勧誘されて、新左翼武装組織の研究会に参加します。その後2人は交際を始めて、やがて同棲することになります。

大学卒業後は薬剤師として病院に就職し結婚

大道寺あや子は大学卒業後に薬剤師となって病院に働き始めます。その後、大道寺将司と結婚し、爆弾の材料を調達するために都内の試薬会社に転職します。そこでの大道寺あや子の勤務態度は真面目で、評判もよかったそうです。しかし彼女が試薬会社に就職した理由は、爆弾の材料を調達するためだったと思われます。

 

夜は旦那と爆弾づくり?

大道寺あや子は、昼間は試薬会社で薬剤師として働くかたわら、夜は夫の大道寺将司と爆弾を作っていたそうです。そして1971年、大道寺あや子が23歳のときに自家製爆弾の最初の実験が行われます。

コードネーム「アサカワ」として1974年に事件を起こす

大道寺あや子の組織でのコードネームは「アサカワ」と呼ばれていました。理由は大道寺あや子が歌手の浅川マキさんのファンだったからだそうです。そして1974年、「三菱重工ビル爆破事件」を起こします。

大道寺あや子は旦那に協力させられただけ?

その後、1975年に大道寺あや子は「三菱重工ビル爆破事件」関連の犯人として逮捕されますが、当時は「従犯扠せられていただけでは」と思われて、世間では同情する声が多数あったようです。

美人で勤務態度も良かったからと同情する声が多数

世間からなぜ同情されたのか?その理由は大道寺あや子の職場であった試薬会社での、彼女の勤務態度や評判が良かったこと、なおかつ夫である大道寺将司の狂信的な思想が浮き彫りになったからのようです。

獄中で東アジア反日武装戦線「大地の牙」浴田由紀子との法廷闘争

逮捕された東アジア反日武装戦線「狼」のメンバー・大道寺あや子ら、そして東アジア反日武装戦線「大地に牙」のメンバー・浴田由紀子らは、裁判を受けることになりますが、「狼」と「大地の牙」は別々で裁判をすることになりました。しかし彼女らそれを拒否します。

そして獄中でハンガーストライキを起こし、獄外では支援団体がデモや集会を起こすなど、いわば「法廷闘争」なるものが行われました。

浴田由紀子とは

「大地の牙」の浴田由紀子は、山口県出身で大道寺あや子とは2歳ほど年下でした。もともと学生運動とは無縁でしたが、21歳のときに高校時代の同級生が逮捕されたことがきっかけとなって運動を始め、後に「大地の牙」のリーダーになる斉藤和と出会うことになります。

そして1974年の「三菱重工ビル爆破事件」や同年8月から翌年の5月まで起こった「連続企業爆破事件」などに関与。そして1975年5月19日に、当時同棲していた斉藤和とともに逮捕されました。ちなみに斉藤和は逮捕直後に自ら青酸カリを飲んで自殺しています。

1977年突然釈放された大道寺あや子

1975年5月19日に「爆発物取締罰則」によって逮捕された大道寺あや子ですが、1977年に起こったある事件を理由に突然釈放されることになります。

釈放のきかっけは日本赤軍の起こした「ダッカ日航機ハイジャック事件」

その事件は「ダッカ日航機ハイジャック事件」です。これは重信房子が設立した審査特計団体「日本赤軍」が、身代金と同じ左翼団体の「東アジア反日武装戦線」のメンバーを釈放させるのを目的に起こした事件です。

ダッカ日航機ハイジャック事件とは

1977年9月28日、犯人である日本赤軍メンバーの丸岡修ら5人が、パリ発東京行きの日航機をハイジャックします。飛行機に乗り込んでいた彼らはバングラデシュの首都ダッカに強制着陸させて、身代金600万ドルと、日本で服役している9名の日本赤軍メンバーの釈放を要求しました。

超法規的措置により釈放され海外に逃亡

当時の総理大臣・福田赳夫は「1人の生命は地球より重い」と述べ、乗客らの安全を優先するという理由から、身代金の支払いと日本赤軍および、同士メンバーを加えた9人の超法規的措置による釈放を断行しました。釈放された大道寺あや子はその後出国し、海外への逃亡を成功させました。

大道寺あや子の現在は?

海外へ逃亡した大道寺あや子は、現在どうしているのでしょうか?海外に逃亡してから、今に至るまでの経緯などを調べてみました

現在の年齢は70歳を超す大道寺あや子

海外に逃亡した大道寺あや子の行方は、今現在わかっていません。1948年生まれの大道寺あや子は、もし生きていれば現在70歳ということになります。

裁判は公判停止中で現在も国際指名手配中

起訴され、裁判中だったときに「ダッカ日航機ハイジャック事件」で釈放されたため、今現在は公判が停止されている状態です。もちろん海外逃亡しているために、現在も国際手配され続けています。

1999年に香港で重信房子と接触していた

調べによると、大道寺あや子は1999年に香港において、日本赤軍の最高幹部だった重信房子と会合を持ったことが確認されています。

重信房子とは

重信房子は1945年9月28日生まれの現在73歳。日本の新左翼活動家という肩書を持ち、元赤軍派の中央委員、日本赤軍の設立者の1人であり、元最高幹部でもあります。

父親である重信末夫が右翼団体にいたことから、その影響で幼い頃から社会活動に従事していました。高校卒業後はキッコーマンで働きながら、小学校の教員になるべく、明治大学文学部史学地理学科の夜間コースに通っていました。

 

学費の値上げなどを理由に始まった「明大闘争」に参加した重信房子は、後に「連合赤軍山岳ベース事件」でリンチ殺人の犠牲になる赤軍派メンバー・遠山美枝子と知り合います。そして新左翼党派であった「共産主義者同盟」に参加することになります。

その後、分裂した「共産主義者同盟赤軍派」の創立メンバーに加わります。1971年には奥平剛士らとともに、潜伏していたパレスチナで日本赤軍を結成。最高幹部になった重信房子はパレスチナの極左過激派である「パレスチナ開放人民戦線」と連携し、「ダッカ日航機ハイジャック事件」や「テルアビブ空港乱射事件」などを起こしました。

その後もオランダのデン・ハーグにあるフランス大使館での籠城事件「ハーグ事件」などを起こし、国際的に非難を受けますが逃亡を続けていました。
 

日本赤軍は2001年に重信房子により解散

しかし2000年11月8日、潜伏していた大阪府高槻市において旅券法違反容疑で逮捕され、その翌年に獄中内から、日本赤軍の解散を発表しました。

重信房子は「ハーグ事件」に関与していたとして、逮捕監禁罪・殺人未遂罪などの共謀共同正犯で起訴されます。2006年2月23日に懲役20年の判決を受け、重信房子の娘・メイが控訴しますが、その後棄却され、2010年7月15日に刑が確定しました。

大道寺あや子の現在の消息は不明

極左翼組織のメンバーの多くが捕まったり、自殺したりしていますが、今なお大道寺あや子の行方はわかっていません。彼女以外の主要メンバーは今現在どうしているのか?ここまで書いてきたことも含めて、まとめてみました。

旦那やほかの共犯者の現在は?

東アジア反日武装戦線の「狼」のリーダー格で、大道寺あや子の旦那である大道寺将司は2017年5月24日、多発性骨髄腫によって東京拘置所内で死亡。メンバーだった佐々木則夫は大道寺あや子とともに国外逃亡中で行方不明。片岡利明は1987年3月24日に死刑が確定し、現在は東京拘置所に収監中。

「大地の牙」メンバーの浴田由紀子は大道寺あや子とともに釈放され、国外逃亡しましたが、1981年にルーマニアで身柄を拘束され、2002年に懲役20年の判決を受けました。2017年に刑期満了で釈放された後、「えきだゆきこ」のペンネームで作家デビューを果たしています。

 

浴田由紀子の内縁の夫・斉藤和は1975年5月19日の一斉逮捕の際に、青酸カリで自殺。「ダッカ日航機ハイジャック事件」を起こした丸岡修は1987年11月21日に逮捕され、1993年に無期懲役の判決を受けます。そして2011年5月29日、八王子医療刑務所で心臓病のために死亡。

重信房子と一緒に「日本赤軍」を設立した奥平剛士は、1972年に自ら起こした「テルアビブ空港乱射事件」で、空港警備隊との銃撃戦によって死亡し、偽装結婚で戸籍上の妻である重信房子は、73歳になった今でも勾留中となっています。

大道寺あや子の消息は現在も関心が高いが不明

大道寺あや子が関わった事件や、逮捕理由などについて書きましたが、いかがだったでしょうか?左翼武装組織に入り、「三菱重工ビル爆破事件」関連の犯人として一度は捕まったものの、人質救出を理由に超法規的措置で釈放されて国外逃亡。その後の消息はわかっていない状態です。

まだ国外にいるのか?それとも国内でひっそりと暮らしているのか?今まで何をして暮らしてきたのかなど、それらがいつか明らかになる日は来るのでしょうか?

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