【フリッツル事件】概要と24年間監禁された娘と犯人の父のその後

フリッツル事件。オーストラリアで発覚した実父が娘に対して行った前代未聞の24年にも及ぶ凶悪監禁と強姦事件です。2008年4月に発覚しました。全世界をも震撼させたほかに類を見ない、多くの映画などの原作にもなっているこのフリッツル事件の詳細について紹介します。

【フリッツル事件】概要と24年間監禁された娘と犯人の父のその後のイメージ

目次

  1. 1フリッツル事件とは
  2. 2フリッツル事件の概要
  3. 3フリッツル事件の関連人物をおさらい
  4. 4フリッツル事件の裁判と判決
  5. 5加害者ヨーゼフ・フリッツルの生い立ち
  6. 6エリーザベト・フリッツルのその後
  7. 7フリッツル事件は実娘を監禁・強姦した悲惨な事件

フリッツル事件とは

フリッツル事件とは、オーストラリアで2008年4月に発覚した過去に類を見ない凶悪な犯罪に付けられた事件の名前です。

オーストラリアの実娘監禁・強姦事件

2008年に発覚したということで、それほど昔のことではなくいまだ人々の記憶に鮮明の残るフリッツル事件。発覚してからは連日報道され、明らかにされた事件の壮絶さに多くの人が心を痛めました。

実父に24年間監禁され7人の子供を出産させられる

フリッツル事件とは、24年間にも及び、父親が実の娘を地下牢に監禁し、強姦を繰り返し、7人もの子供を妊娠・出産させていたというものです。概要だけ見てもそのおぞましさが想像されます。実の父親が娘を24年間も監禁し、強姦したあげく7人もの子供を産ませたとはどのような事件だったのでしょうか?

犯人である父親と娘の間にはいったい何があったのでしょう?また実の母親はどう事件にかかわっていたのでしょうか?さらに娘はどのように24年間もの間過ごしていたのでしょう?出産させられた子供たちはどんな状態だったのか、事件はどのように発覚したのかについても詳しく調査しました。

逮捕に至った経緯はや裁判はどのように行われたのでしょうか?また、どんな判決が下されたのでしょう?

犯人である父が逮捕され、その後、被害者である娘や子供たちはそのように過ごしているのでしょうか?このフリッツル事件で負わされた傷は簡単に癒えるものではなく、その後がどうなっているのかも心配です。

あまりの凶悪さゆえに、このフリッツル事件はその後、映画など多くの作品にも取り上げられています。多くの関心が寄せられたフリッツル事件の概要、犯人と被害者を取り囲む関連人物について、またフリッツル事件の裁判や判決、事件のその後を紐解いてみたいと思います。

フリッツル事件の概要

フリッツル事件は、2008年に発覚した、父が娘を24年間も地下牢に監禁し、強姦を繰り返し、7人もの子供を出産させたという犯罪です。犯人が父親で被害者が娘というだけで痛ましいものですが、この事件の凶悪さは史上最悪ともいえるでしょう。まずは、フリッツル事件を把握するために概要から見ていきましょう。

エリーザベト・フリッツルが24年間父に監禁される

フリッツル事件の被害者はエリーザベト・フリッツル。犯人はヨーゼフ・フリッツルで実の父親です。娘は実の父親に24年もの間、自宅の地下室に監禁されました。またその地下室では連日、父親が実の娘を強姦するというおぞましい近親相姦が繰り返されていました。

おぞましいフリッツル事件の始まりは1984年8月29日だと言います。ある日、父親は娘に地下室にドアを運び込ませる手伝いを言いつけます。そのドアは娘を地下室に閉じ込めるためのドア。そうとも知らず娘は父と共にドアを地下室に運びました。

父はドアの長さを図る為、娘にドアを支えるように言いました。やがてそのドアはピッタリ地下室を閉ざします。その時、父は娘の顔にタオルを投げました。そのタオルにはエテールが染み込ませてあり、娘は意識を失い、自らが運び込んだドアによって地下室に閉じ込められました。

娘が気が付くとそこは暗い地下室の中。翌日になり父がそこを訪れますが、その手にはチェーンが握られていました。チェーンによって縛られ、実父に強姦されます。そしてその生活はなんと24年間も続きました。フリッツル事件の始まりです。

娘が監禁されたのは18歳の時。地下室に父が訪れ娘を強姦するという生活は3日に一度のペースで繰り返されました。フリッツル事件が発覚し、犯人である父が逮捕された時、被害者である娘はすでに42歳。気の遠くなるような地獄の日々でした。

地下室は監禁のために作られた?

フリッツル事件の舞台となった地下室ですが、犯人である父によって、計画的かつ意図的に作られた監禁を明らかな目的として作られたものでした。18歳の娘を監禁する為、父は実に3年もの月日をかけて入念にこの地下室を改造していたといいます。

ヨーゼフ供述の地下室

フリッツル事件の舞台となった地下室ですが、そこに通じる扉は隠し扉となっていました。また隠し扉を抜けても地下室にたどりつくまでには8枚ものドアを通る必要があり、そのドアにも何重にも鍵がかけられていました。

家族にさえも気づかれないように作られた監禁用の地下室。電気は通っていて明かりは付けられたようですが窓はなく空気の引き込み口は1つだけでとても息苦しい空間で外の様子は全く分かりません。天井の高さは170cmほどしかなく強い圧迫感を感じさせます。

しかし、その内部は驚くべきことに、トイレ、洗面台が備え付けられていました。また生活に必要な冷蔵庫やホットプレートまでもが最初から置かれていたのだそうです。そういったことからも明らかに監禁目的、しかも長期間を見越しての地下室であったことがわかります。フリッツル事件は計画的に仕組まれたものでした。
 

目が覚めて閉じ込められたとわかった娘は、パニックに陥りました。ドアに何度も体当たりをしたり、声を上げたり、すぐ手の届く高さの天井を引っかいたり、ものをぶつけたり...しかし何の変化も起こりません。やがてその爪は剥がれ、手は血まみれになりました。

そんな最悪な状況に訪れる変化と言えば、自分を強姦するためにチェーンを手に訪れる監禁の張本人である父。外に出ることもかなわない状況で、皮肉にも父は強姦のタイミングで日用品や食事を運んでくれる人物でもありました。

その頻度は3日ごとだったということで、環境も悪く、食事も十分ではなかったことは想像に難くありません。反抗すればその食事すらも抜かれることもあったと言います。長い年月の中で娘は犯人である父に絶対的に服従するしか生きる道はありませんでした。

窓もなく、夜なのか昼なのかの外の様子も分からない、小さな空気穴がたった一つだけあるだけ。地下室は悪臭だけが漂い、虫やネズミが出ることも当たり前という粗悪な環境。父の強姦をひたすら待つだけの日々。誰も助けてくれる人はいなかったのでしょうか。

母親が警察に娘の失踪届を提出

このフリッツル事件は自宅の地下室で24年間にも及んで行われてきた監禁・強姦事件ですが、驚くべきことに被害者の母、犯人の妻である母はその存在に気付くことなく生活を送っていたのです。そんなことがありえるのかとこの点もフリッツル事件をより印象付けることとなりました。

母はある日突然姿を消した娘の失踪届を警察に提出しています。しかし、娘は夫によって地下室に監禁されています。母が気づかなかったということは本当に驚きですが、この失踪届で娘が地下室から救出されるには至りませんでした。

実はフリッツル事件が始まるおよそ1年半前、16歳だった娘のエリーザベト・フリッツルは家出をし、3週間近く経って警察に発見されるという出来事を起こしていました。その時は家から逃げ出してウィーンに移り住んでいたのでした。

しかし、心配していた母親ですが失踪届を出したその後一か月ほどして状況は変わります。娘から一通の手紙が警察に届いたからでした。その手紙の筆跡は紛れもなく失踪したエリーザベト本人もの。

書かれていた内容は「両親(家族)にうんざりして家出した」「友達と一緒に暮らしている」と近況を知らせるもの。消印は遠く離れたブラウナウ・アム・インを示していました。また、自分を探すようなら国を出るとも書かれていたのでした。

同時に犯人である父は、警察に娘が狂信的な宗教団体に入った可能性が高いということを伝えました。真相は監禁中の娘に無理やり犯人である父が書かせた手紙だったのですが、以前に起こした家出の件や、両親の証言、何より本人の直筆の手紙によりフリッツル事件は長期にわたり、警察によって積極的に解決されることはありませんでした。

母にとっても手紙が来たことで娘の失踪は納得のいくものなってしまったというのも特筆すべきでしょう。一度目の失踪届が出された家出の原因でもあったと思われますが、父は監禁前から娘に強姦を繰り返しており、母はそれを知っていたといいます。

また中学を卒業したばかりの娘は父にウェイトレスになる為の訓練に通わされていました。自分を守ってくれるはずの父に強姦され、働くことを幼くして強要されたエリーザベト・フリッツル。家出を企てるというのはある意味自然なことだったといえるかもしれません。フリッツル事件の背景は複雑です。

父を止めることもなく、娘を助けることもなく静観していたという母。そんな状況の中、届いた娘の手紙。母もやがて娘の捜索には意欲的に動くことはなくなっていたと思われます。そんな状況もすべて犯人である夫が作り上げていたのに、です。

フリッツル事件の直接の犯人は父親ですが、娘の母がそのような人物であったことも事件をより深刻化させる原因であったという人も少なくありません。

父親による強姦(近親相姦)で7人の子供を出産

24年間もの間、監禁され強姦を繰り返されていたエリーザベト・フリッツルですが、その間に7人もの子供を出産していました。強姦によってできた子供です。

ただでさえ、狭く劣悪な環境の地下室に閉じ込められ、3日に一度という父による強姦を待つだけの日々。実の父の子を宿したと気づいたエリーザベト・フリッツルの絶望は計り知れません。そればかりか、そんな環境の中、一人で子供を産み落としたのでした。

普通の妊娠・出産でさえ多くの女性が不安を抱え、その苦痛は壮絶ですが、エリーザベト・フリッツルの場合は比較にもなりません。そしてその妊娠・出産はなんら状況を変えることなく、そればかりか7人もの子供が生まれるに至ったということはより状況を悪くしていたと思われます。

母として子供を育てるエリーザベト・フリッツルの環境は暗くて悪臭が立ち込める地下室です。そんな中、子供がいるすぐそばで強姦は繰り返されます。監禁されたほどなく、エリーザベト・フリッツルは自分の精神を安定させるため、自分はピクニックに来ているのだという妄想を繰り返したのだそうです。

しかし、そんな妄想がエリーザベト・フリッツルを助けたのも24年というフリッツル事件の中で見ればほんの序盤だけのこと。強姦が繰り返される日々の中、計り知れない妊娠・出産の苦痛の日々。幼い子供たち。しかしエリーザベト・フリッツルは母として子供を懸命に育てていました。

日も当たらず、食事も満足にない地下室では当然健康でいられるはずがありません。青白くやせ細りしょっちゅう病気にかかっていたといいます。そんな中エリーザベト・フリッツルは犯人である父に治療を懇願しますが、与えられたのは市販の風邪薬や咳止めといった程度でした。

7人の子供もまたこのフリッツル事件の被害者ともいえる人物たちでしょう。7人の子供は上から、女の子3人、男の子が4人でした。しかし事件が発覚したその後、助け出されたのは6人。一人は生まれて間もなく死亡していたのでした。

7人の子供のうち、6人がその後助け出されていますが、全員がずっとフリッツル事件の最中、地下室で暮らしていたわけではありません。長女ケルスティン、長男シュテファン、三男フェリックスは母であるエリーザベト・フリッツルとともに地下室にいましたが、他の3人は違ったのです。

この点もこのフリッツル事件の常軌を逸していると言われるゆえんなのですが、次女リザと三女モニカ、次男のアレクサンダーは養子として、犯人である父が養子として妻に育てさせていたのです。フリッツル事件には関与していないとされている母ですがそんなことがありえるのでしょうか。

実はこの3人の子供たち、生後間もなく失踪した娘が育てられないからと自宅の前に放置していたのだと犯人である父が妻に説明し、養子として迎え、普通に育てていました。

話を戻しますが、相変わらず地下室に残されたままのエリーザベト・フリッツルと3人の子供たち。当然ながら健康状態は最悪でした。重度の栄養失調、ビタミンDの欠乏症。そして地上で暮らしていた3人もですが生まれながらにして近親相姦のため先天的な疾患を抱えていました。

そんな中、誰かが重篤な病気にかかることは必然と言えることだったかもしれません。長女のケルスティンがある日、突然意識を失ったのです。

長女ケルスティンを病院へ

24年間もの間、地下室に監禁されていたエリーザベト・フリッツルですが、娘のケルスティンが突然意識を失い、父で自分を監禁し強姦を繰り返した父にケリスティンを病院に連れて行ってくれるように懇願します。よほど切迫した状況だったのでしょう。父もそれを了承し、ケリスティンを病院へと連れていきました。

この時エリーザベト・フリッツルは、娘のケルスティンを外に運び出す手伝いをして、24年ぶりに地下室の扉の外へ出ることが出来ました。本当に久しぶりの外の世界を見たエリーザベト・フリッツル。しかし、ケルスティンは救急車で運ばれることになり、エリーザベト・フリッツルはほどなく地下室へ連れ戻されたのでした。

医師がエリーザベトのメモを発見し事件発覚

このことが、長いフリッツル事件を終息させる大きな転機となりました。エリーザベト・フリッツルは病院に搬送される娘のポケットに「助けて」と書いたメモを忍ばせていたのでした。24年もの間、監禁されて精神的にも肉体的に完全に父に組み伏せられていたエリーザベト・フリッツルですが、やはりそんな生活からの脱却の機会をうかがっていたのでしょう。

ささやかと言えばささやかな行動ですが、そのメモがケルスティンを担当した医師によって発見されたことにより、ようやく長く凶悪なフリッツル事件が終息に向かうことになるのです。

まず、意識を失った長女のケルスティンの病状は、重篤な肝不全と診断されました。命に係わるほどだったといいます。生まれながらに近親相姦で生まれた子供たちは先天的・遺伝的な疾患を患っていましたが、中でも長女のケルスティンの状態は深刻でした。

ろくな治療が受けられないばかりか、生まれてからずっと地下室に監禁され、食事も運動もまともにできず、精神的にも良いと思われる要素が何もなく、虐げられる母に寄り添って生きるのみの子供では無理もないでしょう。

エリーザベト・フリッツルにとっては子供の命を救うために、藁にも縋る思いで、「助けて」というメモをポケットに忍ばせたのでしょう。それは幸運にも医師の目に留まりました。そして、医師は後ほどやってきた犯人である父ヨーゼフから話を聞き、ケルスティンが病院に来てから2日後に警察に通報をしたのでした。

父・ヨーゼフがケルスティンについて娘であるエリーザベト・フリッツルから託されたというノートを渡します。その中には母が失踪届を提出してほどなくして届いた父が無理やり書かせた手紙と同じような内容が記されていました。

警察の捜査によりヨーゼフ・フリッツル逮捕

しかし、ケルスティンの担当医師はその父の様子や説明、託されたノートに納得がいかず、ケルスティンのポケットから見つけた「助けて」というメモのこともあり、警察に通報をします。ようやく長いフリッツル事件が解決に向けて動き出しました。

しかし、ここからフリッツル事件が明るみに出て、犯人が逮捕され、エリーザベト・フリッツルたちが解放されるまでにはまだまだ大騒ぎが待ち受けていました。犯人である父・ヨーゼフによるとエリーザベト・フリッツルは失踪していることになっているので、警察により大規模な捜索が開始されたのです。

警察の捜索に伴い、テレビや新聞などでも大々的に報道が始まり、このように、のちにフリッツル事件と呼ばれるこの事件は、人々の知ることとなったのです。最初は重体の娘の失踪した母であるエリーザベト・フリッツルを探すというものでした。

手がかりとなるのは父親の証言である、カルト集団に入団したという話ですが、警察の捜査では当然そんな団体は見つかりません。これにより警察は父のヨーゼフへの疑惑の念を募らせます。

しかし、大胆にもこの捜索には犯人である父・ヨーゼフも協力しており、そればかりかテレビに出演し自ら失踪した娘に姿を見せるように呼び掛けていたといいます。

一方、ケルスティンが意識を失った日、救急車に乗せるためにつかの間外に出て、再び地下室に監禁されていたエリーザベト・フリッツルですが、ケルスティンの様子を見舞うために、父に懇願し病院へ行くことになりました。

娘の命が絶命の縁にあるという危機的な状況には変わりありませんが、この瞬間が24年間にも及ぶ監禁生活から解放される日となります。病院に降り立った父・ヨーゼフと娘・エリーザベトは待ち受けていた警察に拘束されたのでした。

このような終息を迎えたフリッツル事件ですが、娘の受けた傷は大きく、身柄を警察が保護してからも真相が解明されるまでには時間がかかりました。何よりエリーザベトが長年父により受けていた心の傷は深く、それを積極的に語ろうとしなかったからだといいます。

しかし、父・ヨーゼフも身柄を確保され、地下室も、そこに残された残りの子供たちも発見され、警察もエリーザベトを根気強く説得。「もう父にかかわる必要はないから」ということを説得され、フリッツル事件について口を開きだしたのでした。

当初は、ケルスティンの危篤状態から発覚したフリッツル事件ですが、被害者エリーザベトから語られた事件は24年にも及ぶ監禁・強姦生活。その後、裁判の判決が出るまでも大騒ぎとなっていました。

フリッツル事件の関連人物をおさらい

フリッツル事件の概要を見てきたところで、いったん事件にかかわっている関連人物を整理したいと思います。犯人からみると、被害者は娘、そしてその娘を近親相姦で強姦し産ませた子供たちです。

犯人で被害者の父ヨーゼフ・フリッツル

まず、犯人は。ヨーゼフ・フリッツル。1935年4月9日うまれ。妻と娘と共に生活し、それまで娘を育てていた自宅に3年もの月日をかけて監禁用に地下室を改造し、18歳の娘を閉じ込めて、3日に一度のペースで強姦。それは24年にも及び、その間に娘は7人もの子供を出産しました。

被害者で犯人の娘エリーザベト・フリッツル

被害者であるのは、犯人の実の娘でエリーザベト・フリッツル。義務教育を終えたころから日常的に父から虐待、強姦を受けて育ちました。18歳のある日、地下室でエテールにより気絶させられ、それから24年間もの間、監禁・日常的に強姦をされる生活を強いられました。

そればかりか、24年間の間に父親からの性的虐待が原因で、7人の子供を出産、一度流産をしています。フリッツル事件が明るみに出て、監禁から解放されたのは42歳の時でした。

エリーザベトの母ロゼマリア

犯人の妻で、被害者の母はロゼマリア・フリッツル。フリッツル事件と呼ばれる今回の事件が起こる前から夫による娘への性的虐待を知りつつ、傍観していました。また娘の行方が知れなくなってから、警察に失踪届を提出するも過去の家出歴もあり積極的に探そうとはしていませんでした。

そればかりか、娘エリーザベト・フリッツルが夫に産ませた7人の子供のうち、3人を養子として育てていました。行方不明の娘が「育てられないから」と手紙付きで置いて行ったと信じ込まされたと語っています。

エリーザベトの7人の子供

エリザベートが父親からの強姦で出産することになった子供は全部で7人でした。1884年に監禁生活が始めってから5年目の1989年に長女ケルスティンが誕生、1990年に長男のシュテファンが誕生。この二人はフリッツル事件が解決する2008年までともに地下室に監禁されていました。

続いて、3人目の子供リザが1993年に誕生。リザは生後9か月で地下室の外に出され、段ボールに入れられた捨て子として、父・ヨーゼフたちが養子として育てました。そして1994年4人目のモニカが誕生します。この時点で地下室にはエリザベートと子供3人。父・ヨーゼフは地下室を増築改造しています。

地下室を増築改造したということは、犯人の父はまだまだフリッツル事件を終わらせる気はなかったということでしょう。子供もまだ4人誕生しています。次の子供が生まれる前に4人目のモニカが失踪したエリザベートから母のロゼマリアへと託されます。

実際には父・ヨーゼフが仕組んだことですが、育てられないからということで生後10か月の時に地下室の外に出ています。この時、ロゼマリアはエリザベートの声で電話があったということで、偽装されたものらしいということだが、改めて警察に通報はしていたとのことです。

それから2年足らずでまた子供が生まれます。1996年のことですが、双子の男の子でした。一人はアレクサンダーという男のことで、モニカと同じような状況で生後15か月の時に養子として地上に出ます。しかし、もう一人は生まれてから3日ほどで死亡していたのでした。

この時点で、地下室には子供が2人、死亡した子供が一人、地上で育てられている子供が3人。そしてフリッツル事件では最後の子供となったのはフェリックス。2002年のことです。しかしこの子はもうロゼマリアが子供の世話ができないということでフリッツル事件の最後まで地下室にいることとなりました。

フリッツル事件の裁判と判決

壮絶な凶悪犯罪であるフリッツル事件の裁判と判決についても見ていきましょう。犯人は父であるヨーゼフ・フリッツルですが、24年間の監禁以前にも凶悪な犯罪を犯していた人物であるということが判りました。

ヨーゼフ・フリッツルは多数の罪を犯した

このフリッツル事件と呼ばれる事件ですが、多くの罪状がその裁判で問われることになりました。娘の人生を24年間もの間、監禁や強姦で奪ったということはもちろん、その虐待で誕生した子供たちの人生を奪い、妻を欺き続けたヨーゼフ。フリッツル事件と一言で言ってもその罪は多岐にわたり他に類を見ない凶悪な犯罪です。

逮捕されたヨーゼフに裁判でいったいどのような判決が下されるのか多くの注目を集めました。かけられた容疑は強姦、近親相姦に加え、強制隔離、奴隷化、自由束縛、放置殺人など。それら多くの罪状でフリッツル事件の裁判は行われました。

娘が残した記録ビデオも証拠に

また判決には、被害者である娘・エリーザベトの証言以外にも有力な決め手となったものに、記録ビデオがありました。それは11時間にも及ぶもので判決にも大きな影響を与えました。監禁され、逮捕に至るまでの壮絶な日々が被害者のエリーザベト・フリッツルによって語られたビデオです。

24年間に及んだことを考えればフリッツル事件のビデオが11時間とは短いといえるかもしれません。そのビデオは壮絶で、陪審員たちはショックのあまり長い時間視聴することが出来なかったほど。また精神的なダメージが大きいことに考慮して判決を決める陪審員に4人もの補充要員が用意されていたほど。

ひょんなことがきかっけで逮捕に至ったとはいえ、そういった偶然がなければいまだにあかるみにでなかったかもしれないフリッツル事件。事件自体も異例ですがこのようなビデオが判決の為に用意されたということも異例と言えるでしょう。

事件の判決は終身刑

逮捕され、裁判にかけられたヨーゼフに下された判決は終身刑でした。この判決は、フリッツル事件の判決としては軽すぎるとの声も多く上がりました。事件の凶悪さを考えれば判決に異を唱えることが上がるのも当然といえるかもしれません

この判決された裁判ですが、実は逮捕されてからヨーゼフはほとんど反省や後悔が見られず、裁判でも終始反省するばかりか、自分は重ね、判決を軽くしようとしていたと言われています。

加害者ヨーゼフ・フリッツルの生い立ち

逮捕され、終身刑の判決が下った加害者のヨーゼフの生い立ちについても触れておかなければならないでしょう。

幼少期に父親に捨てられる

フリッツル事件の始まりは、加害者ヨーゼフの誕生からみていかなければならないでしょう。フリッツル事件の犯人、ヨーゼフは一人っ子、母子家庭の貧しい家庭で育ちました。父は4歳の時に家族を捨て、消息不明になったようです。

しかし、ごく平凡で真面目な青年として育っていたと思われる経歴を持つフリッツル事件の犯人のヨーゼフ。工科大学に通い、電子工学を学び、リンツの鉄鋼会社ヴォーストアルピナで職を得ました。

21歳で17歳のロゼマリアと結婚

また1956年に21歳で当時17歳だったロゼマリアと結婚し、2人の息子と5人の娘の子供にも恵まれます。そのうちの一人がこのフリッツル事件の被害者であるエリーザベト・フリッツルです。

強姦・強姦未遂で実刑の過去

フリッツル事件の犯人のヨーゼフですが、ごく平凡に学校に通いどちらかと言えば幸せな結婚生活を送っていたかのように見えましたが、フリッツル事件以外にも前科があり、懲役18か月の判決を受けていた過去がありました。

それは、1967年のこと。2件の事件によって下さされた判決です。ナイフを持って看護婦の家に押し入って強姦したことと、未遂ですが21歳の女性を襲っています。フリッツル事件を起こしたのは1984年なのでその後です。

捜査時には記録がなかった

フリッツル事件が明るみに出て、逮捕されたのちによく言われていたことですが、この18か月もの実刑判決を受けていたことを考えれば、娘の失踪当時から父が怪しいとなぜ疑われなかったのでしょうか。

事件が起きると、その身近な人物が捜査線上に上がり、逮捕されるというのはよくある話ですし、実刑判決を受けた前科者であったとなれば当然そのような話になるのものです。

しかし、逮捕されるまでヨーゼフは捜査の段階では実刑判決を受けた前科者とは認識されていませんでした。判決を受けた記録そのものが抹消されていたからです。これもフリッツル事件をより悲惨な事件とした原因の一つでしょう

オーストラリアの法律が関係

実刑判決の記録が破棄されていたのはオーストラリアの法律が関係しているそうです。しかし、このことでフリッツル事件の犯人逮捕に影響があったことから、オーストラリアは世界的に批判の対象となり、信用回復のために法の改定やイメージアップキャンペーンを計画するという話にまでなったといいます。

エリーザベト・フリッツルのその後

さて、ここで気になるのは犯人逮捕となり、救出された被害者エリーザベト・フリッツルのその後でしょう。エリザベート以外にもその子供たちのその後もどうなったのかが心配されます。

近親相姦で誕生したすべての子供たちは先天的に重大な疾患を抱えていたとも言います。想像するだけでも普通ではないフリッツル事件の被害者は、その後多くの映画などでも作品化され注目を浴びました。

自伝執筆の為に傍聴席に

最初は自身も逮捕のように身柄を拘束されたエリザベートですが、取り調べの段階で父親とは今後関わる必要がないと諭され、その後記録ビデオに協力する形で捜査に協力しました。またその後の考えてなのか、このフリッツル事件を記した事前を出版するために裁判の傍聴席へと姿を現します。

逮捕され裁判に臨んでいた父のヨーゼフは、当初自分は悪くない、クリスマスツリーを部屋に飾っていたことなどを理由にその判決を軽くしようと反省の態度を見せていませんでしたが、傍聴席に娘の姿を認めた瞬間、青ざめて崩れ落ちたといいます。

実際の裁判の様子だけを考えても映画のようです。しかしこのフリッツル事件は実際に起こったものであり、犯人が逮捕されたその後も被害者たちの受けた傷は簡単に癒えることはなく苦しみは続きます。

実際の逮捕、裁判のその後は、エリザベートも子供たちもまず長期の入院治療を必要とする健康状態でした。自然光にすら耐えられず、サングラスが手放せないほど。栄養失調やビタミンD欠乏症も重度でした。また免疫系が未発達だったことも原因です。

犯人が逮捕され、その後エリザベートと6人の子供たちは田舎へと移住し静かに暮らしているようですが、先天的な疾患のため継続的に治療をしながら暮らしているようです。

その後精神科にも通い、ケアを受けながら社会復帰もできていると言われています。しかし、パパラッチから生活を乱されるということには苦しめられているようですね。事件のその後にもフリッツル事件は映画化されていたことも関係しているのでしょう。

概要を聞いただけでも何本もの映画の題材となりうる性質を持ったフリッツル事件。実際に作品化された小説や映画をご紹介します。

長編小説「部屋」

フリッツル事件を題材にした作品の中でもっとも有名な小説で「部屋」があります。2010年エマ・ドナヒューによって書かれました。この物語の主人公は5歳の男の子「ジャック」。そしてその母親「ジョイ」そして「ニックおじさん」です。

母ジョイはフリッツル事件と同じく監禁されて、ジャックを産んだという設定です。この物語のメインは監禁生活から脱したその後、特に子供のメンタルに重点を置いた作品になっています。

映画「ルーム」

そしてその長編小説を基に映画化されたのが、2015年に公開された映画「ルーム」です。あのフリッツル事件を題材にした映画だということでも注目されましたが、母親役のブリー・ラーソンはアカデミー賞を受賞し、さらに多くの人に見られた映画となりました。

作品と現実との違いは

小説や映画ではフリッツル事件の実際とは少し内容が異なるようです。まず、小説や映画は実際のフリッツル事件よりも登場人物が少なく、実際はもっと多くの人が被害に遭っているということ。そして自力で脱走をしているということです。

この辺りは映画なのでドラマチックに演出されているのでしょう。実際のフリッツル事件は長年、父親に監禁され、ガスや電気ショックで殺すとまで脅され、とても映画のように脱走できるような状態ではなかったといいます。

また出入り口も巧妙に隠され、8枚もの扉に閉ざされ、電子錠までかけられていたということも映画と現実では違う点です。そして、小説や映画では脱走した母と子は健康ですが、実際は違います。

長年地下室に閉じ込められていたエリザベート、地下室で生まれ育った子供たち、そして、真相を知らず地上で暮らしていた子供たち、その子供を育てていた犯人の妻であるロゼマリアも。実際には現在も言えない傷を負って苦しんでいるであろうことは想像に難くありません。

フリッツル事件は実娘を監禁・強姦した悲惨な事件

歴史的にも例を見ない凶悪犯罪のフリッツル事件。24年にも及び、実の娘を監禁・強姦したという事件。そのフリッツル事件が世間に与えた衝撃はいまだに多くの人の記憶に新しいのですが、実際の被害者たちは現在もその傷を抱えています。

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