【藤沢母娘殺人事件】犯人(藤間静波)の生い立ちから死刑執行まで真相まとめ

今から約40年程前に起きた「藤沢母娘殺人事件」。ストーカー被害から残虐な殺人事件が起きてしまったこの事件は、当時とても話題となりました。そこで今回は藤沢母娘殺人事件の概要や、犯人の藤間静波の生い立ちや事件の裁判、犯人の死刑執行までの真相などを調査しました。

【藤沢母娘殺人事件】犯人(藤間静波)の生い立ちから死刑執行まで真相まとめのイメージ

目次

  1. 1【藤沢母娘殺人事件】の概要
  2. 2藤沢母娘殺人事件の犯人は「藤間静波」
  3. 3藤沢母娘殺人事件の裁判
  4. 4藤沢母娘殺人事件の判決
  5. 5藤沢母娘殺人事件のその後
  6. 6藤沢母娘殺人事件は愛情に欠けた過去が生んだ恐ろしい事件

【藤沢母娘殺人事件】の概要

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では「藤沢母娘殺人事件」の概要を紹介しましょう。藤沢母娘殺人事件は、その名の通り神奈川県藤沢市で起きた殺人事件であり、当時は犯人の理不尽な動機などが取り上げられ注目されました。

1981年~1982年にかけて起きた連続殺人事件

藤沢母娘殺人事件は、1982年5月27日に藤沢市内で起きた殺人事件です。しかしこの事件の犯人は、藤沢母娘殺人事件の前後にも殺人事件を起こしていることから、1981年~1982年にかけて起きた連続殺人事件と言われています。

被害者は女子高生の真輝子さんとその妹と母親

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藤沢母娘殺人事件の被害者は、当時16歳の女子高生・真輝子さんとその妹、そして真輝子さんの母親の3人です。犯人は以前から真輝子さんに付きまとっており、度重なるストーカー行為のうえ真輝子さんだけでなくその家族までも殺害しました。

犯人の名は「藤間静波」

この藤沢母娘殺人事件の犯人の名は「藤間静波(ふじませいは)」と言います。藤間静波は1960年生まれであり当時の年齢は21歳でした。また藤間静波は中学卒業後は就職しているのですが、その後職を転々とし、さらに窃盗などの容疑で少年院に入所しています。

藤間静波は、少年院に入所している間にも問題を起こしているそうです。そして少年院を退所したあとに被害者の真輝子さんと出会い、その後藤沢母娘殺人事件で逮捕されました。

藤沢母娘殺人事件の経緯

では、1982年5月28日に起きた藤沢母娘殺人事件の経緯を見てみましょう。事件の犯人・藤間静波は、殺害された真輝子さんを付きまとっていたストーカーであったと言われています。真輝子さんの家族は、ストーカー行為について警察にも相談されていたそうです。それなのになぜ藤沢母娘殺人事件が起こってしまったのでしょうか?

犯人は新聞屋を装って被害者宅に突入

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1982年5月27日の夜、犯人・藤間静波は新聞屋の集金を装って被害者宅へ押し入りました。被害者家族は、藤間静波がストーカー行為をしていることに悩まされていたので、もし藤間静波だとわかっていたら絶対に家へ入れることはありません。

しかしこの日の昼間、母親が不在中に新聞屋が集金に訪ねていたそうです。そのため家族は、まさか藤間静波とは思わず本当に新聞屋だと思い、家の鍵を開けてしまったそうです。

妹・母親・真輝子さんの順に連続殺害

被害者たちは夕飯の最中でした。そして家に侵入した犯人・藤間静波はまず最初に妹を刺し殺し、その次に母親、そして真輝子さんの順に所持していた包丁で刺していきました。妹は全身20ヶ所、そして真輝子さんは7ヶ所刺されており、その傷は心臓まで達しており即死だったそうです。

また母親は傷を負いながらも勝手口から近所に助けを求めたそうです。しかし追いかけてきた犯人に小刀で背中を刺され死亡しました。こうして犯人は被害者3人を次々と殺害したのです。

殺害現場には共犯者も?

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藤沢母娘殺人事件の犯人は、藤間静波だけではなくもう1人共犯者もいました。その共犯者は当時19歳であり、藤間静波が少年院で知り合った仲間でした。しかし被害者の3人を殺害したのは藤間静波であり、共犯者の少年はただ立ちすくんでいただけだったそうです。

真輝子さんの父親が帰宅し遺体発見で通報

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被害者3人が自宅で殺害された後、犯人・藤間静波と共犯者の少年はその場から逃げました。そして午後9時過ぎに真輝子さんの父親が帰宅し、3人の遺体を発見。すぐさま警察に通報しました。

犯人の逮捕のきっかけはO型の血液?

父親もストーカー行為のことを知っていたため、殺害した犯人の予想はついていました。また被害者の3人の血液型は皆A型であったのですが、玄関にはO型の血液が残っていたことが犯人の逮捕のきっかけとなりました。

藤間静波は共犯者の少年も口封じのため殺害

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藤間静波は真輝子さんと妹、そして母親の3人を殺害した後、共犯者の少年とともに九州や広島、大阪などに逃亡しました。しかしその逃亡中の兵庫県にいた1982年6月5日に、共犯者の少年も殺害しています。藤間静波は、被害者3人を殺害した際に何もせず立ったままいた少年が、自分を裏切って警察に話すと思い、口封じのために殺害したそうです。

犯人の実家の両親は殺害を知っていた?

犯人・藤間静波は、真輝子さん親子を殺害した後に一度自分の実家へ帰宅しています。その際には両親に3人を殺害してきたことを話したそうで、父親からは自首を勧められたそうです。しかし藤間静波は「警察に話すと皆殺しにする」と言い、逃亡を始めたそうです。

藤沢母娘殺人事件から1ヶ月前には他の仲間を殺害?

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また藤間静波は、藤沢母娘殺人事件を起こした1ヶ月前には、窃盗を一緒にしていた仲間を殺しているとの噂もあります。藤間静波はその仲間に裏切られたことで犯行に及んだと言われています。また他の情報では1ヶ月前ではなく約半年前に殺害をしたとも言われているようです。

藤沢母娘殺人事件の犯人は「藤間静波」

1982年5月に起きた藤沢母娘殺人事件の犯人・藤間静波はどのような人物なのでしょうか?藤間静波の生い立ちや、藤沢母娘殺人事件の被害者との関係などを見てみましょう。

藤間静波の生い立ち

まずは藤間静波の生い立ちを調査しました。藤間静波は1960年8月21日生まれで、藤沢母娘殺人事件や複数の殺人事件などを犯した罪により、2007年の47歳の時に死刑を執行されました。

幼少期は妹との差別?

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藤間静波の幼少期は、母親から溺愛されて育ったそうです。しかし藤間静波が小学4年生の時に妹が生まれると母親の愛情は自分から妹へと向けられていきました。妹はピアノを買ってもらったりと明らかに妹と差別されていることを感じた藤間静波は、「何で差別するんだ」という言葉が口癖になっていたようです。

影が薄い学生時代や母親への暴力

母親が自分よりも妹を溺愛するようになったことで、藤間静波は小学生の頃から弱い者いじめをするようになったそうです。そして中学生になると母親へも暴力をするようになり、とても手に負えないような少年になってしまいました。

また藤間静波の小学校の卒業文集には「自分の事を忘れないで」と綴っていたそうですが、学生時代は影が薄い存在であったため、藤間静波のことを覚えている同級生は少なかったそうです。

少年時代から逮捕と少年院送りの繰り返し

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藤間静波は、中学校を卒業した後は高校へは進学せず、地元で就職をしました。しかしすぐに仕事を辞めてしまうなど職を転々としていたそうです。

そして1977年には事務所荒らしをし、1978年にはひったくりをしたことで少年院に入っています。しかし少年院から退所した後にも窃盗や家庭内暴力は収まらず、藤間静波は再び少年院送りを繰り返しました。

少年院から出た後は家族から受け入れ拒否

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少年院送りを繰り返していた藤間静波ですが、ひどい家庭内暴力をしていた藤間静波に対して家族は少年院から出た後は受け入れを拒否していたそうです。その後自宅には入れてもらえたそうですが、何もしていない妹を突然殴るなどの家庭内暴力は改善されなかったそうです。

家庭環境から藤間静波の性格は生まれたとの声も

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幼少期に妹と比較されたりと藤間静波にとっては家族に愛情を注いでもらえなかったことが原因で、藤間静波のこのような性格が生まれたとも言われているようです。

藤間静波と被害者の真輝子さんの接点とは

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次は、藤間静波と藤沢母娘殺人事件の被害者である真輝子さんの接点について見てみましょう。藤沢母娘殺人事件で殺害された真輝子さんは、以前から藤間静波にストーカーされていました。そしてその結果このような残虐な事件が起きてしまいました。

藤間静波が真輝子さんに一目惚れからデート

藤沢母娘殺人事件が起きた発端を遡ってみたところ、もともとは藤間静波が被害者の真輝子さんに一目惚れしていたことがわかりました。藤間静波は、街で偶然見かけた真輝子さんに一目惚れをし、「今何時?」と声をかけ連絡先を聞いたそうです。

その後、藤間静波と真輝子さんは1度デートをしたそうです。しかしそのデートは真輝子さんにとってはあまり楽しくなかったようで、藤間静波とは距離を置くようになりました。

当時は「山田」と名乗っていた藤間静波

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藤間静波は、前科があるからなのか当時は本名を伏せて「山田」という偽名を使っていました。藤間静波は真輝子さんから距離を置かれるようになりますが、執着心が強いのか真輝子さんに対してのストーカー行為が始まりました。当時は真輝子さんが通う高校に従兄弟を装って電話をかけてくることもあったそうです。
 

真輝子さんから距離をおかれ嫌がらせの電話

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さらに藤間静波のストーカー行為はエスカレートしていき、真輝子さんの自宅にまで電話をかけてきたそうです。しかもその内容が「デート代を返せ!」という嫌がらせ電話だったそうで、真輝子さんの母親が「もう娘と関わらないでほしい」と言って電話を切ったこともあったそうです。

殺意を抱き被害者宅を訪問するも通報され逃走

藤間静波は真輝子さんに拒絶されていたのですが、その後も真輝子と会って告白しているそうです。しかし真輝子さんから断られると、真輝子さんの頬を平手で叩いたそうです。

それ以降、藤間静波は真輝子さんに拒絶されたことで殺意を抱くようになりました。その後も藤間静波は、夜中に真輝子さんの自宅へ無言電話をかけるなどの嫌がらせを続けました。

殺人事件が起こる前に被害者家族は警察に相談

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真輝子さんやその家族に殺意を抱くようになった藤間静波は、1982年5月8日には包丁と小刀を購入して真輝子さんの家を訪問しています。無言電話などのストーカー行為があまりにもしつこかったことで、真輝子さんの家族は警察に相談したそうです。

しかし当時は、今ほどストーカーに関してはあまり親身に対応してくれなかったそうです。その結果、警察にも相談していたのにも関わらず、結果藤沢母娘殺人事件が起きてしまったわけです。

藤沢母娘殺人事件の裁判

続いては藤沢母娘殺人事件の裁判について見てみましょう。1982年5月27日に起きてしまった藤沢母娘殺人事件は、事前に警察へ相談していていたのにも関わらず、3人もの殺害者がでてしまった残虐な事件になってしまいました。

藤沢母娘殺人事件の犯人・藤間静波が逮捕され、事件の内容が明らかになっていったことで、犯人・藤間静波の裁判の態度などにもとても注目を集めました。

裁判での犯人の藤間静波の態度にも注目が

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藤間静波は、藤沢母娘殺人事件や他の殺害容疑などで逮捕され、1982年から1986年まで無実を主張してきました。しかしその後はこれまでの態度を一変して、反省していると事実を認めました。そして裁判での藤間静波の態度が話題になりました。

裁判で犯行を認めるも報道陣にVサイン

犯人・藤間静波は、裁判では犯行を認め「反省している」と供述したものの、その後マスコミに向けてVサインをするという、とても反省の色が見えない態度をしました。

留置場での生活や受刑者たちの会話とは

藤間静波は、留置場で相部屋であったヤクザに事件の事を聞かれて、事件について話しているそうです。その会話では、殺害した時の返り血の事や殺害の手順など、犯行を及んだ人物しかわからない内容だったそうです。

藤沢母娘殺人事件の判決

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続いては藤沢母娘殺人事件の裁判の判決について紹介します。藤沢母娘殺人事件の犯人・藤間静波は、この事件以外にも複数の人物を殺害しています。これらを踏まえて、裁判ではどのような判決が下ったのでしょうか?

藤間静波に死刑判決が下る

藤間静波は、藤沢母娘殺人事件を起こす前にも殺害容疑があり、さらに事件後には共犯者の少年を20ヶ所以上刺して殺害しています。1981年から1982年の間に5人も殺害している藤間静波には、死刑が下ることを誰もが思っていたことでしょう。そして藤間静波の裁判は何度も行われ、2004年に死刑判決が下りました。

死刑判決が言い渡された時の不可解な行動

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藤間静波は、死刑判決が言い渡された時に、裁判官に「最後に言いたい事はあるか?」と聞かれると、「最後に言いたいことがあります」と言い、暴力団幹部の名前を挙げると傍聴席にVサインをするという不可解な行動をされたそうです。

2004年の死刑確定から3年後に死刑執行

2004年に死刑が確定した藤沢母娘殺人事件の犯人・藤間静波。その3年後の2007年に死刑が執行されました。藤間静波が年齢47歳の時であり、凶悪犯の死刑執行は日本中が注目しました。

死刑執行の公表方針にも注目が

藤間静波の死刑執行された日は、藤間静波の他に2名の死刑が執行されました。これまでは死刑囚の配慮を理由に、名前や犯罪事実の公表はしていませんでしたが、この日より公表する方針に変わりました。

死刑確定と執行までの獄中生活とは

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2004年に死刑が確定し、2007年に死刑執行となった藤間静波。死刑執行されるまでの3年間はどんな生活をされていたのでしょうか?藤間静波の獄中生活の情報を紹介しましょう。

面会者は藤間静波の母親

死刑囚となった藤間静波ですが、市の後は自分の母親だけが面会にみえていたそうです。藤間静波の母親は、妹が生まれたのを機に藤間静波への愛情が薄れていき、また少年院から退所した後には受け入れを拒否していました。その母親がなぜ面会に訪れていたのか、その理由は不明です。

犯人のやつれた姿に驚きの声も

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拘置所内で藤間静波の姿を見た人の情報によると、かなりやつれた姿になっていたそうです。藤間静波はかなり痩せ細くなり、自力で歩くのが難しいため台車のようなものを杖の代わりにして歩いていました。そのやつれた姿には驚きの声が多かったそうです。

藤沢母娘殺人事件のその後

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最後は藤沢母娘殺人事件のその後について調査しました。この事件の犯人・藤間静波は、ストーカー行為の末に殺人事件を起こし、その後死刑囚となりました。当時はここまで大きなストーカー事件があまり公ではなかったため、藤沢母娘殺人事件は日本中が注目しました。

その後は遠藤充の著書『静波の家』が話題に

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1982年5月に起きた藤沢母娘殺人事件。犯人・藤間静波が逮捕されてから数年経った1988年には、遠藤充の著書「静波の家」という事件の記録の書籍が出版され話題となりました。

藤間静波の仲間殺害容疑がシロとなったポリグラフ検査にも注目が

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藤間静波は、殺害事件を起こして逮捕された際に受けたポリグラフ検査の結果で「シロ」と判断されています。ポリグラフ検査とは、嘘をついているかを調べる嘘発見器というよりは、真犯人しか知らない犯罪の証拠などを知っているかどうか検査するものだそうです。

愛情不足な家庭環境にも問題点の声

1982年5月に起きた藤沢母娘殺人事件の犯人・藤間静波について調べると、藤間静波は愛情不足な家庭環境で育っていることがわかっています。藤間静波のそのような家庭環境にも多くの問題点があるとの声が多数ありました。

ストーカー事件は過去の生い立ちと繋がる点も

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藤沢母娘殺人事件のようなストーカー事件について、ストーカーになりやすい人の特徴としては、藤間静波のように、本来当たり前のように感じる愛情を知らずに成長した生い立ちであった人が多いとも言われているようです。

その後も消えないストーカー関連の殺人事件

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1982年5月に起きた藤沢母娘殺人事件は、ストーカー殺人事件としてとても注目を集めた事件でした。そしてその後も「神戸児童連続殺傷事件」や「新潟少女監禁事件」、「大阪児童殺傷事件」などのストーカー関連の殺人事件が起きています。

藤沢母娘殺人事件は愛情に欠けた過去が生んだ恐ろしい事件

以上、藤沢母娘殺人事件の概要や犯人・藤間静波についてなどを紹介しました。1982年5月に起きた藤沢母娘殺人事件は、ストーカー行為の末に起きた悲惨な殺害事件です。そして犯人・藤間静波の愛情に欠けた過去が生んだ恐ろしい事件であることがわかりました。

この事件以降、ストーカー事件に関して世間の感心が増えてはいますが、現在もストーカー事件は後を絶えず起きています。今後はストーカー事件が起きないような世の中になることを願いたいです。

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この記事のライター
松本友奈

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