【附属池田小事件】宅間守の死刑執行までの真相!逃げた教師や被害者の現在なども調査事件】宅間守の死刑執行までの真相!逃げた教師や被害者の現在なども調査

大阪府で起きた「附属池田小事件」について解説します。犯人の宅間守の生い立ちや様々な前科、そして附属池田小事件までの経緯を確認しましょう。また、宅間守の死刑執行や事件の際に逃げたと言われる教師、被害者のその後についても調査しました。

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目次

  1. 1【附属池田小事件】の概要
  2. 2附属池田小事件の犯人「宅間守」の家族や生い立ち
  3. 3附属池田小事件の裁判と死刑判決・実行
  4. 4宅間守の獄中結婚にも注目が
  5. 5附属池田小事件の生き残り人物とは
  6. 6附属池田小事件その後や遺族の現在
  7. 7附属池田小事件は世間にも恐怖を与えた無差別殺傷事件

【附属池田小事件】の概要

平成の無差別殺人事件の中でも、その残虐性が注目されたのが「附属池田小事件」です。幼い子供たちの命が多数奪われた事件であり、犯人の犯行動機もはっきりとしていないまま、死刑が執行されています。附属池田小事件の概要や経緯を解説します。

2001年に小学校で起きた無差別殺傷事件

附属池田小事件が起きたのは2001年6月8日のことでした。犯人による無差別殺傷事件は小学校で行われており、被害者のほとんどが子供たちだったのです。

事件現場は「大阪教育大学附属池田小学校」

事件現場は大阪府池田市にある「大阪教育大学附属池田小学校」でした。小学校の設立は1909年4月12日です。事件後は一時的に仮設校舎で授業が行われました。

犯人の名は宅間守

犯人は兵庫県伊丹市出身の宅間守です。宅間守は身長180cmで体重90kgで、がっしりとした体つきでした。幼少期からトラブルを起こしており、大人になってからも気質は変わらなかったと見られています。

小学生8人殺害と15人が重軽傷を負う事件に

附属池田小事件において、宅間守は小学生8人を殺害、15人の重軽傷者が出ています。子供たちや教師が被害者となっており、周囲で事件を目撃した人たちの精神的なショックも大きかったと推測されているのです。

宅間守の犯行動機は謎のまま?

多くの死傷者をだった附属池田小事件ですが、宅間守は取り調べや裁判において、はっきりとした犯行動機を明かすことはありませんでした。そのため、現在も宅間守の犯行動機は謎のままとなっています。

附属池田小事件の犯人「宅間守」の家族や生い立ち

附属池田小事件事件の犯人である宅間守。彼の家族や生い立ちはどのようなものだったのでしょうか?宅間守が残虐な事件を起こした理由が見えてくるかもしれません。

宅間守の家族について

宅間守の家族から紹介します。宅間守の幼少期において大きな影響を与えており、彼の性格に問題が生まれてしまった理由があると考えられているのです。

旧薩摩藩の下級武士の先祖を持つ家族との噂

宅間守の先祖は旧薩摩藩の下級武士だったとのこと。そのことを宅間家では誇りだと感じていたそうです。また、宅間家では男子だと法律や警察関係の仕事に就くことが伝統のようになっていました。

武士にこだわる父親のしつけ

宅間守の曽祖父は武士で、祖父や父親はそのことにこだわりがあったそうです。父親は幼少期にソフト木刀で打ち合って訓練しており、「自分は薩摩武士だ」とプライドを持っていたのだとか。そのため、息子である宅間守に対して「サムライ」としての魂を厳しくしつけられています。

母親への憎しみ

母親は家事や育児が苦手で育児放棄に近い状態だったと見られています。家事は父親が行うことが多かったそうです。また、母親は妊娠したときに子供をおろしたいと考えていたのだとか。宅間守に対して、たびたび「お前なんか産まなければよかった」と罵詈雑言を浴びせています。

このときの母親に対する憎しみは大人になっても消えなかったようで、附属池田小事件が起きた際に家宅捜索が行われ、宅間守のマンションから母親に対する恨みを記したノートが発見されています。

兄は事件前に自殺

宅間守には実兄が1人いました。幼少期の関係は不明ですが、様々なトラブルを起こすようになった宅間守に心を病んでいたそうです。そして、宅間守が事件を起こす前に、心の病と事業を失敗したことから首を切って40代前半のときに自殺しています。

宅間守の生い立ち

宅間守は1963年11月23日生まれで、工場街の工員家庭に生まれています。幼少期の頃から問題行動を起こしており、3歳のときに三輪車で国道の中央を走って渋滞を引き起こしています。

兵庫県伊丹市に次男として誕生

兵庫県伊丹市に次男として誕生した宅間守。彼は小学校では強いものにはいじめられたものの、自分より弱い者や障害を抱えている相手に暴力を奮っていたとのこと。宅間守の小学校のときのあだ名は「ゴン太」で、動物を虐待し殺害したことも分かっています。

定時制高校中退後に航空自衛隊に入隊

トラブルの多い子供だった宅間守ですが、幼少期から1つの夢を持っていました。それが「パイロットになりたい」というものだったのです。しかし、宅間守の父親は普段の素行不良から「国立付属の中学校に進学したい」という希望を反対しています。

宅間守は尼崎市内の工業高校を2年生のときに中退。その後に定時制高校に編入しましたがすぐに退学しています。ガソリンスタンドで数カ月間アルバイトを経験し、18歳の時に憧れだった航空自衛隊に入隊しています。しかし、「家出した少女を下宿して、性交渉した」という理由から強制除隊となりました。

除隊後には仕事を転々としていた

除隊後の宅間守は運送会社やトラック運転手、引越し業者など様々な仕事を転々としています。どの仕事も短期間で辞職しており、半年続けば長いほうだったと言われているのです。

宅間守は前科ありの問題児だった

宅間守は年齢を重ねるごとに暴力がひどくなり、工業高校を中退したのも教師に暴力を奮ったことが原因でした。そして、その頃から強姦事件を起こすようになり、附属池田小事件までに前科11犯(不起訴を含めると15犯)となっています。

宅間守の性格や精神状態とは

附属池田小事件を起こした宅間守の性格や精神状態はどういったものだったのでしょうか?宅間守は被害妄想や潔癖症など、精神的に不安定な人物だった、というエピソードを紹介します。

小学生時代からの被害妄想

宅間守が幼少期から暴力を奮っていた原因として、被害妄想が強かったことが関係しているという見方もありました。例えば、自分がいる所で笑い声が聞こえると馬鹿にされてると勘違いしてしまうような状態です。

しつけの厳しい家庭で育ったことも関係しているのかもしれませんが、宅間守は少し注意されただけで「自分を否定された」と思ってしまう人だったとのこと。また、被害妄想だけでなく暴力行為もひどかったことが分かっています。

学歴や経歴詐称で女性を騙す行為

宅間守は仕事で使っていた名簿で女性の名前を見つけると、自分の学歴や経歴を詐称して近づいていたのだとか。結婚相手にも身分を偽っていたことが分かって離婚されています。

トイレや布団の便付着を気にするなど過度の潔癖症

粗野な言動が特徴とも言える宅間守ですが、彼は同時に極度の潔癖症だったそうです。その中で特に「便がつくかもしれない」というトイレに関する潔癖症がひどかったのだとか。その理由は不明ですが、外出先でも人の便がつくかもしれない、という理由からトイレの大便器を使用することは無かったと言われています。

なぜ、ここまでトイレに対する潔癖症がひどかったのでしょうか?実はあまり公にされていないだけで、トイレに対する潔癖症というのは多いそうです。トイレを使う時に腰を浮かしてする人や何度も便座を拭いてから使用する、トイレットペーパーを便座に敷いてから座る人もいると言われています。

小学生時代からの異常な性妄想

宅間守の生い立ちの中で目立つのは異常な性妄想です。小学生時代から性欲が強く、「性交」に執着心が強かったとのこと。そのことが原因で何度も強姦行為に及んでおり、被害者は多数いると考えられています。

小学生の頃に宅間守は「女性にクロロホルムを嗅がせて性交に及ぶ妄想をしていた」と告白しています。幼少期から異常な性妄想を続けており、大人になって実行するようになってしまったのでしょう。

附属池田小事件の裁判と死刑判決・実行

宅間守の幼少期からの気質やトイレに対する異常な潔癖症などを紹介しました。いつ爆発してもおかしくない状態だったと言える宅間守は、ついに附属池田小事件を起こしてしまうのです。彼が附属池田小事件を起こして、裁判でどのように裁かれたかを解説します。

附属池田小事件の裁判での宅間守

現在も附属池田小事件における裁判は、様々な点で異例だったと考えられています。裁判中の宅間守の発言はどういったものだったのでしょうか?

裁判で精神異常者を演じた宅間守

宅間守は裁判のために精神鑑定を受けています。その結果、宅間守は「責任能力に一切問題がない」と診断されています。しかし、宅間守は裁判中に精神異常者のように振る舞って責任を逃れようとしています。

精神鑑定の結果で障害発覚?

責任能力に問題がない、と診断された宅間守。しかし、多動性障害や非社会性行為障害だと診断されています。じっと出来なかったり、我慢できなかったりという障害を抱えており、犯罪行為に罪悪感を抱くことがない障害があると判断されたわけです。

宅間守が裁判で発した言葉とは

附属池田小事件の裁判において、宅間守は様々な発言を行っています。その多くが生き残ることが出来た被害者たちの気持ちを傷つけるようなものや、さらなる犯行を示唆させるもの、そして死刑を望んでいることを感じさせるものでした。

「生け捕り」表現

宅間守は拘置所に入れられている間、自分は「これ以上生け捕りにされるのは嫌だ」と発言しています。生け捕りという表現から、自分が悪いことをしたという気持ちは伝わってこないかもしれません。

「幼稚園なら…」異常な発言

附属池田小事件は小学校が被害現場となりました。何の罪もない子供たちや教師が被害者となり、現在もPTSDなどの精神的な病気に苦しんでいる人もいると考えられています。それほどの大きな事件でありながら、宅間守は「幼稚園ならもっと殺せた」というとんでもない発言をしているのです。

証人喚問に対する発言

裁判では被害者の関係者が証人喚問として裁判に出廷しています。宅間守は被害者たちに対して「遺族の証人喚問なんか検察のパフォーマンスだ」と発言しています。被害者の数が多く、死刑の可能性が高かったので、裁判はさっさと終わらせて欲しいと考えていたのでしょうか?

死刑を望む発言

附属池田小事件では多数の死者を含む被害者が出ており、死刑判決は免れないと考えられていました。宅間守は「死ぬことは一番の快楽。怖くない」としており、まるで死刑を望んでいるような発言をしています。

宅間守自身の命に対する思い

死刑判決を望むような発言をしておきながら、宅間守は自分が生き残る方法を模索しており、「何十万人の命よりも自分の命のほうが尊い」と発言しています。

「人生とはしんどい事…」発言

宅間守は幼少期から厳しい家庭で育ったことや自分の夢を賛成してもらえなかったことが、大きな心の傷になっていたと推測されています。また、生まれながらに暴力的な性質を持っていたことで、皆と同じような生き方が出来なかった部分もあったようです。

そのため、宅間守は「人生とはしんどい事…」という発言をしています。どこかで自分の異質さに生きづらさを感じていたのかもしれません。

宅間守に死刑判決が下る

宅間守は2003年8月28日、大阪地方裁判所で死刑判決を下されています。死刑判決は主文を最後に述べるのが慣例ですが、いきなり主文が読み上げられたのです。また、宅間守は判決前に暴れだしたため退廷されており、直接は死刑判決を聞くことはありませんでした。

2004年9月に大阪拘置所にて死刑執行

死刑判決後に弁護人は控訴していますが、宅間守自身が控訴を取り下げています。そのことで2003年9月26日に死刑判決が確定されています。また、宅間守は刑事訴訟法に基づいて「死刑確定後の6ヶ月以内の執行」を求めています。

控訴が取り下げられたその後の2004年9月、大阪拘置所において宅間守の死刑が執行されました。死刑確定から約1年後という異例のスピードと言えるでしょう。

宅間守の獄中結婚にも注目が

宅間守は獄中結婚をしています。また、それまでに複数の結婚歴がありました。死刑を望んでいたと言われている宅間守ですが、獄中結婚をどういった目的があったのでしょうか?

宅間守は結婚歴5回

附属池田小事件の犯人である宅間守。彼は死刑執行されるまでに結婚を5回経験しています。最初は手に入れた看護師名簿を利用し、身分を医者と偽って26歳のときに19歳年上の人物と結婚しています。しかし、すぐに身分詐称がバレて、わずか12日で離婚しています。

その4ヶ月後に小学校時代の恩師で20歳年上の女性と結婚。ところが、度重なる強姦事件や仕事でのトラブルが原因で離婚されています。3人目はお見合いパーティーで知り合った女性と結婚。宅間守にとって、この女性は特別な存在だったようで、何度も結婚を迫った相手でした。

半ば強引に結婚した宅間守ですが、妻に経歴詐称がバレて離婚調停を起こされています。ひどい暴力を受けていたこともあり、離婚を譲らなかった妻ですが宅間守はしつこく食い下がったとのことです。

宅間守の元妻との間に子供はいる?

宅間守は3人目の女性を妊娠させています。しかし、離婚調停を行っている最中に女性は子供を堕胎していました。このことに関して宅間守は浮気相手との子供だと疑って、ひどい暴力を浴びせたことが分かっています。

4回目の結婚もお見合いパーティーで知り合った女性でした。詳しいことは不明ですが、この女性とも長続きせずに離婚しています。宅間守によれば顔や見た目が気に入らなかったとのことです。

5回目の結婚は獄中結婚

宅間守は附属池田小事件を起こすまで、3人目の女性に対して強いこだわりがあったようです。どうやっても女性が復縁してくれないことでさらに暴力が加速。そのことが原因で附属池田小事件に繋がったとも考えられています。

そして5回目の結婚は獄中結婚となりました。宅間守は死刑判決後に死刑廃止運動家の女性から手紙を送られています。女性と文通を続けていく中で、少しずつですが心を開いて、獄中結婚をしたのです。

獄中結婚をした相手は死刑廃止の運動家

宅間守が獄中結婚した相手は死刑廃止運動家の女性でした。また、敬虔なクリスチャンとして何人であっても人が人の命を奪うのは反対という考えだったようです。

獄中結婚後の宅間守は妻の姓「吉岡」に改名

女性からの強い愛情と支援によって少しずつ心を開いた宅間守。彼が女性に心を許していたことは、獄中結婚後に妻の姓である「吉岡」に改名したことからも窺えるでしょう。

死刑執行前に妻に残した宅間守のメッセージとは

2004年9月14日に宅間守の死刑が執行されました。宅間守は刑務官からタバコとリンゴジュースを渡され、ゆっくりと味わってから、死刑されています。その際に残した最後の言葉は「ありがとう、と僕が言っていた」という獄中結婚をした妻へのメッセージでした。

附属池田小事件の生き残り人物とは

事件のその後を解説する前に、附属池田小事件で生き残りとなった人たちについて紹介します。附属池田小事件では児童8人が亡くなり、教師を含む15人が怪我を負っています。生き残りとなった人たちはどういった経緯で助かることが出来たのでしょうか?

生き残り人物①トイレに逃げ助かった生徒

生き残りの生徒の中には先生から「トイレから出るな!」と言われて、個室で鍵をかけて無事だった生徒がいます。先生の言葉を守ってトイレに閉じこもっていた子供は、外で暴れまわっていた宅間守の声をトイレの中で聞いていたとのことです。

生き残り人物②逃げた教師と言われる「岩崎真季」

附属池田小事件が報道された際に、1人の教師が槍玉に挙げられています。その先生は「岩崎真季」という人物です。岩崎真季さんは当時28歳で2年生西組担当でした。

宅間守が学校に侵入してきた際、岩崎真季さんは教室を飛び出して警察に通報しています。しかし、岩崎真季さんが担任を務めるクラスでは結果的に2人の生徒が亡くなり、6人のけが人が出ました。事件が報道されると岩崎真季さんの行動に対してバッシングが浴びせられました。

岩崎真季が逃げた教師と言われる理由

批判が集まった理由の1つに、岩崎真季さんが警察に通報したのは「事件発生から7分経ってから」だった、という点です。つまり、岩崎真季さんは教室を飛び出してから通報するまで時間がかかりすぎている、という見方なのです。

岩崎真季さんが教室から飛び出してから通報するまでの詳しい目撃者はいないと言われています。そのため、岩崎真季さんは子供たちを見捨てて「逃げた」と批判した人も出てきたのです。岩崎真さん季は附属池田小事件から半年後に当時のことを振り返って、お詫びのコメントを発表しています。

ちなみに逃げた教師は事件後に学校を去っており、退職したと噂されています。「逃げた教師」という誹謗中傷は止むことはなく、仕事を続けることは不可能に近かったのかもしれません。

逃げた教師は「席替え中に男が侵入してきて、すぐに一番後ろの席の3人がされた」、「生徒たちに逃げてと言いながら、事務室に通報のため走った」と告白しています。逃げた教師は事件後も保護者や被害者から非難されたそうです。逃げた教師は身を挺して犯人に立ち向かうべきだったのかは、現在も議論され続けています。

生き残り人物③学校から逃げスーパーに駆け込んだ生徒

岩崎真季さんが逃げた教師と批判を浴びる中で、生き残りとなった生徒たちの行動も注目されました。附属池田小事件において、救急への第一報は逃げた教師である岩崎真季さんではなく、学校前のスーパーに助けを求めて駆け込んだ子供たちの話を聞いた店員でした。

通報で到着した救急車は1台だけで、乗っていた医者も1人だけでした。子供たちの情報だけでは正確なことが伝わらなかったためです。救護の遅れが無ければ、死亡者は減らせたという見方もあります。

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附属池田小事件その後や遺族の現在

附属池田小事件の生き残りについて解説しましたが、事件のその後はどうなっているのでしょうか?附属池田小事件のその後や遺族の現在について解説します。

その後の被害者や遺族への賠償金は?

附属池田小事件に対して判決が下されたその後に、学校側は生き残りとなった被害者、遺族に謝罪しています。不審者の侵入を許したセキュリティの甘さや事件時の対応に問題があったと認めたわけです。

学校を管轄する文部科学省は被害者遺族らに総額4億円の慰謝料や賠償金を支給しています。しかし、附属池田小事件の犯人、宅間守は最後まで謝罪することなく死刑執行されているのです。

小学校のセキュリティ体制強化

事件のその後、小学校は17項目に渡る改善点を発表しました。小学校のセキュリティ体制強化に関する物となっており、来校者証やIDカードの着用なども行われるようになったのです。また、附属池田小事件がきっかけで、その後に多くの教育施設が同様のセキュリティ強化を行いました。

逃げた教師と言われる岩崎真季の現在

逃げた教師と言われた岩崎真季さんは、現在は小学校の現場を離れているそうです。教師を続けているのかは不明ですが、いまでも附属池田小事件の被害者に対する謝罪の気持ちを抱えているのだとか。岩崎真季さんは子供たちに対する謝罪の気持ちは「一生消えることはない」と考えているそうです。

生き残り生徒の現在

附属池田小事件のその後として、毎年追悼の「祈りと誓いの集い」というものが行われています。2020年も6月8日に行われており、附属池田小事件から19年経ったことが報道されました。

その後の情報として、生き残り生徒の中には「こども食堂」に関わっている人もいるのだとか。事件後に多くの人達に支えられた恩返しとして、子供の見守りを行っているそうです。事件のその後にPTSDを発症する子供たちは多く、神経質や不安神経症になった人も多かったと言われています。

長女を殺害された本郷由美子さんの現在にも注目が

遺族の1人であり、長女を殺害された本郷由美子さんの現在に注目が集まっています。本郷由美子さんは事件後に対話を通じてケアする「精神対話士」の資格を取得しています。事故で身内を失った人や病気が原因で終末期医療を受けている人に対して、対話を通じてケアを行っているとのことです。

附属池田小事件は世間にも恐怖を与えた無差別殺傷事件

附属池田小事件を起こした宅間守について紹介しました。幼少期から素行不良だった宅間守は、様々な事件を起こし、最後に附属池田小事件を起こしていたのです。死刑判決後は獄中結婚を行っており、心を開いたかに見えたかと思われましたが、最後まで被害者たちに対する謝罪はありませんでした。

宅間守が事件を起こしたその後は、教育施設全体のセキュリティが見直されています。しかし、被害者たちのトラウマは完全には消え去ったとは言えず、現在も学校を狙った事件が無くなったわけではありません。改めて附属池田小事件のことを知ることで、こういった事件が起こらないように地域全体で子供たちを守っていく必要があるのでは無いでしょうか?

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この記事のライター
浅倉恭介
ギターと野球と料理が好き。犬が飼いたい! もともとは接客業界で働いてました その後は保育業界に。 ロ...

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