【附属池田小事件】逃げた教師「岩崎真季」のその後は?宇多田ヒカルとの関係についても調査

大阪の附属池田小で起きた「附属池田小」事件。附属池田小事件が発生した時に逃げた教師がいると言われています。逃げた教師の名前は「岩崎真季」で、その後が気になります。附属池田小事件と宇多田ヒカルの関係についても調査しました。

【附属池田小事件】逃げた教師「岩崎真季」のその後は?宇多田ヒカルとの関係についても調査のイメージ

目次

  1. 1【附属池田小事件】の概要
  2. 2【附属池田小事件】逃げた教師の名前とは
  3. 3【附属池田小事件】逃げた教師のその後
  4. 4【附属池田小事件】逃げた教師の真相
  5. 5【附属池田小事件】宇多田ヒカルとの関係
  6. 6【附属池田小事件】逃げた教師に対する意見は様々

【附属池田小事件】の概要

https://www.photo-ac.com/main/detail/294693?title=%E9%AB%98%E6%A0%A1

附属池田小事件の概要についてご紹介します。附属池田小事件は、宅間守元死刑囚が起こした児童無差別殺傷事件です。附属池田小事件は、宅間守が小学校に押し入って無差別に生徒と教師を次々に襲い、切りつけた事件として知られています。

附属池田小事件では、たった10分の間に生徒と教師を合わせて23人が被害に遭い、そのうち8人の生徒が亡くなりました。宅間守は教師に取り押さえられ、警察によって現行犯逮捕されました。たくさんの人が犠牲になった附属池田小事件ですが、全て宅間守1人によって行われたものです。

附属池田小事件の詳細

附属池田小事件について詳細にご紹介します。附属池田小事件は、2001年6月8日に大阪府池田市にある大阪教育大学附属池田小学校で起きた事件です。附属池田小事件は、2時間目の授業の終盤に中年の男が出刃包丁を持って附属池田小学校に立ち入りました。

それに気づいた男性教師が2年東組の生徒に対して「外に逃げろ!」と指示します。教室から逃げ出した生徒の中には転んでしまった人もいて、犯人に襲われて4人が重軽傷を負いました。

附属池田小事件の犯人は男性教師から椅子を投げつけられたものの、隣の2年西組に入りました。2年西組の女性教師は、生徒たちに逃げるように指示した後教室から飛び出し、警察に事件を通報します。

教師がいなくなった2年西組の教室では生徒が次々に襲われて8人が亡くなりました。また、さらに隣の2年南組では既に休み時間に入っていて教師がおらず、5人の生徒が亡くなりました。

犯人を捕らえようと教師が奮闘しましたが、2人の男性教師のうち一人が犯人に刺されて重傷を負っています。その後、犯人は1年南組に侵入し、2年南組の男性教師が切り付けられながらも加勢した副校長とともに附属池田小事件の犯人を取り押さえました。

附属池田小事件の犯人は宅間守

附属池田小事件の犯人の名前は、当時37歳だった宅間守です。公判や法廷内で信じられない発言をしていることで注目されました。附属池田小事件の初公判では「自分の命をもって償います」と言っていましたが、その後は真反対の発言をしていたようです。

犯人は精神障害が疑われた部分もあり、公判している間に2回も精神鑑定を行っています。精神鑑定によって情勢欠陥があることが言われましたが、総合失調症ではないため附属池田小事件の責任能力があると判断されました。

宅間守は死刑判決で既に死刑執行済み

宅間守は、附属池田小事件を起こした2年後の2003年8月28日に死刑判決を言い渡されました。裁判官から直接判決を聞いたわけではなく、開廷時に騒いだため退廷命令を受けたため後に聞くことになります。

宅間守は附属池田小事件当時は無職で、前科が15犯もあったといいます。強姦や暴行のほか、器物破損などで逮捕されていました。附属池田小事件までの生い立ちを調べてみても、宅間守を妊娠した時母親は堕胎したいと言うなど、恵まれた環境ではなかったようです。

幼いころから宅間守は、人並みに愛されなかったともいわれています。そのために問題行動を昔から多く起こしていました。三輪車で国道の真ん中を走って車を渋滞させたり、動物を虐待していたといいます。

父親から幼い頃に暴力を受けた宅間守は、家庭内暴力を繰り返されていました。家庭内でのストレスを学校や動物に対してぶつけていたという説もあります。進学先の高校では、教師を殴って退学となっています。

宅間守は4度の結婚を経験しており、附属池田小事件後に獄中結婚もしています。この獄中結婚の相手は、死刑廃止運動家の女性だったとのこと。しかし、本人の希望もあり2004年9月に死刑が執行されました。死刑前に宅間守はタバコとりんごジュースをゆっくり味わってから死刑台に向かったそうです。

死刑を受ける前に、宅間守は「ありがとう、と僕が言っていたと妻へ伝えてください」と刑務官に伝えたといいます。しかし、最後の最後まで附属池田小事件の被害者や遺族、保護者への謝罪は一切ありませんでした。

【附属池田小事件】逃げた教師の名前とは

残虐な結果となった附属池田小事件は、多くの生徒と教師が殺傷され大きな話題となりました。そんな附属池田小事件が起こった際に逃げた教師がいるといわれています。附属池田小事件で逃げた教師の名前や当時の様子についてご紹介します。

事件発生当時に逃げた教師がいた?

生徒や教師が犯人に襲われていった附属池田小事件ですが、事件発生当時に逃げた教師がいるといわれています。附属池田小事件で宅間守が侵入した2年西組の担任で、警察に通報するために生徒を残して教室を出ました。

どのような形で教室を出たのかについては明らかになっていませんが、警察に通報したのが附属池田小事件が発生してから7分ごろといわれています。「通報するには遅すぎるのではないか?」と言われており、このことから「附属池田小事件から逃げたのではないか?」といわれています。

逃げた教師の名前は「岩崎真季」

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附属池田小事件で逃げた教師の名前は「岩崎真季」と言われています。附属池田小事件が起きた当時、岩崎真季は28歳でした。

逃げた教師の名前はネット上で拡散?

逃げた教師の名前については、インターネットで簡単に調べることができます。ネット上では、附属池田小事件について通報するために教室を出たという岩崎真季に対して、目の前に犯人がいるという状態なのに生徒を置いていったということに批判の声が寄せられていました。

附属池田小事件後すぐは逃げた教師の名前はネット上で拡散され、一般教師であるにもかかわらず多くの人に知られることとなりました。

【附属池田小事件】逃げた教師のその後

附属池田小事件で犯人と同様に注目されたのが、逃げた教師です。逃げた教師だとして名前がネット上で拡散されましたが、その後逃げた教師はどうなったのでしょうか?附属池田小事件の逃げた教師のその後についてご紹介します。

名前判明で逃げた教師への批判の声

「生徒を助けた」といったポジティブなコメントではなく「逃げた教師」と言われてしまった岩崎真季ですが、附属池田小事件後に名前が判明して批判の声が露わになりました。

実際に事件が起きてから5分後に学校から逃げた生徒が近くのスーパーで助けを求めたという情報があり、岩崎真季よりも早く通報したといわれています。このことから、通報しに行くために教室を出たのではなく、逃げるために教室を出たと批判されました。

逃げた教師「岩崎真季」が事件後に胸中を語る

逃げた教師といわれている「岩崎真季」ですが、附属池田小事件から半年たったときに胸中を語っています。岩崎真季は、「本当に申し訳なくて、悔やんでも悔やみきれません」とコメントしました。

また、岩崎真季は「自分が教師であるにもかかわらず生徒たちを守ってあげられず、生徒や遺族、保護者に対して本当に申し訳ない」とも話しています。事件が起きたときに実際に岩崎真季が逃げたのかどうかについては明らかになっていませんが、残忍な結果になったことから謝罪しました。

逃げた教師「岩崎真季」の現在

「逃げた教師」といわれている岩崎真季ですが、中には「先生だからといって1人の人間なのだから、命を張って生徒の命を守れるわけではない」という同情の声も寄せられました。

現在は、学校で教師が救命活動の研修を受ける機会が設けられたり、防犯対策に対する意識が高まっていたりします。逃げた教師「岩崎真季」の現在については、明らかになっていません。

【附属池田小事件】逃げた教師の真相

附属池田小事件で逃げた教師がいると言われていますが、岩崎真季は本当に逃げた教師だったのでしょうか?付属池田小事件の逃げた教師の真相についてご紹介します。

岩崎真季は本当に逃げた教師?

岩崎真季は、事件について通報しに行ったといわれていますが逃げた教師だといわれています。逃げた教師がいるということでインターネットでも批判のコメントが多数寄せられました。岩崎真季は本当に逃げた教師なのでしょうか?

警察に通報するも時間がかかり過ぎとの声も

岩崎真季が逃げた教師と言われている理由は、生徒が黒板に向かって着席している中犯人が入ってくるのを見えている状態だったのに、犯人が大きな音を立てても気付かなかったことがひとつです。

その後、犯人は教室に入るや否や生徒を次々に襲っていきました。岩崎真季は生徒に向かって「逃げて!」と叫んで通報のために教室を飛び出したといいます。そして事件発生から7分後に通報しますが、7分もかかったことに対しても遅すぎると非難されました。

一説によると、逃げた教師は110番通報した際に事件について聞かれその対応にかなりの時間を要したともいわれています。そのために警察からの救急車出動要請が遅れてしまい、助かったかもしれない命が助からなかったという見方もあるのです。

逃げた教師「岩崎真季」担任のクラスの生徒は?

逃げた教師といわれている「岩崎真季」が担任をしていたクラスの生徒は、次々に犯人に襲われて8人が死傷しました。

逃げた教師だけでなく学校側の対応にも問題視

附属池田小事件では、逃げた教師の岩崎真季だけでなく、学校側の対応も問題視されました。附属池田小学校の事件への対応や、事件発生直後の動きについて一層混乱を招いてしまったといわれています。それによって保護者や被害者への対応が遅れてしまいました。

中でも問題視されたのが、重傷を負って最終的に亡くなった児童が20分前後放置されたことです。迅速に対応ができていれば助かった命があったかもしれないといわれています。

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また、そもそも小学校に不審者が入れる状況にあったこと自体が問題だったという声もあります。犯人を取り押さえ警察が犯人逮捕するまでの間、学校の管理職などが不審者の侵入を把握しておらず、救命活動や避難の誘導など組織としての対応ができていませんでした。

その上、救急車に教師が同乗しなかったことで誰がどこの病院に搬送されたのかも把握ができていなかったとのこと。そのため、生徒の保護者への連絡が遅くなり、附属池田小事件で死亡した生徒の保護者の中には、自分で搬送された病院を探さなければならなかったというケースもあります。

附属池田小事件の一連のことを受けて、被害を受けた生徒を特別に卒業扱いにしました。また、小学校を管理している文部科学省は、附属池田小事件で被害に遭った生徒の遺族らに総額4億円の賠償金や慰謝料を払っています。

岩崎真季の判断は正しかった?

予測不可能な事件発生に対して、岩崎真季は生徒に逃げるように伝えて通報のために教室を出ました。保護者からすると「逃げた」「子供を守ってもらえなかった」という気持ちになるのは当然のことです。

しかし、誰か通報しなければ警察を呼べないままに事態が更にひどいものになっていたのかもしれません。岩崎真季の判断が正しかったのかははっきりとわかりませんが、附属池田小事件のことを受けて学校での防犯対策が見直されることとなりました。

【附属池田小事件】宇多田ヒカルとの関係

附属池田小事件が起きたことで、様々な場所で追悼の意を表すことが行われました。附属池田小事件が起きて2日後に開催された横浜でのFIFAコンフェデレーションズカップの日本対フランス戦では、附属池田小事件で被害に遭った人に黙とうをする場面がありました。

また、附属池田小事件を受けて宇多田ヒカルも追悼の意を歌で表したといわれています。附属池田小事件と宇多田ヒカルとの関係をお伝えします。

宇多田ヒカルのプロフィール

宇多田ヒカルは1983年1月19日にアメリカ合衆国のニューヨークで生まれました。父親が宇多田照實、母親が藤圭子で、幼いころから日本とアメリカを行き来しながら音楽の英才教育を受けていたとのこと。

1997年に東京でレコーディングしていたのを東芝EMIの関係者が見てスカウトされ、1998年末の15歳のときにCDデビューしました。その当時から歌唱力と深みのある歌詞が注目されて「天才少女」という異名もあったほどです。

宇多田ヒカルのファーストアルバム「First Love」は日本国内のアルバム売上数1位になっており、売上枚数は累計765万枚を突破しています。セカンドアルバムの「Distance」は週間売上枚数が歴代1位を記録したそうです。

宇多田ヒカルは、2010年に2011年以降の音楽活動の休止を宣言していました。その後、「人間活動」をしながら結婚と出産をして、2016年に活動を再開しています。2016年にはNHK紅白歌合戦にも出場しました。

附属池田小事件で殺害された山下玲奈ちゃんが宇多田ヒカルのファン

附属池田小事件で亡くなった山下玲奈ちゃんは、宇多田ヒカルのファンだったというエピソードが紹介されました。紹介したのは山下玲奈ちゃんの母の手記で、大事な娘を突然失った母親の気持ちがつづられていました。

山下玲奈ちゃんの夢は宇多田ヒカルの様な歌手

山下玲奈ちゃんの母の手記によると、山下玲奈ちゃんの夢は宇多田ヒカルのような歌手になることだったと書かれています。幼いながらにして、歌手という大きな夢をもっていた山下玲奈ちゃんは、宅間守によって突然命を奪われてしまいました。

宇多田ヒカルのシングル『FINAL DISTANCE』で追悼

このことを受けて宇多田ヒカルは、シングル「FINAL DISTANCE」で追悼の意を表しています。附属池田小事件で被害を受けた人々に対して作られた曲として注目されました。

【附属池田小事件】逃げた教師に対する意見は様々

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附属池田小事件は、多くの生徒と教師が犠牲になり、社会現象にまでなった大きな事件でした。附属池田小事件を受けて小学校を始めとする全国の学校での防犯意識が高まったといわれています。逃げた教師に対する意見は様々ですが、二度とこのような事件が起こらないことを切に願います。

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この記事のライター
nanairohatch

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