銀ブラ事件の詳細!今上天皇に対する海外の反応や驚きの逸話とは?

銀ブラ事件という平成の今上天皇が起こした事件についてご紹介します。銀ブラ事件とは、今上天皇が当時皇太子であった当時、銀座で起こった事件です。皇族がかかわった事件の逸話ということで、海外の注目をどのように集めたのかも合わせてご紹介します。

銀ブラ事件の詳細!今上天皇に対する海外の反応や驚きの逸話とは?のイメージ

目次

  1. 1銀ブラ事件とは
  2. 2銀ブラ事件を起こした今上天皇とは
  3. 3銀ブラ事件の詳細
  4. 4銀ブラ事件の関係者は?
  5. 5銀ブラ事件・今上天皇の海外の評価
  6. 6銀ブラ事件以外の今上天皇の逸話は?
  7. 7銀ブラ事件のその後は?
  8. 8銀ブラ事件以外にも逸話が多い今上天皇

銀ブラ事件とは

銀ブラ事件という言葉を聞いた事がある方は、比較的高齢の方が多いかもしれません。平成から令和へ年号が移行するにつれ、上皇陛下や銀ブラ事件について興味を持つ方が増えてきたようです。

こちらの記事では、
皇族である今上天皇の過去や、銀ブラ事件の詳細などをご紹介します。上皇陛下の周辺の方や上皇陛下の現在など、銀ブラ事件以外の事についてもご紹介します

今上天皇が銀座で起こした事件

銀ブラ事件とは、平成時代の今上天皇が銀座で起こした事件となります。平成時代の今上天皇は、上皇陛下と呼ばれることが多くなっています。

平成という年号と共に退位されることとなった上皇陛下ですが、皇族である上皇陛下が皇太子時代に起こした事件のことを銀ブラ事件と呼びます。銀ブラ事件が起こった当時、高校生だった上皇陛下は多くの物に興味を持たれていたようです。

皇族である上皇陛下が高校生であった当時、非常に強い興味を抱いていたのが銀座の街だったようです。

好奇心が強く、幼いころからいろいろないたずらをされていた上皇陛下ですが、高校生の時に従者に内緒で学校を抜け出し、銀座の街で遊んだ事件の事を銀ブラ事件と呼びます。銀ブラ事件は海外の映画「ローマの休日」を思わせるようなエピソードともいわれています。

銀ブラ事件は皇室というベールに包まれた環境で生活しておられる上皇陛下のエピソードということで、多くの方が興味を持ったようです。銀ブラ事件は、今日では小説化や映画化までされています。

銀ブラとは

銀ブラという言葉は、大正時代から存在していたようです。その意味は、「銀座をぶらぶらと散歩すること」が由来となっているようです。銀座は近代以降に商業の中心地となりました。

その際、買い物をしに銀座を多くの方が訪れたようです。そういった時代背景もあって、銀ブラという言葉が広まっていったようです。また、銀ブラという言葉だけではなく、他の商業地域をぶらぶらする行為を指す俗語もあったようです。

他の俗語をご紹介しますと、大阪の心斎橋をぶらぶらするということを心ブラと言ったり、道頓堀をぶらぶらすることを道ブラということもあったようです。

銀ブラ事件が小説・映画化

先ほどもご紹介しましたが、銀ブラ事件は小説化しています。その小説は「孤獨の人」という小説です。こちらの小説の全てが銀ブラ事件について書かれたものではなく、銀ブラ事件について書かれているのは一部になります。

銀ブラ事件について書かれている孤獨の人という小説は、上皇陛下が当時皇太子であった頃の学友の方が書かれた小説です。高校生時代の上皇陛下について書かれた小説となります。

平成時代の今上天皇という面ではなく、個人としての上皇陛下の姿を多くの方にご覧いただきたいという思いで描かれた青春小説です。1956年に出版された銀ブラ事件について書かれているこちらの小説は、当時ベストセラーとなりました。

最終的に銀ブラ事件を含めて映画化となりましたが、現在のところDVDの販売はされていないようです。気になる方は銀ブラ事件が書かれている小説版を購入されることをおすすめします。

気になる銀ブラ事件の部分ですが、実際の事件と小説の内容はほぼ一致しているようです。

また、上皇陛下だけではなく、当時の皇太子様の学友の方の心理情景も描かれているので、銀ブラ事件が起こった昭和初期の雰囲気や、皇族である上皇陛下のキャラクターなど多くの事を楽しめる内容となっているようです。

今上天皇の皇太子時代エピソード

現在では上皇陛下となられた平成時代の今上天皇ですが、皇族である皇太子時代は非常にやんちゃで好奇心が強かったと言われています。学生時代には、臣下である学友たちと多くのいたずらをされていたという記録が残っているようです。

また、油で揚げたトンボを食べてみたり、手作りのスタンプを作成し、ノートにいくつも押していくという遊びもしていたそうです。青年時代のエピソードになりますが、当時の上皇陛下は車が好きだったと言います。

海外のイギリスの高級車を軽井沢で乗り回していたこともあったそうです。その際、日本車で追いかけていた従者の車を引き離し、従者を不安にさせたこともあるというエピソードも語り継がれています。

現在では非常に穏やかな表情で公務に就かれているイメージが強い方も多いかもしれませんが、当時の上皇陛下は非常に行動的だったようです。また、皇族であるにも関わらず、子供らしくやんちゃな時代もあって安心された方もいらっしゃるかもしれません。

銀ブラ事件を起こした今上天皇とは

平成までの今上天皇は、現在では上皇陛下となられています。昭和初期に銀ブラ事件を起こすことで、その行動力とやんちゃぶりが周知された上皇陛下ですが、皇族である上皇陛下とはどのような方なのでしょうか?

こちらの項目では、上皇陛下がどのような立場におられる方なのかをご紹介します。また、今上陛下という言葉の読み方もご紹介します。

日本の第125代目の天皇

現在の上皇陛下は、日本の歴史上125代目の天皇と言われています。本名を昭仁(あきひと)様といい、ファンの中には親しみを込めて、昭仁様と呼ばれる方もいらっしゃるようです。

意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、皇族である上皇陛下はハゼの研究者でもあるようです。日本魚類学会に属しており、多くの論文を発表しているという経歴をお持ちの方です。昭和天皇の第5子としてお生まれになった上皇陛下ですが、それまでの4人は全て女性でした。

そのため、お生まれになった時点で第一皇子となったようです。上皇陛下がお生まれになった際は、日本国民の多くが喜んだそうです。

その際、生まれた事を祝福するような歌まで作られたそうです。現在では天皇の役職を全うし、上皇となられました。1989年1月に平成の今上天皇として即位され、2019年の4月31日に退位されるまで、約30年の公務に就かれていました。

今上天皇の読み方が間違えやすい

今上天皇は「きんじょうてんのう」と読みます。今上天皇という言葉の意味は、その時代に在位している天皇を指す言葉です。そのため、現在の今上天皇と言えば、令和時代の天皇の徳仁様を指す言葉になります。

天皇の即位について多くの方がご存知かもしれませんが、令和時代の天皇が即位された背景には平成時代の今上天皇の生前退位があります。生前退位することによって、平成時代の今上天皇は上皇陛下となられました。

しかし、生前退位が行われるのは202年ぶりのことだそうです。その200年間の天皇の即位については、全て前天皇がなくなられた際に即位するという形になっていたようです。

今上天皇という言葉は、大正時代から使用されていたという記録が残っています。元々は古代中国の『史記』に記載のある言葉だったそうです。今上天皇の他に、今上陛下という言い方もあるようです。上皇陛下は、銀ブラ事件の後に今上天皇に就かれました。

皇太子時代の今上天皇はヤンチャ?

平成時代の今上天皇にあたる現在の上皇陛下ですが、皇太子時代の上皇陛下は非常にやんちゃであったという記録が残っているようです。先ほどもご紹介したように、トンボを油で揚げてみたり、学友と多くのいたずらをされていたようです。

銀ブラ事件でもうかがえるように、行動力と好奇心の強さは人一倍あるように感じる方も多くいらっしゃるかもしれません。多くのエピソードが伝わっている訳ではありませんが、ご紹介したように好奇心が旺盛だった皇太子時代を過ごされています。

もしかしたら、皇室内ではさらに多くのいたずらや、好奇心からくる行動も見られたのかもしれません。日本の象徴である天皇という立場になられる方が、元気に育つということに対して、安心されていた方も多くいらっしゃるのかもしれません。

現在では天皇という位を退位されましたが、無事に退位されて安心されている方も多いと言われています。

銀ブラ事件の詳細

平成時代の今上天皇であり、現在の上皇陛下についてご紹介してきました。こちらからは、銀ブラ事件の詳細についてご紹介します。

多くのやんちゃなエピソードが残る上皇陛下ですが、数十年後も語り継がれる銀ブラ事件とはどのようなものなのでしょうか?銀ブラ事件が起こった当時の情景も踏まえてご紹介するので、最後までご覧いただくことをおすすめします。

詳細①銀座に行きたかった今上天皇

先ほどもご紹介しましたが、銀ブラという言葉は銀座をぶらぶらすることです。銀ブラ事件が起こった背景には、銀座という街が商業地域として発展し始めた歴史があるということも合わせてご紹介しました。

銀ブラ事件が起こった当時だけでなく、現在においても最先端の文化や技術が集まる銀座ですが、好奇心が旺盛な皇太子時代の上皇陛下にとって、興味がないわけはなかったようです。

銀ブラ事件の発端は、上皇陛下が高校生であった時の1952年2月に、ご学友に「銀座へ行きたい」と漏らしたことでした。当時の上皇陛下は高校生3年生で、すでに大学の進学も決まっていたそうです。

そんな中、高校時代の最後の思い出にと考えたのかもしれません。そこで、ご学友に銀座へ行きたいと相談したのでした。なお、そのご学友というのは、現在では評論家やジャーナリストとして活躍している橋本明だったと言います。

詳細②寮を抜け出し電車へ

平成時代の今上天皇である現在の上皇陛下は、銀ブラ事件当時立太子式を目前としていたそうです。立太子式というのは、後継ぎとして皇子等を公式に次期天皇として認めるといった、重要な皇族の儀式です。

皇太子時代の上皇陛下には大学進学も近づいており、もしこの儀式が完了してしまえば自由に出歩くようなことはできなくなるという焦りもあったようです。先ほどご紹介した橋本明ともう一人のご学友と共に、銀座へ行く算段を画策したそうです。

問題となったのは、皇太子時代に上皇陛下に仕えていた東宮侍従の存在でした。日本の次期天皇となる存在をそう簡単に外に出すことはできません。

そのため、皇太子時代の上皇陛下とご学友の3人は、東宮侍従を出し抜き学生寮を抜け出しました。そして、今まで一度も乗車した事のない山手線に乗り、銀座へと赴いたそうです。こちらが銀ブラ事件の始まりとなります。

詳細③高級喫茶店をはしご

銀座に到着した皇太子時代の上皇陛下達が向かったのは、銀座の高級喫茶店でした。当時の銀座には多くの高級喫茶店が存在していたそうです。その中でも、皇太子時代の上皇陛下が向かったのは、「コロンバン」と「花馬車」だったと言われています。


まず最初に「花馬車」へ行き、学友たちでお金を出し合ってコーヒーを注文したそうです。当時のコーヒーは99円という金額だったそうです。99円と聞くと非常に安く感じる方も多いかもしれませんが、当時の公務員の初任給は6,500円だったそうです。

現在の金額でいうと、当時の99円は数千円にも及ぶと言われています。また、当時の一般的なコーヒーの価格も30円程度であり、その3倍以上の金額で1杯のコーヒーを提供する花馬車は、高級喫茶店であった事が伺えます。

花馬車でくつろいでいると、花馬車のマスターに皇太子様であることがばれてしまい、場所を移すことになります。

詳細④皇族関係者や警察に捕まる

花馬車を出た皇太子時代の上皇陛下が次に向かったのは、「コロンバン」という喫茶店でした。皇太子様がコロンバンで注文したのは、アップルパイと紅茶だったと言います。もちろんこちらのお店も高級喫茶店です。

高級喫茶店をはしごし、皇太子時代の上皇陛下は銀座をしっかりと満喫したそうです。しかし、花馬車のマスターや、皇太子時代の上皇陛下を見かけたという通報が皇室関係者の耳に入ることになったそうです。

多くの警察官や皇室の東宮侍従を含めた従者が銀座へ出動するという事件へと発展しました。20メートル間隔で警察官が立ち並ぶという異例の対応により、皇太子時代の上皇陛下は捕まってしまったそうです。

上皇陛下はもちろんのこと、上皇陛下の従者を出し抜き、皇太子時代の上皇陛下を銀座へと連れだしたご学友の二人は強く叱られたそうです。これで、銀ブラ事件は落ち着いたそうです。

銀ブラ事件の関係者は?

多くの方や銀座の街全体を騒がせたという銀ブラ事件ですが、ご紹介した通り関係者は平成時代の今上天皇だけではありません。上皇陛下以外にも、ご学友の2人やご学友に出し抜かれてしまった従者の方もいらっしゃいます。

こちらの項目では銀ブラ事件に関わったご学友の詳細や、その現在についてご紹介します。また、従者の方の詳細もご紹介します。皇室の東宮侍従を出し抜くほどの方が、現在どうなっているのか気になる方も多いかもしれません。

関係者①橋本明

皇太子時代の上皇陛下を銀座へと連れだしたご学友の1人が橋本明でした。皇太子時代の上皇陛下が最初に銀座へ行きたいと伝えたのも橋本明と言われています。銀ブラ事件の逸話から、上皇陛下からの信頼が厚い事も伺うことができるかもしれません。

橋本明は、上皇陛下に対して気兼ねなく話しかけたり、時に喧嘩が出来るほど親しい中だったと言われています。先ほどもご紹介しましたが、橋本明は評論家やジャーナリストとして、最近まで活躍していました。

上皇陛下と現在の上皇后陛下がご成婚される際にも、上皇陛下ももとに取材に伺うといった、学友時代以降も親しい関わりがあったと言われています。

天皇家や皇室といった、あまり多くを伺い知ることができない内容の本を多く出版していたそうです。残念ながら、橋本明は2017年8月に多臓器不全により亡くなられたそうです。

評論家やジャーナリストとして活躍

これまでにも何度かご紹介してきましたが、橋本明は評論家やジャーナリストとして活躍されていました。現在の上皇陛下が今上天皇として即位した1989年にも、『平成の天皇』というタイトルの書籍を出版しています。

天皇家や、当時の今上天皇にまつわる多くの書籍を出版していたことから、学友時代の交友関係が続いていたのではと言われています。女系天皇誕生に関する皇室典範改正議論の際にも多くの発言をした事が話題となった事もあるようです。

『文藝春秋』といった週刊誌にも論考を寄せるといった、評論家としての活躍が目立つ方です。

関係者②千家崇彦

銀ブラ事件の際に、皇太子時代の上皇陛下が最初に相談した橋本明が連れていきたいと言い出したのが、こちらでご紹介する千家崇彦(せんげのりひこ)です。

千家崇彦は島根県出身で、小説家でありジャーナリストでもある兄と、出雲大社で儀式を任されるほどの宮司である父がいます。千家崇彦の父は千家尊宣という方です。

國學院大學の教授をされるほどの文化人でもあり、八十代出雲国造出雲大社大宮司として儀式を取り仕切った方でもあるようです。千家は代々、出雲大社の宮司をしている家系となります。

千家崇彦自身も出雲代謝の宮司を経験されています。千家崇彦の家系で千家国麿という方がいらっしゃいます。千家国麿は、2014年に皇室の高円宮家典子様と成婚されています。上皇陛下とのご学友ということだけでなく、皇室との強いつながりも伺うことができるかもしれません。

父が教授

先ほどもご紹介しましたが、千家崇彦の父である千家尊宣は、國學院大學の教授をされていました。國學院大學とは、神職を目指す方を要請する期間としての一面を持っています。國學院大學の卒業生の多くは、地方の神社の神主といったお仕事に就かれることが多いと言います。

千家崇彦の兄である千家紀彦は、青柳淳郎というペンネームで1956年『小説皇太子殿下』という小説を出版してから、小説家として多くの活躍をされている方になります。

なお、千家崇彦の祖父である千家尊福は、出雲大社宮司を務めるも、県知事や司法大臣を務めるといった活躍もされています。

関係者③東宮侍従

東宮侍従とは、一定の個人を指す言葉ではなく、役職の名前となります。東宮侍従の仕事内容は、皇太子専属の文官です。東宮侍従の具体的な仕事内容としては、皇太子の身の回りのお世話となっています。東宮とは皇太子を指す言葉だそうです。

また、東宮侍従は一人ではなく、1人の皇太子様に対し数人の東宮侍従がついているそうです。銀ブラ事件の際に東宮侍従は、橋本明に皇太子様と目白に行くと嘘をつかれ、出し抜かれてしまったと言います。

銀ブラ事件当時は東宮侍従の仕事内容が皇太子様のお世話であるにも関わらず、皇太子様の行方が分からなくなった際は、肝を冷やしたというエピソードも残っているそうです。

皇太子さまが銀座で捕まった後、橋本明と千家崇彦を叱ったのも東宮侍従と言われています。また、当時東宮侍従に就かれていた方はなくなったと言われています。

銀ブラ事件・今上天皇の海外の評価

銀ブラ事件の際、海外ではどのような反応があったのでしょうか?当時の海外のニュースや海外の記事では、日本の皇族の方が東宮侍従の目を盗み、銀座で遊んでいたという事実を報道するような内容はなかったそうです。

銀ブラ事件は、海外で有名な『ローマの休日』に似ているような逸話に感じた方も多いかもしれません。銀ブラ事件の逸話は、海外で上映しても人気があったかもしれません。

事前に学友は侍従に相談していた

銀ブラ事件の際、学友であった橋本明は東宮侍従にすでに相談していたという逸話が残っています。東宮侍従の采配により、当日の銀座には多くの私服警官が配備されていたとも言われています。

平成時代の今上天皇であり、現在の上皇陛下のご学友の提案で東宮侍従が出し抜かれていたのではなく、皇族の方が寮を抜け出し銀座で捕まるまでがすでに計画された内容だったのかもしれません。

銀ブラ事件は最初から計画されたことだったので、実際橋本明らご学友の方々は皇族の従者である東宮侍従に叱られたかどうかは定かではありません。

また、銀ブラ事件について海外の記事やニュースで報道されたという記録も残っていないので、真相は上皇陛下とご学友の中だけにあるようです。なんにせよ、皇族の方が護衛もつけずに銀座の街をぶらぶらするというのは、東宮侍従にとっては肝を冷やす出来事だったのかもしれません。

魚類学者として評価される

これまでにもご紹介してきましたが、上皇陛下はハゼの研究者をされています。上皇陛下は、研究誌にも多くの論文を発表しているそうです。そのため、海外でも魚類学者としては知られているようです。

銀ブラ事件の当人ではありますが、好奇心がいい方向に向かった結果かもしれません。海外のカナダへ訪れた際、帰国の際にカナダ市長から15匹のブルーギルを送られたという逸話も残っています。

持ち帰ったブルーギルは国内で繁殖され、食料用にと多くの地域の湖に放たれる形になりました。しかし、放流されたブルーギルは最終的に食用として定着することはなかったようです。

野生化したブルーギルは大量に繁殖し、各地域の生態系を壊していきました。現在では、在来種の一部が絶滅してしまう危機にまで及んでいるそうです。

上皇陛下は琵琶湖の記念式典でのスピーチの際、ブルーギルの放流により湖の生態系がおかしくなってしまったという結果に対し、胸を痛めていると話したことがあるといます。

国内外から評価が高い

日本では多くの逸話が残っており、いたずらな皇太子時代のこともあり、親しみを持っている日本人は多いようです。海外での公務の際は、真摯に取り組まれている姿や、平和を愛する行動などが評価され、日本の皇族として高い評価を受けているようです。

先ほどもお伝えしましたが、魚類学者としても知られています。海外には、上皇陛下の本名にである「akihito」にちなんだ新種のハゼが多く存在しているそうです。そのため、魚類学会では知られているという背景があります。

また、海外ではなく国内の評価についてもご紹介します。未だ傷跡の残る東日本大震災が発生した際、各避難所に赴いては励ましの言葉を残されていったというエピソードも残っています。

このように、研究熱心であり、平和に対する真面目な取り組みが評価され、日本国内だけでなく海外での評価も高いと言われています。

銀ブラ事件以外の今上天皇の逸話は?

これまで銀ブラ事件についてご紹介してきましたが、大きなインパクトを受けたという方もいらっしゃるかもしれません。こちらの項目では、銀ブラ事件以外の平成時代の今上天皇の逸話についてご紹介します。

これまでにもご紹介したように、上皇陛下はおちゃめな一面や、いたずらな性格など持っています。上皇陛下が残された逸話とは、どんなものがあるのでしょうか?

逸話①オランダへの真摯な外交

終戦後のオランダは、日本に対して悪感情を高めていました。その理由は、第二次世界大戦の確執によるものです。

戦後50年の終戦記念日に開催された村山談話では、日本が世界大戦中に、海外であるアジアへの侵略や、植民地的な支配を行っていたことを認め謝罪するという場面がありました。

こちらの謝罪により、海外のオランダとの会合の機会を得ることができるようになったそうです。上皇陛下が2000年にオランダへ向かった際、アムステルダム王宮の戦没者慰霊碑に黙とうする機会があったそうです。その黙とうは非常に長いものであったと言われています。

翌日上皇陛下と上皇后陛下は、アムステルダムの養護学校を訪れました。そこで行われた式典に出席することができなかった女児を、やさしく抱きしめる上皇后陛下の写真が撮られました。その写真が新聞に取り上げられ、オランダ国民の心を開いたと言われています。

逸話②東日本大震災の被害者を励ます

ご存知の方も多いかもしれませんが、2011年の3月に東日本大震災が発生しました。日本全国で合計15000人の方がなくなったという大きな災害となりました。東日本大震災に対し、上皇陛下は国民と東日本大震災で被災された被災者の方宛にビデオメッセージを送りました。

こちらもご覧いただいた事があるという方は多いかもしれません。東日本大震災の際、福島原子力発電所が機能しなくなりました。そのため、日本全体で計画的に電気を止める地域を指定するという計画停電が行われました。

その際上皇陛下は皇族の身でありながら、計画停電地域ではないにも関わらず進んで停電を行ったという逸話が残っています。東日本大震災が落ち着いてきた後、上皇陛下と上皇后陛下は各地の避難所を訪問し、多くの方に励ましの言葉を残すという逸話も残っています。

逸話③ブルーギルの繁殖に心を痛む

こちらは先ほどもご紹介した逸話になります。海外でも知られているような魚類学者として知られている上皇陛下は、アメリカを訪れた際、帰り際に15匹のブルーギルを頂くこととなりました。このブルーギルには、日本国内の食料の増加を図るという目的があったようです。

その後持ち帰ったブルーギルは国内で繁殖され、各地へと放流されました。しかし、現在に至っても食用として定着することはなかったと言われています。それだけではなく、放流された海外種であるブルーギルは各地の湖で大量に繁殖していきました。

ついに国内の生態系も変えてしまうほどの量になったと言われています。ブルーギルの増加について、上皇陛下は琵琶湖での記念式典の際、元々あった生態系を脅かすような結果となり心を痛めているというコメントを残したことがあるという逸話が残っています。

逸話④丸刈りにされる

現在ではあまり見られないような風習にまつわる逸話をご紹介します。皇族である上皇陛下の幼少期には、男児には魔物が取り付くという逸話が存在していたそうです。そのため、男児も女児と同じような服装で過ごさせるという風習があったそうです。

男児でも幼いころに女児の格好をしていると、病や魔物が離れていくと信じられていたからだそうです。その風習もあって、皇族である上皇陛下の幼少期の髪型はおかっぱであったそうです。上皇陛下が学校に入る際、いよいよおかっぱではなく丸刈りにするということになりました。

上皇陛下がおかっぱから丸刈りになった際、上皇陛下は大きなショックを受けたそうです。上皇陛下は、今後勝手に丸刈りにすることの内容に言い伝え、そのままふさぎ込んでしまったと言われています。この風習は現在ではなくなってしまったそうです。

銀ブラ事件のその後は?

銀ブラ事件以降、上皇陛下は平成時代の今上天皇として公務に就かれることとなりました。銀ブラ事件は日本の史実としてしっかりと存在しているのですが、銀ブラ事件当時に上皇陛下が召し上がったアップルパイや、上皇陛下の現在はどのようになったのか気になられているという方もいらっしゃるかもしれません。

こちらの項目では、銀ブラ事件以降の上皇陛下についてご紹介します。

今上天皇が食したアップルパイが食べられる?

平成時代の今上天皇である現在の上皇陛下は、銀ブラ事件当時に「コロンバン」という洋菓子店でアップルパイを召し上がっていたという逸話が残っています。こちらのアップルパイは現在でも頂くことができるそうです。洋菓子店のコロンバンは開店当時からお菓子を皇室に収めているそうです。

現在では「プレミアムアップルパイ」という商品名で、銀ブラ事件当時に皇族である上皇陛下が召し上がったといわれているアップルパイを提供しています。プレミアムアップルパイのお値段は、税抜¥1,600-だそうです。

皇族である現在の上皇陛下が今上天皇となる前に堪能したという逸話が残っているアップルパイなので、気になる方は一度召し上がっていただくことをおすすめします。ちなみに、銀ブラ事件でコロンバンの前に入った花馬車という喫茶店は、すでになくなってしまったそうです。

ガンを克服する今上天皇

平成時代の今上天皇である現在の上皇陛下は、2003年に前立腺ガンという診断を受けています。2003年の1月から約1カ月間、前立腺ガン摘出のための入院をされています。入院後2日ほどで手術となり、手術は無事に成功したそうです。

前立腺ガン摘出手術には、名医と呼ばれるような多くの医師が執刀にかかわったそうです。手術が完了し退院された後、執刀を担当した医師や心配していた国民に対しお礼のコメントをされていたそうです。さらに、国民の健康も気遣うような内容のコメントも残されていたそうです。

手術後はガンの再発はありませんでした。2003年以降も、肺炎や不整脈といった加齢に伴うような症状が出ることはありましたが、2019年の4月に天皇という位を退位されるまで、元気に公務に就くことができたそうです。

2019年に生前退位

天皇という位を生前退位するということは、正確には譲位と言われるそうです。平成時代の今上天皇にあたる現在の上皇陛下は、2019年に無事退位されました。現在では上皇陛下の息子にあたる、徳仁陛下が126代目の天皇という位に就いています。

皇室には、即位や天皇という役職などに関わるルールをまとめた皇室典範というものがあります。1889年に定められた皇室典範には天皇という位を譲位することは出来ないと書かれています。

しかし、現在の上皇陛下が天皇を務めていた際、いくつかの理由により今後の公務が出来ないという旨の「おことば」を、国民に向けたビデオメッセージで公開しました。

翌年、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が国会で可決しました。そのため、平成時代の今上天皇の譲位が許されることとなり、譲位が完了した現在では、当時の今上天皇は上皇陛下と呼ばれています。

生前退位する理由は?

上皇陛下が生前退位された理由をご紹介します。まず1つ目の理由は、次代の天皇が即位される際の儀式などの宮中行事が、いろいろな部署に多くの負担をかけているということです。

さらにもう1つの理由は、当時の今上天皇の年齢や体力的に、今後の公務を十分にこなすことができないという可能性があるためでした。

これらの内容は先ほどご紹介した「おことば」の中で語られており、ビデオメッセージをご覧いただいた方の中にはショックを受けた方もいらっしゃるかもしれません。平成時代の今上天皇は、無事に譲位することができ、現在では上皇陛下として東京都内でご隠居されています。

銀ブラ事件以外にも逸話が多い今上天皇

上皇陛下の銀ブラ事件や、銀ブラ事件以外の逸話についてご紹介してきました。銀ブラ事件は若い人はあまり知らない事件かもしれませんが、皇族の方でも大胆な行動をとる事もあるということを理解した方もいらっしゃるかもしれません。現在の今上天皇についても、いろいろな逸話があるかもしれませんので、気になる方は調べてみることをおすすめします。

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この記事のライター
村上 貴洋

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