畑正憲(ムツゴロウ)は麻雀の天才?経歴や実績は?麻雀エピソードも

「ムツゴロウさん」という愛称で親しまれている畑正憲は小説家、動物研究家として活躍していますが、実は麻雀の天才ということをご存知でしょうか?畑正憲のこれまでの経験や実績について調査してみました。畑正憲の麻雀エピソードについてもご紹介しましょう。

畑正憲(ムツゴロウ)は麻雀の天才?経歴や実績は?麻雀エピソードものイメージ

目次

  1. 1畑正憲(ムツゴロウ)のプロフィール
  2. 2畑正憲は麻雀の天才?
  3. 3畑正憲の麻雀経歴や実績は?
  4. 4畑正憲の麻雀エピソード
  5. 5畑正憲以外の麻雀好き芸能人一覧
  6. 6畑正憲の麻雀は最高位を超えた十段レベル

畑正憲(ムツゴロウ)のプロフィール

・愛称:ムツゴロウさん
・本名:畑 正憲(はた まさのり)
・生年月日:1935年4月17日
・年齢:87歳(2022年10月時点)
・出身地:福岡県福岡市
・血液型:A型
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:小説家、動物研究家、エッセイスト、プロ雀士
・所属グループ:なし
・事務所:不明
・家族構成:妻、娘

畑正憲の経歴

畑正憲は1935年4月17日に福岡県福岡市で生まれました。畑正憲は医師だった父が満州国に赴任したために幼少期は満蒙開拓団の村で育っています。大分県立日田高等学校から東京大学理科II類に進学し理学部動物学科を選択し、動物学を専攻しました。

大学を卒業後、学習研究社の映像部門に就職し、学習映画の制作に携わりました。しかし、社風に合わず退職し、文筆業に専念しています。1967年に『われら動物みな兄弟』を刊行し作家デビューしました。

1968年に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し話題になっています。1969年には子供向けSF『ゼロの怪物ヌル』や『天然記念物の動物たち』を刊行し、さらに1970年に『ムツゴロウの博物志』を刊行しました。

1971年に東京から北海道厚岸郡浜中町の嶮暮帰島に移住し、その後、浜中町に移ります。1972年に「ムツゴロウ動物王国」を開園し、1979年には標津郡中標津町にもムツ牧場を開園しています。

2004年7月28日には東京サマーランド内に「東京ムツゴロウ動物王国」を開園しました。しかし、集客が伸びず、2006年10月14日に破綻し、負債総額8億円に上ります。「東京ムツゴロウ動物王国」は2007年11月25日に閉園しました。

畑正憲はこの時、従業員の給与を支払わなかったということで労働基準法違反の疑いで書類送検されてしまいます。飼育していた動物のほとんどは北海道に戻り、現在も非公開の下で暮らしています。畑正憲は各地で講演をしたり文筆生活をしています。

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畑正憲は麻雀の天才?

畑正憲は麻雀の天才として知られていて話題になっています。畑正憲は39歳から麻雀を始め、プロ雀士を打ち負かすほどの腕前です。畑正憲はどのくらい麻雀が上手なのかについてご紹介しましょう。

畑正憲は麻雀の天才と話題に

畑正憲は麻雀の天才と話題になっています。畑正憲は「ムツゴロウさん」の愛称で親しまれ、動物が大好きということでバラエティ番組でも活躍していましたが、実は麻雀が得意です。

畑正憲の学歴と麻雀の実力の関係性

畑正憲の学歴と麻雀の実力の関係性について調査してみました。畑正憲は高学歴の持ち主。東京大学理科Ⅱ類の出身で当時の東京大学理科Ⅱ類は現在の理科Ⅲ類の内容を含んでいたので日本最高峰でした。

畑正憲は現役で東京大学に合格しました。畑正憲には一度見た風景を脳内にいつまでも記録しておける能力があります。

畑正憲は天才的な記憶力の持ち主で、1度呼んだ小説も丸暗記できてしまうほどという噂です。畑正憲は1度見た場面はカメラのシャッターを切るように写しとり、映像として記憶することができます。「畑正憲は記憶力が凄いので麻雀が強いのでは?」と噂されているようです。

畑正憲は麻雀十段?

麻雀のプロの最高峰は九段までなのですが、畑正憲は十段の持ち主です。プロ雀士が「最高位は九段だが、ムツゴロウさんは十段の持ち主」と評したことから「十段位戦」が創設されました。

畑正憲は入団テストで九段の人に圧勝し、九段と認定されました。その翌年に九段の中で誰が一番強いのかを決めるために十段を作ったそうです。畑正憲は自身で十段をつくり、自身で獲得しました。

畑正憲の麻雀経歴や実績は?

畑正憲の麻雀経歴や実績についてご紹介しましょう。畑正憲はいつから麻雀を始めたのかその経歴について調査してみました。畑正憲の麻雀の実績についても話題になっています。

畑正憲の麻雀経歴

畑正憲の麻雀経歴についてご紹介しましょう。畑正憲はいつから麻雀をはじめ、麻雀に対してどんな経歴の持ち主なのでしょうか?畑正憲の麻雀経歴について調査してみました。

麻雀経歴【年齢39歳から開始】

畑正憲は39歳の時に麻雀を始めました。39歳で胃がんを発症し、胃がんの療養中に趣味で麻雀を始めたのがきっかけです。麻雀に没頭することで精神的に助けられ元気になりました。

麻雀経歴【日本プロ麻雀連盟相談役に就任】

畑正憲には日本プロ麻雀連盟相談役に就任したという経歴があります。畑正憲は日本プロ麻雀連盟に於ける段位は九段で相当の腕前です。

プロの雀士を次々と打ち負かし、日本プロ麻雀連盟の相談役に収まりました。畑正憲はプロの中でも怪物と呼ばれていたほどで、畑正憲の麻雀の実力がわかります。

畑正憲の麻雀の実績もすごい?

畑正憲の麻雀の実績についてご紹介しましょう。畑正憲には麻雀の素晴らしい実績があり注目されました。畑正憲は麻雀の本も出版していて話題になっています。

麻雀の実績①最高位九段を超える腕前

畑正憲の麻雀の実績は最高位九段を超える腕前ということです。日本プロ麻雀連盟の最高位は九段ですが、畑正憲はそれを超える腕前で、プロ雀士からも認められています。

畑正憲の腕前のおかげでタイトル戦「十段戦」まで新設されたほどです。畑正憲が提唱し、「最高位戦」も創設され、畑正憲の麻雀の実績が注目されました。

麻雀の実績②昭和麻雀十傑に選出

畑正憲は「十段戦」で3回も優勝し、昭和麻雀十傑に選出されました。畑正憲は「ぎゃんぶる百華」で雀鬼ベストテンにランクインし、「北海の雄」と称されています。

麻雀漫画の作品の中には「ウツゴロウ」という名前の雀士が登場し、北海道で動物たちと暮らしています。アーケードゲーム「麻雀格闘俱楽部5」以降、畑正憲はプロ雀士の1人としてゲームに参加していて注目されました。

畑正憲の麻雀本『畑正憲の精密麻雀』も話題に

畑正憲の麻雀本『畑正憲の精密麻雀』も話題になりました。畑正憲は『畑正憲の精密麻雀』を執筆し、読み応えがある麻雀本として注目されています。

昭和54年に麻雀に関しての戦術書を出版し、その後再販されました。麻雀好きからは絶賛され、麻雀のマナーから戦術まで様々なノウハウがわかると話題になっています。

畑正憲の麻雀エピソード

畑正憲の麻雀エピソードについてご紹介しましょう。畑正憲には様々な麻雀に関するエピソードがあります。畑正憲がどれほど麻雀好きかが分かるエピソードについてご案内します。

麻雀エピソード【ムツゴロウ動物王国の借金返済?】

畑正憲と言えば「動物王国」で動物が大好きというイメージです。畑正憲は東京に動物王国の東京版レジャーランドを建設しましたが、経営不振で破綻してしまいます。畑正憲は約3億円の借金を抱えましたが、現在は返済しました。

畑正憲は当時、麻雀の大会で賞金を総なめにしていたことから麻雀でムツゴロウ動物王国の借金返済したという噂が流れたようです。しかし、これは単なる噂で、講演活動や作家活動により借金を返済しました。

麻雀エピソード【不眠不休】

畑正憲はムツゴロウ王国で誰かがぶっ倒れるまで麻雀を打っていました。不眠不休で半荘を50回やるというタイトル戦でも何回も優勝しています。

半荘50回というと38時間以上はかかるので常人の体力ではないことがわかります。畑正憲は平均睡眠時間が3時間という噂もあり、不眠不休で麻雀をしているようです。

畑正憲は39歳の時に胃がんを発症し、趣味で麻雀をはじめました。胃全摘手術後も10日間不眠不休で麻雀を打ち続けたそうです。畑正憲にとって麻雀は再発の不安から救ってくれた薬のような存在でした。

麻雀エピソード【給料5倍ほどの札束】

畑正憲の妻は畑正憲の麻雀エピソードについて語りました。畑正憲は結婚した当時とても貧乏で、三条一間のアパートで家賃は3000円、みかん箱の上でご飯を食べる生活だったようです。

その後、長女が誕生し、畑正憲は出版社に就職し、給料袋は封を切らないで渡してくれ、お小遣いもあげていなかったそうです。畑正憲は暇があれば麻雀ばかりやっていて、たまに財布をのぞくと給料の5倍くらいの札束が入っていました。これを見た畑正憲の妻は麻雀というのは儲かるものだと思っていたそうです。

畑正憲以外の麻雀好き芸能人一覧

畑正憲は麻雀好きで知られていますが、畑正憲以外に麻雀好きな芸能人にはどのような人がいるのでしょうか?畑正憲以外の麻雀好き芸能人についてご紹介しましょう。

麻雀好き芸能人【加賀まりこ】

2021年8月1日にテレビ番組で加賀まりこは麻雀の腕前を披露しました。麻雀最強戦2021「著名人異能決戦」に出場した加賀まりこは女帝の底力を発揮し注目されています。

加賀まりこは「われめDEポン」という麻雀番組で何度も優勝した経験があり素晴らしい実績の持ち主です。

加賀まりこは麻雀が趣味で、テレビで放送されている麻雀の対局はほとんどチェックして研究しています。加賀まりこの麻雀の腕前は芸能界随一と言われるほどで、加賀まりこの豪快で貫録あるうち回しに惚れ惚れする麻雀ファンも多いようです。

1995年から放送されている麻雀バラエティ番組「THE われめDEポン」、2011年から放送されている「芸能界麻雀最強位決定戦THEわれめDEポン 生スペシャル」では5回優勝した経験があります。

加賀まりこは2017年10月21日に麻雀日本一決定戦「麻雀最強戦2017」で見事優勝し、自身初のファイナルに進出しました。加賀まりこの麻雀は男前すぎると話題になっていて、麻雀ファンから絶賛されています。

加賀まりこは打ち筋の豪快さが魅力で、「麻雀バトルロイヤル2008」では男前すぎる考えが絶賛されました。

麻雀好き芸能人【萩原聖人】

萩原聖人は麻雀好きな芸能人として知られています。萩原聖人は2018年にMリーグのTEAM雷電からドラフト1位の指名を受け、プロ雀士として活躍中。萩原聖人はプロ雀士と俳優業との二刀流で注目されています。

萩原聖人は14歳の頃に友人から誘われ麻雀をはじめ、一気にはまりました。俳優として活躍している頃にも麻雀の番組に出演し、鮮やかなアカリを決めたり、有名プロと互角に渡り合い、芸能界最強と称されるようになったようです。

2018年に正式にプロ雀士となり、ドラフト1位の指名を受けTEAM雷電に加入しました。萩原聖人は俳優以外に声優やナレーターとしても活躍し、演技派として知られていますが、プロ雀士となり俳優としてのキャリアに影響しているようです。

萩原聖人は父方の祖母に育てられ、2カ月に1回、東京にいる母親の家に遊びに行きました。母親と母方の祖母は麻雀好きで夜な夜な麻雀をやっていたそうです。幼少期は麻雀に対してネガティブなイメージでしたが、麻雀にハマった現在は「母方の血筋かも」と語っています。

萩原聖人は映画のプロデューサーから「麻雀ばかりやってないでもっと映画に出て欲しい」と言われました。萩原聖人は麻雀のプロになっても役者としての仕事をおろそかにするつもりはなく、俳優業が多忙でも麻雀の結果の言い訳にもするつもりはありません。

麻雀をやっていることで「もう役者じゃない」という監督もいますが、反論の余地はなく、「リスクも承知の上でプロ雀士になった」と語りました。

麻雀好き芸能人【児嶋一哉(アンジャッシュ)】

アンジャッシュの児嶋一哉は麻雀好きな芸能人として知られています。アンジャッシュ児嶋は公式YouTube「麻雀サイト こじまーじゃん」でも麻雀企画をしていて注目されています。

アンジャッシュの児嶋一哉は麻雀プロとしても活躍していますが、あまり知られてはいないようです。児嶋一哉はフジテレビの「第64弾われポン」で優勝したり、「第18回麻雀最強戦」で準優勝を飾るなど麻雀の実績もあります。

児嶋一哉は高校時代から麻雀にハマっていて、2003年にはプロ雀士としての資格も取りました。2011年10月には公式YouTube「麻雀サイト こじまーじゃん」を開設し話題になっています。

明石家さんま、石橋貴明、秋元康や堺正章、坂上忍や風間杜夫、萩原聖人などと一緒に麻雀をした経験もあるようです。児嶋一哉は「コミュニケーションツールとして麻雀が役立っている」と語りました。

麻雀の誘いなら気軽に行けて、麻雀だと気を使わないで仲良くなることができるそうです。麻雀は長時間一緒に卓を囲むので親近感がわき、麻雀で盛り上がるので自然に喋ることができます。

麻雀によって性格が出て人となりが分かり、誘いやすいし誘われやすいのが魅力だと語りました。オンライン麻雀をやりながら実況したりすることもあるそうです。児嶋一哉は麻雀を打ちまくり、麻雀戦術書を呼んで対戦した後に読み返すなどして強くなりました。

畑正憲の麻雀は最高位を超えた十段レベル

畑正憲の麻雀についてご紹介しました。畑正憲は麻雀が強いことで知られていて、日本プロ麻雀連盟の相談役も務めています。畑正憲の麻雀は最高位を超えた十段レベルという相当な腕前。畑正憲には天才伝説がたくさんあり麻雀エピソードが話題になっています。今後も畑正憲の麻雀に注目していきましょう。

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この記事のライター
maki

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