林葉直子が病気から復活?病名や症状とは?

元女流棋士・林葉直子さんが病気で余命を宣告されたというニュースが世間を騒がせたことがありました。その後の林葉直子さんが復活したというニュースは世間を更に驚かせています。林葉直子さんの病名や症状のご紹介と共に林葉直子さんの復活した姿をご覧下さい。

林葉直子が病気から復活?病名や症状とは?のイメージ

目次

  1. 1林葉直子のプロフィール
  2. 2林葉直子が病気から復活?
  3. 3林葉直子の病名や症状とは
  4. 4林葉直子の復活と藤井聡太の関係性
  5. 5林葉直子以外の歴代女流棋士一覧
  6. 6林葉直子は病気で余命宣告も奇跡的に復活

林葉直子のプロフィール

・愛称:不明
・本名:林葉直子(はやしばなおこ)
・生年月日:1968年1月24日
・年齢:54歳(2022年9月現在)
・出身地:福岡県福岡市
・血液型:B型
・身長:159cm
・体重:43.5kg
・活動内容:元女流棋士、小説家、エッセイスト、漫画原作者、占い師
・所属グループ:なし
・事務所:フリーランス
・家族構成:母、姉、弟

林葉直子の経歴

林葉直子さんは1968年1月24日に福岡県福岡市で生まれました。5歳の時から父親に将棋を教えられた林葉直子さんはその才能を見る間に開花させ、小学6年生の時には女流アマ名人戦で優勝するという快挙を成し遂げています。

1979年11月に奨励会に入会し、同時期に上京して米長邦雄さんの自宅に住み込んで教えを受けるようになりました。1980年4月に女流2級でプロになり、1982年4月に史上最年少で女流王将の座に就いています。14歳の時のことでした。

その後女流王将を10連覇したことで1991年にクイーン王将の称号を送られましたが、1994年に心身の疲労を理由に休業し、一時復帰したものの、1995年に棋士を引退しています。その後小説家・エッセイスト・漫画原作者としての活動を開始し、タロット占い師としても活動するようになりました。

林葉直子が病気から復活?

罹患した病気のために余命宣告されたことを告白した林葉直子さんが「病気から復活した」と話題になっています。将棋界から引退した後に様々なニュースで世間を賑わせた林葉直子さんが病気から復活したのは本当なのでしょうか?林葉直子さんの復活宣言の真相に迫ります。林葉直子さんの現在の復活に対する世間の声もご覧下さい。

1995年に将棋現役引退をした林葉直子

天才女流棋士として名高い存在だった林葉直子さんは、1995年に将棋現役引退をしています。1994年に休業し、一時は早期復帰すると語っていましたが、最終的には1995年8月に日本将棋連盟理事会に退会届を出して将棋の世界から退いたのです。

日本将棋連盟退会直後にヘアヌード写真集を上梓したり恋愛スキャンダルを報じられたり、と巷を騒がせていましたが、2000年代からは文筆業や占い業などで生活するようになりました。しかし、2014年2月にTVで重い病気にかかっていることを明かして世間を仰天させたのです。

林葉直子が病気から復活宣言の真相

林葉直子さんの復活宣言の真相を見てみましょう。多くの人に安否を気遣われた林葉直子さんでしたが、瀕死の状態から復活宣言をしてまたしても世間を驚かせました。林葉直子さんが復活宣言をしたのは2019年11月のことでした。

兵庫県姫路市で開催された将棋イベントに突然姿を現した林葉直子さんは、9年ぶりに駒を握った感慨を語ると共に、当時の体調が非常に良好であることを語ってファンを沸かせています。生まれ故郷の福岡県に戻った後は健康管理を徹底させ、病気治療に取り組んだ結果、病気が完治したとは言えないものの、死の危険からは脱したのです。

林葉直子の現在の復活に対する世間の声

林葉直子さんの現在の復活に対する世間の声を見てみましょう。現在の林葉直子さんについて「若い頃に比べると見る影もなくなった」と嘆く人が多いのですが、それと同時に、死に瀕していた林葉直子さんが復活を遂げたことを喜ぶ声が多く寄せられています。

林葉直子さんが健康を回復することによって「往年の美貌が復活するのでは」「メディアに登場することが増えるのでは」と期待するファンも多いようです。「林葉直子さんの復活宣言に勇気づけられた」という声も散見しました。林葉直子さんに一時は死を覚悟させた病気の名前や症状や復活の経緯については次の章から順を追って解説していきます。

林葉直子の病名や症状とは

林葉直子さんが余命宣告を受けた病気や症状について解説します。林葉直子さんが罹患した病気の名前や症状、そして林葉直子さんがその病気にかかった理由を見てみましょう。復活宣言をした後の林葉直子さんの現在の様子や病気の症状もご紹介します。

林葉直子が患った病気の病名は「アルコール性肝硬変」

林葉直子さんが患った病気の病名は「アルコール性肝硬変」です。林葉直子さんは2000年代前半にこの病気を宣告されました。その後数年間、病状は一進一退を繰り返していたのですが、2013年頃には肝機能が更に低下して2014年に余命を宣告されています。その当時は体重が37kgまで落ちていたそうです。

アルコール性肝硬変はどんな病気?

林葉直子さんが罹患したアルコール性肝硬変は肝臓に炎症を起こす病気です。アルコール性肝疾患の第三段階で、肝不全や肝細胞癌に進行した時は「ほぼ助からない」と言われています。

本来は柔らかい肝臓が、肝細胞が死滅して減少した結果硬化し、肝機能が低下していくのです。肝硬変になった肝臓を完全に治癒方法は現代医学ではないため、肝移植をするか病状が進行しないために治療するしかありません。医者に肝移植を勧められた林葉直子さんはそれを断り、延命治療に着手したのでした。

林葉直子が病気「肝硬変」になった理由はアルコール?

林葉直子さんが肝硬変に罹った理由はアルコールでした。林葉直子さんは非常に丈夫な肝臓の持ち主で、アルコールを多量に接種しても問題がなかったことで、どんどんアルコールに溺れるようになっていきました。

1990年半ばに恋愛絡みのスキャンダルで騒がれた時期から憂さ晴らしのためにそれまで以上にお酒を飲むようになり、林葉直子さんの健康だった肝臓は次第に蝕まれていったのです。そして2003年に医師にアルコール性肝硬変に罹患していることを宣告されたのでした。

その後入院しても退院後はまたお酒を飲むという生活を繰り返した結果、肝硬変は再起不能を宣告されるほどの状態になってしまったのです。

余命1年と宣告されていた過去も

林葉直子さんが初めて肝硬変で余命宣告を受けたことを告白したのは、2014年2月、『ノンストップ!』に出演した時のことでした。女流棋士全盛期とは打って変わって痩せ細った姿になった林葉直子さんの外見と相まって世間に大きな衝撃を与えています。

しかし、その後林葉直子さんは死の淵から復活しました。2019年には「生き延びるには肝移植しかない」と言われたこと、弟の肝臓が適合したものの「弟に迷惑をかけてまで生きながらえなくていい」と考えて肝移植を拒んだことを明かしています。

余命宣告を受けた後、自暴自棄になりかけた時期もありましたが、その危機からも脱した林葉直子さんは、2019年に復活宣言をしたのでした。林葉直子さんに生きる力を与えた存在については次の章で解説します。

林葉直子の現在の様子や病気の症状について

林葉直子さんの現在の様子や病気の症状を見てみましょう。林葉直子さんは復活宣言をした2019年11月に受けたインタビューで「今とても調子がいい」と語っていました。一時期は、前述したように「肝移植をしないなら余命1年」と宣告されたほどの病状でした。

しかし、その後治療と徹底した食事制限とで病状が少しずつ回復し、医師に「肝臓が綺麗になった」と言われるほどになっています。林葉直子さんは「コンクリートブロックみたいだった肝臓がスポンジ位に柔らかくなった」と表現していました。

林葉直子の復活と藤井聡太の関係性

林葉直子さんは最近藤井聡太さんに傾倒していますが、林葉直子さんが復活したことと藤井聡太さんにはどんな関係性があるのでしょうか?林葉直子さんの復活を後押ししたと言われる藤井聡太さんの経歴から見てみましょう。林葉直子さんと藤井聡太さんの交友関係もご覧下さい。

藤井聡太とは

藤井聡太さんは2002年7月19日に愛知県瀬戸市で生まれ、5歳の時に祖父母から将棋を教えられてその才能を開花させました。将棋を始めた年の12月に将棋教室に入会した後は更にその能力を伸ばしていき、2010年3月、小学1年生の時に東海研修会に入会しています。

2012年には心身棋士奨励会に入会しました。小学6年制の時には史上最年少で奨励会初段と二段に商談し、2016年10月に四段でプロ入りが決まり、62年ぶりに最年少棋士記録を書き換えています。

プロデビューした後は29連勝の快進撃で将棋界を震撼させ、最年少記録での全技師参加技戦優勝などの記録を作り、2021年度には最年少記録での五冠を達成しました。

藤井聡太の将棋で輝く姿が復活への道のりに

アマチュア時代からその名と飛び抜けた才能が知られるようになった藤井聡太さんの将棋は、生きる力を失いかけていた林葉直子さんに生き抜こうという活力を与えました。藤井聡太さんが将棋の世界で輝き続けている姿が林葉直子さんの復活への道のりを切り開いたのです。

林葉直子さんは自身のブログで幾度となく藤井聡太さんの記事を書くようになり、折に触れて「藤井聡太君に元気をもらい、癒やされている」と語っています。インタビューを受けた時に「若い頃に交際していた棋士と自分の間に子供ができていたら藤井聡太君に勝てたかも」と冗談を言って記者を驚かせたこともありました。

林葉直子と藤井聡太の交友関係は?

林葉直子さんと藤井聡太さんお交友関係を見てみましょう。2022年9月の時点では林葉直子さんと藤井聡太さんがTVや雑誌の対談企画などで対談したことはなく、プライベートでも交流したことがないことがわかっています。

しかし、今後2人の対談企画が組まれるかも知れません。元天才女流棋士と現役の天才棋士との対談は世間の注目度が高いのではないでしょうか?

林葉直子以外の歴代女流棋士一覧

林葉直子さん以外の歴代女流棋士を一覧にまとめました。女流棋士の世界で活躍し、現在は女流棋士を引退している3人の女流棋士・竹俣紅さんと石橋幸緒さんと山口絵美菜さんの経歴や現在の活動状況をチェックしてみましょう。

歴代女流棋士①竹俣紅

歴代女流棋士・1人目の竹俣紅さんは1998年6月27日に東京都港区で生まれ、6歳の時に将棋に目覚めました。2010年、アマチュア時代には史上初めて女流公式戦の本戦に進んだ小学生として将棋界にその名を轟かせています。同年、研修会に入会し、女流2級になった中学2年生の時にプロ入りしました。

女流棋士として順調に活躍を続ける中でタレント活動も始めた竹俣紅さんは、大学時代に「新しい世界で生きてみたい」と考えるようになったことから、2019年3月末に将棋連盟を退会し、女流棋士を引退しています。

そして2021年4月にフジテレビの女性アナウンサーになり、活躍の場をメディアに広げました。2020年には自身のインスタグラムに投稿したセクシーな画像がネットニュースに取り上げられています。

歴代女流棋士②石橋幸緒

歴代女流棋士・2人目の石橋幸緒さんは1981年11月25日に東京都小金井市で生まれ、9歳の時に将棋を始めました。この時通い始めたのが清水市代さんの父親が営む将棋教室だったのが縁で、女流棋士時代に清水市代さんの門下生になっています。

1999年には女流王王将戦五番勝負で師匠の清水市代さんに挑戦して女流王将を獲得し、最盛期には千葉涼子さん・矢内理絵子さんと合わせて「花の80年生まれ・若手三羽ガラス」の異名で呼ばれていました。

日本女子プロ将棋協会の代表理事を務めていましたが、2014年1月に代表理事の任期が満了するタイミングで日本女子プロ将棋協会を退会することと、現役を引退することを発表しています。将棋界から引退した後の活動状況は公表されていません。

歴代女流棋士③山口絵美菜

歴代女流棋士・3人目の山口絵美菜さんは1994年5月4日に宮崎県都城市で生まれ、小学5年生の時に弟の影響で将棋を始めました。2010年には全国高等学校将棋選手権大会の女子個人戦で準優勝を果たしています。

2013年7月に関西研修会に入会し、2016年4月に女流2級に昇給したことで女流棋士になりました。2016年8月には第10期マイナビ女子オープン予選で本戦入りをして女流1級に昇給しています。

将来を嘱望されていましたが、それ以降目立った活躍には到らず、2022年3月に「新たな夢ができた」という理由で将棋界を去ることを自身のツイッターで公表し、同年同月末日に日本将棋連盟を退会して引退しました。その後ツイッターアカウントが削除されたため、現在の活動状況は不明の状態です。

林葉直子は病気で余命宣告も奇跡的に復活

林葉直子さんはアルコールの多量摂取を繰り返した末に2003年にアルコール性肝硬変という病気に罹患したことを医師に告げられ、2014年に1年の余命宣告を受けましたが、奇跡的に復活しました。復活宣言の時に「良好」と明かした体調は現在も良い状態を維持しているそうです。

死を宣告された後は「このまま死ぬのではないか」と絶望していた林葉直子さんが藤井聡太さんの存在に力づけられたように、不死鳥のように復活した林葉直子さんの存在が多くの人に活力を与えているのではないでしょうか?復活した林葉直子さんの躍進を見守っていきましょう。

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この記事のライター
fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

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