ヘンリー広瀬(音楽プロデューサー)まとめ!年齢や経歴は?高橋真梨子が嫁!

ヘンリー広瀬は音楽プロデューサーとして活躍している人物です。また、妻が歌手の高橋真梨子であることが有名でしょう。そんなヘンリー広瀬の年齢や経歴についてまとめてみました。ヘンリー広瀬のハーフ説や子供についても調査しています。

ヘンリー広瀬(音楽プロデューサー)まとめ!年齢や経歴は?高橋真梨子が嫁!のイメージ

目次

  1. 1ヘンリー広瀬のプロフィール
  2. 2ヘンリー広瀬の年齢や経歴は?
  3. 3ヘンリー広瀬の嫁は高橋真梨子
  4. 4ヘンリー広瀬の子供やハーフの噂の真相
  5. 5ヘンリー広瀬は年齢70代の音楽経歴に満ちた音楽プロデューサー

ヘンリー広瀬のプロフィール

愛称:???
本名:???
生年月日:1943年11月16日
年齢:75歳(2019年9月現在)
出身地:神奈川県
血液型:???
身長:???
体重:???
活動内容:音楽プロデューサー、ギタリスト、キーボーディスト
所属グループ:元ペドロ&カプリシャス、ヘンリーバンド
事務所:???
家族:妻(高橋真梨子)

ヘンリー広瀬の経歴

ヘンリー広瀬は音楽プロデューサーであり、ギタリストやキーボーディストとしても活動しています。また、1971に結成されたペドロ&カプリシャスのメンバーでした。このバンドはジャズやフォークからラテンロックなどの洋楽を取り入れたバンドです。

また、ヘンリー広瀬がプロデュースした代表曲には、妻である高橋真梨子の「桃色吐息」や「はがゆい唇」、「ごめんね…」などが有名です。ヘンリー広瀬はフルートやサックスなど、幅広い楽器を演奏することができる人物として知られています。

ヘンリー広瀬の年齢や経歴は?

このようにヘンリー広瀬は音楽プロデューサーとしても、プレイヤーとしても活躍しています。そんなヘンリー広瀬の、現在の年齢や経歴について詳しく紹介していきます。ヘンリー広瀬はどういった人物なのでしょうか?

2019年の誕生日で年齢76歳のヘンリー広瀬

2019年の誕生日で年齢が76歳のヘンリー広瀬ですが、映像などを見るととても若々しい印象を受けます。とてもおしゃれでハツラツとしていると言えるでしょう。

ヘンリー広瀬の若い頃からの経歴

では、ヘンリー広瀬の若い頃からの経歴について紹介します。ヘンリー広瀬は神奈川県生まれです。父親は相撲取りで母親は岐阜の料亭の娘です。ヘンリー広瀬という名前は芸名の可能性が高いですが、本名についての情報はありませんでした。

若い頃からの経歴①バンド「ペドロ&カプリシャス」での活動

ヘンリー広瀬は1971年に結成されたペドロ&カプリシャスが参加しています。このバンドはペドロ梅村がリーダーで初代ボーカルは前野曜子でした。バンドのデビューシングル、「別れの朝」が大ヒットして有名になりました。

残念ながら初代ボーカルの前野曜子は1972年に突然体調不良となり、倒れてしまったそうです。また、1973年にバンドを脱退し、ソロ歌手として活動していますが1988年に心不全で40歳で亡くなっています。

このため、バンドは1973年に二代目ボーカルとして高橋まりを加入させています。これが現在の高橋真梨子であり、ヘンリー広瀬の妻となる人物です。高橋真梨子が参加した後に、バンドは「ジョニィへの伝言」や「五番街のマリーへ」がヒットして新しいメンバーでも成功しています。

脱退後はヘンリーバンド結成

ヘンリー広瀬は1978年にバンドを脱退し、ヘンリーバンドを結成しました。ヘンリーバンドは男性8人組バンドで、ヘンリー広瀬はフルートやキーボードを担当しています。また、高橋真梨子も同時期にバンドを脱退してソロ歌手として活動を始めています。

そして、このヘンリーバンドは高橋真梨子がライブやテレビ出演するときにサポートバンドとして共演することが多いです。ヘンリー広瀬は音楽プロデューサーや曲作りをしながら、バンドでも妻と一緒に活動しています。

若い頃からの経歴②高橋真梨子のプロデューサーに

ヘンリー広瀬は1982年から高橋真梨子のプロデューサーとして音楽活動を支えることになります。高橋真梨子を初めてプロデュースしたのは「for you…」という曲でした。この曲は高橋真梨子が1982年にリリースした8枚目のシングルで、第11回東京音楽祭の金賞を受賞しています。

高橋真梨子の年齢などプロフィール

高橋真梨子は1949年3月6日生まれの70歳です。出生名は森岡まり子で、現在の本名は広瀬まり子です。このことから夫のヘンリー広瀬の、「広瀬」に関して本名であることが考えられます。高橋真梨子は歌手や作詞家として活動しており、多くの名曲を生み出しています。

広島出身の高橋真梨子ですが、父親が国鉄を辞めて、プロのジャズクラリネット奏者を目指したことがきっかけで福岡県に移り住みました。これは当時の福岡は、朝鮮戦争下で米軍基地が多く存在しておりジャズが盛んだったことが関係していたのでしょう。

高橋真梨子は父親の影響を受けて、芸能界に憧れるようになりました。そして、1966年にスクールメイツの一員として芸能界デビューを果たしています。その後、1972年にペドロ&カプリシャスにスカウトされて二代目ボーカルになりました。

ソロ歌手になってからは後に夫となるヘンリー広瀬のプロデュースを受けながら、ソロ歌手として活躍しました。高橋真梨子は「桃色吐息」や「はがゆい唇」など多くのヒット曲を持つ歌手です。

若い頃からの経歴③高橋真梨子とCM「グレイスソフィーナ」出演

ヘンリー広瀬と高橋真梨子は「グレイスソフィーナ」のCMで共演しています。このように夫婦でライブやテレビに共演することも多く、とても仲の良い関係のようです。

ヘンリー広瀬のプロデュース代表曲

ヘンリー広瀬のプロデュース曲で有名なものを紹介します。ヘンリー広瀬は妻の高橋真梨子のプロデュースを担当することが多く、ヒット曲がとても多いです。その中で特に有名なものに注目してみましょう。

高橋真梨子「桃色吐息」

1984年5月21日にリリースされた高橋真梨子の「桃色吐息」は名曲として有名です。三貴の「カメリアダイヤモンド」のCMソングとして使用されたこともヒットした理由の一つです。

高橋真梨子の代表曲の一つとなっており、1984年の第35回NHK紅白歌合戦に出場しています。また、高橋真梨子は1974年にもNHK紅白歌合戦に出場していますが、このときはペドロ&カプリシャスのボーカルとしてでした。

高橋真梨子「はがゆい唇」

1992年5月16日にリリースされた「はがゆい唇」もヒット曲です。この曲は高橋真梨子の「ごめんね…」に次いで2番目のヒット作であり、59.5万枚を売り上げています。1992年に放送されたTBS系「眠れない夜をかぞえて」の主題歌に起用されています。

ヘンリー広瀬の嫁は高橋真梨子

このようにヘンリー広瀬は高橋真梨子のプロデュース活動を行うだけでなく、彼女と結婚もしています。ヘンリー広瀬と高橋真梨子の結婚に関するエピソードを紹介します。

1993年に高橋真梨子と結婚

ヘンリー広瀬は1993年8月5日に高橋真梨子と結婚しています。ペドロ&カプリシャスを同時期に脱退していたことや、その後もプロデュース活動を続けている中で事実婚状態だったそうです。

高橋真梨子との結婚前には離婚歴も?

ヘンリー広瀬と高橋真梨子が結婚したとき、ヘンリー広瀬は49歳で高橋真梨子は43歳でした。二人は年齢的には晩婚と言われる形になるでしょうが、一部では再婚という噂もあるようです。

高橋真梨子は初婚の可能性が高いですが、ヘンリー広瀬は離婚歴があるという噂なのです。ヘンリー広瀬の元嫁がモデルという噂もあります。また、高橋真梨子がヘンリー広瀬との馴れ初めを紹介した際に、夫に離婚歴があったと語ったことがあり、これが噂の出どころのようです。

高橋真梨子との結婚の馴れ初めとは

先程の離婚歴にもつながるのが、ヘンリー広瀬と高橋真梨子の馴れ初めです。当時、33歳だった高橋真梨子は恋人と別れて落ち込んでいたそうです。そのとき、相談に乗ってくれたのがヘンリー広瀬でした。

当初、高橋真梨子はヘンリー広瀬のことを親友と感じていたそうです。ヘンリー広瀬が失恋を慰めてくれたことで、ヘンリー広瀬が自分のことを一番よく分かってくれている人だと感じたのでしょう。このことで、二人が交際することにつながったと考えられます。

高橋真梨子の病気を支えたヘンリー広瀬

高橋真梨子は2016年にNHK紅白歌合戦に出場したのですが、そのときの激やせが大きな話題になりました。このことで、高橋真梨子が何か病気を抱えているという噂が広がっています。高橋真梨子が病気を抱えていたときに、夫が支えてくれたというエピソードを紹介します。

高橋真梨子の病気は更年期障害と鬱病

高橋真梨子は1990年ごろから更年期障害に悩んでいたそうです。常に倦怠感や食欲の無さを感じており、ほとんど食事を摂らなかったこともありました。そのせいで体重が32kgという時期もあったのです。

更年期障害に悩んでいるうちに、鬱病状態にもなっています。また、高橋真梨子の長年の親友が他界したことで、幼い頃に両親が離婚をしたことを思い出して症状が悪化してしまったそうです。そして、最終的には寝たきりに近い状態になってしまいました。

そのとき高橋真梨子を支えたのが夫のヘンリー広瀬でした。妻を献身的に支えてくれたことで、歌手活動を再開できるほどに復活したのです。少しずつ体重も増えて、以前のような元気を取り戻しています。

「徹子の部屋」で高橋真梨子へラブレター

高橋真梨子は2013年6月7日放送の「徹子の部屋」に出演しています。このときに、ヘンリー広瀬と一緒に出演していて、夫から初めてのラブレターが読み上げられました。出会ってから41年目で初めてのラブレターだったそうです。

この時期は、高橋真梨子が更年期障害を克服した時期で、改めてお互いの大切さを感じたタイミングだったのでしょう。ヘンリー広瀬は高橋真梨子と関係性が深まっていく中で、少女時代のつらい経験を話してくれたことも明かしています。

更年期障害で引きこもり状態になった高橋真梨子は、夫にいままでしてあげられたことが出来なくなった申し訳無さもあったのでしょう。それでも夫は、自分たちのペースでゆっくりと元気になろうと励ましたのです。

現在は更年期障害を克服し、好きだった料理作りを楽しんでいるそうです。ヘンリー広瀬も妻が作る料理を食べるのがとても好きなのだとか。辛い時期を二人で乗り越えたからこそ、この何気ない日常の大切さを実感できるのでしょう。

ヘンリー広瀬の子供やハーフの噂の真相

ヘンリー広瀬と高橋真梨子の関係について紹介しました。最後にヘンリー広瀬の子供やハーフの噂についても見ていきましょう。ヘンリー広瀬の若い頃からの経歴の中で、ハーフに関する情報はあるのでしょうか?

高橋真梨子との間に子供はいない

ヘンリー広瀬は高橋真梨子との間に子供はいません。結婚が晩婚だったことも関係しているでしょうが、更年期障害などの病気に苦しんでいた時期が長かったことも関係しているのでしょう。

離婚歴の噂から元嫁の子供は?

また、ヘンリー広瀬は離婚歴があるという噂もあるのですが、元嫁との間に子供がいるという話はありませんでした。元嫁との関係については基本的に語っていないため、今後も子供などの情報が告白される可能性は低いでしょう。

ヘンリー広瀬のハーフの噂の真相

また、ヘンリー広瀬という名前からハーフの噂もありました。確かにハーフっぽい名前ですが、あくまで芸名のようです。これはヘンリー広瀬が参加していたペドロ&カプリシャスのリーダーがペドロ梅村という名前で活動していることからも考えられることです。

当時は「ジョニー」とか「マイク」とか洋風な芸名をつけるミュージシャンが多くいました。ペドロ&カプリシャスもジャズやフォークなどを取り入れたバンドだったことを考えると、芸名として外国っぽい名前をつけた可能性が高いでしょう。

両親は日本人でハーフではない?

ヘンリー広瀬は父親が相撲取りで母親は岐阜の料亭の娘でした。このことを考えると両親が外国人というのは可能性が低いです。特に父親が相撲取りというのは外国人ではなかったことが考えられます。現在は外国人の相撲取りも増えていますが、当時のことを考えると相当珍しい存在になってしまうからです。

そのため、ヘンリー広瀬の父親が相撲取りで外国人という情報は見当たりませんでした。母親も岐阜の料亭の娘という情報しかありません。このような理由からヘンリー広瀬がハーフというのはあくまで噂から広まった話だったのでしょう。

ヘンリー広瀬は年齢70代の音楽経歴に満ちた音楽プロデューサー

ヘンリー広瀬の若い頃から現在までの経歴を紹介しました。妻の高橋真梨子が病気に苦しんでいる時期に支えたというエピソードはとても素敵だといえます。また、音楽プロデューサーとして多くの名曲を生み出していました。ヘンリー広瀬は70代になっても精力的に音楽活動を行っている人物だといえるでしょう。

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この記事のライター
浅倉恭介
ギターと野球と料理が好き。犬が飼いたい! もともとは接客業界で働いてました その後は保育業界に。 ロ...

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