堀内恒夫の現在!現役時代の成績や伝説から引退まで!

黄金のV9時代、元巨人エースと言えば堀内恒夫ではないでしょうか?堀内恒夫が積み上げた現役時代の成績や引退。その後のセカンドキャリアや、現在の生活はどうなのでしょうか?悪太郎の異名を持つ伝説のエースピッチャーの凄さをお伝えしていきます。

堀内恒夫の現在!現役時代の成績や伝説から引退まで!のイメージ

目次

  1. 1堀内恒夫のプロフィール
  2. 2堀内恒夫の現在
  3. 3堀内恒夫の現役時代の成績
  4. 4堀内恒夫の伝説とは
  5. 5堀内恒夫の現役引退について
  6. 6堀内恒夫は伝説の元巨人エース投手

堀内恒夫のプロフィール

・愛称:悪太郎
・本名:堀内恒夫(ほりうちつねお)
・生年月日:1948年1月16日
・年齢:71歳
・出身地:山梨県
・血液型:???
・身長:178cm
・体重:73kg
・活動内容:プロ野球選手
・所属チーム:読売ジャイアンツ
・家族構成:妻

堀内恒夫の経歴

堀内恒夫は1948年1月16日生まれ、山梨県甲府市出身。生糸工場経営者の家に生まれる。野球を始めたのは中学2年生からで、それまではサッカー部に所属していた。

高校は甲府市立甲府商業高等学校に進学。1年生からセンター、控えピッチャーとして活躍していた。その年の県予選を勝ち抜き、第45回全国高等学校野球選手権大会に出場。2年生からはエースとして活躍するも甲子園には出場できなかった。
 

1965年の第1回ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。1966年のルーキーイヤーの5月に1軍昇格。その後は先発ローテーションとして活躍し、16勝2負、勝率.889、防御率1.39と言う記録を残す。この年は最優秀防御率、最高勝率、沢村賞、新人王のタイトルを獲得した。

その後1983年の現役引退まで、203勝、新人王、最多勝1回、最高勝率3回、最優秀防御率1回、最優秀投手2回、沢村賞2回、ベストナイン2回、ダイヤモンドグラブ賞7回、MVP1回、日本シリーズMVP2回、日本シリーズ最優秀投手賞4回の成績やタイトルを取得。2008年には野球殿堂競技者に表彰された。

1983年現役引退後の翌年から読売ジャイアンツの1軍投手コーチに就任。ヘッドコーチや野球評論家、野球教室のイベント等にも携わっていた。2003年〜2005年には原辰徳の後継として読売ジャイアンツの監督に就任することに。

読売ジャイアンツの監督引退後から現在までは、野球解説者や野球評論家に復帰した。2008年野球殿堂入り。2010年には、第22回参議院議員通常選挙に自由民主党から出馬したが僅かに落選。しかし2013年に繰り上げ当選資格が生じたため、初当選し政治家となる。

堀内恒夫の現在

現役V9時代のエースとして活躍した堀内恒夫。その後野球評論家やコーチ、監督、政治家として活動の場を広げてきた。そんな堀内恒夫も現在71歳に。堀内恒夫は現在どのような活動をしているのだろうか?

ゴルフコンペ参加姿を公式ブログで公開

近年では野球評論家として活躍しているが、公式ブログではよくゴルフコンペに参加しているそう。それもそのはず。堀内恒夫はゴルフが好きで、現役時代のオフのゴルフが楽しみだったと語っている。

2017年、2018年、2019年と公式ブログではゴルフコンペに出場の記事が公開中。主に企業のゲストとしてコンペに参加されること多いようで、プライベートでのゴルフはあまり公開されてません。しかし妻と一緒にラウンドした記事もあり、プライベートでもゴルフを楽しんでるようだ。

なんjスタジアムでも堀内恒夫が話題に

こと堀内恒夫は野球評論家としての発言が注目され、なんjスタジアムで取り上げられる人物であるのを知っているだろうか?新聞などのマスメディアではない。堀内恒夫が話題になるのは、なんjスタジアムと言うネット掲示板らしい。

なんjスタジアムが絡むのは、公式ブログだ。投稿数が非常に多く、毎日のように更新されている。その内容もかなり丁寧で、テーマに対する指導者や解説者としての発言。時には首脳陣としての発言など、様々な角度からテーマについて発言をしている。

 

また読者からの質問に対しても、しっかりと自分の考えを答える丁寧さ。この様に更新度の高さ、発言の幅の広さ、ブログの丁寧さなど、プロ野球ファンとしては見応えがあるブログとなっている。この見応えのあるブログに対して、なんjスタジアムでも多く取り上げ、議論や感想などの反応が多くなっていると考えられる。


現在のブログ「今日もどこかであくたろう」と言う名前からは想像できないギャップと記事のクオリティ。しっかりと正論も発言し、最後には応援や叱咤激励の言葉が添えてあったりと、優しさと厳しさを持ち合わせたファンの様なブログに見受けられる。そんなブログだからこそ、なんjスタジアムでも取り上げられるのではないだろうか?

なんjスタジアムとは

なんjスタジアムとは2chのまとめサイトと言われ、いわゆるネット掲示板の1つである。なんjスタジアムだけでなく、ありとあらゆる分野についての情報交換や自由な書き込みがされている。なんjスタジアムの主な内容は、野球好きな人向けの野球ネタや実況中継のまとめ、雑談など。


現在なんjスタジアムではオープン戦、公式戦の速報。ドラフト会議の議論。選抜や夏の甲子園。野球評論家のコラム、新聞記事など、ありとあらゆる情報を知ることができる。そしてなんjスタジアムでは意見や感想や考えを発言できる場所となっている。

第24回参議院議員通常選挙に落選

堀内恒夫は2016年の参議院議員通常選挙に出馬。実は過去にも出馬していたことがあり、2010年第22回参議院議員通常選挙に、自由民主党から出馬していたことも。2010年は比例代表で101,840票獲得し党内で13位。自民党は12名までしか当選しなかったため落選した。

その後現役議員の死去による繰り上げ当選。2013年から2016年まで自民党参議院議員として活動しました。2016年は84,446票を獲得したが、連続の当選はならなかった。

現在はスポーツの環境作りに力注ぐ

選手、コーチ、監督、野球評論家、政治家など様々な仕事をしてきた堀内恒夫。候補者メッセージにもある通り「スポーツで日本を元気にしたい。」との思いがある。実際、比例代表選挙の自己紹介でもこのフレーズを使用し選挙戦を戦い抜いてきた。

現在71歳になる堀内恒夫ですが、ブログの執筆やコラムの掲載、現地レポートなど、活動的に動いている。それも「スポーツで日本を元気にしたい。」と言う気持ちからか、環境作りに力注いでいる。

堀内恒夫の現役時代の成績

2019年の現在から遡ること54年前の1965年。堀内恒夫の輝かしい野球人生の幕開をあける。しかし54年前となると、東京オリンピック開催くらいまで遡ることに。そんなオリンピックの時代に活躍した、堀内恒夫の凄い成績をみていきたい。

第一回ドラフト会議1位指名で読売ジャイアンツ入団

1965年の第1回ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け入団することに。この年から導入されたドラフト制度。契約金の抑制と戦力均等化を目的に、米国NFLのシステムを採用する形でスタートした。

堀内恒夫は中卒でプロ入りするつもりだったが、父親から止められ高卒でのプロ入りを決意。そんな時にドラフト制度開始で契約金が前年に比べ減ったそう。ドラフト1位の先輩が前年6,000万円で、堀内恒夫は1,000万円と言う差だった。

通算打撃成績は?

大谷翔平の活躍で、2刀流がセンセーショナルな言葉として使われるように。そんな中、堀内恒夫も「あの選手も2刀流だったらな。」と言われるくらいの打撃成績を残している。

投手として通算21本塁打を記録している。これだけではなく1967年10月10日の広島戦では、3打席連続ホームランを記録。投手としては史上唯一の記録で、その試合でノーヒットノーランも記録している。他にも1973年の日本シリーズでも2本塁打を放っていると言う強打者だった。

日本シリーズで9年連続優勝に貢献

2018年セリーグ優勝の広島。これで3年連続の優勝となり、圧倒的な強さで勝利を重ねている。しかし堀内恒夫の活躍した時代に「V9」と言う究極の黄金期があるのを知っていますか?セリーグおよび日本シリーズで9年連続で優勝という快挙を達成。監督川上哲治や長嶋茂雄・王貞治がいる中で、堀内恒夫は投手陣のエースとして君臨していた。

堀内恒夫は、1965年〜1973年のV9時代で129勝を挙げている。この成績は1965年〜1973年の中でトップの成績で、9年連続優勝に貢献している。先発した2日後にはリリーフとして登板し、勝利数以外でも大車輪の活躍だった。

堀内恒夫の伝説とは

現在に至るまでの堀内恒夫の成績は凄い。しかし凄いのは成績だけでなく、堀内恒夫と言う男の全てを含めて伝説なのだ。プロ野球会には数々の伝説があるが、堀内恒夫の伝説はどの様なものなのか調べてみた。

タイトル総なめの伝説

タイトルや表彰は一生に一度取れれば名選手では無いか?しかし堀内恒夫はタイトル総なめ伝説を、ルーキーイヤーから達成している。最優秀防御率、最高勝率、沢村賞、新人王をなど4冠を獲得。

また1972年には、最優秀選手初受賞、最多勝利、最高勝率、沢村賞、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞、MVP、日本シリーズMVP、日本シリーズMVP、日本プロスポーツ大賞殊勲賞を獲得。タイトルと表彰を含め、計10個を獲得した伝説の年だった。
 

悪太郎の異名を持つ伝説のエースピッチャー

堀内恒夫は「悪太郎」と言う異名を持つ、伝説のエースピッチャーだ。そもそも悪太郎とは、いたずらな男児、乱暴な男性を指す言葉だ。実際、堀内恒夫は素行と態度の大きさゆえに悪太郎と言われてきた。それ以外には甲斐の小天狗とも言われていた。

当時の寮長には、巨人の歴代3ワルの1人として認識されていた。門限破りを繰り返し何度も注意されたそう。発言でも「野球は俺が投げなければ始まらない。」や「ストライクさえ投げていれば僕の球は打たれない。」など素行と態度の悪さが出ている。

王貞治から鉄拳制裁も受ける過去

悪太郎ぶりが強い堀内恒夫ですが、その全てが許された訳ではない。素行の悪さから、あの王貞治に制裁を受けたことがあるそう。しかも説教ではなく鉄拳制裁。堀内恒夫は王貞治に殴られていた。その殴られた堀内恒夫は王貞治に対して、殴り返そうと思ったと言っている。

堀内恒夫の現役引退について

どんなに凄い人でも人は老いていくもの。黄金のV9時代が終わった数年後には、堀内恒夫の成績も陰りが見えてきていた。プロ野球生活18年の晩年やその後はどの様な人生を歩んだのか調べてみた。

1983年に現役引退を発表

1978年に12勝を挙げたのを最後に2桁勝利から遠ざかっていた堀内恒夫。79年から登板数も減っていき、ついに1983年に引退することに。その引退試合は優勝の決まった後の10月22日のホエールズ戦。8回からの登板が最後の投球となった。

しかしその試合、チームメイトの「みんな、ホリさんまでまわそうぜ!」の一言で打線が奮起。ついに堀内恒夫まで打席が周りホームラン放つ。人生最後の打席でホームランを打ち、自らのプロ野球にピリオドを打つことになった。

引退理由は山本浩二選手?

堀内恒夫の引退の引き金となったのは、ミスター赤ヘルこと山本浩二だ。それが現役最後に山本浩二から打たれたホームランとのこと。引退後に堀内は「僕は山本浩二さんに引導を渡されたんですよ。最後に山本浩二さんに打たれたホームランで僕は自分の力を感じて引退した。」と語っていた。

引退後は巨人コーチや監督に就任

堀内恒夫のセカンドキャリアは、引退翌年の1984年からスタート。当時読売ジャイアンツの監督だった王貞治の下、1軍投手コーチに就任した。

また1993年〜1998年は読売ジャイアンツの長嶋茂雄監督の下、1軍投手コーチと1軍ヘッドコーチを歴任。そして2003年オフに原辰徳監督が辞任した。それに伴い、堀内恒夫が後継で読売ジャイアンツの監督に就任した。

巨人監督時代の成績

堀内恒夫の巨人監督就任期間は2004年と2005年の2年間。2004年は3位、2005年は5位と言う成績で終わった。「投手を中心とした守りの野球を目指す。」と言う言葉と裏腹に、実際はFAで補強に補強を重ねた史上最強打線のジャイアンツだった。

実際に打撃陣はその活躍ぶりを見せ、総ホームラン259発のプロ野球記録を達成する。しかし投手陣はチーム防御率4.50と倒壊。翌年も立て直せず5位に沈み、辞任することに。

巨人監督退任後に野球殿堂入り

野球殿堂は、プロ野球で顕著な活躍をした選手や監督、コーチを顕彰するために創設されたものだ。過去には川上哲治、金田正一、王貞治が受賞している。1983年に現役引退した堀内恒夫は、2008年が有資資格最終年だった。

そんな中、堀内恒夫は2008年に野球殿堂入りを果たす。同年1月11日館内野球殿堂ホールにおいて「平成20年野球殿堂入り記者発表」が開催。堀内氏の喜びのスピーチで「あの時やめずに良かった。殿堂は野球を始めてプロ野球に入ってからも夢物語だった。」と語っていた。

堀内恒夫は伝説の元巨人エース投手

堀内恒夫の71歳までのエピソードや成績について書いてきた。やはり知れば知るほど、堀内恒夫の伝説的な元巨人エース投手だということがわかる。タイトル数や成績などの数字さることながら、性格的な悪太郎ぶりなどエピソードに枚挙がない。野球や私生活を含めた堀内恒夫と言う男の魅力でないだろうか。

関連するまとめ

Missing
この記事のライター
神田孝貴

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ