茨城大女子学生殺人事件の真相に迫る!犯人の犯行動機やその後も調査

世間を震撼させた茨城大女子学生殺人事件をご存知でしょうか?残虐な犯人の犯行動機はいったい何だったのでしょう?茨城大女子学生殺人事件の犯人のその後についても調査しました。茨城大女子学生殺人事件の真相や犯人の犯行動機などについて紹介します。

茨城大女子学生殺人事件の真相に迫る!犯人の犯行動機やその後も調査のイメージ

目次

  1. 1【茨城大女子学生殺人事件】とは
  2. 2茨城大女子学生殺人事件の概要
  3. 3茨城大女子学生殺人事件の犯人逮捕まで
  4. 4茨城大女子学生殺人事件の犯人とは
  5. 5茨城大女子学生殺人事件の裁判と判決
  6. 6茨城大女子学生殺人事件からみる心理
  7. 7茨城大女子学生殺人事件は犯人逮捕まで13年を要した事件

【茨城大女子学生殺人事件】とは

茨城大女子学生殺人事件は、茨城大学に通う女子学生が行方不明になり、その後遺体で発見された事件です。この事件の犯人を警察はなかなか見つけることができず、彼氏や友人関係にまで疑いが向けられました。そして、逮捕された犯人は驚くような人物だったとのこと。

茨城大女子学生殺人事件は、その犯行の残忍さとともに、犯人たちのその後や動機にも注目が集まった事件です。茨城大女子学生殺人事件とはどのような事件だったのか、順を追って詳しく見ていきましょう。

2004年に茨城県稲敷郡美浦村で女子大生殺人事件

茨城大女子学生殺人事件が起こったのは2004年のことでした。2004年1月31日に、茨城県稲敷郡美浦村で女性の遺体が発見され、事件が発覚します。遺体が発見されたのは茨城県美浦村舟子地内の清明川の河口付近だったとのこと。付近を散歩していた男性が発見したのだそうです。

第1発見者の男性は、「赤いペンキがついたマネキン」だと最初は思ったのだとか。しかし、よく見るとそれが人間の遺体であることが分かり、すぐに警察に通報したのだそうです。

被害者は茨城大学に通う女子大生

発見された遺体は、茨城大学に通う女子大生のものでした。この女子大生は原田実里さんです。当時は茨城大学農学部2年生で年齢は21歳、トライアスロン部のマネージャーをつとめるなど、活発な性格だったと言われています。また、翌年度の学生連合・総務副委員長にも内定していました。

原田実里さんは友人たちからも大変慕われていたようで、なかなか犯人が逮捕されないことに業を煮やし、友人たちが街頭で情報提供を呼びかけたこともあったそうです。ただ、犯人が逮捕されるまでには、事件発覚から13年もの月日が流れました。

茨城大女子学生殺人事件の概要

茨城大女子学生殺人事件の概要についても見ていきましょう。殺害された茨城大学の女子学生・原田実里さんはどのような経緯で殺害されたのでしょうか?事件の概要について改めて紹介します。

美浦村舟子エリアで被害者の遺体発見

先ほども紹介したように、被害者である原田実里さんの遺体が発見されたのは、美浦村舟子地内の清明川でした。被害者が住んでいた場所はこの川から6kmほど離れており、茨城県稲敷郡阿見町のアパートだったようです。遺体が発見された時間は2004年1月31日の午前9時頃でした。

被害者の原田実里さんは遺体発見当日の午前0時頃に自宅アパートを出ており、犯行はこの時間から朝までの間に行われたものと考えられます。遺体が発見された時、被害者は衣服を身につけていない状態でした。

発見時の死因は窒息死

遺体で発見された原田実里さんの死因は首を圧迫されたことによる窒息死だったそうです。ただ、遺体には複数の傷があったとのこと。首に切り傷、さらには胸には心臓に達するほどの刺し傷があったそうです。

死因が窒息死だったということは、当初は刃物で殺害しようとしたもののなかなか死に至らしめることができず、首を絞めたという可能性もあるかもしれません。また、遺体の判別がつかないように、死後に遺体に傷を付けたという可能性もあるでしょう。

事件当日は彼氏と自宅で過ごしていた

事件当時の被害者の行動についても見ていきましょう。事件発覚の前日の2004年1月30日の午後9時頃に、被害者は自宅アパートに帰宅しています。この自宅アパートには被害者の彼氏がいたそうで、2人は一緒に夕食をとっていたようです。

その後、彼氏が眠っている間に被害者は外出しました。その時間の詳細は判明していませんが、被害者がいないことに彼氏が気づいたのが2004年1月31日の午前0時頃のことだったそうです。ですので、被害者は日付が変わる前に事件に巻き込まれた可能性も考えられます。

茨城大女子学生殺人事件の犯人逮捕まで

茨城大女子学生殺人事件の犯人が逮捕されるまでにはかなりの年月がかかってしまいました。茨城大女子学生殺人事件の犯人逮捕までの経緯について見ていきましょう。犯人逮捕までにはどのような経緯があったのでしょうか?

最初に犯人と疑われたのは被害者の彼氏

茨城大女子学生殺人事件の犯人として最初に浮上したのは、事件発覚前に自宅アパートで一緒に過ごしていたという彼氏だったそうです。被害者は自宅を出る際、メガネやコンタクトレンズ、さらには携帯や財布まで家に置いたままだったのだとか。

そのため、自宅を出たという彼氏の証言が嘘だった可能性が指摘されていたそうです。また、被害者が家を出る前に2人は喧嘩をしていたということも、警察が彼氏を犯人と考えた理由だったとのこと。ただ、その疑いはほどなく晴れたそうです。

被害者は自宅アパートを出る際に、彼氏にあててメモを残していました。そのメモには「友達に会いに出かける」ということと「明日の朝には戻る」ということが書かれてあったのだそうです。しかし、翌朝になっても、被害者の女子大生は戻ってきませんでした。

彼氏は真犯人が逮捕された後にインタビューに答えており、「当初は犯人に間違えられて辛かった」、「犯人と思われたことで離れていった友人もいた」と語っていたそうです。また、犯人に対しては「遺族の意思を尊重した刑罰」を望んでいるとコメントしています。

捜査難航で犯人逮捕にならず未解決事件に

茨城大女子学生殺人事件が起こった当初は、犯人はすぐに捕まると考えられていたようです。しかし、捜査は難航してしまいます。被害者の交友関係に犯人がいるのではないかと捜査は続けられましたが、手がかりは何も見つかりませんでした。

そして、事件発覚から4日後の2004年2月4日に、被害者の女性が乗っていたと見られる自転車が茨城県土浦市の空き地で発見されます。自転車は鍵がついた状態だったとのこと。自転車が発見された土浦市は、被害者の自宅アパートから2.5kmも離れていました。

実はこの自転車が発見された付近では、白いワンボックスカーに乗った複数の男が自転車を降ろすところが目撃されていました。そのため、茨城大女子学生殺人事件の犯人は複数だという説が浮上します。ただ、犯人を特定するまでには至らず、数年の時間が経過し、未解決事件となってしまいました。

被害者の親族が情報提供者に謝礼金を提示

警察の捜査がなかなか進まないことに業を煮やした被害者の遺族は、事件から3年後の2007年、犯人の逮捕に繋がる情報の提供者に対して自費で200万円を支払うことを公表します。また、その翌年の2008年には、警察庁の「公的懸賞金制度」も適用されました。

警察庁の「公的懸賞金制度」というのは、容疑者の確保に繋がる情報を提供した人に最高で1000万円の懸賞金が支払われるものです。ただ、「公的懸賞金制度」には期限があり、茨城大女子学生殺人事件の犯人に繋がる有力な情報を期限内に得ることはできませんでした。

事件から13年後にDNA鑑定の末に犯人逮捕

茨城大女子学生殺人事件の犯人が逮捕されたのは、事件から13年後のことでした。この頃に「事件に関与したと話している人物がいる」との情報があり、警察は事件当時に茨城県土浦市に住んでいたフィリピン人の男性を特定。DNA鑑定の結果、犯人であることが分かり、逮捕となりました。

また、被害者の遺体からは複数のDNAが検出されており、共犯の人物がいることも判明します。しかし、逮捕された男以外の犯人は、事件後にフィリピンに帰国していました。逮捕されたフィリピン人の男を含む犯人については、次でさらに詳しく紹介します。

茨城大女子学生殺人事件の犯人とは

茨城大女子学生殺人事件の犯人について、詳しく見ていきましょう。茨城大女子学生殺人事件の犯人はどのような人物だったのでしょうか?また、被害者と犯人の接点はあったのでしょうか?残りの共犯者のことも含め、茨城大女子学生殺人事件の犯人について紹介します。

犯人はフィリピン国籍の男性

先ほども少し紹介しましたが、茨城大女子学生殺人事件の犯人として逮捕されたのは日本人ではなくフィリピン人の男性でした。当初は交友関係に犯人がいると警察は考えていたようですが、13年後の結末はまったく予想を裏切るものとなります。

実は茨城県は外国人労働者が多いことでも知られています。茨城大女子学生殺人事件の犯人も茨城県土浦市の工場で勤務していたのだそうです。また、茨城県は農業・林業で働く外国人労働者が全国一なのだそうで、21人に1人が外国人労働者とのことでした。

犯人と被害者の接点は?

犯人と被害者の接点についても見ていきましょう。調べてみたところ、犯人と被害者にはそれまでに連絡を取り合うなどの接点はなく、犯行当日、たまたま自転車で通りがかった被害者を見つけ、犯行に及んだのだそうです。

ただ、通りすがりの犯行のようにも思えますが、後に犯人が語ったところによると、かなりの計画性もありました。犯人は被害者を発見し、犯行を思いついた時点で、殺害することも決めていたのだそうです。

DNA鑑定の後に「ランパノ・ジェリコ・モリ」を逮捕

DNA鑑定の結果、茨城大女子学生殺人事件の犯人として逮捕されたのはフィリピン人のランパノ・ジェリコ・モリです。犯行当時のランパノ・ジェリコ・モリは22歳で、逮捕されたときには36歳となっていました。

ランパノ・ジェリコ・モリが逮捕されたのは、彼自身が犯行をほのめかす発言をしていたことがきっかけだったそうです。警察は外国人による犯行説も視野に入れていましたので、その過程でランパノ・ジェリコ・モリの発言に関する情報に行き当たったということでした。

警察は寄せられた情報を元に裏付け捜査を続け、ランパノ・ジェリコ・モリに任意同行を求めます。そして、DNA検査を行いました。その結果、被害者の遺体に付着していたものとランパノ・ジェリコ・モリのDNAが一致したことから逮捕に至ります。

逮捕時は岐阜県で結婚生活

茨城大女子学生殺人事件の犯人として逮捕されたランパノ・ジェリコ・モリは、逮捕時には茨城県ではなく岐阜県で暮らしていたそうです。しかもランパノ・ジェリコ・モリは結婚して子供もいたとのこと。この結婚相手の妻が日本人なのか外国人なのかについての情報はありませんでした。

ランパノ・ジェリコ・モリには娘と息子がおり、合計で子供は3人だったそうです。それに加えて義父母も同居していたとのことで、岐阜県の自宅には7人が同居生活を送っていました。

ランパノ・ジェリコ・モリが逮捕時に住んでいた岐阜県瑞穂市祖父江のアパートに引っ越してきたのは、逮捕の7年前のことだったそうです。つまり、事件からは6年後ということになります。ランパノ・ジェリコ・モリは近所では子煩悩な父親として有名だったそうです。

ランパノ・ジェリコ・モリは岐阜県内の自動車工場に勤務し、生計を立てていました。また、ランパノ・ジェリコ・モリの妹も岐阜県内に住んでいたようで、兄の逮捕後に不正に在留資格を取得した罪で妹も逮捕されています。

裁判での妻の証言とは

裁判ではランパノ・ジェリコ・モリの妻が証言台に立ちました。妻は「夫は真面目」だったと言い、「3人の子供たちを可愛がっていた」と証言しています。ランパノ・ジェリコ・モリは妻が証言台に立つと表情がこわばり、その証言を聞いた後には涙を拭っていたそうです。

ただ、事件の詳細について尋ねられると「覚えていない」などと答える場面もあり、裁判長から「しっかり思い出して答えなさい」と諭される場面もあったとのこと。その後のランパノ・ジェリコ・モリの証言により、この事件の動機や状況なども解明されていきます。

その後はフィリピン国籍男性2名の共犯者も浮上

茨城大女子学生殺人事件の犯人は1人ではなく、逮捕されたランパノ・ジェリコ・モリには共犯者がいました。ランパノ・ジェリコ・モリは他に2人の共犯者がいたと証言しています。この2人は当時どちらも未成年だったそうですが、事件後にフィリピンに逃亡していました。

ランパノ・ジェリコ・モリも事件後にフィリピンに逃亡していましたが、日本のほうが稼げるということでほどなく戻ってきたようです。茨城県警は残りの2人を国際刑事警察機構を通じて国際手配しました。ただ、日本とフィリピンには「刑事共助協定」がないため、すぐに逮捕とは至らなかったようです。

2019年にもう1人のフィリピン国籍男性を逮捕

2019年、茨城大女子学生殺人事件は新たな展開を迎えます。フィリピンに逃亡していた犯人のうちの1人が、自首する意思を示してきたのです。この犯人は犯行当時18歳で、事件後すぐに出国し、それ以来日本には入国していませんでした。

犯人が自首の意思を伝えてきたことで、茨城県警は外務省などと連絡を取り合い、2019年1月に捜査員をフィリピンに派遣。翌日に犯人は成田空港に到着し、逮捕されました。この犯人については当時未成年だったということもあり、氏名や顔画像などは公表されていません。

もう1人の犯人は現在フィリピンで逃亡中?

茨城大女子学生殺人事件のもう1人の犯人は、事件当時19歳だった少年です。しかし、この犯人はフィリピンに帰国後出国している様子がなく、日本とフィリピンに刑事共助協定がないために身柄を確保することができていません。

もしも彼がフィリピンを出国し、日本と刑事共助協定がある国に入国することがあれば、国際手配されていますので身柄を確保することができます。ただ、現在のところ、逮捕の見通しはまったく立っていない状態だそうです。

茨城大女子学生殺人事件の裁判と判決

茨城大女子学生殺人事件の裁判と判決についても見ていきましょう。犯人は裁判で動機についてどのように語ったのでしょうか?また、どのような判決が言い渡されたのでしょう?茨城大女子学生殺人事件の裁判で犯人が語った動機や判決について紹介します。

犯人の犯行動機は強姦目的

茨城大女子学生殺人事件の犯人の犯行動機は強姦目的だったそうです。若い女性が殺害される事件の犯行動機は、強姦目的が多いと言われています。茨城大女子学生殺人事件の被害者の場合も、遺体を検証した結果、強姦された形跡があったとのこと。

近年の強姦目的が犯行動機だった事件としては、新潟県新発田市で2014年に女性会社員が殺害されたものがあります。この時の犯人は岐阜の刑務所に服役中の男性だったとのこと。また、沖縄には米軍基地があるということもあり、強姦目的が犯行動機の凶悪事件がたびたび起こっています。

水戸地方裁判所での裁判にて犯人が犯行動機を告白

逮捕された犯人ランパノ・ジェリコ・モリは、裁判で犯行の動機についても語っています。先ほども紹介したように、ランパノ・ジェリコ・モリらの犯行動機は強姦目的でした。犯人たちは自転車に乗っていた被害者の進路を車で妨害し、さらに車の中に連れ込んで強姦したのだそうです。

犯人たちは被害者を車の中へ連れ込んだ時点で、殺害することも決めていました。殺害を決めた理由は「警察などに話されると困る」という身勝手なものだったようです。また、被害者は首を絞められた上に刃物で刺されてもいましたが、これは「確実に殺すため」だったと犯人は証言しています。

ランパノ・ジェリコ・モリは犯行に使用されたカッターナイフを他の2人に渡したり、遺体を川に流すことなどを提案していたとのこと。犯行を言い出したのは自分ではないと主張していましたが、事件の中で主体的な役割を果たしていたことは事実でしょう。

ランパノ・ジェリコ・モリは動機や犯行の経緯についての証言を行った後、自分にも娘が生まれたことで犯行を後悔していたとも告白。さらに、すぐに出頭しなかった理由については「家族に見捨てられたくなかった」という気持ちを語っていたようです。

茨城大女子学生殺人事件の裁判判決は無期懲役

茨城大女子学生殺人事件の裁判の判決は無期懲役となります。この事件の第一審は2018年7月17日に裁判員裁判として水戸地裁で行われました。この時、犯人のランパノ・ジェリコ・モリは「間違いない」と容疑については認めています。

ただ、犯行に至った動機については「仲間に誘われたから」と説明しており、自身が主体となっていないことを主張していました。しかしその後の証言で、ランパノ・ジェリコ・モリが凶器を仲間に渡すなど主体的に関与していたことが疑われる行動も確認されています。

この事件の判決公判は2018年7月25日に開かれています。検察はランパノ・ジェリコ・モリに対して無期懲役を求刑していました。裁判長は「主体的に殺害に関わっている」ことを認めた上で、「責任は重大」とし、求刑通りの無期懲役の判決を言い渡しました。

その後、ランパノ・ジェリコ・モリは量刑が重すぎると東京高裁に控訴。2018年12月に行われた控訴審初公判で検察は控訴棄却を求めます。この裁判は2019年1月に判決が言い渡されていますが、「量刑は重すぎることはない」とされ、一審判決の無期懲役を支持する結果となりました。

茨城大女子学生殺人事件からみる心理

茨城大女子学生殺人事件からみる犯人の心理についても考察してみましょう。茨城大女子学生殺人事件のような残酷な犯罪はなぜ起こってしまうのでしょうか?犯人はどのような心理で犯罪を犯すのでしょう?茨城大女子学生殺人事件からみる犯人の心理に迫ります。

日本では未成年や外国籍の人の犯罪が増加との噂

近年の日本では、外国人や未成年者による犯罪が増加傾向にあると言われています。茨城大女子学生殺人事件も、未成年の外国人を含む犯人たちによる犯行でした。在日外国人の検挙でもっとも多い国は韓国で、その後、中国、フィリピン、ベトナム、ブラジルと続いています。

また、日本人の未成年者による殺人などの凶悪犯罪も増えており、少年犯罪への厳罰を求める声も増えているとのこと。光市母子殺害は未成年者による犯罪ではありましたが、死刑が確定しています。2019に起きた、東尋坊から生きたまま飛び降りさせ、会社員の男性を殺害した事件も、少年たちを含む犯人による殺人事件でした。

犯罪事件の裏側には犯人の生い立ちも関係

外国人や未成年者による犯罪事件が増えている裏側には、犯人の生い立ちも深く関わっていると言われています。茨城大女子学生殺人事件の犯人の生い立ちは詳細には分かっていませんが、犯人の母親の1人がフィリピンに逃亡するようにアドバイスしたということがあったようです。

まともな良心をもった母親ならば、自首をすすめるものと考えられます。しかし、事件の詳細を聞きながら、日本の法律の力が及ばないフィリピンに逃亡するように母親がアドバイスしているということから見ても、犯人たちが育ってきた環境がどのようなものだったのかがうかがえます。

茨城県では同じ様な事件が多発?

実は茨城県では2004年頃、茨城大女子学生殺人事件と同じような事件が多発していたと言われています。1つは2003年に当時15歳だった少女が茨城県五霞町川妻の道端で遺体で発見された事件です。この少女は首を絞められたことによる窒息が原因で死亡していたとのこと。

さらに、2004年に当時16歳だった少女が利根川沿いの草むらで遺体で発見された事件です。この少女は発見時には息があったそうですが、その後間もなく死亡したとのこと。死因は首を絞められたことによる窒息死でした。

同じ茨城県内で首を絞められて女性が殺されるという事件が、茨城大女子学生殺人事件と同じ時期に立て続けに起こっています。そのため、これらの事件もランパノ・ジェリコ・モリらによる犯行なのではないかと考えられているようです。今後ランパノ・ジェリコ・モリらの余罪についても、さらに明らかになる可能性があるでしょう。

茨城大女子学生殺人事件は犯人逮捕まで13年を要した事件

茨城大女子学生殺人事件について紹介してきました。2004年に発生した茨城大女子学生殺人事件は、実に13年もの歳月を経て、DNA鑑定によりフィリピン人の犯人が逮捕されています。

犯行は3人で行われましたが、犯人のうちの1人はまだ捕まっていません。また、この犯人らには同時期に茨城県内で起こった他の殺人事件への関与も疑われているとのこと。逃亡している犯人の逮捕と余罪の有無の解明が待たれます。

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春日つぼね

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