【元オウム真理教幹部】飯田エリ子の現在!逮捕までの経歴や事件の概要まとめ

元オウム真理教幹部の飯田エリ子の現在を調査しました。ボツリヌス菌培養や拉致監禁致死事件に関与したと言われており、幹部の中でも重要な人物の一人だった飯田エリ子。彼女の逮捕までの経歴や入信した理由、そして関わった事件について解説します。

【元オウム真理教幹部】飯田エリ子の現在!逮捕までの経歴や事件の概要まとめのイメージ

目次

  1. 1飯田エリ子(元オウム真理教幹部)とは
  2. 2飯田エリ子の現在
  3. 3飯田エリ子の逮捕までの来歴
  4. 4飯田エリ子のオウム真理教関連の事件をおさらい
  5. 5飯田エリ子の現在は刑期を終え出所し闘病生活との噂

飯田エリ子(元オウム真理教幹部)とは

日本における無差別テロ事件で最大規模の被害を出した「地下鉄サリン事件」に関わったオウム真理教。そのオウム真理教に所属し、教団幹部だった飯田エリ子の現在について紹介します。彼女はどのような経緯でオウム真理教に入信したのでしょうか?また、彼女が関わった事件を解説します。

飯田エリ子のプロフィール

飯田エリ子は元オウム真理教幹部として活動し、2020年現在服役中の人物です。飯田エリ子はオウム真理教幹部であり、教団内のステージ(ランクのようなもの)は正悟師でした。飯田エリ子はオウム真理教の幹部として、1990年のボツリヌス菌の培養や1995年の拉致監禁致死事件に関与したと考えられています。

飯田エリ子の性格

飯田エリ子の性格に関して調査しました。飯田エリ子は「普段はすごく優しい。困ったときは親身になって相談に乗ってくれる」、「女性幹部の中では俗っぽい。人間くさい人だった。親しみやすかった」といった性格に関する情報が確認できます。

こういった性格に関する情報は元オウム真理教信者によるもので、多くが「悪いイメージは無かった」ものばかりなのです。他の幹部に関しては様々な人物評があり、近寄りがたかったり、危ない人と感じていたのが分かる評価が存在します。

そういった信者からも人望が厚かった飯田エリ子は、1ヶ月に2億円のお布施を集めたこともあるのだとか。改めて、現在は彼女に対する人物像に注目が集まっているようです。

飯田エリ子の現在

現在もオウム真理教の事件は完全に解決されたとは言えないかもしれません。2012年に逃亡していた最後の幹部の残りが逮捕されています。一連の裁判は2018年まで行われていたのです。そういった点も踏まえながら、現在の飯田エリ子はどうしているのでしょうか詳しく見て行きましょう。

飯田エリ子の現在は死亡?

飯田エリ子は現在、死亡説が存在しています。しかし、実際には大病を患ったものの、命は取り留めており、実家で生活しているそうです。

元オウム真理教の女性幹部で死亡している者も

オウム真理教に絡んだ逮捕者は400名を越え、起訴されたのは192名と言われています。その中で、女性信者も多数おり、現在はすでに亡くなっている人もいるのです。現在、女性幹部の中ですでに亡くなっていると言われているのは、山本まゆみとなっています。

山本まゆみは地下鉄サリン事件の逃亡犯である遠藤誠一に資金援助を行って、犯人蔵匿で逮捕されました。また、男性信者逆さ吊り死亡事件で遺体を遺却しており、死体損壊罪でも起訴されています。1996年に懲役1年4ヶ月の判決が下りましたが、その後にガンが発覚し、2007年に死亡しているのです。

山本まゆみの場合は、公判中から事件に対する謝罪や反省を行っており、オウム真理教も早期に脱会しています。亡くなったことは同じ信者だった人物のブログで明らかになったとのこと。最終的にはがんが全身に転移しており、2006年の段階で余命宣告されていたそうです。

2002年8月に刑期を終え出所

飯田エリ子は1998年9月10日の控訴審で懲役6年6ヶ月の判決が下されました。飯田エリ子は上告しなかかったため、刑が確定しています。2002年8月25日に飯田エリ子は刑期満了で出所。その後は、事件に対して反省しながら生活していたと推測されています。

現在は記憶障害や脳内出血などで闘病生活との噂

刑に服していた飯田エリ子。彼女は出所する数ヶ月前に脳内出血で倒れたとのこと。出所後は思うように身体が回復せず、右半身に麻痺が残っているそうです。そのため、現在は実家で生活しながら、病院にリハビリに通っていると言われています。

犯した罪に対する現在の反省の様子は?

「デイリー新潮」がリハビリを続けている飯田エリ子に取材を申し込んだところ、顧問弁護士から「オウムに関わったこと、事件について深く反省しています」とコメントが寄せられたのだとか。事件に対して反省はしているものの、死亡した人たちが帰ってくるわけではありません。

飯田エリ子の逮捕までの来歴

現在は死亡説まで出ていた飯田エリ子ですが、彼女はどのような来歴となっているのでしょうか?飯田エリ子の学歴や経歴、そしてオウム真理教に関わるようになった理由を紹介します。

飯田エリ子の学歴

オウム真理教の信者による事件が報道されると、その関係者の学歴が大きな話題となりました。オウム真理教の信者には東大や京大を始め、日本のトップクラスの大学を卒業した人が多数いたのです。飯田エリ子の場合はどういった学歴の持ち主なのでしょうか?

出身高校は「文化女子大学附属杉並高等学校」

飯田エリ子の出身高校は「文化女子大学附属杉並高等学校」と言われています。こちらの学校は、中学から内部進学する場合と高等学校から外部進学するシステムを取っています。

大学は「文化女子大学短期大学部生活造形学科」を卒業

高校卒業後、飯田エリ子は「文化女子大学短期大学部生活造形学科」に進学し、卒業しました。通称は「文短」と呼ばれています。飯田エリ子は生活造形学科を卒業していますが、他にもファッション学科などが存在しているとのことです。

飯田エリ子の経歴

高校や大学を順調に卒業した飯田エリ子ですが、その後の経歴についても調査しました。オウム真理教の信者は、トップに高学歴な人たちが集まっていました。しかし、通常の信者は普通に働くサラリーマンや主婦だったと言われています。

大学卒業後は三越本店に就職するも退職

大学を卒業した飯田エリ子は、三越本店でデパート店員をしていたと言われています。しかし、しばらくして三越本店は退職しました。

日産火災海上保険(損保ジャパン)に転職

飯田エリ子は三越本店を退職後、日産火災海上保険(損保ジャパン)に入社。新しい職場で仕事に励んでいたそうです。ところが、もともと病弱だった飯田エリ子は体重が38キロほどで、非常に痩せてしまっていたとのこと。そういった自分を変えたいという思いがオウム真理教に繋がっていくのです。

石井久子(元オウム真理教幹部)との出会いと出家

自分の体調に不安があった飯田エリ子は、1984年に健康のためにヨーガ(ヨガ)教室に通い始めました。それが、麻原彰晃が運営するヨーガ教室「鳳凰慶林館」だったのです。そのとき、会社の同僚だった石井久子を誘って参加していました。そして、石井久子に誘われて「オウム神仙の会」に入会しています。

石井久子とは

石井久子は飯田エリ子に誘われて、ヨーガ教室に通うようになり、そこでオウム神仙の会に入会しています。そして、会に出家制度ができると、1986年6月に保険会社を退職して出家。負けず嫌いな性格も関係したのか、位のステージも早く上がっていき、省庁制を採用後は大蔵省大臣となっています。

石井久子を語る上で重要なことは、彼女は麻原彰晃の愛人の一人だったということです。麻原彰晃との間に3人の子供(死産を含むと4人)を産んでおり、正妻である松本知子とは犬猿の仲だったとのこと。1989年に坂本堤弁護士一家殺害事件の遺体処理に参加するなど、多くの事件に関与しています。

オウム真理教に出家後はお布施集め

飯田エリ子は石井久子に誘われたことで会に参加し、彼女も会社を退職して出家しています。飯田エリ子の重要な活動はオウム真理教のお布施集めでした。宗教法人を運営するためでなく、様々な研究を行うために多額のお布施が必要だったからと考えられています。

そのお布施集めに関して、飯田エリ子は才能を発揮しており、信者の中でもトップだったと推測されているのです。保険会社に務めていたという経験だけでなく、人柄の良さも関係していたのでしょうか?

1990年には第39回衆議院議員総選挙に立候補も落選

オウム真理教は宗教政党「真理党」を結成し、1990年の「第39回衆議院議員総選挙」に多数の幹部を立候補させています。党首は麻原彰晃が務め、教団幹部ら25名を擁立しています。

飯田エリ子らは選挙に出馬しましたが全滅。このことが麻原彰晃の過激な思想を悪化させており、坂本堤弁護士一家殺害事件に繋がることになるのです。

飯田エリ子のオウム真理教関連の事件をおさらい

選挙での全滅が麻原彰晃の行動を過激化させて、幹部たちは危険な計画を実行しています。飯田エリ子もそういった計画に関わっており、後に逮捕されました。そういった飯田エリ子のオウム真理教関連の事件を紹介します。

1990年にボツリヌス菌の培養に関与

飯田エリ子は1990年にボツリヌス菌の培養に関与していたと考えられています。ボツリヌス菌の致死量は体重70kgの人に対してA型毒素を吸入させた場合、1gで約100万人の命に影響を与えるのだとか。ドラマなどでよく耳にする青酸カリは1gあたり5人なので、いかにボツリヌス菌が危険な存在かというのが伝わるでしょう。

1995年に目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件で逮捕

飯田エリ子はボツリヌス菌に関しては立件はされていませんが、1995年に目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件で逮捕監禁致死罪で逮捕されて起訴されました。

目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件の概要

目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件はオウム真理教が1995年に起こした事件です。当時、目黒公証役場事務長だった男性を拉致・監禁し、殺害の上に死体遺棄しています。

逮捕監禁致死罪で逮捕と起訴

飯田エリ子は事件に関与したという疑いから、逮捕監禁致死罪で逮捕・起訴されています。事件の実行犯は井上嘉浩ら8人だと考えられており、飯田エリ子は間接的な関与だと推測されました。

飯田エリ子逮捕後の裁判と判決

飯田エリ子は逮捕後に裁判が行われています。裁判の中では井上嘉浩が飯田エリ子も拉致事件に関与していると主張し、どこまで関わったかが争点となったようです。

第一審の判決は「懲役7年」

裁判の結果は1996年10月26日に下されました。飯田エリ子は第一審で「懲役7年」の判決となっています。あくまで事件の中心では無かったことから、こういった第一審の判決となったのかもしれません。

控訴審の判決は「懲役6年6ヶ月」

飯田エリ子は第一審後に控訴しており、1998年9月10日に控訴審が行われました。こちらでは「懲役6年6ヶ月」の判決が下され、飯田エリ子は上告しなかったため、刑が確定しています。ただし、飯田エリ子は第一審後からノイローゼや聴覚過敏の症状が出ており、このことが後の脳内出血に繋がった可能性があるのです。

飯田エリ子は服役中の2002年3月に脳内出血で倒れ、二度の手術が行われました。術後は車椅子に乗れるほどの回復力を見せたものの、記憶障害の疑いがあるのだとか。現在は実家とリハビリ施設を往復する生活を送っていると推測されています。

飯田エリ子の現在は刑期を終え出所し闘病生活との噂

元オウム真理教信者である飯田エリ子の現在について紹介しました。飯田エリ子は逮捕監禁致死罪で逮捕されていましたが、現在は刑期を終えて、出所していました。ただし、脳内出血で倒れたことから、現在はリハビリを行いながら闘病生活を送っているようです。

オウム真理教に関する一連の裁判は終結しましたが、被害にあった人たちの苦しみは永遠に終わることは無いと言えるかもしれません。飯田エリ子は自分の行いを反省しながら生活をしているとのことです。改めてオウム真理教が起こした事件の怖さを感じるとともに、忘れないようにしましょう!

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この記事のライター
浅倉恭介
ギターと野球と料理が好き。犬が飼いたい! もともとは接客業界で働いてました その後は保育業界に。 ロ...

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