アントニオ猪木はなぜ車椅子に?訪朝当時や北朝鮮との関係は?

元プロレスラーで現在は議員として活動しているアントニオ猪木さん。2018年に車椅子姿の画像が撮られています。なぜアントニオ猪木さんは車椅子になってしまったのか、原因を探ってみました。アントニオ猪木さんが何度も訪れている北朝鮮との関係についても調査してみました。

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目次

  1. 1アントニオ猪木のプロフィール
  2. 2アントニオ猪木が車椅子の理由はなぜ
  3. 3アントニオ猪木の訪朝当時は車椅子?
  4. 4アントニオ猪木と北朝鮮の関係
  5. 5アントニオ猪木の結婚や妻の詳細
  6. 6アントニオ猪木の車椅子の原因は腰

アントニオ猪木のプロフィール

・愛称:アントン
・本名:猪木 寛至 (いのき かんじ)
・生年月日:1943年2月20日
・血液型:AB型
・出身地:神奈川県横浜市鶴見区
・年齢:75歳
・身長:190㎝
・体重:102kg
・活動内容:元プロレスラー、事業家、政治家
・事務所:コーラルゼット
・所属グループ:なし
・家族構成:配偶者(橋本田鶴子)2017年2月20日~

アントニオ猪木の経歴

アントニオ猪木さんは神奈川県横浜市出身。アントニオ猪木さんが5歳の時に父親が死去してしまいます。金銭的に苦しい幼少期時代を過ごしていましたが、アントニオ猪木さんが13歳の時に家族でブラジルのサンパウロに移り住みます。

貧困から抜け出せるかもしれないという思いから一家で移住したブラジルでしたが、朝の5時から夕方の5時まで農場でコーヒー豆の収穫など過酷な労働を強いられていたようです。

しかしブラジル移住後にアントニオ猪木さんの運動能力が開花し、陸上競技選手として現地の大会に出場し砲丸投げで優勝したこともあったそうです。そしてプロレス興行でサンパウロを訪れていた力道山の目に留まることになりました。

力道山からアントニオ猪木さんに最初に掛けられた言葉は「おい、裸になれ」だったそう。背中の筋肉を見て即合格となったアントニオ猪木さんは帰国し日本プロレスに入団し、プロレスラーとして活躍を始めます。

1960年にデビューしてから38年間プロレスラーとして活躍し、1998年4月東京ドームで引退イベントを行いました。引退の際のスピーチでは「この道を行けばどうなるものか、踏み出せばその一歩が道となり、その一歩が道となる」「迷わず行けよ、行けば分かるさ」と”道”という詩をアントニオ猪木さん風に読み、感動を呼びました。

そのセリフはその後もアントニオ猪木さんの名言として人々の心に刻まれることになりました。1989年には『スポーツ平和党』を結成し、現在も議員として活動しています。

アントニオ猪木が車椅子の理由はなぜ

アントニオ猪木さんが2018年9月9日に開催された『北朝鮮建国70年の記念式典』に出席するため訪朝した際に、車椅子で登場したのが話題となりました。アントニオ猪木さんはなぜ車椅子になってしまったのでしょうか。原因を探ってみました。

車椅子の原因は腰の療養の為

アントニオ猪木さんはプロレスラー時代の怪我の影響で腰を痛めているようです。その腰の治療のために長期の入院をしていたため、足腰が弱ってしまい、車椅子生活を与儀なくされているとのことでした。

長年の怪我の影響で腰をかばう為に車椅子に乗っていたようですね。しかし、他にも原因があるのではないかという声もあるのです。

糖尿病が車椅子の原因との声も

アントニオ猪木さんは39歳の時に糖尿病と診断されました。アントニオ猪木さんが最初に身体に異変を感じたのは、プロレスの興行でドバイを訪れていた時でした。「体のだるさが抜けず、なぜかしきりに喉が渇いた。暑さのせいと思って、冷たい水を飲んでもすぐにまた喉が渇いた。」と語っています。

その後も韓国の済州島を訪れた際に、風邪を引いてしまったアントニオ猪木さんは直ぐに治るだろうと軽く考えていたにも関わらず、なかなか熱が下がらなかったそうです。

心配になったアントニオ猪木さんは日本に帰国したのち、かかりつけの医者に診てもらい糖尿病の疑いがあると診断されます。正常値を遥かに超える血糖値で、大きな病院に緊急入院となりました。

糖尿病と診断されたら一生血糖値をコントロールする治療を行わなければなりません。一生付き合っていかなければいけない病気なのです。悪化してしまうと様々な合併症を引き起こす原因となります。

アントニオ猪木さんは糖尿病の悪化が原因で歩けなくなり車椅子になってしまったのではないかと、ファンの間で心配の声が上がっているのです。

アントニオ猪木の車椅子の真相

車椅子姿のアントニオ猪木さんに対して心配の声が多数上がっていますが、アントニオ猪木さん自身は糖尿病の悪化については言及していないようです。腰の状態が悪化し、手術をしたことは事実のようですので、きちんと治療をして良くなる事を期待したいですね。

アントニオ猪木の訪朝当時は車椅子?

アントニオ猪木さんはこれまでに何度も北朝鮮を訪問しています。2018年9月にも北朝鮮を訪れていますが、その訪朝の際に車椅子に乗ったアントニオ猪木さんの画像が撮られ、その姿が話題になりました。

ネット上にもアントニオ猪木さんの車椅子画像が多数アップされ、ファンの間では心配の声が上がっています。アントニオ猪木さんの訪朝時の画像や、北朝鮮での会見の様子を画像を交えてご紹介していきたいと思います。

訪朝の会見時も車椅子で登場

こちらの画像は北朝鮮出発前、羽田空港に現れたアントニオ猪木さんです。車椅子を押しているのは奥様のようですね。この画像では手に杖も持っていますし、顔色もあまり良くないように見えるということでファンの間で心配の声が上がりました。

アントニオ猪木さんは訪朝時前、自身のツイッターに車椅子姿の画像を上げています。アントニオ猪木さんは訪朝時に会見を行いましたが、その際も車椅子で登場し周囲からは驚きの声が上がりました。

北朝鮮は車椅子での訪朝に感動の声

車椅子姿で訪朝し、北朝鮮の建国70周年祝賀行事に参加したアントニオ猪木さんですが、北朝鮮は2020年の東京オリンピックについて”参加する意向で、南北で一緒になって協力したい”とアントニオ猪木さんに伝えたようです。

そしてアントニオ猪木さんは、車椅子の状態で訪朝した事に北朝鮮側が大変感動してくれたとも語っています。

こちらの画像も訪朝時のアントニオ猪木さん。車椅子から降りて自力でバスに乗り込んだようですが、その際は杖を使っていたということから、かなり腰の具合が悪いようですね。

会見時の車椅子姿を画像で紹介

こちらの画像はアントニオ猪木さんが訪朝時、車椅子姿で会見を行った際の画像です。日本で腰の手術を終えたばかりだったようで終始車椅子で移動でしたが、何度も訪れている北朝鮮と日本の関係改善に今後も協力する考えであると明かしました。

アントニオ猪木と北朝鮮の関係

腰の状態が悪いにも関わらず訪朝したアントニオ猪木さんですが、実は昔から何度も北朝鮮を訪れているのです。なぜアントニオ猪木さんは何度も北朝鮮を訪れているのでしょうか。アントニオ猪木さんと北朝鮮の関係を探ってみました。

若い頃から北朝鮮との関係は深い

なぜアントニオ猪木さんは何度も訪朝しているのでしょうか。実はアントニオ猪木さんがプロレスラーだった時代から北朝鮮との関係がかなり深いものになっていたようですが、そのきっかけは一体何だったのでしょうか。

きっかけはプロレス興行

なぜアントニオ猪木さんは頻繁に北朝鮮を訪れるようになったのでしょうか。アントニオ猪木さんが初めて北朝鮮に興味を持ったのは1994年の初夏だったようです。アントニオ猪木さんの師匠”力道山”は北朝鮮で生まれました。

「北朝鮮で生まれた力道山のために平壌に殿堂を作りたい」と言い、朝鮮総連に人脈のある人を介して話を進め、1994年の9月に初めて北朝鮮を訪れることになりました。

初めての訪朝でアントニオ猪木さんは、朝鮮アジア太平洋平和委員会委員長の金容淳(キムヨンスン)書記と会い、意気投合した2人は友人になりました。アントニオ猪木さんは予定通り力道山の殿堂を作る予定でしたが、金容淳氏がプロレスを北朝鮮の国民に見せることは出来ないかと提案し、それを実現することになりました。

北朝鮮でのプロレス興行は1995年4月28日29日に渡って行われることになりました。『平和のための平壌国際体育・文化祝典』と題され開催されたプロレス興行は、出場する選手のギャラや渡航費用などで総額8千万円の経費が掛かったようです。

しかし、北朝鮮側からの資金提供や報酬は一切なかったとか。アントニオ猪木さんと一緒に訪朝していた当時の新日本プロレス取締役の永島勝司氏がお金の工面をすることになりましたが、とても大変だったと語っています。

北朝鮮で行われたプロレス興行は二日間で計38万人の平壌市民が観戦し、大成功を収めました。38万人という数字はプロレス興行の世界最多観客数と言われています。アントニオ猪木さんはこれを機に北朝鮮の信頼を獲得し、その後も度々北朝鮮を訪れることになったのです。

政界との関係があるからとの声も

アントニオ猪木さんはなぜ頻繁に北朝鮮を訪れているのかという理由に、北朝鮮の政界との関係があるのではないかという噂もあります。菅義偉官房長官が全ての日本国民に北朝鮮への渡航は自粛するようにとの要請をしていたにも関わらず、アントニオ猪木さんは聞く耳を持たず訪朝しました。

アントニオ猪木さんは北朝鮮を訪れる度に要人と会食をするなど友好関係を築いています。ミサイル問題などで日本と北朝鮮の関係が一触即発の危機に陥っている今だからこそ、アントニオ猪木さんのような北朝鮮と友好関係を築けている人物の行動が大事になっているのではないでしょうか。

アントニオ猪木の結婚や妻の詳細

アントニオ猪木さんの私生活についても調査してみました。アントニオ猪木さんは何度も結婚と離婚を繰り返しているようですが、今までの結婚歴や現在の妻についての詳細をまとめてみました。

これまでに4度の結婚を経験

アントニオ猪木さんはこれまでになんと4度の結婚を経験しています。1度目の結婚は1964年、アントニオ猪木さんがアメリカでプロレス修行をしていた時に出会ったリンダという女性でした。2人は子供を授かりますが、幼い頃に病気が原因で亡くなるという不幸に見舞われてしまうのです。

それからほどなくして2人は離婚します。その後1971年に女優の倍賞美津子さんと再婚。最初は友人を交えてグループ交際をしていましたが、徐々に惹かれ合い結婚に至ったそうです。

アントニオ猪木さんは倍賞美津子さんのことを「彼女は明るくて人を喜ばせるのが上手だった、人がいるとワーッと楽しく振舞い、周りにいる人の心が明るくなるのである」と語っています。

当初結婚式は身内だけで行う予定でしたが、当時人気が低迷気味だった日本プロレスが2人の結婚式の費用を全額負担することを申し出たそうです。なぜならば、看板レスラーのアントニオ猪木さんと人気女優との結婚で再びプロレスが注目され話題になると見込んだからと言われています。

そして1億円もの費用を掛けて結婚式を行いましたが、そのわずか一か月半後にアントニオ猪木さんは日本プロレスから追放されてしまうのです。

なぜ突然追放されてしまったのかというと、会社の乱脈経営を不審に思っていたアントニオ猪木さんは、内部改革をしようと動いていました。しかしそれが会社に漏れてしまい追放となってしまったのです。日本プロレスが払うはずだった1億円の費用は2人の借金となってしまいました。

新婚早々1億円の借金を背負った2人は、新居となるはずだった自宅を改装し道場にして新日本プロレスを立ち上げたのです。その後新日本プロレスは黄金期を迎えることになるのですが、アントニオ猪木さんが自身で行っていた事業が失敗したのが原因で、数十億の負債を抱えることになります。

それが原因で2人の間に亀裂が入り、追い打ちを掛けるように倍賞美津子さんの不倫が発覚します。1988年2人は離婚となりました。

3度目の結婚は翌年の1989年、22歳年下の一般女性でした。結婚の翌年には男の子が生まれています。アントニオ猪木さんの結婚歴の中では一番長く20年以上も続きましたが、2012年に離婚となりました。離婚の原因はアントニオ猪木さんの浮気と言われています。

4度目の結婚はなんと2017年

アントニオ猪木さんの4度目の結婚は2017年、アントニオ猪木さんが74歳の時です。離婚原因となったアントニオ猪木さんの浮気相手が現在の奥様で、16歳年下の元カメラマンの橋本田鶴子さんだそうです。

橋本田鶴子さんとアントニオ猪木さんは古くから付き合いがあったようで、1990年代後半からアントニオ猪木さんのプロレスの写真を撮っていたそう。2001年にはアントニオ猪木さんの写真集も出版しています。

現在の妻との信頼関係は厚い模様

4度目の結婚相手橋本田鶴子さんは2013年頃からアントニオ猪木さんの訪朝にも同行し、議員会館にも出入りしているほど信頼関係は厚いようで、現在はアントニオ猪木さんのマネジメント会社コーラルゼットの副社長を務めています。

アントニオ猪木の車椅子の原因は腰

なぜアントニオ猪木さんは車椅子になってしまったのか、原因を探ってみました。プロレスラー時代の怪我が原因で腰が悪くなってしまっているようですね。現在は議員として活動し、北朝鮮との友好関係を築こうと奮闘しているアントニオ猪木さん。腰の怪我を早く治して元気に活躍していってほしいですね。

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この記事のライター
vivichan0430

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