石橋蓮司の若い頃は?当時の経歴や生い立ちなどを振り返り!

2021年の誕生日で傘寿を迎える名優・石橋蓮司さんの若い頃の姿が巷で評判になっています。石橋蓮司さんの若い頃はどんな俳優だったのでしょうか?石橋蓮司さんの若い頃当時の経歴や生い立ちなどを見ながら石橋蓮司さんの若い頃の姿を思い浮かべてみましょう。

石橋蓮司の若い頃は?当時の経歴や生い立ちなどを振り返り!のイメージ

目次

  1. 1石橋蓮司のプロフィール
  2. 2石橋蓮司の若い頃は?
  3. 3石橋蓮司の若い頃の経歴
  4. 4石橋蓮司の生い立ちについて
  5. 5石橋蓮司の若い頃のエピソード
  6. 6石橋蓮司の若い頃はイケメンで劇団歴もすごい!

石橋蓮司のプロフィール

・愛称:蓮ちゃん
・本名:石橋蓮司(いしばしれんじ)
・生年月日:1941年8月9日
・年齢:79歳(2021年6月現在)
・出身地:東京都品川区
・血液型:AB型
・身長:178cm
・体重:非公表
・活動内容:俳優、演出家
・所属グループ:なし
・事務所:劇団第七病棟(主宰)・オフィスロータス
・家族構成:妻(緑魔子)、長女

石橋蓮司の経歴

1941年8月9日に東京都品川区で生まれた石橋蓮司さんは、13歳で俳優デビューして以降数多くの映画・ドラマ・舞台に出演してきました。若い頃の経歴の詳細は後の章で詳しくご紹介します。

演じる役柄は非常に幅広い事で知られ、ハードボイルドな役からコミカルな役までどんな人物を演じても石橋蓮司さんならではの魅力をあふれさせると評価されてきました。NHKの人形劇やドキュメンタリー番組のナレーションなどで声だけの演技も披露しています。

俳優・声優・ナレーターとしての才能を見せてきただけではありません。劇団第七病棟を立ち上げてからは演出家としての手腕も発揮しています。2008年には、東映が立ち上げた若手俳優育成のためのプロジェクト「東映大学」の校長に就任しました。

2020年公開のハードボイルドコメディ映画『一度も撃ってません』では18年ぶりに長編映画の主役を務めましたが、ファンの歓喜とは裏腹に「二度とやりたくない」とコメントをして笑いを誘っています。

石橋蓮司の若い頃は?

傘寿を目前とした現在も多くの作品に出演して実績を積み重ね続けている石橋蓮司さんの若い頃の姿をチェックしてみましょう。石橋蓮司さんの若い頃は世間でどう評価されているのでしょうか?石橋蓮司さんの若い頃と現在の比較画像もご紹介します。

石橋蓮司の若い頃がイケメンと話題に

石橋蓮司さんの若い頃がイケメンだと巷で話題になっているようです。石橋蓮司さんの若い頃をネットで検索すると、石橋蓮司さんの若い頃の画像が大量に出てくると共に「イケメン」という賛辞が目に飛び込んできます。

こちらのツイートがその1つで、ツイッターで「石橋蓮司 若い頃」と検索すると石橋蓮司さんの若い頃のイケメン画像と称賛のコメントを数え切れないほど見る事が出来ました。

石橋蓮司の若い頃の姿をチェック

石橋蓮司さんの若い頃の姿をチェックしてみましょう。石橋蓮司さんの若い頃の顔貌はご覧の通りのイケメンなのですが、石橋蓮司さんはそれに加えて、現在でも平均を大きく上回る178cmという長身です。顔立ちが極めて整った長身という事で、現在でも素敵な石橋蓮司さんですが、若い頃の石橋蓮司さんは女性人気が非常に高かったのではないでしょうか?

石橋蓮司の若い頃と現在を比較

石橋蓮司さんの若い頃と現在を比較してみましょう。左は1975年に放映されたドラマ『俺たちの勲章』第2話にゲスト出演した時の石橋蓮司さんで、右は2018年5月に映画『孤狼の血』が公開される寸前に受けたインタビューの時の石橋蓮司さんです。

左は34歳、右は76歳の時の石橋蓮司さんですが、40年の歳月が流れた後の石橋蓮司さんは、アナーキーなイケメン俳優から渋味の効いた高齢俳優に変化しています。どちらの石橋蓮司さんも素晴らしいのですが、持っている雰囲気は大きく変わりました。

石橋蓮司の若い頃に対する世間の反応

石橋蓮司さんの若い頃に対する世間の反応を見てみましょう。石橋蓮司さんの若い頃については前述の通り「イケメン」という賛辞が飛び交っている状態ですが、その他の反応としては「井浦新さんに似てる」「中村獅童さんに似てる」という意見を散見しました。

特に、ここ10年の間に人気が一気に上昇した井浦新さんに似てるというコメントが多いようです。井浦新さんも40年後には石橋蓮司さんのような渋い俳優になっているのかも知れません。

石橋蓮司の若い頃の経歴

石橋蓮司さんの若い頃の経歴をご紹介します。石橋蓮司さんが俳優デビューをしてから築き上げてきた若い頃の俳優業での動きを振り返りましょう。石橋蓮司さんの若い頃の軌跡を石橋蓮司さんの若い頃の画像と共にご覧下さい。

若い頃の経歴:中学時代に「劇団若草」所属

石橋蓮司さんの若い頃の経歴から劇団若草に所属した事について見てみましょう。石橋蓮司さんは中学時代、13歳の時に劇団若草に所属する事になりました。劇団若草に所属するまでの経緯は次の章でご紹介します。

劇団若草に入ったその年に石橋蓮司さんの俳優デビューが決まりました。東映児童映画の第一作として制作された映画『ふろたき大将』の主役に選ばれたのです。この時は本名の石橋蓮司ではなく石橋蓮名義でした。

終戦から5年後の広島を舞台にした作品で、当時の石橋蓮司さんは演技について何も考えないまま主人公を演じていたのですが、無心で演技した事が功を奏したのか、主人公が母親を思いながら遠くを見つめるシーンでの演技について「その表現はいい。そういう気持ちを大事に役者を続けなさい」と監督に褒められた事が嬉しかったと後年明かしています。

若い頃の経歴:劇団青俳養成所に入所

石橋蓮司さんの若い頃の経歴から劇団青俳養成所に入所した事について見てみましょう。中学時代に俳優デビューした後は複数の映画に出演していた石橋蓮司さんでしたが、高校生になって急激に身長が伸び、声変わりもした事から子役としての仕事が激減してしまいます。

数年の間今後の生き方に迷った石橋蓮司さんでしたが、「子役としてではなく大人の芝居をしたい」と思い立ち、映画『越後つついし親知らず』のオーディションを受けました。その結果出演が決まり、監督に演技を褒められた事で俳優への熱意を取り戻した石橋蓮司さんは、劇団青俳養成所に通うようになったのでした。1965年の事です。

若い頃の経歴:劇団「現代人劇場」を旗揚げ

石橋蓮司さんの若い頃の経歴から劇団・現代人劇場を旗揚げした事について見てみましょう。劇団青俳養成所で清水邦夫さん・蜷川幸雄さん・蟹江敬三さんを始めとした芝居の世界に情熱を傾けている人達の出会いが、石橋蓮司さんに次の転機をもたらします。

出会った同志達に触発されて役者魂を更に燃やすようになった石橋蓮司さんは、1968年に清水邦夫さん・蜷川幸雄さん・蟹江敬三さん達と共に劇団青俳を脱退し、劇団・現代人劇場を旗揚げしたのです。1971年に現代人劇場は解散しましたが、翌年に清水邦夫さん・蜷川幸雄さん・蟹江敬三さんと共に劇結社・櫻社を結成しています。

若い頃の経歴:劇団「第七病棟」を旗揚げ

石橋蓮司さんの若い頃の経歴から劇団「第七病棟」を旗揚げした事について見てみましょう。1974年に蜷川幸雄さんが商業演劇での活動がメインになった事を機に劇結社・櫻社は解散しました。

その2年後、石橋蓮司さんはパートナーとなった緑魔子さんと共に劇団・第七病棟を旗揚げしました。劇団・第七病棟は4年に1度しか公演をしない事でオリンピック劇団と呼ばれるようになりましたが、21世紀に入ってからは公演を行なっていません。

現在では石橋蓮司さんと緑魔子さんのマネジメントはオフィスロータスが行なっていますが、所属は現在でも「劇団第七病棟」と記載されています。いつの日か劇団第七病棟の新しい舞台を観る事が出来るのかも知れません。

石橋蓮司の生い立ちについて

石橋蓮司さんの若い頃の経歴に続いて、石橋蓮司さんの生い立ちをご紹介します。石橋蓮司さんはどんな家に生まれ、どんな家族に囲まれてどんな少年期を過ごしたのでしょうか?石橋蓮司さんの現在の人格の基礎となった人格形成期の姿を覗いてみましょう。

生い立ち①東京にて次男として誕生

石橋蓮司さんの生い立ち・その1の東京で次男として誕生した事について見てみましょう。石橋蓮司さんは第二次世界大戦中だった1941年に東京都品川区で生を受けました。石橋蓮司さんの兄弟構成は多くの資料で「姉・石橋蓮司さん・弟」と記載されていますが、それは石橋蓮司さんの父親にとっての兄弟構成のようです。

石橋蓮司さんの母親は再婚で、前の夫との間に息子が生まれていました。その兄を長男と数えると石橋蓮司さんが次男という事になるのです。石橋蓮司さんの兄弟についてはこれ以上詳しい事は公表されていません。石橋蓮司さん以外は一般人として生活しているからのようです。

生い立ち②両親の離婚とラブホ生活

石橋蓮司さんの生い立ち・その2の両親の離婚とラブホ生活していた事について見てみましょう。石橋蓮司さんの両親は石橋蓮司さんが中学1年生の時に父親の浮気が原因で離婚しています。子供達は石橋蓮司さんの母親が親権をとり、慰謝料として父親が建てた大井町の旅館を与えられました。

石橋蓮司さんの母親はその2階を現在で言うラブホテル、当時の言葉での連れ込み宿にして子供達を育てるための糧を得ています。石橋蓮司さんはそのラブホテルで生活している間に多くの道ならぬカップルを目撃するなど、感じやすい少年期に普通の生活をしていれば思いも及ばないような多くの経験を積み重ねたのでした。

生い立ち③劇団若草の子役オーディション合格

石橋蓮司さんの生い立ち・その3の劇団若草の子役オーディションに合格した事について見てみましょう。石橋蓮司さんは前の章でご紹介したように、1954年に劇団若草に所属しました。そのきっかけとなったのは劇団若草で子役オーディションが開催された事でした。

石橋蓮司さんの母親は、石橋蓮司さんが子供時代から学芸会や友達との芝居ごっこを楽しんでいた事に着目してオーディションを受けさせたのではありません。

オーディションの審査員の1人が木暮実千代さんだという事で、木暮実千代さんを見たい一心で石橋蓮司さんをオーディション会場に連れて行ったのです。そのオーディションに見事合格した事で、石橋蓮司さんは生涯の仕事となる俳優業を始める事になったのでした。

石橋蓮司の若い頃のエピソード

石橋蓮司さんの生い立ちを見ていただいた後は、石橋蓮司さんの若い頃のエピソードをご覧下さい。石橋蓮司さんの若い頃の家族にまつわるエピソードなどを中心にお送りします。このエピソードで石橋蓮司さんの若い頃の姿が自然に浮かんでくるかも知れません。

若い頃のエピソード【未婚と娘の苗字】

石橋蓮司さんの若い頃のエピソードから結婚と娘の苗字に関するエピソードをご紹介します。石橋蓮司さんは1971年から緑魔子さんと同棲生活を始めました。公私共にパートナーである緑魔子さんとは入籍をしないまま事実婚の関係が続いていましたが、1979年に娘が誕生してから石橋蓮司さんと緑魔子さんの夫婦としてのスタイルに変化が生じます。

娘のために正式に結婚しようという流れになったのです。出生届を出した時の石橋蓮司さんは未婚の父という扱いだったため、最初に出した出生届では受理されず、緑魔子さんの本名である小島姓に訂正する羽目になりました。

その後しばらくは事実婚だったのですが、娘が小学校に入学する時に担任から手続きを簡素にするために入籍をするよう勧められ、石橋蓮司さんと緑魔子さんは晴れて戸籍上でも夫婦となったのでした。

若い頃のエピソード【妻公認の浮気説】

石橋蓮司さんの若い頃のエピソードから妻公認の浮気をしていた説に関するエピソードをご紹介します。石橋蓮司さんと緑魔子さんは正式な夫婦になった後別居生活に入っています。理由は、気性の激しい2人は一緒にいるよりも離れて暮らした方がうまくいくと悟ったためでした。

別居婚になっても戸籍は変わらず、石橋蓮司さんが他の女性を家に住まわせ、それを緑魔子さんが公認しているという噂まで浮上しています。しかし、石橋蓮司さんも緑魔子さんも別居の末に離婚するという報道は全て否定してきました。

石橋蓮司さんは緑魔子さんについて「ある意味では同志で、ある意味では一緒に闘ってきた人間」と評した上で「それを切る理由がない」と断言しています。その気持ちは緑魔子さんも同じのようです。

若い頃のエピソード【押尾学に似てる説】

石橋蓮司さんの若い頃のエピソードから押尾学さんに似てる説に関するエピソードをご紹介します。石橋蓮司さんの若い頃の姿は多くの人に「イケメン」と称賛されています。そして多くの人が井浦新さんや中村獅童さんに似てると指摘している事をご紹介しましたが、一部の人の間では「押尾学さんに似てる」と言われている事が分かりました。

押尾学さんと言えばイケメンな事でも有名な俳優ですが、これまでに石橋蓮司さんが似てると言われてきたのはどの方も人気があるイケメンばかりです。これは、石橋蓮司さんの若い頃の姿が間違いなくイケメンである事の証ではないでしょうか?

石橋蓮司の若い頃はイケメンで劇団歴もすごい!

石橋蓮司さんの若い頃はご覧の通り申し分のないイケメンでした。13歳の時に劇団若草に所属してから複数の劇団を渡り歩いてきたという歴史もすごいです。母親がラブホテルを経営した事で多くの人生ドラマを見たという生い立ちや複数の劇団に所属して多くの出会いを経てきた事が、現在の石橋蓮司さんの財産になっている事は間違いありません。

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この記事のライター
fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

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