伊藤エミの死因は?沢田研二との結婚から離婚や息子は?

伝説の双子デュオ「ザ・ピーナッツ」の片割れ伊藤エミさんの半生を辿ります。伊藤エミさんの死因となった病気の事や伊藤エミさんの元夫沢田研二さんとの結婚から離婚までのエピソード、そして2人の間に生まれた息子さんについて明らかになっている部分をご紹介します。

伊藤エミの死因は?沢田研二との結婚から離婚や息子は?のイメージ

目次

  1. 1伊藤エミのプロフィール
  2. 2伊藤エミの死因は?
  3. 3伊藤エミと沢田研二の結婚
  4. 4伊藤エミと沢田研二の離婚の真相
  5. 5伊藤エミの息子について
  6. 6伊藤エミと言えば「ザ・ピーナッツ」
  7. 7伊藤エミの死因は病気「癌」で沢田研二とは過去に離婚

伊藤エミのプロフィール

伊藤ユミさんは伝説の双子デュオ「ザ・ピーナッツ」の片割れでした。目尻にほくろがある方が姉の伊藤ユミさんです。デビュー初期は妹の伊藤ユミさんもマジックで目尻にほくろを書いていたそうです。

この記事では伊藤エミさんの死因と結婚生活を中心に伊藤エミさんの半生を振り返っていきます。最初に伊藤エミさんのプロフィールと経歴をご紹介させていただきます。

・愛称:エミちゃん、日出ちゃん
・本名:澤田日出代
・生年月日:1941年4月1日
・年齢:享年71歳(2012年6月15日逝去)
・出身地:愛知県知多郡常滑市
・血液型:不明
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:歌手、女優
・所属グループ:ザ・ピーナッツ
・事務所:無所属
・家族構成:妹(伊藤ユミ)、長男

伊藤エミの経歴

伊藤エミさんは1941年4月1日に愛知県知多郡常滑町(現在の常滑市)で双子の妹のユミさんと一緒に生まれました。物心付く前に名古屋市に転居し、高校を中退した後に名古屋市内で「伊藤シスターズ」という芸名で歌っていたところ、渡辺プロダクションの社長にスカウトされます。

その後上京し、渡辺プロダクションの社長宅で下宿しながら作曲家の宮川泰さんの元で歌唱レッスンを受けるようになり、1959年2月に「ザ・ピーナッツ」という芸名で歌手デビューを果たしました。


所属事務所は引退するまで渡辺プロダクションでしたがレコード会社は決まっていなかったため、多くの会社で争奪戦が繰り広げられたそうです。激しい闘いの結果軍配はキングレコードに上がり、引退するまでにキングレコードから70曲以上のシングルをリリースしました。

歌手デビューした後は女優としても活動していました。特に有名なのは東宝の怪獣映画「モスラ」で演じた小美人です。ザ・ピーナッツは日本国内で絶大な人気を得ていましたが、海外でも公演を重ねて和製ポップスを世界に広めた功績を讃えられています。

1975年4月に惜しまれながら引退するまで双子デュオザ・ピーナッツの快進撃は続きました。引退する時は日本歌手初めての引退コンサートと言われる引退記念興行「ザ・ピーナッツ さよなら公演」がコンサートツアー形式で開催されました。

伊藤エミの死因は?

引退してから30年以上過ぎた後も当時を知る人に懐かしがられていたザ・ピーナッツですが、ハーモニーパートを担当していた姉の伊藤エミさんの訃報が突然もたらされ、多くのファンの悲しみを誘いました。伊藤エミさんの死因は何だったのでしょうか?

2012年6月15日に71歳で他界

伊藤エミさんは2012年6月15日に71歳の若さで他界しました。引退後は芸能界から遠ざかっていたため、訃報がもたらされたのは伊藤エミさんが亡くなってから2週間近くが経った6月27日の事でした。

伊藤エミの死因は癌

71歳と言えば、現在は死ぬにはまだ早い年齢です。それなのに伊藤エミさんがその年齢で亡くなってしまったのは病気が原因でした。病気の名前は「癌」。伊藤エミさんの死因は癌だったのです。

死因である病気「癌」発覚後1ヶ月で死去

伊藤エミさんの死因となった病気「癌」は伊藤エミさんが亡くなる1ヶ月前に発覚したそうです。長い間病気に苦しむ生活を送っていた訳ではない、というのは救いがありますが、病気の発覚後1ヶ月で亡くなるなんてあまりにも急すぎる話です。

死因の病気「癌」の種類は不明

伊藤エミさんの死因となった病気「癌」の種類は明かされていません。亡くなる数ヶ月前から伊藤エミさんが腰痛を訴えていた事から腎臓癌だったのではないかという説もあります。病気が発覚したのはその腰痛が原因でした。

伊藤エミさんは転倒して腰を痛め、その痛みが中々引かないために不審に思って病院で検査をした時に癌に冒されている事が判明したのです。

その時には病気はかなり進行していて手の施しようがない状態でした。即日入院したのですが、入院してわずか1ヶ月で伊藤エミさんは帰らぬ人となってしまったのです。

伊藤エミの葬儀は?

伊藤エミさんの葬儀がどこで行なわれたのかは不明です。伊藤エミさんの生前の望みで、伊藤エミさんの死は限られた人以外には知らされず、家族とわずかな親類のみが参列した密葬だったそうです。

伊藤エミさんは亡くなる前年にお母さんを亡くしています。亡くなった時お母さんは100歳近くだったそうなのですが、ずっと家で介護をしていたのだとか。「やるべき事はやったから思い残す事はない」と知人に語っていたそうです。

更に伊藤エミさんが亡くなる3ヶ月前には12年間可愛がっていた愛犬を亡くしていました。愛する大きな存在を2つ失った後の死だったのです。遺された妹の伊藤ユミさんにとっては「姉は母と愛犬のいる所に旅立っていった」と思う事がせめてもの慰めだったかも知れません。

そしてその妹伊藤ユミさんも、伊藤エミさんが亡くなった4年後の5月18日に亡くなりました。死因は不明ですが病気療養中だったそうです。そして伊藤ユミさんの訃報も直後ではなく四十九日法要が終わった後に所属事務所によって発表されたのでした。

伊藤エミと沢田研二の結婚

亡くなった当時は妹の伊藤ユミさんと息子の3人で静かに暮らしていた伊藤エミさんですが、一度だけ結婚していた事があります。伊藤エミさんが結婚していた相手は歌手の沢田研二さんでした。次の項で沢田研二さんのプロフィールをご紹介します。

沢田研二とは

・愛称:ジュリー
・本名:澤田研二
・生年月日:1948年6月25日
・年齢:70歳(2019年6月現在)
・出身地:京都府京都市
・血液型:A型
・身長:171cm
・体重:不明
・活動内容:歌手、俳優、作詞・作曲家
・所属グループ:なし
・事務所:ココロ・コーポレーション
・家族構成:後述します

1975年6月に沢田研二と結婚

伊藤エミさんは1975年6月4日、34歳の時に同じ渡辺プロダクションに所属していた27歳の沢田研二さんと結婚しました。その2ヶ月前に伊藤エミさんは妹の伊藤ユミさんと共に芸能界を引退しています。

結婚相手の沢田研二さんに「引退してほしい」と言われたのもあったようですが、沢田研二さんと婚約する以前の1972年頃から引退を考えていたそうです。人気が下火になったからではありません。

むしろ人気があるうちに惜しまれながら引退したいという気持ちが強かったのです。そしてその願い通りに多くのファンに惜しまれながらの引退となりました。

沢田研二との結婚式会場は「比叡山延暦寺」

伊藤エミさんと沢田研二さんは比叡山延暦寺で結婚式を挙げました。何故その場所を選んだのかと言うと、その日沢田研二さんのコンサートが比叡山で開催される事になっていたからのようです。

結婚式の直後沢田研二さんはコンサート会場に向かい、ウエディングドレス姿の伊藤エミさんも同行しました。そして一緒にステージに上り沢田研二さんのファンに向けて結婚報告を行なったのです。そしてそれが伊藤エミさんが公の場に現れた最後の姿となりました。

沢田研二との結婚の馴れ初め

伊藤エミさんが7歳年上の年の差婚だった伊藤エミさんと沢田研二さんの馴れ初めの詳しい事は分かっていません。2人は同じ渡辺プロダクションに所属する人気歌手同士だったので接点が多かったのでしょう。

伊藤エミさんと沢田研二さんは結婚するまでに6年間交際していました。沢田研二さんが駆け出しの歌手だった21歳の時から、先輩としてこれから伸びていく沢田研二さんにアドバイスをし支え続けていたのではないでしょうか?

沢田研二との結婚生活は淡々とした様子

伊藤エミさんと沢田研二さんの結婚生活は淡々とした様子だった、と当時の伊藤エミさんと沢田研二さんを知る人は表現しています。いわゆるラブラブカップルという雰囲気ではなかったという事ですね。

冷めていたのではないかと想像する人も多いのですが、結婚する前6年も交際をしていたので、結婚する頃には浮ついた気分はもう消えていて、地に足の着いた生活をしていたという事でもあるのではないかと思います。

Thumb沢田研二(ジュリー)の現在!年齢や容姿は?仙人みたいと話題に!【画像】
ジュリーの愛称で親しまれる沢田研二さんの現在が話題になっているようです。現在の年齢は何歳にな...

伊藤エミと沢田研二の離婚の真相

1975年に多くの人の祝福を受けて結婚し、1979年3月には男の子を授かっていた伊藤エミさんと沢田研二さん夫妻でしたが、残念ながら添い遂げる事は出来ませんでした。結婚12年で離婚してしまったのです。

1987年に沢田研二と離婚

伊藤エミさんと沢田研二さんが離婚したのは1987年の事でした。沢田研二さんが家族で暮らしていた家を出ていってしまったのです。そして別居して間もなく伊藤エミさんが離婚届にサインをした事で離婚が成立したのでした。

離婚理由は沢田研二の不倫

伊藤エミさんと沢田研二さんの離婚の原因は沢田研二さんの不倫でした。沢田研二さんの不倫相手は沢田研二さんが映画で共演した女優でした。その不倫がスキャンダルとして報道された時、伊藤エミさんは沢田研二さんの無実を主張し庇っています。

しかしそれを打ち消すかのように、沢田研二さんは不倫スキャンダルを肯定するようなコメントを繰り返していました。

沢田研二の不倫相手は田中裕子

沢田研二さんの不倫相手は女優の田中裕子さんでした。1982年12月に公開された映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」で共演したのがきっかけで不倫の関係になったのです。不倫関係が報じられた後に田中裕子さんは「必ず彼と一緒になる」と言い切ったそうです。
 

それに対して伊藤エミさんは対抗意識を燃やすという事もないままに離婚届にサインをしたのだとか。伊藤エミさんと沢田研二さんの家の隣に住んでいたハナ肇さんは、伊藤エミさんが離婚を決心した事について以下のように語っています。

「ジュリーを愛するがゆえに離婚届に判を押した」と。さらに、「愛する人の望むようにしてやるのが本当の愛」という綺麗な気持ちで伊藤エミさんは離婚を決意したのではないかとその気持ちを慮っています。

伊藤エミさんと離婚してから2年後に沢田研二さんは田中裕子さんと結婚しました。すぐ再婚するのではなく2年というインターバルを設けた理由は、沢田研二さんなりのけじめだったのではないでしょうか?

田中裕子さんと再婚してからは沢田研二さんに女性スキャンダルはなく、現在も仲睦まじく暮らしています。沢田研二さんと田中裕子さんを憧れのカップルに挙げる人もいる位良い夫婦のようです。次の項で田中裕子さんのプロフィールをご紹介します。

田中裕子とは

・愛称:不明
・本名:澤田裕子(さわだひろこ)
・生年月日:1955年4月29日
・年齢:64歳(2019年6月現在)
・出身地:大阪府池田市
・血液型:B型
・身長:160cm
・体重:不明
・活動内容:女優
・所属グループ:なし
・事務所:アニマ出版
・家族構成:夫(沢田研二)

伊藤エミの離婚後の入院エピソードとは

離婚した後、伊藤エミさんが入院した時にお見舞いに来た沢田研二さんとの会話のエピソードが残っています。それは「忙しい時にすみません」と謝る伊藤エミさんに対して沢田研二さんが「悪いと思っているならお前の小遣いから入院費を払っておけよ」と返したというもの。

離婚後の出来事だとしても沢田研二さんの発言は冷た過ぎる!と、この入院エピソードは沢田研二さんのファンの間でも評判があまりよくありません。ですが離婚した妻のお見舞いに来る元夫というのも中々珍しいのではないでしょうか?上の発言も沢田研二さんの照れ隠しだったかも知れません。

沢田研二との離婚の慰謝料は?

伊藤エミさんと沢田研二さんが離婚した時に沢田研二さんが伊藤エミさんに払った慰謝料の額は、当時の芸能人カップルの最高額である18億1,800万円でした。沢田研二さんは住んでいた家や別荘など、あらゆるものを伊藤エミさんと息子さんに残して出ていったのです。

全てを振り捨てても田中裕子さんと一緒になりたかったから、という解釈もあり、残していく妻と息子さんへの謝罪と愛情の証としてそれだけの代償を支払った、という解釈もあります。どちらの解釈が正しいかは分かりません。

Thumb沢田研二と田中裕子の馴れ初めは?略奪から結婚?現在の関係も!
沢田研二さんと田中裕子さんはおしどり夫婦として知られていますが、その馴れ初めはどのようなもの...

伊藤エミの息子について

伊藤エミさんと沢田研二さんが離婚した時、伊藤エミさんと沢田研二さんの息子さんは8歳になったばかりでした。そして息子さんの親権は伊藤エミさんが持ち、伊藤エミさんが亡くなるまで息子さんは伊藤エミさんと暮らしていたようです。
 

伊藤エミさんと沢田研二さんが離婚した後息子さんは沢田研二さんと会う事はなかったのですが、伊藤エミさんが亡くなった後に父子再会を果たしたそうです。その時に伊藤エミさんが沢田研二さんに遺した手紙も手渡しています。

手紙の内容がどんなものなのかは明かされていません。ですが離婚の時にも一切恨み言を言わなかったという伊藤エミさんですから、遺していく人への思いやりに満ちた内容だったのではないでしょうか?

1979年3月に沢田研二との間に息子が誕生

伊藤エミさんと沢田研二さんの息子さんは1979年3月に誕生しました。沢田研二さんは伊藤エミさんと離婚した後不倫相手だった田中裕子さんと再婚しましたが田中裕子さんとの間には子供が出来なかったので、伊藤エミさんと沢田研二さんどちらにとっても一人息子です。

伊藤エミさんと沢田研二さんの子供ならイケメンで音楽的な素養もある人なのではないかと想像できますが、残念ながら伊藤エミさんと沢田研二さんの息子さんは両親の後を継いで歌手になるという道は選ばなかったようです。

息子「澤田一人」で職業は音楽関係

伊藤エミさんと沢田研二さんの息子さんは一般人なので画像は全くありません。ただ名前が「澤田一人」である事と「レコード会社に務めているらしい」という事だけが分かっています。澤田一人さんの苗字ですが、これは沢田研二さんの本名です。

伊藤エミさんは離婚した後も旧姓の伊藤に戻さず、死ぬまで澤田姓を名乗っていました。伊藤エミさんは「息子の苗字が変わると可哀想だから」と周囲に語っていたそうですが、伊藤エミさん自身の未練もあったのかも知れません。

伊藤エミと沢田研二の息子は障害持ち?

伊藤エミさんと沢田研二さんの一人息子澤田一人さんは障害を持っているという噂もあります。その噂の真相を調べたのですが、澤田一人さんに障害があるという確たる証拠はありませんでした。どうやらデマ情報のようです。

顔出しを避けている有名人の子供が障害があると噂を立てられるのは珍しい事ではありません。木村拓哉さんと工藤静香さんの娘さん達も最近まで障害があると噂をされていた位です。

もし噂が本当だとしたら、澤田一人さんは障害を背負いながら自分で生計を立てている立派な人という事になるのですが、実際はどうなのでしょうか?いずれにせよ一緒に暮らしていた母伊藤エミさんが亡くなった4年後に叔母の伊藤ユミさんも亡くなり、寂しい思いをされている事でしょう。

Thumb沢田研二の息子の現在は?名前や職業など沢田研二の息子まとめ【画像】
沢田研二さんには息子が一人いますが、現在の職業は判明しているのでしょうか?また、名前は何とい...

伊藤エミと言えば「ザ・ピーナッツ」

伊藤エミさんと言えば、序文でご紹介したように伝説の双子デュオ「ザ・ピーナッツ」です。日本国内だけではなく海外でも活躍していたザ・ピーナッツは、当時のドイツやイタリアの人に日本の歌手を尋ねると「ザ・ピーナッツ」と返ってくるほどの人気と知名度を誇っていました。

ザ・ピーナッツとは

伊藤エミさんと妹の伊藤ユミさんが双子デュオを結成したのは10代の半ばを少し過ぎたあたりです。伊藤シスターズという芸名でアマチュアで歌っていたところを渡辺プロダクションの社長に見い出され、デビュー後にザ・ピーナッツを名乗りました。

ザ・ピーナッツの芸名は当時日本テレビの敏腕プロデューサーだった井原高忠さんが名付けました。伊藤エミさんと伊藤ユミさんの芸名もこの方が名付けています。とんねるずの芸名もこの方によるものです。卓越したセンスをお持ちの方ですね。

ザ・ピーナッツは16年連続紅白出場

ザ・ピーナッツは16年連続でNHK紅白歌合戦に出場しています。実の兄弟姉妹として史上初の出場でした。そして実の兄弟姉妹による16回連続出場という記録は現在も破られていません。

デビューした年から引退する前年まで毎年必ず紅白に出場していた、というのはすごい記録ですね。その記録だけでもザ・ピーナッツがどれだけ人気があったのか想像がつきます。

ザ・ピーナッツ時代の動画もチェック

ザ・ピーナッツをリアルタイムで知らない世代でも、ザ・ピーナッツの楽曲に聴き覚えがある、という方が多いです。そういうところがまさに伝説の双子デュオなのです。そんなザ・ピーナッツが残した名曲の数々の中から特に人気の高いものをご紹介します。

ザ・ピーナッツ時代動画①「情熱の花」

伝説の双子デュオザ・ピーナッツの時代動画の1曲目は、1959年9月にリリースされた楽曲「情熱の花」です。「情熱の花」はザ・ピーナッツのオリジナル曲ではなく、アメリカのグループであるザ・フラタニティ・ブラザーズの楽曲を日本語でカバーしたものです。

日本語の訳詞は音羽たかしさんと水島哲さんが担当しました。この「情熱の花」を題材にした歌謡映画「情熱の花」が1960年11月12日に日活製作で公開されています。ザ・ピーナッツも本人の役で出演しました。
 

ザ・ピーナッツ時代動画②「恋のフーガ」

伝説の双子デュオザ・ピーナッツの時代動画の2曲目は、1967年8月にリリースされた楽曲「恋のフーガ」です。作詞はなかにし礼さんで作曲はドラゴンクエストで有名なすぎやまこういちさんでした。

作詞を担当したなかにし礼さんはこの「恋のフーガ」日本レコード大賞作詞賞を獲得しています。2003年8月に小柳ゆきさんが、2005年2月にW(ダブルユー)がカバーバージョンをリリースしているので、カバーバージョンを聴いた事があるという方も多いのではないかと思います。

ザ・ピーナッツ時代動画③「恋のバカンス」

伝説の双子デュオザ・ピーナッツの時代動画の3曲目は、1963年4月にリリースされた楽曲「恋のバカンス」です。作詞は岩谷時子さんで作曲は宮川泰さんでした。この「恋のバカンス」がザ・ピーナッツの楽曲の中で一番知名度が高い作品ではないでしょうか?

多くの歌手がカバーバージョンを歌っています。1965年にはロシアでもカバーバージョンがリリースされ、現在のロシアでも歌われているほど大ヒットしました。日本ではW(ダブルユー)を始め27人もの歌手がカバーバージョンを歌っています。

伊藤エミの死因は病気「癌」で沢田研二とは過去に離婚

71歳という現代日本では若すぎる年齢で死を迎えてしまった伊藤エミさん。その死因は癌でした。恋愛結婚で結ばれた沢田研二さんとも沢田研二さんの不倫という形で離婚してしまい、その後は妹の伊藤ユミさんと息子さんと暮らしていました。

ですが不幸で孤独な晩年という訳ではなかったようです。近所に住む人の話では、伊藤エミさんは気さくで明るい性格で、町内会の役員などもして町内の人と交流を深めていたそうです。

「息子を育てるのが趣味なの」とも語っていました。伊藤エミさんの生き甲斐だった息子さんが立派に育ち、同居していた母と愛犬を看取った後は心残りになる事も少ない状態で亡くなられたのかも知れません。

伝説の双子デュオザ・ピーナッツの2人は違う世界へ旅立ってしまいましたが、ザ・ピーナッツの名曲の数々は色褪せる事なく聴く人の心を和ませています。それはこれから先も変わる事はないでしょう。

関連するまとめ

関連するキーワード

Original
この記事のライター
fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ