五木ひろしの妻は和由布子!経歴や学歴は?結婚の馴れ初めなども

日本を代表する演歌歌手の五木ひろしの妻は元女優の和由布子です。五木ひろしの妻、和由布子の経歴や学歴が気になります。五木ひろしの妻である和由布子についてご紹介しましょう。また、五木ひろしと和由布子との結婚の馴れ初めなどについても調査してみました。

五木ひろしの妻は和由布子!経歴や学歴は?結婚の馴れ初めなどものイメージ

目次

  1. 1五木ひろしのプロフィール
  2. 2五木ひろしの妻は和由布子
  3. 3五木ひろしの妻(和由布子)の経歴や学歴
  4. 4五木ひろしと妻(和由布子)の結婚の馴れ初めやエピソード
  5. 5五木ひろし以外の演歌歌手が結婚した妻
  6. 6五木ひろしの妻は元女優の和由布子

五木ひろしのプロフィール

・愛称:不明
・本名:松山 数夫(まつやま かずお)
・生年月日:1948年3月14日
・現在年齢:74歳(2022年11月現在)
・出身地:福井県三方郡
・血液型:A型
・身長:173㎝
・体重:???
・活動内容:歌手、作曲家、俳優
・所属グループ:なし
・事務所:株式会社五木プロモーション
・家族構成:和由布子(妻)、子供3人

五木ひろしの経歴

五木ひろしは1948年3月14日に福井県三方郡で生まれました。五木ひろしは中学を卒業後、歌手を目指して関西音楽学院に入学し、翌年の1964年に上京し、作曲家の上原げんの内弟子となりました。

1964年9月に第15回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、コロムビアの専属歌手になりました。五木ひろしは1965年6月に「松山まさる」という芸名で「新宿駅から/信濃路の果て」でデビューしています。

1967年4月に「一条英一」という芸名に改名し、再デビューしてシングルを何枚も出しましたがヒットしませんでした。1970年に『全日本歌謡選手権』でグランドチャンピオンに輝きます。

その後、五木ひろしは「長良川艶歌」や「夜空」などのヒット曲を出し、レコード大賞を受賞したりと演歌歌手として活躍してきました。現在では日本を代表する演歌歌手として注目されています。

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女優として活躍しながらも五木ひろしとの結婚で芸能界を引退してしまった和由布子。現在は家庭や五...

五木ひろしの妻は和由布子

五木ひろしの妻は元女優の和由布子です。五木ひろしの妻はどのような人物なのか、詳しく調査してみました。和由布子の現在の画像や病気の噂に迫ってみました。

和由布子とは

和由布子は1959年4月29日に東京都豊島区で生まれました。香蘭女学校を卒業後、1981年にミス着物一になり注目を集めました。1982年に演出家の和田勉のすすめで女優の道に進み、1983年にNHKのドラマ「波の塔」でデビューしています。

その後、数多くのテレビドラマや舞台、映画などで活躍しました。1989年に五木ひろしと結婚し、芸能界を引退しています。現在は3児の母親です。

五木ひろしの妻(和由布子)の現在の画像は?

五木ひろしの妻、和由布子の現在の画像が気になります。和由布子は五木ひろしと結婚後、芸能界を引退したので現在は一般人のため画像はあまり出回っておりません。

五木ひろしの妻はミス着物一に輝き、女優として活躍していたのでとても美人です。日本美人を画にしたような美しさだったので現在も美しい女性だと思われます。

五木ひろしの妻(和由布子)の病気の噂の真相

五木ひろしの妻、和由布子は病気だという噂が浮上しています。和由布子は本当に病気なのかを調査してみたところ、病気だという噂はデマだということが分かりました。和由布子は芸能界を引退後、メディアへの露出が減り、公に姿を見せなくなりました。

そのため、和由布子は病気だという噂が飛び交っているようですが、実際には病気ではなく元気に過ごしているようです。五木ひろしと一緒に愛犬を散歩する姿や五木ひろしが主催するマラソンのイベントに参加するなどとても健康的です。

五木ひろしの妻(和由布子)の経歴や学歴

五木ひろしの妻の経歴や学歴が気になります。五木ひろしの妻、和由布子の経歴や学歴について調査してみました。五木ひろしの妻の女優としての経歴や芸能界引退後の経歴、学歴についてご紹介しましょう。

妻(和由布子)の経歴

五木ひろしの妻の経歴についてご紹介しましょう。五木ひろしの妻、和由布子は元女優として活躍していました。五木ひろしの妻の女優としての経歴と芸能界引退後の経歴が気になります。

妻(和由布子)の女優としての経歴

五木ひろしの妻、和由布子はかつて女優として活躍していました。五木ひろしの妻は1983年に「和由布子」という芸名で女優としてデビューしています。ドラマ「松本清張シリーズ・波の塔」でヒロイン役を務め注目されました。

1984年に公開された映画「化粧」ではその年の日本アカデミー賞・新人俳優賞にも輝き話題になっています。「ロケーション」、「海に降る雪」や「ねずみ小僧怪盗伝」など数多くの作品に出演し活躍していました。
 

五木ひろしの妻は数多くのドラマや映画、舞台に出演し、「和服の似合う女優」として人気を博しています。

妻(和由布子)の芸能界引退後の経歴

五木ひろしの妻は五木ひろしと結婚後、女優業を引退し、育児や家事に専念しながら、五木ひろしの仕事をサポートしてきました。2008年に五木ひろしが歌手活動専念のため、自身の個人事務所である五木プロモーションの代表取締役を退き、和由布子はその後任として代表取締役に就任しています。

五木ひろしの妻は現在も五木ひろしの歌手活動をサポートしていて、2016年に五木ひろしがブラジルでコンサートを開催した際も同行しています。五木ひろしは「ここまでこれたのは妻のおかげ」と公言し話題になりました。

妻(和由布子)の学歴

五木ひろしの妻の学歴が気になります。五木ひろしの妻はどこの学校を卒業しているのか、また最終学歴などについて調査してみました。

妻(和由布子)の最終学歴は香蘭女学校卒業

五木ひろしの妻の最終学歴は都内にある私立の名門女子高である「香蘭女学校」を卒業しています。五木ひろしの妻は香蘭女学校中等科、高等科を卒業し、その後、「ミス着物」のグランプリに選ばれました。

妻(和由布子)の学歴からお金持ち説も浮上

五木ひろしの妻の学歴からお金持ち説が浮上しています。五木ひろしの妻は名門の私立女子高である香蘭女学校の出身なので実家はお金持ちだと噂されているようです。

五木ひろしの妻は名家のお嬢様というイメージが強く、品がありながら華やかな雰囲気を持つ女優をして人気を博していました。そのため、五木ひろしの妻は若い頃から父親がお金持ちだという噂が浮上していたようですが、真相についてはわかっておりません。

妻(和由布子)がマラソンに関する取材でコメント?

五木ひろしの妻は2018年にマラソン大会に参加し、マラソンに関する取材でコメントしています。五木ひろしの妻は芸能界引退後、露出が少ないので貴重な情報となりました。

五木ひろしの妻はスポーツ紙の取材に応じ、「以前に『夫婦の部』で一緒に走ったので、家族でまた一緒に走れたら楽しいだろうなと思う」と笑顔でコメントしています。五木ひろしの妻は事務所の社長として、また妻としてマラソン大会を支えているようです。

五木ひろしと妻(和由布子)の結婚の馴れ初めやエピソード

五木ひろしと妻、和由布子の結婚の馴れ初めが気になります。五木ひろしと和由布子はどのように出会ったのか、結婚の馴れ初めについて調査してみました。また、結婚のエピソードについてもご紹介しましょう。

妻(和由布子)との結婚の馴れ初めを調査

五木ひろしと和由布子との結婚の馴れ初めが気になります。2人はどのように知り合ったのか馴れ初めについて調査してみました。どんな馴れ初めで出会い、結婚へと発展したのでしょうか?

妻(和由布子)との馴れ初めは舞台共演

五木ひろしと和由布子との馴れ初めは舞台で共演したことでした。1988年の正月に新橋演舞場で公演された「五木ひろし新春特別公演」の舞台で共演したのが馴れ初めとなります。2人は夫婦役を演じているうちに恋心が芽生えました。

五木ひろしは和由布子に一目惚れして猛アタックしたそうです。舞台終了後の1月23日に五木ひろしは和由布子に「愛の手紙」を送り交際へと発展し、1989年に結婚しました。

五木ひろしは愛妻家として知られていて、休みの日には妻と一緒に一日過ごしたり、昼食には愛妻弁当を持ってきたり、仕事で地方に行く際には必ず妻に電話するなど現在でも妻にベタぼれのようです。

妻(和由布子)との結婚式が豪華?

舞台で共演したことが馴れ初めとなり、2人は1989年5月に結婚しました。五木ひろしと和由布子との結婚式がとても豪華で話題になっています。2人の結婚披露宴は当時の芸能界史上最高額を叩き出し注目を集めました。

11メートルの特大ケーキやまるで宝塚歌劇団のような階段で派手な結婚披露宴は5億円もの費用がかかったと噂されています。

妻(和由布子)との間に子供は二男一女

五木ひろしと妻との間に子供は二男一女授かりました。長男、次男、長女と3人の子供に恵まれ、五木ひろしの妻は家庭に入り子育てに専念していました。

スター夫婦の息子と娘も凄腕?

五木ひろしと和由布子の息子と娘も凄腕だという噂が浮上しています。五木ひろしの長男は一般人で名前や画像については公表されておりませんが、エリートだと噂されています。

長男は世界最大のレコード会社である「ユニバーサルミュージック」の香港支社に勤務し、歌手育成に従事しているようです。次男はイギリスの芸術大学を卒業後、2017年にプロの画家としてデビューした松山和馬です。

五木ひろしの次男は国内で毎年個展を開いていて、2019年にはロサンゼルスやニューヨークでも作品を展示するなど活躍しています。五木ひろしは次男の活躍が嬉しいようで「いつかステージでコラボしたい」と語っています。

長女の松山華菜子は青山学院大学出身で、大学時代には海外留学も経験し英語が堪能のようです。母親譲りの美人で芸能界でも活躍できそうですが、芸能界には入っていません。2011年にはハリーポッターの試写会で五木ひろしと一緒に出席し話題になりました。

五木ひろし以外の演歌歌手が結婚した妻

五木ひろし以外の演歌歌手が結婚した妻について調査してみました。五木ひろし以外の日本を代表する演歌歌手が結婚した妻はどのような女性なのかが気になります。

北島三郎の妻は大野雅子

1962年に「なみだ船」でデビューして以来、数多くの大ヒット曲を飛ばした北島三郎の妻は「大野雅子」という女性です。北島三郎は1959年、24歳の時に流しの演歌師として活動を始めました。

その時に下宿していたアパートの大家さんの娘が「大野雅子」です。一人暮らしをしていた北島三郎に大野雅子は何かと声をかけてくれました。北島三郎は大野雅子の明るさとバイタリティーに引かれ、交際へと発展します。

北島三郎は出会ってからデートに誘うまで1年もかかったそうです。その後、北島三郎は「もしも一緒になったらどうなるだろう」と大野雅子に切り出すと、「歌手が駄目だったら私が食べさせてあげるわよ」と言われ、大野雅子と結婚しました。

北島三郎はデビューする3年前に結婚したので、妻の両親からは定収入がないため反対されたそうです。しかし、北島三郎と大野雅子は強引に結婚式を挙げました。大野雅子は北島三郎に出会った時に、北島三郎の目を見て何かやりそうだと感じていたようです。

森進一の元妻は森昌子と大原麗子

演歌歌手として大成功を収めた森進一の元妻は森昌子と大原麗子です。森進一は1980年6月に女優の大原麗子と結婚しました。森進一は結婚後、大原麗子に家庭に入ってほしかったのですが、大原麗子は女優をすてられなかったことから1984年に離婚しています。

森進一は当時を振り返り、大原麗子には「男が2人いた」と語りました。その後、森進一は自身が立ち上げた福祉活動である「じゃがいもの会」のチャリティーコンサートで森昌子と知り合い交際へと発展しています。

森進一と森昌子は1986年に1年半の交際を経て結婚し、結婚後、森昌子は芸能界を引退し家庭に入りました。1988年に長男の森内貴寛が生まれ、その後、次男、三男と3人の息子が誕生しました。

2001年に森昌子が「第52回NHK紅白歌合戦」に16年ぶりに出場し、これをきっかけに夫婦で共演しジョイントコンサートを頻繁に開催するようになりました。森昌子は主婦業と仕事の両立ができず森進一との間に大きな溝ができてしまいます。

2005年2月1日に森昌子がストレスから発作を起こし意識を失って倒れ緊急入院しました。その2ヶ月後に2人は離婚しています。

吉幾三の妻は鎌田寿佐子

大物演歌歌手として活躍している吉幾三の妻は鎌田寿佐子です。吉幾三はデビューして2年後の1975年に鎌田寿佐子と結婚しました。2人は小笠原ツアーの船上で出会い、交際へと発展しました。

吉幾三は船酔いしてデッキでギターをひいていたところ、鎌田寿佐子も船酔いし、吉幾三のギターを聞いていたそうです。当時吉幾三は東京のレコード店で勤務していて、鎌田寿佐子は宮城県の製薬会社に勤務していました。

吉幾三は安定した職に就いていなかったので、鎌田寿佐子の両親に反対されたようですが、説得し結婚に至ったようです。鎌田寿佐子は吉幾三が売れない時期でも献身的に支えてくれました。

10年後の2人は吉幾三の故郷で結婚式を盛大に行いました。結婚式では多くの方に祝福され奥様は感極まって涙を流していたそうです。吉幾三の妻は一般女性なので画像などあまり詳しい情報はありません。

五木ひろしの妻は元女優の和由布子

五木ひろしの妻についてご紹介しました。五木ひろしの妻は元女優の和由布子です。和由布子は五木ひろしと結婚後、女優業を引退し、家庭に入りましたが、現在は五木ひろしの仕事をサポートしています。今後も五木ひろしと和由布子に注目していきましょう。

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この記事のライター
maki

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