岩下尚史の若い頃がイケメン?当時の人気や経歴などまとめ

「ハコちゃん」の愛称でも知られる作家・岩下尚史さんの若い頃が話題になっています。「岩下尚史さんの若い頃がイケメンだった」という噂は本当なのでしょうか?その噂の真相に迫ると共に、岩下尚史さんの若い頃の経歴や人気度を振り返ってみましょう。

岩下尚史の若い頃がイケメン?当時の人気や経歴などまとめのイメージ

目次

  1. 1岩下尚史(ハコちゃん)のプロフィール
  2. 2岩下尚史の若い頃がイケメン?
  3. 3岩下尚史の若い頃からの人気度を調査
  4. 4岩下尚史の若い頃の経歴を振り返り
  5. 5岩下尚史と同年齢(1961年生まれ)の芸能人の若い頃
  6. 6岩下尚史の若い頃は東山紀之に引けを取らないイケメン

岩下尚史(ハコちゃん)のプロフィール

・愛称:ハコちゃん・お師匠はん
・本名:岩下尚史(いわしたひさふみ)
・生年月日:1961年6月28日
・年齢:61歳(2022年10月現在)
・出身地:後述します
・血液型:非公表
・身長:非公表
・体重:非公表
・活動内容:作家、國學院大學客員教授
・所属グループ:なし
・事務所:フリーランス
・家族構成:後述します

岩下尚史の経歴

1961年6月28日に生まれた岩下尚史さんは、2010年から多くのバラエティ番組に出演するようになり、女性のような語り口調や上品かつ柔和な物腰が注目されるようになりました。

その頃シス・カンパニーに所属していた岩下尚史さんは、シス・カンパニーの公演アドバイザーを務めており、2009年上演の「怪談牡丹燈籠」や2011年上演の「その妹」と「宮沢賢治が伝えること」に携わっています。

2016年4月からは『5時に夢中!』の火曜日のコメンテーターとしてレギュラー出演するようになったほか、『今夜一杯どうですか?』などにレギュラー出演しています。2021年12月に公式サイトを開設した時にシス・カンパニーを辞めてフリーランスになったことを公表しました。そんな岩下尚史さんの若い頃の経歴は後の章でご紹介します。

岩下尚史の若い頃がイケメン?

岩下尚史さんの若い頃がイケメンと言われています。「若い頃は東山紀之さんに似ていた」と自称していたという噂は事実でしょうか?岩下尚史さんの若い頃に対する世間の反応も見てみましょう。

岩下尚史の若い頃がイケメンと話題に

岩下尚史さんの若い頃がイケメンだと広く知られるようになったのは最近のことです。岩下尚史さんは2021年12月にフリーランスになったのを機に公式サイトを開設したのですが、そのトップに飾られたのは若い頃の岩下尚史さんの写真でした。その写真の岩下尚史さんを見た人達が「若い頃のハコちゃんイケメンすぎる!」と話題にするようになったのです。

岩下尚史の若い頃は自称「東山紀之」?

岩下尚史さんの若い頃については、岩下尚史さんが「東山紀之さんに似ていた」と自称していました。岩下尚史さんの個人サイトのトップに表示される岩下尚史さんの若い頃の姿は、現在よりも細身スタイルで、きりりとした眉毛に目元、通った鼻筋と形の良い唇など、確かに東山紀之さんに似ていました。

岩下尚史さんは、年齢を重ねた現在も「喋り方はオネエっぽいけど外見はダンディなおじ様」「着物スタイルとかがハマっててかっこいい」「年齢にしては肌が綺麗」と称賛されています。イケメンは歳を取ってもイケメンなのです。

東山紀之とは

若い頃の岩下尚史さん似ていたという説が浮上している東山紀之さんは、1966年9月30日に川崎県川崎市幸区で生まれました。そんな東山紀之さんの人生が大きく変わったきっかけは、小学校卒業を目前としていた時期に母親にもらったチケットで『レッツゴーヤング』の公開録画を観に行ったことでした。

その帰り道、ジャニー喜多川さんに見初められてスカウトを受け、1979年にジャニーズ事務所に入所することになったのです。1985年12月に少年隊メンバーとしてシングル「仮面舞踏会」でデビューしてからは人気が沸騰し、俳優としても活動するようになりました。現在はジャニーズ事務所の最古参アーティスト・タレントになっています。

岩下尚史の若い頃に対する世間の反応

岩下尚史さんの若い頃に対する世間の反応を見てみましょう。岩下尚史さんの若い頃については「シュッとしたイケメン」「俳優やモデルでも通用しそう」「ジャニーズ系というよりスタンダードな芸能人って感じ」といった評価が並んでいました。

「若い頃の画像や動画をもっと見たい」という声も上がっていましたが、現状では岩下尚史さんの個人サイトのトップのほか、『5時に夢中!』出演時に公開された画像以外は確認されていません。岩下尚史さんはインスタグラムを開設しているので、若い頃の画像をリクエストすれば応じてもらえるのではないでしょうか?

岩下尚史の若い頃からの人気度を調査

岩下尚史さんの若い頃からの人気度を調査しました。『5時に夢中!』などに出演してその個性で人気を博している岩下尚史さんですが、若い頃の岩下尚史さんはどのくらい人気があったのでしょうか?岩下尚史さんの婚約・結婚歴や大河ドラマ『真田丸』に出演した時の人気などもチェックしてみましょう。

岩下尚史の若い頃は婚約歴2回の人気男

話し方や所作から「オネエ」という疑惑を持たれることが多い岩下尚史さん。バラエティ番組に出演した時に「好きなタイプはお金を持っている年下のイケメン」と語ったことがありました。それに加えて「潔癖症だから彼氏以外の人間を家に入れるつもりはない」と発言しています。

しかし、別の番組でジェンダーの質問を受けた岩下尚史さん本人は「オネエではない」「心は男性で、恋愛の対象は女性」と明かしていました。若い頃には女性を泣かせたことも女性に泣かされたこともあるそうです。その過程で2回婚約をしたのですが、どちらも結婚に至りませんでした。

「男性が好き」という発言は、出演者や視聴者の期待に応えるつもりの発言だったと言われています。そんな岩下尚史さんは現在誰と暮らしているのでしょうか?

岩下尚史の結婚は?現在の相手は「綱切丸」?

現在までに婚約した2人の女性とは結婚することがなかった岩下尚史さんは、現在も独身生活を謳歌しています。実家を離れて上京してからずっと一人暮らしでした。そんな岩下尚史さんが現在共に生活しているのは「綱切丸」という名前の雄犬です。

広島県の山奥で見つかった子犬で、保護した人から東京都内の希望者に引き取られたのですが、かなり吠えることを理由に保護者の元に戻されていました。しかし、郊外に住む岩下尚史さんは番犬が欲しいと考えていたため、綱切丸を引き取ることになったのです。

本来犬好きとは言えなかった岩下尚史さんでしたが、綱切丸と暮らすようになってからは綱切丸に夢中になりました。新型コロナウイルス感染症の流行で自宅に籠もる生活に突入後は、書斎で綱切丸と過ごしていたそうです。岩下尚史さんのインスタグラムにも綱切丸が度々登場されています。

大河ドラマ「真田丸」出演時の人気ぶりは?

岩下尚史さんは2016年放映のNHK大河ドラマ『真田丸』で俳優デビューしたことも話題になりました。旧知の仲だった三谷幸喜さんに「自分のイメージぴったりだから」と抜擢され、明智光秀役を演じたのです。

岩下尚史さんが演じた明智光秀は視聴者の注目を集め、出演中はツイッターに岩下尚史さんの明智光秀に関するツイートがあふれ返る人気を見せました。2019年には『グランメゾン東京』にも出演しています。

愛称「ハコちゃん」としての人気は若い頃から?

岩下尚史さんの愛称「ハコちゃん」は学生時代に住んでいた祇園町の料理屋で働く人に付けられました。祇園町の料理屋の人達は、裕福な家の一人息子として成長した岩下尚史さんを「箱入り息子」に引っ掛けて「ハコちゃん」という呼び、可愛がっていたのです。

2010年に出演したバラエティ『おじさんスケッチ』では箱の中から出てくる謎の紳士・ハコさんとして出演し、翌年に出演した『タモリ倶楽部』で自己紹介をした時に「ハコちゃんです」と名乗ってからこの愛称が定着したのでした。

岩下尚史の若い頃の経歴を振り返り

岩下尚史さんの若い頃の経歴をご紹介します。岩下尚史さんの若い頃の経歴から出身地や生い立ち、新橋演舞場株式会社に所属していた頃の経歴、作家としての経歴などを振り返っていきましょう。

若い頃の経歴【出身地や生い立ち】

岩下尚史さんの若い頃の経歴から出身地・生い立ちをご紹介します。岩下尚史さんが生まれ育った場所や幼少期から青年期までに辿ってきた道筋をご覧下さい。

岩下尚史の出身地は熊本県

岩下尚史さんの出身地は熊本県です。10代の頃から能・歌舞伎などの伝統芸能や新派劇・声曲舞踊の諸流に関心を抱くようになった岩下尚史さんは、熊本県の実家から東京まで飛行機に乗って観劇に通っていました。熊本県立菊池高等学校を卒業後は上京して國學院大學文学部に進学しています。それからは思う存分大好きな観劇に励んでいたようです。

岩下尚史の一人っ子としての生い立ち

岩下尚史さんの一人っ子としての生い立ちを見てみましょう。少年時代に何度も熊本県から東京都まで観劇に赴いていた、という過去から、岩下尚史さんがお坊ちゃま育ちなのがわかります。

一人っ子の岩下尚史さんに父親は大きな期待を寄せ、読書ばかりしている息子に業を煮やして野球グローブを買い与え、少年野球チームに入れています。しかし、岩下尚史さんはグローブをすぐに失くしてしまった上に野球チームにも行かなくなりました。

岩下尚史さんの大学卒業後の進路も父親の意に沿わないものだったため、岩下尚史さんの父親は母親に「あいつのことは諦めた」と語ったそうです。

若い頃の経歴【新橋演舞場株式会社時代】

岩下尚史さんの若い頃の経歴から新橋演舞場株式会社に勤務していた時代を見てみましょう。岩下尚史さんは國學院大學を卒業後、新橋演舞場株式会社に就職しました。少年時代からの演劇への情熱を実らせた形です。入社後に頭角を現した岩下尚史さんは企画室長に就任し、新橋花街が主催する「東をどり」制作に関与しました。

幕末から平成までの東都の花柳界の調査・研究結果を社史『新橋と演舞場の七十年』にまとめたことも評価されました。宮園節を習得するために交詢社で稽古に励み、千之流の浄瑠璃を皆伝したことによって「宮薗千齋」の名を与えられたのはこの頃のことです。

若い頃の経歴【作家活動】

岩下尚史さんの若い頃の経歴から作家活動を見てみましょう。新橋演舞場株式会社時代に『新橋と演舞場の七十年』編纂の功績を評価された岩下尚史さんは、退職後に『芸者論:神々に扮することを忘れた日本人』を執筆して和辻哲郎文化賞を授与されました。2007年のことです。

翌年には小説『見出された恋:金閣寺への船出』を執筆し、2011年には『ヒタメン:三島由紀夫が女に逢う時…』を出版して作家としての名声を更に高めました。

岩下尚史と同年齢(1961年生まれ)の芸能人の若い頃

岩下尚史さんと同じ1961年生まれの芸能人の若い頃もご紹介します。岩下尚史さんと同い年の脚本家・三谷幸喜さんと俳優・中井貴一さんと声優・山寺宏一さんの若い頃のイケメンぶりや経歴をご覧下さい。

同年齢の芸能人の若い頃【三谷幸喜(脚本家)編】

三谷幸喜さんの若い頃の経歴をご紹介します。東京都世田谷区で生まれ、日本大学藝術学部演劇学科に進学した三谷幸喜さんは、大学在学中に劇団・東京サンシャインボーイズを結成しました。結成当初は一橋壮太朗名義で俳優もこなしています。大学在学当時は学内で知らぬ人がいないほどの人気者でした。

放送作家としても活動するようになった三谷幸喜さんは『欽ドン!』や『お笑いマンガ道場』の構成に関わっています。1993年にドラマ『振り返れば奴がいる』脚本で高評価を受け、翌年『古畑任三郎』の脚本で大ブレイクした後は押しも押されぬ人気脚本家になりました。

同年齢の芸能人の若い頃【中井貴一(俳優)編】

中井貴一さんの若い頃の経歴をご紹介します。中井貴一さんは東京都世田谷区で俳優・佐田啓二さんの長男として誕生し、小津安二郎さんに「貴一」と名付けられました。佐田啓二さんの17回忌の法要の席で松林宗恵さんにスカウトをされた中井貴一さんは、成蹊大学経済学部在学中に映画『連合艦隊』で俳優デビューしています。

この映画で日本アカデミー賞の新人俳優賞を獲得しました。1983放映の『ふぞろいの林檎たち」は大評判となり、1988年に主演した大河ドラマ『武田信玄』で俳優としての名声を揺るぎないものにしています。CMなどにも出演し、その爽やかなイケメンぶりが若い女性を騒がせました。

同年齢の芸能人の若い頃【山寺宏一(声優)編】

山寺宏一さんの若い頃の経歴をご紹介します。宮城県塩竈市で生まれた山寺宏一さんは、少年時代から声優の仕事に興味を抱き始め、東北学院大学経済学部商学科卒業後に上京して俳協養成所に入所し、卒業後に東京俳優生活協同組合に所属しました。声優デビュー作は1985年に発売されたOVA『メガゾーン23』です。

1988年には映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に出演し、1989年放映の『らんま1/2』の響良牙役でブレイクしました。その後は吹き替えも担当するようになり、2000年にはドラマ『合い言葉は勇気』で俳優デビューを果たした後は、七色の声の持ち主を持つイケメンとして世間で愛される存在になっています。

岩下尚史の若い頃は東山紀之に引けを取らないイケメン

「岩下尚史さんの若い頃は東山紀之さんに引けを取らないイケメン」という噂について調査した結果、それは事実だったことがわかりました。現在も素敵なおじ様ぶりを発揮している岩下尚史さんですが、若い頃は現在と比較にならない位モテていたのではないでしょうか?

作家としてもタレントとしても俳優としてもその才能を発揮させている岩下尚史さんは、今後更に活躍の場を広げていくのかも知れません。現在は東京都青梅市の郊外で愛犬の綱切丸と静かな毎日を過ごしている岩下尚史さんの今後の活躍に期待しましょう。

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この記事のライター
fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

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