鴨志田穣まとめ!死因や嫁の西原理恵子との馴れ初めや子供も!

今から12年前の2007年に42歳の若さで亡くなった鴨志田穣さん。鴨志田穣さんの死因とお嫁さんの西原理恵子さんとの馴れ初め、そして鴨志田穣さんと西原理恵子さんの間に生まれた子供達、そして鴨志田穣さんの生い立ちとアル中という病気についてお話します。

鴨志田穣まとめ!死因や嫁の西原理恵子との馴れ初めや子供も!のイメージ

目次

  1. 1鴨志田穣のプロフィール
  2. 2鴨志田穣の死因は?
  3. 3鴨志田穣と嫁の馴れ初めから結婚・離婚
  4. 4鴨志田穣と嫁・西原理恵子の子供やその後
  5. 5鴨志田穣の生い立ちについて
  6. 6鴨志田穣の死因は腎臓癌で遺灰は世界各国の海へ

鴨志田穣のプロフィール

鴨志田穣さんはフリージャーナリスト・カメラマンそしてエッセイストとして活動していた方です。写真を撮るために戦場をカメラ片手に走り回っていた時期も。そんな鴨志田穣さんのプロフィールと経歴をご紹介します。

・愛称:鴨、鴨ちゃん、鴨くん
・本名:鴨志田穣(かもしだゆたか)
・生年月日:1964年7月2日
・年齢:享年42歳(2007年3月20日死去)
・出身地:神奈川県川崎市
・血液型:不明
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:フリージャーナリスト、カメラマン、エッセイスト
・所属グループ:なし
・事務所:なし
・家族構成:妻(西原理恵子)、長男、長女
・出演作品:著作「日本はじっこ自滅旅」「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」「遺稿集」「ラブ&ピース」、西原理恵子さんとの共著「アジアパー伝シリーズ」「カモちゃんの今日も煮え煮え」

鴨志田穣の経歴

続いて鴨志田穣さんの生い立ちをご紹介します。鴨志田穣さんは1964年7月2日に神奈川県川崎市で生まれました。高校を卒業して予備校に2年通ってから大学進学をやめて上京し、子供の頃から憧れていた戦場カメラマンになる事を目指し始めます。

そして23歳の時にアルバイトの貯金で買ったカメラを手にタイに渡ってアジア各国で写真を撮っている時にジャーナリストの橋田信介さんに出会って弟子入りし、念願の戦場カメラマンになって、世界の紛争地帯で写真撮影と取材活動を行なうようになります。

その後クメール・ルージュの捕虜となった事が新聞に掲載され、フリーライターとしての名が世間に知れ渡りました。捕虜から解放された後も紛争地域での取材活動を続けていましたが、極限状態にあったストレスから重度のアルコール依存症(アル中)になってしまいます。

鴨志田穣さんはアルコールを断つために仏門に入り、僧侶となりました。その後お嫁さんとなる西原理恵子さんと出会って結婚を決め、9年ぶりに日本に帰国して結婚して一男一女を授かり、西原理恵子さんと組んで仕事をするようになりました。

その後鴨志田穣さんのアルコール依存症が再発し、2003年に西原理恵子さんと離婚になってしまいます。西原理恵子さんは離婚後も鴨志田穣さんのアル中の治療に協力的でした。そして籍は入れず事実婚という形で再び西原理恵子さんや子供達と暮らすようになります。

けれど、それから間もなく鴨志田穣さんは亡くなってしまいました(死因は後述します)。喪主は事実婚ではありますがお嫁さんの立場にある西原理恵子さんが務めました。

鴨志田穣の死因は?

この章は、鴨志田穣さんの死因と、鴨志田穣さんの半生を苦しめたアルコール依存症についてのお話になります。アルコール依存症については以降アル中と記載します。アル中は本当に恐ろしい病気だという事を鴨志田穣さんの事で知った人は数多いです。

2007年3月20日に鴨志田穣死去

2007年3月20日に鴨志田穣さんは42歳という若さで亡くなりました。喪主は最期も看取った元妻の西原理恵子さんが務めています。翌月の4月28日に一般の人も参加できるお別れの会が行なわれた時は1250人もの人が参列して、鴨志田穣さんを惜しみました。

死因は腎臓癌

鴨志田穣さんの死因となったのは腎臓癌でした。正確には平滑筋肉腫です。平滑筋は心臓を除いた身体の内臓に広く分布する筋肉で、その平滑筋に生じる悪性腫瘍が平滑筋肉腫です。病気が発覚した時は癌が全身のあらゆるところに散らばっている状態でした。

鴨志田穣さんの平滑筋肉腫は腎臓付近の筋肉に多く生じていたために死因が腎臓癌という記述になったものと思われます。西原理恵子さんそして子供達と再び一緒に暮らすようになった時既に病魔は鴨志田穣さんを深く蝕んでいたのでした。

死因の腎臓癌は鴨志田穣のアル中も関係?

鴨志田穣さんの死因となった腎臓癌(平滑筋肉腫)の原因は、鴨志田穣さんと鴨志田穣さんの家族を苦しめたアル中も大きく関わっているようです。過度のアルコールの摂取のために鴨志田穣さんはアル中の他アルコール性肝硬変も患っていました。

アルコール性肝硬変が癌を引き起こしたのではないかと言われています。鴨志田穣さんは癌を告知される前に10回吐血していたそうです。それでも中々アルコールを断つ事が出来なかったのです。

著書「酔いがさめたらうちに帰ろう」で癌を告白

鴨志田穣さんは亡くなる前年の2006年11月1日にスターツ出版から発売された自伝的小説「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」の中で、自分が腎臓癌に冒されている事を告白しています。

この「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」はエッセイでなく小説です。その中で腎臓癌を告白すると共に、家族への感謝と愛、特に西原理恵子さんへの思いを綴っているのが胸に残る作品です。

「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」は鴨志田穣さんモデルの主人公を浅野忠信さん、西原理恵子さんモデルの主人公の妻を永作博美さんが演じて、2010年12月4日に公開されました。

原作の小説も映画も、家族愛が描かれると共にアル中の恐ろしさを知る事が出来る作品で、どちらもAmazonのレビューで高評価を獲得しています。永作博美さんはこの映画で第36回報知映画賞主演女優賞を受賞しました。

遺灰は世界各国の海へ

お葬式で西原理恵子さんと息子さんと娘さん達家族に、そしてお別れの会で1250人の参列者に見送られて旅立った鴨志田穣さんの位牌は、鴨志田穣さんの遺言通り西原理恵子さんと子供達の手で世界各国の海に流され、一部を鴨志田家の方達が引き取りました。

鴨志田穣と嫁の馴れ初めから結婚・離婚

この章は、鴨志田穣さんと元お嫁さんの西原理恵子さんの馴れ初めと結婚、そして離婚のお話になります。まず鴨志田穣さんのお嫁さんになった西原理恵子さんのプロフィールを簡単にご紹介します。

西原理恵子のプロフィール

・愛称:サイバラ、りえぞお、くま
・本名:西原理恵子(さいばらりえこ)
・生年月日:1964年11月1日
・年齢:54歳(2019年現在)
・出身地:高知県高知市
・活動内容:漫画家、一般財団法人高須克弥記念財団理事長
・所属グループ:熟女キャッツアイ
・事務所:なし
・家族構成:夫(高須克弥・事実婚)、長男、長女
・出演作品:著作「まあじゃんほうろうき」「恨ミシュラン(共著)」「ぼくんち」「鳥頭紀行シリーズ」「できるかなシリーズ」「毎日かあさん」「パーマネント野ばら」「女の子ものがたり」「いけちゃんとぼく」「この世でいちばん大事な「カネ」の話」

馴れ初めはタイでの取材

鴨志田穣さんと西原理恵子さんは1996年に、タイのバンコクででコラムニストの勝谷誠彦さんの紹介で出会いました。同年9月に鴨志田穣さんは西原理恵子さんと勝谷誠彦さんのアマゾン川取材にビデオカメラマンとして同行します。

その帰途の飛行機の中で西原理恵子さんにプロポーズして西原理恵子さんは鴨志田穣さんのお嫁さんになりました。そして一男一女を授かり、西原理恵子さんと共同で仕事をしたりと充実した毎日を送るようになりました。

1996年に結婚するもアル中とDVで離婚

けれど、西原理恵子さんと結婚して子供が2人生まれて幸せに暮らしている時にも、鴨志田穣さんは戦場を駆け巡っていた記憶のフラッシュバックに悩まされ、飲酒でそれを発散するようになってしまい、アル中が再発してしまいました。

アル中になってしまった事から器物の損壊や暴言、そしてお嫁さんへの暴力が始まってしまい、精神病棟への入退院を繰り返すようになってしまいます。そして2003年には西原理恵子さんに離婚を切り出されてしまいました。

離婚後も嫁・西原理恵子はアル中治療に協力

離婚してお嫁さんではなくなった後も、西原理恵子さんは鴨志田穣さんのアル中からの脱却に協力的でした。その甲斐あって鴨志田穣さんはアルコールの呪縛から解き放たれる事が出来たのです。

残念ながらその時には既に癌は鴨志田穣さんを蝕んでいたのですが、身体は救われなくとも精神は救われたのです。亡くなる前鴨志田穣さんは西原理恵子さんに「ありがとう。君に会えて幸せな人生だった。もう悔いはないよ」と語ったそうです。

鴨志田穣と嫁・西原理恵子の子供やその後

この章は、鴨志田穣さんの元お嫁さん西原理恵子さんと、鴨志田穣さんと西原理恵子さんとの間に生まれた2人の子供達、鴨志田穣さん亡き後の鴨志田穣さんの家族のその後についてのお話になります。

子供は長男と長女がいる

鴨志田穣さんと西原理恵子さんとの間には男の子と女の子が1人ずつ生まれています。鴨志田穣さんが亡くなった時はまだ幼かった息子さんは20歳を過ぎ、2歳年下の娘さんは18歳か19歳になっています。

息子さんはアメリカのミュージシャンを日本に呼べるようなプロモーターになりたいと16歳の時に語っていて、同時期に娘さんは映像ディレクターかシナリオライターになりたいと語っています。今息子さんは大学生で娘さんは舞台女優をしているそうです。

高須克弥の仲介で復縁し事実婚の関係に

鴨志田穣さんと西原理恵子さんは離婚した後当然別々に暮らしていました。癌を宣告された時に鴨志田穣さんは再び家族と暮らしたいと思い、西原理恵子さんに同居を持ちかけます。悩んでいた西原理恵子さんの背中を押したのは高須克弥さんでした。

高須克弥さんは有名な高須クリニックの院長で、西原理恵子さんの大ファンから友人に昇格した方です。悩みを打ち明けられた時「こ彼のためじゃなく、あなた自身のために彼を受け入れてあげるべきだ。じゃないと絶対に後悔する」と言われ、西原理恵子さんは鴨志田穣さんと事実婚の関係になったのでした。

西原理恵子と高須克弥は現在大人の付き合い

そして鴨志田穣さんが亡くなって12年経った現在では、西原理恵子さんは高須克弥さんと事実婚の関係になっています。長年の友人同士でしたがお互いの伴侶を失った時「籍は入れずにパートナーになろう」という事になったのです。

西原理恵子さんと高須克弥さんが事実婚の関係になったのは2012年でした。それ以前に週刊誌に写真を撮られたりしています。2人の関係を公表してからは西原理恵子さんは「ダーリンは70歳」というコミックエッセイを連載し、2人の関係は一気に有名になりました。

「ダーリンは70歳」は大ヒットし、続けて「ダーリンは71歳」「ダーリンは72歳」「ダーリンは73歳」が刊行されています。

鴨志田穣死後も西原理恵子を支える高須克弥

西原理恵子さんと高須克弥さんは入籍はしないながら、高須克弥さんは鴨志田穣さん亡き後の西原理恵子さんを支え続けています。一般財団法人高須克弥記念財団の理事長に選任したり、西原理恵子さんの出るテレビ番組のスポンサーになったりなど。

そして西原理恵子さんがレギュラー枠で高須克弥さんも時々出演していたTOKYO MXテレビの「5時から夢中!」のスポンサーだったのですが、西原理恵子さんだけが出演した時に西原理恵子さんの発言によって局が西原理恵子さんの降板を決定した事がありました。

それに怒り狂った高須克弥さんは、即番組のスポンサーを降りてしまいました。それほど高須克弥さんは西原理恵子さんを大切にしています。2人の関係は西原理恵子さんの子供達と高須克弥さんの子供達も認めています。

鴨志田穣の生い立ちについて

この章は、鴨志田穣さんの生い立ちについてのお話になります。鴨志田穣さんが戦場カメラマンになり、そしてアル中になってしまった原因は、鴨志田穣さんの生い立ちに大きく関わっています。

父親もアル中だった

鴨志田穣さんの生い立ちは過酷なものでした。鴨志田穣さんの父親もアル中だったのです。ドメスティックバイオレンスは親子で連鎖してしまう事があると言いますが、不幸にしてアル中も連鎖してしまう事になりました。

過酷な環境に育った後に戦場の写真に憧れる

父親がアル中という辛い生い立ちの中で、幼い鴨志田穣さんは戦場で撮影された写真に心惹かれるようになり、戦場カメラマンになる事を夢見るようになりました。父親がアル中でなければ戦場の写真に惹きつけられる事はなかったかも知れません。

この生い立ちあって戦場で写真を撮り続けた鴨志田穣さんの未来があり、この生い立ちあって戦場の記憶で心を壊されてアル中になってしまった鴨志田穣さんの未来があったのです。生い立ちは本当に人間にとって大きな核となるものなのです。

アルバイトの貯金でカメラを購入しアジアを放浪

辛い生い立ちを乗り越え、高校を卒業して2年予備校に通ったと上京した鴨志田穣さんは、アルバイトに励みます。そしてようやく貯まったお金でカメラを買って単身タイに渡り、写真を撮りながらアジアの各国を放浪する生活に入りました。

そしてジャーナリストであり報道写真家でもあった橋田信介さんと出会って弟子入りし、世界中の紛争地域を写真撮影と取材のために駆け巡るようになったのでした。

鴨志田穣の死因は腎臓癌で遺灰は世界各国の海へ

鴨志田穣さんの父親がアル中という生い立ちでなければ、鴨志田穣さんは普通のサラリーマンで終わっていたかも知れません。けれど、その場合は最愛の妻西原理恵子さんとの出会いはなく、可愛い子供達が生まれる事もありませんでした。

その生い立ちによって不幸も呼ばれていますが、かけがえのないものもそこからの繋がりで得ている、それが鴨志田穣さんの人生なのかも知れません。鴨志田穣さんはカメラマンとして多くの写真を撮り、エッセイストとしても数々の著作を遺しました。

鴨志田穣さんの死因は腎臓癌(平滑筋肉腫)でした。その病気は鴨志田穣さんの生命を奪い去ってしまいましたが、家族を取り戻すきっかけも作りました。「子供を傷つけずに済んだ。人として死ねる事が嬉しい」と亡くなる前に鴨志田穣さんは語っています。

鴨志田穣さんの遺灰は鴨志田穣さんの遺言により、鴨志田穣さんの家族西原理恵子さんと息子さんと娘さんの手で世界中の海に撒かれました。若い頃世界中の紛争地域を渡り歩いた鴨志田穣さんは、亡くなった今は世界中の海を駆け巡っているのでしょう。

鴨志田穣さんの遺された家族西原理恵子さんと息子さんと娘さんのご多幸を祈ると共に、鴨志田穣さんのご冥福をお祈りします。

関連するまとめ

Original
この記事のライター
fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ