金村剛弘の死の真相!集団リンチ事件や木村兄弟とは?関東連合最強の男まとめ

関東連合最強と言われた伝説の男「金村剛弘」。複数の犯人に襲撃された通称「西新宿事件」で命を落とした彼の遺体は、見るに堪えない状態だったと言います。今回はそんな金村剛弘の死の真相についてまとめてみました。事件の鍵を握ると言われる「木村兄弟」とは⁉

金村剛弘の死の真相!集団リンチ事件や木村兄弟とは?関東連合最強の男まとめのイメージ

目次

  1. 1金村剛弘とは
  2. 2金村剛弘殺害の経緯
  3. 3金村剛弘の集団リンチ事件とその真相
  4. 4金村剛弘と木村兄弟の関係
  5. 5金村剛弘の伝説と生い立ちや家族
  6. 6金村剛弘の交友関係
  7. 7金村剛弘の死の真相は現在も謎のまま

金村剛弘とは

西新宿事件によって非業の死を遂げた関東連合のカリスマ「金村剛弘」。アウトローながらも多くの人々に慕われた兄貴的存在だったと言われる金村剛弘ですが、その最期は壮絶なるモノだったそうです。彼は何故その様な最期を迎えなければ成らなかったのか?其処に隠された真実とは⁉

という事で今回は元関東連合のメンバーであり、集団リンチによって殺害された金村剛弘についてまとめてみたいと思います。彼の死の真相や、木村兄弟との因縁、そして生前金村剛弘と交流の有った有名人等をご紹介致します。では先ず金村剛弘のプロフィール及び経歴からご覧頂きましょう。

金村剛弘のプロフィール

・愛称:不明
・本名:金剛弘(キム・ガンホン)
・生年月日:1975年12月20日
・没年齢:32歳
・出身地:東京都新宿区西新宿
・血液型:不明
・身長:160cm
・体重:不明
・活動内容:会社役員
・所属グループ:狂乱恋命、新宿ジャックス
・事務所:なし
・家族構成:不明

金村剛弘の経歴

金村剛弘(かねむら たかひろ「本名:キム・ガンホン」)は、東京都新宿区西新宿の出身で1975年12月20日生まれ。2008年3月17日に東京都新宿区西新宿の路上で目だし帽を被った複数人の男に襲われ、頭部などを金属バッドで殴打された後に病院へと搬送。そのまま帰らぬ人と成りました。

金村剛弘は新宿ジャックスを結成後、関東連合の狂乱恋命に所属。その後関東連合のいわゆる「ケツモチ」に成りました。人望も厚く、兄貴分として多くの者から慕われていた金村剛弘。そんな彼の死は関東の不良界に大きな波紋を呼ぶことに成ったのです。

「関東連合最強の男」と呼ばれた金村剛弘

金村剛弘と言って真っ先に思い浮かべるのは、その鍛え上げられた肉体でしょう。身長は低いながらもまるで筋肉の塊のような肉体を持つ金村剛弘は、「関東連合最強の男」として多くの不良から恐れられる存在でした。

その鍛え上げられた岩のような肉体は、遠目から見ると「縮尺を間違えたのか⁉」と思わず二度見してしまう程だったと言われています。その完璧な肉体で喧嘩も負け知らずだったという金村剛弘。その強さ故に後々自らの不幸を招き入れる事に成ってしまったのかも知れませんね。

関東連合とは

御存知の方も多いと思いますが、関東連合とはいわゆる「半グレ」と呼ばれる不良集団の名称です。元々は東京都内に存在する暴走族チームの連合体という存在だったのですが、いつしかそれが現役暴走族を指す名称ではなく、この連合体の出身者で構成された半グレ集団を指すモノと成って行きました。

青春時代にヤンチャした人間も「18歳で卒業」というケースは多く、以降真面目に働いて「あの頃は馬鹿やってたな〜…」なんて昔を振り返るのが不良のテンプレート的なモノなのですが、彼等関東連合の面々はこれとは異なり、暴走族を卒業した後は本格的なアウトローの道へと進んで行ったのです。

故に彼等関東連合は「アウトローの総合商社」とも言える存在と成りました。世代毎に様々なメンバーがおり、同じアウトローでもシノギとする商売は千差万別。会社を経営するものも居れば関東でも指折りの武闘派暴力団でのし上がった者も居るなど、実に様々な不良達が暴走族時代の縦横の繋がりで関東連合を形成していたのです。

…と、彼等関東連合を過去形で表現したのは、現在彼等は関東連合としての活動を停止している状態に有るからです。勿論暴力団組織と違い実体そのものがない組織ですから、現在も水面下で活動を行っている可能性はありますが、それはあくまでも個のレベルであり、以前のような組織としての関東連合は現在機能停止状態に有ると言われています。

これは今回の金村剛弘撲殺事件にも関わる事で、この後じっくりとご紹介致しますが、彼等はある事件をきっかけに現在は空中分解状態に有ると言われております。

金村剛弘殺害の経緯

それでは早速金村剛弘について話を進めて行きたいと思います。先ずは金村剛弘が殺害された経緯についてです。金村剛弘がどの様な経緯で殺害されたのか?その経緯を振り返ります。

2008年3月に死亡

2008年3月21日、金村剛弘は搬送先の病院にて息を引き取りました。享年32歳。余りにも突然の訃報に関係者は一様に言葉を失ったと言います。

複数人の男にバッドで殴られ病院に搬送

3月17日の明け方4時過ぎ、東京都新宿区西新宿の路上にて、金村剛弘は複数人の男達からの襲撃を受けたました。目撃した近所に住む住人の話によると、複数の男達は金属バッドで執拗に金村剛弘の頭部を殴りつけ、彼がグッタリとした後に逃走。その後駆けつけた救急車によって金村剛弘は病院へと搬送されました。

死因は脳挫傷

病院へと搬送された金村剛弘ですが、医師による懸命な手当が行われたものの意識を取り戻す事も無く、5日後の21日早朝5時過ぎに息を引き取ったそうです。死因は脳挫傷で、犯人に拠る金属バッドでの執拗な殴打が致命傷と成りました。

金村剛弘の遺体の状態が酷いことに

そうして息を引き取った金村剛弘ですが、その遺体の状態は見るに堪えない程無残な状態だったと言われています。

遺体は血まみれでボロボロな状態に

金村剛弘の遺体は血まみれで、文字通りボロボロの状態だったと言います。犯人達から全力で殴打され続けたせいか遺体の損傷はかなり酷く、人間の身体の中で最も硬い筈である頭蓋骨は陥没し、血が溜まった頭部はブヨブヨの状態だったとか。これほどまでにズタボロの状態では、どんな名医が手を尽くしたとしても蘇生する事は出来なかったでしょう。

遺体を見た関東連合の幹部達は復讐を誓う

その遺体を見た関東連合の幹部たちは、必ずや金村剛弘の仇を取ると復讐を誓いました。彼等にとって金村剛弘は大事な兄貴分です。その彼がこの様なズタボロの姿にされ、見るも無残な最期を迎えてしまった事に対し、彼等は大きな憤りを感じたのでしょう。

彼等が不良の世界で生きている限り、こうした命のやり取りは避けられません。啀み合い、命を奪い合い、其処に何が残るのか?と、そう多くの人は考えるでしょう。しかしそれでも彼等は自分達の世界のルールにのみ従い続けるのです。最期には必ず破滅が待つ事も知らずに…。

復讐が数年後の六本木襲撃事件に繋がった

金村剛弘が命を落とした西新宿事件。金村剛弘の死を受けて彼等関東連合は復讐を誓い、その復讐が実行に移されたのが2012年9月2日に発生したあの「六本木クラブ襲撃事件」でした。彼等がこの事件を起こした目的は、西新宿事件で金村剛弘の命を奪ったであろうある人物を襲撃するためだったのです。

葬式でも遺体に涙した関東連合幹部

話は前後しますが、金村剛弘の葬儀には多くの人々が参列し、その中には金村剛弘の友人であり、ステゴロでは無類の強さを誇った伝説の男「谷山秀行」の姿もありました。彼は既に不良の世界からは足を洗っていたのですが、復讐を誓う関東連合の面々を前にして「コレを機に皆で堅気に成ろう」と、復讐を止める様に進言します。

それを聞いたある幹部が、涙ながらに谷山に反論。彼等は金村剛弘の遺体を前に「このまま終わるわけには行かない。分かっては居るけれど決して引き下がる事は出来ない。」と、そう言い放ったそうです。

「遺体を前にして復讐を誓った以上今更引き返すことは出来ない」という決意。彼等は変わり果てた金村剛弘の遺体を前に、大きな衝撃を受けたものであると考えられます。そしてこの一件を機に彼等関東連合はそれまでタブーとしていた暴力団化を進めて行ったのです。

金村剛弘の集団リンチ事件とその真相

では続いて金村剛弘が襲撃を受けた集団リンチ事件について更に掘り下げて行きたいと思います。この事件が発生した経緯と、何故金村剛弘は殺されたのか?そして誰によって殺されたのか?を徹底的に調査致しました。事件の真相にじっくりと迫って行きましょう。

金村剛弘が殺害された集団リンチ事件の概要

先程と話が一部重複してしまいますが改めてご説明すると、2008年3月17日の早朝、東京都新宿区西新宿の路上で複数名の目だし帽を被った男性が金村剛弘を襲撃。金属バッドによって執拗に殴りつけられた金村剛弘は病院に運ばれ、5日後の21日早朝に息を引き取りました。

集団リンチ事件発生の経緯

この事件が発生する前の夜、金村剛弘はあるパーティに出席していました。このパーティーは翌17日の午前4時頃まで続き、その後解散。会場を後にした金村剛弘は車で西新宿にある自宅近辺へと戻り、近くの路上に車を停めて降車しました。すると彼の帰宅を待ち構えていた十数人の男達が突然目の前に現れ、彼を金属バットで強襲したのです。

金村剛弘は突如として現れた目出し帽の男十数人をみて、その場から逃走。男達は「殺せ、殺せ!」「逃がすな!!」と怒声を上げながら300m程追走し、金村剛弘を十二社通りから西新宿五丁目に入った狭い路地へと追い込むと、その場でメッタ打ちに。

金村剛弘は反撃せずに涙を流しながら「助けて下さい!」「ごめんなさい!」と許しを請い続けましたが、犯人らは聞き入れず、金村剛弘を執拗に殴打。グッタリとした金村剛弘の姿を確認した上で用意していた車に乗り込み現場を後にしています。

集団リンチ事件の犯人は未だ逮捕されておらず

この西新宿事件ですが、事件から11年経った現在も未だ犯人の逮捕には至っておらず、既に迷宮入りの様相を呈しています。彼等は用意周到で事前にNシステムの位置などを把握しており、絶対に足が付かない形で犯行に及んでおり、現場にも手掛かりに成るものは一切残されていなかったそうです。

これだけ大胆な犯行に及んだにも関わらず犯人の手掛かりさえ掴めないとは驚きです。このままだと金村剛弘殺害事件の真相は永遠に闇の中に葬り去られたままと成ってしまいます。それとも事件の真相を知る関東連合のメンバーによって、いずれ更なる復讐劇が繰り広げられるのか⁉果たして。

集団リンチ事件には木村兄弟が関与?

この集団リンチ事件に関与していたと言われていたのが、関東連合が長年に渡り敵対している木村兄弟です。関東連合は杉並や世田谷と行った地域の暴走族が中心と成って結成されている組織ですが、それに敵対する「半関東連合」の筆頭として長年に渡り彼等と反目し続けているのが彼等木村兄弟なのです。

彼等はこれまでに関東連合のメンバーと幾度かやり合っており、今回の一件でも彼等木村兄弟が事件を指揮したのではないか?という噂が。確かに彼等が犯人であるという筋書きなら、この事件の真相的にピッタリとも言えます。

その一方で犯人は別の人物であるとも言われています。金村剛弘と武田修が揉めている事もあり、打越スペクターの関係者が犯人である可能性も。然しながら証拠が無く、結局の所犯人は見つからないまま。ただ、その場合でも木村兄弟が関与した可能性も0では無い訳ですが…。

金村剛弘と木村兄弟の関係

西新宿事件を指揮したと言われている木村兄弟。彼等と金村剛弘とは一体どの様な関係に有ったのでしょうか?ここでは「反関東連合の雄」として知られる木村兄弟についてまとめてみました。

こちらも不良界で「伝説」と呼ばれている木村兄弟

金村剛弘が「関東連合の伝説」と呼ばれているなら、こちらは「不良界の伝説」と呼ばれている木村兄弟。同じアウトローでも関東連合の面々とは異なり、人間的にもかなり評判が良い事で知られています。

兄・木村泰一郎について

木村兄弟の「兄」である木村泰一郎は、1978年生まれのS53年世代。東京の不良の中では伝説的な存在として知られている人物です。弱きを助け強きを挫くタイプであり、喧嘩の腕前もバケモノ級。それでいて自分からは喧嘩を仕掛けず、売られた喧嘩は必ず買うという、まるで漫画の世界から出てきたような不良のヒーロー。

しかも抜群のルックスを誇り、すれ違った女子が思わず振り返って二度見する程のイケメンだというのですから非の打ち所がありません。そんな人間性を持つだけあって彼のもとには多くの仲間達が集い、彼を慕ったと言います。

弟・木村孔次郎について

対する木村兄弟の「弟」である木村孔次郎は、兄である木村泰一郎の1歳下であるS54年世代。兄と違って策士的タイプであると言われていた弟は、喧嘩も強いがそれ以上に頭の切れるタイプだったようです。彼は金村剛弘が結成した新宿ジャックスのメンバーで、金村剛弘は彼にとって先輩に当たる人物と成ります。

また木村兄弟の作り上げた伝説はほぼこの弟の木村孔次郎のモノだったそうで、兄よりも更に攻撃的なタイプだった事が伺えます。

金村剛弘と木村兄弟は因縁の関係にあった

そんな彼等木村兄弟と金村剛弘は因縁の関係にあったと言われています。先程も申し上げた通り、木村兄弟の弟である木村孔次郎は、金村剛弘らが結成したチームである新宿ジャックスのメンバーだったのです。つまり金村剛弘にとって木村孔次郎は直属の後輩に当たる訳で、木村孔次郎から見れば金村剛弘は直属の先輩に当たる関係なのです。

然しながらこの両者の関係は余り良好なモノではありませんでした。というのも木村孔次郎はそもそも金村剛弘の事を先輩として慕っておらず、両者は先輩後輩ながらも歪な関係にあったと言われているのです。

新宿ジャックスを結成した金村剛弘は、その後暴走族グループである狂乱恋命に所属。いつしか関東連合のケツモチと成りました。関東連合の正式なメンバーでは無いものの、立場は完全に向こう側の人間です。対して木村孔次郎が所属する新宿ジャックスは半関東連合ですから、両者の間に因縁が生まれるのも当然です。

そんな中遂に両者の対立が鮮明と成る事件が発生しました。金村剛弘と関東連合のメンバーが都内のちゃんこ屋で食事をしていた際、偶々同じ店に反関東連合派である打越スペクターの面々と鉢合わせしたのです。両者は些細な口論から一触即発の状態と成りました。

店の外に出た後、金村剛弘は彼等反関東連合グループの一員で山口組秋良連合会一連会の組員である武田修を殴り倒し、彼等はその場を撤退。一度は関東連合側の勝利と成ります。その直後、今度は六本木の牛丼屋で偶々居合わせた関東連合の石元太一が口論となり、木村孔次郎が石元太一に暴行。

その後電話を掛けようとした石元太一の携帯電話を取り上げた木村孔次郎は、彼の携帯から金村剛弘に電話を掛け、関東連合に対して宣戦布告を行ったそうです。これが両者が本格的な抗争に入った瞬間と成りました。

金村剛弘殺害を木村兄弟の仕業と断定した関東連合

金村剛弘が撲殺されたのは反関東連合とのイザコザが起きた数日後の事で、関東連合のメンバーはこれを木村兄弟の仕業であると断定。以後金村剛弘の仇である木村兄弟の殺害を命題とします。

集団リンチ事件の真相とは⁉

さて、これまで金村剛弘と木村兄弟の関係について御説明してきた訳ですが、実際のところ集団リンチ事件の犯人は本当に木村兄弟なのでしょうか?揉めたタイミングを考えても確かに可能性は高いと言えますが、それがこの事件の真相で間違いないのでしょうか?

実はこの事件には幾つか引っ掛かる点が有るのです。その一つに金村剛弘は襲撃を受けた際、逃げはしたものの抵抗すること無く泣きながら土下座までして謝り倒したという点があります。伝説と呼ばれた男である金村剛弘が、その様な行動に出た理由は一体何だったのでしょう?

勿論単純に命乞いだった可能性はありますが、伝説と呼ばれた男が命の危険を感じた際に取る行動としては余りにもギャップが有ると思いませんか?とすると、彼の伝説は眉唾だったという事なのでしょうか?考えられるのは、彼が「襲撃される理由に心当たりが有ったから」です。そしてその相手には決して刃向かえない相手だったのではないでしょうか?

噂ですが、彼はある組織との間で覚せい剤絡みのトラブルを抱えていたと言われています。その相手は彼等関東連合でも絶対に揉めることが出来ない相手だったとか。あくまでも噂ですので、真相はやはり不明のまま。彼は本当に伝説と成ってしまいました。
 

金村剛弘の伝説と生い立ちや家族

金村剛弘の生い立ち

では続いて金村剛弘の生い立ちを見ていきましょう。彼の32年間とは一体どの様な人生だったのでしょうか?

在日韓国人の両親の元に産まれた金村剛弘

金村剛弘は在日韓国人である両親の元に生まれました。彼の名前である「金村剛弘」は通名で、本名は金剛弘(キム・ガンホン)。彼は在日韓国人3世という事になります。

東京朝鮮高等学校を中退

高校は東京朝鮮高級学校に進学したものの、この学校を中退。中退の理由や時期については特に明かされておりません。

その後は父親の会社「一力物産」で勤務

その後は父親が経営する「一力物産」にて勤務する事に成った金村剛弘。彼は意外と商売肌の人間だったらしく、彼の活躍で会社の売上も上がっていたと言われています。ゆくゆくは父親の跡を継いで自らが経営する予定だったのでしょうね。

新宿ジャックスを結成

金村剛弘は仲間達数名と共に「新宿ジャックス」というチームを結成します。東京ではこの新宿ジャックスは割と有名なチームであり、数々の伝説を残しているとか。

やがて関東連合の後見人的立場に

その後暴走族チームに所属した金村剛弘は、やがて関東連合のケツモチとなります。当時の金村剛弘は山口組弘道会の準構成員だったらしく、「ヤクザ」として彼等のケツモチについたのかも知れません。

金村剛弘はアウトローの中で伝説的な存在だった

金村剛弘はアウトローの中では伝説的な存在だった様です。確かにあの筋肉ですから見た目だけでもかなりの迫力がありますよね。喧嘩での伝説は数知れずという事で、都内では彼の名を知らない不良は居なかったとか。

金村剛弘の交友関係

交友関係①広末涼子

では最後に金村剛弘の交友関係についてご紹介し〆たいと思います。彼の芸能界との繋がりは⁉

金村剛弘と広末涼子の元夫である岡沢高宏とは幼馴染の関係で、彼は金村剛弘と共に新宿ジャックスを創設したメンバーでもあります。つまり広末涼子は金村剛弘の親友の元嫁という事になりますね。

交友関係②宮崎あおい

宮崎あおいと金村剛弘の繋がりですが、彼女の元夫である高岡蒼甫が兄貴として慕っていたのが彼と岡沢高宏であり、その妻として彼等と宮崎あおいは繋がりが有った様です。

交友関係③岡沢高宏

元モデルとして活躍した岡沢高宏と金村剛弘とは幼馴染の親友の間柄。新宿ジャックスを立ち上げた結成メンバー同士でもあります。

交友関係④高岡蒼甫

俳優の高岡蒼甫は岡沢高宏と金村剛弘の後輩であり、昔から両者を「兄貴」と呼んで慕っていた間柄です。その事から関東連合との関係などが囁かれていましたが、世間が言うような黒い交際ではなく、純粋に地元の先輩後輩の間柄だった様です。

交友関係⑤西山繭子

作家・伊集院静の娘で女優の西山繭子。金村剛弘はこの西山繭子と交際していたと言われています。どういった経緯で知り合ったのかは不明ですが、彼が最後に交際した女性が彼女だとか。

交友関係⑥フェイレイ

歌手のフェイレイもまた金村剛弘の元カノとして知られる人物です。2人は割と長い間交際していた様ですが、結局上手く行かなかったみたいですね。

金村剛弘の死の真相は現在も謎のまま

という訳で今回は関東連合の関係者である金村剛弘についてまとめてみました。死の真相は以前謎に包まれたままであり、今後も真相が明かされるかは不明です。何にせよ彼の安らかなる眠りをお祈り致します。

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