鹿取義隆(元プロ野球)の現在!現役時代の成績から引退まで!

鹿取義隆と言う野球選手をご存知でしょうか?現役時代は巨人と西武で19年間、リリーフとして活躍しました。その後はコーチに就任。WBC日本代表コーチに就任したこともあります。そんな鹿取義隆の現在、現役時代の成績から引退までを調べてみたいと思います。

鹿取義隆(元プロ野球)の現在!現役時代の成績から引退まで!のイメージ

目次

  1. 1鹿取義隆のプロフィール
  2. 2鹿取義隆の現在
  3. 3鹿取義隆の現役時代の成績
  4. 4鹿取義隆の現役引退とその後
  5. 5鹿取義隆と原辰徳や高橋由伸の関係
  6. 6鹿取義隆はプロ野球史に残る伝説のリリーフ投手だった

鹿取義隆のプロフィール

・愛称:鹿取大明神
・本名:鹿取 義隆(かとり よしたか)
・生年月日:1957年3月10日
・年齢:62歳
・出身地:高知県
・血液型:???
・身長:174cm
・体重:78kg
・活動内容:プロ野球選手
・所属チーム:読売ジャイアンツ・西武ライオンズ
・家族構成:妻

鹿取義隆の経歴

鹿取義隆は1957年3月10日に高知県香美市で生まれた。高校は高知商業に進学。1973年の夏、2年生だった鹿取義隆は背番号10で控え選手として甲子園に出場した。その時はベスト8に進出まで勝ち進んだ。3年生時は3回戦止まりで高校野球時代は終わった。

高校卒業後は、高知商業の先輩が数名在籍していたこともあり明治大学に進学。当時、明治大学の監督であった島岡吉郎の下で毎日500球を投げる猛練習を重ね成長。1つ上の学年に法政の江川卓がいたためリーグ優勝できなかった。4年生の春にリーグ初優勝。同年の全日本大学野球選手権優勝にも優勝した。

明治大学卒業後、日本鋼管に就職し社会人野球に進む予定だった。しかし1978年のドラフトで巨人から獲得の打診がきたため、ドラフト外で入団が決まった。ルーキーイヤーの1979年のキャンプは2軍スタート。しかし4日目で1軍昇格し、そのままシーズン開始まで定着した。

初登板は1979年の中日との開幕戦からリリーフ登板。その後は、貴重な右のサイドスローとして38試合に登板した。6月の初勝利を含む3勝をあげた。2年目の1980年はリリーフエースとして成長。51試合に登板し、防御率1.78という記録を残した。

1987年の優勝時には、全試合の約半数にあたる63試合に登板。7勝4敗18セーブ、御率1.90を記録した。登板数の多さから、王監督の「ピッチャー鹿取」が流行語になるほどでした。シーズンを通しての活躍からシーズンMVP獲得かと思われたが、あと一本歩のところで受賞を逃した。

1989年から監督が交代。王貞治から藤田元司になったことと、投手の世代交代の影響で登板数が激減した。1990年には西武ライオンズに移籍。NPB新記録(当時)となる10試合連続セーブを含む、27セーブを挙げて初タイトルとなる最優秀救援投手を受賞した。

その後1997年の引退まで活躍し、19年間のプロ野球選手生活を終えた。通算成績は、755試合登板、91勝46敗131S、防御率2.76という成績を残している。翌1998年には巨人の2軍投手コーチに就任。2001年には1Aのベロビーチ・ドジャースにコーチ留学も果たした。

2002年、2003年は巨人のヘッドコーチに就任した。2006年にはWBC日本代表の王監督から直接申請を受け日本代表投手コーチを務めた。2014年には、中学生以下の侍ジャパンU-15日本代表の監督も経験。2017年からは巨人GM特別補佐に就任し、シーズン中にGM兼編成本部長に昇格した。

 

プロ入りは江川事件が関係?

鹿取義隆のプロ入りは、江川事件が関係していたことをご存知でしょうか?1978年の11月22日のドラフト会議の前日。11月21日に巨人は、ドラフト制度の盲点をつく形で江川を獲得。しかし、セントラルリーグ会長が巨人と江川の契約を無効にした。これに対して巨人は、翌日22日のドラフト会議をボイコット。これが鹿取義隆のプロ入りにつながった。

22日のドラフト会議で、巨人以外の11球団は44選手を指名。巨人はボイコットしていたので、当然選手は獲得できませんでした。流石に新人0人はマズイと思ったか、巨人の沢田幸夫スカウトが明治大学監督の島岡吉郎監督に相談。この経緯を経て、鹿取義隆の巨人入団となった。

鹿取義隆の現在

読売ジャイアンツ、西武ライオンズで活躍し1997年に引退した鹿取義隆。その後コーチや監督、野球評論を務めてきた。そんな鹿取義隆家を現在はどの様な活動をしているのだろうか?

2017年に巨人GM特別補佐に就任

1979年の現役引退後から現在まで、1軍投手コーチ、2軍投手コーチ、ヘッドコーチを経験。2017年4月1日には、巨人GM特別補佐に就任した。しかし同年、巨人が史上ワースト13連敗したことでGM(ゼネラルマネージャー)の堤辰佳が退任。それに伴い、鹿取義隆が巨人GMに昇格した。

GMの定義や仕事内容は色々あり、明確な仕事があるわけではない。おおよそGMの仕事は、チームに足りない選手を判断し、トレードやFAなどで獲得することだ。そして鹿取義隆はこの仕事を期待されGMに就任した。

2018年10月11日付けで巨人GM退任

2017年、巨人のGMに就任した鹿取義隆は、翌2018年10月11日付けで巨人GMを退任した。2017年、2018年の巨人の成績は4位と3位。編成面では、2017年のホームラン王のレゲーロ。西武1軍ローテションの野上亮磨などを獲得し、チームの強化を敢行。その助っ人の成績が振るわず退任となった。

現在息子・鹿取真央が話題?

現在62歳となった鹿取義隆ですが、結婚をしていて息子が1人いる。1985年3月5日生まれの神奈川県出身。名前は鹿取真央(かとりまさお)という。その鹿取真央は野球選手なのか?それとも他の仕事をしているのか?調べてみた。

息子は元野球選手で映像クリエイター?

息子の鹿取真央は、茨城ゴールデンゴールズで選手として所属していた。茨城ゴールデンゴールズとは、茨城県稲敷市に本拠地を置く、硬式の社会人野球チームだ。鹿取真央は2005年に入団し、2009年に引退した。

退団後は、映像クリエイターの道に進む。2014年の「ヤング映像クリエーターを励ます賞」を獲得。「原辰徳の王道」というドキュメンタリーで優秀賞に輝いた。野球の現役を辞めても野球に関わる鹿取真央の、今後の活躍を期待したい。

鹿取義隆の現役時代の成績

1978年のドラフト外で巨人に入団した鹿取義隆。その後、鹿取義隆が積み上げた現役時代の成績はどの様なものだったのか?入団から移籍、退団まで。また獲得したタイトルなどを調べてみた。

現役時代はリリーフ投手として活躍

ルーキーイヤースタートの1979年。2月のキャンプは2軍からスタートでしたが、他選手の移籍や怪我で4日目には1軍昇格した。そのまま1軍のままシーズンをスタートすることになった。1年目から38試合に登板し活躍。2年目には、翌年は51試合登板に登板。4勝3負、防御率1.78という成績で活躍した。

巨人時代、顕著な成績を残したのは1984年でした。王監督は勝ち試合で鹿取義隆をバンバン起用。その年の登板数は63試合。実に全試合の半分に登板し、7勝4敗18セーブ、防御率1.90を記録する。しかし1989年から監督の交代に伴い新体制移行。登板機会が減り、藤田監督に移籍を直訴。1990年には西武ライオンズに移籍した。

1990年の西武ライオンズでも、当時の連続セーブ記録を超える10試合連続セーブを達成。同年は、37登板し3勝1負、24セーブ、防御率3.00という成績を残した。その後安定的に年40試合に登板し、パ・リーグ5連覇に大きく貢献。1997年に引退を決意し、プロ19年間で、755試合登板、91勝46敗131S、防御率2.76の成績を残した。

タイトル獲得や受賞歴は?

鹿取義隆が現役時代に獲得したタイトルは、以下の通り。最優秀救援投手1回。表彰は、月間MVP1回、ファイアマン賞1回、ヤナセ・ジャイアンツMVP賞1回。

ファイアマン賞とは

1981年度に創設されたファイアマン賞は、優秀救援投手に贈られていた賞である。メジャーリーグでは、救援投手のことをファイアマンと呼ぶことにちみ命名された。当時の安田火災海上保険が協賛して行っていた。協賛企業であった損保ジャパンが業務見直しから2002年度でなくなり、現在では廃止となっている。

19年間での防御率が凄い

現役時代の鹿取義隆は、リリーフとして活躍していた。鹿取義隆の最も優れているのは19年間の防御率。19年間での防御率は2.76。毎試合登板する可能性のあるリリーフピッチャー。そんな過酷なリリーフを19年間こなし、防御率2.76という優秀な成績と言えるだろう。

鹿取義隆の現役引退とその後

入団から引退まで現役を19年間続けてきた鹿取義隆。その後は、現在に到るまでどのような人生を歩んできたのだろうか?そこでここでは鹿取義隆の現役引退から現在に到るまでを調査してみた。

1997年に現役プロ野球選手引退

鹿取義隆は読売ジャイアンツで11年間、西武ライオンズで8年間の計19年間プレーした。そして現役19年目の1997年に西武ライオンズを引退した。この時すでに鹿取義隆は40歳。この年は2軍から開幕を迎えていたが、ヒザの悪化から思うような投球ができなくなり引退することとなる。
 

引退後は巨人コーチに就任

引退した翌1998年、鹿取義隆は古巣巨人の2軍コーチに就任。1999年、2000年には1軍投手コーチを任されていた。2000年オフには1軍投手コーチを引退するも、2002年には巨人監督に就任した原辰徳からの要請でヘッドコーチに就任した。そして2003年のオフに引退。

コーチ時代は長嶋茂雄監督にもダメ出し?

現役時代は、任されたポジションを淡々とこなすリリーファーの鹿取義隆。コーチに就任してからは、監督やコーチにしっかり意見を言うタイプのコーチだったそう。実際に投手コーチや監督と意見が対立することもあり、コーチ引退の要因にもなっている。

その意見はコーチだけでなく、長嶋茂雄監督にも向いていた。当時、長嶋茂雄監督は投手を惜しみなく起用していた。その起用法に対して、「シーズン終盤まで投手が持つか心配。起用法を考えて欲しい。」と言う意見を出していた。

日本代表投手コーチ時代も

巨人のコーチ、ヘッドコーチ時代から、先発ローテや継投など、投手起用に手腕を発揮した。実際に2000年や2002年には投手陣をまとめ上げ優勝に貢献する活躍をみせている。その手腕が評価され、第1回WBC監督の王貞治からの要請で、日本代表投手コーチに就任した。

WBCは、大会独自のルールであった投球数制限などの数々の問題があった。しかしこれらの起用方や編成などで克服。防御率2.49の成績を残して、見事優勝に貢献した。

鹿取義隆と原辰徳や高橋由伸の関係

鹿取義隆は現役引退から現在まで、コーチで手腕を十分発揮し活躍した。このコーチと言う仕事は、自分が就任したくても就任できるわけではない。現場の監督やフロントとの関係によって決まることも多い職。鹿取義隆が今まで就任した際の監督である、原辰徳や高橋由伸の関係はどうなのか調べてみた。

原辰徳監督再就任の時にコーチオファーを固辞

原辰徳が初めて巨人監督になった時、鹿取義隆はヘットコーチに就任した。その年は見事に優勝を果たすも、翌年には投手起用に関して監督と衝突した模様。シーズン中のも関わらず、ブルペン担当投手コーチに転換、そのまま退団した。

そして2019年、第三次原監督巨人が発足。この時、鹿取義隆はGMを退任した後のことだった。原監督は投手関連のコーチ就任を鹿取義隆に打診。しかし鹿取義隆はこれを辞退した。

原辰徳のプロフィール

・愛称:若大将
・本名:原 辰徳(はら たつのり)
・生年月日:1958年7月22日
・年齢:60歳
・出身地:福岡県
・血液型:???
・身長:181cm
・体重:84kg
・活動内容:プロ野球選手
・所属チーム:読売ジャイアンツ
・家族構成:妻

高橋由伸の辞任は鹿取義隆が関係?

2016年〜2018年シーズまで巨人監督に就任していた高橋由伸。2018年オフには監督を辞任することとなった。この辞任には、鹿取義隆が関係しているとも噂されている。

監督である高橋由伸と、GMである鹿取義隆。編成面での考えの差が大きく、トレードやFA、ドラフトでも噛み合わない。このことも高橋由伸監督の辞任に関係あるのではないかと言われている。

高橋由伸のプロフィール

・愛称:ウルフ
・本名:高橋由伸(たかは しよしのぶ)
・生年月日:1975年4月3日
・年齢:43歳
・出身地:千葉県
・血液型:???
・身長:180cm
・体重:87kg
・活動内容:プロ野球選手
・所属チーム:読売ジャイアンツ
・家族構成:妻、子供2人

関係者が語る鹿取義隆と高橋由伸の関係

鹿取義隆と高橋由伸との関係を、関係者が語ってる。その一人はこう語る。「鹿取GMが由伸采配についてあれこれ言うようになり、それが球団幹部や由伸監督の耳に届いた。雰囲気は最悪。最後の方はぐちゃぐちゃになっていました。」

実際に、高橋由伸はフロント側にリリーフ投手を取って欲しいと頼んでいた。しかし、日本ハムのリリーフ増井の獲得失敗。トレードなども手をうつことなく、獲得したのは、FAで西武先発の野上。外国人補強も上手く行かず、ガタガタの状態だった。

鹿取義隆はプロ野球史に残る伝説のリリーフ投手だった

今回は鹿取義隆の現在までをまとめてご紹介させて頂いた訳だが、19年間もプロ野球選手として活躍し続けた彼の実績は野球界でも類を見ないモノであるだろう。まさに鹿取義隆こそ伝説のリリーフ投手という名が相応しい投手である。

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この記事のライター
神田孝貴

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