【宝塚】香月弘美の死に方がエグい!胴体切断事故の原因とその後は

宝塚史上最悪と言っても過言ではない事故に巻き込まれて亡くなってしまった香月弘美。香月弘美が死亡した事で様々な原因が考えられているようですが、どのような事が原因で死亡事故が発生してしまったのでしょうか?事故を振り返りながら詳しく見て行きましょう。

【宝塚】香月弘美の死に方がエグい!胴体切断事故の原因とその後はのイメージ

目次

  1. 1香月弘美(宝塚)のプロフィール
  2. 2香月弘美の死に方がエグい!
  3. 3香月弘美の胴体切断事故の原因とは
  4. 4香月弘美の胴体切断事故のその後や噂
  5. 5香月弘美の胴体切断事故死は問題や噂など謎に包まれる

香月弘美(宝塚)のプロフィール

・愛称:ヒロエちゃん
・本名:小笠原弘恵
・生年月日:1936年8月21日
・年齢:享年21歳
・出身地:神奈川県藤沢市
・血液型:???
・身長:???
・体重:???
・活動内容:元タカラジェンヌ
・所属グループ:月組
・事務所:宝塚歌劇団
・家族構成:???

香月弘美の経歴

まずは香月弘美の簡単な経歴から見て行きましょう。香月弘美は、1954年から宝塚の月組に所属するタカラジェンヌとして活動を行っていた人物です。本名は小笠原弘恵と言うそうで、学生時代には「ヒロエちゃん」の愛称で親しまれていたそうです。

高校中退し宝塚音楽学校へ入学

香月弘美は湘南白百合学園の小学部と中学部を卒業し、その後湘南白百合学園高等学校に進学しています。しかし、小学部と中学部で同級生だった松島三那子が高校進学をせずに宝塚音楽学校へ入学した事に影響を受け、香月弘美も高校を中退して宝塚音楽学校へ入学したそうです。

香月弘美の宝塚初舞台は「春の踊り」

1954年に宝塚に入団した香月弘美は、入団時の成績は51人中17位と言うかなり優秀な成績で入団しています。宝塚入団後の初舞台は、香月弘美が入団した同年4月に公演された「春の踊り」と言う舞台だったそうです。その後月組への所属が決定し、香月弘美の華々しいタカラジェンヌとしての活動が開始しています。

香月弘美の死に方がエグい!

ここからは、香月弘美の亡くなり方について詳しく見て行きましょう。1954年に華々しいタカラジェンヌとしての活動を開始させた香月弘美ですが、残念ながらデビューから4年後の1958年に短い生涯の幕を閉じてしまう事となりました。なぜ香月弘美は亡くなったのか、死因について詳しく見て行きましょう。

1958年4月1日に21歳の若さで死去

香月弘美は1958年4月1日に21歳の若さで亡くなっています。タカラジェンヌとしての活動を開始してわずか4年、あまりにも早すぎる死に感じてしまいます。さらに驚くべきは、香月弘美の命を奪ったのは病気ではなく、宝塚公演の舞台「春のおどり、花の中の子供たち」の最中だったと言うのです。

死の原因は宝塚大劇場での事故

では、香月弘美はどのようにして亡くなったのでしょうか?調べてみると、なんと香月弘美の命を奪った原因は、宝塚大劇場での事故が原因だったのです。事故の内容についてはこの後詳しくご紹介していきますが、香月弘美は舞台装置や衣装など様々な原因が重なり、舞台公演中に事故に遭い亡くなってしまったのです。

死後の遺体は早変わり室に安置

舞台公演中に亡くなった香月弘美ですが、死後の遺体は早変わり室と呼ばれる楽屋に安置されたそうです。そこで香月弘美に死に化粧が施され、仲の良かった同級生達は香月弘美への別れを泣きながら行ったそうです。

宝塚花組公演中の胴体切断事故による死

香月弘美の死に方は「エグい」「悲劇の死」と表現されています。なぜこのように表現されているかと言うと、香月弘美は単なる事故死と言う訳ではなく、胴体が切断される壮絶な亡くなり方をしているからです。香月弘美は衣装が舞台装置に巻き込まれ、胴体が切断されてしまい即死してしまったのです。

香月弘美の胴体切断事故の原因とは

ここからは、上記で触れていた香月弘美の胴体切断事故の原因について詳しく見て行きましょう。夢の宝塚と言っても過言ではない憧れの存在の宝塚ですが、一体なぜ胴体切断事故と言う惨劇が起きてしまったのでしょうか?事故の原因として挙げられている舞台装置や、衣装について詳しく見て行きましょう。

胴体切断事故の原因①セリ出し装置のシャフト

胴体切断事故の原因として挙げられているのが、セリ出し装置のシャフトです。そもそもこの装置を操作していたのは不慣れな作業員だった事も原因として挙げられていますが、実はこの装置自体大正時代に作られた古いものだったそうです。

また、セリ出し装置のスクリューシャフトと呼ばれる回転式の装置は剝き出しで、いつ事故が起きてもおかしくはない状態だったそうです。

胴体切断事故の原因②スチールベルト

胴体切断事故の原因として挙げられているのが、事故当日に香月弘美が着用していた衣装です。香月弘美はかなり裾の長いスカートを着用しており、それを固定する為のスチールベルトを着用していたそうです。

その為、裾の長すぎるスカートがスクリューシャフトに巻き込まれ、さらに腰に巻かれていたスチールベルトが香月弘美の体を締め上げてしまい、胴体が切断されてしまっています。

胴体切断事故の問題点とは

胴体切断事故の問題点とは一体何だったのでしょうか?事故原因を見ていれば分かりますが、胴体切断事故の最も大きな問題点は、いつ事故が起きてもおかしくない状況を放置していたことでしょう。これまでに大きな事故が起こらなかったことで、危険な装置や衣装の見直しやチェックが行われなかったと考えられます。

過去に事例のない事故に問題発覚?

問題点に挙げたこれまでに舞台装置や衣装の見直しが行われていなかった点についてですが、過去に事例の無い大事故が起こった為に、その後装置や衣装の問題が発覚して改善されています。現在はセリ出し装置は事故の起きない蛇腹式の装置に変更されています。

またスチールベルトについても、巻き込まれてもすぐに切れる竹ひごなどの素材に変更されています。セリ台自体のスピードも遅い物に変更されているとの事で、何か起こった際も重大な事故に発展する前に装置を停止出来るようになっているそうです。

香月弘美の胴体切断事故のその後や噂

香月弘美の胴体切断事故の原因や問題点ははっきりとしましたが、香月弘美の死後には様々な噂が浮上していたようです。ここからは、香月弘美の胴体切断事故のその後や噂について詳しくご紹介していきます。

胴体切断事故直後には意識あり?

胴体が切断された場合、人は即死すると言われています。しかし胴体が切断された直後は意識が少しあるとも言われており、激痛を感じて亡くなると言う説もあります。香月弘美も意識があったかは定かではありませんが、香月弘美は亡くなる直前に「やめて」と叫んでいた事が証言されています。

その後は松島三那子との不仲の噂も浮上

香月弘美は、胴体切断事故が起きる直前に松島三那子と共に抱き合った状態でセリに乗り舞台を降りています。その直後に香月弘美だけが胴体切断事故と言う大事故に巻き込まれていた事から、ネット上では2人の不仲説が浮上しています。

しかし香月弘美は松島三那子の影響で宝塚音楽学校に入学しており、事故後に松島三那子は半狂乱になって「私が死ねば良かった」と香月弘美の死にショックを受けていたようなのであくまで不仲説は噂にしか過ぎません。

第一発見者・松島三那子とは

ここで松島三那子について簡単にご紹介しておきましょう。松島三那子は事故直前まで香月弘美と抱き合った状態でいた事から、香月弘美の事故後の第一発見者となっています。香月弘美とは小・中学部の同級生であり、1962年までタカラジェンヌとして活動を行っていました。

松島三那子が失踪で事故に関係との噂も

松島三那子は香月弘美の事故後、3日ほど失踪して行方が分からなくなっていたそうです。この事が原因なのか、ネット上では「宝塚側から事故の裏合わせをしていて軟禁されていた」と言う噂も浮上しているようです。しかし、普通に考えれば悲惨な事故を目撃して、ショックで失踪したと考える事も出来るのであまり信憑性のある情報とは言えません。

その後は著書も出版

松島三那子は1960年に「ヅカむすめのアメリカ日記」と言う著書を出版しています。実はこの著書には香月弘美の事故について触れている記述が多く記されているそうで、香月弘美の事故について緘口令を敷いていたとされている宝塚側から、制裁として「歌劇」に松島三那子の写真が掲載されなくなったと噂されています。

その後は宝塚主催で葬儀

香月弘美のその後について見ていきましょう。香月弘美の遺体は早変わり室と言う楽屋に安置され、4月3日に密葬されています。4月11日には宝塚音楽学校で宝塚主催として葬儀が行われ、香月弘美の遺体はその後実家に引き渡されたそうです。実家でも4月15日に葬儀が行われたとの事です。

その後「労働災害死」と認定

香月弘美の死は、その後「労働災害死」と認定されています。問題点でもご紹介していますが、労働監督署からは事故原因となった問題点の改善が宝塚側に要求され、現在は全て改善されています。

警察のその後の対応にも注目

実は香月弘美の事故の実地検証に当たった宝塚警察署は、「絶対に不可抗力の事故とは考えぬ。どこかに過失があった」とコメントをしており、宝塚を業務上過失致死傷罪などに追及する意思を示しています。その後の警察の対応に注目が集まっていましたが、刑事責任を追及されたか否かは明らかにされませんでした。

香月弘美の死後の宝塚での噂とは

香月弘美の死後、宝塚ではある噂が浮上していると言います。一体香月弘美の死後にどのような噂が浮上しているのでしょか?

噂①宝塚歌劇団史からの抹消説

宝塚歌劇団死から、香月弘美の存在が抹消されていると言う噂が浮上しています。宝塚の記録には香月弘美が記される事は無く、事故後も緘口令が敷かれるなど、事故自体抹消されたかのような扱いをされているそうです。また、献花も現在は行われる事がなく中心されているそうです。

噂②香月弘美の霊

宝塚の舞台の奈落には、香月弘美の霊がいると言う噂も浮上しています。新人が舞台の奈落で緊張していると、「頑張って」と言う声が聞こえてくるそうです。その声に「ありがとうございます」と答えた人はトップスターになれるとも言われており、香月弘美が奈落に留まり後輩達を見守っていると噂されています。

香月弘美の胴体切断事故死は問題や噂など謎に包まれる

宝塚史上最悪と言っても過言ではない、凄惨な事故の被害者となった香月弘美について詳しく見て来ました。香月弘美は様々な原因が重なり事故の被害者となってしまいましたが、問題点や噂についてはまだ謎多き部分も残っています。今後真相が暴かれるか、まだまだ目の離せない事例にも感じさせられます。

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この記事のライター
yu yamashiro
現在第2子妊娠中のマタママです。エンタメ系の記事を書いていますが、エンタメには全く興味がありませんww

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