2019年09月18日公開
2019年09月18日更新
川島道行の死因や経歴!嫁や娘などのその後も!
長年、ブンブンサテライツのボーカルとして活躍していた川島道行さんですが、2016年に47歳の若さで死去しています。川島道行さんの死因とは何だったのでしょうか?今回は、川島道行さんの死因や経歴のほか、嫁や娘のその後について調査しました。

目次
川島道行のプロフィール
・愛称:不明
・本名:不明
・生年月日:1969年8月24日
・年齢:47歳没
・出身地:岩手県盛岡市
・血液型:A型
・身長:不明
・体重:不明
・活動内容:ミュージシャン
・所属グループ:ブンブンサテライツ
・事務所:エイベックス・マネジメント
・家族構成:嫁(須藤理彩)、娘2人
川島道行の経歴
川島道行さんの経歴を紹介します。川島道行さんは1990年、同じ大学に通っていた中野雅之さんと共にブンブンサテライツというバンドを結成し、ボーカル兼ギターとして活躍していました。
私生活では、2006年に女優の須藤理彩さんと結婚しており、2人の娘が誕生しています。このように、公私ともに順調な様子を見せていた川島道行さんですが、デビュー直後から病気を患っており、2016年10月に47歳という早すぎる年齢で死去しています。
川島道行の死因について
才能あるミュージシャンだった川島道行さんが若くして死去してしまったのはなぜだったのでしょうか?川島道行さんの死因を調査しました。
2016年10月9日に年齢47歳の若さで他界
川島道行さんは2016年10月9日、年齢47歳という若さで死去しています。川島道行さんの死去に伴い、嫁の須藤理彩さんはコメントを発表しています。
それによると、川島道行さんが死去したのは10月9日の早朝5時12分だったようです。天気は大雨で、亡くなる直前の川島道行さんは大きく深呼吸をしていたといいます。
川島道行さんが亡くなったことにより、結婚生活は10年で幕を閉じてしまいましたが、その間には2人の娘に恵まれ、充実した日々を送ることができたようです。
川島道行さんは嫁の須藤理彩さんにとっては「愛する夫」で、娘たちにとっては「優しくてかっこいいパパ」だったといいます。
47歳という若い年齢で旅立ってしまいましたが、川島道行さんは残された余命の中でも懸命に音楽活動に励み、たくさんの曲を世に送り出しました。そんな川島道行さんのことを嫁の須藤理彩さんは誇りに思っているようです。
川島道行の死因は脳腫瘍
川島道行さんの死因は脳腫瘍でした。実は、川島道行さんはブンブンサテライツのデビュー直後に初期の脳腫瘍が見つかっていたのです。当時の年齢は28歳。その後は脳腫瘍ということを公表せず、音楽活動を続けながら人知れず闘病生活も送っていたのです。
脳腫瘍の悪性度は4段階に分けられるのですが、グレード2までは5年生存率が70%ほどで、必ずしもすぐに命に関わるというわけではないようです。川島道行さんも初期の脳腫瘍だったといいますから、当時は治療が上手くいっていたのではと考えられています。
しかし、川島道行さんと脳腫瘍の闘いはそれからも長く続いてしまいます。2012年には脳腫瘍であることを世間にも公表していますが、その時点で3度目の再発だったようです。
死因の脳腫瘍闘病時には余命2年の宣告
川島道行さんは脳腫瘍であることを世間に公表した後、約1年間抗ガン剤治療を受けています。抗ガン剤治療を終えた川島道行さんは「これからさらに全力で音楽活動に取り組もう」という気持ちでいたそうです。
しかし、2014年3月、無情にも4度目の脳腫瘍の再発が発覚してしまいました。そして、余命2年という宣告がされたといいます。
余命宣告後の治療効果で拡大回避も病状に変化
余命宣告を受けた後、川島道行さんは主治医から2つの選択肢を告げられたそうです。その2つというのは、「音楽活動を止めざるを得ないが、延命のために手術をする」または「余命は短くなるが、自由に動く時間を長くとるために手術をしない」というものです。
究極の選択ともいえますが、川島道行さんの中では再発を告げられた時から「元気に動ける時間をなるべく長く取って音楽をやりたい」という意思が固まっていたといいます。
しかし、こうした余命宣告を受けた川島道行さんに希望ともいえる新たな治療法が見つかったのです。それが臨床実験段階だったBNCTという特殊な放射線治療でした。
当時はこの臨床実験を受けた人が世界で8人しかいなかったこともあり、治療はリスクを伴うものでしたが、余命宣告を受け、他に有効な治療法がない状況だったため、川島道行さんは世界で9番目の検体として臨床実験に参加することを決意します。
そして、2014年7月に臨床実験に参加し、数か月の経過観察の後、無事に脳腫瘍の拡大を防ぐことに成功しました。
そのおかげで病状が小康状態になった川島道行さんは「余命2年とはいわれたものの、2年では死にません」とファンにも宣言していたのですが、2015年9月に脳腫瘍の5度目の再発が発覚してしまいます。
これにより、川島道行さんが望んでいた音楽活動もついに休止せざるを得なくなり、余命を全うした川島道行さんは2016年10月9日、年齢47歳という若さでこの世を去ってしまいました。
死因の脳腫瘍は脳のガン?
川島道行さんの死因は脳腫瘍でした。「腫瘍」と聞くとガンというイメージがありますが、脳腫瘍は脳のガンなのでしょうか?脳腫瘍とガンの関係を調査しました。
死因の脳腫瘍とガンの関係
頭蓋骨の中にできた腫瘍は良性も悪性も全て含めて脳腫瘍と呼ばれるようです。そのため、全ての脳腫瘍がガンというわけではないとのことです。また、脳組織自体から発生する原発性脳腫瘍と、他の臓器のガンが脳へ転移した転移性脳腫瘍というものがあるようです。
川島道行さんは約20年もの間、脳腫瘍と闘っており、手術後には抗ガン剤治療も受けていたといいます。そのため、川島道行さんの脳腫瘍は、悪性脳腫瘍の中でもよくみられるグリオーマだったのではないかといわれています。
抗ガン剤治療の副作用も脳腫瘍の症状もかなり辛いものだったと考えられますが、家族の支えや音楽活動が、抗ガン剤治療や病気と闘うモチベーションに繋がっていたようです。
川島道行のブンブンサテライツ経歴
余命を宣告されても音楽活動をやめようとはしなかった川島道行さん。そんな川島道行さんは人生の半分以上をブンブンサテライツと共に生きていました。川島道行さんのブンブンサテライツとしての経歴を振り返ってみましょう。
経歴①「BOOM BOOM SATELLITES(ブンブンサテライツ)」デビュー
ブンブンサテライツがデビューしたのは1997年ですが、バンドが結成されたのは1990年のことでした。メンバーは結成当初から川島道行さんと中野雅之さんの2人だったようです。
川島道行さんと中野雅之さんは同じ大学に通っていたことで知り合っていますが、同じJAZZバーで働いていたこともあるようです。中野雅之さんは、川島道行さんと価値観を共有できた理由について、長い時間を一緒に過ごしていたからだと振り返っています。
経歴②ベルギーのR&Sレコーズよるアルバムリリース
ブンブンサテライツがデビューしたのは日本のレーベルからではなく、ベルギーのR&Sレコーズからでした。
エレクトロニックとロックを取り入れたサウンドは英音楽誌に「ケミカル・ブラザーズ、プロディジー以来の衝撃」と評されるなど、ブンブンサテライツは日本のみならず、海外からも高く評価されていたのです。
映画「アップルシード」サントラ楽曲提供
ブンブンサテライツは2004年に長編アニメーション映画「アップルシード」のサントラに楽曲を提供し、メインテーマも担当していました。
また、2008年にはアメリカン・コミック「バットマン」の実写映画「ダークナイト」にも楽曲を提供するなど、素晴らしい経歴を残しています。
経歴③2016年にブンブンサテライツ活動終了
海外を股にかけて活躍していたブンブンサテライツですが、川島道行さんの脳腫瘍の症状が悪化してしまったため、2016年6月にシングル「LAY YOUR HANDS ON ME」の発売を最後に、ブンブンサテライツとしての活動を終了しています。
川島道行の嫁や娘のその後は?
若くして亡くなってしまった川島道行さんには嫁と娘がいました。最愛の家族を亡くした後の嫁や娘はどうしているのでしょうか?川島道行さんの嫁と娘のその後について調査しました。
2006年11月に嫁の須藤理彩と結婚
川島道行さんの嫁は女優の須藤理彩さんです。2人には共通の知人がおり、その知人を通じて2000年頃に知り合っています。そして、2004年に結婚を前提にした交際をスタートさせ、2006年11月に入籍しています。
出会った時にはすでに川島道行さんの脳腫瘍が発症していたため、須藤理彩さんにとって川島道行さんとの結婚は覚悟がいることだった模様です。
結婚前には共演者に病気を抱えた川島道行さんとの結婚について相談するなど、須藤理彩さんもかなり悩んでいた事が明かされています。しかし、須藤理彩さんは最終的に川島道行さんを支えていくことを決めたようです。
嫁(須藤理彩)の年齢などプロフィール
須藤理彩さんは1976年7月24日生まれ、年齢は43歳です。1995年にアミューズのオーディションに合格し、芸能人としての経歴をスタートさせています。
その後は1996年の映画「アトランタ・ブキ」で女優デビューしており、1998年にはNHK連続テレビ小説「天うらら」でヒロイン役を熱演。これを機に一躍人気女優へと成長しています。
それ以降は多くの話題作に出演しており、2019年にもドラマ「グッドワイフ」や「俺のスカート、どこ行った?」など、様々な作品で活躍しています。
嫁との間には娘2人誕生
川島道行さんと須藤理彩さんはできちゃった結婚だったため、結婚して間もなく娘が誕生しています。その後は第2子となる娘も誕生しているため、現在の須藤理彩さんは2児の母親ということになります。
娘(長女と次女)の年齢は?
長女は2007年1月30日に、次女は2011年10月20日に誕生しています。そのため、それぞれの娘の年齢は、長女が2019年の誕生日で12歳に、次女は2019年の誕生日で8歳になります。
嫁(須藤理彩)や娘のその後は?
川島道行さんが亡くなってしまったため、須藤理彩さんは女手一つで娘たちを育てて行くことになりましたが、須藤理彩さんも娘2人も前向きに生きているようです。
川島道行死去後の誕生日を家族画像で追悼
川島道行さんの死去後の誕生日には、須藤理彩さんがSNSで家族写真を公開し、「Happy birthday、papa!」と天国の川島道行さんへメッセージを贈っていました。
三回忌には嫁がインスタで感謝のメッセージ
2018年10月9日には川島道行さんの三回忌を迎えましたが、その時にも須藤理彩さんはSNSを更新し、生前の川島道行さんとの仲睦まじい2ショット写真を公開していました。
そこには、「あなたがいてくれたから、私の人生もお陰様で、豊かなものになりました」という須藤理彩さんの感謝のメッセージも添えられていました。
生き抜いた日。
— 須藤理彩 (@risa_sudou) October 8, 2018
お疲れ様でしたの日。
そして、ありがとうの日。
10/9
今日は、川島の命日。
三回忌。
あなたがいてくれたから、
私の人生もお陰様で
豊かなものになりました。 pic.twitter.com/7pjaKKlC5o
晩年の川島道行さんは意思疎通ができなくなっていたようですが、須藤理彩さんは川島道行さんの目を見ただけで、何が言いたいのかを理解することができていたのだそうです。
2人の結婚生活は10年で、それほど長くはありませんでしたが、黙っていてもお互いに分かり合える「本物の夫婦」になっていたといいます。
娘は学校不登校時期あり?
須藤理彩さんは2019年5月に朝の情報番組「スッキリ」に出演していました。その時の番組では、10歳の不登校YouTuber・ゆたぼんについて取り上げられていましたが、須藤理彩さんは自分の娘にも不登校だった時期があったということを明かしています。
不登校だった娘が長女なのか次女なのかは不明ですが、娘が不登校になってしまった理由はいじめを受けていたからだそうです。
本日『スッキリ』でした〜。親として考えさせられるテーマでしたが、事前に娘に、スッキリでいじめのこと話して良いか確認しました。是非話してとの事だったので、デリケートな問題でしたが、敢えて話させて頂きました。
— 須藤理彩 (@risa_sudou) May 15, 2019
皆さまもぜひご家族で、自宅学習のこと話し合ってみてはいかがでしょうか? pic.twitter.com/V4wtRr6fqc
不登校の間は自宅学習をしていたようですが、娘の友人がプリントを届けてくれたりと、特に不自由なことはなかったといいます。
一方で、須藤理彩さんは「いろんな人が人のやりたくないこともやってくれているから、自分が何の不自由もなく生きていられる。そう教えることが親の務め」だと語っています。こうした須藤理彩さんの率直な意見は視聴者からも大きな反響を呼んでいました。
娘(次女)はブンブンサテライツの最新PV出演
川島道行さんと須藤理彩さんの次女は、ブンブンサテライツの最後のシングル「LAY YOUR HANDS ON ME」のPVに出演しています。このPVは川島道行さん亡き後にMTVが開催する音楽受賞式で最優秀ダンスビデオ賞を受賞したことでも話題になりました。
川島道行と乃木坂46の関係とは
ブンブンサテライツはアニメや映画、CMなどに楽曲を多数提供していますが、有名アイドルグループ・乃木坂46にも楽曲を提供したことがあるようです。
乃木坂46との関係は楽曲「OVERTURE」が関係
乃木坂46のライブでは「OVERTURE」というオープニング曲が使われていますが、乃木坂46の2014年のツアーで使われた「OVERTURE」は、ブンブンサテライツが制作したのだそうです。
「乃木坂って、どこ?」オープニング曲としても知られる
2014年のツアーが開催されていた時期には、乃木坂46の冠番組「乃木坂って、どこ?」のオープニング曲にもブンブンサテライツバージョンの「OVERETURE」が使用されていました。
ブンブンサテライツと乃木坂46運営間の権利問題も
乃木坂46ファンからは賛否両論を呼んだブンブンサテライツバージョンの「OVERETURE」ですが、「こっちの方がいい」「今後も使ってほしい」という好意的な意見も多く寄せられています。
しかし、ブンブンサテライツバージョンの「OVERETURE」は、乃木坂46の2014年真夏の全国ツアー用に提供されたものです。そのため、今後も使用するためには、ブンブンサテライツと乃木坂46運営間の権利問題が関わってくるようです。
川島道行の死因は脳腫瘍で永遠に語り継がれるブンブンサテライツ
今回は、ブンブンサテライツとして素晴らしい経歴を残した川島道行さんについて紹介しました。脳腫瘍によって年齢47歳で亡くなった川島道行さんですが、余命を宣告された後も精力的に音楽活動を続けていました。今後も川島道行さんの功績は世に語り継がれていくことでしょう。