衣笠祥雄の死因はガン?生い立ちから死去まで!父や息子など家族は?

広島カープで活躍した衣笠祥雄さんですが、その死因がガンだったというのは本当なのでしょうか?また、父や息子、娘などの家族の詳細は判明しているのでしょうか?広島カープ時代の成績も気になるところです。衣笠祥雄さんの生い立ちから死去までをまとめました。

衣笠祥雄の死因はガン?生い立ちから死去まで!父や息子など家族は?のイメージ

目次

  1. 1衣笠祥雄さんのプロフィール
  2. 2衣笠祥雄さんの死因は大腸がん
  3. 3衣笠祥雄さんの生い立ちは?
  4. 4鉄人・衣笠祥雄さんの成績がすごい!
  5. 5衣笠祥雄さんの家族は?息子と娘も調査
  6. 6衣笠祥雄さんは野球と向き合い続けたレジェンド

衣笠祥雄さんのプロフィール

息子や娘などの家族も気になる衣笠祥雄さんですが、どのような人だったのでしょうか?衣笠祥雄さんは広島カープ時代、どのような活躍をされてきたのでしょう?衣笠祥雄さんのプロフィールについて詳しく見ていきましょう。

衣笠祥雄さんの経歴

・愛称:鉄人
・本名:衣笠祥雄
・生年月日:1947年1月18日
・現在年齢:享年71歳
・出身地:京都府京都市東山区
・血液型:???
・身長:175cm
・体重:73kg
・活動内容:元プロ野球選手、野球解説者、野球評論家、タレント
・所属グループ:元広島東洋カープ
・事務所:キャスト・プラス
・家族構成:妻、息子

衣笠祥雄さんは1965年に広島東洋カープに入団しますが、高校時代は捕手として活躍していたそうです。当時の広島カープの白石勝巳監督の意向で、衣笠祥雄さんは入団後に内野手に転向しました。

入団後しばらくは2軍での活動が続いていたようですが、3年目の1968年から衣笠祥雄さんは1軍レギュラーメンバーとして活躍します。

衣笠祥雄さんが広島カープ時代にプロ野球選手として残した記録はあまりにも偉大で「鉄人」の愛称でも親しまれました。この愛称は当時の背番号が28だったこともあり、アニメの「鉄人28号」にもかけてつけられた愛称でもありました。

その生い立ちには複雑なものもあったようですが、衣笠祥雄さんの家族や生い立ちについては後ほど詳しく紹介します。

衣笠祥雄さんの死因は大腸がん

衣笠祥雄さんは71歳というまだ比較的若い年齢で死去されましたが、その死去の死因は何だったのでしょうか?死去された死因はガンだったという話もあるようです。衣笠祥雄さんの死去と死因について調べてみました。

死因は上行結腸がんと発表

衣笠祥雄さんの死因ですが、その死去後に大腸ガンの一種である上行結腸がんと発表されたようです。大腸ガンには大きく分けて、直腸ガンと結腸ガンがありますが、衣笠祥雄さんの死因は結腸ガンによるものだったようです。

ガンが死因での死去の場合、男性は胃ガン、肺ガンに続いて大腸ガンが死因で亡くなられることが多いとも言われています。

声のかすれに喉頭がんの疑い?

衣笠祥雄さんはその死の直前まで野球解説の仕事をしていたそうです。ただ、最後のメディア出演となった死去の4日前の解説では、声がかすれるなどして心配されていたそうです。

この声のかすれというのは、2017年頃からあったそうですが、喉頭ガンの場合に声がかすれてしまうということがよくあるそうです。ですので、声のかすれがあまりに長引くことから、衣笠祥雄さんの死因は喉頭ガンではないかという噂も広まりました。

最後のメディア出演となった番組でも、最近の声の調子の悪さなどから、槙原寛己さんがダブル解説で衣笠祥雄さんの声のサポートをしていたようです。

この日一緒に出演した槙原寛己さんも、「特に今日は声が出ていないと感じた」と述懐されていたそうです。衣笠祥雄さんの声のかすれは喉頭ガンによるものではなかったようですが、大腸ガンによる体調不良により声が出なくなっていた可能性がありそうです。

2018年71歳で死去

声の出づらさからその体調を不安視する視聴者の声も寄せられていたという衣笠祥雄さんですが、最後のメディア出演から4日後の2018年4月23日に死去されます。

この衣笠祥雄さんの死去はあまりにも突然のことであったということもあり、多くのメディアがニュースとして大きく取りあげました。71歳といえば、まだ死去には早いという印象もありましたので、ファンたちも大きなショックを受けたようです。

広島カープで数々の成績を残し、その貢献度も多かった衣笠祥雄さんですが、死去の5日後の試合である広島カープ対阪神タイガース戦は衣笠祥雄さんの追悼試合として行われました。

広島カープの監督・コーチは全員喪章を付けて試合に臨み、試合前には衣笠祥雄さんに対して黙祷も行われたそうです。葬儀・告別式は家族とごく親しい関係者だけでしめやかに行われたそうです。

衣笠祥雄さんの生い立ちは?

衣笠敏夫さんの父母や生い立ちについても詳しく見ていきましょう。少し複雑な生い立ちだったという衣笠敏夫さんですが、どのような父母を持ち、どのような生い立ちだったのでしょう?衣笠敏夫さんの父母と生い立ちについて紹介します。

1947年生まれの京都市出身

衣笠祥雄さんは1947年に京都市に生まれました。ただ、幼少期に父母は離婚をしているそうです。そのため、衣笠祥雄さんは京都にいる母方の祖父に育てられるという複雑な生い立ちだったそうです。

母親はのちに再婚し、衣笠祥雄さんは義父と母と4畳の部屋に暮らしていたそうですが、貧しい家族の家計を助けるために、子供の頃から新聞配達をしていたそうです。

父はアフリカ系アメリカ人でハーフ

実は衣笠祥雄さんの父は進駐軍の兵士として日本に駐留中だったアフリカ系アメリカ人だったそうで、母親は日本人ではありますが、衣笠敏夫さんはハーフということになります。

1947年といえば、日本は戦後間もない時期ということもあり、進駐軍がまだ国内にいた時代でした。ですので、衣笠祥雄さんのような複雑な生い立ちの子供が生まれることも少なくなかったようです。

中学で柔道部がなくて野球部へ

そんな複雑な生い立ちの衣笠祥雄さんですが、中学時代から野球を始めます。中学は地元の京都市立洛東中学校に通っていました。

実は衣笠祥雄さんは本当は中学で柔道をやりたかったのだそうです。しかし、京都市立洛東中学校には柔道部がなかったということで野球部を選びました。衣笠祥雄さんはこの中学時代から、野球の才能を開花させ、頭角を現していきます。

高校3年時に甲子園でベスト8に

高校も京都の平安高等学校に進学し、衣笠祥雄さんはここでも野球部に入部します。平安高等学校は野球の名門校として有名な高校でもありました。

1964年、衣笠祥雄さんが高校3年生の時、平安高等学校は春と夏の甲子園に出場します。この時には衣笠敏夫さんは捕手として出場しており、どちらの大会でもベスト8というチームの成績に貢献しました。

1965年に広島カープに入団・内野手に

高校を卒業した衣笠祥雄さんは、1965年に広島カープに入団し、プロ野球選手としての道を歩み始めます。

小柄で身体が丈夫ということで有名だった衣笠祥雄さんは、この広島カープ時代、負傷しても休まずに試合に出場していました。そんな衣笠祥雄さんの野球に対する姿勢は「長嶋茂雄を超える」と言われたこともあるそうです。

「鉄人」の愛称で引退まで活躍

衣笠祥雄さんは数々の成績を残していますが、「鉄人」と呼ばれるのは、そうした成績もさることながら、頑丈で滅多に休むことのなかった野球に対する姿勢への尊敬もこめた愛称でもあるようです。

1975年には広島カープが球団史上初めてリーグ優勝を飾りますが、この時にも衣笠祥雄さんの貢献が大きかったと言われています。

国民栄誉賞授与し背番号「3」が永久欠番に

衣笠祥雄さんの背番号は入団当初は28で知られていましたが、1975年に当時の監督であったジョー・ルーツ監督によって3塁手に起用され、この時から背番号も「3」になりました。

この衣笠祥雄さんが現役時代に付けていた背番号「3」は、現在広島カープの永久欠番となっています。1987年に衣笠祥雄さんが国民栄誉賞を受賞してその後引退しますが、この引退時にこれまでの栄誉をたたえ、永久欠番が決定されたのだそうです。

鉄人・衣笠祥雄さんの成績がすごい!

衣笠祥雄さんの現役時代の成績は、さすがに鉄人と呼ばれるだけあって凄いと言われています。衣笠祥雄さんはどのような成績をあげたのでしょうか?その現役時代の成績について詳しく見ていきましょう。

連続試合出場日本1位(世界2位)

衣笠祥雄さんの成績といえば、何と言っても連続試合出場日本1位が有名です。衣笠祥雄さんはたとえ負傷しても試合に出るということでも知られており、この記録は世界でも第2位ということで、その名声は野球の本場アメリカにも広がっているそうです。

この記録を打ち立てたのは、1987年の10月22日のことでした。連続試合出場の最終的な成績ですが、2215試合連続出場というものだったそうです。

連続フルイニング出場日本2位(世界3位)

さらに衣笠祥雄さんは鉄人的な成績を打ち立てています。それは連続フルイニング出場日本2位という記録です。この記録は世界では3位となっています。

この連続フルイニング出場の記録ですが、1974年4月17日から1979年5月27日にかけてのことで、678試合を連続フルイニング出場されたそうです。

三振を恐れないフルスイング

衣笠祥雄さんが称賛されるのは、成績だけではありません。その野球に向き合う姿勢こそが、多くの人が衣笠祥雄さんを愛してやまない理由なのではないでしょうか?

衣笠祥雄さんは三振を恐れることなく、いつもフルスイングだったそうです。前日にデッドボールで左の肩甲骨を骨折するという怪我を負っていたときも、衣笠祥雄さんは試合に出場し、江川卓さんの投球に対し、フルスイングで三振という記録を残しています。

衣笠祥雄さんの名言・格言

衣笠祥雄さんは多くの名言や格言も残されているそうです。実は衣笠祥雄さんはその現役時代、デッドボールの数が多いことでも知られていました。

そのデッドボールについて衣笠祥雄さんは「死球は投手の投げ損ないと打者のよける技術の不足が重なったもの」という名言をこのしています。さらに「怒るのは自分の責任を棚に上げ他人を責めるに等しい」とも言っておられ、その人格の高さがうかがえます。

実績があるのに監督をやらない理由

衣笠祥雄さんは現役引退後、プロ野球解説者やタレントなどとしては活動されましたが、球団の監督はされたことがありませんでした。

その理由についてはオーナーとの確執など、憶測も含めてさまざまあるようです。ただ、事実はあくまでも本人の意思ということのようです。もったいない気もしますが、監督という仕事の責任の重さを理解しているからこその選択だったのかもしれません。

衣笠祥雄さんの家族は?息子と娘も調査

衣笠祥雄さんの家族についても詳しく見ていきましょう。娘や息子がいるという噂もあるようですが、本当なのでしょうか?衣笠祥雄さんの家族について調べてみました。

衣笠祥雄さんの妻の名前は正子

衣笠祥雄さんの妻ですが、一般人であるようですので、詳しい情報などは分かりませんでした。ただ、衣笠祥雄さんは若い頃、「でかい家を買って綺麗な女と結婚する」という夢があったのだそうです。

ですので、おそらく妻となった女性は美人なのではないかと想像できます。名前は判明しており「正子」というのだそうです。

妻は偏食家の夫の為に京都料理店に弟子入り

衣笠祥雄さんの妻に関するプライベート情報は、その父母の情報なども含めて不明な点が多いですが、あるエピソードが判明しています。

それは、偏食家である夫の衣笠祥雄さんのために、妻は京都料理店に弟子入りされたことがあるというものです。京料理の世界は厳しいですから、生半可な気持ちでは弟子入りはできなかっただろうと考えられます。

息子は元俳優・衣笠友章

衣笠祥雄さんの家族についてさらに詳しく見ていきましょう。妻との間には息子が一人いるということで、衣笠祥雄さんは一児の父でもあったようです。

この息子ですが、実は俳優をしていたこともあったのだとか。息子の名前は衣笠友章といいます。息子は人気ドラマ「ショムニ」や大河ドラマ「北条時宗」などに出演していましたが、現在は俳優を引退しているようです。

俳優を引退後の息子ですが、現在は会社員をしているということです。息子がどこの会社に通っているかなどの詳細については判明しませんでした。

また、息子の年齢は1977年4月23日生まれで現在41歳になるようです。息子が結婚しているのかどうかについても調べてみましたが、現在は一般人となっているために結婚の情報については判明しませんでした。

衣笠祥雄さんの娘はアナウンサー衣笠梨代?

衣笠祥雄さんの家族ですが、息子だけではなく娘もいるという噂があります。その娘というのがテレビ新広島のアナウンサーの衣笠梨代さんではないかと言われているようですが、本当に娘なのでしょうか?

調べてみたところ、衣笠梨代さんは娘ではないようです。では、なぜ娘だという噂が広がってしまったのでしょうか?

実は衣笠梨代さんは広島カープの始球式を行ったこともあり、加えて名字が「衣笠」ということもあり、衣笠祥雄さんの娘ではないかと噂になってしまったようでした。

しかもこのときに衣笠梨代さんが着ていたユニフォームが、衣笠祥雄さんの背番号「3」のオールドユニフォームだったこともあり、さらに娘ではないかという噂が大きく広がってしまったということのようです。

衣笠祥雄さんは野球と向き合い続けたレジェンド

元プロ野球選手で鉄人の愛称でも親しまれた衣笠祥雄さんについて紹介してきました。衣笠祥雄さんは数々の記録を打ち立て、広島カープに多大な貢献をした選手として今も讃えられ、その背番号「3」は永久欠番になっています。

2018年に大腸ガンが死因で死去された衣笠祥雄さんですが、その功績は今後も末永く語り継がれることでしょう。衣笠祥雄さんのご冥福をお祈りします。

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この記事のライター
春日つぼね

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