【日野OL不倫放火殺人事件】北村有紀恵の生い立ち!事件のその後から現在まで
日野OL不倫放火殺人事件を知っていますか?北村有紀恵は日野OL不倫放火殺人事件の犯人として現在もなお服役をしています。今回は、北村有紀恵の生い立ちからみていくとともに、事件を犯した経緯、そして裁判の行方や現在に至るまでについて迫っていきたいと思います。

目次
北村有紀恵とは
北村有紀恵とは、日野OL不倫放火殺人事件を1993年に起こし、犯人として無期懲役の判決を受けている人物です。では北村有紀恵とはどのような人物なのでしょうか?今回は、北村有紀恵の生い立ちをみていくとともに、事件を起こした経緯や裁判の行方などについてご紹介していきましょう。
日野OL不倫放火殺人事件の犯人
北村有紀恵は上司との不倫の末、東京都日野市にある上司のマンションに火を放ち、部屋に居た子供たちを殺してしまった放火殺人事件の犯人です。なぜ上司と不倫関係になってしまったのか、どうして不倫から放火殺人事件へと発展してしまったのかについては、後に詳しくご説明します。
北村有紀恵の生い立ち
まずは殺人事件の犯人となった北村有紀恵の生い立ちを見ていきましょう。北村有紀恵の生い立ちを見ていくと、自ずと事件に至った経緯や北村有紀恵の心理がみえてきます。
東京の下町で生まれる
昭和41年(1966年)8月7日に東京の下町で生まれた北村有紀恵。北村有紀恵が育った具体的な街については分かっていませんが、父親は印刷業を営んでいて自宅の一部が仕事場となっていました。
幼い頃から父の背中を見て育った北村有紀恵は、小さい頃から自分で何でもできる頭の良い子供だったと言われています。
学生時代は成績優秀
そして頭脳明晰な子供だった北村有紀恵は、小学生の頃からピアノや踊り、習字、お茶など様々な習い事をします。どの習い事もそつなくこなしていた北村有紀恵。近所からの評判も良く、「かわいくて頭の良い子だね」と声を掛けられることもありました。
そんな小学生時代を過ごした北村有紀恵は、将来を見据えて中学受験をします。受験の結果、赤坂にある私立の女子中学・山脇学園へ入学をし、高校卒業までの6年間を山脇学園で過ごしたようです。ちなみに山脇学園は名門女子中学として有名な学校です。
東京都立大学に入学
順風満帆な高校生活を過ごされた北村有紀恵は、その後大学へ進学しました。大学は東京都立大学(現在は首都大学東京)の理学部数学科へ合格されました。
東京都立大学の理学部への入学はとても難しく、浪人することなく合格をされた北村有紀恵は、とても頭が良かったことだと想像ができます。特に北村有紀恵が受験生だった当時は、第二次ベビーブームの頃でした。そのため大学へ進学する人が多く、受験競争は過酷だったと考えられます。
大学時代の北村有紀恵は、明るい性格で几帳面。そしてとても真面目だったようです。理学部の数学科は女子学生よりも男子学生の方が多い学科です。そのため北村有紀恵は、男子学生からは一目置かれるような存在だったと言われています。
大学時代も恋愛経験はなかった
可愛くて頭脳明晰な北村有紀恵は、学生時代とてもモテてたと言われています。様々な男子学生が声を掛け、交際を求めますが、北村有紀恵はそれら全てを断っていました。
なぜ恋人を作らなかったのかは不明ですが、おそらく学問に力を注ぎたかったからだと考えられます。北村有紀恵の真面目な性格が伺えます。そして大学時代は恋人と呼ばれる存在が一人もいなかった北村由紀恵。そのまま卒業をし、就職をされます。
卒業後日本電気(NEC)に入社
北村由紀恵は、大学卒業後の平成元年(1989年)4月に日本電気(現在はNEC)へ入社をされました。当時はコンピューター技術が徐々に進歩していっている最中で、技術者の採用はとても力を入れていたと考えられます。事実、北村由紀恵は技術職として就職をされています。
入社後の北村有紀恵は数か月間研修をし、その後「ソフトウェア事業部ネットワーク開発部員」として本格的に働くようになります。北村有紀恵が担当していたのはSE(システムエンジニア)でした。
北村有紀恵が配属されたのは東京の府中市にある工場です。そこで後の不倫相手となる原田幸広と出会うのです。原田幸広は北村有紀恵の上司として、一緒に働き始めるようになります。
2人のこの出会いがきっかけで、後に起こる日野OL不倫放火殺人事件へと発展することになるとは、まだ誰も分かりませんでした。
日野OL不倫放火殺人事件の概要
ここからは日野OL不倫放火殺人事件の概要を詳しく説明していきます。なぜ上司と部下の関係であった2人が不倫関係になり、そして放火殺人事件が発生してしまったのか見ていきましょう。
北村有紀恵は上司と不倫関係になる
北村有紀恵の上司となった原田幸広は、長身でかっこよく同僚女性からとてもモテていたと言われています。
まだ社会人になって日が浅い北村有紀恵は、そんな原田幸広の部下となり最初の頃はとても尊敬をしていました。7つも年上である原田幸広に対し、憧れの対象でもあったことでしょう。また上司と部下という関係柄、2人きりでいることも多いためなのか、次第に2人はデートをする関係へと変化を遂げました。
最初の頃は、ただデートをするだけの関係だった2人。デートの回数を重ねるうちに、2人はどんどん親密となっていきます。
それまで誰とも付き合ったことのない北村有紀恵にとって、原田幸広とのデートはとても刺激的だったことでしょう。親密になるにつれ、2人の呼び方は「師匠」「キャシー」などと変化していくようになりました。
ただどんなに親密になっても、デート以上の関係は持ちませんでした。北村有紀恵の中で、肉体関係になったらマズいと考えたのかもしれません。
しかしもっとデートをしたいと思った北村有紀恵は、1人暮らしをするようになります。北村有紀恵は不倫相手の自宅と同じ日野市で、1人暮らしすることを選んだのです。親密になるにつれ、徐々に北村有紀恵は結婚を意識するようになりました。
花火大会の後初めて関係を持つ
決して体の関係を許してなかった北村有紀恵ですが、多摩川で行われた花火大会デートでその関係に変化が訪れます。花火大会が行われたのは平成3年8月6日で、北村有紀恵の誕生日の前日でもありました。
この日、北村有紀恵は原田幸広から誕生日プレゼントとしてラジカセとCDをプレゼントされます。そしてそのまま北村有紀恵は、自身のアパートで原田幸広と初めて関係を持ちました。この日がきっかけとして、北村有紀恵はどんどん不倫にのめりこんでいくようになります。
2度も子供を中絶する
花火大会の夜に初めての関係を持って以降、北村有紀恵のアパートに頻繁に泊まるようになっていく不倫相手。妻子がいるのにも関わらず、週に数回も泊まるときがありました。
そして初めて関係を持った翌年の平成4年4月、北村有紀恵は身ごもっていることを知ります。すぐに原田幸広に相談するも、「今は時期じゃないから堕ろしてほしい」と言われ、それに従い中絶を行いました。
実はこの時、原田幸広の妻は臨月で出産間近だったのです。泣く泣く不倫相手との子を諦めてしまった北村有紀恵ですが、中絶した2週間後に会社のイベントで原田幸広の妻に会う機会がありました。
お腹の大きな原田幸広の妻を見て、悔しさと不倫相手の無神経さに涙してしまいますが、それにも関わらず2人の関係は壊れることはありませんでした。
そして、平成5年に再び妊娠が発覚しました。しかし北村有紀恵は2度目の妊娠を原田幸広に相談する前に、中絶手術を決めました。それは北村有紀恵の中で、もう不倫関係を終わりにしたいとどこかで思っていたようです。
不倫相手に嘘をつかれる
北村有紀恵がここまで不倫にのめりこんでしまった理由はなんでしょうか?それは不倫相手がついた嘘が関係しています。
最初の関係を持った時からずっと、北村有紀恵に対し「妻みたいなタイプと結婚するつもりはなかった」「妻とは別れる」「キャシーと一緒になりたい(結婚したい)」といった言葉を次々に発したのです。
恋愛に慣れていなかった北村有紀恵はこの言葉を信じ、ずっと妻と不倫相手が別れることを待ち続けていました。しかし、不倫相手と妻は離婚することはありませんでした。それどころか不倫相手は妻に対し、「別れたい」と相談することすらしていなかったのです。
不倫が発覚し精神的に疲弊
2度目の中絶手術をした約1か月後の平成5年(1993年)5月、とうとう妻が夫が不倫していることを知ってしまいます。不倫が発覚したきっかけは家の電話でした。たまたま妻が電話をかけようとリダイヤルボタンを押したところ、北村有紀恵にかかってしまうのです。
妻は仕事から帰宅した夫に詰め寄ると正直に白状。怒った妻は夫を平手打ちをした後、その場で北村有紀恵に電話をかけて別れるように言いました。
不倫がばれてしまった北村有紀恵は、相手の妻に対し「すみません」と何回も何十回も謝ります。2年もの間、夫が不倫していたことに対し、当たり前ですが妻は謝罪だけでは許せる気持ちにはなれませんでした。
次の日から毎日のように北村有紀恵に電話をかけ、ありとあらゆる暴言を浴びせるようになります。そして北村有紀恵は自分が悪いという気持ちと、毎日の電話から次第に精神的に疲労してくようになりました。
合鍵で不倫相手の原田幸広宅に侵入
精神的に疲れてしまったある日、妻は電話で北村有紀恵に対し「あなたは、生きた子どもを平気でお腹から掻き出すような人なのよ」と言い放ちます。
それまでひたすら謝るだけだった北村有紀恵の中で、何かがプツンと切れてしまい不倫相手の子供を殺すことを決意します。それは自分自身が責められるのなら分かるけど、中絶した子供たちまで責めるのは許せないという気持ちだったからでした。
そして不倫相手の自宅へ侵入することを決め、平成5年の12月14日に実行に移します。自宅への侵入は、以前不倫相手からもらった合い鍵を使いました。
ガソリンをまいて放火し逃走
12月14日の朝、北村有紀恵は妻が不倫相手と一緒に出ていくことを確認して自宅へ侵入します。その手にはガソリンが入ったペットボトル5本分とポリタンクが握られていました。
指紋が付かないようにハンカチを使って部屋に侵入すると、あろうことかコタツがある居間にガソリンを巻き始めます。そして、テーブルの上にあった不倫相手が吸ったタバコの吸い殻を見つけると、それに火をつけ放火しようとしました。
しかし簡単には火が付かなかったため、今度はテーブルの上に合ったダイレクトメールに火をつけようとしますが、これも失敗。最終的に自分の手に持っているハンカチに火がついていることに気が付き、それを振り払うようにしてハンカチを落としてしまいます。その一瞬でガソリンに引火し、爆発が起こってしまったのです。
爆発によって北村有紀恵は玄関外まで吹き飛ばされ失神。けれどもすぐに意識が戻り、爆発した現場から逃走してしまいました。
就寝中の幼児2人の焼死体が発見
爆発した不倫相手の家には、当時6歳の長女と1歳の長男が寝ていました。6歳の長女は居間の奥にあった寝室で寝ていましたが、爆発の衝撃で両腕が焼失、頭蓋骨が損傷し大脳が見えた見るに堪えない無惨な状態で発見されます。
そして1歳の長男も寝室で、両腕と膝から下がなくなった状態で発見。何も罪がない幼い子供2人が犠牲となってしまいました。
日野OL不倫放火殺人事件の裁判
あろうことか幼い2人の子供を殺した北村有紀恵。その後逮捕されますが、裁判の行方はどうなったのでしょうか?ここからは日野OL不倫放火殺人事件で逮捕に至った経緯や裁判の結果について紹介していきます。
事件の2ヶ月後に北村有紀恵が出頭
ガソリンが引火したことよって爆発が起こり、自身も傷を負った北村有紀恵。放火事件後に川崎市にある病院に通うようになります。この病院通いがきっかけで、警察は北村有紀恵を犯人としてマーク。北村有紀恵自身も警察に疑われていることを薄々きがつくようになります。
そして放火事件から2か月たった平成6年(1994年)2月6日。北村有紀恵は父親に付き添われて警察へ出頭します。
北村有紀恵は無期懲役が確定
その後、平成8年(1996年)に裁判が行われ無期懲役が求刑されます。しかしながら北村有紀恵側の弁護団は、不倫相手から「妻とは別れる」「妻とは結婚するつもりはなかった」といった数々の虚言に騙されていたことによる心神喪失状態だったため情状酌量の余地がある、と訴えていました。
そしてこの裁判は最高裁まで争われましたが、平成9年7月17日に上告を棄却し、北村有紀恵の無期懲役が確定します。
争点は子供に対する殺意の有無
裁判の争点は、「子供に対する殺意があったのかなかったのか」でした。最初の供述では、北村有紀恵は「室内に火を放った時子供たちが寝ているのが分かっていた」「子供を失った気持ちを味わいさせてやりたかった」と話していました。この時点では、子供に対する明確な殺意があったことが分かりますよね。
しかしながら、裁判が終わり服役された後日発表された手記によると「審理の内容にはまったく納得していません」と答えています。つまり、北村有紀恵の中で「子供を殺すつもりはなかった」ということになります。
火を放った当時は心神喪失状態だったとしても、子供が寝ている横でガソリンに火を付けたらどうなるのかはだれでも分かります。そして、子供が殺されてしまったのは紛れもない事実なのです。
賠償金は4500万円で和解成立
この事件の裁判とは別に、被害者夫婦は子供が殺されたことによる損害賠償裁判が行われました。この裁判によって北村有紀恵の両親に対して1500万円の賠償金を支払うこと。そして北村有紀恵自身には3000万円の賠償金が支払うことが決定し、和解が成立となりました。
子供2人が犠牲となってしまった事件ですが、裁判の結果の賠償金の額が少ないととるか多くとると考えるかは個々の意見によるでしょう。ただ例え賠償金を支払ったとしても、子供の命が戻ってくるわけではありません。
不倫相手の原田幸広に非難の声も
この凄惨な事件は、もちろん悪いのは犯人である北村有紀恵です。しかしながら、世間は不倫相手である原田幸広に対し非難の声があがりました。特に北村有紀恵の弁護士が裁判で主張した内容が、不倫相手の嘘ばかりな発言の数々が明らかになったからです。
妻と離婚するつもりはなかったのにもかかわらず、北村有紀恵に対し「一緒になりたい」「離婚をするために話し合う」と言い騙し続けた上に、弄んだ原田幸広。北村有紀恵が事件を犯した背景には、不倫相手の数々の言動が深く関係しています。それ故に「不倫相手も悪い」と言う風潮となりました。
北村有紀恵のその後から現在
日野OL不倫放火殺人事件が起きてから2019年で26年が経過しています。北村有紀恵は今現在、何をしているのでしょうか?裁判が行われたその後から、現在に至るまでの北村有紀恵についてご紹介していきます。
北村有紀恵は現在服役中
約20年前に無期懲役の判決を受けた北村有紀恵の現在は、服役中となっています。無期懲役のため、今後は出所する可能性もあります。
現在の日本では無期懲役の刑が確定してから、30年以上経ってから出所するケースが多いです。そのため、北村有紀恵もあと10年以上は服役されていると考えてよいでしょう。
そして北村有紀恵は、2016年に刑務所内の制限区分で「2種2類」に昇格をされました。刑務所では受刑者に対し、行動を制限するための4つの区分を行っています。それにプラスして外部との連絡を取れたりする優遇措置が5種類に区分されています。
更生が感じられると昇格ができるというシステムとなっていて、北村有紀恵が昇格したという「2種2類」は、親などと接見ができる上に電話も可能となります。
キリスト教に入信し供養を捧げる
服役している北村有紀恵は、キリスト教に入信をし、殺人を犯してしまった罪についてや殺した子供たちに対し供養を毎日捧げているそうです。さらに刑務所で得た僅かながらの作業報奨金を貯め、年に1度被害者夫婦に送金をしています。
そして北村有紀恵の両親もまた営んでいた製版所を売り払い、すべてを賠償に充てる生活をしています。子供たちの供養を毎日行っており、命日には法要も行っているそうです。それでも自責の念は消えることがなく、関東や関西など様々な地域のお寺に行っては供養をしています。
月刊「創」に手記が掲載される
2002年には月刊誌「創」によって北村有紀恵の手記が発表されます。手記は3度に渡り「創」で公表され、話題となりました。
手記の中で北村有紀恵は裁判について触れ、「刑については何も不満はない」とした上で、「中絶をしたことによって死刑になって当然だと思っていた」と綴り、さらには「ただ控訴したのは、審理について納得がいかなかったから」と述べられました。
日野OL不倫放火殺人事件のその後
事件が起きてから既に30年が経過して、人々の記憶から消えてしまってきている「日野OL不倫放火殺人事件」。事件後、被害者夫婦はどうなったのでしょうか?その後について迫っていくとともに、日野OL不倫放火殺人事件をモデルとした小説作品についてご紹介します。
原田幸広は日本電気を実質解雇
不倫相手の原田幸広は、事件が起きてから早々に日本電気を退職されました。形式上は自ら願い出て退職したことになっていますが、実質解雇されたと考えてよいでしょう。
子供2人を殺されてしまった被害者とは言え、不倫をしていたのは事実です。自身の欲望のままに行動したことによって事件は起こってしまったことに対して、どう思ったのかは分かりません。ただ軽い気持ちで不倫した代償は、あまりにも大きな結果となってしまったと言わざるを得ません。
原田夫妻は事件後に1男1女を出産
罪深いことを犯した不倫夫を、妻は許さないと思うのが普通です。ましてや夫の不倫によって、可愛い盛りの幼子が2人も亡くなってしまったのです。妻は事件後、夫に対し離婚を申し出たのかもしれませんが、夫婦は離婚と言う選択をしませんでした。
そして、数年が経った後に夫婦の間に再び子供を授かり、現在は1男1女の2人の子供が生まれています。子供の具体的な年齢は分かっていませんが、2人の子供を授かったことから夫婦の関係は元に戻ったようです。
ただ事件を思い出してしまうことや、世間の目を考えて現在は東京から離れて暮らしているようです。東北南部地方に引っ越しをしたと言われていて、そこで静かに暮らしています。
映画「八日目の蝉」のモデルに
この事件を元にして映画「八日目の蝉」が制作をされます。「八日目の蝉」は角田光代さん原作の小説で、2005年から2006年にかけて読売新聞で連載をされていました。2007年に単行本が発売され、そのリアリティ溢れる心情や内容から話題作としてヒットします。
「八日目の蝉」は、不倫相手の子供を誘拐し育てる女と、育てられた子供の苦悩について描かれている内容となっています。
作品はその後、2010年にドラマ化され、2011年に映画化されました。主演は井上真央さんで、「優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした」というキャッチコピーが衝撃的だと話題となり、映画は大ヒットとなります。
ただ「日野OL不倫放火殺人事件」をモデルにしたと言われていますが、あくまで噂です。そのため、本当に題材としたのかについては断定できません。
北村有紀恵は同情の余地もない凶悪犯
日野OL不倫放火殺人事件の犯人である北村有紀恵について迫ってきました。事件が起きてから長い月日が経ち、徐々に風化していっているとはいえ、事件の悲惨さは忘れてはいけません。
そして、何も罪もない幼い子供が無惨にも殺されてしまった北村有紀恵には、同情の余地もありません。今後、このような悲しくて凄惨な事件が2度と起こらないことを祈りたいと思います。