小林竜司死刑囚の生い立ち!残虐な犯行や判決も【東大阪集団暴行殺害事件】

2006年に発生し世間に衝撃を与えた東大阪集団暴行殺害事件。主犯として逮捕されたのは小林竜司という男性ですが、どのような人物だったのでしょうか?小林竜司の生い立ちから犯行までの流れ、事件後の判決内容などについて詳しくご紹介していきます。

小林竜司死刑囚の生い立ち!残虐な犯行や判決も【東大阪集団暴行殺害事件】	のイメージ

目次

  1. 1小林竜司とは
  2. 2小林竜司死刑囚の生い立ち
  3. 3小林竜司の残虐な犯行の真相
  4. 4東大阪集団暴行殺害事件に関わった小林竜司以外の犯人
  5. 5東大阪集団暴行殺害事件発覚から小林竜司逮捕までの経緯
  6. 6小林竜司など東大阪集団暴行殺害事件犯人の判決
  7. 7小林竜司の現在
  8. 8小林竜司の生い立ちは壮絶で母親思いな一面もある死刑囚

小林竜司とは

小林竜司という男性の名前をご存知でしょうか?小林竜司は一般人ではあるものの、現在はその名前が広く知られています。その理由とは、2006年に発生して世間に衝撃を与えたある残虐な事件の主犯として逮捕されたからです。

東大阪集団暴行殺害事件の主犯

小林竜司は起こした事件は、2006年6月19日に発生し世間に衝撃を与えた事件・東大阪集団暴行殺害事件です。東大阪集団暴行殺害事件は集団リンチによる殺害事件で、なんと被害者2人は生きたまま埋められて殺害されてしまったのです。

集団でリンチし暴行を加えた上、生きたまま埋めて殺害してしまったという残虐な行為は瞬く間に世間に衝撃を与え、その主犯として逮捕された小林竜司がいかに恐ろしい人物かと当時はメディアがこぞって報じていました。その為、小林竜司の名は現在も広く知られており、残虐な殺害事件を起こした犯人として知られているのです。

小林竜司死刑囚の生い立ち

ここからは東大阪集団暴行殺害事件の主犯である小林竜司の生い立ちについて詳しく見て行きましょう。日本史に残るような残虐な事件を起こした犯人は、複雑な生い立ちや騒然な生い立ちを経て殺人犯へと成長してしまったという印象があります。

小林竜司も被害者を集団でリンチした後に生き埋めにするという残虐極まりない殺害事件を起こしていますが、生い立ちに何か原因があったのでしょうか?小林竜司の父親や母親、そしてその生い立ちについて詳しく見て行きましょう。

生い立ち①父親からの虐待

小林竜司の生い立ちについて調べてみると、幼少期に父親からの虐待を受けて育っていたという事が明らかになりました。どうやら小林竜司の父親はギャンブルにのめり込んでいたようで、虫の居所が悪いと小林竜司の両手を縛りあげて外に放り出すなどを行っていたそうです。

また、小林竜司の父親は殴るなどの暴力行為も日常的に行っていたそうです。小林竜司の生い立ちを記した著書によると、小林竜司の他にも弟や母親も父親からの暴力を受けていた事が明かされています。小林竜司は、幼い頃には母親や弟と共に父親からの虐待に耐え忍ぶ生活を送っていたようです。

生い立ち②中学時代の友人は佐藤勇樹

小林竜司の生い立ちについて調べていると、学生時代はいじめの被害にも遭っていた事が明らかになっていました。いじめられるきっかけとなったのは、小林竜司が小学生の頃に粗相をしてしまった事が発端だったそうです。これがきっかけで、小林竜司は小学校から中学校までは同級生からいじめられる生活を送る事となってしまったのです。

しかし、そんな小林竜司にも全く友人がいなかったという訳ではないようです。後に詳しくご紹介していきますが、小林竜司の中学生時代の友人には東大阪集団暴行殺害事件の犯人として小林竜司と共に逮捕された佐藤勇樹がいた事が明らかになっています。

生い立ち③母親思い

ここまでの生い立ちを振り返ってみると、小林竜司は集団リンチの後に生き埋めにするという残虐な事件を起こしていながらも、同情させられてしまうような複雑な生い立ちを経験してきた人物のような印象を受けてしまいます。実際に、小林竜司の周囲の人物からは母親思いの一面のある優しい人物だったという証言も出ていたようです。

小林竜司は東大阪集団暴行殺害事件の裁判の際にも、母親や周囲を気にするような発言をしていたそうです。それほど、小林竜司にとっては母親が大事だったのでしょう。幼少期には父親から虐待を受けていたそうですが、唯一母親だけは小林竜司の見方となって守ってくれていたのかも知れません。

小林竜司の残虐な犯行の真相

ここからは小林竜司の起こした東大阪集団暴行殺害事件の概要について詳しくご紹介していきます。集団でリンチの後に被害者を生き埋めにするという残虐な事件ですが、一体何が発端となってこのような残虐な事件が発生していたのでしょうか?

また、被害者が生き埋めにされて殺害されていたという事ですが、どのようにして事件が発覚していたのかについても気になる所でしょう。東大阪集団暴行殺害事件が発生した経緯や小林竜司の行動、被害者はどのようにして殺害され事件が発覚したのかについて詳しく見て行きましょう。

2006年の集団リンチ事件が全ての始まり?

東大阪集団暴行殺害事件の発端は、殺害事件の加害者である徳満優多と佐藤勇樹が集団でリンチを受けた事件が発端となって発生しています。一見するとどういう事なのか分かりにくい状況ですが、結論から言うと集団リンチ事件の加害者が後に東大阪集団暴行殺害事件の被害者となってしまったという事です。

実は東大阪集団暴行殺害事件の加害者として小林竜司と共に逮捕されていた徳満優多と佐藤勇樹は、被害者となってしまった男性2人とその仲間から集団でリンチされるという事件の被害者だったのです。そしてその後身の危険を感じた徳満優多と佐藤勇樹らが結束し、集団リンチ事件の加害者であった男性2人を生き埋めにして殺害したのです。

友人たちの恋愛トラブルでリンチ事件に

まずは集団リンチ事件の発端から見て行きましょう。2006年、事の発端は後に被害者となってしまう藤本翔士と加害者となる徳満優多の恋愛トラブルが原因で発生します。徳満優多はある女性に恋愛感情を抱き、積極的にアプローチを仕掛け両想いへと発展していったそうです。

しかしこの時女性は藤本翔士と交際しており、彼女を取られると感じた藤本翔士は徳満優多と殴り合いの喧嘩をしたそうです。喧嘩の結果は藤本翔士の勝利となったそうですが、腹の虫が収まらない藤本翔士はさらに後に東大阪集団暴行殺害事件のもう1人の被害者となる岩上哲也を含む友人3人を呼び出し、徳満優多を呼び出します。

身の危険を感じた徳満優多は、友人である佐藤勇樹に事の次第を相談して2人で藤本翔士の呼び出しに応じます。そしてその場で監禁され、藤本翔士と岩上哲也を含む5人からリンチを受ける事となってしまったのです。また、リンチの際には藤本翔士が後ろ盾があると意味深な発言をして徳満優多と佐藤勇樹に金銭の要求もしていたとの事です。

小林竜司死刑囚が事件に関与

集団リンチ事件の際に金銭を要求されていた徳満優多と佐藤勇樹ですが、実はこの時50万円もの大金を要求されていたようです。この要求に困った2人が助けを求めたのが、東大阪集団暴行殺害事件の主犯として逮捕された小林竜司だったのです。

また、この時には小林竜司の次に重い刑が課せられる事となる広畑智規も相談に応じていたとの事です。そして徳満優多と佐藤勇樹からの相談を受けた小林竜司と広畑智規はリンチで仕返しをしてやろうと策を練り、地元である岡山に藤本翔士と岩上哲也を金を用意したと偽って呼び出したのです。

岡山県内の山中で起きた集団リンチ事件

そして2006年6月19日、ついに東大阪集団暴行殺害事件が発生してしまう事となったのです。金の用意が出来たとの知らせを受け、被害者となる藤本翔士と岩上哲也、そして運転手として会社員の男性1人が小林竜司らが待ち受ける岡山の待ち合わせ場所である公園に到着します。

3人の車が到着するや否や、小林竜司らは7人がかりで3人に集団リンチを行います。徐々にリンチは過激なものになっていき、その現場を通りがかった女性に目撃された事で小林竜司らは場所を移動する事を決断します。その移動先となったのが、東大阪集団暴行殺害事件の事件現場となった岡山県山中にある産業廃棄物処理場です。

藤本翔士へのリンチと生き埋め

岡山県の山中にある産業廃棄物処理場は、実は小林竜司が元々働いていた場所だったそうです。場所を移した後も小林竜司らは藤本翔士らにしばらく暴行を加え、集団リンチを続けていたそうです。そして小林竜司がその場にあった重機で穴を掘るように指示を出し、藤本翔士を生き埋めにするよう計画を企てます。

この計画に、一時は小林竜司の仲間もやり過ぎではないかと止める素振りを見せていたそうです。しかし小林竜司の「暴力団との繋がりがある以上生かしておいた方が危険」という発言から、生き埋めに同意せざるを得ない状況になってしまったそうです。

そして小林竜司らは藤本翔士を乗せてきた会社員の運転手の男性にも手伝わせて藤本翔士を生き埋めにするのです。なぜ会社員の男性まで協力させたのかは不明ですが、どうやらこの会社員の男性は最初のリンチ事件の際には無関係だったようで元々殺害する気は無く、警察へ通報される事を阻止する為に犯行に参加させたものと考えられています。

警察通報を防ぐため岩上哲也も生き埋めに

藤本翔士を生き埋めにした後、残っていた岩上哲也は一時小林竜司のマンションに連れて行かれています。そして小林竜司は知り合いの暴力団に電話をかけ、この後どうすれば良いのか指示を仰ぎます。

そして岩上哲也らに実は後ろ盾がない事が判明し、金銭を要求しようにもリンチによって瀕死の状態であった事からそのまま殺害するという決断に至ったのです。

また、殺害を決断したのには警察に通報される事を防ぐ考えもあったそうです。そして小林竜司らは岩上哲也を連れ再び産業廃棄物処理場に行き、藤本翔士同様に岩上哲也も生き埋めにしたのです。既に2人ともリンチによって瀕死の状態だった為、生き埋めにされた事で自力で脱出する事は出来ずそのまま窒息死してしまったそうです。

東大阪集団暴行殺害事件現場にいた会社員が通報

被害者2人が生き埋めになっていますが、東大阪集団暴行殺害事件はどのようにして発覚する事となったのでしょうか?実はこの時唯一の生存者となった運転手の会社員男性が通報した事で事件が発覚していたようです。

どうやらこの運転手の会社員男性は、小林竜司らに一時は監禁こそされたものの警察に通報しないという約束を交わした事で難を逃れていたようです。しかし残虐な事件を目の当たりにしていた為、いつか自分も危害が加えられるのではないかと恐怖を感じていたそうです。そして保身の為、警察に事件を通報する決断へと至ったそうです。

東大阪集団暴行殺害事件に関わった小林竜司以外の犯人

ここからは東大阪集団暴行殺害事件に関わった小林竜司以外の犯人について詳しく見て行きましょう。運転手の会社員男性が通報した事によって発覚した東大阪集団暴行殺害事件ですが、小林竜司を含む7人の男性が犯行に関与していた事が明らかになっています。

小林竜司の他にはどのような人物が逮捕されていたのでしょうか?小林竜司と同様に主犯格として逮捕され、その後どのような人物なのか、事件とはどのような繋がりがあったのかが明らかになっている3人について詳しく見て行きましょう。

東大阪集団暴行殺害事件犯人①広畑智規

まずは東大阪集団暴行殺害事件の首謀者として逮捕された広畑智規です。広畑智規は元々素行が悪かった人物とされており、学生時代には不良グループのリーダー格であった事が後に明らかになっています。広畑智規は最初に起きたリンチ事件で、被害に遭った徳満優多や佐藤勇樹から小林竜司と共に相談を受けていた1人です。

広畑智規はこの東大阪集団暴行殺害事件の事件を企てた首謀者とされており、策士であるとも表現されています。残虐な事件の主犯格は小林竜司として広く知られる事となりましたが、残虐な事件を考えついて案を練っていた広畑智規もかなりの凶悪犯である事は間違いないでしょう。広畑智規は小林竜司の次に重い刑が判決で下されています。

東大阪集団暴行殺害事件犯人②徳満優多

東大阪集団暴行殺害事件の発端となったのが徳満優多です。そもそも徳満優多が東大阪集団暴行殺害事件の被害者となった藤井翔士の彼女に恋愛感情を抱いた事こそが、この東大阪集団暴行殺害事件という残虐な事件を発生させた原因といってもいいでしょう。

実は徳満優多と藤井翔士は同じ大学の同じサークルに所属していたそうで、藤井翔士も同じサークルに所属していたそうです。当時藤井翔士と彼女はあまり上手く行っていない状態だったそうで、そんな時に徳満優多は藤井翔士の彼女にメールを送っていたそうです。それだけあって、藤井翔士は徳満優多の行動が許せなかったのでしょう。

東大阪集団暴行殺害事件犯人③佐藤勇樹

東大阪集団暴行殺害事件の重要人物としては、佐藤勇樹の名前を外す事は出来ないでしょう。佐藤勇樹は東大阪集団暴行殺害事件の発端となったリンチ事件で徳満優多から最初に相談を受けていた人物であり、さらに主犯格として逮捕された小林竜司の友達でもあります。

徳満優多から相談を受けた佐藤勇樹は、共にリンチ事件に巻き込まれ小林竜司に相談をする事を決意しています。恐らく小林竜司は佐藤勇樹に深い友情関係を感じていたようなので、佐藤勇樹からの相談に憤慨してこのような残虐な事件を起こしてしまったのではないかと推測できるでしょう。

東大阪集団暴行殺害事件発覚から小林竜司逮捕までの経緯

ここからは東大阪集団暴行殺害事件が発覚してから小林竜司が逮捕されるまでの経緯について詳しくご紹介していきます。被害者2人の運転手をしていた会社員男性の通報により発覚した東大阪集団暴行殺害事件ですが、主犯格である小林竜司はどのようにして逮捕されていたのでしょうか?

また、この事件は小林竜司の他にもリンチに加担していたとして数名の逮捕者が出ていたようです。小林竜司の他に逮捕された人物は、どのようして逮捕へと至ったのでしょうか?東大阪集団暴行殺害事件の発覚から犯人までの経緯を詳しく見て行きましょう。

東大阪集団暴行殺害事件発覚後に小林竜司を指名手配

東大阪集団暴行殺害事件は、運転手の会社員男性の通報により発覚しています。この時運転手の会社員男性は小林竜司とその友人らの犯行であると告白していた為、警察は主犯格である小林竜司を指名手配にして捜査に繰り出しています。

この時小林竜司は既に逃亡しており、警察に逮捕されないよう身を潜めていたようです。連日ニュースでは小林竜司の目撃情報を募っており、日本中が小林竜司が早く逮捕される事を願い恐れている状況が続いていたそうです。

小林竜司は母親に暴行殺害について告白

しばらく逃亡して身を潜めていた小林竜司ですが、今後に不安を覚えたのか母親に連絡をとる事を決意したようです。小林竜司は母親に連絡を入れ、人を殺害してしまった事、そして事件が発覚して今は逃亡中である事など一連の出来事を全て告白したそうです。

さらにこの時、小林竜司は母親に「逃げた1人を殺害してから自首する」といった旨の発言もしていたそうです。逃げた1人とは、東大阪集団暴行殺害事件を通報した運転手の会社員男性の事でしょう。事件を通報した事に恐らく怒りを感じての発言だったのではないかと推測されます。

息子からの告白を受けた母親は、小林竜司に自首するよう持ち掛けます。既に連日小林竜司の起こした事件の内容や指名手配中である報道が報じられていたので、母親は事の次第を知っていた事でしょう。恐らく今後息子に裁判で重い判決が下る事も想定出来た事と思いますが、これ以上罪が重くならないよう思って自首を持ちかけたと考えられます。

しかし自首を母親から持ちかけられた小林竜司からは、その後連絡がぱたりと途絶えてしまったそうです。この間の小林竜司の動向については不明ですが、恐らく自首をするかしないかについて深く考える時間をとっていたのではないかと推測されています。

母親が付き添い小林竜司は自首を決意

母親から自首を持ちかけられたその後、一旦は連絡が途絶えた小林竜司でしたが再び母親に連絡を入れています。小林竜司は母親に「自首に付き添って欲しい」といった旨のお願いをしたそうで、息子からの要望に応え母親は自首に付き添う事を承諾しています。

小林竜司は25日の深夜に母親、そして弟夫婦と共に玉野警察署に出頭して自首をしています。実はこの前日の24日には小林竜司と共に犯行に加担した友人らが集まっており、「4人で犯行を行った」という方向性で自首する事を協議していたようです。

この時の4人が誰だったのかは明らかになっていませんが、小林竜司が含まれていた事は明白です。そして他3人が当日中に自首しており、翌日に小林竜司は母親と弟夫婦に付き添ってもらい自首という形になったそうです。

そして小林竜司の自首から2日後の27日、ついに生き埋めにされてしまった被害者2人が発見されています。被害者2人は顔がひどく膨れ上がった状態で生き埋めにされており、遺体の損傷はかなり激しい状態だったそうです。既に瀕死の状態で生き埋めにされていたという事でしょう。

リンチに関与した9人を逮捕

被害者2人の遺体が発見された翌日の28日、リンチに関与していた小林竜司の友人らも逮捕される事となります。リンチに関与したのは小林竜司や共に既に逮捕されていた3人、そして残り5人の友人です。計9人が逮捕され、東大阪集団暴行殺害事件は幕を閉じる事となったのです。

なぜ9人全員が逮捕となったかは定かではありませんが、自首する際に4人でやった事にすると協議した上で自首をしていたので誰かが関与していた他5人の存在を打ち明けていたのでしょう。実際に殺害していなかったとしても、リンチに関与していたという事なので逮捕に至ったものと推測されます。

小林竜司など東大阪集団暴行殺害事件犯人の判決

ここからは東大阪集団暴行殺害事件の犯人である小林竜司、そして友人ら8人の計9人に下された判決について詳しくご紹介していきます。東大阪集団暴行殺害事件は2006年6月28日に犯人全員が逮捕され、事件の翌年である2007年には裁判が執り行われて全員に判決が下っています。

主犯格である小林竜司には当然かなり重い刑が課せられていますが、判決内容はどのようなものだったのでしょうか?また、共に逮捕された他の友人ら8人にはどのような判決が下されていたのでしょうか?東大阪集団暴行殺害事件の加害者9人全員の裁判で下された判決について詳しく見て行きましょう。

東大阪集団暴行殺害事件の判決①小林竜司は死刑判決

まずは東大阪集団暴行殺害事件の主犯格として逮捕された小林竜司の判決について見て行きましょう。小林竜司には2007年に執り行われた裁判で死刑が求刑されています。これは小林竜司が被害者2人を殺害に至るまでに事件をエスカレートさせてしまった事を重く受け止めての求刑だったそうです。

しかし小林竜司はこの死刑判決に控訴しており、死刑判決の取り消しを求めています。その後小林竜司の死刑判決については最高裁までもつれ込んでいますが、2011年3月25日、最高裁判所は小林竜司の上告を棄却して死刑判決を下しています。

最高裁までもつれ込んでいたので、2011年3月25日の判決をもって小林竜司の死刑は決定した事になります。今後免罪であったという事がない限り、小林竜司の死刑判決が変わる事はありません。それほど小林竜司の行った行為は非道で残虐極まりない行為であったと判断されたのでしょう。

東大阪集団暴行殺害事件の判決②広畑智規は無期懲役

東大阪集団暴行殺害事件で小林竜司の次に重い刑が課せられたのが、策士として事件に関わっていた広畑智規です。広畑智規は死刑は免れたものの、事件を殺害事件にまで発展させた重要人物として無期懲役という死刑の次に重い刑が課せられています。

実は逮捕時から広畑智規の行動が原因で殺害事件にまで発展していたと警察は判断しており、小林竜司よりも広畑智規の行動の方が問題視されていたようです。しかし実際に行動に移したのが小林竜司だった為小林竜司には死刑判決、そして広畑智規には無期懲役という判決となったそうです。

東大阪集団暴行殺害事件の判決③徳満優多は懲役11年

もともと東大阪集団暴行殺害事件の発端はリンチ事件が発端となっていましたが、リンチ事件の原因である徳満優多にはどのような判決が下されていたのでしょうか?徳満優多には懲役11年の判決が下されており、小林竜司のように死刑のような重罪は課せられていなかったようです。

なぜこのような軽い刑になったのかについては、徳満優多は殺害罪に問われていなかったという事が関係しているようです。徳満優多が発端となって東大阪集団暴行殺害事件は発生していますが、実質的に手を下したのは重罪が課せられた犯人のみで徳満優多や佐藤勇樹には殺害罪は問われていません。

東大阪集団暴行殺害事件の判決④佐藤勇樹も懲役9年

最初に起きたリンチ事件には佐藤勇樹も被害者として関与していましたが、佐藤勇樹にはどのような判決が下されていたのでしょうか?実は佐藤勇樹にも懲役9年という判決が下されており、徳満優多同様に殺害罪には問われておらず死刑のような重い刑が課せられる事はなかったようです。

もちろん徳満優多や佐藤勇樹も殺害事件に関与していた事は事実ですが、実際に殺害に加担していたという訳ではなかったようです。また、小林竜司が生き埋めにする事を提案していた際に、周囲にした友人らは当初生き埋めはやり過ぎだと止める姿勢を見せていたようです。

これらの事も加味された上で、徳満優多や佐藤勇樹には比較的軽い刑である懲役9年という判決が下されたのでしょう。もちろん加担した事は許されるべき行為ではありませんが、実質的に殺害を企てて行動に起こしたのは小林竜司と広畑智規であったと判断されたようです。

リンチに関与したその他の犯人には懲役20年の判決

東大阪集団暴行殺害事件では他にも小林竜司の友人ら5人が逮捕されています。他の友人らの判決については、刑の度合いは様々でしたがほとんどが懲役20年ほどの判決が下されていたようです。見張り役として事件に加担していた友人1人が最も罪が軽いと見なされていたようで、見張り役の友人については懲役7年の判決が下されています。

もちろん軽い刑で済んだ友人もいたものの、他の友人らについては懲役18年などの重い刑が課せられていた人物もいたようです。実際に殺害していたかは別としても、殺害事件に関与、加担していたという事は許されるべき行為ではありません。結果、死刑判決は小林竜司だけだったものの全員に重い刑が課せられていたという事になります。

小林竜司の現在

ここからは小林竜司の現在について詳しくご紹介していきます。小林竜司は死刑判決が下されていますが、既に死刑は執行されているのでしょうか?また、まだ死刑が執行されていないとなるといつ死刑が執行されるのか、死刑執行の日が公表されているのかについても気になってくる事でしょう。

小林竜司は既に死刑が執行されているのか、まだなのか、そして死刑執行の日は公表されているのかについて詳しく見て行きましょう。さらに、小林竜司は母親から勧められ自首しており、母親に付き添われて自首をしています。死刑判決が下された息子を持つ母親の現在についても併せてご紹介していきます。

現在は死刑囚として収監

小林竜司の現在について調べてみると、どうやら小林竜司はまだ死刑は執行されていないようで大阪拘置所に収監されているようです。死刑囚として収監されているという事になりますが、死刑が執行される日をただただ拘置所で待つだけの日々を過ごしているという事でしょう。

また、小林竜司の現在について調べていると収監先の大阪拘置所で小林竜司本人が描いた絵が公表されていた事が判明しました。その絵からは現在の小林竜司が思っている事などが伝わってくると話題を集めていたようで、現在もネット上で検索すると画像がヒットします。

著書『慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話』も話題に

通常であれば死刑囚の現状を知る事は出来ません。しかし、小林竜司については2011年に著書「慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話」が発売されており、現状とはいかないものの、小林竜司はどのような人物だったのか、事件後の現在どのように事件について考えているのかなどが明らかになっています。

この著書は、日本中を恐れさせた残虐な生き埋め事件の主犯格として逮捕された小林竜司について事細かに記されているという事もあって、発行当初はかなり話題を集めていたようです。実は前述した小林竜司の生い立ちなどについても、この著書があったからこそ知れた事実なのです。

死刑執行の日の公表は?

東大阪集団暴行殺害事件から2020年で14年が経過する事になりますが、小林竜司は未だに死刑は執行されていません。小林竜司の死刑執行の日については公表されているのでしょうか?調べてみましたが、小林竜司の死刑執行の日についてはまだ公表されていませんでした。

というよりも、基本的に死刑囚の死刑執行の日は執行する日にならなければ分かりません。死刑囚本人に知らせられるのも死刑執行の当日の朝とされており、死刑囚本人ですら執行の日を知る事は出来ません。小林竜司の死刑が執行される事を知る事は、死刑執行の当日のみという事になります。

小林竜司の母親の現在は?

小林竜司の母親の現在についても見て行きましょう。小林竜司は母親思いで、母親から自首を勧められ自首する決意を固めていた事が分かっています。小林竜司の人生において母親は無くてはならない存在であった事は確かですが、息子の死刑判決を受けて母親は現在どのように生活を送っているのでしょうか?

小林竜司の母親について調べてみましたが、一般人という事もあって現在どのような生活を送っているのかについては明らかになっていませんでした。しかし、小林竜司の裁判の際に被害者遺族に対して支払えるよう賠償金を貯めていると発言していたようで、現在も被害者遺族に対して謝罪の意識を持って生活を送っているのではないかと推測されます。

小林竜司に自首を勧めていたという観点から見ても、小林竜司の母親は犯罪に対して厳しい考えを持っている人物なのではないかと感じさせられます。これらの事から、小林竜司の母親の現在については不明ではあるものの、息子の代わりに被害者遺族に対して謝罪し続ける日々を送っているのではないかと考えられます。

小林竜司の生い立ちは壮絶で母親思いな一面もある死刑囚

2006年に発生した東大阪集団暴行殺害事件の主犯格として逮捕された小林竜司について詳しく見てきました。小林竜司は父親から虐待を受け、学生時代はいじめられていたという壮絶な生い立ちの持ち主だったようです。

しかし母親思いの一面もあり、いじめられていた学生生活の中で唯一友人と呼べる存在であった佐藤勇樹の為に残虐な事件を起こしてしまっていたようです。現在は死刑が執行される日を待ち、大阪拘置所に収監されています。死刑執行は、執行の日当日に知る事が出来るでしょう。

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この記事のライター
yu yamashiro
現在第2子妊娠中のマタママです。エンタメ系の記事を書いていますが、エンタメには全く興味がありませんww

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