小渕健太郎は喉の病気?声がヤバイ?休養とその後は?症状などまとめ

圧倒的な歌唱力で人気のデュオ「コブクロ」の小渕健太郎さんですが、喉の病気で声がヤバイと話題になっています。小渕健太郎さんは病気療養のために一時期活動を休養していましたが、その後はどうなっているのでしょうか?小渕健太郎さんが患った喉の病気について調べてみました。

小渕健太郎は喉の病気?声がヤバイ?休養とその後は?症状などまとめのイメージ

目次

  1. 1小渕健太郎(コブクロ)のプロフィール
  2. 2小渕健太郎は喉の病気?声がヤバイ?
  3. 3小渕健太郎の休養とその後について
  4. 4小渕健太郎の病気の症状は相方にも飛び火?
  5. 5小渕健太郎以外の歌手の病気事情の真相
  6. 6小渕健太郎は病気「発声時頸部ジストニア」を乗り越え復活

小渕健太郎(コブクロ)のプロフィール

・愛称:コビィ、主任、こぶちん
・本名:小渕 健太郎(こぶち けんたろう)
・生年月日:1977年3月13日
・年齢:44歳(2021年7月現在)
・出身地:宮崎県宮崎市
・血液型:O型
・身長:168cm
・体重:???
・活動内容:ミュージシャン、シンガーソングライター、作詞家、作曲家
・所属グループ:コブクロ
・事務所:ミノスケオフィスコブクロ(研音と業務提携中)
・家族構成:妻、長女、長男

小渕健太郎の経歴

ご実家では日本民謡を教えていたため、小渕健太郎さんも幼少のころから音に触れる機会が多く、自然と音楽に興味を持っていきました。中学時代の小渕健太郎さんは3年間水泳部に所属しています。

1992年4月宮崎県立宮崎工業高等学校電子科(現:電子情報科)に入学した小渕健太郎さんは、部活はバトミントン部に所属しましたが1年ほどで退部してしまいました。その後はギターを持って様々なバンドを掛け持ちし、小渕健太郎さんはライブや文化祭に出演しています。

高校卒業後は洋服を作る仕事がしたいと考えていた小渕健太郎さんは専門学校への進学を希望しますが、親から反対されたため卒業後は株式会社サニックスに入社して営業職で働いていました。

1997年の20歳の時に、中学校の同級生で高校時代から交際が続いていた女性と小渕健太郎さんは結婚。1998年には主任に昇格するなど、公私ともに充実した生活を送っていました。

その傍ら音楽が好きな小渕健太郎さんはストリートライブを始めますが、そんな時に現在の相方となる黒田俊介さんと出会います。黒田俊介さんの声に惹かれた小渕健太郎さんは、黒田俊介さんの提案でオリジナル曲を制作。初めて作った曲でセッションをしますが、それがのちにヒットしたコブクロの「桜」でした。

それをきっかけに1998年9月8日にコブクロを結成、名前の由来は「小渕[コブ]チ」「黒田[クロ]ダ」から来ています。1999年に小渕健太郎さんは音楽活動に専念するために会社に退職願いを出しますが、当初は会社から辞めることを強く止められたのだそうです。

その後、地道にインディーズで音楽活動を続けてきたコブクロは、2001年3月22日に「YELL〜エール〜/Bell」でメジャーデビュー、オリコン初登場10位を記録しています。小渕健太郎さんは早くに結婚しましたが、子供には恵まれず不妊治療をしており、2008年12月9日に待望の双子が生まれました。

順調に音楽活動を続けてきたコブクロですが、2011年8月28日に小渕健太郎さんが喉の病気である「発声時頸部ジストニア」を発症し声が出なくなります。同じ頃に相方の黒田俊介さんも腰痛に悩まされていたため、コブクロの活動を半年ほど休養することにしました。

その為その後に予定されていたコブクロのスケジュールは全てキャンセルされています。小渕健太郎さんは翌年の2012年4月5日に予定より長めの休養を経てコブクロの活動を再開させています。

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小渕健太郎は喉の病気?声がヤバイ?

小渕健太郎さんの歌声を聞いて、何かおかしいと世間では感じています。小渕健太郎さんは喉の病気だとの噂がありますが、果たして真相はどのようなものなのでしょうか?

2011年に病気で休養を発表

小渕健太郎さんは2011年8月28日に喉の調子が悪く声が出しづらいということでコブクロの活動を休養しています。果たして小渕健太郎さんはどのような病気にかかってしまったのでしょうか?

小渕健太郎の病気は喉が関係?

小渕健太郎さんは2010年の末ごろから高音を出すのが難しいことに悩まされていたようです。ライブも精力的にこなしていたコブクロですので、高い声が出せないのは喉の調子が悪いからだと思っていたようですが、病院で診察を受けると「発声時頸部(はっせいじけいぶ)ジストニア」だと診断されました。

病気「発声時頸部ジストニア」とは

「発声時頸部ジストニア」とは喉を酷使しがちな職業に多い難病です。首の周辺の筋肉が意思と反して硬直し、思ったように声が出せなくなる運動障害です。歌手の場合、高音域が出せなくなることが多いといいます。

原因としては様々な理由が考えられ、薬を利用したことによる副作用、遺伝的要因、事故が原因になったりすることもあるそうです。治療としては筋肉の緊張を取る方法が行われますが、原因がはっきりしないことが多いので、決定的な治療法はまだ見つかっていません。場合によっては治療しても完全に治らないかったり、再発してしまうこともあります。

病気の原因や理由はストレスも関係との噂

ジストニアという病気は一部には職業病とも言われています。緊張感をもってある一定の動作を行おうとすると症状が出る運動障害です。歌手の場合は喉が上手く使えなくなるなどの障害に見舞われますが、ピアニストなら指が動かなくなったり、スポーツ選手の場合ならば走れなくなるといいます。

身体的な原因が見つからないのに運動障害が発生することも多いそうで、この場合はストレスが原因と判断され、休養をしながら治療を進めていくようです。

病気が喉に影響で声がヤバイとの声も

小渕健太郎さんが喉の病気の影響で上手く歌えなくなったことにファンは心配の声を上げています。高音が裏返ることが多く、小渕健太郎さんが無理をしている様子も伺えるからです。

国家独唱の際の歌声も話題に

東京五輪代表選考会となった陸上の「マラソングランドチャンピオンシップ」に出演した小渕健太郎さんは国歌独唱を行いましたが、その歌声に世間は騒然となりました。それは小渕健太郎さんの声が歌い出しでいきなり裏返ったからです。その後も小渕健太郎さんは高音が出しづらそうに歌っています。

小渕健太郎の声や病気に対する世間の反応

話題のセレモニーでの国家独唱であったため、多くのファン以外の人々も見ていました。中には小渕健太郎さんが喉を傷めたことがあることを知らない人もいて、「下手過ぎてヤバイ」と辛辣な意見を語る人もいました。

小渕健太郎の休養とその後について

2011年に小渕健太郎さんは喉の治療のためにコブクロの活動を休養しています。休養中とその後の小渕健太郎さんについて調べてみました。

小渕健太郎の休養中の様子は?

小渕健太郎さんは治療を受けながら休養をしていましたが、その傍らで自動車運転にも挑戦して、見事に運転免許を取得しました。更に健康のために始めたマラソンに小渕健太郎さんはハマってしまったそうです。

その為、コブクロを再開した後もチャリティーランナーとして小渕健太郎さんは「大阪マラソン」に何度か参加しています。小渕健太郎さんは初マラソンで3時間47分45秒というタイムで完走しています。

2012年にコブクロ活動再開へ

小渕健太郎さんは半年以上の休養をしていましたが、2012年4月5日にコブクロとして活動を再開しました。喉の病気を克服した小渕健太郎さんは、相方の黒田俊介さんと一緒に精力的にライブ活動を行っていきました。

その後の歌声の変化も調査

活動再開時の小渕健太郎さんは完全に元の声を取り戻していました。完全復活したことでファンはまたコブクロのハーモニーを聞けると喜んでいました。

小渕健太郎の病気の症状は相方にも飛び火?

音楽活動を休養した後、復帰をした小渕健太郎さんですが、その後に相方である黒田俊介さんも喉を痛めているのではないかとの噂が出ています。黒田俊介さんも小渕健太郎さんのような喉の病気になってしまったのでしょうか?

現在の病気「発声時頸部ジストニア」の症状は?

喉の病気を克服した後は順調に仕事をこなしていた小渕健太郎さんですが、先に書いたマラソングランドチャンピオンシップでの国歌独唱で声が裏返ってしまいます。その様子を見ていた小渕健太郎さんのファンは「また喉の病気が再発してしまったのではないか」と心配しています。

相方(黒田俊介)も体調不良に

小渕健太郎さんの喉の不調が注目されてきましたが、最近は相方の黒田俊介さんの様子もおかしいを噂になっています。小渕健太郎さんと同じように黒田俊介さんも高音が出ていないというのです。実際に黒田俊介さん以前のよう声量も無く、かすれているようです。

黒田俊介の当時の症状も調査

調べてみると黒田俊介さんの歌うときのしぐさが特に世間では気になっている様子でした。それは「耳に手を当てる」ことで、黒田俊介さんは頻繁に耳を気にしている様子だったというのです。

黒田俊介の現在の歌声は完全復活?

さらに調べてみると黒田俊介さんが耳を気にしていた理由は、演奏が聞こえ悪かったからではないかということでした。世間では小渕健太郎さんに続き黒田俊介さんも歌えなくなったのかと心配していましたが、一時的なものだったようです。

小渕健太郎以外の歌手の病気事情の真相

小渕健太郎さん以外にも様々な理由で病気と向き合っている方がいます。そんな中から特に病気で話題となった方々をピックアップしてみました。

歌手の病気事情の真相【中島美嘉】

中島美嘉さんは1983年2月19日生まれで、鹿児島県出身の38歳(2021年7月現在)です。中学卒業後は進学せずに歌手になるためにモデルなどをしながら芸能活動を模索していた中島美嘉さんは、師匠ともいえる濱洋一さんが勝手にレコード会社に送ったデモテープがきっかけでボーカルオーディションを受けることになります。

それがきっかけで芸能界入りを果たした中島美嘉さんは、歌だけでなく女優としても活躍の場を広げています。そんな中島美嘉さんですが、2010年に長らく「両側耳管開放症」を患っていたことを告白、治療のために休養することを発表しました。

「耳管開放症」とは普段は閉じていて必要に応じて開く耳管が、開きっぱなしになっている状態を言います。症状としては耳管が開いているにもかかわらず塞がっているような感覚に陥ったり、自分の声が耳に大きく響いたりするのだそうです。鼻呼吸でさえも耳に響いて気になるのだといいます。

これという対処法が無いため、様々な方法を試して効果があるものを探すのだそうです。現在でも両側耳管開放症は完治していないようですが、中島美嘉さんは病気と上手く付き合いながら歌手活動を続けています。

歌手の病気事情の真相【徳永英明】

徳永英明さんは1961年2月27日生まれで、福岡県柳川市出身の60歳(2021年7月現在)です。大阪の観光専門学校に通っていた徳永英明さんですが、19歳の時にミュージシャンを目指して専門学校を中退、上京してアルバイト生活を始めます。

歌手になるきっかけを探して徳永英明さんは俳優業もしていましたが、1986年1月21日に「Rainy Blue」で念願の歌手デビューを果たしました。その後、様々な活動を続けていた徳永英明さんですが、2001年5月に「ウィリス動脈輪閉塞症(別名もやもや病)」を発症、1年半もの間休養をしています。

「ウィリス動脈輪閉塞症(別名もやもや病)」とは難病指定されている病気で、脳の血管がもやもやして見えることから世間一般ではもやもや病として認識されていることの方が多いでしょう。原因は分かっていませんが、10%程度で遺伝するとの報告があります。

症状としては手足のしびれが起こり、言語障害が出ることもあります。ひどくなると脳梗塞などを発症するそうです。手術で治療するのが一般的ですが、場合によっては抗血小板薬を使用して血が固まりにくくする方法も取られます。

徳永英明さんはもやもや病は完治しますが、2016年2月22日に脳梗塞の予防のために左複合バイパス手術を行っています。しかし軽度ではありますが2018年9月に脳梗塞を発症、入院を余儀なくされました。

歌手の病気事情の真相【玉置浩二】

玉置浩二さんは1958年9月13日生まれで、北海道旭川市出身の62歳(2021年7月現在)です。1973年の中学生の時に武沢豊さんとロックバンド「安全地帯」を結成、1982年2月25日に「萠黄色のスナップ」でメジャーデビューを果たしています。

翌年の1983年11月25日に安全地帯が発売した「ワインレッドの心」は大ヒット、71.4万枚を売り上げていました。実はこの頃に玉置浩二さんは「統合失調症」を患っていたことを後に告白しています。「ワインレッドの心」が大ヒットしたことで、安全地帯としてやりたいことが出来なくなったことが理由なのだそうです。

その後、病気は克服していますが、それ以外のも玉置浩二さんは様々な病魔に襲われています。2008年には「急性膵炎」、2016年には「憩室炎」、2020年1月には心臓の手術を玉置浩二さんは受けました。様々な病気を克服しながら玉置浩二さんは現在もミュージシャンとして精力的に活動を続けています。

小渕健太郎は病気「発声時頸部ジストニア」を乗り越え復活

小渕健太郎さんが発病した「発声時頸部ジストニア」について調べてきました。ストレスなど精神的なことで発症しやすいこの病気は、多くのミュージシャンを悩ませています。発声時頸部ジストニアに罹ったことで歌い方や声が変わる歌手も多く、特に発声の仕方を変えることを余儀なくされる方が多いそうです。

小渕健太郎さんも再発が疑われていますが、これからも無理することなく素晴らしい楽曲を発表していかれることを期待しましょう。

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この記事のライター
望花
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