2020年07月02日公開
2020年07月02日更新
【小平事件】何人もの被害者を出した強姦殺人事件の概要!映画化や第二小平事件なども調査
昭和20年代に起きた「小平事件」について紹介します。事件では何人もの女性が殺害されており、戦争末期の状況を利用した残虐な事件だったことが分かっているようです。小平事件の犯人の生い立ちや犯行内容を解説。また、小平事件を題材にした映画や第二小平事件も調査しました。

【小平事件】の概要
戦争のときに、わしより
— すぐ使えるブラック名言集 (@black_meigen) October 18, 2013
むごいことをした連中を
知ってますが、
平和のときに、
わしほどひどいことを
したものはないと思います。
〜小平義雄連続強姦殺人事件)の犯人〜 pic.twitter.com/5YCOcPpqpq
昭和20年代に起きた「小平事件」の概要を紹介します。当時、非常に大きな事件として報道されており、後に小説や映画化されるなど、その影響力を感じさせる事件となっています。
1945年~1946年にかけて起きた連続強姦殺人事件
事件が起きたのは1945年から1946年にかけてでした。小平事件は連続強姦殺人事件であり、何人もの女性が被害者となっています。第二次世界大戦末期という時期に起きた事件であり、日本は毎日の食べるものにすら困っている状況でした。
小平事件と小平市は無関係
小平事件は犯人の名前から名づけられたものであり、事件当時の北多摩郡小平町(現在の小平市)とは無関係になっています。小平事件の事件現場は東京都やその周辺で発生しました。
犯人の名は「小平義雄」
小平事件の犯人は「小平義雄」です。事件当時は41歳で第一海軍衣糧廠で働いていたそうです。戦争末期や戦後直後には女性を狙った連続強姦事件は多かったと言われています。
何人もの女性を襲った犯人の犯行手口とは
小平事件が起きたのは第二次世界大戦末期ということもあり、そのことが事件に利用されることになります。小平義雄は駅近くで女性に「安くお米を買うことができる」とか「就職を斡旋する」と声をかけて、女性を誘い出したそうです。
当時の小平義雄は進駐軍専用の洗濯工場で働いていたこともあり、金銭的な余裕があって羽振りは良かったのだとか。そういった点も小平事件の概要として重要なポイントと言えるかもしれません。女性からすれば「この人は本当にお金を持っている」と感じさせるには十分だったのでしょう。
小平事件の経緯
小平事件の概要として経緯を確認しましょう。小平事件の概要として7人の被害者がどのような形で事件に巻き込まれたか調査しました。概要の中では7人の被害者について解説していますが、小平義雄は10件の事件について起訴されて、そのうち3件が無罪となっています。そのため、無罪を除いた7件の概要となります。
第一の事件の概要
最初に事件が起きたのは1945年5月25日でした。小平義雄は自分が勤務していた職場の女子寮に侵入。その時に居た21歳の女子隊員を強姦後に殺害しています。事件の調査に来た憲兵は別の男性を疑っており、その間に小平義雄は退職しています。
第二の事件の概要
同年6月、東武鉄道新栃木駅で31歳の女性が被害にあっています。小平義雄は女性に「農家を案内する」と言って山林に連れ込んだとのこと。女性に対して3度強姦に及んだあとに絞殺しています。また、女性が持っていた現金70円と腕時計を奪いました。女性の遺体が発見されたのは9月10日でした。
第三の事件の概要
同年7月12日に渋谷駅で22歳の女性に、第ニ事件と同様に「農家を案内する」と山林に誘い出しています。このとき、女性は小刀で犯人に対抗しようとしましたが、逆に奪われてしまって殺害されています。この際、現金40円入りの財布と腕時計が奪われています。
第四の事件の概要
同年同月15日に池袋駅で21歳女性を雑木林に連れ込んで強姦、絞殺。小平義雄は女性から現金60円と下駄1足を奪っています。小平事件の概要から分かるように、かなり短期間で犯行に及んでいた時期もあったことが確認出来るでしょう。
第五の事件の概要
期間は少し空いて、同年9月29日、小平義雄は東京駅で21歳女性を山村に連れ込んで強姦して絞殺しています。このときに現金300円と物々交換用に所持していた服を奪いました。
第六の事件の概要
同年12月29日に小平義雄は東武鉄道浅草雷門駅で21歳女性を栃木県の山村に連れ込んで強姦後に絞殺。現金130円入りの財布とリュックを奪っています。これらの事件はどれも「農家に案内する」という誘い方が共通点となっているのです。
第七の事件の概要
結果的に小平事件の最後となったのは1946年8月6日のことでした。事件の少し前となる6月18日に「就職を斡旋する」と声をかけていた17歳女性を公園裏に連れ出して乱暴し、殺害。女性は6月に小平義雄と会った際に住所を交換しており、8月4日に彼女の自宅を訪ねていました。
女性自宅には母親が居て、小平義雄と顔を合わせていたのです。このことがきっかけで、事件後に小平義雄は逮捕されることになります。
小平義雄の犯行時の異常な心理状態とは
小平事件における小平義雄の心理状態は異常だったと考えられています。女性を殺すことに喜びを感じていたわけではなく、「女は殺さなければ言うことを聞かない」という考えがあったのだとか。また、生きている状態よりも殺してから強姦することに喜びを感じていたことも告白しています。
小平事件の犯人「小平義雄」とは
今日は、伝説の刑事 #平塚八兵衛 の誕生日
— まゆー (@degu_mayu) September 21, 2019
主な取り扱い事件は、
小平事件、片岡仁左衛門一家殺害事件、帝銀事件、下山事件、吉展ちゃん誘拐殺害事件
すごい人ですが、3億円事件の誤認逮捕や、冤罪の可能性が否めない
退職後は、自身が逮捕した死刑囚の墓参りをし、泣き崩れることもあったそうです pic.twitter.com/D1jIyLY8JM
何人もの女性を殺害した小平義雄。彼の生い立ちはどういったものだったのでしょうか?小平義雄に関する情報を調査しました。
小平義雄の生い立ち
小平義雄は1905年1月28日生まれで44歳で死刑を執行されています。幼少期の小平義雄は吃音症の友達のマネをしていたところ、その症状が自分にも移ってしまったのだとか。吃音症が大人になっても治らなかったのかは不明です。
小平義雄は元横須賀海兵隊
1923年に小平義雄は横須賀海兵団に入団し、海軍軍人となりました。小平義雄は戦地として赴いた中国で婦女暴行や妊婦殺害を行ったと言われています。戦争における性犯罪は小平義雄に限ったことでなく、世界中で起きていたと考えられているのです。
小平義雄の逮捕歴と結婚歴
小平義雄は1924年5月に海軍三等機関兵曹として退役。その後に結婚を経験しています。しかし、小平義雄は別の女性と浮気しており、彼女に子供を産ませていたのだとか。妻はそのことを知って実家に帰ったところ、小平義雄は激怒して相手の実家を襲撃しています。
妻の実家を襲撃した小平義雄は義父を殺害し、6人を負傷させたことで懲役15年の有罪判決を受けました。刑務所に服役することになったものの、二度の恩赦が絡んで半分ほどで仮出所したと考えられています。
小平事件の裁判と判決
小平事件を起こした小平義雄は裁判でどういった判決を下されたのでしょうか?何人もの女性を狙った残虐な事件の判決について調査しました。
被害者7人目の遺体発見後に小平義雄を逮捕
小平事件において何人の人が被害に遭ったのでしょうか?小平事件では被害者が7人となっており、3件が無罪となっています。小平義雄は7人目を殺害した際に、相手の親に顔を知られていたことが原因で逮捕されました。
逮捕当時の小平義雄の写真はある?
ネットでは報道写真として逮捕時の小平義雄を確認することが出来ます。普段は短髪だったようですが、逮捕後は頭を丸められて坊主になっていました。
証拠不十分の件も含め10件の殺人容疑で起訴
小平義雄は小平事件の犯人として10件の殺人容疑で起訴されています。しかし、そのうち3件は無実となっており、本当のところで何人殺害したかははっきりとしないままになりました。
小平事件の裁判にあたり精神鑑定
小平義雄は精神鑑定を受けており、結果は当時の名称で「精神病質」というものでした。この判定から「生来性性格異常者であるものの、責任能力のある人格」と判定されました。
内村祐之が小平義雄の精神状態を鑑定
小平義雄の精神鑑定を行ったのは東京大学精神科教授の内村祐之でした。内村祐之は後に東京大学名誉教授やプロ野球コミッショナーです。また、東京裁判において、A級戦犯となった大川周明の精神鑑定も行っています。
何人もの女性を殺害した小平義雄ですが、母方の家系は大丈夫だったようですが、父方の家系には精神医学的に問題があると考えられる人たちが多かったそうです。小平義雄の父親は放蕩者で弟も障害や賭博の前科があったのだとか。また、父親の妹も知的障害でした。
犯罪を犯す人と遺伝の関係は不明ですが、生活環境は無視できない要素と言えるかもしれません。幼少期から何人もの人に迷惑をかけ、大人になってからも傷害事件を起こしていた小平義雄。彼に更生の可能性はあったのでしょうか?
当時の裁判の写真撮影について
小平事件の裁判において、弁護人は犯人の写真撮影と新聞記者によるインタビューを禁止するように求めています。そのため、小平義雄は法廷に入る際は深編み笠を被って顔を隠して裁判を受けたのです。
小平事件の裁判に関しては写真撮影を一切禁止?
弁護士は「法廷内での写真撮影及び取材活動の一切禁止」を申し立てて、裁判長に認められました。この出来事は現在の裁判において、法廷内での写真撮影や録音などが禁止されていることに繋がったと推測されています。
つまり、テレビなどで裁判の状況を報じるときに、写真や映像ではなく、スケッチ画が使われているのは小平事件の裁判が関係しているわけです。弁護士が写真撮影などを禁止した理由は不明ですが、犯人のプライバシーや精神状態を守るためだったのかもしれません。
裁判の判決は「死刑」
小平事件の判決は1947年6月18日に東京地裁で死刑判決が下されました。小平義雄は控訴したものの棄却され、最高裁でも同様の判断が下されています。
1949年10月5日に小平義雄の死刑執行
1949年10月5日に小平義雄は死刑執行され、最後に「こういう落ち着いた日に死ねるのは幸福だ」という言葉を残しました。小平義雄は死刑判決直後は暴れることがあったようですが、面会に来た妻が自責の念で涙を流したことや、教誨師との交流から態度を改めたと言われています。
小平事件において何人もの女性が亡くなっていますが、最後の最後に落ち着いた気持ちを取り戻したと言えるかもしれません。しかし、何人もの女性が亡くなったのは事実なだけに、謝罪や罪を償うことなく死刑されたという点は賛否両論があるようです。
小平事件を題材にしたと言われる映画
社会的に大きな影響を及ぼした小平事件。事件の概要だけでなく法廷における写真撮影の可否にまで影響を与えました。そういった経緯からか、小平事件を題材にしたと言われる小説や映画が存在しています。その中で、小平事件を元にしたと言われている映画を紹介します。
映画『続日本暴行暗黒史 暴虐魔』
1967年12月に公開された映画『続日本暴行暗黒史 暴虐魔』は、小平事件を題材にしたと考えられています。犯人役は山下治、監督は『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』などで知られる、若松孝二でした。
映画『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』
1969年8月27日に公開された映画『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』も小平事件を元にしているのだとか。犯人役は小池朝雄で監督は石井輝男です。小池朝雄は『刑事コロンボ』の吹き替え、石井輝男は「網走番外地シリーズ」の監督を担当したことで有名です。
【番外編】車虎次郎のセリフにも小平義雄が登場?
渥美清主演の映画「男はつらいよ」は日本を代表する映画の一つかもしれません。実は映画の中で主役の車寅次郎が「助平の始まりは小平の義雄」と語る場面があり、これも小平事件の小平義雄のことだと考えられています。
小平事件に手口が似ている事件も調査
小平事件は他にも手口が似たものが存在します。小平事件同様に社会的な影響は大きく、犯人が捕まるまで近隣の人たちは不安な毎日を送っていたと言われています。
類似した事件①第二小平事件
小平事件は1945年から1946年にかけて起きた事件です。小平事件とほぼ同時期の1946年から1947年にかけて「第二小平事件」というものが発生しています。手口はほとんど同じで、若い女性に就職口の斡旋を持ちかけて山林に連れ込み、殺害するというものだったのです。
小平事件との違いは強姦の有無であり、第二小平事件は金品強奪と殺害が目的でした。犯人は1947年3月15日に逮捕されており、5件の殺人事件が発覚し、3件が起訴されています。
類似した事件②大久保清連続殺人事件
1971年3月から5月にかけて何人もの女性が声をかけられて、車で連れ去られた後に殺害される事件が起きました。これは「大久保清連続殺人事件」というもので、女性8人が亡くなっています。
犯人の大久保清は芸術家であると身分を偽って女性をデートに誘い、強姦後に殺害しています。犯人は複数回の逮捕歴や懲役を経験していたのだとか。逮捕後に供述を二転三転するなど、警察を馬鹿にしたような言動を続けた点も特徴と言えるでしょう。
2つの事件の判決は死刑
第二小平事件と大久保清連続殺人事件の判決は、2つとも死刑となっています。何人もの女性を殺害した犯人に対して、裁判所は更生の余地が無いと判断したのかもしれません。
小平事件後も絶えない強姦殺人事件
小平事件や大久保清連続殺人事件などの有名な事件以外にも、現在まで多数の強姦殺人事件が起きています。強姦だけとなるとさらに被害の数は多くなるでしょう。女性の社会進出が進むと同時に一人暮らしが一般的となり、深夜遅くまで働くことでリスクも増えているのかもしれません。
また、女性の性被害に関する内容も変化してきています。リベンジポルノと言われる、交際中の写真などを別れてから流出させる行為やネットストーカーというものも増加しています。女性が強姦殺人事件などの被害に合わないためにも、社会全体で守っていく必要があるかもしれません。
小平事件から警戒心や防犯対策の大切さ学ぶ
昭和20年代に起きた小平事件について解説しました。多くの女性が強姦殺人事件の被害あった事件でした。事件の背景には戦争末期という時代背景が関係していたものの、現在においても警戒心や防犯対策の大切さを感じられる事件だったと言えるかもしれません。
小平事件は事件の内容だけでなく、裁判における写真や取材のあり方にも大きな影響を与えています。小平事件の概要を改めて振り返りながら、現代社会における対策を考えてみましょう。