小暮洋史の現在!生い立ちや目撃情報は?【群馬一家3人殺害事件】

ストーカー規制法がまだ制定されていない頃に起きてしまった群馬一家3人殺害事件。犯人の小暮洋史は現在も逃亡を続けていますが、一体なぜこのような凄惨な事件を起こしてしまったのでしょうか?小暮洋史が起こした事件の概要や現在について詳しく見て行きましょう。

小暮洋史の現在!生い立ちや目撃情報は?【群馬一家3人殺害事件】のイメージ

目次

  1. 1小暮洋史とは
  2. 2小暮洋史の生い立ちや人物像
  3. 3小暮洋史と被害者遺族女性の関係
  4. 4群馬一家3人殺害事件の概要
  5. 5小暮洋史の目撃情報や現在
  6. 6群馬一家3人殺害事件の被害者遺族の現在
  7. 7小暮洋史は現在も逃走し続けている凶悪犯

小暮洋史とは

小暮洋史と言う人物をご存知でしょうか?小暮洋史は普通の家庭に生まれ、トラックの配送業者として働いていたどこにでもいる男性の1人にしか過ぎません。しかしそんな小暮洋史の名前は、現在も街の至る所で見かける事が出来ます。

なぜ一般人である小暮洋史の名前を街の至る所で見かける事が出来るのか、それは小暮洋史が過去に凄惨な事件を起こし現在も逃亡中である事から、目撃情報を募る「捜査特別報奨金制度」の対象となって街の交番や施設などにポスターとして張り出されているからなのです。

群馬一家3人殺害事件の犯人

小暮洋史が起こした凄惨な事件とは一体何だったのでしょうか?小暮洋史が起こしたのは、1998年1月14日に起きた群馬一家3人殺害事件です。ストーカー規制法がまだ制定されていなかった当時、小暮洋史はある女性に一目惚れしてしまい、その女性の家族3人の命を奪ってしまったのです。

ストーカー規制法が制定された現在もストーカー被害は続々と相談が続いていますが、もしかしたらこの群馬一家3人殺害事件の時に制定されていたとしたら最悪の事態は免れたのかも知れません。小暮洋史はそれほど遺族となった女性に度重なるストーカー行為を行った末に犯行に及んでいたのです。

小暮洋史の生い立ちや人物像

まずは小暮洋史の生い立ちや人物像に迫ってみましょう。これまでにも数え切れないほどの凄惨な事件が起きてしまっていますが、その犯人に共通しているのは家庭環境や生い立ちに複雑なものがあったと言う事です。しかし、実は小暮洋史については普通の家庭であまり複雑な生い立ちも無かったようです。

学生時代は内気な少年

小暮洋史は1969年7月31日に群馬県前橋市で誕生しています。両親について公表されている情報は存在していませんが、両親が育児放棄や虐待をしていたと言う情報も存在していない事から恐らくは普通の一般家庭で育ったのではないかと考えられているようです。

小暮洋史について公表されている生い立ちについての情報は、学生時代は周囲の人も驚くほど内気な性格をしていたと言う事です。あまり人とのコミュニケーションが上手くは無かったようで、社会人になってもあまりその性格は変わらなかったと生い立ちに記載されています。

トラック運転手として真面目に働く

群馬工業高校を卒業した小暮洋史は、その後運送会社に勤めトラック運転手として配送業務に就いています。小暮洋史の勤務態度は評判が良かったそうで、人とのコミュニケーションは学生時代から変わらずあまり得意ではなかったものの真面目に働く姿が評価もされていたようです。

小暮洋史は群馬一家3人殺害事件を起こす10日前まで配送業務に就いていたと公表されているので、およそ10年間同じ職場で勤務していた事になります。職を変えずに勤務していた所を見ても、小暮洋史は仕事に真面目だったと感じる事が出来ます。

無表情で人付き合いは苦手

上記でもご紹介していますが、小暮洋史は社会人になっても人とのコミュニケーションはあまり上手くなかった事が分かっています。職場の同僚のインタビューも残っていますが、「普段から無表情であまり自分から話すタイプではなかった」と人付き合いが苦手だった事が報告されています。

その為、小暮洋史の評価は上司には良かったものの後輩からは無愛想な人と見られてしまい評判はあまり良くなかったそうです。

特徴的な癖を抱えていた

小暮洋史には特徴的な癖があったようです。小暮洋史は爪を嚙んだり手の匂いを嗅ぐ特徴があったと証言されています。これらの特徴は幼少期に多く見られる特徴ですが、一般的には大人へと成長する過程で改善され見られなくなる特徴なんだそうです。

しかし小暮洋史は大人になってもこの癖を治す事は出来なかったそうです。大人になってもこのような特徴的な癖がある人は、「イライラ」「甘えたい願望」など精神的なストレスや不満を抱えているそうです。もしかしたら、小暮洋史もこのようなストレスや不満を抱えて生活を送っていたのかも知れません。

小暮洋史と被害者遺族女性の関係

ここからは小暮洋史と被害者遺族の女性の関係について見て行きましょう。冒頭でもご紹介していますが、小暮洋史は遺族の女性に一目惚れしてストーカー行為を行い、ついに遺族の女性の家族3人の命を奪ってしまったのです。

小暮洋史は遺族の女性とどのようにして出会い一目惚れをし、どのようなストーカー行為を行っていたのでしょうか?調べてみると、小暮洋史は長きに渡り遺族の女性にストーカー行為を行っていた事が分かりました。

ドラッグストアで一目惚れ

小暮洋史は遺族の女性とドラックストアで出会っています。詳しくご紹介すると、小暮洋史が配送業者として納品しているドラックストアに遺族の女性が勤務していたと言う事です。小暮洋史はドラックストアで遺族の女性に出会っていますが、出会ってすぐに一目惚れしてしまったそうです。

小暮洋史は内向的な性格なので、もちろん一目惚れをしても自分の気持ちを上手く表現する事が出来なく想いを密かに募らせていたようです。遺族の女性は明るく外交的だったようで、人付き合いが上手に出来ない小暮洋史にも明るく話しかけていた事が報告されています。

約2年に渡ってストーカー行為

遺族の女性に一目惚れして日に日に想いを募らせた小暮洋史は、徐々にストーカー行為を行うようになっていきます。車好きと言う遺族の女性の話を聞いた小暮洋史は、すぐに遺族の女性が好きと言う車を購入します。

そしてその車を口実にデートに誘い、断られればしつこく自宅に電話をかけたり車で後を追いかける、さらには遺族の女性がデートに応じると多額の金品を貢ぐなどするようになったそうです。小暮洋史の行為に徐々に恐怖を感じた遺族の女性は、ドラックストアでも小暮洋史に会わないようになどの対策をとったそうです。

しかし小暮洋史のストーカー行為が終わる様子を見せる事は無く、ついに約2年に渡りストーカー行為を行ってしまうのです。最終的には遺族の女性の車に手紙を挟むなど接触を試みる手段にも乗り出していたようで、この時既に小暮洋史のストーカー行為は歯止めを失ってしまっていたのです。

被害者となった父親に相談

小暮洋史のストーカー行為に当初1人で対処していた遺族の女性でしたが、次第にエスカレートしていく行為に恐怖を感じ被害者となった父親に相談をします。遺族の女性は家族想いの女性だったそうで、長きに渡り悩まされてきた小暮洋史のストーカー行為について心配はかけたくないと家族には黙っていたのです。

小暮洋史が女性の父親に怒鳴られることも

遺族の女性から相談された被害者となった父親は、小暮洋史に怒鳴りつけた事もあったそうです。大事な1人娘をこれほどまでに怖がらせ悩ませていた小暮洋史に怒りを覚えたのかも知れません。しかしこの事がきっかけで、ついに小暮洋史の募った想いが間違った方向へと向いてしまう事となったのです。

群馬一家3人殺害事件の概要

ここからは群馬一家3人殺害事件の概要について詳しく見て行きましょう。長きに渡り遺族の女性への想いを募らせた小暮洋史は、ついに1998年1月14日、後に凄惨な事件と語り継がれてしまう事となった群馬一家3人殺害事件を起こしてしまいます。

群馬一家3人殺害はどのようにして起きてしまったのか、当日の被害者の動きや遺族の女性の動きなどについても詳しく見て行きましょう。実は群馬一家3人殺害事件は思いもよらない展開を迎え、事件が発覚していたようです。

ストーカー相手の家に押し入る

小暮洋史は、事件が発生した1998年1月14日の午後7時頃に被害者の家に押し入っています。この日の関東は大雪に見舞われていたそうです。多くの交通機関が混雑していたと予想されるこの日は、被害者や遺族の女性の帰宅時間も少し遅かったようです。

家族3人を殺害し女性の帰宅を待つ

被害者の自宅に押し入った小暮洋史は、自宅に1人でいた被害者の母(遺族の女性の祖母にあたる)を殺害しています。そして身を潜め遺族の女性の帰宅を待ち、帰宅してきた被害者で遺族の女性の母を殺害、さらにその後帰宅してきた被害者で遺族の女性の父親を殺害しています。そしてその後遺族の女性が帰宅をしています。

被害者夫婦を刃物でメッタ刺し

小暮洋史はどのようにして被害者を殺害したのでしょうか?被害者の夫婦で遺族の女性の両親は、自宅にあった包丁と見られている刃物でメッタ刺しにされた状態で発見されています。情報によれば父親の方が被害が多かったとしている記述もありますが、怒鳴られた過去が関係していると言う声もあるようです。

被害者夫婦の母は絞殺

被害者の夫婦の母であり、遺族の女性の祖母は絞殺された状態で発見されています。なぜ祖母だけ絞殺されていたのか未だに分かっておらず謎とされていますが、もしかしたら遺族の女性に会う事を目的として自宅に押し入ったものの、遺族の女性は不在で祖母に見られてしまった事から絞殺してしまったのかも知れません。

また、被害者の夫婦についても自宅にあった刃物で刺殺されている所を見ると小暮洋史は凶器を持たずに押し入っていたのではないかと考えられます。現在も小暮洋史は逃亡を続けているので詳細については不明ですが、もしかしたら殺害するつもりはなくパニックになって殺害したのではないかと感じさせられます。

帰宅した女性と話した後車で逃走

家族3人が殺害された後、遺族の女性が帰宅します。遺族の女性は潜んでいた小暮洋史に襲われかけるも、必死に小暮洋史を説得して落ち着かせる事に成功したそうです。そして小暮洋史は自分の行った行為に呆然としてしまい、ついに逃げ去ってしまうのです。

この時遺族の女性と小暮洋史がどのような会話をしたかは公表されておらず不明なままです。しかし、少ない情報の中には小暮洋史から「今日は帰りが遅かったね」と言った帰宅時間を知っていたかのような発言があったともされています。

小暮洋史の目撃情報や現在

ここからは小暮洋史の目撃情報や現在について詳しく見て行きましょう。群馬一家3人殺害事件から21年が経った現在、小暮洋史はどのようにしているのか、目撃情報は寄せられているのかが気になります。小暮洋史は現在「捜査特別報酬金制度」の対象となり全国に指名手配されています。

愛車が群馬県や埼玉県で目撃情報

小暮洋史の目撃情報について見て行きましょう。小暮洋史の目撃情報は、現在の最新の情報では1817件寄せられているそうです。主に群馬県や埼玉県での目撃情報が有力視されており、この目撃情報は事件発生から1週間後に寄せられた目撃情報のみのようです。

ちなみに、小暮洋史の目撃情報は小暮洋史の愛車を目撃したという情報が多いそうです。小暮洋史は黒のシルビアに乗っており、ナンバーは群馬33も86-70です。

その後有力な目撃情報はなし

2000年以降の小暮洋史の目撃情報について調べてみると、どうやら大阪府内で多く目撃情報が寄せられていたようです。しかし警察がその後目撃情報を便りに捜査に乗り出していますが、空振りに終わってしまっていた事が報告されています。この事から、2000年以降の小暮洋史の目撃情報はあまり有力な情報ではなかったものと推測されます。

既に死亡している?

小暮洋史について調べていると、現在死亡説が浮上している事も判明しました。小暮洋史は事件前に知人に「警察に見つからずに死ぬ方法がある」と言った発言をしていた事からこの噂が浮上しているようです。また、現在も小暮洋史の通帳口座に動きがない事も死亡説を裏付ける証拠として挙げられています。

しかし、この死亡説には決定的な証拠も存在していません。事件後に警察も自殺の可能性を考えて捜査していたようですが、未だに小暮洋史の遺体も発見されておらず事件当時に乗っていた小暮洋史の愛車すら発見されていません。

「捜査特別報奨金制度」の対象となる

小暮洋史の行った行為は許される行いではありません。警察は2007年に小暮洋史を「捜査特別報酬制度」の対象に指定しています。「捜査特別報酬制度」とは懸賞金のかけられた全国指名手配です。小暮洋史には当初懸賞金上限金額100万円がかけられていましたが、現在は増額され300万円かけられています。

小暮洋史の特徴と情報提供先

小暮洋史の特徴と目撃情報などの提供先についてご紹介しましょう。小暮洋史には爪を噛む、手の匂いを嗅ぐと言った特徴的な癖があります。また、小暮洋史の顔はこちらの画像の通りとなっています。事件から21年が経過しているので同じ顔立ちでいるかは定かではありませんが、目撃した方は以下の方法で情報提供をお願い致します。

小暮洋史の目撃情報や何か情報があると言う方は、フリーダイヤル0120-547-590、もしくは高崎警察署027-328-0110へご連絡下さい。また、緊急時や連絡先に心配があると言う方は最寄りの警察へ通報しても繋いでもらう事が出来ます。

群馬一家3人殺害事件の被害者遺族の現在

最後に群馬一家3人殺害事件の被害者遺族の女性の現在について見て行きましょう。被害者遺族の女性は現在も事件を風化させまいと活動を行っています。

「宙の会」で時効撤廃の活動

被害者遺族の女性は、現在「宙の会」で時効撤廃の活動を行っています。「宙の会」は殺害事件被害者が結成した会で、一定期間の時効を迎えるといかに凶悪な殺害事件を起こした犯人であっても起訴出来なくなってしまう現状を撤廃するように活動を行っています。

2018年に民事訴訟を起こす

被害者遺族の女性は、事件から20年経った2018年に民事控訴を起こしています。被害者遺族の女性は「刑事裁判を免れて逃走を続けている小暮と向き合う決意の証」の為に民事控訴へと至ったそうです。

約1億370万円の損害賠償請求

被害者遺族の女性は同年に前橋地方裁判所高崎支部に約1億370万円の損害賠償請求をしています。しかし、まだ小暮洋史が逮捕されていないので支払われる可能性は低いと見られています。

小暮洋史は現在も逃走し続けている凶悪犯

凄惨な事件、群馬一家3人殺害事件を起こしてしまった小暮洋史について詳しく見て来ました。小暮洋史は決して許される事の出来ない凄惨な事件を起こしており、現在も逃亡中の凶悪犯です。国民の協力のもと、一刻も早く犯人が逮捕される事を祈るばかりです。

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この記事のライター
yu yamashiro
現在第2子妊娠中のマタママです。エンタメ系の記事を書いていますが、エンタメには全く興味がありませんww

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