2020年07月06日公開
2020年07月06日更新
【加古川ダム死体遺棄事件】被害者の小西優香さんの死因は?犯人との関係やSNSなども調査
加古川のダムで遺体となって発見された小西優香さん。小西優香さんを殺害した犯人は、森翔馬と稲岡和彦でした。2人の犯行が浮かび上がってきたのは、ある画像からだったとのこと。小西優香さんと犯人たちの関係や、インスタグラム、ツイッターなどについても調査しました。

目次
加古川ダム死体遺棄事件の概要
小西優香さんが遺体となって発見された、加古川ダム死体遺棄事件の概要について見ていきましょう。事件当時20歳と若かった小西優香さんは、いったいなぜ加古川のダムで遺体となって発見されたのでしょうか?小西優香さんの遺体遺棄事件の概要について調べてみました。
2018年に兵庫県加古川市の権現ダムで遺体発見
小西優香さんが遺体となって発見されたのは、2018年8月11日のことでした。小西優香さんは事件の2日前からLINEのメッセージに既読がつかないなど、連絡が取れない状態となっていたようです。この最後のLINEのやりとりでは「自宅にいる」というメッセージを送っていたとのこと。
その後、友人がLINEのメッセージを送ってみても返信はなかったそうです。このLINEのメッセージが途絶えたのが2018年8月9日の午前2時頃のことだったそうで、事件はこの前後に起こった可能性が考えられます。
小西優香さんの遺体が発見された場所は、最後に居場所が確認された大阪の十三からはかなり離れたところでした。小西優香さんの遺体発見現場は、兵庫県加古川市にある権現ダムという場所だったようです。
兵庫県加古川市は、大阪から高速道路を使用しても1時間以上かかり、権現ダムまでは1時間半ほどかかるとのこと。小西優香さんの遺体を遺棄する場所として、犯人たちがなぜ権現ダムを選んだのかにも注目が集まりました。
三重県出身の小西優香さんの遺体と判明
発見された遺体は死後数日が経過していましたが、所持品などからすぐに三重県出身でキャバクラ店勤務の小西優香さんと判明しました。小西優香さんは三重県松坂市の出身でしたが、事件当時には大阪市の十三に住んでいたようです。大阪と三重県松坂市は特急を利用しても2時間ほどかかります。
小西優香さんの事件当時の年齢は20歳で、多くの交友関係があったために、事件が報じられるとツイッターやインスタグラムで友人たちが驚きと悲しみのコメントをしていたようです。中には犯人が報じられる前に犯人について言及しているツイッター投稿などもありました。
小西優香さんの死因は窒息死?
小西優香さんの死因は、頸部を圧迫されれたことによる窒息死と判明したようです。遺体発見時の状況からも、事故や自殺などではなく事件と断定されました。何者かが小西優香さんの首を絞めて殺害し、その後遺体を加古川市のダムに遺棄したということのようです。
また、遺体は衣服を身につけており、頸部圧迫の外傷以外の傷もないことから、乱暴目的の殺害ではなかった可能性が高いとされています。犯人はいったいどのような動機で小西優香さんを殺害したのでしょうか?
犯人は森翔馬と稲岡和彦
小西優香さんの遺体が加古川市の権現ダムで発見されてから数週間後、2人の男が犯人として逮捕されました。犯人の1人で主犯とされたのが森翔馬です。そして、もう1人の犯人が稲岡和彦でした。森翔馬と稲岡和彦の関係や2人の職業などについては、後ほど詳しく紹介します。
遺体発見から犯人逮捕までがスピーディーだったのは、事件発覚当初から森翔馬の関与が疑われていたからという理由もあったようです。小西優香さんの遺体遺棄事件について、さらに詳しくその経緯を見ていきましょう。
小西優香さん遺体発見までの事件の経緯
小西優香さんの遺体発見までの事件の経緯についても見ていきましょう。小西優香さんの遺体発見までの事件の経緯はどのようなものだったのでしょうか?加古川の権現ダムで小西優香さんの遺体が発見されるまでの経緯について調べてみました。
遺体発見2日前に防犯カメラがキャッチ
まず、遺体発見からさかのぼること2日、小西優香さんの姿を防犯カメラがキャッチしていたようです。小西優香さんがこの日の朝、自宅マンションを出てタクシーに乗るところが防犯カメラの画像に残されていました。
警察は小西優香さんの自宅マンションも捜索しましたが、自宅マンションには荒らされた形跡がなく、犯人が立ち寄った可能性は低いと見ていたようです。警察は、犯人が小西優香さんの自宅以外で犯行に及んだものと捜査を続けました。
防犯カメラの画像には森翔馬の姿も
実は森翔馬が犯人として逮捕されるきっかけとなったのも、防犯カメラの画像でした。上記のツイッター画像で、小西優香さんと森翔馬が並んで歩いているの姿が確認頂けるでしょう。森翔馬は小西優香さんに対して肩を抱くなどしており、2人が親密な関係であったことを示唆しています。
ただ、小西優香さんの友人らからは、「防犯カメラの画像の小西優香さんは、森翔馬に肩を抱かれるのを嫌がっているのではないか」という意見も出ていたようです。森翔馬は小西優香さんの友人らの間でもかなり評判が悪かったようで、当初から犯人候補として名前が上がっていました。
透明のプラスチックケースに詰められた遺体
小西優香さんの遺体は、透明のプラスチックケースに詰められた状態で釣り人に発見されたのだそうです。釣り人は「何かがダムに浮かんでいる。人が入っているように見える」と警察に通報。駆け付けた警察が確認したところ、透明のプラスチックケースには若い女性の遺体が入っていました。
小西優香さんの遺体は、このプラスチックケースから足がはみ出した状態で発見されたのだそうで、プラスチックケースには土嚢が取り付けられていましたが、プカプカと水に浮いていたそうです。
小西優香さんの遺体が、遺棄から僅か2日後に発見されたのも、犯人である森翔馬と稲岡和彦のずさんな遺棄の仕方のおかげだった、という見方もあるようです。通常、遺体を遺棄するのであれば、すぐには発見できない工夫を凝らして遺棄することが多いとされています。2人の遺棄の仕方のずさんさには、警察も驚いていたのだとか。
森翔馬と稲岡和彦は、かなり場当たり的に小西優香さんの遺体を遺棄することを決めたのかもしれません。もしくは、早く遺体を何とかしたいと焦っていたという可能性もあるでしょう。
遺体発見から数週間後に犯人2人を逮捕
遺体遺棄の犯人である森翔馬と稲岡和彦が逮捕されたのは、遺体発見から2週間ほど経ってからのことでした。交友関係などを洗い直していた警察でしたが、先ほども紹介した防犯カメラの画像から森翔馬が犯人として浮上します。さらに、森翔馬がマンションから何か大きなものを運び出す様子も防犯カメラの画像に映っていたのだとか。
この大きな物を運び出す際には、男が2人いたことから、共犯者として稲岡和彦も逮捕されることになりました。遺体が発見された加古川市に稲岡和彦は土地勘があったようで、権現ダムが遺体遺棄の場所に選ばれたようです。
小西優香さんと犯人2人との関係
小西優香さんと犯人2人との関係についても見ていきましょう。小西優香さんは犯人である森翔馬と稲岡和彦とはどのような関係だったのでしょうか?小西優香さんと2人の犯人の関係、犯人たちの職業や経歴について調べてみました。
犯人の森翔馬と稲岡和彦は共に大阪府出身
このあと14:30〜大阪・えびす橋でお楽しみ会を行います💗
— あっとせぶんてぃーん (@17_maid) December 14, 2019
ぜひこの大きな看板を目印にお集まりください!! pic.twitter.com/7QruVxjnxG
加古川ダム死体遺棄事件の犯人として逮捕された森翔馬と稲岡和彦は、どちらも大阪府出身なのだそうです。ただ、現在の稲岡和彦の実家は兵庫県の加古川市にあり、小西優香さんの遺体が遺棄された加古川の権現ダム付近の地理に詳しかったとのこと。稲岡和彦の現在の実家は、遺体発見現場から5kmほどのところにあるそうです。
一方の森翔馬は遺体発見現場である兵庫県の加古川市には縁がなかったようですので、遺体を権現ダムに遺棄するように提案したのは稲岡和彦の可能性が高いでしょう。
森翔馬の職業や経歴
森翔馬の職業や経歴についても見ていきましょう。森翔馬はさまざまな職業を転々としていたようです。逮捕時に報じられた森翔馬の職業はスカウト業でした。このスカウト業は風俗店で働く女性をスカウトするという仕事だったようです。また、森翔馬のかつての職業として、ガールズバーの店長というものもありました。
森翔馬は職業柄、女性と接することが多いようですが、彼に対する女性の評判はあまり良くなかったようです。たとえば「危険でなく稼げる仕事」といって女性に風俗の仕事を紹介し、トラブルになったこともあるとのこと。森翔馬は既婚者で息子と娘もいるそうです。
稲岡和彦の職業や経歴
稲岡和彦の職業や経歴についても見ていきましょう。稲岡和彦もさまざまな職業を転々としていたと言われており、事件当時はお金に困っていたという情報もあります。先ほど紹介した加古川市の実家にもいくらかの借金をしていたようですが、その返済をしなかったために実家から縁を切られていたという情報があります。
稲岡和彦の職業としては主に営業職が多かったそうですが、事件当時には運転手の仕事をしていたそうです。ただ、この運転手という職業も正社員というわけではなく、仕事があるときに雇われるという不安定な形での雇用だったと言います。
小西優香さんと犯人2人の関係は?
小西優香さんと犯人2人の関係についても見ていきましょう。小西優香さんと森翔馬の関係については、かつて風俗業にスカウトされたことがあるという情報や、同じ店で働いていたことがあるという情報がありました。また、小西優香さんが働く店に通う客だったという情報もあるようです。
小西優香さんと稲岡和彦の関係については、はっきりしたことは分かっていません。ただ、稲岡和彦はかなりの女性好きで、借金もキャバクラ通いのためだったと言われています。ですので、稲岡和彦が小西優香さんの店に通っていた客だった可能性はありそうです。
小西優香さんが殺害された事件の裁判と判決
小西優香さんが殺害され、遺体が遺棄された事件の裁判と判決についても見ていきましょう。小西優香さんの事件に関しては、犯人たちにどのような判決が下ったのでしょうか?小西優香さんが殺害され、遺体が遺棄された事件の裁判と判決について調べてみました。
逮捕後の犯人同士の面識に関する供述
森翔馬と稲岡和彦の関係については、当初の2人は「面識はなかった」という供述をしていたとのこと。しかし、捜査が進む中で、稲岡和彦が森翔馬に頼まれ、運転手として仕事をしていたという情報がありました。
森翔馬と稲岡和彦の自宅は非常に近い距離にあるとのことで、事件当日に森翔馬が稲岡和彦を呼び出した可能性も高そうです。遺体遺棄に使用したレンタカーは稲岡和彦が手配したものだったと言います。いずれにしても2人の関係はかなり密接なものだったということが言えるでしょう。
森翔馬には懲役7年(求刑懲役20年)の判決が下る
森翔馬は殺人罪と死体遺棄罪の容疑で起訴されました。事件当日、森翔馬は小西優香さんとともに飲食をし、その後は一緒に自宅マンションに戻ったとのこと。そして森翔馬は自宅で小西優香さんの首を絞めて殺害。稲岡和彦と共謀して小西優香さんの遺体を加古川市の権現ダムに遺棄したという容疑です。
ただ、森翔馬は当初から死体遺棄罪については認めているものの、殺人罪については一貫して否認しているとのこと。小西優香さんから頼まれて首を絞めたものの、殺意については「なかった」と供述していたそうです。また、殺人の際の記憶については「ない」とも供述しているのだとか。
密室でのことですので、犯人の供述と状況証拠がすべてとなりますが、裁判所は森翔馬の殺人罪については認定しませんでした。検察側が殺人罪と死体遺棄罪で懲役20年を求刑したのに対し、森翔馬に下った判決は懲役7年というものだったそうです。
この判決については、世間でも批判がありました。首を絞めたことは認めているものの、殺人罪が認定されないということについては、多くの人が納得いかなかったようです。この判決は2019年12月に神戸地裁で言い渡されたもので、今後検察が控訴するかどうかについて注目が集まっています。
稲岡和彦への判決は?
稲岡和彦については、死体遺棄罪についてのみ起訴されたようで、森翔馬のように殺人罪では起訴されませんでした。裁判時の稲岡和彦の職業は無職と紹介されています。稲岡和彦は逮捕後から「衣装ケースの中身については知らなかった」という供述をしていたとのこと。
ただ、衣装ケースを運んでダムに捨てたことや、レンタカーの手配や運転などを森翔馬に頼まれてしたことについては認めていました。検察は稲岡和彦に懲役2年を求刑していましたが、神戸地裁は「主体的な犯行動機はない」ということを理由に懲役1年6月、執行猶予3年の判決を言い渡しました。
小西優香さんのインスタグラムやツイッターも判明
小西優香さんのインスタグラムやツイッターも判明しているそうです。小西優香さんのツイッターやインスタグラムのアカウントは現在も存在するのでしょうか?小西優香さんのツイッターやインスタグラムについて調べてみました。
インスタグラムの画像にも注目が
小西優香さんはインスタグラムを開設しており、その画像も注目を集めました。小西優香さんのインスタグラムに投稿された画像は、露出の高いセクシーなものもあったようです。小西優香さんはジェットスキーの免許も持っているということですので、インスタグラムには海に出かけた時の画像なども多く投稿されていました。
小西優香さんが最後にインスタグラムの画像を投稿したのは、事件直前の2018年8月1日だったようです。最後のインスタグラムの投稿画像は、須磨海岸を女性の友人と訪れているものでした。
小西優香さんのインスタグラムのフォロワー数は2569人となっており、芸能人ではない人のインスタグラムのアカウントにしてはフォロワー数は多いかもしれません。小西優香さんの最後のインスタグラムの投稿画像には「ご冥福をお祈りします」といったコメントが多数寄せられていました。
ツイッターのアカウントも判明
インスタグラムだけではなく、小西優香さんのツイッターアカウントも判明していたようです。小西優香さんはツイッターに、日々の出来事などを綴っていたとのこと。小西優香さんのツイッターアカウント名は「y❤︎」となっており、フォロワー数は2400人ほどいるようです。ただ、これは事件後に増えた可能性もあるかもしれません。
小西優香さんのツイッターは友人とのツーショット画像なども多かったようですが、三重県の実家に帰るという報告や職場での愚痴なども投稿していたことがあったようです。また、三重県の実家での予定がキャンセルになった時には「三重県の人で暇な人いる?」と声をかけるツイートをしていたこともありました。
事件前にはツイッターでストーカー被害の投稿も
それでから
— y❤︎ (@yk_1009_s) August 6, 2018
後ろぴったり着けられて
エスカレーターは
さすがに鳥肌やたから駆け下りたし😱😱😱😱
事件前の小西優香さんのツイッターには、ストーカー被害に遭っていると見られるツイートも投稿されていたようです。こちらのツイートが小西優香さんの最後のツイートになりました。2018年8月6日の投稿ですので、事件発生の3日前ということになります。
画像はありませんが、小西優香さんはエスカレーターでぴったり後ろに着いてくる男がいたと報告しており、その前の投稿では中年の男性がじっと見てくるということをツイートしています。これらのツイッター投稿があったために、当初は犯人が小西優香さんの顔見知り以外の犯行ではないかという見方がされていました。
事件後の現在もSNSアカウントは健在?
小西優香さんの事件からすでに2年が経とうとしていますが、ツイッターやインスタグラムのアカウントは現在も存在しています。小西優香さんの最後の投稿となったツイートには、その早すぎる死を惜しむリプライが多数寄せられていたようです。
また、2019年に犯人の森翔馬の裁判の判決が下った後にも小西優香さんのツイッターには、「懲役7年は軽すぎる」といった裁判の判決を批判するコメントが投稿されていました。
小西優香さんの事件発生前の職業や生活
小西優香さんの事件発生前の職業や生活についても見ていきましょう。小西優香さんは事件発生前、なぜ郷里の三重県ではなく大阪にいたのでしょうか?また、小西優香さんの事件発生前の職業は何だったのでしょう?小西優香さんの事件発生前の職業や生活について調べてみました。
歯科衛生士を目指し専門学校に通学
小西優香さんは三重県津市の通信制の高校を卒業後、歯科衛生士を目指すために大阪にある歯科衛生士の専門学校似通っていたようです。ただ、事件当時にはこの歯科衛生士の専門学校は中退していたという情報もあるとのこと。
小西優香さんがどの歯科衛生士の専門学校に通っていたのかは不明ですが、大阪にはいくつかの歯科衛生士専門学校があるようです。歯科衛生士の専門学校には、2年制と3年制のコースがあるようですが、小西優香さんがどのコースを選択していたのかも分かっていません。
小西優香さんが目指していた職業である歯科衛生士は、歯科予防処置や歯科医師の診療補助、歯科保健指導等などを行います。歯科衛生士の資格は歯科衛生士法に基づく国家資格となっていて、所定の専門教育課程を終了後、歯科衛生士国家試験に合格した人が資格を取得することができるようです。
一般的には3年以上の専門学校、短大での養成課程を経て歯科衛生士となるパターンが多いとのこと。近年では四年制大学の歯学部口腔保健学科などを卒業した歯科衛生士も増えてきているそうです。
大阪市内のキャバクラ勤務も同時進行?
小西優香さんは歯科衛生士の専門学校に通うと同時に、大阪市内のキャバクラでも勤務していたようです。キャバクラではかなりの売れっ子だったようで、小西優香さんは貯めたお金でセラミックの前歯を入れる計画などをツイッターに投稿していました。
また、小西優香さんが住んでいたマンションは、家賃が月10万円だったとのこと。専門学校生が月10万円の家賃のマンションに住むということはあまり考えられず、キャバクラに勤務するようになってから引っ越しした可能性が考えられます。
家族思いで月数回は三重県の実家に帰る姿も
小西優香さんは家族思いで、月に何度かは三重県の実家に帰っていたと言います。先ほども少し触れましたが、大阪から小西優香さんの三重県の実家に帰るためには、特急を利用しても2時間ほどかかります。
ただ、小西優香さんは三重県の実家に帰ることを苦痛には感じていなかったようで、実家に帰ることを報告するツイートはいつも嬉しそうだったとのこと。特に「夏は三重でないと」というツイッター投稿もあり、夏になると三重県の実家に帰りたくなるという気持ちになっていたようです。
小西優香さんは事件が起こる前の2018年6月頃から、大阪の住まいを引き払って三重県に帰ることも考えていたようです。この時に小西優香さんはツイッターで「大阪にいる意味がなくなった」と意味深なツイートをしていました。
ただ、その後は定期的に三重県の実家には帰っているものの、大阪を離れることについての発言はなかったとのこと。小西優香さんの三重県の実家の家族も突然の娘の死に心を痛めていたようです。マスコミなどの取材も殺到していたようで、「そっとしておいて欲しい」というコメントを発表しています。
加古川ダム死体遺棄事件の全てが解決することを願う
小西優香さんが殺害され、死体が遺棄された「加古川ダム死体遺棄事件」について紹介してきました。小西優香さんの遺体を遺棄した犯人としては、森翔馬、稲岡和彦が逮捕されます。しかし、彼らが殺人の罪に問われることはありませんでした。
裁判で森翔馬は、小西優香さんに頼まれて首を絞めたものの、殺意はなかったと主張。森翔馬には懲役7年の判決が下されました。ただ、この裁判の結果に不満を抱いている人も多く、検察側が控訴するかどうかに注目が集まっています。今後、加古川ダム死体遺棄事件のすべてが解決することに期待しましょう。