神山繁の死因は?若い頃からの死去までの経歴は?離婚や再婚なども!

神山繁は日本を代表する俳優の1人です。彼は2017年に亡くなるまで数々の作品に出演し、業界を牽引してきました。ここでは神山繁が出演した映画やドラマだけではなく、亡くなった死因や、若い頃からの経歴、離婚や再婚についての話題まで取り上げています。

神山繁の死因は?若い頃からの死去までの経歴は?離婚や再婚なども!のイメージ

目次

  1. 1神山繁のプロフィール
  2. 2神山繁の死因は?
  3. 3神山繁の若い頃から死去までの経歴
  4. 4神山繁の離婚や再婚について
  5. 5神山繁のドラマや映画など出演経歴【厳選】
  6. 6神山繁の死因は肺炎で死去まで幅広い役を演じた俳優

神山繁のプロフィール

・愛称:
・本名:神山繁
・生年月日:1929年1月16日
・没年月日:2017年1月3日(87歳没)
・出身地:広島県呉市
・血液型:A型
・身長:175cm
・体重:不明
・活動内容:俳優
・所属グループ:なし
・事務所:オフィス佐々木
・家族構成:文野朋子(妻)

神山繁の経歴

神山繁は、1929年広島県の呉市で生を受け、世界恐慌から第二次世界大戦という激動の子供時代を過ごしています。1945年に海軍経理学校に入学し、戦後はホテルや進駐軍の通訳として働いていました。1952年に日本を代表する劇団である文学座に入ったことから、演技の道にのめりこんでいくことになります。

劇団である雲や円で活動を続けた痕は、テレビドラマやCMなどでも起用され、一躍人気俳優となります。1992年に一般人の女生徒再婚した後、最近まで様々な映画やドラマに出演していましたが、2017年に肺炎が死因で死去しました。

神山繁の出身校は海軍経理学校

第二次世界大戦も終戦間近であった1945年に、神山繁は海軍経理学校に入学します。この海軍経理学校は大日本帝国海軍の会計などを担う人間を養成する学校で、日本中から秀才が集まるエリート校だったようで、神山繁の頭脳が非常に優秀であったことが分かります。

第二次世界大戦後に海軍の解体とともにこの海軍経理学校はなくなってしまったので、神山繁が海軍経理学校にいた期間はかなり短いようですが、この学校で神山繁はイギリス英語を叩きこまれ、語学が堪能と呼べるレベルまで鍛え上げられたとのことで、俳優人生に役立ったということです。

神山繁の身長や体重は?

続いては、神山繁の身長や体重などのパーソナルな情報を取り上げていきたいと思います。神山繁が子供の時に過ごした時代は世界恐慌や戦時中という事もあり、満足に栄養が取れない時代でしたので、平均身長は160㎝台と低めです。

神山繁は身長175㎝で体重は75㎏との噂

神山繁の身長は175㎝ですが、体重も75㎏ほどあったという噂がされています。この身長と体重を加味すると、神山繁は筋肉がしっかりついたスポーツマン体型であったことが分かります。子供ながら戦争を経験し、俳優でもあったことから相当なトレーニングを積んでいたと思われます。

日本人男性の平均身長と比較

ここで、日本人男性の平均身長と比べてみましょう。現代の日本人男性の平均身長は171cm程度です。さらに、神山繁が戦時中に子供時代を過ごしたことを考えると、神山繁は非常に高身長であったと思われます。

いかりや長介との交友関係について

「踊る大捜査線」などで共演していたいかりや長介とは、神山繁は役を超えた男の友情を感じていたと語っています。約2歳差で歳も近く、同じ時代を生き抜いてきて、同じような役柄を演じることが多かった2人だからこそ分かるものがあったのかもしれません。

実はいかりや長介と神山繁は、いかりや長介がコメディ集団ドリフターズとして活動していたころからの旧知の仲であり、お互いの自宅に招いては交友を繰り返していたようです。2人の間には強固な信頼関係があったようです。

いかりや長介とは

いかりや長介は、俳優だけでなくコメディアンや司会者、ミュージシャンとして多彩な活躍を見せた有名人です。ドリフターズの「長さん」としてお茶の間の人気者でした。いかりや長介は2004年、72歳で死去しています。

神山繁の死因は?

2017年に死去した神山繁ですが、ここからは神山繁の死去した状況や、死因となった病気、死去した後の周りの様子などを取り上げていきたいと思います。

2017年1月3日に京都の自宅で死去

神山繁が死去した状況や死因について詳しく見ていきましょう。2017年1月3日、日本が正月休みで明るい中、神山繁は京都にある自宅で息を引き取ったようです。公式サイトには1月16日に米寿のお祝いが控えていたことも触れられており、多くのファンが悲しみにくれました。

神山繁の意志により葬式無用と無戒名

神山繁は生前から「葬式もいらないし、戒名も必要ない」と周りに対して語っていたようで、その意を汲んで近親者のみで見送り、大きく葬式を挙げずに静かに見送ったようです。最後まで清々しいほどの男らしさとファンの間で語られていました。

神山繁の死因は肺炎

神山繁の死因ですが、老衰ではなく肺炎だったようです。それも間質性肺炎という非常に厄介な病気に罹っていたようです。しかし、家族に看取られる形で自宅で亡くなることができたのは幸せだったと語る人も少なくありません。

死因となった病気「肺炎」とは

神山繁が死去する原因となった間質性肺炎とは、肺炎の中でもさらに厄介な病気であり、非常に治療が困難であると言われています。肺を支えてあげるための部分が炎症を起こし、酸素を取り込むことなどがうまくできなくなってしまう病気です。

死因となった肺炎は2016年1月に発覚し療養

神山繁の肺炎は、2016年の1月に発覚して療養を続けていました。北野武の「アウトレイジ」のオファーがきていたようで、その出演依頼を療養のために断ったことを神山繁は非常に気に留め、悔やんでいたようです。

神山繁の若い頃から死去までの経歴

ここまでは神山繁の死去と病気などについて取り上げて見てきましたが、ここからは神山繁の経歴を改めて見ていこうと思います。神山繁は海軍経理学校にいたという異色の経歴ですが、すぐに数奇な運命で解体され、演技の道に進んでいくこととなります。

若い頃から死去までの経歴①文学座に入座

日本を代表する老舗劇団として名高い「文学座」に神山繁は入座します。彼の俳優人生はここから始まったといっても過言ではありません。神山繁だけでなく、若い頃に文学座に在籍していたメンバーはそうそうたる俳優陣が並びます。

若い頃から死去までの経歴②劇団「雲」と演劇集団「円」での活躍

若い頃の神山繁は、とにかく演技の技術を磨くために劇団の公演に出演し続けました。劇団「雲」ではシェークスピアの舞台など、しっかりとした演技を学んでキャリアを積み重ね、劇団「円」を旗揚げしてからはさらにステップアップしていきました。

若い頃から死去までの経歴③映画「ブラック・レイン」出演

リドリー・スコット監督が制作したハリウッド映画「ブラックレイン」での神山繁の鬼気迫る演技は、未だに語り継がれています。あの松田優作の遺作と呼ばれるこの作品で、一際大きな存在感を放っていたのが神山繁でした。

高倉健の上司として頑固な日本の警察を演じましたが、マイケルダグラスとの対立の中で表出する神山繁の知的さや、得体の知れない底の深さが視聴者に大きな印象を残しました。

流暢な英語力が話題に

神山繁は、若い頃から非常に流暢な英語を操っていました。それは、若い頃に海軍経理学校で徹底的に叩きこまれたイギリス英語なのだそうです。海軍経理学校を卒業した後には進駐軍の通訳としても活躍していたので、相当な語学力があったと言えます。

NHK「英語でしゃべらナイト」出演も話題に

神山繁は、その高い語学力を生かして俳優活動を積極的に行っていましたが、一方で英語でしゃべらナイトという番組にも出演していました。神山繁の年代で英語を流暢に話す人間は非常に珍しかったため、視聴者は驚きの声を上げていました。

若い頃から死去までの経歴④悪役など幅広い役柄で人気作品出演

神山繁は若い頃から悪役など幅広い役柄を演じることが多かったのですが、歳をとってサントリーのCMなどで柔和なイメージがついてからは心優しい人格者を演じる事も増えていきました。それだけの演技力が神山繁にはあったということです。

神山繁の離婚や再婚について

ここでは、神山繁の離婚・再婚などの結婚関係の話題について取り上げていきたいと思います。神山繁が初めて結婚したのは1956年ですが、その後神山繁は再婚しています。どのような流れを辿ってそうなったのかを見ていきましょう。

1956年に文野朋子と結婚

神山繁は1956年に文野朋子と結婚しました。彼女とは文学座からの知り合いで、つまるところは俳優人生を一緒に歩んできた仲です。そのおしどり夫婦ぶりは凄いもので、2人の間に子供こそいないものの、非常に仲が良かったと周囲の関係者やファンが語っています。

文野朋子とは

文野朋子は劇団「円」に所属していた女優です。文学座で神山繁と知り合い、「円」を立ち上げる際のメンバーの1人でした。文野朋子と神山繁が仲睦まじい夫婦であった様子が、当時の周囲の人々によって語られています。

文野朋子との離婚は死別

神山繁は1992年に再婚していたので、文野朋子と離婚した理由を調べてみましたところ、神山繁と文野朋子の離婚理由は「死別」であることが分かりました。1987年、おしどり夫婦の夫として生活していて神山繁を、最愛の妻の死去が襲ったようです。

1987年に死因「脳内出血」のため死去

舞台の最中に倒れた文野朋子は、脳内出血のために64歳という若さでこの世を去ることになりました。当時の神山繁は悲しみにくれ、仕事に支障をきたして俳優業を休止するほどにショックを受けていたようです。

その後は1992年に再婚

俳優としてキャリアをスタートさせてからずっと寄り添ってきた妻だけに、神山繁の悲しみは相当なものでしたが、その後神山繁は悲しみを乗り越え、俳優として復帰して活動を続け、1992年に再婚することになりました。再婚した方との間にも子供はいないようです。

再婚相手は年下の一般女性

気になる神山繁の再婚相手ですが、一般人女性の方で詳しい情報は一切ありません。女性が京都で旅行中に出会い、お互いに惹かれていったそうで、神山繁と再婚相手の女性は非常にロマンチックな出会いをしたことが分かります。

神山繁のドラマや映画など出演経歴【厳選】

ここからは、俳優としての神山繁が出演経歴を作品ごとに紹介していきます。神山繁は若い頃からシェークスピアなどの舞台でしっかりとした演技素地を養っているため、演技力の高さは俳優の中でも随一です。

また、どんな役でもこなすことのできる俳優の1人であり、心優しいお爺さんから知的な敏腕刑事、極悪非道な悪役まで器用にこなします。それでは神山繁が出演した作品をドラマ、映画の順に見ていきましょう。

神山繁のドラマ出演経歴

神山繁のドラマ出演経歴について見ていきましょう。神山繁が出演したドラマを全て挙げるとキリがないほどの作品の数になってしまいますので、神山繁が出演したドラマ作品の中から、特に厳選したものを紹介していきたいと思います。

ドラマ出演経歴①「ザ・ガードマン」

正式名称は「東京警備指令 ザ・ガードマン」です。当時は高度経済成長期で、日本社会ではまだ「警備員」という仕事の重要性や知名度が低いとされており、このドラマによってガードマンという業種が一般的になりました。

神山繁は警視庁の警部から主人公が属する東京パトロールに転職する主人公の親友という役柄を演じました。このドラマは1965年から1971年まで放送されるロングシリーズとなり、多くの視聴者を惹きつけました。

ドラマ出演経歴②「CHANGE」

2008年にフジテレビが制作して放送された月9ドラマ「CHANGE」では、神山繁は権力を盾にする政治家の役を演じました。木村拓哉が主演を務めるこの作品は、関東では最高視聴率27.4%、関西では30%の大台にのる大ヒットを飾りました。

ドラマ出演経歴③「マッサン」

NHKの連続テレビ小説ドラマ「マッサン」に出演した際は、ガンコな和尚さん役を演じました。神山繁が演じる和尚が最初はエリーの優しくまっすぐな人間性を見抜いて打ち解ける様子は、多くの視聴者の感動を誘いました。

神山繁の映画出演経歴

ここからは、神山繁の出演していた映画作品を有名なものに絞って取り上げていきたいと思います。神山繁は歳をとって柔和な雰囲気も出た一方で、その迫力のある演技を買われて非常に幅の広い役柄を演じています。

映画出演経歴①「アウトレイジビヨンド」

神山繁が出演している映画作品としてこの「アウトレイジビヨンド」を挙げる方は多いです。北野武が手掛ける人気シリーズですが、北野武は神山繁について「ちゃんとしたお芝居をやっていた人」「芝居熱心な人」と評していました。

知的でありながら怒ったら怖いを体現したようなその芝居に、見る者は心奪われました。比較的身長も高めで体格も良かったので、余計に恐ろしさが倍増していました。

映画出演経歴②「踊る大捜査線」シリーズ

押しも押されぬ人気シリーズ「踊る大捜査線」シリーズにも神山繁は出演しています。『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』では神山繁が演じる警視庁副総監と、いかりや長介演じる和久平八郎との友情が大きくクローズアップされ、非常に話題となりました。

映画出演経歴③「沈まぬ太陽」

WOWOW開局25周年記念作品として、名著「沈まぬ太陽」を映画化した作品です。航空会社や労働組合を通して社会を描いたこの作品にも神山繁は出演しています。神山繁はこの映画では国民航空の社長の役を演じました。

神山繁と言えばサントリー「ウィスキーソーダ」CM

神山繁といえば、サントリーの「ウィスキーソーダ」のCMです。このCMで神山繁の顔が売れていったといっても過言ではありません。少し強面だった神山繁のイメージを払拭したのか、この頃から神山繁の演じる役は柔和なものも増えていきます。

神山繁の死因は肺炎で死去まで幅広い役を演じた俳優

神山繁は高い演技力を武器に、長い間第一線で活躍し続けた俳優です。海軍経理学校というエリート街道を進み、演技の道に転身したあとも技術を磨き続けた職人肌の人です。1987年には最愛の妻を亡くし、1992年に一般女性の方と再婚をしました。

2017年に肺炎が死因で死去しましたが、亡くなる直前まで幅広い役柄を務めて多くの作品に出演し、日本の映像業界を盛り上げました。知的な人物から豪胆な悪役まで演じる姿は、今でも多くの作品とともに日本人の心に刻まれています。

関連するまとめ

関連するキーワード

人気の記事

人気のあるまとめランキング

新着一覧

最近公開されたまとめ