2019年06月16日公開
2019年06月16日更新
工藤明男(柴田大輔)の現在は?元暴走族で関東連合の男の経歴とは!関与した事件も調査
関東連合の元幹部として知られている工藤明男こと柴田大輔は、関東連合が事実上の解散となったのちに関東連合の実態を暴露した本を出版し、話題となっています。工藤明男こと柴田大輔が関与したとされる事件や現在についてまとめてみました。

目次
工藤明男(柴田大輔)のプロフィール
— 工藤明男 (@kudouakio) July 18, 2018
・愛称:工藤明男(くどうあきお)
・本名:柴田大輔(しばただいすけ)
・出身地:東京都調布市
・生年月日:1979年5月24日
・年齢:40歳
・身長:150cm前後
・体重:不明
・血液型:不明
・活動内容:暴走族元リーダー、関東連合元幹部
・事務所:なし
・所属グループ:なし
・家族構成:不明
工藤明男の経歴
文庫化! pic.twitter.com/Q43roHjKgR
— 工藤明男 (@kudouakio) June 24, 2018
工藤明男こと柴田大輔は、日本人の父と在日韓国人二世の母との間に生まれました。工藤明男は幼少期に両親が不仲だったことから小学校高学年頃から素行不良が増え、その後暴走族「宮前愚連隊」に入隊。暴走族に入隊した工藤明男は8代目リーダーとなり、数々の窃盗事件や暴力事件を起こしています。
工藤明男はその後関東連合の幹部となり、2000年に起きた「トーヨーボール殺人事件」や2012年に起きた六本木クラブ襲撃事件にも関与しました。「六本木クラブ襲撃事件」の後関東連合が事実上の解散となり、工藤明男は現在関東連合に関する著書を執筆するなどしています。
柴田大輔と言えば関東連合
工藤明男こと柴田大輔は暴走族「宮前愚連隊」に入隊し、8代目リーダーとなりました。その後関東連合の幹部となり、数々の事件を起こすのです。工藤明男は暴力事件や窃盗事件、また複数の殺人事件にも関与し、何度も少年院送りになっています。
関東連合とは
関東連合とは、工藤明男が入隊していた「宮前愚連隊」や「ブラックエンペラー」などの関東を中心に活動していた暴走族らが連合を組み、結成されたもの。関東連合は結集した勢力で六本木、渋谷、新宿などを縄張りとし、数々の暴力的な犯罪を行っています。
関東連合は2003年に解散したと思われていましたが、その後に発生した多くの事件の関係者としてメンバーの名が挙がっており、OBらの結び付きが強いとされているようです。
関東連合は事実上解散
2000年代から2010年代に起こった事件の関係者として、関東連合メンバーの名が度々挙がっていたことにより、今だ勢力が衰えずにいるとされていた関東連合ですが、2012年に起きた「六本木クラブ襲撃事件」のその後は事実上の解散となっているようです。
関東連合との決別の頃から工藤明男名義で活動
スタジオに観にきてくれていた元関東連合工藤明男氏。 pic.twitter.com/Pyddls3Upt
— 沖田 臥竜/おきた がりょう (@pinlkiai) March 15, 2018
工藤明男こと柴田大輔は、2012年に発生した「六本木クラブ襲撃事件」の後、警察への対応を巡り対立した主犯格の見立真一に「裏切り者は殺す」と脅迫されたことがきっかけで、関東連合とは決別しているのです。
工藤明男は関東連合のメンバーとして活動していた頃までは本名の柴田大輔を名乗っていましたが、関東連合と決別し著書を出版するようになってからは工藤明男名義で活動を始めています。
工藤明男の人物像は?
工藤明男はどのような人物だったのでしょうか?工藤明男は現在関東連合とは決別し、本の執筆活動やメディアへの発信などを行っているようですが、暴走族時代は数々の凶悪な事件を起こし、関東連合の中では一目置かれた人物となっていました。
しかし関東連合が事実上の解散となったのちに、元メンバーだった石元太一らは工藤明男について「若い頃はかっこいい先輩だったし、好きな先輩だった」が、「20代になると、会社を私物化して皆が稼いだ金を飲み代や女に使い、会社を皆で成長させようという気持ちが欠如していた」と自分の利益だけを追求する人間だったことを明かしています。
嘘が多く正義感はないとの声も
また工藤明男は嘘が多く、正義感が無かったということも明かされています。工藤明男は一人一人に違う事を言い上手く立ち回っているつもりでいても、それが皆にバレて信用されなくなったことや、関東連合の名をビジネスに利用しお金を設けていること、また仲間に対してもかなり酷い仕打ちをしていたことを批判されているようです。
工藤明男は仲間思いの正義感の強い暴走族だった訳ではなく、利己的な人間だったために命を狙われることにまでなったのだと考えられています。
工藤明男の現在
工藤明男は関東連合が事実上の解散をした頃から、本名である柴田大輔の名ではなく工藤明男として活動を始めました。工藤明男は関東連合と決別した後、現在はどのように生活しているのでしょうか?工藤明男こと柴田大輔の現在を追ってみました。
柴田大輔の現在は工藤明男名義で本を出版
工藤明男こと柴田大輔は関東連合が事実上の解散となった後、本の執筆活動を始めました。柴田大輔は本を出版する際には本名ではなく、工藤明男と名を変えているのです。
工藤明男が出版した著書は暴走族や関東連合に関するものとなっており、関東連合の名をビジネスに利用したことで仲間たちからの反感を買うこととなりました。
関東連合の実態を本やブログで告白し話題に
関東連合に関する著書を出版した工藤明男ですが、工藤明男は著書の中で関東連合の実態や内情を暴露しているのです。さらには工藤明男として開設しているブログでも関東連合や闇社会に関する話をアップするなどの活動をしています。
柴田大輔が工藤明男名義で活動するようになったのは、「ネット上で創り上げられた関東連合の架空の黒幕”工藤明男”」のパロディだったと言い、当初は本名を隠してメディアへの投稿を行っていました。その後”実名を出さないのは卑怯と言われるのが嫌だから”という理由で工藤明男と柴田大輔はイコールであると公開したのです。
工藤明男は2016年12月にはネット配信番組AbemaTVにて、帽子にサングラスで変装し、初めて公の場に姿を現しました。この番組では元幹部として活動していた関東連合についてコメントし話題となったのです。
現在は株主配当で生活との噂も
工藤明男こと柴田大輔は現在、関東連合に関する著書の執筆活動以外にも、今まで関わってきた事業の株主配当を受けて生活しているという噂もあります。工藤明男は関東連合に所属していた頃にはIT業界や芸能に関するビジネスを手掛けていました。
しかし関東連合が解散したのちに、工藤明男は仲間から命を狙われ、警視庁の保護対象となったのです。工藤明男はそれまでに手掛けていた事業の商業登記から住所が割れることを恐れ、全ての事業の役職を辞して株主配当だけを受けることにしたという経緯がありました。
工藤明男は元暴走族で生い立ちは?
工藤明男こと柴田大輔は幼い頃から非行に走り、10代の時にはすでに暴走族「宮前愚連隊」の8代目リーダーとなっていました。幼少期から非行に走る人には親との関係や育った環境のなど生い立ちが関係していることが多いようです。
工藤明男にも恵まれない生い立ちがあったということなのでしょうか?工藤明男こと柴田大輔の生い立ちについてまとめてみました。
工藤明男こと柴田大輔は元暴走族リーダー
工藤明男こと柴田大輔は、関東連合が結成されてからは幹部の座に付いていたのですが、それまでは関東を縄張りとしていた暴走族「宮前愚連隊」のリーダーとして君臨していたのです。
暴走族「宮前愚連隊」8代目総長
工藤明男こと柴田大輔は幼少期から非行に走り、暴走族「宮前愚連隊」の一員となりました。そこで次第に力を付け、8代目総長の座まで登り詰めるのです。工藤明男は14歳の時には事件を起こし、少年院送りとなっています。
8か月間の少年院生活を送った工藤明男は、反省するどころかさらに凶悪で暴力的な人間へと成長していくのです。
暴走族から関東連合へ
暴走族「宮前愚連隊」の8代目総長となった工藤明男は、その後関東連合に所属し財力や権力を付けていきました。
関東連合は関東圏で活動していた暴走族らが集まって結成された連合で、裏社会で詐欺行為や違法薬物の売買、売春斡旋などの反社会的行為を繰り返し行い、金儲けをしていたいわゆる半グレ集団でした。工藤明男こと柴田大輔はなぜこのような集団に属する事を選んでしまったのでしょうか?
柴田大輔は在日韓国人と日本人のハーフ
いま収録が終わりました。
— 堀 潤 JUN HORI (@8bit_HORIJUN) November 28, 2016
元関東連合の柴田大輔さんのインタビュー。裏社会を、そして学校に対して芽生えた不信の時代で葛藤した子供の頃を。一言では語りつくせぬ濃密な時間を後日 #アベプラ で。村本さんもお疲れ様でした。 pic.twitter.com/fGTJkF0B34
工藤明男こと柴田大輔は日本人の父親と、在日韓国人二世の母親との間に生まれたハーフです。決して生活水準が低かったという訳ではないようですが、工藤明男が幼い頃から両親の仲は悪かったといいます。
両親が不仲だったことで家庭での平安が得られなかった工藤明男は、次第に非行に走るようになっていくのです。もしも育った環境が違っていたのなら柴田大輔は数々の事件に関与することなく、普通の人生を送っていたのかもしれません。
関東連合の男・工藤明男の経歴とは
暴走族「宮前愚連隊」の8代目総長を経て関東連合の幹部となった工藤明男ですが、工藤明男は現在関東連合とは決別しています。
工藤明男は関東連合に所属していた頃にITや芸能のビジネスを始め、財力を付けるようになっていきました。関東連合に所属していた頃の工藤明男こと柴田大輔の経歴についてみていきましょう。
経歴:1996年からビジネス展開を開始
工藤明男こと柴田大輔は、1996年12月頃から関東連合のOBである8歳年上の先輩にビジネスのやり方を教わり、自身でも金儲けのためのビジネスを始めるのです。
ビジネスを川奈毅から学ぶ
工藤明男がビジネスを教わったのは関東連合OBである川奈毅でした。川奈毅はAVプロダクションを持ち、金持ちの実業家を相手に売春斡旋などの事業を展開していた人物です。
川奈毅は芸能や不動産などのあらゆる業界に人脈を持ち、関東連合の中ではパイオニア的存在となっていました。工藤明男こと柴田大輔も川奈毅に習い、様々なビジネス展開を始めるのです。
川奈毅とは現在決別?
先輩OBである川奈毅の力を借りて、工藤明男はIT企業を立ち上げ出会い系サイトや消費者金融などの広告で多額の収入を得ていました。工藤明男が立ち上げた会社は一時期は40億円もの売り上げがあったといいます。
工藤明男は自身が執筆した著書の中で、川奈毅は”関東連合が渋谷や六本木に進出する足掛かりとなったパイオニア的存在”と述べ、”あるゆる業界の人脈を僕たちに繋いでくれた恩人”であると語っているのです。しかし現在はその大恩人である川奈毅と工藤明男は決別していると言われています。
恩人である川奈毅と工藤明男との決別の理由は、2000年6月頃に川奈毅が起こした傷害事件と関係があったようです。川奈毅はこの傷害事件により逮捕され、被害者への慰謝料や弁護費用で経済的に厳しくなり、さらには川奈毅が経営していたAVプロダクションから女優が逃げ出すなどの事態が起こりました。
経済的に困窮した川奈毅は関東連合メンバーを手下のように扱い、金銭を誤魔化し取るなどの行為を行い始めたことで、柴田大輔を含む関東連合メンバーは川奈毅との決別を決めたのでした。一時は絶縁状態となっていた柴田大輔と川奈毅ですが、現在は連絡を取り合う程度に関係は修復しているようです。
経歴:1997年に逮捕で特別少年院入り
柴田大輔が所属していた関東連合は、1997年1月には一般人を死亡させるバイク事故を起こしています。柴田大輔を含む関東連合のメンバーがバイクで暴走し警察に追われていた際に、一般人を巻き込む交通事故を起こしてしまったのです。
柴田大輔と関東連合のメンバーらは証拠隠滅のためにバイクを処分し、また仲間たちと口裏合わせをして逮捕を逃れようとしていました。この事件では証拠不十分のために死亡させた罪には問われずに、罰金刑だけで済んでいるのです。
また同年7月には敵対していたグループ「全日本狂走連盟」と関東連合との抗争が起こります。工藤明男は抗争の末の乱闘で、相手のグループの一人を死亡させてしまいました。
工藤明男は逮捕を免れようと、先輩OBである川奈毅に3か月ほど匿ってもらっていましたが、工藤明男を良く思っていなかった後輩に潜伏先を暴露され、1997年10月に逮捕となったのです。逮捕された工藤明男は特別少年院に送致されることとなりました。
経歴:20000年に出所し関東連合引退
特別少年院に入院していた工藤明男は、2000年3月に出院します。しかし出院から2か月後の5月には、Uターンが禁止されている場所でUターンし、それを注意してきた男性を殴ったとして傷害罪で逮捕されました。
また工藤明男には敵対していたグループのメンバーの一人を車のトランクに詰めた事件で、暴行罪と逮捕・監禁罪の容疑も掛けられており、懲役刑が科せられるはずでしたが、有力刑事弁護士の尽力により執行猶予付きの有罪となって社会復帰することが出来たのです。
工藤明男は2012年に起きた「六本木クラブ襲撃事件」の後に、主犯格である見立真一と警察への対応を巡り敵対し、「殺す」と脅迫されたことで関東連合からの決別を決意したようです。
その後関東連合が事実上の解散となり、工藤明男は本名の柴田大輔の名を伏せて、関東連合に関する著書やメディアへの発信を始めました。
経歴:2016年「AbemaPrime」出演
工藤明男は本名である柴田大輔の名を伏せて関東連合の実態や暴露本を出版し、またネット上でも闇社会の裏側などを告白し、話題となりました。
しかし暴露本の内容から工藤明男が柴田大輔であるということが周知の事実となり、工藤明男は”実名出さないことで卑怯呼ばわりされているのが嫌だ”と考え、本名を明かしたのです。2016年にはネット配信番組AbemaTVのAbemaPrimeに出演し、初めて顔出しで動画に出演したことが話題となりました。
工藤明男が関与した事件を調査
工藤明男は関東連合の幹部に君臨していたのですが、その当時に数々の凶悪な事件に関与していることが分かっています。
工藤明男が関与したとされる事件には、凄惨過ぎることから世間の注目を集めた殺人事件や暴力事件があります。工藤明男が関与したとされる事件についてまとめてみました。
事件①五反田・荏原零神刺殺事件
工藤明男が関与したとされる一つ目の事件は五反田・荏原零神刺殺事件です。この刺殺事件は1997年7月に起こりました。工藤明男を含む関東連合のメンバーは、敵対していたグループ「全日本狂走連盟」のメンバーと抗争の末、100人以上が入り乱れての乱闘騒ぎとなりました。
乱闘後に工藤明男ら関東連合のメンバーが、休憩していた「全日本狂走連盟」を不意打ちで襲撃し、荏原零神の錦織昭を殺害したのです。工藤明男はその後川奈毅の元で匿われていましたが、後輩に通報され逮捕されました。
事件②トーヨーボール殺人事件
工藤明男は2000年5月13日に起こったトーヨーボール殺人事件の実行犯の一人として逮捕されています。トーヨーボール殺人事件とは、大田区池上にあるボーリング場「トーヨーボール」の駐車場で起こった殺人事件。
この事件が起こったのは関東連合と狂走連盟の抗争中だったのですが、工藤明男ら関東連合のメンバーは、人違いで全く無関係な少年を殺害してしまったのです。殺害された少年は集団リンチに合い、見るも無残な姿で発見された何とも凄惨な事件でした。
事件③六本木クラブ襲撃事件
工藤明男が関与した三つ目の事件は、2012年に起きた「六本木クラブ襲撃事件」です。この襲撃では対立していたギャング集団のリーダー格となっていた兄弟の弟を襲うはずだったのですが、外見的特徴が似ていたことから全く関係のない男性が人違いで殺害されました。
この事件の主犯格である見立真一が、後輩3人に罪を被せ自分だけ海外へ逃亡しようという計画を企てるのですが、その後柴田大輔と弁護士らの勧めで実行犯らは警察に出頭し逮捕されたのです。柴田大輔の裏切りに激怒した見立真一は、「裏切り者は殺す」と脅迫し、柴田大輔は命を狙われることとなりました。
事件④高橋祐也への覚醒剤販売説
工藤明男は高橋祐也へ覚醒剤を渡していた人物なのではないかという見方もあるようです。高橋祐也は覚醒剤取締法違反の容疑で4度の逮捕を経験しています。
また高橋祐也は関東連合のメンバーとも深い関わりがあるとされており、「トーヨーボール殺人事件」では犯行に使用された車を高橋祐也が借していたことも判明しているのです。この繋がりから高橋祐也は関東連合から覚醒剤を入手していたのではないかと言われています。
高橋祐也とは
高橋祐也は、女優の三田佳子さんの次男として生まれました。高橋祐也は高校在学中に覚醒剤取締法違反で逮捕され、その後何度も覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕されています。

工藤明男・柴田大輔著書の本一覧
昨年の金沢映画祭でガツンきた。トークイベントが工藤明男(元関東連合)&真鍋昌平(闇金ウシジマ君)、「富士宮市不良一同」ってスタンド花も立ってるだけある、リアルな不良映画だった。明日5/28、新宿k's シネマ『孤高の遠吠』。行くべし pic.twitter.com/qgAwLFRFBp
— 仙頭正教 (@sento1025) May 27, 2016
工藤明男は関東連合が事実上の解散をしたのち、数々の著書を出版し話題となっています。現在までに工藤明男名義や柴田大輔名義で出版されている著書をご紹介します。
工藤明男名義の本一覧
聖域、関東連合の金脈とVIPコネクション
— 前田慶次⚓ (@kabusuki777) October 27, 2016
柴田大輔(筆名工藤明男)
Amazonからさっき届きました。
じっくり読ませて頂きます。 pic.twitter.com/InGMCwZoHN
まずは工藤明男名義で出版されている著書をご紹介していきたいと思います。工藤明男は関東連合の実態を暴露した本や日本の闇社会の現状を描いた本などを出版し、注目を集めました。
工藤明男名義の本:「いびつな絆・関東連合の真実」
工藤明男さんに猫組長を紹介して頂いた pic.twitter.com/A0qEMveTqZ
— 真鍋昌平闇金ウシジマくん最終回 (@shoheimanabe) June 9, 2016
「いびつな絆・関東連合の真実」と題したこの本は2013年7月11日に発行されました。この本では関東連合がどのように勢力を拡大していったかということや、関与した事件についての真相が明かされています。
特に注目を集めたのは西麻布で起きた「海老蔵事件」や、「六本木クラブ襲撃事件」についての詳細でした。ニュースなどでも連日大きく報道されたこの事件について書かれているとあって、世間からの注目度は高く、発売早々7万部を売り上げるヒットとなったのです。
工藤明男名義の本:「実録!激変する日本の闇社会」第3章
【今週の文芸書ランキング】1位 森見登美彦『夜行』/2位 東野圭吾『恋のゴンドラ』/3位 渡辺麻友『知らないうちに』/4位 村田沙耶香『コンビニ人間』/5位 柴田大輔『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』 pic.twitter.com/gaSDhvHTdM
— ジュンク堂書店池袋本店/文芸文庫担当 (@junkuike_bunbun) November 8, 2016
「実録!激変する日本の闇社会」の本の中で工藤明男は第3章の1節「関東連合とヤクザのいびつな関係」を担当しました。この工藤明男が担当した章は話題となり、のちに文庫化され「暴力団にタブー」と題し発売されています。
工藤明男名義の本:「破戒の連鎖」
【ノンフィクション】【新刊】宝島社『破戒の連鎖 いびつな絆が生まれた時代 』工藤明男(1300円+税)関東連合“凶暴化”の裏側を決死の思いで克明に書いた、第一級のノンフィクション。凄惨な抗争と渋谷マネーの内幕。棚番B-1-3(H) pic.twitter.com/0TU4FpHFqo
— 有隣堂ヨドバシAKIBA店 (@yurindo_akb) July 23, 2014
「破戒の連鎖」は。2014年7月25日に発売された1990年代の関東連合をテーマに書かれたノンフィクション。不良少年だった工藤明男が関東連合の幹部を目指し、のし上がっていく様を描き話題となりました。
柴田大輔名義の本一覧
『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』柴田 大輔 著
— 真鍋昌平闇金ウシジマくん最終回 (@shoheimanabe) October 20, 2016
2016年10月26 日発売
表紙描きました!凝った装丁でカッコイイ!この本、本名で世の中に出して大丈夫なのかな!? pic.twitter.com/zMuPPmjRxO
工藤明男は本名の柴田大輔名義でもいくつかの本を出版しているのです。関東連合の幹部だった柴田大輔が書いた本は世間の注目を集め話題となっています。
また柴田大輔の作家としての才能も高く評価されているようです。柴田大輔名義で出版した本をご紹介していきたいと思います。
柴田大輔名義の本:「酒鬼薔薇聖斗と関東連合」
猫組長と工藤明男さんの対談も無事終了。一旦ホテルに戻り、シャワーを浴びてから、東京の社長と夜の東京へ。
— 沖田 臥竜/おきた がりょう (@pinlkiai) October 1, 2016
生野が生んだスーパースターを編集長に一冊頂戴する。初めて手にした一冊に感無量。 pic.twitter.com/MhESaDI0a5
「酒鬼薔薇聖斗と関東連合」と題して出版されたこの本は関東連合と酒鬼薔薇聖斗の事件をリンクさせ、柴田大輔の犯罪少年に対する考えが描かれた作品となっています。
柴田大輔名義の本:「聖域」
『いびつな絆』に始まり『聖域』に完結した柴田大輔さんとの仕事は、私個人の編集歴の中で極めて印象に残る仕事。リアルタイムで色んなことがこれほど起きた企画はありません。『聖域』は元アウトローによる平成一番の手記、作品だと痛切に思います。 pic.twitter.com/QMZB5ihU3s
— ryosuke ino (@RyosukeIno) June 25, 2018
2016年10月27日に発売された「聖域」は、関東連合の金脈とVIPコネクションについて書かれた本で、芸能界の首領やIT業界の長者など、今まで明かされることのなかった関東連合と著名人との蜜月関係や金脈について描かれています。
柴田大輔名義の本:「comics Black Flower」原作担当
明日発売の『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』(柴田大輔)をゲットできたので、先にこちらを読みます!
— 山窩ラボ (@jackiemito) October 25, 2016
工藤明男こと柴田大輔氏は、関東連合ボスのひとり。当事者の目で見た、体験した半グレの実態を暴露しています。どの本も秀逸‼︎ pic.twitter.com/u9jJntXlnv
「comics Black Flower」は、工藤明男名義で出版された「いびつな絆・関東連合の真実」を元にコミック化したリアルバイオレンスコミック。脚本は大島保氏、イラストは山根聖史氏が担当しています。
猫組長や沖田臥竜との共著本「「惡問」のすゝめ」も話題に
猫組長さん、沖田臥竜さん、柴田大輔さんの共著「悪問のすゝめ」(徳間書店)きた! 猫組長さんのプロフィール写真が猫じゃない……。 pic.twitter.com/RRAPRxFOUh
— 花房観音 (@hanabusakannon) July 22, 2017
2017年7月21日に発売された「惡問のすゝめ」は、ヤクザや暴走族の知られざる実態を描いた作品です。この本は元山口組系組長である猫組長や、元山口組直系二次団体幹部だった沖田臥竜との共著本としても話題になりました。
工藤明男の現在は本など出版し執筆活動
工藤明男こと柴田大輔についてまとめてみました。柴田大輔は幼少期から非行に走り、10代で暴走族のリーダーとなったのち、関東連合の幹部にまで上り詰めた人物です。関東連合の幹部として活動していた時には数々の凶悪な事件に関与し、何度も少年院送りとなっています。
関東連合が事実上の解散となってからは、関東連合の実態や解散となった実情を暴露した著書を出版し、話題を呼んでいるのです。工藤明男が出版した本はどれも世間からの注目を集め大ヒットとなっています。