久我美子の現在!若い頃からの経歴は?結婚した夫や娘は?

昭和の時代を彩った大スターの一人である女優の久我美子さん。華族出身の気品の良さも手伝って、若い頃から絶大な人気を誇っていました。それでは、史上最高との呼び声も高い映画でのシーンや夫や娘のこと、高年齢となった久我美子さんの現在の様子などに迫っていきます!

久我美子の現在!若い頃からの経歴は?結婚した夫や娘は?のイメージ

目次

  1. 1久我美子のプロフィール
  2. 2久我美子の現在
  3. 3久我美子の若い頃からの経歴
  4. 4久我美子の結婚した夫や娘は?
  5. 5久我美子(名家出身女優)の出演映画
  6. 6久我美子の現在は引退発表は無いが高年齢で老後の生活の可能性大

久我美子のプロフィール

・愛称:???
・本名:小野田美子(旧姓 久我こが)
・生年月日:1931年1月21日
・年齢:88歳(2019年11月現在)
・出身地:東京都東京市牛込
・血液型:A型
・身長:153cm
・体重:37kg
・活動内容:女優
・所属グループ:???
・事務所:ワタナベエンターテイメント
・家族構成:夫(平田昭彦)

久我美子の経歴

まだまだ世界各地で戦争が繰り広げられていた1931年、東京都東京市で久我美子さんは産声を上げました。久我美子さんの実家である久我家は村上天皇の流れを汲む名家で、「華族制度」の残っていた当時の日本において、父親は「侯爵」という地位にあったそうです。

しかし、華族という立派な家柄であったにもかかわらず、世間知らずの祖父と父が事業に失敗してしまい、多額の借金を抱えてしまいます。さらに詐欺にも巻き込まれてしまったことで、名門久我家の経済状況はあっという間に追い込まれていきました。

久我家の経済状況が逼迫し追い込まれていく中、娘である久我美子さんが立ち上がります。まだ「学習院女子中等科」に在学中だったという久我美子さんでしたが、家計を少しでも助けたいという一心で、「東宝ニューフェイス」に応募し見事に合格を勝ち取りました。

東宝ニューフェイスの同期には、名俳優として名高い「三船敏郎」さんや「若山セツ子」さんなどがいたそうです。錚々たる名俳優の中でも久我美子さんの生まれ持った品の良さと演技力は際立ったものがあり、瞬く間に人気女優としての地位を確立していきました。

人気女優となってからも数多くの映画やテレビドラマに出演し、1969年にはフジテレビのワイドショーとして人気のあった「3時のあなた」の司会も務めるなどマルチな才能を発揮します。当時はその可愛らしい笑顔に魅了された人も多かったそうです。

1961年には俳優の平田昭彦さんと結婚し幸せな家庭を築きますが、1984年に病気により最愛の夫を亡くしてしまいます。2000年代に入ると公の場にあまり姿を見せなくなりましたが、名演技は現在でも語り継がれているほどで、昭和の大スターと呼ぶに相応しい女優の一人と言えるでしょう。

久我美子の現在

昭和の時代を彩った大スターの一人として数えられる久我美子さん。数々の映画やドラマに出演し、可愛らしい雰囲気を持ちながらも気品あふれる久我美子さんの魅力に取りつかれてしまったという人も多いのではないでしょうか?

1947年に彗星のごとく現れて、女優として数々の名作に出演をしてきた久我美子さんが、現在どうされているのかファンであれば気になってしまうものです。ここでは、昭和を代表する名女優と言われた久我美子さんの現在の様子についてみていきます。

2019年の誕生日で年齢88歳の久我美子

これまで多くの映画やテレビドラマに出演し、その可愛らしい表情と気品あふれる雰囲気から絶大な人気を誇っていた久我美子さん。スクリーンを通して見ていたファンにとっては、いつまでも若い頃のままの印象を持ってしまいがちです。

しかし、1931年生まれの久我美子さんは2019年の誕生日を迎えると年齢が88歳になるそうです。映画でセーラー服を着てあどけない表情を見せていた久我美子さんが、88歳という年齢になっていることに驚かれた人もいることでしょう。

年齢88歳現在の女優活動

2019年の誕生日を迎えると88歳という年齢になる久我美子さん。昭和の銀幕のスターとして数々の映画に出演していたことを知っている者にとっては、久我美子さんの現在の女優としての活動についても気になってしまうものです。

2000年「川の流れのように」映画出演以降は不明

1947年のデビュー以来、数々の映画やテレビドラマへと出演をしてきた久我美子さんですが、実は2000年代に入ってから女優としての活動を行っていません。2000年に公開された「川の流れのように」に出演された後は全く表舞台へは出てきていないのです。

三ツ矢歌子が他界し2004年に公の場に

2000年に公開された「川の流れのように」の後は、全く表舞台に出てくることがなくなり多くのファンを心配させていた久我美子さん。2004年に女優の「三ツ矢歌子」さんが亡くなられたときに久々に表舞台へとその姿を現します。

三ツ矢歌子さんは亡くなった夫の姉だったこともあり、葬儀に参列したものと思われます。2000年を最後に表舞台から遠ざかっていた久我美子さんの元気そうな姿を見て、ファンの人たちも胸をなでおろしたことでしょう。

現在は高年齢で老後の生活との噂も

2004年の三ツ矢歌子さんの葬儀に出席された後は、またしても表舞台から姿を消してしまっている久我美子さん。ファンの間では高年齢で老後の生活をしているのではないかともっぱらの噂になっているそうです。

88歳という年齢になることやSNSもされていないため、2000年の映画出演を機に老後の生活に入ったという噂が出てきたものと思われます。しかし、88歳という年齢になっても病気になったという話が出てこないことはファンにとっては嬉しいことでしょう。

久我美子の若い頃からの経歴

2000年代に入ってから、めっきりと女優としての活動がなくなってしまった久我美子さん。しかしながら若い頃の活躍は誰の目から見ても素晴らしいものでした。ここまでの話を聞いて、久我美子さんの若い頃の活躍を知りたいと思った人も多いのではないでしょうか?

多くの映画に出演し「史上最高のシーン」とまで呼ばれるようなった演技もありました。ここでは、久我美子さんの映画の出演経歴についてはもちろんのことですが、演技以外の経歴についても見ていくことにします。

若い頃からの経歴①伯爵令嬢から女優への道

冒頭でも少し触れましたが、女優として活躍をした久我美子さんが世間から注目を集めるきっかけとなったのは、やはり久我美子さんの出生に理由がありました。久我美子さんの生まれた久我家は、由緒正しき家柄である華族だったのです。

当時の久我家は経済的に追い込まれていた状況で、家計を助けるために女優を志したのですが、体面を重んじる家族から猛反対をされてしまいます。しかし、久我美子さんの決意は固く、本名である「久我(こが)」を名乗らないことを条件にデビューをしました。

久我美子の実家は名家「久我家」

華族という由緒正しき家柄から芸能界入りを果たした久我美子さんですが、現在は華族という制度がないために、どれほどすごいことかピンとこない人もいるかと思います。そんな人たちのために、華族制度についてもわかりやすくご説明しておきましょう。

かつて日本には「公家」と呼ばれる人たちがいました。その中には「家格」というものが存在し、摂関家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家などに分けられ、久我家は上から二番目の「清華家(せいがけ)」に入るほどの名家だったそうです。

若い頃からの経歴②第一期東宝ニューフェイスに合格

名家である久我家から女優の道へと進んだ久我美子さん。母親の影響で小さい頃から映画や芝居が身近にあったことも影響し、わずか12歳で女優になることを決めていました。15歳という年齢にして4000人の中から第一期東宝ニューフェイスに合格を果たします。

若い頃からの経歴③映画「四つの恋の物語」ヒロインデビュー

4000人の中から見事に東宝ニューフェイスに合格し、これから女優としての下積みが始まるのかと思いきや、いきなり映画の主役に抜擢をされます。1947年に公開された「四つの恋の物語」という4部作になっている映画の「初恋」にて華々しくデビューを飾りました。

この初恋という映画は誰もが知る名監督の一人である「黒澤明」さんが脚本を務めます。さらに久我美子さんの相手役には、これまた名俳優として名高い「池部良」さんが出演されるなど、新人女優のデビュー作としてはかなり豪華なものだったそうです。

若い頃からの経歴④映画「また逢う日まで」キスシーンが話題に

デビュー作でいきなりの主役を射止めた久我美子さんですが、さらに久我美子さんの知名度を上げることとなる作品に出演を果たします。それは、1950年に公開された「また逢う日まで」という映画でした。

1960年代まではキスシーンなどがはばかられる時代であったにもかかわらず、相手役を務めた「岡田英治」さんとの窓ガラス越しのキスシーンは大きな話題となりました。そのシーンは現在も語り継がれており、史上最高のシーンと呼ばれています。

若い頃からの経歴⑤文芸プロダクションにんじんくらぶ結成

1947年のデビュー以来、女優として第一線を走り続けてきた久我美子さん。1953年に大手映画会社(松竹、東宝、大映、新東宝、東映)が映画監督や俳優の引き抜きを禁じた「五社協定」を作るのですが、それに反発する形で1954年に「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を結成します。

女優の「岸恵子」さんや「有馬稲子」さんと共に立ち上げ、自由に映画を作ることを目指し、これに賛同した多くの俳優が所属をしたそうです。しかし、1965年に制作した「怪談」という作品が日本国内で不評だったこともあり、多額の負債を抱えて倒産してしまいました。

久我美子の結婚した夫や娘は?

自らプロダクションを立ち上げる行動的な一面も見せつつも、可愛らしさは群を抜いていたと言われていた久我美子さんについて、やはり気になってしまうのは結婚をされているのかどうかということではないでしょうか?

もし結婚をされているのであれば、絶大な人気を誇った久我美子さんのハートを射止めた相手が誰なのかどうしても気になってしまうものです。ここでは、絶大な人気を誇った久我美子さんの結婚相手と娘についてみていきます。

1961年に夫の平田昭彦と結婚

あどけない表情と気品あふれる雰囲気から絶大な人気を誇った久我美子さん。1961年に俳優の「平田昭彦」さんと結婚をされました。俳優とは結婚をしないと言っていた久我美子さんが、俳優である平田昭彦さんと結婚をしたというニュースに驚かれた人も多かったことでしょう。

夫の平田昭彦とは

1961年に絶大な人気を誇っていた久我美子さんのハートを射止めた平田昭彦さん。俳優として「ゴジラ」や「ウルトラマン」など主に特撮物と呼ばれる作品に出演をしていました。インテリっぽい雰囲気は、当時の女性ファンの心をしっかりとつかんでいたようです。

結婚した夫(平田昭彦)との馴れ初めは映画「大坂城物語」共演

大物女優である久我美子さんと女性に人気だった平田昭彦さんが結婚をされたというニュースが全国を駆け巡ると同時に、二人の馴れ初めについても大きな話題となりました。きっかけは平田昭彦さんが久我美子さんに猛烈にアタックをしたことにあるそうです。

平田昭彦さんは久我美子さんが出演をしていた「酔いどれ天使」という映画を観てから好きになってしまったらしく、映画「大阪城物語」で共演して付き合うようになりました。付き合ってからは相思相愛で、誰もがうらやむような関係だったそうです

結婚した夫(平田昭彦)との間には娘がいる?

1961年に俳優の平田昭彦さんと結婚をされた久我美子さんですが、結婚したと聞くとどうしても気になってしまうのが子供についてでしょう。息子であればイケメンであることは間違いないでしょうし、娘であれば美女になっているのではと想像してしまいがちです。

夫(平田昭彦)と娘など子供はいない

現在の芸能界でも二世俳優が多く活躍していることを考えても、もし平田昭彦さんと久我美子さんの間に息子か娘がいたなら大活躍をしていることが予想されるでしょう。しかしながらお二人の間には息子も娘もいないそうです。

1984年に夫(平田昭彦)が癌性リンパ管症で他界

1961年に結婚して以来、芸能界きってのおしどり夫婦と呼ばれた平田昭彦さんと久我美子さん。お二人の仲睦まじい様子にうらやましいと思った人も多かったことでしょう。しかし、1983年に平田昭彦さんは「十二指腸潰瘍」という病気にかかってしまいます。

懸命に治療に励んだ結果、翌1984年に復帰を果たし、次なる映画出演にも意欲を燃やしていた矢先、今度は「癌性リンパ管症」という病気にかかってしまいました。それでも復帰するために懸命に治療に励んだそうですが、わずか56歳という若さで亡くなってしまいました。

夫(平田昭彦)他界後も再婚はせずに独身の久我美子

夫を亡くし独身となってしまった久我美子さんですが、あれほどの美貌を誇ったのですからきっと言い寄る男性も多かったはずです。しかし、夫である平田昭彦さんを心から愛していたのでしょう、その後も結婚をせずに現在も独身を貫いているようです。

久我美子(名家出身女優)の出演映画

最愛の夫を病気で亡くした後も独身を貫き、多くの作品に出演を果たしてきた久我美子さん。先ほども出演映画をご紹介しましたが、久我美子さんの他の出演映画についても気になってしまうのではないでしょうか?ここでは、その他の久我美子さんの出演作品についてみていきます。

出演映画①「ゴジラvsビオランテ」

1947年に女優として華々しくデビューしてから多くの作品に出演をしてきた久我美子さんですが、1989年に「ゴジラvsビオランテ」に出演をします。久我美子さんを知る人にとって「ゴジラvsビオランテ」という特撮物の作品に出演したことに違和感を覚えたという人もいるでしょう。

亡き夫(平田昭彦)の遺志を継ぎ出演

実は久我美子さんがこの映画に出演されたのには、夫である平田昭彦さんが大きく関わっていました。生前ゴジラ映画に情熱を傾けていた平田昭彦さんは、出演したくてもできない状態で亡くなられてしまいます。ですから、夫の遺志を継いだ久我美子さんが出演することを決断したそうです。

出演映画②「春のめざめ」

亡くなった夫の遺志を継いで特撮映画にも出演を果たした久我美子さんですが、やはりデビュー当時の若い頃の作品も見逃してはいけないでしょう。1947年に公開された「成田巳喜男」監督の「春のめざめ」では、初々しい演技を見ることができます。

この作品での久我美子さんは思春期を迎えた娘(久美子役)で出演をされていました。「性」にまつわる男女の心の葛藤と成長を描いた作品で、久我美子さんは性のことなど何も知らないという生粋の娘役を見事に演じ切っています。

出演映画③「酔いどれ天使」

1947年に公開された春のめざめにおいて見事に娘役を演じた久我美子さんは、翌1948年の「酔いどれ天使」にも出演をされます。志村喬さんと三船敏郎さんが演じる医師とヤクザが出てくる映画で、一輪の花のような可憐な女学生役を演じますます注目されるようになりました。

久我美子の現在は引退発表は無いが高年齢で老後の生活の可能性大

芸能界では珍しい華族出身という生い立ちを持っている久我美子さん。可愛らしさと気品あふれる演技で、デビュー後は瞬く間に人気女優となり、大ファンだっという人も多かったはずです。しかし、2000年代に入ってからはすっかりその姿を見なくなってしまいました。

久我美子さんはTwitterなどのSNSもされていないために、その消息は全く分かっていないのが現状です。巷では老後生活に入っているのではないかとの噂も流れていますが、もう一度久我美子さんの女優としての姿を見たいと思っている人も多いことでしょう。

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この記事のライター
大橋類太郎
北海道の田舎に住んでいる大橋類太郎です。 ドライブが好きで暇さえあれば広い北海道を走り回っています。 コツ...

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