玄倉川水難事故(DQNの川流れ)とは!概要やその後を調査!

通称「DQNの川流れ」として知られている玄倉川水難事故。計13名が死亡する水難事件と成ったこの玄倉川水難事故ですが、今回はこの玄倉川水難事故の概要やその後の裁判、そして生存者の現在についてご紹介致します。暴言を吐いたあのリーダー「加藤直樹」は今何を⁉

玄倉川水難事故(DQNの川流れ)とは!概要やその後を調査!のイメージ

目次

  1. 1玄倉川水難事故とは
  2. 2玄倉川水難事故は何故DQNの川流れと言われるのか?
  3. 3玄倉川水難事故のリーダーや生存者・死者
  4. 4玄倉川水難事故「DQNの川流れ」暴言まとめ
  5. 5玄倉川水難事故被害者らのその後
  6. 6ネットでは保険金殺人との噂も?
  7. 7玄倉川水難事故から学ぶ教訓
  8. 8玄倉川水難事故から学ぶことは多い

玄倉川水難事故とは

計13名が命を落とした玄倉川水難事故

それでは早速玄倉川水難事故についてご説明して行きたいと思いますが、先ずはこの玄倉川水難事故とは一体どのような事故だったのかを簡単に説明して置きたいと思います。

この玄倉川水難事故は神奈川県足柄上郡山北町にある玄倉川で発生した水難事故であり、大人子供併せて計13名もの人命が失われました。

この事故で横浜市内の廃棄物処理会社に勤める男性社員達と、その子供6人を含む彼等の家族、そしてその社員達の婚約者や女友達を含む計18人が、熱帯低気圧の影響に拠る大雨と増水により氾濫した河川の濁流に飲まれ死亡しました。

過去に類を見ない被害を出したこの事件を受け、その後ウォーターレスキューが設置されるなど、水難事故とその救助を見直すきっかけと成った事故としても知られています。

事件発生日時

玄倉川水難事故が発生したのは1999年8月14日。今から20年前のお盆休み期間の真っ只中の事でした。当時オートキャンプがブームと成っていた事や、ペルセウス座流星群の極大等の影響もあってか、この日の玄倉川中州には数箇所で50張り程度のテントが張られていたそうです。

この玄倉川水難事故が発生した玄倉川の中洲はキャンプ指定地ではなくあくまでも自然の中洲であり、水量が増した際は危険が生じる場所で有った事は言うまでもありません。然しながらその様な最悪の事態が起こる筈も無いと、その場にテントを貼っていた人々は皆そう考えていたのでは無いでしょうか?

玄倉川水難事故当時の天候

玄倉川水難事故発生当時の天候ですが、神奈川県全域に大雨洪水警報が発表される程の悪天候(豪雨)でした。そもそも何故その様な日にキャンプを行うのか?と疑問を感じる方も少なくは無いと思いますが、実は事故があった当日は北日本、東日本は猛暑で四国や九州は曇りや雨が続く「東高西低」の気象となっていたのです。

当時は札幌の平均最高気温が那覇を上回るという程の異常気象で、通常では殆ど見る事の無い北緯20度での熱帯低気圧の発生も見られていました。これが台風に発達する程のエネルギーではないものの、日本列島には常に不安定な天候を齎していたのです。

つまり、例え今が晴れていたとしても一瞬で豪雨と成るような非常に不安定な天候で有ったという事です。お盆期間中という事もあり、キャンプの予定を立てた以上は多少の天候不安であれば決行しようというのが人間の性でもあります。

しかしその判断が結果的に多くの命を落とす痛ましい事故の原因と成ってしまいました。ゲリラ豪雨が齎す様々な被害は現在では多くの人々に認識される様に成りましたが、当時はそういった天候不安が齎す恐怖に対しての認知が余り進んでいなかったのも、玄倉川水難事故が発生した要因の1つであると言えるでしょう。

定期的にキャンプを楽しんでいる方であれば、天候状態に対する注意と万が一急転した場合に取るべき対応は知っていて当然の事ですが、ブームに乗じて楽しんでいた俄キャンパーの多くは「万が一など起こりえない」という前提でキャンプを行っている場合が殆どです。

そういう方は然るべきオートキャンプ場でキャンプを行うべきなのですが、そういう方に限ってこの玄倉川の中州の様なキャンプ指定外区域にテントを貼る様な蛮行を犯してしまいがちです。危険に敏感な人間であれば今回の事故は防げた筈ですから、この辺は天候を意識しなかったキャンパーの自己責任で有るとしか言い様がありません。

玄倉川水難事故の時系列

それではここで玄倉川水難事故発生から収束迄を時系列で見ていきましょう。一体どの様な経緯でこの玄倉川水難事故は発生してしまったのか、その流れを振り返ります。

玄倉川水難事故の発生前日の様子

玄倉川水難事故発生前日の1999年8月13日の午前10時。横浜市内の廃棄物処理会社「富士繁」に勤務する社員数名とその家族・関係者併せて18名が神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川の中洲にテントを貼り、キャンプをスタートさせます。

午後15時頃、天候悪化に伴い巡回中であったダムの管理事務所員がキャンプ客に対し1回目の警告を行います。増水と水位上昇の危険性を呼びかけ、これに応じた大部分のキャンプ客は退避。然しながら富士繁のグループはこれに応じずキャンプを続行します。
 

16時50分に神奈川県全域に対し大雨洪水注意報が発令。19時35分頃には雨足もかなりの激しさとなり、増水に伴って玄倉ダムの上流では放流予告のサイレンが鳴り響きます。

19時50分頃にダム管理事務所員が2回目の巡回を行った際、中州に残っていた富士繁グループに対し退避するよう直接勧告を行うも全く反応が無く、これ以上は危険と判断したダム管理事務所員は20時06分に警察への連絡を行います。

21時10分に連絡を受けた松田署の警察官が到着。ダム管理事務所員と共に中州にいる一行に対して退避勧告を行います。これを受け、年齢の高い社員とその妻ら3名が中州を離れ自動車に退避します。

残り18名は警察官の退避勧告に応じず中州に残りますが、既にこの時には中州と岸辺の水位の勢いは増しており、直接中州に行く事すら不可能な状態と成っていたのです。


警察官はグループに対し再度退避勧告を行いますが、酒に酔った一行はその勧告にも応じません。テントには子供も沢山居る事もあって、警察もこのまま夜中に川を渡るのは危険だと判断。明け方を待ってから移動を行う事を決定します。

玄倉川水難事故の発生当日の様子

翌朝5時35分に神奈川県全域に対し大雨洪水警報が発表されました。当時は未だ膝下程度の深さだった為、前夜に退避したメンバーが川を渡り中州に居る他のメンバーに退避を促しましたが、一行はこれにも応じず。

7時30分頃には警察官が再度退避勧告を行いましたが、またしても反応はありませんでした。当時は対岸と中洲は陸続きになっていたので、もし何かあったとしても問題ないだろうと判断した警察官は一度その場を離れます。

その約30分後である午前8時04分に、退避済みであったメンバーから119番通報が入ります。熱帯低気圧の接近の影響からか現場は僅か30分程で本格的な暴風雨に見舞われており、みるみるうちに水位が上昇。あっという間に中洲が陥没してしまったのです。

既に対岸までの水位も腰以上あり、とても歩いて渡れる状態では無かったそうです。テントも流され、大雨の中で取り残された一行はただひたすらにパニック状態に陥るのみでした。

 

9時07分に足柄上消防組合本部から救助隊5名が現場に到着。渡歩による救助を試みるものの、激しい水流と水位に阻まれ救助を断念。その後10時10分に消防組合が救助ヘリの要請を行うも、二次災害が懸念される状況下で有るため、ヘリでの救出は不可能と判断されました。


10時30分頃、レスキュー隊が対岸に救命索発射銃で救助用リードロープの発射を2度試みますが、何れも失敗。その後警察からの要請を受けて11時頃に玄倉ダムの放流を一度停止したのですが、貯蔵量の限界によりダム自体が崩壊の危機に直面した事から僅か5分で放流再開となってしまいました。

11時38分、胸まで達した水深は既に2m以上もあり、濁流と成って勢いを増すばかりでした。それまで懸命に堪えていた一行は遂に堪えきれずに流されてしまいます。

流された直後に1歳の甥を抱えていた伯父が甥を岸辺に向かって放り投げ、別のキャンプ客が自らの危険を顧みずに川へと飛び込み、無事この男児を救い上げました。そしてこの男児の父親と姉を含む大人3人と子供1人が対岸に流れ着き救助されました。

残り13名は下流にある立間堰堤から流れ堕ち、そのまま姿を確認する事が出来なくなりました。12時過ぎには現地本部が設置され、大規模な救助と捜索活動が開始されます。そして19時頃に丹沢湖で女性の2名の遺体を発見しましたが、依然他のメンバーの発見には至りませんでした。

玄倉川水難事故の発生から翌日以降の様子

翌日からは警察・消防・自衛隊の340人体制で捜索開始するも、檻からの大雨で流木や浮遊物が多く、捜索は困難を極めます。7時頃から警察と消防、そして自衛隊の救助チームが対岸に流れ着いていた4名の救助を開始。

午後には丹沢湖で更に2人の遺体を発見。その後も連日捜索が行われた結果、捜索打ち切りリミットであった29日に最後の1名(1歳女児)の遺体を発見し、13名全員の遺体を回収するに至りました。

玄倉川水難事故は何故DQNの川流れと言われるのか?

13名が命を落とすという非常に痛ましい事故であるこの玄倉川水難事故。にも関わらずこの事故には「DQNの川流れ」という通称が付けられています。意味の分かる方の中には「非常に不謹慎極まりない通称だ」と感じられる方もいらっしゃるのでは無いでしょうか?

では何故これほどの惨事と成ったこの玄倉川水難事故が「DQNの川流れ」という通称で呼ばれているのかを、DQNというワードの持つ意味や、その要因と成った様々な言動と共に検証して行きたいと思います。

玄倉川水難事故の通称「DQNの川流れ」の「DQN」とは

玄倉川水難事故の通称である「DQNの川流れ」。13名もの命が失われた事故に対してこの様な名称を付けるのは確かに不謹慎極まりない事です。ただ、こうした通称が付けられたのにはそれなりの理由があるというのもまた事実なのです。

では、そもそもこの「DQN」というワードを御存知無い方もいらっしゃると思いますので、先ずはこのDQNとは一体どの様な意味なのかをご説明したいと思います。

DQN(ドキュン)とはインターネット発祥のスラングであり、蔑んだ相手に対して使用する呼称の1つです。「軽率そうな者」「粗暴な風貌をしている者」など、いわゆるヤンキー的な人種に対してこの様な呼称が使われます。

これはネット使用者(某匿名掲示板常駐者)の多くがこれらDQN勢とは180度真逆の人種という事を想像して頂くと、関係性が更に分かりやすいモノと成るでしょう。

このDQNというスラングの由来はテレビ朝日で放送されていた『目撃!ドキュン』にあると言われています。

この番組は「離婚等によって生き別れた親子が感動の対面を果たす〜…」的な内容で、それをもじり「15歳で結婚して子供が生まれて、20歳になったら離婚して、40歳になったら目撃ドキュンに出ている人」という意味で「DQN」と2ちゃんねるを中心に呼ぶように成ったのだとか。

現在で言うところの「オラオラ」「パリピ」「ウェーイ」等、チャラそうで頭の悪そうなヤンキー乗り大好き男子への侮蔑語の源流とも言えるのがこのDQNなのです。

「DQNの川流れ」と言われる理由①警告に対する態度

では何故この玄倉川水難事故がDQNの川流れと揶揄されるのか、その理由を順番にご説明して参ります。先ずは警告に対する彼等の態度です。天候の悪化と水位の増加を受け、ダム職員が警告を行っていますが、それに応じず、更には度重なる警察からの退避勧告に対しても彼等は応じていません。

更には応じない迄か彼等は職員や警察官に対し、とんでもない暴言を吐いているのです。この暴言の内容に関しては後程詳しくご紹介させて頂きますが、悪態を散々ついた挙げ句に結果として流された訳ですから、コレは明らかに自業自得であると、そう多くの人々が感じるのも当然です。

「DQNの川流れ」と言われる理由②救助活動への態度

続いては救助活動への態度です。こちらも後程詳しくご紹介致しますが、彼等は度重なる勧告を受けたにも関わらず、自らの意思で危険な場所に留まり、結果として救助を受ける事に成りました。にも関わらず上から目線が当たり前かの如く救助を行う隊員らに対し暴言を吐き捨てているのです。

救助を行う方も命懸けです。救助隊員も命を落とす危険性もあるのですから、そんな状況を作り出してしまった事に対し申し訳ないと感じるのが当たり前ですが、彼等はそんな事はお構いなしにある暴言を吐いているのです(これは生存者であるリーダー「加藤直樹」の発言)。

「DQNの川流れ」と言われる理由③救助後の態度

そして救助後の態度も多くの人々から反感を買う事に成りました。人命救助を行っている最中に「テントを回収して返してくれ」等というとんでもない発言をするなど、まさにDQNの行動原理そのものの鬼畜な発言を繰り返した生存者(リーダー「加藤直樹」)。

さすがにこれには頭に来た方も多かったのではないでしょうか?こんなバカを助けるために命を張らなければいけないなんて救助隊員が可愛そうです。そういった経緯が有れば確かにこの様な悲しい事件でも「DQNの川流れ」と揶揄されてしまうのも致し方ない気がします。

被害者の暴言や態度から「DQNの川流れ」と命名された

この玄倉川水難事故が「DQNの川流れ」と言われているのは、流された一行の言動や振舞いが明らかに常識から外れたDQN的行動だったため、「自業自得」「流されて当然」という意味合いも込めてこの「DQN」の川流れという蔑称が付けられたのです。

13名もの命を落とした事件という事を考えると、蔑称を付けて弄るなどさすがに不謹慎が過ぎるところではありますが、上記の理由を踏まえると、正直これはDQNの川流れと言われても致し方ない部分は有ると感じてしまう部分もあります。

子供達の掛け替えの無い命が失われてしまった事が、今回の事件で最もDQNな点であると、そう感じている方も少なくはありません。自己責任で流され命を落としたのが大人だけであれば、こんな話には何の同情もありませんが、子供の命を落とす原因を大人が作り出したという点が何とも後味が悪いのです。

玄倉川水難事故のリーダーや生存者・死者

それではここで玄倉川水難事故のリーダーや、生存者・死者についてご説明して参りたいと思います。18名のキャンプ参加者(先に勧告を受けて避難した3名を除く)の内、生存者は5名で、残る13名が死亡しています。

「DQNの川流れ」のリーダーとは?

この玄倉川水難事故(通称「DQNの川流れ」)には、リーダーと言われている人物がいるようです。この人物がこのキャンプを企画した張本人の様で、職員や警察官からの度重なる退避勧告に対し、率先して暴言を吐いて拒否するように扇動していたと言われています。

「DQNの川流れ」のリーダーの名前は加藤直樹

このリーダーとされている人物の名は「加藤直樹」と言います。加藤直樹は産廃業者「富士繁」で働く社員で、今回の玄倉川水難事故のキャンプを企画した張本人だと言われています。そのため加藤直樹はこの一件でのグループリーダーとして扱われています。

リーダーの加藤直樹は玄倉川水難事故の生存者

そしてこのリーダーである加藤直樹は玄倉川水難事故の生存者でもあります。この加藤直樹はリーダーとして警察や職員の勧告に暴言を吐き、リーダーとしてグループを危険な状態に落とし込み、そして自らはリーダーにも関わらず生存者として13名の生命と引きかけに今日も生き続けているのです。

リーダーである加藤直樹は、何故素直に職員や警察官の勧告に従う事が出来なかったのでしょうか?加藤直樹にリーダーの自覚があったのであれば、グループ全員に危険が及ぶ可能性がある事を考え、早々に中洲から退避することを決めなければ成らなかった筈です。

それをこの加藤直樹は有ろう事か暴言を吐くようにグループを扇動し、挙句の果てには自らは生存者として救助されているのです。男としてここまで恥も外聞もない生き方がよくぞ出来たものだと関心せざるを得ませんね。

更にはこの加藤直樹は救助の最中にも暴言を吐き、地元の人達にも暴言を吐き、と、とても常人では考えられない恥知らずな言動を取り続けています。終いにはテントを回収して返してくれと指示する始末ですから、対応した隊員も開いた口が塞がらない思いだったことでしょう。

玄倉川水難事故の生存者と死者は?

玄倉川水難事故の生存者

玄倉川水難事故の生存者は31歳男性と5歳の娘、31歳男性と29歳男性の兄弟、そして1歳男児の5名です。

玄倉川水難事故の死者

これに対し玄倉川水難事故の死者は合計13名。これを見る限り女性は最初に対比していた参加者以外は全て死亡した事に成ります。その中には沢山の子供も含まれていました。

玄倉川水難事故「DQNの川流れ」暴言まとめ

では玄倉川水難事故(DQNの川流れ)で加藤直樹らが実際に吐いたとされる暴言についてご紹介致します。彼等が身勝手極まりない行動の中で多くの人々に吐き捨てた暴言をまとめてみましたので、その愚かな言動をしっかりと御覧下さい。

玄倉川水難事故〜警告段階編〜

ダム管理職員や警察に対するDQNな暴言

ダム管理職員や警察官が、明らかな天候悪化に拠って危険が迫っている事を彼等に伝えた際、彼等DQNの川流れグループは口々に「早く失せろ、殴るぞ」「放っておいてくれ、こっちは楽しんでいるんだよ」等と吐き捨てたそうです。

地元住民に対するDQNな暴言

また、頑なに中洲に居座ろうとする彼等に対し、心配した地元住民が避難した方が良いと声を掛けた際も「地元の人は臆病だ」「田舎者はプライバシーを侵すのが趣味」などといった暴言を吐いていたそうです。

玄倉川水難事故〜救助中のレスキュー編〜

救助してくれた自衛隊へのDQNな暴言

当然ながら一歩間違えば救助する側も自ら命を落としかねない状態にあります。そんな事は小学生にだって分かる事でしょう。そんな命懸けで助けに来てくれた隊員に対し、彼等DQNは「おい、こら、ヘリを呼べ」「もたもたすんな」「仕事なんだから早く助けろ」との暴言を吐いたとか。助ける必要があったのかすら疑問に感じてしまいますよね。

救助後の地元住民に対するDQNな暴言

また、救助された後に地元住民から差し入れを受けたDQN(加藤直樹)は、頂いたおにぎりを「マズイ」と言って地面に叩きつけたそうです。

「もう一度川に流してしまった方が良かったのではないか?」という声が殺到したというのも納得ですね。ここまで来るとDQNなんて可愛らしい物でなく「馬のクソより劣る外道」といったところでしょうか。

玄倉川水難事故被害者らのその後

玄倉川水難事故生存者のその後

それでは続いて玄倉川水難事故生存者のその後についてです。生存者たちはその後どの様な暮らしを送っているのでしょうか?その後の生存者たちの足取りを追ってみました。

玄倉川水難事故の生存者と成った大人達の現在

玄倉川水難事故の生存者と成った大人達の現在ですが、残念ながら彼等生存者がその後どの様な人生を歩んでいるのかについて、明確な情報を見つける事は出来ませんでした。

玄倉川水難事故の生存者と成った子供達の現在

また玄倉川水難事故の生存者と成った子供達についても同様で、その後どの様な生活を送っているか現在は何も分からない状態です。ただ、一時期加藤直樹の子供がブログを開設していたという情報はありましたが、その後其のブログは閉鎖されており、現在は何の情報もない状況です。

事故後も廃棄物処理会社は営業を続けている

玄倉川水難事故があったその後も、加藤直樹らが働いていた廃棄物処理会社「富士繁」は営業を続けているようです。まあ、この会社に玄倉川水難事故の直接責任が有る訳ではありませんから、営業していたとしても何ら後ろめたい事もありません。

ただ、関係ないにせよ5名の社員がこの玄倉川水難事故に関与していた訳ですから、会社としてはむしろマイナスイメージと成ってしまった筈。会社が責任を取る必要も全くありませんが、世間的には余計なイメージが付いてしまったかも知れませんね。

DQN達は謝罪の場を設けなかった

生存したDQN達はその後何らかのアクションを起こすものだと見られていましたが、遂ぞ謝罪会見すら開くことはありませんでした。「恥知らず」という言葉がこれほどまでに似合う人間は見たことがありません。

玄倉川水難事故をその後の教訓に

気象庁は台風の強さの名称を変更

気象庁はこの玄倉川水難事故を受けて、その後台風の強さを示す名称の変更を行いました。それまで使用されていた「弱い」「ごく小型な」等の表現が「大したことない」という誤った認識で受け止められる可能性が有った為、それらの表現を廃止するようにしたそうです。

ウォーターレスキューの発足

また、玄倉川水難事故の様な水難事故が発生した際に迅速な救助を行うため、専門のウォーターレスキューが設立されました。

ネットでは保険金殺人との噂も?

実はこの玄倉川水難事故に対し、ネットの一部では「事故ではなく事件」といった噂が挙がっていました。これを事件とするのはかなり無理があるのは明らかなのですが、果たして何を根拠に事件であると言われていたのでしょうか?

また一部では遺族が裁判を起こしたなんて噂もあるようです。裁判を起こせた立場ではない事位はさすがに分かっているとは思うのですが…。一応こちらの裁判の噂についても同じく調査を行ってみました。

玄倉川水難事故は「仕組まれた事件」であるという説が

玄倉川水難事故は「仕組まれた事件」であるという説があるそうです。こんなDQNのしでかしたバカバカしい事故が、実は「用意周到に仕組まれた計画的殺人事件だった」なんて事は、天地がひっくり返るよりも絶対に有り得ない話だと思いますが、一部のネット馬鹿の間ではそうした噂が囁かれていたそうですよ。

関与したのはリーダーの加藤直樹と産廃企業「富士繁」⁉

それによるとこの事件に関与したのはリーダーの加藤直樹と、彼等のうち5名が働いていた産廃業者「富士繁」なのだとか。この両者が結託して保険金目当てで事件を仕組んだというのがこの事件説だそうです。

「事件でなければあの場から退避しないのはおかしい」という理由らしいですが、そんな事は関係ありません。彼等は文字通りDQNなのですから「ウェーイ」なノリで我が道を行っただけの事です。そこに事件性などが隠されている筈がありません。

生存者や死者の遺族が裁判を起こした?

また遺族が裁判を起こしたなんて噂がありますが、果たして誰に対して裁判を起こしたのでしょうか?国や自治体に落ち度は皆無ですし、だとしたらリーダーの加藤直樹に対して裁判を行ったのでしょうか?

裁判という事であればこの場合民事裁判という事でしょうから、家族を失った事に対し損害賠償を請求する裁判に成るであろうと考えられます。ただ、国や自治体を相手に裁判を行うのだとしたら、この状況で引き受けてくれる弁護士など一人もいないでしょう。

勿論実際に裁判が行われた記録なども有る筈がありません。損害賠償を請求するとしても、相手がいないのですからそもそも裁判にも成りません。なのでこの「裁判を起こした」という噂自体も一体どこから沸いて出たのかさっぱり分かりません。やはりネット発の噂はこの程度という事なのでしょうね。

事件&裁判説はデマ

という訳で、この事件&裁判説も完全なるデマであるとみて間違いありません。DQNもそうですが、こうした意味不な噂を度々流して喜ぶ一部の噂カスも、DQNと程度は然程変わりませんね。

玄倉川水難事故から学ぶ教訓

では最後に玄倉川水難事故から教訓として学ぶべきポイントを3つご紹介して置きたいと思います。我々が彼等DQNの様な状況に陥ることは99%無いとは思いますが、それでもこうした出来事を反面教師とし、学ぶ事が出来る部分もあると思います。

玄倉川水難事故から学ぶ教訓①

当たり前の事ですが、事前の情報収集はしっかりと行いましょう。人間は多少なりとも臆病な方が間違いありません。「危険を犯してまでやることなのかどうか?」を考えれば、この玄倉川水難事故の様な痛ましい事故は起こらなかった筈です。

玄倉川水難事故から学ぶ教訓②

こちらも当たり前の事ですが、他人の意見には素直に耳を傾けましょう。貴重な休みかも知れませんが、命と引き替えにする様なものではありません。

玄倉川水難事故から学ぶ教訓③

そして最後ですが「絶対に自分の力を過信しない」事です。自分を過大評価せず、等身大の自分に何が出来るかを考えましょう。そうすれば超えてはいけない一線が分かります。

玄倉川水難事故から学ぶことは多い

今回は玄倉川水難事故についてまとめてみました。DQNの川流れとして揶揄された玄倉川水難事故。100%自己責任であり、言ってみれば自殺したのも同じ様なこの玄倉川水難事故ですが、こんなバカげた事故からも学ぶべきことは山程あります。

玄倉川水難事故の様な事故に巻き込まれる事が絶対に無いとは言い切れない以上、やはり普段からしっかりとした考えを持って生活をおくる事が何よりも重要です。一時の悪ふざけで一生を棒に振ることが無い様に心がけましょう。

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