黒柳徹子の父や母は?家系図や家柄などの噂や真相まとめ
司会や女優などマルチな活躍をされている黒柳徹子さんですが、その父母はどのような人だったのでしょう。また、華麗だといわれる黒柳徹子さんの家系図や家柄、噂の真相などをまとめました。黒柳徹子さんの父母の結婚や家系図、家柄などについて紹介します。

目次
黒柳徹子さんのプロフィール
家系図や家柄も気になる黒柳徹子さんですが、どのような人だったのでしょうか。
現在は独身という黒柳徹子さんですが、結婚歴などはどうなっているのでしょう。
黒柳徹子さんのプロフィールについて詳しく見ていきましょう。
黒柳徹子さんの経歴
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・愛称:トットちゃん、チャック
・本名:白柳辰子
・生年月日:1933年8月9日
・現在年齢:85歳
・出身地:東京府東京市赤坂区乃木坂
・血液型:A型
・身長:163cm
・体重:???
・活動内容:女優、タレント、声優、司会者、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動家
・所属グループ:なし
・事務所:(有)吉田名保美事務所
・家族構成:???
「日々の小さな温かさ」
— ポジティブ・ライフ! (@sougo_dmgaptx) November 19, 2018
案外当たり前の身近なところにある私たちの暮らしこそが
幸せだと思いますし、今それに気がつかないのはとても残念なことです
≪黒柳徹子≫
毎日「日々の小さな温かさ」を噛みしめながら生きていけたらいいですね!pic.twitter.com/Z67sOsZdX3
黒柳徹子さんは現在は長寿番組「徹子の部屋」の司会で知られますが、芸能界デビューのきっかけはテレビ女優第一号の一人として日本放送協会に入局したことでした。
黒柳徹子さんは女優として、子供番組やテレビドラマなどに出演するようになります。当時は週に6~7本のレギュラー番組を抱えていたといいます。1961年には日本放送作家協会賞・女性演技者賞を受賞しました。
昭和39年 黒柳徹子さん(31) pic.twitter.com/xM50ShJUOL
— 昭和スポット巡り (@showaspotmegri) October 24, 2018
こちらの画像は黒柳徹子さんの若い頃の画像になりますが、とても美人だったことが分かります。これほどの美人ですので、当然結婚の話もあったようで、お見合いも何度かしたそうですが、結婚には至らなかったようです。
ただ、40年間遠距離恋愛をしていたお相手がいるそうなのですが、結婚に至る前に相手の男性が亡くなってしまい、現在まで結婚せずに来られたようです。
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— VOGUE JAPAN (@voguejp) September 30, 2018
黒柳徹子さんは1976年に放送を開始した「徹子の部屋」のために、女優としてテレビに出ることを控えるようになりました。それは、ゲストに話を聞くときに、女優として悪役をしていたら、悪役がインタビューしているように見えてしまうという理由からでした。
女優としての黒柳徹子さんは、テレビなどよりも舞台で活躍をされていくようになります。舞台は主に翻訳劇が多かったようです。
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— BuzzFeed Japan (@BuzzFeedJapan) August 8, 2018
そして、黒柳徹子さんといえば、いわさきちひろさんが絵を描いた絵本「窓ぎわのトットちゃん」の作者であることでも有名です。この本は800万部の大ベストセラーになり、「トットちゃんブーム」が巻き起こったそうです。
黒柳徹子さんはこの本の印税を寄付して社会福祉法人「トット基金」を設立し、さまざまな慈善活動を行っていることでも知られています。
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ユニセフの親善大使としても活躍されている黒柳徹子さんですが、これまでにさまざまな賞を贈られ、その貢献を讃えられています。
1987年にはユニセフこども生存賞、1991年には第7回東京都文化賞と平成3年度外務大臣賞、2000年にはユニセフ第1回「子どものためのリーダーシップ賞」、2003年には勲三等瑞宝章、そして2015年には平成27年度文化功労者として表彰されています。

黒柳徹子さんの両親はどんな人?家柄は?
黒柳徹子さんは家柄や家系図がすごいともいわれますが、その父母はどのような人だったのでしょうか。また、すごいといわれる家柄や家系図はどうなっているのでしょう。黒柳徹子さんの父母について紹介します。
父母の育ちや教育には共通点が?
家柄や家系図がすごいといわれる黒柳徹子さんの父母ですが、結婚した二人の育ちや教育にはさまざまな共通点があったようです。
その共通点のひとつが音楽です。黒柳徹子さんの父母が結婚したこの当時は戦争前ということもあり、文明開化の時代でした。西洋の音楽なども勢いをつけて広がっており、黒柳徹子さんの父母もこうした教育を受けて育ってきたようです。
「もう帰れないよ?」で始まる結婚
また、二人の実家はそれぞれ親が医者という共通点があり、さらにはクリスチャンでもありました。そんな黒柳徹子さんの父母の出会いはベートーヴェンの第九演奏会でした。
夜が更けても話が止まらず「もう家に帰れないよ?」とまるで映画のようなプロポーズがあり、黒柳徹子さんの父母は結婚されたのだそうです。実は黒柳徹子さんの母の家柄が良かったために反対にもあったという二人ですが、その反対を押し切り結婚しました。
父は日本のヴァイオリニストの草分け
とてもロマンチックなプロポーズで妻を口説いた黒柳徹子さんの父ですが、どのような人なのでしょうか。日本のヴァイオリニストの草分けともいわれる黒柳徹子さんの父・黒柳守綱さんのプロフィールについても詳しく見ていきましょう。
山田耕筰氏のお墨付きを受けた天才
黒柳徹子さんの父の黒柳守綱さんは、天才ヴァイオリニストとしても知られています。「赤とんぼ」などの作曲家として知られる山田耕筰さんにもお墨付きを得たといわれています。
時期は不明ですが、もともとは田口という姓であったのが、黒柳家に養子に入ったことで黒柳姓になったそうです。1937年には黒柳徹子さんの父はNHK交響楽団の前身である新交響楽団のコンサートマスターに就任されました。
あのラストエンペラーの前で演奏したことも!
黒柳徹子さんの父のエピソードはさまざまにありますが、もっとも有名なのはラストエンペラーである満州国の皇帝「愛新覚羅溥儀」の前で演奏したこともあるそうです。
これは戦争中に黒柳徹子さんの父が満州国に派遣されたことによるもののようです。この戦争中、黒柳徹子さんの父は1度目は演奏のために満州に派遣されましたが、2度目は戦争の兵士として満州に派遣されています。
後進のために黒柳守綱賞を設立
黒柳徹子さんの父は後進のヴァイオリニスト育成のために『毎日音楽コンクール』審査員をはじめ、自らの名を冠した賞を設立されました。また、黒柳徹子さんの父は海外へ音楽家を派遣する援助の礎を作るなどの功績があったことでも知られています。
黒柳徹子さんの父は戦争後、新交響楽団、東京交響楽団といった日本の主要オーケストラのコンサートマスターを歴任されています。
母は良家の出で声楽家志望だった
黒柳徹子さんの母・黒柳朝さんは両家の出で声楽家志望だったことでも知られています。戦争前の時代にあって、黒柳徹子さんの母は女学校から東京の音楽学校へ進んだともいわれています。
家柄も良く、音楽の才能にも溢れていた黒柳徹子さんの母のプロフィールについても詳しく見ていきましょう。
母の名随筆はヒットドラマの原作
#読了
— つっき〜📚読書/朗読垢 (@BC_book_reading) October 14, 2018
黒柳朝『チョっちゃんだってやるわ』
明治憲法的家父長を描いてはいるのだけど「父の詫び状」を読んだ時のような苦々しい感情は残らずさっぱりとした読後感のエッセイ。「今、何もかも消えてしまって、カサカサと白く美しいお骨になったパパには、いとおしい思いだけが残るのです。」 pic.twitter.com/B3r9egPpWL
黒柳徹子さんの母は随筆家としても知られ、その自伝本である「チョッちゃんが行くわよ」は、NHKの朝の連続テレビ小説でドラマ化もされました。
この黒柳徹子さんの母がヒロインとなって登場する朝ドラは「チョッちゃん」というタイトルで1983年にドラマ化されました。このドラマにより、黒柳徹子さんの母や家族がどのように生きてきたのかを知ることができた人も多いかもしれません。
朝ドラ #チョッちゃん に出てらした徹子さん!吉村比呂さん主演の 黒柳徹子さんのお母様の半生記ですよね👍❤ #あさイチ #黒柳徹子 pic.twitter.com/J0Ewgzqheq
— ru~🎵世界の終わりに青い星が降る (@1119Sekaowa) December 22, 2016
この朝ドラ「チョッちゃん」でヒロインの黒柳徹子さんの母を演じたのは、吉村比呂さんでした。家柄も良く両家の子女だった黒柳徹子さんの母が歩んだ人生を、吉村比呂さんが魅力たっぷりに演じました。
この黒柳徹子さんの母の本が原作の「チョッちゃん」は、平均視聴率38.0%、最高視聴率は46.7%のヒット作となりました。
アニメ『チョッちゃん物語』DVD予約開始 https://t.co/EJOLGrDTD1 4月3日発売!「トットちゃん」こと黒柳徹子の母、黒柳朝の半生を描いた感動物語。NHK『トットてれび』テレ朝『トットちゃん! 』などの好評を受け、1996年に制作され公共機関向けに限定されていたアニメ映画をついに一般向初リリース pic.twitter.com/SkU3lK2Pk3
— AnimeVoice lite (@Anime_Voice) January 10, 2018
こちらの画像は、黒柳徹子さんの母の反省を描いたアニメ作品になります。こちらの原作も、黒柳徹子さんの母の1993年に刊行された本「チョッちゃん物語」になります。
このアニメの中には黒柳徹子さんやその家系図に連なる人々が登場し、話題を集めました。母から見た黒柳徹子さんの姿が描かれているのも興味深いです。黒柳徹子さんの母の声は、風の谷のナウシカなどで有名な島本須美さんが演じています。
母から娘へ受け継いだ行動力と明るさ
“芸能界に入って62年。なぜこんなに続いたんですか、とよく聞かれます。…ただ素直だっただけ。何かを「やりなさい」と言われたら「はい」と答えて、その通りにやってきた。これまで仕事で一回もケンカしたことがないの。” 黒柳徹子インタビュー。https://t.co/0WwcpPtiBF pic.twitter.com/C5GfHQPpZa
— VOGUE JAPAN (@voguejp) November 17, 2018
黒柳徹子さんの行動力や明るさといったものは、母譲りだともいわれています。黒柳徹子さんの母は、戦争を経験し、その戦争の中でも子育てに奮闘するなど、苦労もされましたが、非常に明るい性格だったようです。
人気司会者の地位に甘んじることなく、ユニセフなどの国際貢献を続ける黒柳徹子さんのこの行動力は、まさに母の背を見て育ったがゆえのものともいえるでしょう。
反対を押し切った結婚と苦難の戦争
実は黒柳徹子さんの父母の結婚は、母方の実家に反対されたのを押し切ってのものだったといわれています。父母が結婚したのは戦争前のことですから、当時としては珍しい駆け落ち婚のようなものだったそうです。
しかし、時代は戦争に突入し、黒柳徹子さんの父母も引き裂かれ、苦労が多かったようです。そんな黒柳徹子さんの父母の苦労についても調査しました。
戦争に行った父はシベリアに抑留
黒柳徹子さんの父は戦争中、満州国に出兵したようです。そして、そこで終戦を迎え、日本は敗戦したために、黒柳徹子さんの父はシベリアに抑留されてしまいました。
その抑留先のシベリアでも、黒柳徹子さんの父は収容所を慰問するなど、音楽活動を続けておられたようです。帰国後は、日本のクラシック音楽会をリードするとともに映画「ゴジラ」のテーマも請われて演奏するなど、幅広い活躍をされたようです。
戦禍の中で子育てに奮闘した母
黒柳徹子さんの母は、シベリアに抑留された夫の帰国を待ちながら、子育てに奮闘していました。戦後はかなり貧しい暮らしが続いたようで、働くことを知らなかった黒柳徹子さんの母ですが、行商に出るなどして家計を支えたようです。
青森の特産品を持って東京へ行き、東京で仕入れたものを青森で売るという行商で、黒柳徹子さんの母は財を蓄え、東京に家を建てたといいます。
美貌!黒柳徹子さんの父母の画像は?
黒柳徹子のお父さん黒柳守綱の写真
— 単純ろうどう者まえむき (@sawayakamaemuki) December 12, 2017
これは…東洋音楽学校の生徒たちが「きゃーステキー」となるのもわかるよね #トットちゃん pic.twitter.com/Ot01RWyyhY
黒柳徹子さんの父母の画像を探してみました。こちらが黒柳徹子さんの父の画像になるようです。もし現代にいたとしても、かなりのイケメンであるといえるでしょう。当時は相当にモテたようです。
#徹子の部屋 山本耕史
— l.esprit.mao.asada (@lesprit_mao_26) September 26, 2017
10月2日から始まる帯ドラマ劇場『トットちゃん!』で、黒柳徹子の父でヴァイオリニストの黒柳守綱を演じる。個性的な娘“トットちゃん"を育てる父親の役、“娘"とのトークに山本さんも少々緊張すると語る。
山本耕史は植木等さん役も(歌も)大好評だしね... pic.twitter.com/J0hqxvvfq3
こちらが黒柳徹子さんの父と母の画像になります。随分とお年を召してからの画像ですが、それでも黒柳徹子さんの父母が美男美女であるということは間違いないでしょう。この画像からも、黒柳徹子さんの父母がとても仲むつまじかったことがうかがえます。
9月6日 随筆家 #黒柳朝 誕生(1910-2006)
— 大阪セントラルグレースチャペル (@mbocgc) September 5, 2018
開業医の父とクリスチャンの母の間に生まれ、音楽学校在学中に知り合ったヴァイオリニストの #黒柳守綱 と結婚しました。長女は女優の #黒柳徹子 さんです。のちに朝さん自身もクリスチャンとなり、鎌倉の教会で洗礼を受けました。#キリスト教豆知識 pic.twitter.com/nciIP6tFtT
こちらは黒柳徹子さんと母の画像になります。黒柳徹子さんの母は、少し日本人離れした美人のようです。画像を見ると、来ているものもとてもおしゃれで、黒柳徹子さんの垢抜けた雰囲気は母譲りのものであったということも分かります。
黒柳徹子さんは一家揃って芸術家
黒柳徹子さんの家系図を見ると、一家揃って芸術家であることが改めて分かります。黒柳徹子さんの家族について、さらに詳しく紹介しましょう。
父の遺志を継いだ弟紀明氏も音楽家
黒柳徹子さんの弟にあたる黒柳紀明さんも、父の遺志をつぎ、音楽家として活躍されました。
黒柳徹子さんの弟の黒柳紀明さんは、桐朋女子高等学校音楽科での音楽教育をはじめ、ベルリン芸大留学、読売交響楽団・N響を経てフロイデフィルハーモニー等でバイオリン・ヴィオラ奏者として活動をされています。
妹は元バレリーナでセンスある美容師
黒柳徹子さんの妹の黒柳眞理さんは、元はボリショイ、レニングラードバレエ団などで活躍したバレエダンサーですが、負傷が原因でバレエダンサーを引退し、その後は美容師やTVコメンテーターとして活躍しています。
エッセイストとしても知られていて「イノセントエンジェル」などを出版されているようです。
黒柳徹子さんの弟・貴之氏が過去に逮捕?
実は黒柳徹子さんにはもう一人弟がいますが、この弟が逮捕されたことが話題になったことがありました。弟の逮捕疑惑は、覚醒剤の使用だったようです。黒柳徹子さんの弟が逮捕されたのは、1998年のk遠出した。
この弟が逮捕されたとき、あまりにも弟の年齢が若かったために、黒柳徹子さんの隠し子ではないかと言われてしまったようです。
この逮捕された弟は、黒柳徹子さんの母が47歳の頃に産んだ子供だったので、黒柳徹子さんとは年齢がかなり離れているようです。黒柳徹子さんの母がこの逮捕された弟を産んだのは1950年代で、本当に当時にそんな高齢出産が可能だったのかという疑問もあるようです。
この逮捕された弟についてだけは、その詳細などがあまり明らかになっておらず、音楽などの芸術の道には進んでいないと考えられます。
黒柳徹子さんの弟が逮捕されたとなるとかなりニュースになるはずですが、当時この弟の逮捕はそれほどの騒ぎにはなっていなかったようです。
逮捕された弟は、生きていれば現在は61歳となっているはずですが、この逮捕当時以降、まったく詳細が分かっていません。おそらく、再犯などもなく、静かに暮らしているのではないかと考えられます。
黒柳徹子さんの華麗な家系図
黒柳徹子さんの家系図は、親戚まで含めるとかなり華麗だともいわれています。黒柳徹子さんの家系図について、さらに詳しく見ていきましょう。
父方に報道映画の鬼才田口修治氏も
黒柳徹子さんの父の弟は、カメラマンでジャーナリストの田口修治さんがいます。田口修治さんは報道映画の鬼才ともいわれ、第2次世界大戦後はシュウ・タグチと名乗り、さまざまな映像製作に携わってきました。
遠縁の美術家に村山槐多さんと山本鼎さん
平塚美術館の「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」展の最終日に駆け込んできました。面白い展覧会でした。村山槐多の紙風船をかぶった肖像画、インパクト大だったなあ…なぜ、紙風船… pic.twitter.com/UAUETmkYai
— Momo Kanazawa (@momokanazawa) November 8, 2015
また、黒柳徹子さんの遠縁には村山槐多さんと山本鼎さんがいます。村山槐多さんはフォービズムの代表的な画家としても知られています。
「版画芸術」の最新159号が木下泰嘉の版画付で入荷しました。今号の特集は創作版画の祖・山本鼎。わずかな期間に制作された作品は、彫跡さえ芸術に昇華させた類まれな才気に満ち溢れています。不勉強ながら初見の作品も有り、興味深かったです。 pic.twitter.com/ssLcXJyr4Y
— 山田書店美術部 (@yamadabooks) February 27, 2013
さらに山本鼎さんは版画や洋画で知られ、明治時代にフランスに留学したことでも有名です。類い稀な才能の持ち主として、日本の創作版画の隆盛をもたらしました。
詩人北原白州とも親戚筋
島崎藤村と北原白秋。『思ひ出』によれば、白秋は実家の火災の折「泥にまみれ表紙もちぎれて風の吹くままにヒラヒラと顫へてゐた紫色の若菜集をしみじみと目に涙を溜めて何時までも何時までも凝視めてゐた」そうです。時に詩王16歳。後に憧れの人藤村と会う日が来るとは、思ってもいなかったでしょう。 pic.twitter.com/7AUsS74D09
— 初版道 (@signbonbon) October 8, 2018
さらに黒柳徹子さんの家系図を紐解いていくと、詩人として有名な北原白秋とも親戚筋であることが判明します。まさに黒柳徹子さんの家系は、華麗なる一族であるといえるでしょう。
両親と芸術的家系図が黒柳徹子さんを磨いた
黒柳徹子の背骨が無事に治り清水はオールで宿題して終わった後に寝転んだときのあの脱力感というか安心感で包まれています。
— しみず (@shimizuuu1122) November 13, 2018
(訳:ギターの弦高が低くなり清水は全然開かなかったのりの蓋が友達の手で開けることが出来て思わずハイタッチをしてしまったあの喜び、いやあの感動の瞬間で包まれています。) pic.twitter.com/UrAYhE7gGX
黒柳徹子さんはその浮き世離れした雰囲気と、類い稀なる才能でこれまでさまざまな活躍をされてきました。黒柳徹子さんのその才能は、両親の家柄や芸術家がそろう家系によるものだということなのでしょう。
85歳を過ぎてもなお、好奇心旺盛で仕事熱心な黒柳徹子さんですから、今後の活躍にもおおいに期待したいところです。