桑田靖子の現在は独身?結婚してる?若い頃から現在までの経歴も!
1983年に「脱・プラトニック」で歌手デビューした桑田靖子。30年以上経った現在、ボーイッシュで笑顔が魅力だった彼女も大人の女性に成長しました。一時期休止していた音楽活動も2010年に再始動!そんな桑田靖子の経歴や気になる私生活を調査しお届けします。

桑田靖子のプロフィール
【2曲目】#桑田靖子『脱・プラトニック』♬
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) September 23, 2018
[83.03.21発売]
作詞:売野雅勇
作曲:芹澤廣明
編曲:萩田光雄
※オリコン最高50位 #0時歌謡 #お神セブン pic.twitter.com/isaaf22JA0
・愛称:???
・本名:池田咲恵子(いけださえこ)
・生年月日:1967年10月30日
・年齢:55歳(2023年3月現在)
・出身地:福岡県直方市
・血液型:A型
・身長:156cm
・体重:???
・活動内容:歌手・タレント
・事務所:サンミュージックグループ→フリーランス
・家族構成:後述します
桑田靖子の経歴
続いて桑田靖子の経歴を紹介します。1980年中学1年生の時、福岡音楽祭に出場しグランプリを獲得。1982年には「東芝・タレントスカウトキャラバン」で優勝。その後サンミュージックプロダクション所属となります。
1983年シングル「脱・プラトニック」でレコードデビュー。明るいキャラクターの桑田靖子はラジオパーソナリティなどでも活躍しました。
毎年4月8日の桜は特別に綺麗 🌸✨
— A Z U (@azunna_) April 8, 2017
サンミュージックで開かれた
卒業祝いパーティー(1986年3月)
当時のビデオ再生なので画質かなり悪いですが、ファンの方良かったら見て下さい😊
ユッコちゃん、また来年!♡#岡田有希子 #桑田靖子 #酒井法子 pic.twitter.com/cDVjWTZQLa
また、高い歌唱力が評価され日本レコード大賞や歌謡大賞など権威ある音楽賞で最優秀新人賞などを受賞。桑田靖子の経歴の中でもがひときわ輝いていた時期と言えましょう。
今日の車内盤は桑田靖子さんゴルベス。アイドル時代のシングルABコンプ嬉しい♪東芝ですねーな歌の上手さにいい曲、サンミュージックでも売上に繋がらないなんてxx最近復活されたしアルバム6枚も出てたし、BOXにまとめていい頃ですよね?! pic.twitter.com/fHyZBhPa8f
— ぱてぃぼいど (@sunageorge) July 24, 2014
1983年にデビューした歌手には桑田靖子のほかに、大沢逸美、森尾由美、松本明子、小林千絵、THE GOOD-BYE、岩井小百合、いとうまい子、原真祐美、小出広美などがいました。
小泉今日子、中森明菜、堀ちえみ等大物アイドルを多数輩出した前年の'82年と比較され、「不作の83年組」と揶揄されることもあったと言います。
#NowPlaying
— とりガラ (@torigara0222) April 10, 2019
大沢逸美/キリキリ舞い
この曲のキャンペーンでデパートへ来た逸美様と握手しサイン貰いシングル買った思い出。でもスロースロークィッククィックって何故に社交ダンス?そしてクィック連発、クエックエッって聞こえてキョロちゃんかっwスタッフももうちょっと良い曲歌わせてあげてよぉ pic.twitter.com/FsAFQ06TKI
1988年音楽活動に専念したいという理由から、所属していたサンミュージックプロダクションを辞めます。
その後はフリーランスとしてライブ活動やアニメソング、コーラスなどで活動。出身地・福岡に戻って地元のテレビ局、九州朝日放送や福岡放送でリポーターをしていた時期もありました。
桑田靖子の現在
このように1980年代にアイドルとして成功を収めながらも、音楽活動に専念したいと所属プロダクションまで辞めた桑田靖子。その後の経歴や現在の活動が気になるところです。
2010年より活動再開
2010年、再びアイドル時代の「桑田靖子」の名前で活動を開始します。ショートヘアでボーイッシュな印象のアイドル時代とはうって変わり、現在はロングヘアですっかり大人の女性になっていました。
若いころはオーデイション会場で「男の子じゃないの?」と言われてしまったり、道を歩いていると「何であなたがアイドルなの?不細工なのに」と言われて傷ついたこともあったとか。それからというもの、ずっと女性らしさに憧れを持っていたとのことです。
今週最後の曲は、桑田靖子さんの『Have Yourself a Merry Little Christmas』
— ⭐️dokidokiradio84⭐️ (@dokidokiradio84) December 22, 2018
ユッコの先輩であり同級生、頑張ってます😌✨✨✨👍#桑田靖子 #岡田有希子 #ドキドキラジオ84 pic.twitter.com/p0ChJeAzGV
旧知のギタリストがライブのセッションに誘ってくれたことがきっかけで、再び人前で歌うことに前向きになれたという桑田靖子。
どうせやるのなら雰囲気をがらりと変えようと、思い切って服装もメイクもイメチェンしてみたそうです。
約15年ぶりの新曲「アナタノウタ」を配信で話題に
2011年、約15年ぶりに新曲「アナタノウタ」を発表、iTunes Storeなどで配信され変わらぬ美しい歌声が話題となりました。そして2013年にはデビュー30周年を記念して、そのシングルを含め8曲を収めたアルバム「アナタノウタ」をリリース。
このアルバムでは作詞や作曲も手掛けています。アイドル時代には聴く事のできなかったファルセットな歌声や妖艶な雰囲気が感じられると評価も上々。またジャズフュージョン的な小気味良いテンポの曲があったり大人が楽しめるアルバムと評判のようです。
ヘビーローテーション
— akihiro (@nkjm117) June 29, 2014
桑田靖子「ゴールデン ベスト」「アナタノウタ」
赤井仁美「サクラトリップ」 pic.twitter.com/HUxXQCOrTA
その後は、「わたしの歩むみち」、「幸せのトビラ」と次々にアルバムをリリースしたりテレビ朝日のバラエティ番組「スマートフォンデュ』に出演したりと充実した日々を送っている桑田靖子。
2018年11月には銀座博品館劇場にて、デビュー35周年を記念したライブイベントを開催しました。聴く人の心を揺さぶるような歌唱力に加えて大人の女性の魅力も漂わせる現在の桑田靖子。彼女ならではの音楽世界を切り開いていくことが期待されます。
現在は独身?
長い沈黙を破ってメディアにその姿を現した桑田靖子。すっかり大人の雰囲気の女性になっていました。そんな桑田靖子ですから、現在は独身なの?それとも結婚しているのかしら?と気になる方もいらっしゃることでしょう。
彼女が現在独身なのか結婚しているのか調べてみましたが、独身か既婚かという情報は一切出てきませんでした。過去、現在など時間軸を問わず単に「独身」、「結婚」で検索しても同様の結果でした。
独身とか結婚は皆の関心が高いキーワードなので比較的ヒットしやすい言葉です。それにも拘らず一切ないのです。
桑田靖子に関する情報に独身・結婚という言葉は存在しないのでしょうか?結論としては、残念ながら桑田靖子が独身かどうかは不明ということになりました。
桑田靖子の結婚や子供は?
続いて桑田靖子のプライベート情報です。桑田靖子は結婚しているのでしょうか?さらには子供さんはいるのでしょうか?そんな疑問にお答えしてまいります。
桑田靖子のプライベート情報はシャットアウト
桑田靖子のプライベートに関する情報は完全にシャットアウトされています。それは桑田靖子が公私のけじめをキッチリつけて私生活については一切明かさない主義を貫いているからです。
某夕刊紙のインタビューでもアイドル時代の話や音楽活動については積極的に語っていましたが、結婚や子供さんなど私生活の話題には固く口を閉ざしたままでした。
結婚や子供については非公表
上記の事情から、桑田靖子の独身か既婚かや子供がいるかどうかについては非公開となっており、情報は一切ありません。インタビューでも「ごめんなさい」と言って謝意を示しながらも独身や結婚、子供など記者の質問には答えませんでした。
本人が明かさないと固く心に決めている以上、独身か結婚しているか、子供がいるかなど私生活が衆目に触れることは今後もないと言えるでしょう。
結婚や子供について明かさない理由は過去に?
では、結婚や子供について明かすことを拒むのはナゼなのでしょうか?その理由はアイドル時代の経験にありました。当時非常に怖い思いをしたというのです。その内容を口にすることすらできないようですから、よほど酷いことがあったのでしょう。
ただ支障のない範囲で私生活に触れることもあります。例えば音楽活動を休止していた頃のこと。ごく普通の30代女性の生活を送っていたと言います。YouTubeでいろんな音楽を聴いて楽しんでいたそうですし、自身のアイドル時代の映像も検索して観ていたようです。
桑田靖子の若い頃から現在の経歴
次に桑田靖子の若い頃から現在までの経歴を紹介します。年代順に彼女のターニングポイントでのトピックスについて説明していきます。
学生時代には福岡音楽祭でグランプリ獲得
「脱・プラトニック」の桑田靖子嬢、デビューした頃の記事で~す。文化放送「スターは君だ」「福岡音楽祭」などで優勝。満を持してのデビューだった模様。 #0時歌謡 pic.twitter.com/LqLy389djI
— チェリー|昭和TVワンダーランド (@cherrycreekjp) December 25, 2016
桑田靖子は子供の頃から歌が得意でちびっこのど自慢大会などによく出場していました。そして1980年、中学1年生の時には地元の福岡音楽祭に出場。前年のヒット曲、梓みちよの「よろしかったら」を歌い何とグランプリに輝きます。
1981年に「全日本ヤング選抜スターは君だ」にて優勝
「桑田靖子」さん83年『ファースト▪キス』ファーストアルバム「東芝レコード▪東芝EMI」80年「福岡音楽祭」グランプリ81年「全日本ヤング選抜スターは君だ」優勝82年「東芝タレントスカウトキャラバン」優勝し83年『脱▪プラトニック』デビュー! #レコード食堂 https://t.co/IvAMSYIV36 pic.twitter.com/Wx3zNhQ6Ge
— レコード食堂 杉戸町 (@A813tea) February 17, 2019
若き桑田靖子の快進撃は続きます。1981年、中学2年生の時には東京・文化放送主催のオーディション「全日本ヤング選抜スターは君だ」で優勝します。
翌年には「東芝・タレントスカウトキャラバン」優勝で事務所所属
桑田靖子【脱・プラトニック】(1983/3/21オリコン50位)聖子さん→早見優さんと来て実力派の桑田靖子さんを出したサンミュージック。 最初 聴いた時は歌詞が重い…と思いましたが凄い安定感。デビューした頃はサザンの桑田佳祐さんと「親戚」?と噂もありました😓 pic.twitter.com/nYe6eDMOTf
— naka hide (@morningsun16) August 8, 2017
桑田靖子にとって転機となったのは、翌年行われた「東芝・タレントスカウトキャラバン」での優勝でした。
優勝を遂げた桑田靖子は、当時の大物アイドル、松田聖子らを擁する大手芸能事務所サンミュージックプロダクションに所属することになります。そして事務所の社長宅に下宿しながら念願の歌手デビューを目指してレッスンに励む日々が始まります。
#過去車でオラついて何RT来るか
— 安藤@Lowcul. (@kuhl_racing) September 13, 2018
クラウン ロイヤルサルーン
1980年式(昭和55年)
2.8直6
2ドア ハードトップ
86納車する前これ乗ってました🙋♀️
応談やら日本自動車博物館に展示されたりする車ですw
現役でおばあちゃんが乗ってます👏
もう一台家で眠ってます✌️
なのにエンジン一発で掛かる😎 pic.twitter.com/gDqcA0qn9U
当時、学費や生活費など全ての費用は事務所が負担してくれたと言います。桑田靖子への周りの期待の大きさがわかる逸話です。
また給料やCM・営業での収入をコツコツと貯め、父親に高級車クラウンをプレゼントしたとか。インタビューでも当時を振り返り「ホント、スゴく恵まれてたんだな」と感慨深く語っているのが印象的でした。
1983年「脱・プラトニック」で歌手デビュー
02.「脱・プラトニック」桑田靖子(1983)
— 午前0時の歌謡祭 (@0jikayou) September 23, 2018
作詞:売野雅勇 作曲:芹澤廣明 編曲:萩田光雄
福岡音楽祭グランプリ(80年)、文化放送主催『全日本ヤング選抜スターは君だ』優勝(81年)など、コンテスト荒らしとして知られた桑田さんはサンミュージックにスカウトされて81年夏に上京。#0時歌謡 pic.twitter.com/W1Mb5f8omB
1983年15歳の桑田靖子は、シングル「脱・プラトニック」で歌手デビューを飾ります。この時の公式キャッチコピーは作詞家・売野雅勇による「これは、16歳の戒厳令だ」。
受賞歴も若い頃から総なめ?
アイドルのイメージを良い意味で覆す歌唱力を持つ桑田靖子。子供の頃から歌うことが何より好きで、数々のちびっ子のど自慢や音楽祭で優勝した経歴は前述の通りです。
歌手デビューした1983年には、日本レコード大賞をはじめとして日本歌謡大賞、日本有線大賞、メガロポリス歌謡祭などの賞レースで新人賞を総なめにしました。
1988年にサンミュージックを退社
【イントロ②】
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) September 23, 2018
TAKESHI(ビートたけし)&HIROKI(松方弘樹)
『I'll be back again…いつかは』♬
作詞:関口敏行・伊藤輝夫
作曲:BABA
編曲:奥慶一
※NTV系「天才・たけしの元気が出るテレビ!」EDテーマ
※オリコン最高8位#0時歌謡 #桑田靖子 pic.twitter.com/98BvxRehM6
芸能界デビュー後、明るい性格の桑田靖子にはバラエティやラジオパーソナリティ、ドラマなど歌以外の仕事が増えていくようになります。とりわけ有名なのが「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」初代メンバーに抜擢された経歴です。
ところが、もともと歌手になりたい一心で上京した桑田靖子にとって、歌以外の仕事に明け暮れる生活は手放しでは喜べなかったようです。
自分は何のために上京したんだっけ?と自問自答する日々が続いたと言います。またバラエティー番組でどう振る舞ったらいいのかよくわからなかったことも、その後の行動に拍車をかけたようです。
しだいに音楽活動に専念したいという思いが募っていき、ついに1988年デビュー当時から所属していたサンミュージックを退社しました。
90年代にはライブ活動やコーラス業などで活躍
ジャズのA列車、歌声絶好調の桑田靖子。ジャズといえば元サンミュージックのあの人にも聴かせたい。 pic.twitter.com/hoOaNMX4RX
— 昭和37年度生男 (@kj1480) March 21, 2018
1990年代に入り20歳代中盤を迎えた桑田靖子は、彼女の経歴に新たな1ページを加えます。バンドでライブ活動を行ったり、アニソンやCMソングを歌ったり、コーラスに加わったりと音楽活動にどっぷり浸かった生活を送るようになったのです。
「咲恵子」や「Sae」として活動時期も
本名の池田咲恵子にちなんで「咲恵子」とか「Sae」という名前で活動していた時期もありました。また、アメリカに渡りニューヨーク近郊に滞在、1カ月間ボイストレーニングを受けたり日本食堂でアルバイトをしたりと、様々なことをして自分探しの旅を続けました。
時にはバリ島に飛んで1か月間サーフィン三昧の生活を送ったことも。この自由な時期は、アイドルから脱皮するための充電期間だったのかも知れません。
その後は福岡に帰郷し地元で活動
1990年代後半から2000年代前半にかけては、福岡の実家に戻って両親と暮らしていたようです。桑田靖子は親元を離れたのが13歳と早かったので、大人になった今だからこそ両親と暮らしてみようかな、と考えての帰郷だったそうです。
その間は、地元のテレビ放送局、九州朝日放送や福岡放送でリポーターなどの仕事をしていました。
2018年にはデビュー35周年記念ライブを開催
2018年デビュー35周年を迎えた桑田靖子は、さまざまなイベントを開催します。デビュー当日の3月21日には六本木で記念コンサート。
演目を歌い終えた桑田靖子は、客席に向かって「きっと幸せになるための種を持ってその花を咲かせるために生まれて来たと私は信じています」と語りだしました。さらに「あなたが忘れていても、種はあなたを忘れていない」と言葉を継ぎ会場を感動の渦で包みました。
”ザ・ラジオDay!”小林千絵ちゃんのブログ ー アメブロを更新しました#桑田靖子#サンミュージックhttps://t.co/j3a21FrkRw
— 桑田靖子NEWS (@kuwata_news) September 27, 2018
11月19日・20日には銀座・博品館劇場にて35周年イベント『不作と言われた私たち「お神セブン」と申します』でメモリアル・イヤーを締め括ります。これは1983年にデビューした「83年組アイドル」7人による記念ライブで、当時シアトルにいた徳丸純子を除き、桑田靖子、大沢逸美、森尾由美ら6人が集結、ファンも大勢駆けつけ大盛況だったようです。
また、全員アイドル時代の衣装を着て歌うというこの企画、桑田靖子は当時の衣装を大切に保管していましたし、体型もスリムで問題なし!だったとのこと。その後もプライベートライブや、テレビのバラエティ番組に出演するなど多忙な日々を送りました。
桑田靖子の懐かしい動画
最後に、今となっては懐かしい桑田靖子アイドル時代の動画をいくつか紹介します。CMソングから始まりデビューシングル、そして5枚目のシングルと続いていきます。お楽しみください!
懐かしい動画①グリコCM「マリンバ」
アイドル桑田靖子が登場するグリコのお菓子「マリンバ」のCMです。ご覧の通りキュートな笑顔の桑田靖子がお菓子を1本手にしてポキッと折ると、後ろにいたボーイフレンドが彼女の元へやって来ます。桑田靖子が「グリコマリンバ」と言ってCMは終わります。
このCMで桑田靖子が歌う「もしかしてドリーム」は、当時歌詞のユニークさで話題になりました。歌詞の中の英語(DreamBoyMyMarimba)を訳すと「夢見る男の子は私の木琴(マリンバ)」となってしまうのです。
桑田靖子のツイートに売野雅勇先生からいいねをいただきました!ありがとうございます!
— きくとし (@toshi00000) March 22, 2018
売野・芹澤コンビの桑田作品では他にサードシングル「もしかしてドリーム」が好きでした。グリコマリンバのCMソングとして流れてましたね!当時は実際の売上と、世間への浸透度とのギャップがありましたよね。 pic.twitter.com/y6pN4H2bIv
実はこのCMソング、お菓子のCM出演が決まった後で歌詞が作られたことから、商品名のマリンバ(木琴)という言葉を無理やり入れた結果、こうした不思議な歌詞ができてしまったとのこと。
桑田靖子も自身のブログ「kuwataの野望」で「30年経ってもいまだ歌っていた本人が理解できない」と明かしています。
懐かしい動画②「脱・プラトニック」
桑田靖子で真っ先に浮かぶヒット曲と言えば、1983年のデビューシングル「脱・プラトニック」でしょう。
作詞・売野雅勇、作曲・芹澤廣明と、前年中森明菜の「少女A」を手がけたヒットメーカーコンビです。桑田靖子自身、難しい高音が続くサビの部分のレコーディングには苦労したと語っています。
懐かしい動画③「あいにく片想い」
桑田靖子のヒット曲、続いてはデビュー2年目の1984年にリリースされた5枚目のシングル「あいにく片想い」です。来生えつこ作詞・来生たかお作曲と、数々のヒット曲を世に送り出したゴールデン姉弟コンビの作品です。
ほろ苦い片想いを歌った曲ですが、桑田靖子の抑え気味の絶妙な歌い回しによって、恋心を胸の内にしまい込む少女の姿が彷彿として浮かんできます。桑田靖子自身の言葉を借りると、今でも歌うときに緊張するほど難しい曲だそうです。

桑田靖子は現在音楽活動を再開し結婚情報は非公表
1980年前半にキュートな笑顔と明るいキャラクターでお茶の間でも人気者となった桑田靖子。その後芸能界から遠ざかっていた時期もありましたが、2010年音楽活動を再開。そんな桑田靖子の若いころから現在までの経歴や私生活について調査しお届けしてきました。
残念ながら私生活ついては、彼女の固い意思により一切公表されておらず結婚情報などは不明でした。しかしながら音楽活動を何よりも大切にしたいという桑田靖子の想いは伝わって来たのではないでしょうか。今後彼女がどんな活動を展開するのか見守っていきましょう!