【自殺サイト連続殺人事件】前上博の生い立ち!犯行内容や異常な性癖とは
自殺サイト殺人事件は2005年8月2日に女性の遺体が発見されたことから発覚した連続殺人事件です。犯人の前上博は異常な性癖の持ち主で、その異常な犯行内容は世間から大きな注目を集めました。自殺サイト殺人事件の詳しい概要や、前上博の生い立ちなどをまとめてみました。

前上博とは
前上博は大阪府で派遣社員として働いていた当時36歳の男性で、2005年8月2日に発覚した自殺サイト殺人事件の犯人として逮捕された人物です。
前上博は人が窒息して苦しんでいる姿を見て興奮するという異常な性癖の持ち主で、自身の欲望を叶えるために自殺願望を持った人達が集まる”自殺サイト”に目を付けました。前上博は自殺サイトにアクセスして「一緒に自殺しよう」と持ち掛け、誘い出した被害者らを窒息させて苦しませた上で殺害したのです。
前上博には窒息して苦しむ姿だけではなくもう一つの特殊な性癖がありましたが、それは白いスクールソックスだったといいます。前上博は白いスクールソックスに異常な執着があり、自殺サイト殺人事件の被害者となった3人の男女にも白いスクールソックスを履かせた後に、窒息死させるという犯行に及んでいます。
前上博は白いスクールソックスで窒息する姿を見たいといった自身の性癖をコントロールすることが出来ない状態となっており、これまでに何度も傷害・暴行事件を起こしているのです。そのためその後の裁判で前上博には”更生は極めて困難である”として死刑判決が下りました。前上博の死刑は判決から2年後に執行されています。
自殺サイト連続殺人事件の犯人
自殺サイト殺人事件は行方不明となっていた女性の遺体が、2005年8月2日に大阪府河内長野市の河川敷で発見されたことから発覚した殺人事件です。3日後の8月5日に殺人事件の犯人として前上博が逮捕されました。
前上博の逮捕後の供述により、男子中学生と男子大学生2名の殺人も発覚したのです。犯人の前上博の父親が元警察官だったことや前上博の異常な性癖、また自殺願望を持つ人たちが集まる”自殺サイト”を利用して被害者と接触していたことなども大きな話題となりました。自殺サイト殺人事件の概要や犯人である前上博について詳しくまとめてみました。
自殺サイト連続殺人事件の概要
自殺サイト殺人事件は2005年8月2日に一人の女性の遺体が発見されたことから発覚した殺人事件です。
犯人として逮捕された前上博には窒息して苦しむ姿に興奮を覚えるという特殊な性癖があり、この性癖を満たすために近所の子供の口を塞いで窒息させる事件や通りすがりの女性の口にタオルを押し当て窒息させるなどの事件を何度も起こしていました。
前上博はそれだけでは満たされず遂には殺人事件を起こしてしまうのです。前上博は自殺願望を持つ人達が集まる自殺サイトで、「一緒に自殺しよう」と持ち掛けて被害者を誘い込み殺害しました。
前上博は被害者の苦しむ姿を録音しており、自宅に”実行記録”として録音テープを保管したりもしていたようです。異常な性癖を持つ前上博が起こした自殺サイト殺人事件の詳しい概要をまとめてみました。
自殺サイトで知り合った3人の男女を殺害
前上博は自殺サイトで知り合った3人の男女を殺害しました。前上博は自身の欲求を満たすために自殺サイトに目を付け、自らも自殺願望があることを装い言葉巧みに被害者らを誘い出したのです。
前上博は”練炭自殺による安らかな死”を提案して被害者らを油断させていましたが、実際には何度も窒息させては蘇生させるというのを繰り返し、被害者がもがき苦しむ姿をテープに録音するなどして楽しんでいました。前上博の被害者となった3人の男女について詳しくみていきましょう。
殺害①長元美智子(25歳)
前上博の1人目の被害者となったのは豊中市に住む当時25歳だった長元美智子さんです。前上博と長元美智子さんは2004年12月頃に自殺サイトを通して知り合いました。長元美智子さんと20回程メールのやり取りをした後に、前上博が「一緒に練炭自殺しよう」と誘い、2005年2月19日の夜に合流したようです。
前上博は長元美智子さんに自身とのメールのやり取りを削除するように求めており、証拠隠滅を図っていました。前上博はレンタカーの後部座席で長元美智子さんの手足を縛り、何度も窒息させ苦しませた上で死亡させています。
前上博はその後の供述で”自分は自殺する気はなかった”ということや”窒息して苦しむ姿に興奮した”ことを明かしています。捜索願が出されていた長元美智子さんの遺体は、その後2005年8月2日に大阪府河内長野市の河川敷で発見されました。
遺体が発見されてから3日後の8月5日に事件の犯人として前上博が逮捕されましたが、前上博は逮捕後の供述で長元美智子さん以外にも2人の男性を殺害したことを自供したのです。
殺害②神戸市北区の男子中学生(14歳)
前上博の二人目の被害者となったのは、神戸市北区に住む当時14歳の男子中学生でした。男子中学生は学校でいじめに遭っていて自殺願望があったことから、自殺サイトで前上博と知り合いました。男子中学生は2005年5月4日にも一度家出をしており、この時は岡山県で保護されていたようです。
その後5月21日に二度目の家出をしており、その際には友人に「自殺サイトで知り合った大阪の男性と会う」とメールを送っています。その後行方が分からなくなっていた男子中学生ですが、逮捕された前上博の供述により大阪と和歌山県堺付近の山中で遺体が発見されました。
前上博は男子中学生を殺害する際には手足を縛り、鼻と口を塞ぎ失神させまた覚醒させるというのを繰り返し行っていました。男子中学生はもがき苦しみ痙攣していましたが、前上博はその苦しむ姿を見て興奮していたといいます。
また前上博は男子中学生の苦しんでいる音声を全て録音し、自宅に保管していました。またその録音テープを部屋で何度も聞き興奮を味わっていたようです。
殺害③近畿大学3年生(21歳)
前上博の3人目の被害者となったのは当時21歳だった近畿大学3年生の男性でした。三重県出身だった男子大学生は大学に通う為に東大阪市で一人暮らしをしていたようですが、2005年6月頃から行方が分からなくなっており、家族から捜索願が出されていました。
前上博はこの男子大学生とも自殺サイトで知り合い、言葉巧みに誘い出したようです。大学生の遺体は大阪府河内長野市内の林道で白骨化した状態で発見されました。
長元さんの遺体発見後に犯人逮捕
2005年8月2日に大阪府河内長野市の河川敷にて長元美智子さんの遺体が発見されたことから、警察は殺人事件として捜査を開始し、その3日後の8月5日に前上博が逮捕されました。前上博が最初の殺人を犯したのは2005年2月19日ですが、事件が発覚するまでに約半年という長い時間が経過しています。
その半年間に前上博は殺人を犯し続け、さらには4人目の標的を探すために自殺サイトで知り合った複数の人たちとメールのやり取りをしていたといいます。前上博は逮捕されない限り、この凶悪な犯行を繰り返すつもりだったということなのでしょう。
逮捕後に学生2人の殺害を自供
前上博は長元美智子さんに対する殺人容疑で逮捕されましたが、逮捕後に自ら男子学生2人の殺害を自供しました。
前上博が殺害した2人の男子学生の遺体を”大阪府と和歌山県堺付近の崖から落とした”と供述したことから警察は捜索を開始し、前上博の供述通り2人の遺体を発見したのです。また前上博の自宅からは殺害時に被害者らが苦しむ音声を録音したテープや画像が発見され、証拠品として押収されています。
前上博は精神鑑定を受ける
前上博による犯行は、自身の異常な性癖を満たすための卑劣なものでした。これにより前上博は逮捕後に精神鑑定を受けています。前上博の精神鑑定は1年以上に渡って行われましたが、鑑定の結果、前上博には責任能力があると診断されました。
「性的衝動による犯行で、行動制御能力はあった」と判断された前上博には、その後の裁判で死刑判決が下っています。
前上博への死刑判決から執行まで
前上博には精神鑑定の結果、責任能力はあると診断され死刑判決が下されました。死刑が確定してから執行されるまでには平均的に8年~10年ほどの期間があると言われていますが、前上博の場合は死刑確定から異例の早さで刑が執行されています。
これにはどのような訳があったのでしょうか?前上博の死刑判決から死刑執行までをまとめてみました。
2007年2月に死刑判決
自殺サイト殺人事件の犯人として逮捕された前上博には2007年2月に死刑判決が下されています。前上博の弁護士は裁判の中で死刑回避を主張していましたが、前上博本人は”自分で自分の欲望を止められないのなら死刑になって全てを終わらせたい”と述べ、自ら死刑判決を望んでいたようです。
前上博は自身の性癖が異常であること悟っており、犯罪防止のために自ら精神科医の元に通っていたこともありました。また窒息マニアの小説を書くことで実際に犯行に及ぶ衝動を抑えていたとも言われています。しかし「他人を痛めつけないと情緒不安定になる」という発言からも分かる通り、自身の衝動的な欲求を抑えることは困難だったようです。
裁判には被害者家族も参加
前上博の裁判では被害者家族も参加して審理が行われていました。裁判では、自殺サイトで知り合った被害者らが自殺を望んでいたことから自殺幇助が成り立つ部分はあるとされましたが、当初に前上博が練炭自殺による安らかな死を提案していたことからも、それとは著しく異なる方法で殺害したことは死刑に値する卑劣な犯行だとして死刑が求刑されたのです。
2009年7月に死刑執行
2009年7月に前上博の死刑が執行されました。前上博の死刑は、死刑確定から2年という早さで刑が執行されているのです。前上博は自身の犯した罪について”死をもって償うしかない”と述べており、早めの刑の執行を望んでいたようです。
一般的に死刑確定から執行まではかなりの時間が掛かる場合が多いようですが、それには再審請求や恩赦の出願などの理由があります。しかし前上博自身が早い執行を望んでおり、また犯行内容が凶悪すぎることなどが要因となって、異例の早さでの執行となったと考えられているようです。
死刑執行が早く世間の注目を浴びる
自殺サイト殺人事件の犯人である前上博の死刑執行が異例の早さで行われたことに、世間からは驚きの声が上がりました。
自殺サイト殺人事件は、犯人である前上博が窒息マニアだったことや自ら死刑を望み、控訴を取り下げていたことなどで、世間からは大きな注目を集めていました。2009年7月28日に前上博の死刑が執行されたことで自殺サイト殺人事件は収束を向かえたのです。
自殺サイトの規制強化へ
前上博が自殺サイト殺人事件の犯人として逮捕されたのちに、自殺サイトの規制が強化されることとなりました。自殺サイトには精神的に追い込まれた自殺願望を持つ人達が集まっているため、あらゆる犯罪の被害者になりやすいのです。
そのため自殺願望者が犯罪の被害者にならないように規制を強化することは必要不可欠なことと言えますが、一方で自殺サイトによって救われる人がいるのも事実です。実生活において相談する相手や悩みを打ち明けられる相手がいない場合に、自殺サイトで自身と同じ境遇の人と知り合い話をするうちに自殺を辞め、生きる選択をする人もいるのです。
前上博の生い立ち
自殺サイト殺人事件の犯人である前上博にはどのような生い立ちがあるのでしょうか?前上博の父親は元警察官で、自殺サイト殺人事件は父親の以前の勤務先に捜査本部が置かれていたことでも話題となっていました。
元警察官の父親は前上博をかなり厳しく育てており、しつけの一環で時には虐待をしていたこともあったといいます。前上博の生い立ちや父親との関係について調べてみました。
警察官の父親に厳しく育てられる
前上博は1964年8月8日に大阪府で生まれました。前上博の両親はとても厳しかったようで、特に警察官だった父親からは度々しつけと称して虐待を受けていたといいます。警察官だった父親は犯人を逮捕する時などに使う武術を息子のしつけにも活用しており、息子を窒息させることもあったのだそうです。
幼少期に窒息を伴う虐待を受けていた前上博は窒息に対しての執着が強くなり、またその苦痛を他人に与えることで精神が安定するようになっていったといいます。またその状況を苦痛に感じ自殺願望が芽生え始め、自殺未遂を度々繰り返していたこともありました。
父親は「和歌山カレー事件」の担当
前上博の父親は1998年7月25日に起きた「和歌山毒物カレー事件」の捜査を担当していた人物でした。和歌山毒物カレー事件は、夏祭り会場で提供されていたカレーを食べた67人に中毒症状が現れ、そのうち4人の男女が死亡した事件です。
その後の捜査でカレーにヒ素が混入されていたことが発覚し、カレー鍋を担当していた林真須美が殺人罪で逮捕されました。林真須美にはその後の裁判で死刑判決が下っています。この事件の捜査をしていたのが前上博の父親でしたが、この時はまさか自身の息子が死刑囚になるとは予想だにしていなかったのではないでしょうか?
幼少期から異常な性癖が発覚
前上博は父親からの窒息を伴う虐待により、窒息に対しての執着心が芽生えますが、ある日からその執着心は異常な性癖に変わっていくのです。また前上博には窒息以外にも異常な性癖があったと言われており、その性癖を満たそうと数々の暴力事件や傷害事件を起こし逮捕されています。
父親はその度に被害者に対して慰謝料を払ったり、多額の示談金を払うなどしていたようです。また前上博は自宅に「実行記録」と称して被害者の音声を録音したデータを保管しており、65人分の録音データが残されていたといいます。
2001年頃に逮捕される
前上博は通りすがりの女性や近所の子供に対して突然襲い掛かり、口を塞ぎ窒息させた行為で2001年に逮捕されています。前上博は他人を窒息させる行為を小学校高学年の頃から行っており、これまでに3度の逮捕歴がありました。
前上博には、自殺サイト殺人事件の犯人として逮捕されるまでには50件以上の犯行を繰り返していたことが判明しており、余罪も合わせると100件以上もの犯行に及んでいたとされています。
大学を中退し転職を繰り返す
前上博は普通の人よりも高いIQを持っており、大学にも進学していますが、1年生の時に中退しています。それからは職を転々とし、事件当時は派遣会社で修理工事の仕事をしていました。
また前上博は事件当時は自宅の向かいにあるプレハブ小屋で生活をしており、事件関連の録音データやビデオテープなどが大量に保管されていたといいます。
IQは128もあった?
前上博にはIQが128もあったと言われており、窒息マニアなどの異常な性癖がなければ難なく大学を卒業することが出来たはずだとも言われています。
前上博の異常な性癖
自殺サイト殺人事件の犯人として逮捕された前上博には異常な性癖がありました。前上博は自身の性癖を満たすために数々の犯行に及んでいるのです。
そしてその犯行の一部始終を録音テープに収め、自宅にて聞いていたといいます。前上博の異常な性癖の数々についてまとめてみました。
性癖①窒息マニア
前上博は幼少期に父親から窒息を伴う虐待を受けていたことから窒息への執着心が芽生え、中学生の頃に推理小説の中にあった子供が口を塞がれている挿絵を見て性的興奮を覚えたといいます。
前上博は男女問わず口を塞がれて苦しんでいる姿に興奮を覚えると言い、その性癖を満たすために実際に犯行に及んでいるのです。
性癖②白いソックス
前上博は白いスクールソックスにも異常なまでの執着心がありました。白いスクールソックスに性的興奮を覚えたのは中学生の時で、教育実習生の大学生が履いていた白いスクールソックスがきっかけだったようです。
前上博は自殺サイト殺人事件の被害者となった男女にも、白いスクールソックスを履かせた上で犯行に及んでいます。そして被害者の苦しむ姿を録音するなどしていたのです。
性癖③白いヘルメット
前上博が逮捕後に明かした話によると、前上博は幼稚園の頃にすでに異常な性癖に目覚めており、郵便局員の白いヘルメットに性的興奮を覚えたようです。
性癖④女性への興味がない
前上博は女性の裸を見て興奮したことは一度もなく、男女問わず窒息する姿や白いスクールソックスを履いている人に性的興奮を覚えるということを明かしています。前上博には男女の区別がなかったようです。
また前上博には婚約者がいたことがあったようですが、その女性と一度体の関係を結ぼうと試みましたが失敗に終わり、その後は一度も体の関係にはならなかったそうです。
性癖⑤録音テープ
前上博は自宅向かいのプレハブ小屋に、殺害時に被害者が苦しんでいる音声を録音したテープや画像などを大量に保管していました。
録音テープの中には2番目の犠牲者となった男子中学生のデータも残されており、必死に命乞いする様子やもがき苦しみ痙攣する様子など、生々しい音声が録音されていたのです。
性癖⑥自殺願望
前上博には父親からのしつけと称した虐待や、自身の異常な性癖から自殺願望が芽生えたこともあり、これもでに3,4回ほど自殺未遂をしたことがあったようです。しかしそこで死にきれなかったことが、殺人事件の犯行に及ぶ引き金になったと述べています。
前上博が起こしたその他の事件
前上博は自殺サイト殺人事件を起こす以前から、数々の傷害事件や暴行事件を起こし逮捕されているのです。前上博が起こした数々の事件はいずれも自身の異常な性癖を満たすための犯行でした。前上博が起こした数々の事件について調べてみました。
事件①幼い子供を何度も窒息させる
前上博は高校生までの間に、何度も近所の子供に薬品を染み込ませたタオルやガーゼで口を塞ぎ、窒息させるという犯行を繰り返していました。
被害者が子供だったため事件が発覚しなかったケースや具体的な傷を負っていないことで事件として成立しないというケースもあったといいます。
事件②日本郵政の同僚男性を襲う
1995年には同僚の男性を襲い、首を絞めて窒息させていたことがありました。前上博はその頃日本郵政に勤めていたのですが、職場ではいじめにあっていたと言われています。その復讐のために前上博はスタンガンを用意して犯行に及びました。
逮捕された前上博の父親が被害者男性に対して多額の示談金を払っており、前上博はこの事件では起訴猶予となっています。
事件③路上で2人の女性を襲う
2001年には路上で2人の女性を襲って逮捕されていたことがあります。薬品を染み込ませたタオルを突然通りすがりの女性の口に当てて、窒息させたのです。この事件で前上博には執行猶予付きの有罪判決が下されました。
事件④男子中学生を襲う
2002年には通りすがりの男子中学生の口を塞ぎ、窒息させるという事件を起こしています。この事件で前上博には実刑判決が下されています。前上博の父親は退職金で被害者に慰謝料を払っていたようです。
前上博は自殺サイト殺人事件を起こす以前からこのような犯行を繰り返しており、何度も逮捕されています。もっと早い段階で前上博の異常さに気付いていたのなら自殺サイト殺人事件は防げた事件だったのかもしれません。
前上博は異常な性癖を抱えた凶悪犯だった
2005年8月2日に発覚した自殺サイト殺人事件の概要や、犯人である前上博についてまとめてみました。前上博は異常な性癖の持ち主で、その性癖を満たすために自殺サイトを利用して被害者らと接触しました。
被害者を窒息させ苦しむ姿を見て興奮し、さらにその姿を録音して保管していたのです。卑劣で凶悪な犯行を繰り返していた前上博には死刑判決が下り、判決から2年後の2009年7月28日に異例の早さで死刑が執行されました。