増田恵子の若い頃まとめ!当時の経歴や人気は?若い頃のエピソードも

現在は歌手・女優・タレントとして活躍している増田恵子さんの若い頃の姿を振り返ります。増田恵子さんがピンクレディーのケイとして活動していた頃とソロデビュー後の経歴や人気をチェックしてみましょう。増田恵子さんが若い頃のエピソードもご覧下さい。

増田恵子の若い頃まとめ!当時の経歴や人気は?若い頃のエピソードものイメージ

目次

  1. 1増田恵子(ピンクレディー)のプロフィール
  2. 2増田恵子の若い頃
  3. 3増田恵子の若い頃の経歴や人気は?
  4. 4増田恵子の若い頃のエピソード
  5. 5増田恵子の若い頃はピンクレディー一色だった

増田恵子(ピンクレディー)のプロフィール

・愛称:ケイちゃん
・本名:桑木啓子
・生年月日:1957年9月2日
・年齢:63歳(2021年6月現在)
・出身地:静岡県静岡市葵区
・血液型:O型
・身長:160cm
・体重:非公表
・活動内容:歌手、女優、タレント
・所属グループ:ピンクレディー
・事務所:ケイオフィス
・家族構成:夫(桑木知二)

増田恵子の経歴

1957年9月2日に駿河区八幡で生まれた増田恵子さんは、1976年に芸能界に姿を表しました。若い頃の経歴は後の章でご紹介します。女優としても活動を開始し、数々のドラマや映画に出演しました。私生活では2002年6月23日に音響会社「ギルド・ジャパン」社長の桑木知二さんと結婚しています。

増田恵子の若い頃

現在もその美貌と歌唱力を称賛され続けている増田恵子さんの若い頃の姿を見てみましょう。増田恵子さんのピンクレディー時代の画像や若い頃の人気に対する世間の反応をご覧下さい。

増田恵子の若い頃はピンクレディー「ケイ」!

増田恵子さんの若い頃は、アイドルユニット・ピンクレディーのケイとして活躍していました。ピンクレディーは当時の日本で大人気を博し、超過密スケジュールに追われていたために、1日3時間眠れれば良い方という現在では考えられないような生活を送っていました。

増田恵子の若い頃の姿をチェック

現在も美しい増田恵子さんですが、ピンクレディー・ケイ時代の可愛らしさはまた格別です。ピンクレディーでは当時はミーと名乗っていた未唯mieさんとデュオを組んでいましたが、世間ではミー派とケイ派に分かれて「どちらがより可愛い」といった論争もありました。

増田恵子の若い頃①ピンクレディー時代

増田恵子さんの若い頃の姿をピンクレディー時代から見てみましょう。ピンクレディー時代の増田恵子さんは常に向かって左側のポジションにいましたが、ボーイッシュな未唯mieさんとの対比でどちらの魅力も相乗効果で更に高められていました。

増田恵子の若い頃②学生時代の画像は?

増田恵子さんの若い頃の姿を学生時代から見てみようと思ったのですが、増田恵子さんの学生時代の画像を見つける事ができませんでした。増田恵子さんが芸能界デビューしたのは高校3年生の時ですが、学生時代はデビュー前より素朴で清楚な姿だったかも知れません。

増田恵子の若い頃に対する世間の反応

増田恵子さんの若い頃に対する世間の反応をご紹介します。増田恵子さんの若い頃の姿は口々に「可憐過ぎる」「今でも充分通用する」と絶賛されています。若い頃の活動内容については「現在では許されない働きぶり」「よく病気にならなかった」と感嘆されていました。

増田恵子の若い頃の経歴や人気は?

増田恵子さんの若い頃の経歴や人気をご紹介します。増田恵子さんがピンクレディーとして芸能界にデビューする前から、ピンクレディー解散後ソロデビューをしてから数年の経歴を見てみましょう。

増田恵子の若い頃の経歴【ピンクレディーデビュー前】

増田恵子さんの若い頃の経歴をピンクレディーデビュー前から見てみましょう。増田恵子さんは中学2年の時に転入した中学校で未唯mieさんと出会いました。そしてデュオを組んで歌を歌うようになり、ピンクレディーへの道筋を作ったのです。

ピンクレディーデビュー前の経歴:ヤマハオーディションにて優勝

増田恵子さんは1973年にヤマハオーディションで優勝し、1974年に浜松のヤマハボーカルスクールへ未唯mieさんと共に通い始めました。同年、未唯mieさんとデュオ・クッキーの名義でヤマハポピュラーソングコンテストに出場しています。

ピンクレディーデビュー前の経歴:『スター誕生』合格

1976年2月、増田恵子さんと未唯mieさんのデュオ・クッキーはオーディション番組『スター誕生』の決戦大会で合格し、芸能界デビューが決まりました。この時増田恵子さんと未唯mieさんは高校3年生でした。

増田恵子の若い頃の経歴【ピンクレディー時代】

増田恵子さんの若い頃の経歴をピンクレディー時代から見てみましょう。ピンクレディーのケイとして時代を駆け抜けた増田恵子さんの軌跡をデビュー当時から辿っていきましょう。

ピンクレディー時代の経歴:デビュー曲は『ペッパー警部』

ピンクレディーのデビュー曲は『ペッパー警部』でした。1976年8月にリリースされたこの曲は売上60万枚を記録し、ミリオンセラーのヒットを記録した上に1976年末の日本レコード大賞では新人賞を獲得しました。この曲の振り付けも大きな話題を呼んでいます。

ピンクレディー時代の経歴:数々のヒット曲が誕生

デビュー曲に続いて『S・O・S』、『カルメン'77』もオリコン1位を記録し、続いてリリースした『渚のシンドバット』もミリオンセラーとなっています。この頃からのピンクレディーの人気は社会現象とも呼ばれるようになり、多くの日本人を熱狂させていました。

ピンクレディー時代の経歴:解散

オリコンで連続9曲が1位を記録するという大人気だったピンクレディーは、アメリカにも進出しています。『Kiss In The Dark」はビルボードで総合37位となりましたが、全盛期の人気は少しずつ衰えていき、1980年9月にピンクレディー解散を発表して翌年3月に解散コンサートを開催しました。

増田恵子の若い頃の経歴【ソロデビュー後】

増田恵子さんの若い頃の経歴をソロデビュー後から見てみましょう。ピンクレディーを解散した後の増田恵子さんはソロ歌手としての活動を開始しました。ピンクレディーのケイではない1人の歌手として歌い始めた増田恵子さんの姿を振り返ります。

ソロデビュー後の経歴:「増田けい子」に改名

増田恵子さんはピンクレディーの解散コンサートが催された年の11月に増田けい子名義でソロデビューしました。増田恵子さんの本名は小林啓子でピンクレディー時代は増田啓子と表記していましたが、啓を平仮名に変えたのです。

ソロデビュー後の経歴:デビュー曲『すずめ』がヒット

ソロデビューした時のデビュー曲は中島みゆきさんが作詞作曲をした楽曲『すずめ』でした。この曲は40万枚のヒットとなり、オリコンチャート8位を記録し、全日本有線放送大賞特別賞を獲得しています。

ソロデビュー後の経歴:「増田恵子」に改名

『すずめ』の後2曲のシングルをリリースした増田恵子さんは、4本目のシングル『女優』をリリースする時に現在の芸名・増田恵子に改名しました。この時にレーベルをワーナー・パイオニアからフォーライフ・レコードに移籍しています。

増田恵子の若い頃の人気ぶりも調査

増田恵子さんの若い頃の人気ぶりも見てみましょう。現在でも中高年以降の人に「ケイちゃん」と呼ばれ愛され続けている増田恵子さんの若い頃の人気はどれほどのものだったのでしょうか?

若い頃の人気①ピンクレディー時代

増田恵子さんの若い頃の人気をピンクレディー時代から見てみましょう。ピンクレディー時代の増田恵子さんは、前述のように未唯mieさんと比較される事が多かったのですが、大別すると未唯mieさんは女性人気が高く、増田恵子さんは男性人気が高かったようです。

若い頃の人気②ソロデビュー後

増田恵子さんの若い頃の人気をソロデビュー後から見てみましょう。ソロデビュー後の増田恵子さんは、人気はピンクレディー全盛期に比べると高いとは言えませんでしたが、安定した人気を保持してきました。その人気を現在まで維持し続けているのです。

増田恵子の若い頃のエピソード

増田恵子さんの若い頃のエピソードをご紹介します。若い頃の増田恵子さんが実家と交わした約束や遭遇した出来事など、増田恵子さんの若い頃の歴史を振り返ってみましょう。

若い頃のエピソード【成功するまでの実家との約束】

増田恵子さんはピンクレディーとして活動を始める際、実家の家族とある約束を交わしたそうです。その約束というのは「歌手として成功するまでは実家の敷居をまたがない」というものでした。増田恵子さんは、若い娘にとっては厳しい約束をしっかり守り抜いています。

若い頃のエピソード【タクシー事件】

若い頃の増田恵子さんは1人で乗るタクシーに苦手意識があったそうです。ピンクレディー解散間際に乗ったタクシーが往路と違う道を辿った時は不安のあまり突然鼻血が吹き出して驚いた、というエピソードを明かした事がありました。

若い頃のエピソード【野口五郎との熱愛報道】

ピンクレディーとしてデビューしてから数年後、増田恵子さんと野口五郎さんとの交際が報じられた事がありました。当時の2人は「友人同士」と交際を否定していますが、増田恵子さんは2004年に上梓した自伝『あこがれ』の中で野口五郎さんとの関係を認めました。

若い頃のエピソード【90年代からのバセドウ病】

増田恵子さんは1990年頃にバセドウ病に罹患した事を2005年に自身のブログで告白しました。バセドウ病は代謝が異常に高くなるという症状を引き起こします。最初に発症した時は薬で治ったのですが、2003年に再発して以降は完治していないようです。

増田恵子の若い頃はピンクレディー一色だった

増田恵子さんの若い頃はピンクレディー一色でした。増田恵子さんの生活がピンクレディー一色だったというだけではなく、時代もピンクレディーの色に染め上げられていたのです。増田恵子さんは2018年12月の日本レコード大賞でピンクレディーとしてステージに立ち、5曲メドレーを歌い上げました。その姿は若い頃より更に強い輝きを放っていたのでした。

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fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

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