峰岸徹の若い頃から死去まで!死因は?岡田有希子の自殺に関係?

名優峰岸徹さんの若い頃から死去までの足跡を辿ります。峰岸徹さんの死因は何だったのでしょうか?伝説のアイドル岡田有希子さんの自殺に関わっていたと言うのは本当なのでしょうか?また峰岸徹さんの結婚と離婚と再婚そして子供などの家庭生活についてもご紹介します。

峰岸徹の若い頃から死去まで!死因は?岡田有希子の自殺に関係?のイメージ

目次

  1. 1峰岸徹のプロフィール
  2. 2峰岸徹は和製ジェームス・ディーン
  3. 390年代より渋い中年役でブレイク
  4. 4峰岸徹はアイドル・岡田有希子の自殺の原因?
  5. 5峰岸徹は結婚していた?子供は?
  6. 6峰岸徹は2008年に死去
  7. 7峰岸徹は現在も記憶に残る名俳優

峰岸徹のプロフィール

・愛称:トン
・本名:峰岸知夫
・生年月日:1943年7月17日
・年齢:享年65歳(2008年10月11日死去)
・出身地:東京都中央区銀座
・血液型:O型
・身長:173cm
・体重:不明
・活動内容:俳優
・所属グループ:なし
・事務所:アクトレインクラブ
・家族構成:後述します
・出演作品:ドラマ「風と雲と虹と」「高校教師」「古畑任三郎シリーズ」、映画「ゴジラvsビオランテ」

峰岸徹の経歴

峰岸徹さんは1943年7月17日に東京都中央区で生まれました。高校卒業後、日本大学藝術学部演劇学科に入学しましたが中退し、俳優になっています。俳優座養成所と文学座研究生を経て1968年に大映と契約しました。

若い頃よりも中年以降に知名度が上がり、俳優としての活動以外にもバラエティに出演し、端正な顔でオヤジギャグを飛ばす個性で人気を博しました。私生活ではトライアスロンが趣味でレースにも参加し、トライアスロンに関する書籍も出版しています。

峰岸徹は和製ジェームス・ディーン

峰岸徹さんは若い頃「和製ジェームス・ディーン」と呼ばれました。正確にはかつて「和製ジェームス・ディーン」と呼ばれていた俳優赤木圭一郎さんと若い頃の峰岸徹さんがよく似ていた事から、同じように「和製ジェームス・ディーン」と呼ばれるようになったのです。

銀座の料亭に生まれた峰岸徹

峰岸徹さんは中央区銀座に生まれています。銀座で峰岸徹さんの母が料亭を営んでいて、その母に手塩にかけて育てられました。子供時代は虚弱体質だったそうです。

母と寄席に通った幼少期

峰岸徹さんは子供の頃から落語が好きでした。虚弱体質で他の子供のように活発に外で遊べない子供を思いやった峰岸徹さんの母が、人形町末広亭などの寄席に連れて行ってくれたそうです。

ジェームズ・ディーンと石原裕次郎に憧れて俳優を志す

若い頃の峰岸徹さんはジェームス・ディーンさんと石原裕次郎に憧れるようになり、彼らと同じ俳優の道を選びました。次の項とその次の項でジェームス・ディーンさんと石原裕次郎さんのプロフィールをご紹介します。

ジェームズ・ディーンとは

・愛称:ジミー
・本名:同じ
・生年月日:1931年2月8日
・年齢:享年24歳(1955年9月30日死去)
・出身地:アメリカ合衆国インディアナ州
・血液型:不明
・身長:170cm
・体重:不明
・活動内容:俳優
・所属グループ:なし
・事務所:不明
・家族構成:不明
・出演作品:映画「エデンの東」「理由なき反抗」「ジャイアンツ」

石原裕次郎とは

・愛称:裕ちゃん、ボス
・本名:同じ
・生年月日:1934年12月28日
・年齢:享年52歳(1987年7月17日死去)
・出身地:兵庫県神戸市
・血液型:A型
・身長:178cm
・体重:不明
・活動内容:俳優、歌手、声優、司会者、モデル
・所属グループ:なし
・事務所:石原プロモーション
・家族構成:妻(石原まき子)
・出演作品:ドラマ「太陽にほえろ!」「大都会」「西部警察」、映画『太陽の季節」「狂った果実」「嵐を呼ぶ男」

若い頃の芸名は峰健二や峰岸隆之介

峰岸徹さんの俳優デビューは1962年の映画「高校生と女教師・非情の青春」で、同時にスクリーンデビューも果たしています。因みに当時の芸名は「峰岸徹」ではなく「峰健二」だったそうです。

1968年に大映と契約した時に芸名を「峰岸隆之介」に改め、1975年に現在の「峰岸徹」に改名しました。

若い頃はイケメン過ぎて人気が出なかった?

若い頃の峰岸徹さんはイケメンすぎて人気がありませんでした。観る人は峰岸徹さんの演技よりも峰岸徹さんの端正な顔立ちに注目してしまったのです。その事は若い頃の峰岸徹さんをとても悩ませていました。

若い頃の代表作ドラマ「風と雲と虹と」

若い頃の峰岸徹さんの代表作はNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」です。峰岸徹さんは主人公平将門を付け狙う源扶(みなもとのたすく)を演じました。女好きかつ極悪非道な人物で、そんな役柄を魅力たっぷりに生き生きと演じる峰岸徹さんは高評価を受けています。

ドラマ「風と雲と虹と」とは

「風と雲と虹と」は1976年1月4日から12月26日まで放映された第14作目のNHK大河ドラマで、舞台は平安時代中期、加藤剛さん演じる平将門と緒形拳さん演じる藤原純友の生涯を描いた作品です。

長年オリジナル映像は現存しないと思われていたのですが、2000年代半ばに全放送回が収録されたVTRがNHK倉庫にあるのが発見され、9ヶ月をかけてデジタルリマスター処理を行なわれた後に全話収録の完全版DVDが2007年7月に発売され、ファンに歓声を上げさせました。

90年代より渋い中年役でブレイク

名優峰岸徹さんがブレイクしたのは1990年代に入ってからでした。端正な容貌に渋みが加わった事でイケメンなだけではない魅力が生まれ、それまであまり注目されていなかった演技力が高い評価を受けるようになっていったのです。

1993年ドラマ「高校教師」で演じた役で話題に

1993年には、峰岸徹さんがドラマ「高校教師」で演じた役が衝撃的で話題を呼びます。それまで「風と雲と虹と」で演じた源扶や他のドラマなどで多くの悪役を演じてきましたが、このドラマで演じたのはそれまでの悪役とはまた違った、一口で悪役と呼べないキャラクターでした。

娘との近親相姦をする父親・二宮耕介役

ドラマ「高校教師」で峰岸徹さんが演じた衝撃的な役柄、それは自分の子供であるヒロインに執着し、近親相姦の関係を無理やり強いている父親だったのです。この設定は多くの視聴者に大きな衝撃を与えました。

ドラマ「高校教師」とは

ドラマ「高校教師」は1993年1月8日から3月19日までTBS系列で放映されました。主演は真田広之さんと桜井幸子さんで、脚本は野島伸司さんでした。教師と生徒の恋愛を軸にして、その他に同性愛や強姦そして近親相姦などの社会的タブーが詰め込まれたドラマです。

内容的に現在では地上波での再放送は難しいのですが、2001年に全話と特典映像が収録されたDVDが発売されているほか、動画サイトなどでも配信されています。

ドラマ「古畑任三郎」では古畑の上司役

峰岸徹さんは人気ドラマ「古畑任三郎」では古畑任三郎のちょっと頼りない上司蟹丸義太夫(かにまるぎだゆう)を演じました。レギュラーではなく準レギュラーなのですが、少ない登場ながら存在感を十分に発揮し、視聴者の人気を集めています。

ドラマ「古畑任三郎」とは

ドラマ「古畑任三郎」はフジテレビ系列で1994年4月13日から6月29日まで放映された1st seazonを皮切りに3rd seazonまで制作され、スペシャル版やスピンアウトドラマそして続編まで制作された人気ドラマです。

主演は田村正和さんが務め、脇を西村和彦さんら芸達者な名バイブレイヤー達が固めています。毎回変わる犯人役も著名な俳優を揃えていて、今度は誰が犯人役をやるのかという事も注目されました。全編DVDが発売されています。

ものまね王座決定戦の審査員でも活躍

峰岸徹さんの活躍はドラマだけではありません。浜田雅功さんが司会を務めるバラエティに多数出演したほか、フジテレビ系列のバラエティ番組「ものまね王座決定戦」には長年審査員として出演しています。

ものまね王座決定戦とは

バラエティ番組「ものまね王座決定戦」はフジテレビ系列で1973年から放映されているものまね番組です。2000年までは春と秋の番組改編期に放映されていましたが、現在は毎年年末に1回の放送になりました。

峰岸徹はアイドル・岡田有希子の自殺の原因?

峰岸徹さんは、1986年4月8日に亡くなった伝説のアイドル岡田有希子さんの死因に大きく関わったと言われています。亡くなった当時18歳だった岡田有希子さんの死因は投身自殺でした。

一体峰岸徹さんのどんな要素が岡田有希子さんの死因に繋がったと言われているのでしょうか?次の項で岡田有希子さんのプロフィールをご紹介します。

岡田有希子とは

・愛称:ユッコ
・本名:佐藤佳代
・生年月日:1967年8月22日
・年齢:享年18歳(1986年4月8日死去)
・出身地:愛知県一宮市
・血液型:O型
・身長:155cm
・体重:44kg
・活動内容:歌手、女優
・所属グループ:なし
・事務所:サンミュージック
・家族構成:父、母、姉
・出演作品:ドラマ「禁じられたマリコ」、楽曲「くちびるネットワーク」

1985年ドラマ「禁じられたマリコ」で共演

峰岸徹さんと岡田有希子さんは、岡田有希子さんが亡くなる前の年にドラマ「禁じられたマリコ」で共演しています。岡田有希子さんは超能力を持つヒロインを、峰岸徹さんは彼女を支える刑事を演じました。

ドラマ「禁じられたマリコ」とは

ドラマ「禁じられたマリコ」は、TBS系列で1985年11月5日から1986年1月28日まで放映されました。父親の非業の死がきっかけで超能力を持つようになってしまった少女が、亡父の無念を晴らすために悪の超能力者との戦いに挑むサスペンスです。

人気アイドル岡田有希子さんの連続ドラマ初主演作品として話題を呼びましたが、放映終了後3ヶ月後に岡田有希子さんが死亡したため、岡田有希子さんの唯一の連続ドラマ主演作品となってしまいました。DVD化はされておらず、動画配信も行なわれていない幻の名作です。

峰岸徹と岡田有希子は交際していた?

岡田有希子さんの死因に峰岸徹さんが関わっているとされた理由は、岡田有希子さんの遺書でした。内容は公表されていないのですが、その中に「峰岸徹さんに振られた、憧れていたのに最近冷たくされて悲しい」と書かれていたと言うのです。

岡田有希子の死に責任を感じるとした峰岸徹

その事はメディアに大々的に書き立てられ、インタビューを受けた峰岸徹さんは「正直ものすごくショックです。僕は兄貴のつもりでいたんですが、彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。それが愛だったら責任を感じます」と語っています。

真相は神田正輝を守る為に石原裕次郎に頼まれたから?

その後遺書に書かれていた岡田有希子さんの死因である自殺の原因は、峰岸徹さんではなく神田正輝さんだったという噂が生まれました。噂の原因は出版プロデューサー但馬オサムさんが著書で書いた内容です。

当時神田正輝さんは松田聖子さんと結婚したばかりだったため、神田正輝さんと松田聖子さんの芸能生命を守るために石原裕次郎さんに頼まれて、峰岸徹さんが岡田有希子さんの失恋相手の代役を務めたのが真相だと言うのです。事実がどうだったのかは未だに不明です。

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峰岸徹は結婚していた?子供は?

峰岸徹さんは結婚されていたのでしょうか?そして子供はいたのでしょうか?この章では、峰岸徹さんの結婚と離婚と再婚、そして子供をめぐる家庭生活をご紹介します。

1977年に女優・藍とも子と結婚

峰岸徹さんの結婚相手は当時人気の新人女優だった藍とも子さんです。峰岸徹さんと藍とも子さんは1975年にテレビ東京系列で放映されたドラマ「プレイガールQ」で出逢い、その後交際を始め、交際開始から半年後の1977年に電撃結婚しました。

子供は女の子が一人

結婚の翌年に峰岸徹さんと藍とも子さんの間に子供が生まれました。子供は女の子で結婚生活は幸せいっぱいと見られていたのですが、結婚後も仕事を続けるつもりの藍とも子さんを心配して口を出す峰岸徹さんに対して藍とも子さんの心が冷えていってしまいました。

1983年に離婚し親権は峰岸徹

そして結婚から6年経った1983年に藍とも子さんが家を飛び出してしまい、離婚に至ります。子供を置いていったため、子供の親権は峰岸徹さんが持ちました。その後藍とも子さんと子供は全く会っていませんでしたが、2010年母子は再会の時を迎えます。

再会したのは峰岸徹さんの死後でした。峰岸徹さんは亡くなる前に病床で「会いたかったら会っても良いぞ」と言い遺していたのです。

峰岸徹は再婚していた?

藍とも子さんとの離婚後峰岸徹さんは再婚をしたのでしょうか?調べましたが峰岸徹さんは亡くなるまで再婚していませんでした。再婚するつもりで交際していた相手がいた時期がありましたが、丁度その頃に岡田有希子さんの自殺スキャンダルに巻き込まれてしまいました。

再婚相手となる筈だった女性とはその騒動でうまく行かなくなり、再婚の話は立ち消えとなってしまいました。それから20年以上峰岸徹さんは再婚せず、ずっと独身で生きていかれたようです。

峰岸徹は2008年に死去

峰岸徹さんは離婚後再婚せず、1人で娘さんを育て上げた後、65歳に死を迎えてしまいました。再婚せず独身を守っていたため、最期を看取った家族は娘さんだけでした。

峰岸徹の死因は?

60歳半ばという死は現代日本では早すぎる死です。峰岸徹さんの死因となったのは事故とかでなく病気でした。死因となった病気の名は肺がんです。

2008年には肺がんを公表

峰岸徹さんは2008年7月に肺がんである事を公表しています。3月に元々患っていた椎間板ヘルニアによる腰痛が悪化したために手術を受ける事になり、検査入院した時に肺がんが発覚していました。肺がんは腰にまで転移していて、腰痛の原因となっていたのです。

既に切除手術が出来ない状態であり、入院して抗がん剤投与や放射線治療などの治療を受けていました。4月に椎間板ヘルニアを理由に舞台を降板したのも、実は肺がんの治療のためだったと公表したのです。

死去の2ケ月前にも仕事復帰していた峰岸徹

肺がんを公表した翌月の8月に峰岸徹さんは仕事復帰しています。そして2ヶ月後の10月11日に亡くなりました。最後の仕事となったのは大林宣彦監督の映画「その日のまえに」でした。

峰岸徹は現在も記憶に残る名俳優

峰岸徹さんは現在も多くの人達の心に残っている名俳優です。峰岸徹さんの死因となった肺がんは、峰岸徹さんの生命を奪う事は出来ても峰岸徹さんを知る人達の記憶を奪う事は出来ませんでした。

峰岸徹さんは離婚後再婚せず独身を守りましたが、一人娘を立派に育て上げています。そんな家庭生活は満足のできるものだったのではないでしょうか?名俳優峰岸徹さんの死を心から悼むと共にご冥福をお祈りします。

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