三田佳子の若い頃は?当時の人気や経歴なども調査!

日本が誇る大女優・三田佳子さんの若い頃の姿を振り返りましょう。三田佳子さんの若い頃当時の人気、そしてデビュー作や出演作品などの経歴について調査した結果をご紹介します。三田佳子さんの若い頃に対する世間の評判も見てみましょう。

三田佳子の若い頃は?当時の人気や経歴なども調査!のイメージ

目次

  1. 1三田佳子のプロフィール
  2. 2三田佳子の若い頃
  3. 3三田佳子の若い頃の人気を調査
  4. 4三田佳子の若い頃の経歴
  5. 5三田佳子の若い頃に対する世間の評判
  6. 6三田佳子は若い頃から美しい看板女優

三田佳子のプロフィール

・愛称:不明
・本名:高橋嘉子(たかはしよしこ・旧姓:石黒)
・生年月日:1941年10月8日
・年齢:79歳(2021年2月現在)
・出身地:大阪府大阪市
・血液型:O型
・身長:158cm
・体重:非公表
・活動内容:女優、歌手
・所属グループ:なし
・事務所:プロダクション尾木
・家族構成:夫(高橋康夫)、長男(森宮隆)、次男(高橋祐也)

三田佳子の経歴

三田佳子さんは1941年10月8日に大阪府大阪市で生まれました。生後半年で東京都に移住した三田佳子さんは、第二次世界大戦中は山梨県に疎開し、終戦後は東京都内で暮らしています。中学生の頃からその美貌が注目を集め、多数のテレビ番組に出演していましたが、高校在学中は複数の映画会社のスカウトを断り続けていました。

高校を卒業した1960年に第二東映へ入社し、同年女優デビューしています。若い頃の芸能経歴は後の章でご覧下さい。女優としての評価は若い頃から一貫して高く、現在までに30賞近くの演技賞を獲得しています。歌手として活動していた事もあり、1965年から1985年までに9枚のシングルと1枚のアルバムをリリースしました。

私生活では元NHKエグゼクティブ・プロデューサーである高橋康夫さんと結婚して2人の男の子を授かりましたが、次男が1998年に覚せい剤取締法違反で逮捕された事で、謝罪記者会見を開いた後に契約していたCMを全て降板し、女優生活を10ヶ月自粛するという不幸に見舞われています。

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三田佳子の若い頃

最近ネット上で注目を集めている三田佳子さんの若い頃の姿を見てみましょう。三田佳子さんの若い頃はどういうきっかけで話題になっているのでしょうか?三田佳子さんの若い頃と現在の顔の比較画像もご覧下さい。

三田佳子の若い頃が美しいと話題に

「三田佳子さんの若い頃が美しい」と話題になっています。現在も美しい事で有名な三田佳子さんですが、三田佳子さんの若い頃をリアルタイムで追いかけていた人達と、三田佳子さんの若い頃を知らない世代の人達が、ネット上で三田佳子さんの若い頃の画像や動画を探し、SNSやYouTubeに投稿してその美しさを称賛しているのです。

三田佳子の若い頃と現在の顔を比較

三田佳子さんの若い頃と現在の顔を比較してみましょう。左は2019年に放映されたドラマ『凪のお暇』に出演した時の三田佳子さんで、2枚目は50代頃の三田佳子さん、3枚目は20代の頃の三田佳子さんです。2019年の三田佳子さんはほぼすっぴんという姿で登場して視聴者を驚かせました。

更に視聴者を驚かせたのはその肌の美しさでした。当時77歳だった三田佳子さんの肌にシミ一つないのです。ドラマ放映後には「女優としての美意識を感じた」「見習いたい」といった同性からの賛辞が殺到していました。今も昔も変わらないという事ではないのですが、三田佳子さんは若い頃も現在も美しいのです。

ブログで公開した若い頃の写真にも注目が

ブログで公開した若い頃の写真にも注目が集まりました。三田佳子さんは公式ブログを頻繁に更新しているのですが、2019年7月に若い頃の写真を数枚公開したのです。

その中の1枚が上の画像なのですが、公開された写真はどれもとても美しく、三田佳子さんのブログの読者達は口々に「若い頃から綺麗です」「世界一綺麗です!」「年代に関わらずずっとお綺麗です」といった賛辞を寄せていました。三田佳子さんはブログだけでなくインスタグラムにも時々若い頃の写真を投稿し、フォロワーを喜ばせています。

三田佳子の若い頃の人気を調査

三田佳子さんの若い頃の人気について調査しました。調査の結果判明した三田佳子さんの若い頃の人気のほどが判る数々の要素をご紹介します。三田佳子さんの若い頃の人気を後押ししていたのはどんな要素だったのでしょうか?

若い頃の人気①森繫久彌とのご縁

三田佳子さんの若い頃の人気・その1は、森繫久彌さんとのご縁です。正式に女優デビューをする前、三田佳子さんは子役としてテレビやラジオに出演していました。そんな日々の中で、三田佳子さんは森繁久彌さんの娘役でラジオドラマに出演する事になったのです。

その後人気メディアの座がラジオからテレビに移って更に多くの人の目に触れるようになった頃、三田佳子さんは森繁久彌さんに次々と仕事を勧められるようになっていきました。

その頃の三田佳子さんは脇役で1つしか台詞がないような役でも緊張してしまい、「こんにちは」という台詞が出てこなかった事もありました。しかし、森繁久彌さんが「次はこれに出なさい」という風に次の仕事を繋いでいってくれたため、三田佳子さんは少しずつ女優になるという意識を高めていく事が出来たそうです。

若い頃の人気②CMガールで「トチリの佳子ちゃん」

三田佳子さんの若い頃の人気・その2は、CMガールで「トチリの佳子ちゃん」と呼ばれていた事です。三田佳子さんがテレビに出演するようになった頃はCMも生放送でした。三田佳子さんもCMガールとして起用されたのですが、それがとてもむずかしい仕事だったそうです。

CMが始まると30秒から90秒という時間で製品について説明しなければならないのですが、「自分の姿が全国のお茶の間に流れる」と思うと頭が真っ白になってしまい、商品名を言ってニコニコ笑うだけでCMが終了してしまう事もありました。

それではCMガールの役が果たせないという事で辞めさせられる事になったのですが、視聴者からは「トチる姿が可愛い」「あの子がどこまで言えるのか楽しみ」と大人気で、「辞めさせないで欲しい」という声が殺到したためにCMガールを続行する事になったのでした。

若い頃の人気③東映の大スター

三田佳子さんの若い頃の人気・その3は、東映の大スターだった事です。経歴の欄でご紹介したとおり、高校を卒業した三田佳子さんはその春に第二東映に入社しました。そして同年公開された映画で女優デビューしたのですが、デビュー作からヒロイン格の役を配されました。

当時の東映の看板女優は佐々木良子さんだったのですが、彼女に次いで第二の東映看板女優として活動するようになったのです。デビューした年には9本の映画に、翌年以降も5本以上の映画に主役級で出演した三田佳子さんの人気はうなぎのぼりに上がっていきました。

1967年に第二東映を退社してフリーになった後も三田佳子さんの快進撃は続き、活躍の場がテレビに移ると三田佳子さんの人気は更に上昇しています。

若い頃の人気④高額納税者番付け1位

三田佳子さんの若い頃の人気・その4は、高額納税者番付け1位に輝いた事です。三田佳子さんは高額納税者番付けの俳優・タレント部門で1991年から1994年までの4年間、連続で首位になるという記録を出しました。宝島社の『日本の女優100人』のうちの1人に選ばれ、「多くの人に感情移入させるタイプの女優」と書かれています。

多くの人を共感させるという三田佳子さんの持ち味が三田佳子さんの人気の理由の1つだったのです。その魅力によって多くのファンを獲得した三田佳子さんは、並ぶ者のいない大女優として日本国外にまで知られる存在になっていったのでした。そんな三田佳子さんの若い頃の経歴は次章でご紹介します。

三田佳子の若い頃の経歴

三田佳子さんの若い頃の経歴をご紹介します。三田佳子さんのデビュー作品から高視聴率を記録した伝説のドラマなど、三田佳子さんが若い頃に出演した数々の作品に出演した頃の姿を、順を追って振り返っていきましょう。

若い頃の経歴:映画『殺られてたまるか』で女優デビュー

三田佳子さんの若い頃の経歴:映画『殺られてたまるか』で女優デビューした頃を見てみましょう。三田佳子さんは1960年に公開された映画『殺られてたまるか』で女優デビューを飾り、翌年にエランドール賞の新人賞を受賞しました。これが三田佳子さんが授与された数ある演技賞の最初の1賞でした。

1964年に公開された映画『廓育ち』でも演技力を高く評価され、1966年には映画『娼婦しの』で京都市民映画祭の主演女優賞を獲得しました。「トチリの佳子ちゃん」時代からのファンは三田佳子さんの飛躍に深く感動したのではないでしょうか?

若い頃の経歴:映画『愛欲』でラブシーン熱演

若い頃の経歴:映画『愛欲』でラブシーン熱演した頃を見てみましょう。三田佳子さんは1966年に公開された映画『愛欲』でラブシーンを演じた時のエピソードを明かした事がありました。『愛欲』では三國連太郎さんとのラブシーンがあったのですが、スリップ姿で三國連太郎さんに覆いかぶさるというシーンでスリップがはだけてしまったのです。

当時20代前半だった三田佳子さんは三國連太郎さんに見られたショックで撮影後に泣き出してしまったのですが、監督に「まあいいんじゃないか」と慰められた三田佳子さんは、後日その経験について「女優はひとつひとつ自然体でいる事が大事という事を学んだ」と語っていました。

若い頃の経歴:映画『Wの悲劇』羽鳥翔役で多数の賞を獲得

若い頃の経歴:映画『Wの悲劇』羽鳥翔役で多数の賞を獲得した頃を見てみましょう。1984年に公開された映画『Wの悲劇』に出演した三田佳子さんは、劇中劇「Wの悲劇」で薬師丸ひろ子さん演じる主人公とWヒロインを演じる事になった劇団の看板女優・羽鳥翔役を華やかに演じました。

準ヒロインという位置付けだった三田佳子さんはこの役で1984年にブルーリボン賞・助演女優賞を含む3つの賞を、翌年に報知映画賞・助演女優賞を、1986年に日本アカデミー賞・最優秀助演女優賞を獲得しています。

若い頃の経歴:NHK大河『いのち』主演で高視聴率

若い頃の経歴:NHK大河『いのち』主演で高視聴率を獲得した頃を見てみましょう。三田佳子さんは1986年に放映されたNHK大河ドラマ『いのち』で主役を演じました。三田佳子さんの演技力に着目していた橋田壽賀子さんに見出されたのです。

歴史上の人物が主人公ではないという異色の大河ドラマで、放映前は視聴者がついてくるかどうかが懸念されていたにも関わらず、『いのち』は記録的な高視聴率を叩き出し、伝説の大河ドラマとなりました。その後三田佳子さんは1994年のNHK大河ドラマ『花の乱』でも主役を配され、大河ドラマ史上2本で主役を務めた唯一の女優として記録されています。

若い頃の経歴:紅白歌合戦の司会者

若い頃の経歴:紅白歌合戦の司会者をした頃を見てみましょう。三田佳子さんは1989年と1990年にNHK紅白歌合戦の紅組の司会を2年連続で務めました。この頃から紅白歌合戦は2部構成で放映されるようになっています。紅白歌合戦は視聴率が低迷した事によって「廃止するべきでは」という論議もなされていました。

しかし、1990年以降視聴率が50%前後で安定したため、廃止論は立ち消えになっています。その過渡期に三田佳子さんが司会者を務めていた事から、一部の人の間で「紅白にとって運命の女神だったのでは?」と言われた事もあったようです。

三田佳子の若い頃に対する世間の評判

この章では、三田佳子さんの若い頃に対する世間の評判についてチェックした結果をご紹介します。三田佳子さんの若い頃の姿は世間でどう評価されているのでしょうか?ツイッターに寄せられた世間の声をご覧下さい。

世間の評判①

若い頃に対する世間の評判・その1を見てみましょう。こちらは1964年に公開された映画『廓育ち』に主演した時の三田佳子さんのスチール画像です。ツイートした方は「美しすぎる」とコメントをしています。

東映の看板女優だった頃の三田佳子さんは、他の追随を許さないほどの美貌を誇っていました。その美は50年後に見た人の心も強く揺さぶる力を持っているのです。

世間の評判②

若い頃に対する世間の評判・その2を見てみましょう。こちらも1964年に公開された映画『日本任侠伝』に出演した時の画像です。3枚目に写っている三田佳子さんは、ツイートした人に「美人なんてもんじゃない輝き」と評されています。

世間の評判③

若い頃に対する世間の評判・その3を見てみましょう。2014年に東急プラザで開催された「昭和の名女優写真展」を訪れた人のツイートです。赤い衣装を身に着けて腰に手を当てている三田佳子さんは、ツイートした人に「超可愛い!」とコメントされています。

三田佳子さん世代の美人女優は今の若い世代に受けない事もあるのですが、三田佳子さんに関してはその心配は無用のようです。

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三田佳子は若い頃から美しい看板女優

三田佳子さんは若い頃から美しい看板女優でした。緊張のあまりトチりまくったCMガール時代を経て女優としての経験を重ね、やがて誰もが認める大女優となった三田佳子さんに対しては、「若い頃の三田佳子さんのような何かを超越したような美しさを持つ人は現代日本にはいない」という声もありました。

その美しさの質は年齢を重ねる事によって変わりましたが、三田佳子さんの美しさそのものは三田佳子さんが生きている限り変わらないのではないでしょうか?

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この記事のライター
fuyuhome
漫画とゲームが好きです。 最近は古いドラマを発掘して観るのにはまっています。 昔の俳優、今の俳優、どちらも違う...

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